マルゴ・トアフの銀の鳥
    1


 ひとりのトゥトゥが、路地から空を見上げている。
 まだ若い。小柄で痩せた体つきは、貧相といってもいいくらいだが、その羽毛は美しい。白い羽色の中で、翼の先のほうだけに上品な斑が入っている。
 彼の見上げる先の空では、ようやく飛ぶことを覚えたばかりだろう子どもらが、はしゃいだようすで追いかけっこをしている。まだどの子もよたよたと、飛び方が危なっかしい。ひとりが降下中の大人にぶつかりそうになって、叱られている。
 空は、よく晴れていた。高空にわずかばかりの薄雲が流れている。
 青年はふと疲れたように、視線を下ろす。同胞たちの舞う大空から、狭くごみごみした地上へ。家々の隙間を縫う路地は、ひどく曲がりくねっている上に、通りに面する家の住人らが、そこらじゅうにものを積み上げている。地上を歩いてゆこうと思えば、その隙間を縫ってゆくしかない。
 トゥトゥは町を作るとき、そもそも地面の上を歩くということを、ほとんど想定しない。火災や取り壊しに備えて、少しは家々の間隔をあけてはいるけれど、それだけだ。
 実際、地上をゆく者はめったにいない。まだ飛べないほんの幼い子どもを、どこかに連れてゆかなくてはならないだとか、飛んでは運べないような重い荷物を牽いてゆくだとか、とても飛べない嵐の中にどうしても出掛けなければならないだとか、そんな事情でもなければ、トゥトゥは歩いて出掛けたりはしない。
 たったひとりで地上を歩く、このトゥトゥの青年は、名をエトゥリオルという。
 ほとんどのトゥトゥがそうであるように、姓はない。ただのエトゥリオルだ。ほとんどのトゥトゥは、家柄や出自を誇るということをしない。誇るものがあるとすれば、それはただ彼ら自身の名ひとつというわけだ。
 頭上で子どもらの楽しげな声がして、エトゥリオルはもう一度、空を見上げる。子どもたちと遊んでやっているのか、鮮やかな羽色をした若いトゥトゥが、低いところをゆったりと旋回している。
 見上げるエトゥリオルの翼が、彼らにつられたように、小さく震える。二度、三度。
 けれど美しい茶斑の翼は、それ以上動くことはない。


 長い時間をかけて、エトゥリオルはステーションにたどりついた。空を飛ぶものにはあっという間の距離も、地上をゆけば遠い。
 昨年の冬に改装されたばかりの駅舎は、賑わっていた。二階のロータリーに舞い降りるたくさんのトゥトゥを見送りながら、エトゥリオルはひとり、地上階の非常口へと向かう。体全体で押すようにして重い鉄扉を開けると、音を立てて風が吹き抜けていった。
 駅舎の中はいつ来ても、乾燥した草のにおいがする。このにおいは、いったいどこから運ばれてくるんだろう? ステーションに来るたびに、エトゥリオルは不思議になる。
 階段を下りる彼の頭上を、ひとりの子どもが勢いよく翼を鳴らして飛んでゆく。背後から、母親らしきトゥトゥの怒声が追いかけてくる。建物のなかで飛ぶんじゃありません……
 改札を抜けると、ホームはひどく混雑していた。色とりどりのトゥトゥたちが、いつになくひしめきあっている。
 本格的な“季節オーリォ”にはまだ少し早いようなのに、どうしたことだろう。エトゥリオルは首をかしげる。
 初夏になると、若いトゥトゥたちは、こぞって北に向かう旅をする。
 行き先はそれぞれだ。普通、オーリォには自分の翼で飛んでゆくものだが、旅程の一部にトラムを利用する者もいる。けれどそれで混んでいるにしては時季が早いし、それに、いくらなんでも数が多すぎるような気がした。
 困惑しながら列に並んで、エトゥリオルは落ち着きなくあたりを見渡した。トゥトゥたちに混じって、ちらほらと、異星人の姿が目につく。
 低い背丈、羽毛のないつるつるした皮膚。その上から、複雑に縫製された何枚もの布地を身にまとっている。いつ見ても、エトゥリオルにはそれが、ひどく窮屈そうに見える。
 さっき階段のところで母親に叱られていた少年が、驚いたように翼をふくらませて、じっと異星人たちを見つめている。彼らの姿が珍しいのだろう。
 その屈託のないようすに、エトゥリオルは思わず表情をゆるめる。はじめてテラ人の姿を間近で見たとき、彼もやっぱり驚いて、まじまじと相手を凝視してしまったのだった。
 エトゥリオルにはひとり、テラ系の友人がいる。


 三年前の入学の日、憂鬱な思いで講堂に足を踏み入れたエトゥリオルは、その場の妙な空気に、すぐに気がついた。
 針のような緊張のにおいが、部屋中に満ちていた。敵意というほどのものではない。それでも、新しい環境を見定めようとする者たちが当然に発散する緊張感にしては、張りつめすぎている。
 原因は、すぐにわかった。前のほうの席に、ひとりのテラ人が座っていた。
 外部講師としてテラ系の技術者が招かれるようなことは、稀にあると聞いていた。けれど、そのテラ人が座っていたのは、学生の席だ。彼らのたしかな年齢は、トゥトゥには見分けがつきにくいけれど、どうもかなり若いように見えた。みなが遠巻きにする中で、たったひとり、平然と端末を操作して、資料を眺めている。
 ぽかんと見つめる彼の視線に気づいたのか、異星人は顔をあげてエトゥリオルを見た。
 ――やあ、はじめまして。
 いくらか聞き慣れないイントネーションはあったけれど、きれいな西部公用語セルバ・ティグだった。
 テラ人の少年は、にっこりと笑ってみせた――その表情が彼らの笑顔であるということくらいは、メディアを通じてエトゥリオルも知っていた。それから少年は、さりげなく身を引いた。
 そのジェスチャーは、隣の席にどうぞといっているように、エトゥリオルの目には見えた。実際、そうだったのだろう。座らないのかいというように、少年は彼をじっと見上げて、首をかしげた。
 それにつられて、エトゥリオルは少年の隣の席に座った。それからあらためて、まじまじと異相の級友を見つめた。へんにつるつるした顔や手足、窮屈そうな服――それにトゥトゥとはまったく違う骨格。
 トゥトゥ用の椅子は、座りにくくはないのだろうか? そうエトゥリオルが訊ねると、少年はもう一度、にっこりと笑った。
 ――ありがとう。君、優しいんだね。
 親しくなるのに、時間はかからなかった。異星人とはいえ言葉は完全に通じたし、何よりサムは、いいやつだった……


 出発時刻を告げるアナウンスが流れる。物思いから我に返って、エトゥリオルは瞬きをした。ホームで列車を待つトゥトゥの姿は、ますます増えている。
 静かにホームに入ってきた車体は、最新式の、大きなものだった。
 交通機関は年々発展を見せている。近ごろではその多くに、テラ系の技術が使われている。そのことを苦々しく思っているトゥトゥもいないではないけれど、もともとが旅好きの種族だ。遠距離の旅行が手近になったこと自体は、おおいに喜ばれている。
 ドアが自動的に閉じて、列車はゆるやかに加速をはじめた。振動は少なく、車内は静かなものだ。
 あのテラ系の友人も、ついこの間まで、こうしてトラムに揺られながら、あの学校に通っていたのだ――いまさらのように気付いて、エトゥリオルは車内をまじまじと見渡した。ぴかぴかの新しい内装、座り心地のいい座席。
 向かいの席に、ひとり、テラ人が座っていた。手元の端末を、ずいぶん熱心に覗き込んでいる。何を調べているのだろう。
 エトゥリオルは、かつての日々を懐かしく思い出す。サムもよくあんなふうに、調べ物をしていた。そうしてエトゥリオルに気付くと、ぱっと顔を上げて、屈託なくいった。ねえ、リオ、ちょっと教えてくれるかい……


