十字架 (統一ヴァージョン)


俺をストーカーがつけ狙う
fun、fun、赤く追ってくる
信号もレッドだけが光り
とりあえず面白くない
タバコにturboを近づけながら
完全無視することにすれば
カーチェイスの主人公が
間一髪でthrough
and
後続車のポリスはcrash!
になる確率は
嘘っぱち映画のテレフォンナンバーが
555で始まらない確率に等しい

oh yes、ザッツオーライ、
せっかくの宇宙人の目が
三色も並んでいるのに一度に一つとは
なんとも味気ない馬鹿正直
シートでdance、dance、dance
昨日のバリライトが眼底によみがえる
oh yes、ザッツオーライ、
右足でステップ踏んで
pumping、pumping
点滅するレッドにあわせ
きしむ車体がピストン運動
俺はファイヤー
and、アクセル!

俺をはじき飛ばした、jesus
懺悔の小部屋は、washing
さっき口にしたホットドッグのつつみ紙は
さかなになって目の前をよこぎりながら
ケチャップをぬぐったナプキンに追われている
俺はあやつり人形の、フルトベングラー
Freude!(freude)
歓喜の声がきこえ
無数の水晶が夕陽にかがやきながら横殴る
絶叫に似た混声コーラスが尾をひいて
いくつものハウリングに串ざされ
俺の信号は消滅しようとしている
noーassholeー





游月 あきら
2015年01月06日(火) 01時36分08秒 公開
■この作品の著作権は游月 あきらさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
あけましておめでとうございます

【註釈】
*フルトベングラー(フルトヴェングラー)
「操り人形」の異名を持つ往年の名指揮者。
指揮を振る姿が操り人形そのもの。
楽団演奏者が、合わせにくい、と言うほど
フニャフニャ踊るように振る。
ベートーヴェンを得意とする。
*Freude!(freude)
ベートーヴェン第九の大合唱前の男声ソロの掛け合い。「フロ(巻き舌)イデ!」「フロイデ」
*asshole
直訳すると「ケツの穴」ですが、
「ちくしょうめ!」「この野郎ー」って意味で使われます。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  ゆうげつあきら  評価:0点  ■2015-01-09 21:09  ID:qx2ygamosbQ
PASS 編集 削除
逃げ腰さん、こんばんは!

掘って掘って地球を行き来したいと常々考えております。
しかしまだまだ腕力が足りないせいかもぐらとかおを合わせる程度なのがトホホなところであります。
この詩系は若干「逃げ」的な所もあるので、早く脳みそ戻ってくれないかなあ、ともおもいますが、さて元気を取り戻したところで良い詩が書けるのかというのも疑問符がつきます。
批評ありがとうございました。
No.3  逃げ腰  評価:50点  ■2015-01-09 17:49  ID:IrIj9PJlmeE
PASS 編集 削除
新しいものを作る苦労を見て取りました。
カーアクションの表現は見たこと無いですし、真似などしようがないですからね。
細かく行を分けて、動作を表現されてるなぁと。(見過ごされたら悲しいので、ここに書いておきます)
言葉のチョイスも重くないものを選んで統一されている。
余計な言葉もないし、詩作としては誠実。
あとは、どこまで掘り下げられるかなのでしょうか。
お喋りが過ぎました。

ではでは。良き詩を!
No.2  游月 昭  評価:0点  ■2015-01-08 14:01  ID:emodMEn5j1U
PASS 編集 削除
野良人さん、こんにちは!

これは見たまんま、感じたまんまの直球的なものなので言ってみればリアル系なんですが、元のバージョンは、三連の口調がメチャ大真面目系で、違和感とギャグ性が最高潮に達していたのですが、統一した文面のものを読んでみたいというご意見があったので、「統一ヴァージョン」を書いてみました。大筋内容は同じですが表現が全く違っていて詩作の試みの過程としては面白いものでした。

「固いのか」と仰ってますが、そうなんじゃないかなぁ、と思いますよ。ただ、「好きずき」ですから。「詩はリアル」の解釈については、私はこう考えます。
詩は印象である。その点で、交響曲などのクラシックに近いものだと思います。
この詩は、
パトカーに追われる軽自動車を歩道から見ていました。交差点で曲がるのですが、事もあろうにウインカーをあげて逃げていました。流石にギャグが過ぎるので、この詩では直進で突っ切らせることにしました。そのもう一つの理由が三連にあります。
私は夜中に交差点で車の横っ腹に衝突されて吹っ飛んだ経験があります。そに時の光景が「スローモーション」として事故時の記憶として蘇るのです。そこにつなげたかったんですね。
確かに脚色はされていますが、
「その時の『印象』を『そのまんま』伝える」ために、「そのまんまの解説文では『印象』は伝わらない」と考えるからです。
これは映画や絵画を制作する際にも使われる「現実味を出すための演出」に似ていると思います。だからこれは、読者がリアル感を得る為の手段、であって、「ウソ」ではないと考えます。
私はまだまだ上手い詩人とは言えませんが、結局は野良人さんの「リアルを感じさせるという目的」と同じ方向へ進んでいると言っても過言ではないでしょう。

長くなりましたが、再認識のキッカケになりました。
コメントありがとうございました。
No.1  野良人  評価:50点  ■2015-01-08 09:49  ID:dJ/dE12Tc8A
PASS 編集 削除
游月 あきらさんお早う御座います。

私は頭が固いのか、小説はフィクション詩はリアルと決め付けていますから非常にコメントしにくい作品ですね。
ですけどとても力量と努力を感じます、此処のサイトはとても厳しいものを感じますね。

其れは其れで良いかも知れません、真剣さもまた感じますね。
游月さんは完成品を目指す方だと思いました。
  
総レス数 4  合計 100

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(必須)       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除