恩師って呼べる先生はいなかった、学校にはね

恩師って、いわゆるお世話になった先生ってことだよね?
そういう意味では、特にお世話になった先生っていなかったなあ




小1のときの担任は、めちゃくちゃ厳しい先生で
まだ幼児に毛が生えた程度の子どもにやたら厳しかった
いつも真顔で笑顔ひとつ見せたこともなかったし
給食の時間には、食べる順番とか牛乳は噛んで飲むものとか
常に児童を監視するような目つきで
ひとつも安らげない感じだった


小2のときの担任は、何でもかんでも連帯責任
私が高熱で半月近く休んだ揚げ句 入院したとき
クラス全員にお見舞いの手紙を書かせて持ってきてくれたことがあった
ありがたいけど 正直こういうことはしないでほしいと思った
だって仲がいいコとかならともかく
私に何の関心もないコまでもが 無理くり
早く元気になってください、なんて書かされてるんだよ
読むこっちにだってそういうの 伝わってくるんだよ
申し訳ない気持ちで一杯だったよ
ある時は教科書の巻末にある漢字を全部
一行ずつ書いてこいという宿題を出され
全員がやってくるまで終わらせないと云った
家に帰って、夕飯もそぞろに
4〜5時間くらいかけてやっていけば
次の日 必ずやってこないやつがいる
また同じように時間かけてやって
やってこないやつはいつも同じ
こっちはこんなバカバカしい宿題なんか早く終わらせたいから
眠い目をこすりこすりやっていってるのに
ただやってこないそいつが得してるだけじゃんって
何が連帯責任だよ
やってこないやつにもちゃんと責任取らせろよ
と心の中で憤慨していた


小3のときの担任は、とにかく気分屋だった
自分が気に入らないと授業もほっぽって教室出て行っちゃったり
チョークが飛んでくるのは日常茶飯事
何にイラついてるんだか知らないけれど
感情が抑えきれなくなったのか
椅子を持ちあげて 私たちに投げつけようともしていた
その先生は学校関係の身内がいるらしく
止めに入る先生もいなかったし
処分が下るといったこともなかった


小4のときの担任は、別に好きとかってわけじゃなかったけど
血液型と星座が同じっていうだけで親近感が湧き
以降 卒業するまで何かしら誕生日プレゼントを渡していた


小5のときの担任は、体育系教師の典型か知らんけど
何かと云えばケツバット
朝礼の列に並ぶのが遅いとか
無駄話していたとか
いまじゃ考えられないだろうけど
昭和のころは当たり前だった
その先生は割と児童には人気があった
冬になると豆ストーブが登場するのだが
よく干し芋とかを焼いて食べさせてくれたり
ただいくら教師と云えど やはりそこは男
可愛い子には若干えこひいきするきらいがあったけれど


小6のときの担任は、生理的に受け付けないタイプで
特に女子はほとんどキライだったと思う
髪の毛もボサボサで いつも黄土色のジャケットを着ており
ダボダボのズボンはちゃんと履いていたためしがない
国語の授業で 登場人物と書くところを登上人物と書いたことに
たまたま私が指摘したことがあって
何かと云えば 私に合ってるか合っていないか確認してきたり
いま考えると 教師としてバカにしていたんだと思う
それくらいキライだった


中学に入り、1年のときの担任は英語担当で
私は割と英語が好きだったので
いろいろと目をかけてくれたりもした
私は中学時代、家庭の問題で大変だったんだけど
この先生だけは 卒業するまでずっと気にかけてくれていた


中2のときの担任は、思い出すさえ腹立つ
家庭で問題が起きた直後に家庭訪問があり
私の前の生徒までは行っていたのに
急に具合が悪くなったとかで 1年のときの担任が来たり
連絡網に電話番号を載せられないから先生にだけ教えて
最初に電話してもらうようにお願いしたのに
大事な連絡が来ない
問いただしてみると 電話番後書いた紙失くしちゃった えへへ
台風のあと、晴天だったし登校してみれば
今日は臨時休校だよ、と云われたり
バスをふたつ乗り継いで行かなきゃならないからって
再三再四お願いしていたにもかかわらず
あの教師の中できっと私は、生徒の頭数に入っていなかったのだろう


中3のときの担任は、きれいごとばっかり並べて
実際はただ目立つ生徒と絡んでいたいだけっていう
よくありがちな教師
この教師が浜田省吾が好きだって云ってたせいもあって
ハマショー、キライだったし


高校のときはもう、あんまり記憶にない
とにかく友達ひとりも出来なかった
と云ってもいじめを受けてたとかそういうんじゃなく
なんとなく話しかける機会を失ってずるずるって感じで
だから休み時間とか昼食の時間をどう過ごすか
そればかり考えていたような


私にとって教師とは それ以上でも以下でもなく
ただ仕事としてやってる方たち、というくらいでしかなかった
すぐに感情的になったり 急にキレだしたりした人なんかもいて
人間だからそりゃ我慢できないこともあるだろうけど
教えるのが仕事なんじゃないの?
それで給料もらってるんじゃないの?
って やけに冷めた感じで見てたような気がする




私にとっては学校の先生よりむしろ
塾の先生の方に思い入れがある
その先生は普段は薬剤師をされていて
夜だけ塾の先生をしていた
教え方がとにかくめちゃくちゃ上手くて
すごく解りやすかったし
人間の集中力は長くて30分しか持たないらしく
その30分の中で、どれだけ解りやすく教えることが出来るか
考えられる、たぶんすごい頭のいい人だったんだと思う
私がその先生を気に入っていたのは
家族でも学校でも誰も聞いてもくれなかった
将来について聞いてくれたことだった
高校卒業したら就職するつもりだった私に
いまは大学に行っておいた方がいいよ
やりたいことが決まってないなら
4年間のうちに考えることも出来るし、人脈も広がるからと
かなり真剣に私の将来のことを考えてくれてる感じで
そんな人いなかったので、なんかちょっとビックリっていうか
素直に嬉しかったんだよね
そこの塾に通ってる他の子たちは
教え方が下手とか散々文句云っていたけど
好みの問題かもしれないけど
私にはとても合っていたんだと思うし
今まで出合った中では 一番教え方上手かったと思う








恩師という云い方が適切かどうかわからないけど
もしもあげるとしたら、この塾の先生を私はあげたい










陽炎
2024年05月10日(金) 21時42分31秒 公開
■この作品の著作権は陽炎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます

皆さんには、お世話になった
好きだった
または、めちゃキライだった
思い出すさえムカつく
といった教師はいますか?

学生時代、誰が担任になるかで
当たり、とか、外れ、とか
云ったりしていた気がします

あの塾の先生
いま、どうされているのかな
ちょっとだけ気になったりなんかして

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