 トゥトゥの社会では、成人したあとも数年間は、仕事の引けたあとに学校に通うのが一般的になっている。エトゥリオルが入学したのも、そうしたハイスクールのひとつだった。
 不自由な翼のために半端仕事しかもらえない彼の懐では、学費を捻出するのは苦しかった。それでもエトゥリオルが入学を決めたのは、兄の説得に押し負けたからだった。
 お前みたいなやつだからこそ一つでも多くを学ぶべきだと、兄はいった。その言い分には、説得力があるような気がした。
 入学の日、どうにも気の重いまま、エトゥリオルは講堂に足を踏み入れた。勉強自体は嫌いではないけれど、友人を作ることが苦手なエトゥリオルにとって、集団生活を続けなくてはならないということは、どうしても気鬱の種だった。
 けれど結果的に、彼の学校生活は楽しいものになった。初めて出来た、親しい友人のおかげで。
 トゥトゥの学校にたったひとりで飛び込んできたくらいだから、サムはもとからトゥトゥの文化に関心があったのだろう。彼の尽きることのない質問の嵐に、呆れることなくいつまでもつきあうのは、エトゥリオルくらいのものだった。
 サムにものを教えているあいだ、エトゥリオルは自分がまっとうな、一人前のトゥトゥであるかのように錯覚することができた。いろんなことを教えたし、それに、いろんなことを彼から教わった。サムの話す異星の文化は、いつでも興味深かった。
 テラにはニックネームという文化があることも、彼から教わったのだ。彼、サム――サミュエル・フォグナー。
 ――君らにとっては、相手の名前をきちんと発音するのが礼儀なんだろ?
 そういうサムに、エトゥリオルはうなずいて、それから微笑んだ。
 ――うん。だけど、君たちのやりかたは、なんだかいいね。親しい人にだけ許す呼び方っていうのは。
 エトゥリオルがそういったのは、半分は、サムがエトゥリオルの名前を発音するのに、苦労している節があったからだ。
 発声するためのしくみ自体が違うのだから、いくら機械で補助しているといっても、無理があるのだろう。それまではずっと気付かないふりをしていたけれど、このときエトゥリオルは、これはいい機会かもしれないと、気付いたのだった。
 ――リオ、だったら、呼びやすい?
 エトゥリオルは遠慮がちに、そう口にだした。それはサムから借りた小説に出てきた、テラ人の登場人物の名前でもあった。テラ風の名前なら、きっとサムにも発音しやすい。
 サムの返事を待つ間、エトゥリオルは死ぬほど緊張した。ほんの呼吸ひとつぶんの間に、三回は図々しかっただろうかと考えた。
 サムはブルーの目をぱちくりとしばたいて、それからおそるおそるというふうに、確認した。
 ――だけど、君……いいのかい。
 エトゥリオルは羽を膨らませて、大きくうなずいた。
 ――君がそう呼んでくれたら、すごく、嬉しい。
 エトゥリオルはいまでも、誓っていえる。その言葉に、羽毛のひとすじほども嘘はなかった。
 もしそれが彼ではなくて、自身の名に高い誇りを抱くほかのトゥトゥだったなら、名前を縮めて呼ばれたりした日には、侮辱だと言って怒りだしたかもしれない。けれどエトゥリオルにとっては、本当に嬉しかったのだ。親しい友人の証、というものが。
 そのことをきっかけに、ますます彼らは親しくなった。いつか卒業して別れ別れになるのだと思うと、つらくなるくらいだった。
 テラ人たちの居住区で働くトゥトゥもいると聞いていた。もしかしたらエトゥリオルもいつか、そこで仕事をすることがあるかもしれない――その考えは、いつからか頭の片隅にあった。確固たる人生の目標なんていうことではなくて、ただ単純に、サムと同じ場所で働けたら楽しいだろうなというような、漠然とした思いだったけれど。
 エトゥリオルにとって、あのころ、毎日が楽しくてしかたなかった。
 ――地べた這い同士、気が合うんだろうさ。
 誰がいったのかもわからないその言葉が、背中に突き刺さった、あの日までは。


 どうしてあのとき、僕は怒らなかったんだろう?
 エトゥリオルは羽をしぼませて、座席に深く埋もれる。そうすると、ただでさえ痩せて小さな彼の体は、ますますみすぼらしく見えた。
 トラムの車窓から見える単調な光景は、鏡のように車内の様子をうつす。乗り物での遠出にはしゃいだ様子の子どもたち、静かに考えにふけっている年配のトゥトゥ――小さく縮こまって、卑屈な眼をした、やせっぽちの彼自身。
 サムはあの日以来、エトゥリオルに話しかけるのを、ためらうようになった。眼が合えば微笑むけれど、積極的に近づいてはこなくなった。
 それでもエトゥリオルのほうから、近づいてゆけばよかったのだ。何もなかったような顔で、明るく挨拶をして、前日までの続きの、たわいない雑談を持ちかければよかった。前に借りた本の感想だとか、教え方の悪い教師への不平だとか、そういうことを。
 どうしてたったそれだけのことが、できなかったのだろう。
 エトゥリオルは子どもの頃から、自分から人に親しく話しかけるということが、ひどく苦手だった。空を飛べない彼は、年の近いトゥトゥからは、たいてい馬鹿にされるか同情されるかのどちらかで、たまに誰かと少し仲良くなれたような気がしても、親しく付き合い続けるのは難しかった。たとえばちょっとそのあたりまで一緒に遊びに出掛けるというようなことが、エトゥリオルがいると、一々難しい。相手にわずらわしさを感じさせていると感じるたびに、気が引けてしまうのだった。
 そうしたことの積み重ねが、エトゥリオルを委縮させた。やがて彼は、ほかのトゥトゥと親しくなるということをはじめから諦めるようになり、その癖は、大人になってもなおらなかった。たまに向こうから話しかけてくれる相手には、なるべく礼儀正しく振る舞うこと――それがエトゥリオルにとっては、ずっと、精一杯だったのだ。
 うつむいて、エトゥリオルはポシェットを探る。取りだした小型端末の画面に表示しているのは、フェスティバルの案内だ。見慣れない動物や乗り物のイラストの上に、華やかな色彩のロゴで、今日の日付と場所が躍っている。
 サムから送られてきたものだった。
 その案内チラシが送信されてきたのは、卒業のすぐあとのことだった。もし都合がつくようなら遊びに来ないかと、遠慮がちな文面が、そこには添えられていた。
 ステーションが近くなり、列車がゆっくりと速度を落とす。正面の席のテラ人が顔を上げて、端末を荷物に放り込む。テラ人が好んで使う大きな手提げ鞄が珍しいのか、隣に座っていたトゥトゥの少年が手を伸ばして、母親にたしなめられている。
 アナウンスされた駅名は、マルゴ・トアフ。古い西部公用語で、水辺の町という意味だ。この惑星上にたったふたつっきりしかない、テラ系移民街――そのひとつ。


 列車から吐き出される乗客の波に押されて、ようやくエトゥリオルは気がつく。この大勢のトゥトゥたちは、自分とおなじくフェスティバルのためにやってきたのだ。
 こんなにたくさん乗っていたのか……エトゥリオルは振り返って、走り去る列車を見送る。
 改札を出て、エトゥリオルはトゥトゥたちの混雑から、すっと離れた。まっすぐに二階のロータリーへのぼってゆく彼らに背を向けて、地上の通用口を目で探す。
 前方に、思っていたよりもずっと立派な出入り口があって、エトゥリオルは首をかしげた。それから、遅れて気がついた。いま、青年の周りには、何人ものテラ人たちが行き交っている。
 彼らのあとに続いて自動扉を抜けながら、エトゥリオルはしきりにまばたきをする。ほかの人々といっしょの玄関を使うということに、彼は慣れていない。
 彼らにとっては、これが普通なんだ。
 そのことを納得したのは、ステーションの外に出てからだった。地上に並ぶいくつもの施設――地上を歩くたくさんの異星人たち。
 彼らは逆に、地上階から出入りするトゥトゥを見慣れないのだろう。おや、という顔でエトゥリオルに視線を向けて、通り過ぎてゆく。
 サムはあの学校に通うあいだ、どんな気持ちだったんだろう?
 そのことを、いまはじめて考えた自分に気がついて、エトゥリオルはショックを受けた。
 いつだって自分のコンプレックスを持て余すばかりで、友の苦労に思いをはせることを、ほとんどしてこなかったのだった。
 会いにいく勇気がしぼんだ。
 エトゥリオルは立ち止まって、地面に落ちる自分の影をみつめる。いったいどんな顔をして、サムに会えるというんだろう?
 このまま引き返してしまおうか。サムの端末に、都合が悪くなったと連絡をいれて。
 長いこと、迷っていた。やがてすっかり周りの人影がまばらになるころ、エトゥリオルはようやく顔を上げた。
 いまサムに会わずに帰ったら、このさき一生、友達なんか、ひとりもできないような気がした。
 ありったけの勇気を振り絞って、エトゥリオルは足を踏み出す。街の中心部へ向かって。


