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RSSフィード [13] 落ち込んだりもしたけど、私は三語です。
   
日時: 2011/02/06 13:54
名前: 片桐 ID:bAHnLEhE

さーて始まります。三語。
今日は各自が今まで書いたことのないジャンルに90分でトライ。
三時半くらいまでに投稿してください。
お題は「満月」「鴉」「果肉 」「熱気、」「冷たい」「崩玉」
以上の中からみっつ以上使って作品を投稿してください。

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墓標№13 ( No.5 )
   
日時: 2011/02/06 15:48
名前: 片桐 ID:bAHnLEhE

 名前はまだないの、と少女は言った。
 誰のものでもなく、彼女自身の名前がない、という意味だと悟るのにわずかばかりの時間を要した。
 私が仕事に夜を選ぶのは、昼の煩わしさから解き放たれ、ただ文字の世界に没頭できるというごく当たり前の理由による。書斎にこもり、原稿用紙に向かってペンを奔らせるには、あらゆる雑音から開放されねばならない。かましい呼び鈴や電話の音、頭の悪い子供の奇声、車のエンジン音、それらを遮断してようやく私は文字を紡ぐという行為に自身を向かわせられる。世界を遮断し、内なる声が沸きあがるのを聞く。それはどこまでも孤独な作業であらねばならなかった。
「あなたが名前をつけてよ。意味はどうでもいいから、響きの良い名前を」
 書斎のドアの前にたたずんでいる少女は、私を見つめ続けている。白いワンピースを着た少女はひどく痩せている。およそ手入れをされていると思えない長い髪からのぞく白い顔は精気に乏しく、スカートから伸びる脚には青く血管が浮かんでみえた。儚げというよりは、せん病質という印象を受ける。年の頃は十二、三歳といったところか。少なくとも、私の知り合いに、そのような少女はいない。
「君は誰だ? どうやってこの家に入った?」
 私は問い掛けながらも少女を厳しく睨む。深夜に他人の家に侵入するなど、悪戯にもほどがある。
 少女は私の質問に失望でもしたかのように肩を落とすと、書斎の本棚の前を歩き始めた。
「へえ、凄い数の本。英語の本もあるのね。さすが作家さんだわ」
 独り言のように呟きながらも、私に十分聞こえるように少女は言う。
「君は私が物書きをしているということを知っているのか?」
 仮にそうであるならば、熱心な読者が好奇心から作家の家に訪れたことになるのか。いやしかし、私はペンネームを使っているし、ファンレターの類は全て出版社宛に送られる手筈になっている。侵入したのち、私が作家であると知ったのだろうか。
「先生は、この本を全部読んだの?」
 書棚から一冊手にとって、少女は首を捻りながらページを捲る。
「ねえ、先生。先生ってば!」
 私が答えないでいると、少女はようやく私の方を向いた。
 少女は視線を逸らさない。答えるまでずっとそうしているとでも言わんばかりに微動だにしなかった。私は堪えきれず不機嫌を装って視線を赤の絨毯に落とした。アハハ、という笑い声が耳を突く。
「そうね、そうだったわね。先生って呼ばれるのをあなたは嫌いだった。ね、三崎さん」
「君はどこまで私のことを知っている?」
「さきにわたしの質問に答えてちょうだい。あなたはここにある本を全部読んだの?」
「全部は読んでいない。寄贈されたものや、資料としておいているものも多いのでね」
「なーんだ、そうなんだ。読みもしない本が並べられているだけなんだ。作家の人ってみんなそうなのかしら」
 少女は幻滅したようにあからさまに肩を落とし、手にしていた本を書棚に直した。
「わたし、あなたの作品って好きよ。夢があって良いと思う。たとえばそう、二人の子供が二人だけの言葉を作って世界を冒険する話。あれなんてとても好きだった」
「そうか。君は私の作品の……」
「ええ、あなたの大ファン」
「それはありがたく思う。しかしね、勝手に人の家に入るというのは褒められたことじゃない」
「ごめんなさい。わたしどうしてもあなたに会いたくて、会って相談したいことがあって」
「相談?」
「ええ、今度歌を歌わないといけないの。発表会があるのよ。でも私、自信がなくて、心配で不安で、こんな素晴らしい本を書く人なら私の気持ちを分かってくれるんじゃないかって思ったの」
「君は歌うことは嫌いなのかい?」
「いいえ、大好き。わたしには歌うことしか能がない。歌が好きで、歌のために生きていきたいって思ってる。でも周りの子たちと比べると、自分なんて駄目だって思えてならなくて」
「君はまだ若いんだ。歌が好きなら、自分がその歌を好きだという気持ちをそのまま歌えばいい。他の誰とも比べる必要などないさ。君が心から大切に歌った歌ならば、きっと誰かに届くはずだ」
「ありがとう。ありがとう。やっぱりあなたに相談して良かった。あなたなら、あなたなら、素晴らしいアドバイスをくれるって、くれるって……」
 キヒヒ――と、少女はこらえ切れないというように笑い始める。
 その笑い声があまりに耳障りで、私は思わず咳払いの真似をした。
 しかし、少女の笑い声は止まらず、高笑いへと変わっていった。
「だめ、我慢できない。キヒヒ。そんなふうにしてあなたは自分を励ましてるのね。心から書いた作品は誰かに通じるって思って。自分にしか書けない作品があるって。アハハ。すごい、すごい」
「君は私に何を言わせたい。私の何を壊そうとしている」
「いえ、大層なごたくを並べておいて、実際書き上げる作品があんなカスだと思うと面白くて。ごめんなさい」
「君は私の作品のファンでは……」
「ええ、大ファン。あなたみたいな人でも物書きを名乗っていると思うと、本当に笑えるもの。妻は若い男に寝取られてしまった。あなたは自分の不能を呪いながらも、下手な文章を書くことでそれを誤魔化す。子供たちのために書くんでしょ? 子供たちの未来のために。笑える。本当に。」
 キヒヒ。
 少女が耳障りな声で笑う。
 キヒヒ。キヒヒ。キヒヒ。
「黙らないか。黙れといっている」
 キヒヒ。キヒヒ。キヒヒ。
「黙らないなら、きさまを」
 私は少女のもとへ駆け寄り、その首に手を掛ける。
「黙れ。黙れ。黙れ。」
 首を絞める。爪を立て、渾身の力を込めて。
 恐ろしく冷たい肌からなお血の気が失せた。弛緩しきった表情がにやけているようで腹が立つ。
 私は少女だったものを引きずり、庭へと運ぶ。
 私は墓を掘る。墓の隣に墓を掘る。
 一体何体目の亡骸となるのだろう。いや、それは間違いなく十三番目だ。私がこれまで上梓した本の数と等しいかずの墓標を立てた。
 新たな亡骸を地中に埋め、私は満足した顔で、書斎へと戻っていく。
 さあ、書こう。私の作品を、子供たちが待っている。
 

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