 ステーションのまわりには、たくさんの花々が植えられていた。整えられた花壇、たくさんのプランター。
 いっときそれらを見渡して、エトゥリオルは気付いた。それらの花々はおそらく、空から見下ろしたときに、いっそう美しく見えるように配置してあるのだった。この日のために準備したのだろう。
 マルゴ・トアフの街並みは、彼の目には、とても新鮮にうつった。建物同士の間隔が大きくあいていて、道が驚くほど整然としている。そしてとにかく、広い。ほとんどの人が、当たり前のように地面の上を歩いている。
 フェスティバルを見に来たトゥトゥたちの大半は、普段どおりに空を飛んで移動しているようだったけれど、中には面白がっているのか、テラ人たちの真似をして歩いているトゥトゥも、ちらほらといた。
 視界の隅を鮮やかな色が横切って、エトゥリオルは顔を上げる。色とりどりのバルーンが、風に飛ばされてゆくところだった。それを追いかけて、子どもたちが飛んでゆく。
 あんなにたくさん飛ばして、大丈夫なのだろうか? 上空の鳥たちを驚かせはしないだろうか。
 心配になったエトゥリオルが見守るうちに、バルーンは次々にはじけて、あとかたもなく消えていった。そのあとから、また新たなバルーンが放たれてゆく。ホログラフ? それともシャボン玉のようなものだろうか。
 いくらでも上ってゆくバルーンを、目で追いながら歩いているうちに、エトゥリオルは前方の広場に、友の姿を見つけた。待ち合わせ場所の噴水の前。全体に小柄なテラ人たちの中でも、特に小さく見える。まだこちらに気付いたようすはない。
 いまならまだ、引き返せる。また気持ちがくじけそうになって、エトゥリオルは足をとめた。
 迷う彼の視線の先で、サムは手元の端末をしきりに眺めては、顔を上げて周囲を気にしている。列車の時間は伝えてあった――エトゥリオルがなかなかやってこないので、心配しているのに違いなかった。
 意を決して、エトゥリオルは駆けだした。走りながら、大きく息を吸い込む。
「サム!」
 叫んだ瞬間、緊張のあまりに、体中の羽が逆立った。
 けれどサムはぱっと顔を上げて、笑顔になった。それからちっともためらわずに、両手を大きく振った。
 噴水の前に駆けつけるのと同時に、サムが飛びついてきた。
「よかった、会えた!」
 エトゥリオルが目を白黒させているのに気付いたのか、サムは抱擁を解いて、彼の背中をばんばん叩いた。「来てくれないかと思った」
「待たせてごめん」
 ばつの悪い思いで、エトゥリオルは尾羽を垂らした。けれどサムはぶんぶんと首を振って、笑顔になった。
「道はすぐにわかった? ステーションまで迎えにいくっていったのに」
「ありがとう。でも、一人で歩いてきてみたかったんだ。子どもみたいで恥ずかしいんだけど……」
 そんなことないよと微笑んで、サムはもう一度、エトゥリオルの背中を叩いた。
「なんだかすごく久しぶりみたいだ。――元気にしてた?」
「うん。君は……いつも元気そうだ」
 思わず本音が出たけれど、サムは歯を見せて笑った。そのいたずらっぽく光るブルーの目を見て、エトゥリオルはほっとした。前のように話せていることが、嬉しくてたまらなかった。
「――今日、来てくれてよかった」
 サムが急にしんみりというのに、エトゥリオルは瞬きをした。サムはいっときうつむいていたけれど、やがて顔を上げて、いった。「僕、地球に帰ることになったんだ」
 はっとして、エトゥリオルは友の瞳を覗き込んだ。
「帰るって――」
「一度も行ったことのない場所に、帰るっていうのも、ちょっとへんな話だけどね」
 サムはそんなふうに、笑ってみせた。彼はこちらで生まれて、故郷の星を知らない。
 彼らの母星までの道のりは、何年もかかると聞いた。エトゥリオルは慌てて口を開いた。
「だけど、君、ずっとこっちにいるんじゃなかったのかい」
「その予定だったんだけど……」
 サムはうつむいて、口早にいった。「うちの両親が、ふたりして本社に呼び戻されることになったんだって。僕だけでも残りたかったんだけど……居住権とか、難しいみたい」
 それきりサムは口をつぐんで、いっとき足元を見つめていた。
「そうか――君、まだ未成年だった」
 普段は忘れているその事実を思い出して、エトゥリオルは言葉を詰まらせた。サムはうなずいて、またちょっと笑った。
「うん。君たちみたいに、十歳で成人だったらよかったんだけど」
 そういって空を仰いだサムの瞳に、空を流れる雲がうつりこむのが、エトゥリオルから見えた。いっとき二人は黙りこんで、広場の楽しげな喧騒から切り離されていた。
 言葉を探し、何度もためらったあとで、エトゥリオルはようやく口を開いた。
「――いいほうに考えようよ。君、いつかはテラに行ってみたいって、いってたじゃないか」
 口に出してから、無神経だったような気がして、エトゥリオルは気がふさいだ。けれどサムは笑ってうなずいた。
「そうだね……うん、それはちょっと楽しみではあるんだ」
「――いつか、戻ってくるんだよね」
 縋るように、エトゥリオルはいった。サムは何度もうなずいた。それから少しためらって、続けた。「そのつもりでいる。――でも、自分の力でこっちにやってくるのって、けっこう大変なことみたいなんだ。時間がかかると思う」
 今度こそ言葉を失って、エトゥリオルは口をつぐんだ。またうつむいてしまったサムの頭のてっぺん見つめたまま、いくつもの言葉を飲み込んだ。
 いっときして、サムは急に、ぱっと顔を上げた。「ねえ、メインストリートに行こう」
 面食らうエトゥリオルの中肢を引いて、サムは笑う。無理に笑って見せているのがわかる笑顔だった。
「もうじきショーがあるんだよ。あっちのほうがよく見える」
「ショー?」
 聞き返すと、サムの眼がきらりと光った。「そう。詳しいことは、見てのお楽しみ!」


 メインストリートは、なかなかのにぎわいを見せていた。
 さっきまでいた場所とは違って、道の中央には車道があり、そこには驚くほど小さくてスマートな自動車が、整然と走っている。
 サムから教えてもらったテラの本やムービーで、彼らの自動車を見たことは何度かあったけれど、実物を間近に見て、エトゥリオルはあらためて驚いた。
 トゥトゥにとっての自動車というものは、もっと大きくて、たくさんの荷を積んで街の外を走るものだ。それはたとえば、トゥトゥの手で運ぶには重すぎるような物資を、トラムの通らない場所へ運ぶような機械であって、ひとの移動のための乗り物ではない。
 歩道を歩く人の数は多い。サムがいったとおり、仮装している人がちらほらと混じっている。ときどきぎょっとするような格好のテラ人もいるけれど、エトゥリオルと眼が合うとにっこりと笑い返して、ときには手まで振ってくれる。エトゥリオルはしじゅう面食らったまま、サムについて歩いた。
「今日は、何のお祭りなんだい」
「ええと、なんだっけ。ハロ……ハロウィン、だったかな? 地球でなんかそういう名前の、仮装してやるお祭りがあって、今日はその日っていうことにしたんだって。でも、向こうとは暦も同期してないんだし、そのへんけっこう適当みたいだよ。騒げればなんでもよかったんじゃないかな」
「へえ」
 たしかに、通りを歩くテラ人たちの表情には、どこか浮かれたような明るさがあった。
 通りを歩くトゥトゥには子ども連れの姿が多いのに対して、異星人たちはほとんどが大人だ。こっちで生まれ育った子どもはまだあまり多くないのだと、いつかサムがいっていた。
 広々とした歩道のそこここに、色とりどりの屋台が出ている。そこに立ってお菓子や飲み物を振る舞うひとたちの中には、テラ人もいれば、トゥトゥもいた。配られているのは、テラ風のお菓子やジャンクフードがほとんどだが、その多くは、トゥトゥにも食べられるように工夫してあるようだった。
 歩く二人の足元を、小さな動物が音もなく駆け抜けてゆく。驚いて声を上げたエトゥリオルに、サムが笑い声を立てた。「ホログラムだよ」
 いわれてまじまじと見れば、たしかにそれは、映像だった。きれいな毛皮をした四足の動物が、気持ちよさそうに伸びをして、一声にゃおん、と声を立てる。その鳴き声は、どこか違う場所から聞こえてきたようだった。気付けば大通りのそこここを、似たような動物が駆けまわっている。
「ああ、これ、母さんがプログラムしてたやつだ。こういうことになると無駄に凝るんだから……」
 サムが伸ばした手は、あっさり映像を突き抜けて、その上に乱れた光が躍った。
「これ、なんていう生き物?」
「猫だよ。――僕だって、映像でしか見たことないけど」
 なんだか楽しくなって、エトゥリオルもサムの真似をして手を伸ばした。けれどホログラムの猫はしらんぷりをして、さっさとどこかに行ってしまう。
「可愛いね。誰か連れてきたりはしないのかな……」
「よその星の生き物を持ち込むのは、難しいんだって。生態系への配慮とか、色々」
「そっか、そうだよね」
「もっともそういう僕ら自身が、まずよその星の生き物だ」
 そういって、サムはちょっと皮肉っぽく笑った。「ああ、ほら、そろそろだ――」
 サムの指さす先を見上げて、エトゥリオルはぽかんと口を開けた。
 正面、通りのずっと向こうの空から、何かが飛んでくる。
 ものすごい速さだった。トゥトゥたちが飛びかうような空よりも、はるかに高いところを、銀色に光るものが、まっすぐに駆けてくる。先頭にひとつ――そのあとに続いて、みっつ――
 それはあっという間に、頭上を通り過ぎて行った。追いかけて巡らせた首が、痛くなりそうだった。
「ねえ、いまの――」
 聞きかけて、エトゥリオルはすぐに言葉を飲み込んだ。飛び過ぎていった四つの光が、旋回して戻ってくる。
「飛行機。フライトショーをやるんだって、父さんから聞いてたから。君、こういうのあんまり見たことないだろうと思って」
 ――飛行機。
 報道の中でしか知らなかったその言葉を、エトゥリオルは繰り返す。
 条約によって飛ぶ場所を厳しく制限されているという、テラ人の乗り物。報道の中で小さく映っているところなら、何度も見たことがある。それでも記憶のなかの機械と、いま空を行き交うそれを、エトゥリオルはうまく結びつけることができなかった。だって、こんなに速い――
 それは、まるで鳥のように編隊を組んではいたけれど、鳥のようでも、トゥトゥのようでもなかった。
 優美な軌道を描いて、高い空に翻る、銀色の翼。よく晴れた空のなか、地上のひとびとをからかうように、軽やかに踊っている。
 エトゥリオルは言葉を失って、空を見上げる。


    2


 それは彼にとって、一年半ぶりに目にする青空だった。
 ジンは目を細めて、車窓ごしの空を見上げる。よく晴れている。空の色が違う気がするのは、窓に貼られたフィルターのせいか、それともあまりに久しぶりに空を見るせいで、そんな気がするだけだろうか。
 空が広い、と感じたのは、道幅がゆったりしているのと、建物の背が低いためだ。建築物そのものは、地球の都市で見るものとそう変わらない――当然だ、地球人が作った街なのだから。
 車は自動運転で、ゆっくりと走っている。隣の席で連れが話しかけてくるのに生返事を返しながら、ジンは外ばかり見ていた。流れてゆく景色のなか、建物の上を、大きなシルエットが舞っているのが見える。
 あれがトゥトゥだろうか。ジンは目を眇める。
 イメージしていたよりも、大きい。それとも、翼を広げてゆったりと舞うその優雅さが、実際よりも彼らを大きく見せているのか。
「……だからな、今日は昼前には終わると思うけど、もし体調を崩すようだったら――」
「ハーヴェイ、窓を開けてもかまわないか」
 話を遮られた連れは、小さく肩をすくめてみせた。「いいけど――お前、いま俺の話、聞いてたか?」
「悪い、聞いてなかった」
 いいながら、ジンの手はすでに操作パネルに伸びている。ハーヴェイはため息をついて、付け足した。「風が強いから、気をつけて」
 たしかに風が強かった。たいしたスピードで走っているわけでもないのに、吹き込んだ風が、車中の空気を一瞬でさらっていく。
「なんだかなあ。お前の傍若無人なのには、たいがい慣れてたつもりだったけど……いや、まあ、相変わらずで何よりだよ」
 皮肉でもなさそうにそういって、ハーヴェイは笑う。「なんにしても、古い知り合いが昔と変わってないのを知るのは、嬉しいもんだ」
 トゥトゥらしい大きな影は、ゆったりと上空を旋回したあと、遠くのビルの屋上に降り立って行く。この風の中だというのに、思わず見とれるような、優雅な滑空だった。
「――空の色が、違うな」
 ジンは呟く。こうしてじかに見ても、地球の空とは、少し色が違う。向こうにいるときにも、惑星ヴェドの空を映した資料画像を見たことはあったはずだが、そのときには気付かなかった。
「ああ、そうだな。紫外線もこっちのほうが強いから、長時間屋外で作業するときは気をつけて――だけど、センターにも窓ぐらいあっただろう?」
 ジンはリハビリテーションセンターの部屋を思い出して、肩をすくめた。たしかにあった。嵌め殺しの、小さく分厚い窓が。
 防疫管理上の問題から、地球からやってきたばかりの人間が入るエリアは、笑えるくらい厳重に隔離されている。廊下でさえ勝手に出歩くことは許されないし、中庭のたぐいもなかった。それに――
「正直、ゆっくり窓の外を眺める気分じゃなかったな」
 いって、ジンは窓を閉めた。
 一年半にわたる長旅だった。宇宙船の中でも、欠かさずトレーニングをこなすことが義務付けられていたし、月面の宇宙港にある施設でも、低重力下でのリハビリをしてきた。それにもかかわらず、いざ惑星上に降り立ってみれば、驚くほど体力は落ちていた。
 この二週間、たび重なる検査の合間に、じれったいようなリハビリプログラムをひとつずつこなしながら、気ばかりが急いていた。仮にセンターに広い窓があったとしても、外を眺めたりはしなかったかもしれない。
「で、地球とは違う空の色を見て、帰りたくでもなったか?」
「まさか」
 首をすくめて、ジンは一蹴した。「ただ……そうだな。遠くに来たって実感は、ようやく湧いてきたかな」
 それを聞いて、ハーヴェイがにやりとした。
「ようこそ、マルゴ・トアフへ」
 芝居がかった調子だった。両手を広げて、ハーヴェイは笑う。「住めば都とはよくいうが、慣れれば地球の大都市圏なんかより、ずっと暮らしやすいところだよ。スタッフは気のいいやつらだし――お前にはきっと、こっちの暮らしは、合うと思うぜ」
 自分のほうこそよほど水が合っているような調子で、ハーヴェイはいう。ジンは思わず、まじまじと友の楽しげな表情を見た。
 この旧友が、見た目よりもよほどハードな職責を背負わされているということを、ジンは知っている。なんのことはない、自分と同じということだ。忙しければ忙しいほど活き活きとする、その種の変人ワーカホリックの顔つきをしていた。
 車は自動操縦で角を曲がる。フロントガラスに投影されたナビゲーションを見る限り、まっすぐに最短ルートで支社に向かっているようだった。O&Wヴェド支社、彼の新しい職場。
「――外に出たいな」
 ジンがそういうと、ハーヴェイは露骨にため息をついた。
「あのなあ、ジン。お前、リハビリだってまだ途中なんだぞ。わかってるのか? 今日だって、手続きのためにやっと外出許可を取ったっていうのに」
 ジンはうんざりして首を振った。
「宙港に入ってから、月面でひと月も待たされたんだぞ。挙句、ようやく地上に降りたと思ったら、今度は窓もあかない建物の中に缶詰だ。これでくさくさしないでいられるやつがいるのか?」
「まあ、わかるけど……」
 ハーヴェイは言葉を切って、少し考えるようだった。
「そうだな。ちょうどフェスティバルがあってるから、途中でちょっと車を止めて、外の空気を吸うか。――不満そうだな。いっとくけど、それ以上はドクターストップだからな。歩き回るのは、まだ早いよ」
 その言葉を聞いて、ジンはふと笑った。見咎めて、ハーヴェイが眉を寄せる。
「何が可笑しい?」
「いや。お前が医者だっていうのも、まだぴんとこない」
「失礼なやつだな。だいたい、向こうで最後に会ったときには、もう医師免許は取ってただろ」
 顔をしかめながら、ハーヴェイは操作パネルを触る。その画面を見ながら、ずいぶん旧式の車だなと、ジンは呆れた。
 けれどそれは、わざとそうしてあるのだというのも聞かされていた。へたに最新技術を使っても、地球とは違う環境で運用される上に、何かあっても、修理できる設備や人材が、向こうに比べると限られてくる。それよりは壊れにくく、修理が容易なものがいいというわけだ。長年使われて信頼性のあるものなら、なおのこといい。
「フェスティバルっていうのは?」
「ああ。各企業から金と人を出して、ハロウィン風のお祭りをね。うちの会社からは、航空ショーをやってるよ」
「――へえ」
「おい。仕事をするにはまだ早いぜ」
 呆れたようにハーヴェイがいうのに、ジンは肩をすくめた。
「見るだけだ」


 車を降りるとき、ジンは慎重に地面を踏みしめた。ふらつきでもしたら、ハーヴェイに何といわれるかわからない。
 ホログラムの動物たちが、足元をにぎやかに走り回っている。デフォルメされた猫、兎、通りの向こうにはプードルまでいる。それを見た年配の婦人が、喜んで声を上げている。こちらに移住して久しいのだろう。彼女の気持ちが、ジンにもわかるような気がした。ヴェドに生き物は持ち込めない。
 顔を上げると、やはり空が、視界いっぱいに広がった。
「――建物の背が、低いな」
「ああ、それは協定があるんだ」
 ハーヴェイはいって、ぐるりとあたりを見回した。 
「背の高い建物があると、ビル風が彼らにとって危険なんだそうだ。建物の色が全体的に地味なのも、同じ理由だよ。反射光が危ないっていうんで、地球みたいに、ガラス張りのぴかぴかした建物はつくれない」
 いわれてみれば、たしかに建物よりもほんの少し高いところを、トゥトゥらしき大きな影が、ゆったりと飛び交っている。
 色とりどりの羽――風を巧みにとらえて自在に行き来する、強い翼。
 その優美さは、鳥のそれと同種のものだったけれど、シルエットひとつとっても、地球の鳥とはずいぶん違う。体型も違うし、翼のほかにもうひと組、があるのもそうだ。資料では知っていたはずのことでも、こうして目の当たりにすれば、やはり新鮮だった。
 地上にも、歩きながら屋台を冷やかすトゥトゥの姿が目立っている。屋台といっても、その食べ物がほとんど無料で配られていることに、ジンは気付いた。
 ハロウィン風とハーヴェイがいったとおり、仮装している人々もいたが、それは地球人ばかりだった。トゥトゥにはそもそも、服らしい服を着る習慣がない。しかし彼らの羽の色はさまざまで、それ自体が仮装のように、ジンの目には映った。
 いまの時期、このあたりは晩春のころだと聞いていたが、風はそこそこ冷たかった。メインストリートには、にぎやかな音楽が溢れている。地球でいつか流行った歌に混じって、こちらの音楽だろう、聴き慣れない拍子のメロディーが混じる。ときおり色とりどりの風船が、空に放たれていく。
「派手にやってるな」
「まあね。――もとはうちの支社長が言い出したらしいんだけど、そこに国連支部のなんとかいう出先機関が乗っかってきて、けっこうおおごとになった」
「国連が?」
「そ。ファースト・コンタクトから数えれば、もう二百年から経つっていうのに、現地民との交流がなかなか進まないってんでさ。きっかけはなんでも歓迎なんだろう」
 へえ、と相槌を打って、ジンは空を見上げた。高いエンジン音が近づいてくると思ったら、空のずいぶんと高いところで、小型飛行機が曲芸飛行をやっている。車中でハーヴェイがいっていた航空ショーだろう。
 小型輸送機だった。ジンは目を眇めて、銀色の機体を見定める。戦闘機でもないのに、見事なものだ。
 しかしそれを見上げるトゥトゥたちの反応は、感心が半ば、困惑が半ばといったところに、ジンの目には見えた。
「――交流、ね。それで食いものを配って、ショーフライトか。発想が軍隊だな」
「俺もそう思う」
 いって、ハーヴェイは皮肉っぽく笑った。「しかしまあ、天気がよくて何よりだったよ。なんせこっちは、天候が変わりやすくて」
「この風は、いつもか?」
「ああ、今日は特に風があるほうかな。だけど、向こうに比べたら、ずっと、風の強い日が多いよ」
「上空はもっと風があるんだろうな」
 ジンの目が小型機をじっと追っているのを見咎めて、ハーヴェイは肩をすくめる。
「仕事にはまだ早いっていっただろ。張り切ったって、どうせあと一か月は仕事はさせられないんだ。のんびりやれよ」
「それは、医者としての意見か?」
「支社の規定だよ。焦っても無駄ってこと。ま、復帰したら嫌でもこき使われるから、覚悟しとくんだな。なんせエンジニアの数はぜんぜん足りてない――お前、なんでもやらされるぜ。こっちでは専門外って言葉は通用しないんだ」
「覚えとくよ。――と、失礼」
 ふらついた拍子に通行人とぶつかって、ジンは振り向いた。とっさに口から出た謝罪は英語だったが、そこに立って目を丸くしていたのは、地球人ではなかった。
「こちらこそ、ごめんなさい」
 目の前のトゥトゥの口から、英語で返事があったことに、ジンは意表をつかれた。地球人居留区で働くトゥトゥもいるとは聞いていたし、英語を話すものがいても不思議ではなかったが、それにしても、きれいな発音だった。
 はじめて間近で見るトゥトゥの姿に、ジンは一瞬、正面から見とれた。白くつやのある羽毛は、翼の先の方だけに茶色の斑が入っていて、その模様が目に美しい。周囲をゆきかうほかのトゥトゥに比べると小柄なように見えるけれど、それでもジンと同じくらいの背丈がある。
「リオ、大丈夫? 君、さっきから上ばっかり見てるから……」
 そういいながら駆け寄ってきた地球人の少年は、このトゥトゥの連れらしかった。そばまで近づいたところでハーヴェイのほうを見て、驚いたようすで目を丸くした。
「あれ、ハーヴェイさん? 休暇ですか?」
「なんだ、サムじゃないか。いや、いまから支社に戻るところだよ。――友だち?」
「ええ、ハイスクールで一緒だったんです。もしかして、そちらの方は――」
「ああ、そうか。こいつが君のお父さんの後任になるんだよ」
「そうなんですね」
 ジンの方を振り返って、サムは微笑んだ。そのいっぷう変わった色味の金髪や、ひょろりと高く伸びた背丈に目をとめて、ジンは驚いた。
「君は、二世代目?」
「ええ。生まれたときから、ずっとこっち。――もういっときしたら、地球に戻ることになります」
 そう話すサムは微笑んではいたけれど、そこに不安の影がにじんでいることに、ジンは気がついた。彼にとっては、ここが故郷なのだ。いくら両親のルーツだとはいっても、見知らぬ星に移住するのは不安だろう。
 ハーヴェイがふっと真顔になって、サムの肩を叩いた。
「いつか君とも一緒に働くものだと思ってた。残念だよ」
「僕もです」
 サムは、歳に似合わない大人びた表情で笑う。「――いつか僕も、こっちの飛行機、作りたかったな」
 呟いたあとで、少年はぱっと友人のほうを振り返って、笑顔になった。
「そうだ――リオ、さっきの飛行機、すごかっただろ?」
 ああいう飛行機の設計をする人なんだよといって、サムはジンを手のひらで示してみせた。
 しんみりした空気を吹き払おうと無理をしているのは明白で、その少年らしからぬ気遣いが、かえって痛々しいように、ジンの目には映った。
 リオと呼ばれたトゥトゥは、いっとき言葉を詰まらせて、嘴を開閉していた。緊張しているのか、羽を逆立たせて、さっきまでよりも全体的に膨らんで見える。いっとき口ごもってから、思い切ったように顔を上げて、口を開いた。
「あの――僕を、あなた方の会社で、雇ってもらえませんか」

   ※  ※  ※

 オーウェンアンドウィーバリー・エアプレーン・インダストリーズ。それがハーヴェイの勤務先の正式名称だ。
 創業者たちの名前がいまだに残っているという、なんとも前時代的な感のある社名だが、長くて面倒だというので、対外的にも社員的にもO&Wで通っている。
 もともとは古くからあった航空機メーカーが、多角経営化が進んだあげく、いまでは傘下に多くの企業を持つ巨大グループになっている。わざわざ遠くの星に人材を送り込んで支社を立ち上げるくらいだから、惑星ヴェドに存在する地球系の会社は、この手の大企業がほとんどだ。
 そのO&Wヴェド支社には、かなりの広さの診療室がある。慣れない異星での生活ということで、産業医の配置や健康診断の内容に、地球の企業よりもよほど厳しい制約があるためだ。
 広々とした診療室の隣、自分に与えられている事務室で、ハーヴェイは椅子を揺らしながら、電子カルテをチェックする。旧友を迎えにちょっとセンターにいっている隙に、机の端末には大量の書類が届いていた。まあ、それくらいはいつものことだ。
 来客用のテーブルで、同じく大量の誓約書と格闘していたジンが、ふっと顔を上げて呟いた。「――しかし、えらく話が早いんだな」
 件のトゥトゥは結局、今日のうちにすぐ面接という運びになった。いまごろ人事部社員の立会いのもとで、テストを受けているはずだ。
「支社の方針があるんだよ――もっとトゥトゥの雇用を増やしたいんだ。とにかく人手が足りてないからね」
 答えて、ハーヴェイは肩をすくめる。なんせ地球から技術者を呼び寄せるのには、とにかく金がかかる。あらゆる経費の中で、地球から人を連れてくるのにかかる費用が、桁違いに飛び抜けているのだ。
「だけど、うちで働きたいっていう奇特なトゥトゥは、なかなかいないからさ。――はい、ついでにこっちの同意書も電子署名サインして、一緒に人事に提出しといて」
 ジンの手元の端末に書類を転送しながら、ハーヴェイは自分の肩を揉んだ。このあとジンの手の甲にIDチップを埋める簡易手術が待っている。
 O&Wの主要事業である航空産業は、トゥトゥの間から、いまだに反対の声が根強い。反対の声よりも需要のほうが大きいからこそ、参入する余地があるわけだが、それでもやはり、ここで働きたいというトゥトゥは多くない。
「エトゥリオル、っていったな。まあ、十中八九、すぐに決まると思うよ。真面目そうな子だし――それに、聞いただろ。あの流暢な英語!」
 あまりにきれいな英語を話すので、どこで覚えたのかと尋ねると、本人ではなくて、一緒にいたサムのほうが胸を張った。もともとは僕が教えたんですけど、でもこいつ、天才なんですよ!
 褒められたエトゥリオルのほうはというと、ひどく小さくなって首を振った。
 ――そんな。僕はただ、サムから借りた地球の本や、映画が面白くて。それで。
「しかし謙遜するトゥトゥってのは、はじめて見たな」
 ハーヴェイは呟いて、口角を上げた。
「そういうものか」
「まあトゥトゥも色々なんだろうけど――珍しいタイプなんじゃないかと思うよ」
 地域差や個人差はあるにせよ、トゥトゥは概して誇り高い。その誇りに見合うだけの礼儀正しさをも持ち合わせた種族ではあるけれど、しかし多くのトゥトゥは、自己評価を低く見積もることを好まない。
 ――あの、僕、生まれつき障害があって、飛べないんです。
 おっかなびっくりそう申告したエトゥリオルのようすを、ハーヴェイは思い出す。飛べないということが、あの小柄なトゥトゥのメンタリティに関係しているのかもしれない。
 何かしらの配慮のいる相手かもしれない――少し考えて、やめた。本人をよく知りもしないうちにあれこれ憶測しても、仕方のないことだ。顎をさすって、ハーヴェイは旧友のほうを振り返る。
「ま、あとはお前の裁量が試されるってわけだ」
「――俺か」
 にやりと笑って、ハーヴェイは端末に視線を戻す。人事部の知り合いからメールが届いていた。
「人事部長のさっきのようすからしたら、まずそうなると思うね。トゥトゥのエンジニアをいずれ育てたいっていうのは、前々から出てた話だったし――お前の通訳にももってこいだ。よかったじゃないか」
「それは助かるが……まあ、いい。もう決まったも同然なんだろう。その話しぶりからすると」
「ご明察」
 メールを一読して、ハーヴェイは椅子を回す。「いま書類が回ってきたよ。案の定、優秀なもんだ」
「――それはいいが、なんでそんな書類がお前のところに回ってくる?」
 にやりと笑って、ハーヴェイはメール画面を閉じる。
「まあ要するに、人付き合いは重要ってことさ」

   ※  ※  ※

 新年度から来られるかい。そういわれた瞬間、エトゥリオルは舞いあがるあまり、言葉を失った。それから大慌てで、ぶんぶんと何度もうなずいた。
「僕なら、明日からでも」
 勢い込むエトゥリオルに、人事部長という人は目を丸くして、破願してみせた。「そいつは嬉しい心がけだが、こっちにも手続きがあるし――それに、きみの上司になる予定の人間が、まだいっときリハビリテーションセンターから出てこないんだよ」
 どのみちじきに夏になることだし、しばらく待ってくれと、人事部長はいった。
 オーリォの季節になると、若いトゥトゥの多くは旅に出てしまう。
 そのためトゥトゥの一般的な企業では、そのひと月ほどの期間、ほとんど開店休業のような状態になる。マルゴ・トアフのテラ系企業が、その慣習に合わせているというのは意外だったけれど、よく考えてみれば、彼らにとってもオーリォの季節は、取引先の多くが休みに入る時期なのだろう。
 すぐに働けないというのは残念だったけれど、それでも帰り道、エトゥリオルはずっと浮かれていた。はじめのうちは見習いという話だったけれど、それでもこれまで彼が置かれてきた境遇からすれば、夢のような話だ。
 ――そうだ、念のために聞くけど、君、成人してるよね?
 面接に入る前に、ハーヴェイからそう確認された。
 気を悪くしないでくれよ。僕らにはなかなか、見ただけじゃ君らの年齢がわかりづらくってね――ハーヴェイは申し訳なさそうに弁解したけれど、それが方便だということは、すぐにわかった。痩せて体の小さいエトゥリオルは、同胞の間でさえ、ときどき子どもと間違えられる。
 成人したのは三年も前だ。それでもエトゥリオルは、返事をためらった。その微妙な間に、ハーヴェイが首をかしげるのがわかって、エトゥリオルは慌てた。
 ――あの、法的にはとっくに成人してます。ただ、僕――生まれつき障害があって、飛べないんです。それで、一人前としてみてもらえなくて……
 飛べないことで、仕事に制約があるというだけではない。十歳を迎えた次の夏、自分の翼で最初のオーリォに出て、はじめてトゥトゥは成人したとみなされる。
 古くからの慣習だ。地域によっても差はあるけれど、ほとんどの地方のトゥトゥがいまでも似たような風習を持っている。法律上はともかく実質的に、エトゥリオルは彼らのあいだで、一人前のトゥトゥと思ってはもらえない。
 ――あの、だけど、僕。
 何かいわなくてはならないと焦るエトゥリオルに、ハーヴェイは何でもないようにあっさりと首を振った。
 ――それは特に、問題ないと思う。ここでの仕事には、空を飛ばないとできないようなものはないよ――あったら僕らが大変だ。
 そういって、ハーヴェイは笑った。それより君、手先は器用かな? 機械をさわったりするのは好き?
 勢い込んで何度もうなずいたエトゥリオルに、それはよかったといって、ハーヴェイは書類を渡してくれた。
 そのあとで面接をしてくれた人事のひとも、同じような質問をして、やっぱり、まったく問題ないといった。
 飛べないということが、彼らのあいだでは、なんのハンディキャップにもならないのだ。
 考えてみれば当たり前のことだ。けれどたったそれだけの事実が、エトゥリオルにとって、どれだけ嬉しかったか。
 面接が終わるまで待っていてくれたサムは、わがことのように喜んで、ばしばしとエトゥリオルの背中を叩いた。よかったね、ほんとによかった――
 エトゥリオルは家路を歩きながら、翼を震わせる。サム――彼に会わなかったら、こんなチャンス、巡ってくることなんてなかった。


 その夜、たった一日でがらりと変わってしまった自分の運命に、エトゥリオルは興奮して、なかなか寝付けなかった。何度となく夜中に目を開けては、昼間の出来事は夢だったのではないかと疑って、小型端末を開いては、書類の存在を確認した。
 眠りなおそうとして目を閉じるたびに、瞼の裏に浮かぶのは、あの街の空に見上げた、銀色の飛行機。
 ――あの街で、働ける。


    3


 幼いころ、エトゥリオルはいつか自分も空を飛べるようになることを、疑ってもいなかった。
 ひと一倍熱心に、彼は飛ぶ練習を重ねた。他の子どもらがそうするのと同じように、屋上のへりに足でしっかりしがみついて、くりかえし羽ばたきの練習をした。段差から飛び降りながら翼を動かしてもみたし、年長のトゥトゥが手本としてやってみせるように、助走をつけて翼を広げようとしてみたりもした。
 けれど彼の翼の動きは、どれだけ練習を重ねたところで、ごく弱々しいものにしかならず、体が浮き上がるような兆候は、いつまでたっても見られなかった。
 そもそもほかのトゥトゥが滑空をするときのように、すばやくまっすぐに翼を広げるというだけのことさえ、彼には満足にやれなかったのだ。時間さえかければなんとか広げることはできるのだけれど、それは赤ん坊のトゥトゥといい勝負の、緩慢な翼の動きにしかならなかった。
 近所の同い年の子どもらは、ひとりまたひとりと飛ぶことを覚えてゆき、やがてエトゥリオルだけが、最後まで取り残された。
 楽しそうに飛びまわる友人たちを、ひとり地上から羨ましく見上げるのが、エトゥリオルの日常になった。
 飛べないこと以上に、その仲間はずれのさびしさが辛かった。昨日までは同じように空を見あげて悔しそうにしていた友人が、あるとき魔法のようにこつを掴んで、危なっかしく、けれどたしかに自らの意思で、空へ飛び立ってゆく。
 そうなれば、すぐに彼らは空の上での遊びに夢中になる。地上からいつまでもひとり飛び立てない、どんくさい友達のことを、いっときのあいだ気遣いはしても、そういつまでも人の心配ばかりはしていられない。
 満足がゆくまで空を飛びまわって、やがて戻ってきた彼らは、エトゥリオルの姿を見て、ばつの悪そうな顔をする。その瞬間がつらくて、だんだんエトゥリオルのほうから、彼らと距離を置くようになった。

  ※  ※  ※

 自分の机をもらえた。
 それはエトゥリオルにとって、大事件だった。
 たかが机だ。自分でも、頭ではそう思う。トゥトゥがよく使う軽くて分解しやすい製品ではなくて、合金と樹脂の組み合わせの、重くて頑丈なデスクだというのは、珍しい経験かもしれない。それでも机はしょせん机だ。
 しかもテラ人の体にあわせて作られたデザインだから、彼にはあまり使いやすくもない。椅子ははじめからトゥトゥ用のものを用意してもらったけれど、引き出しの位置が邪魔だったり、広すぎて奥の方まで手が届かなかったりする。座り心地のいい席かといわれると、返答に詰まる。
 けれど、そんなことはどうでもよかった。
 自分だけの席が、オフィスにある。毎日、出勤したらその席について、彼に与えられた端末に向かって仕事をする。
 それは彼にとって、人生で初めてのことだった。
 舞いあがるあまり、デスクを前にした瞬間、エトゥリオルは固まった。あまりにも長いあいだ立ちつくしたまま固まっていたので、初日から上司を困惑させてしまった。


 出勤初日のその朝、会社のロビーで――地上階のほうの入り口だった――面接のときの人事部長が、にこやかに出迎えてくれた。その横に、ひとりの異星人が立っていた。
 知っている顔だった。フェスティバルの日、メインストリートでぶつかった異星人。エトゥリオルがこれまでに見たことのあるテラ人と比べて、背が高く、痩せていて、そして無愛想だった。
 今日から彼が、君の上司になる。そういって紹介されたその人は、ジン・タカハラと名乗った。
 そっけない感じで伸ばされた手は、指が長く、関節が目立って、なんとなくごつごつとしていた。
 彼らに握手の習慣があるというのは、サムから教わって知っていた。あわてて中肢をさしだしたエトゥリオルは、見た目とは違う異星人の手の柔らかさに、ちょっと戸惑った。
「あの――なんてお呼びしたらいいですか」
 おそるおそる、エトゥリオルがそう訊ねたのは、どうやらテラ人の多くが上司を呼ぶときに、役職や敬称を使い分けているらしいということに、気付いていたからだ。周囲で雑談しながら歩く人々もそうだし、サムから借りた小説や映画の中でも、そうした風潮は垣間見られた。
 そこまではわかるのだけれど、どんなふうに使い分けたらいいのかが、エトゥリオルにはぴんとこない。敬称というもの自体が、そもそもトゥトゥにはなじみがないのだ。
 トゥトゥのあいだでも役職はもちろんあるが、役職で相手を呼んだりしたら、まずまちがいなく侮辱だといって怒られる。トゥトゥはなによりも先に、まずその名をもつひとりのトゥトゥであって、名もなき誰かではない、というわけだ。
 けれど、テラでは違う。彼らの会社で働かせてもらうのだから、彼らのルールにあわせるべきだ。エトゥリオルはそう考えた。
 けれどジンは、あっさりといった。「ジンでいい。――それが君たちの流儀だろう?」
 やっぱりそっけない口調だった。エトゥリオルは困惑して、眼をしばたいた。
「え――だけど、その、失礼にあたりませんか?」
「俺は、君たちの名前についての考え方を聞いたとき、とても感銘を受けたし、羨ましい話だと思った」
 間髪いれずジンはそういって、それから軽く首をかしげた。「――ただ、たしかに君のいうとおりだ。相手と場合によっては、失礼だと思われるかもしれない」
 エトゥリオルが慌ててうなずくと、ジンは少し考えてから、教えてくれた。
「そうだな。よく知らない相手には、とりあえずファミリーネーム……あとのほうの名前だな、それの前にミスタを付けて呼べば、たいてい失礼にはならないだろう。女性ならミズ」
「ミスタ・タカハラ、というふうに?」
「そうだが、頼むから、俺にはやめてくれ。ミスタ、なんていうがらじゃない」
「わかりました。――ジン」
 エトゥリオルがそういうと、ジンは小さくうなずいて、それから少し、ためらうような間をおいた。
「君の英語のほうが、俺の西部公用語セルバ・ティグよりよほど流暢だし、こちらにあわせてもらうほうが、合理的なんだろうが……」
 ジンはこちらの言葉で、そう切り出した。英語で話すときと、声質ががらりと違う。サムもそうだったけれど、本来は発音できない声域を、機械でカバーしているのだ。
「しかし俺は、こっちの言葉をなるべく早く、マスターしなきゃならない。言葉を覚えるのには、とにかく使うのが早道だと思う。勉強につきあうと思って、君たちの言葉で話してくれないか」
 そんなふうにいうわりに、彼が話すのは、きちんとしたセルバ・ティグだった。ところどころイントネーションに違和感はあったけれど、通じないところも、文法的に間違っているところもない。
 本当に練習の必要があるのかとは思ったけれど、いわんとすることは納得できた。エトゥリオルは素直にうなずいて、自分もセルバ・ティグに切り替えた。
「わかりました」
「――もしかして、あらためて英語を勉強してきてくれたんじゃないのか」
 その言葉を聞いて、エトゥリオルはやっと、ジンが言い出しにくそうにしていた理由に気がついた。彼の努力を無駄にしたのではないかと、気にしてくれたのだろう。
「いえ――ええと、機械をさわる仕事だと聞いたので、関係のありそうな言葉を、少しだけ。だけどもとからサムに教わっていましたし、あらためてというのは、そんなに」
 言葉を選びながらそういうと、ジンはうなずいて、すまないといった。
 エトゥリオルは、上司への印象を改めた。よく笑うサムと違って、なんだか表情は少ないし、ぶっきらぼうな話し方をするひとだなと思っていたけれど、そういうことではないのかもしれない。
「しかし、正直にいって、言葉はなんとかなると思うんだが……八進法に慣れるのには、手間取りそうだ」
 その言葉に、エトゥリオルはジンの手を見た。テラ人の、十本の指。そういえば、サムも数学が苦手そうにしていた。こちらで育ったサミュエルでさえそうなのだから、来たばかりの彼からしたら、なおさらだろう。
 ここだといってジンが足をとめたのは、大きな扉の前だった。金属製の扉はきっちり閉ざされていたが、彼が壁の機械に手をかざすと、触れもしないのに、かすかな音を立てて開いた。
「君にもあとで、IDカードを渡す。俺たちは小さなチップにして手に埋め込んでしまうんだが――君は、そうだな、紐を通して首からでも下げておくといい」
 うなずきながら足を踏み入れると、なかには広々とした事務室があった。
 ゆったりとした間隔で、デスクや作業台がいくつもならんでいる。その上には、何に使うのかわからない道具の数々。デスクの数よりも、機械類のほうがずっと多い。壁際にはエトゥリオルにとっては見たこともないような、大型のコンピュータがたくさん並んでいる。
「ここで仕事をすることになる。といっても、実際は、工場のほうといったりきたりだな。――いまちょうどほかの連中が出払ってるが、午後には戻るらしいから、そうしたら皆に紹介しよう」
 そういいながら、ジンは入り口のそばのデスクを指し示した。ごく何気ない、あたりまえの仕草だった。
「君の机は、それだ」
 エトゥリオルは、その場で固まった。たっぷり呼吸五つ分は、動けなかったと思う。
 言葉も出てこなかった。
 頑丈そうな、真新しい感じのする机だ。どうやって搬入したのかと思うような大きさの、エトゥリオルの何倍も重さのありそうな、どっしりした事務用デスクだった。そして何より重要なことに、ほかにたくさん並んでいるものと、同じデザインだった。
 みんなと同じ、机。


「――座ったらどうだ」
 いわれて我に返ったエトゥリオルは、恐る恐る椅子を引いて、そっと腰を下ろした。そうすると、視線の高さにディスプレイがあった。
 彼用の机で、彼用の椅子で、彼用の端末なのだ。
 嬉しかった。ものすごく、嬉しかった。
 役に立たないといけない。まずなによりまっさきに、そう思った。
 なんせ自分は、まだ見習いなのだ。仕事が決まってからあわててちょっと勉強をしてきただけの、専門の訓練を受けたこともない、右も左もわからないような素人だ。
 それなのにまっとうな一人前であるかのように迎えてくれた彼らに、それだけの価値のある人材だと認めてもらえるように、頑張らなくてはならない。
 何を頑張ったらいいのかさえ、まだわかってもいなかったけれど、とにかくこのとき、その思いだけが、エトゥリオルの頭を占めていた。
「もともと、俺の専門は飛行機の、機体のほうの設計なんだが――どうやらここでは、なんでもかんでもやらされるらしい」
 人手が足りないのだと、ジンはいった。
 トゥトゥの言葉で「設計」といった、彼の声の響きを、エトゥリオルはふしぎな感慨とともに聞いた。あの飛行機のような機械を、設計して、実際に動くように組み立てる。それはどんな途方もない作業だろう?
「しかし、そうはいっても、俺自身がまだ復帰したばかりで、まともに仕事にならないんだ――悪いが今日は、とりあえず端末に入っている資料を眺めていてくれ。詳しいことは後回しにして、だいたいこういう感じの仕事だっていうのを、ざっと見てくれればいい」
 いわれてディスプレイを見ると、エトゥリオルの視線を拾って、インターフェイスが勝手に立ちあがった。
 端末自体は見慣れない大きなものだったけれど、ディスプレイの形やインターフェイスは、エトゥリオルも触ったことのある、トゥトゥの大手メーカー製品だった。
 もしかして、自分にあわせてわざわざ用意してくれたのだろうか? 驚いたエトゥリオルがそのことをいうと、ジンはあっさりと首を振った。
「いや。コンピュータ製品の基本性能は、こっちのもののほうがいいからな。使い道によっては善し悪しがあるらしいが、コストパフォーマンスまで考えたらな」
 俺はまだ、慣れなくて戸惑ってるがと付け足して、ジンは自分の端末に視線を投げた。いわれてみれば、そちらもどうやらトゥトゥの製品のようだった。ただ、ディスプレイの形状がまったく違う――トゥトゥと彼らはものの見え方が違うというから、彼らにあわせて改良してあるのだろう。
 エトゥリオルは驚きすぎて、言葉もなかった。
 なんせ相手は、異星人だ。はるか遠くの星系から、はるばるやってきた人たちで――宇宙を旅する手段も、空を飛ぶ飛行機も、速度の出る上に安定して動くトラムも、そのほかトゥトゥの手元にはいまだなかった重機や建築方法やその他の構造物を、はるばるこの星に持ち込んだのは、彼らテラ人なのだ。
 対してトゥトゥは、自分たちの惑星の月にさえ、いまだに自力で行ったことがない。そのトゥトゥの作った製品のほうが、彼らの持つコンピュータよりも性能がいいなんて、どうやったら信じられるだろう?
 そういうと、ジンはあっさり首を振った。「求められてきた技術の方向性が違うっていうことだろう。――誤解があるかもしれないが、もともと俺たちのほうが、君らの文明から学ぶために、こっちに来てるんだ」
 二度驚いて、エトゥリオルは羽毛を逆立てた。信じられないような話だと思った。
「俺からしてみたら、むしろ、不思議に思える。これだけの技術力があるのに、どうして君たちの知識と技術が、航空や宇宙の分野にはあまり向かなかったのか……」
 途中で言葉をきって、ジンはわずかに目を細めた。「だが、まあ、なんとなくわかるような気もする。――飛べない俺たちのほうが、空への憧れが強かったんだろう」
 どきりとして、エトゥリオルは顔を上げた。ジンはディスプレイに表示された図面を、じっと見つめている。
 エトゥリオルもつられて、その図面を眺めた。それの外形は、あの日の空に見上げた飛行機のものと、よく似ているように見える。
 ――これが、飛行機の設計図なんだ。
 ふしぎな感慨とともに、エトゥリオルはその図面を見た。書かれている数字や記号の意味も、いまはまだ、さっぱりわからなかったけれど。
 ――空に憧れて、どうしても飛びたくて、それで、あんな飛行機を作ってしまうんだ。
 図面を見つめるジンの真剣なまなざしを見て、同じだと、エトゥリオルは思った。
 このひとたちと自分は、きっと、同じだ。

  ※  ※  ※

 五歳の誕生日をまもなく迎えようかというころになっても、エトゥリオルは飛べるようにならなかった。どんなに発育の遅い子でも、いいかげん自由に空を飛び回っている年齢だった。
 いくらなんでもおかしいというので、両親に手を引かれて病院にいった。住んでいる街のちいさな医院ではなく、トラムにのって、隣まちの大病院へ。
 わざわざ足を運んだわりに、検査自体は、簡単なものだったと思う。少なくとも、まだ子どもだったエトゥリオルが、退屈を持て余して騒ぐほどの暇もなかったのはたしかだ。
 検査機器にうつった画像を眺めて、医師はいっとき黙り込んだ。そこにはトゥトゥの骨格が映し出されていた――それが自分の体の骨を透かして見ているのだということをエトゥリオルが理解したのは、少し遅れてからだった。
 長い沈黙に、彼ら家族がすっかり不安でいっぱいになるころ、医師はようやく、重い口を開いた。
 ――竜骨、というのです。
 そういって、医師はこつこつと、中肢で自らの胸を叩くそぶりをみせた。続いて画像の真ん中のあたりを、そして最後にエトゥリオルの胸元を、指してみせた。
 ――こっちが、平均的なトゥトゥの骨格。
 そういって医師がディスプレイに表示させた写真は、さっき見せられたばかりの画像とは、似ても似つかないように見えた。三角の、大ぶりで、頑丈そうな骨。
 ――この骨が、飛ぶための筋肉を支え、ほかの骨と骨を、しっかりと繋ぎとめておるのです。おわかりになるでしょうか。
 医師は淡々と説明を続けた。いわれている言葉の内容ではなく、その声のため息のような響きに、エトゥリオルは不安をつのらせた。
 ――一般に、なかなか飛ぶのが上達しない子というのは、体重が重すぎるか、筋力が足らんのです。あるいはただ単純に、体を動かすこつを呑みこむのが、ちょっとばかり遅いか。そういうのは、とにかく時間はかかっても、努力で解決できる。
 そこで少しためらってから、医師は思いきるようにいった。
 ――だが、お子さんの場合は……たとえ筋肉をつけたところで、それを支えるだけの骨がなくては。
 その言葉を聞きながら、つないだ父親の手がかたくこわばったのを、エトゥリオルはよく覚えている。
 帰り道、父親は、もう手をつないではくれなかった。彼が見上げると、視線をひどく彷徨わせて、やがてばさりと羽を鳴らした。そうしてひとり、先に飛んでいってしまった。
 そのぐんぐん遠ざかる背中を見送りながら、エトゥリオルは何度も父親の名前を呼んだ。どうやら自分が飛べるようにならないらしいということよりも、置いていかれる恐怖のほうが、そのときにはずっと強かった。

   ※  ※  ※

 ――地べた這いどうし。
 いつか背中で聞いたその言葉が、ディスプレイの図面を見つめるエトゥリオルの胸に、ふとよみがえる。
 あのとき、その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、エトゥリオルは悔しかった。悔しくて、恥ずかしくて、その場から逃げ出したかった。いなくなってしまいたいとさえ思った。
 いまは、どうだろう。
 複雑で精巧な、飛行機の図面――読み方もわからないその表示を、エトゥリオルはじっと見つめつづけた。目に残像が残るほど、いつまでも。


    4


 その日は朝から、天気が荒れ気味だった。
 雨はさしてひどくもなかったが、風がある。空を見上げると、雲が渦巻きながら流れてゆくのがわかる。
 それでもこれくらいの風雨だったら、大人のトゥトゥは平気で飛ぶ。彼らの羽毛は水をはじくし、よほどの嵐でもなければうまく風をつかまえて、危なげなく飛行することができる。
 トラムのいいところは、天候に関係なく運行できるところだ。エトゥリオルは雨をふるい飛ばしながら、ステーションに向かう。
 テラ人たちが使っている傘のことを思い出して、いいなと思う。ポシェットを濡らさないための防水カバーはあるけれど、トゥトゥ自身が濡れないための道具というものは、ほとんどない。
 仕事の帰りにひとつ、買ってこようかと、エトゥリオルは考える。けれどこうして行き帰りに、トゥトゥしか周りにいない場所で、異星人の真似をして傘をさせば、空から見ても目立つだろう。その度胸が、自分にあるだろうか。
 彼がマルゴ・トアフで働き始めて、そろそろひと月半が経とうとしている。季節は盛夏を迎えて、吹きつける雨粒は生温かい。毎日ステーションまで歩くのにも、ずいぶん慣れはしたけれど、それでもやっぱり、時間がかかる。
 エトゥリオルは毎朝、早い時間に家を出る。もう少しステーションに近い地区に越せればいいのだけれど、家移りするには貯金が心もとなかった。
「エトゥリオル!」
 大声で呼ばれて、エトゥリオルは羽毛を逆立てた。頭上から、ばさばさと音を立てて、大柄なトゥトゥが舞い降りる。雨が跳ねて、エトゥリオルの顔にかかった。
 知った顔だった。エトゥリオルはとっさに微笑んで、尾羽を下げる。
「ピュートゥ……おひさしぶりです」
 世話になった相手だった。家具の修理を請け負う小さな会社を持っていて、エトゥリオルのことを気にかけて、ときどき半端仕事をまわしてくれていた。
「よう、元気にしてたか」
 ピュートゥは笑って翼を打ち鳴らしたが、すぐに真顔になった。「なあ。お前、マルゴ・トアフで働いてるって聞いたが、本当か」
 険しい語調だった。エトゥリオルは返答に詰まって、冠羽を揺らす。
 テラ人をよく思わないトゥトゥは少なくない。年配のトゥトゥには特に、そういう傾向がある。あらためてそういう話をしたことはなかったけれど、ピュートゥもそういうひとりなのだろう。
 迷ったけれど、嘘をつくのもいやだった。何も悪いことをしているわけではないのだから。エトゥリオルは覚悟をきめて、うなずいた。「はい、先月から」
「馬鹿野郎」
 大声だった。エトゥリオルが身を竦めるのを見て、ピュートゥはばつの悪いような顔になる。翼を二度鳴らして、少し声を落とした。
「なんだってお前、あんなけったくそ悪いところで――いや、事情はわかるが。それにしたって、働く場所はもうちっと選べよ。金に困ってるんだったら、また俺のところでもなにか……」
「違うんです」
 彼にしては珍しいことに、エトゥリオルは途中で話を遮った。「そういうことじゃないんです」
 自分で思っていたよりも、ずっと強い語調になった。ピュートゥが驚いて目を白黒させているのに気付いて、エトゥリオルは我に返る。
「――すみません、心配してくださってるのに」
 エトゥリオルは小さくなって、弁解した。「だけど、あの、お金のために嫌々とか、そういうのじゃないんです。まだ僕、見習いなんですけど、仕事も面白いし、それに職場の方々も、みんないいひとたちで、よくしてもらってます」
 ピュートゥはきつく顔をゆがめた。「馬鹿、いいやつらなわけがあるもんか。お前、ひとがいいにしても限度ってものがあるだろうよ」
「そんなんじゃ……」
「そうじゃなきゃ、お前、騙されてるんだ。わかってんのか、お前。あいつらくにに帰れば年がら年じゅう殺し合いばっかりしてるような猿どもだぞ」
 吐き捨てられて、返答に詰まった。テラで過去に起きた凄惨な戦争や大量殺戮の話は、彼も耳にしたことがないわけではない。それはトゥトゥの社会ではあり得ないような規模のもので――だけど、とエトゥリオルは思う。彼の会ったことのあるテラ系の人々はみな、そんなふうな野蛮な種族には、とても思えなかった。
 いっとき言葉を探してから、エトゥリオルはいった。「彼らは、攻めてきたりはしませんよ」
「わかるもんか、あの地べた這いども」
 エトゥリオルがびくりと体をこわばらせたことに、ピュートゥは気付かない。強い語調のまま、彼は続ける。「だいたい連中、こっちじゃ大人しくしてるように見えるがな、ああやって害のなさそうなふりをして、経済侵略を仕掛けてきてるんだよ」
 年々市場に増えてゆくテラ系企業の製品をさして、ピュートゥはそんなふうにいった。
 エトゥリオルは反論しようとして、やめた。自分が何をいったって、彼が耳を貸すようには思えなかった。なんたって自分はピュートゥにとって、半人前の未熟なトゥトゥにすぎないのだ。
 ピュートゥは恩のある相手だけれど、それ以上話を聞き続けるのがつらくなって、エトゥリオルは尾羽を下げた。
「あの、ごめんなさい。僕、もう行かなくちゃ。トラムの時間があるんです」
 ピュートゥはまだ何かいいたげな顔をしていたけれど、強引に引き留めまではしなかった。エトゥリオルは彼に背を向けて、小走りになる。
 雨にぬかるんで歩きづらい路地を、エトゥリオルは急いだ。
 ひどくみじめな気持ちだった。ひとに恥じることをしているつもりはないのに、小さくなって逃げ出す自分がみっともなくて、いやだった。
 背中から、声だけが追いかけてきた。「困ったら、相談しろよ。力になれることがありゃ……」
 エトゥリオルは振り返らなかった。走りながら、胸の内だけで叫んだ。――あなたたちには、わからない。
 叫んだ直後には、自己嫌悪で死にそうになった。

  ※  ※  ※

 O&Wの社員食堂は、味がいいことで有名だ。
 一般の利用客にも開放されているものだから、ともすれば近隣のオフィスビルから他社の従業員が、わざわざ食事だけ摂りに来る。
 社員寮の食堂についても同じく好評で、その理由の半分は、もちろん料理人が優秀であるからなのだが、もう半分は、同社の農業部門が頑張っているからだ。
 航空機の会社に、なぜ農業部門があるのか。
 そもそもはるか別の星系にまで進出してくるような大企業には、さまざまな分野の子会社を系列に持つ巨大グループが多い。というよりも、中小規模の会社には、ヴェドまで進出してくるような体力がない。
 必然的に、各分野の人材はいつでも不足している。しかし、ヴェドに存在するふたつの地球人街には、いまやそれなりの人口がある。こちらに骨を埋めるつもりの人々はもちろんのこと、一時出向中の人間でさえ、一年や二年ですぐに帰るわけではない。彼らもそれぞれに生活を送らなければならない。
 つまり、求められる事業の幅広さに対して、企業の数自体が多くない。各企業の経営多角化は、避けられない宿命のようなものだ。かくしてO&Wはトースターも発電機も作るし、合金タワシもイモも作る。
 そのO&Wの農業部門には、ひとり、名物の女性研究員がいる。
 レイチェル・ベイカー。彼女は生物学系のさまざまな分野でいくつもの博士号を取得しており、地球にいたころには米国某有名大学の研究員として、多くの論文を発表していた。その美貌もあいまって、学会では非常に目立つ存在だった。
 才媛として名高い彼女は、ジンにとっては、同じ大学の先輩でもある。


 社員食堂はいつものごとく、大変な賑わいを見せている。ジンは支払いを済ませたトレイを持って、空席を探そうと振り返った。
 すぐ近くの席に、エトゥリオルがいた。ひとりで食事をしている。
 声をかけるかどうか、ジンは迷った。
 ひとりというのは、別に珍しくない。ややすると四六時中仲間とつるんでいないと不安になりがちなテラ系人類と違って、トゥトゥはひとりで食事をとりたがる者のほうが、むしろ圧倒的に多い。文化的背景というよりも、進化のルーツの問題かもしれない。
 そういう知識もジンは持っていたし、なにより食事どきまで上司の顔を見ているのでは、エトゥリオルも息が詰まるだろう。そこまで考えが及びはしたのだけれど、しかし、このときはちょうど、彼に話があった。
 三秒迷って、ジンはエトゥリオルの向かいに立った。
「ここ、いいか」
 エトゥリオルは少し驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに微笑んで、どうぞといった。トゥトゥの微笑みは、このごろジンにも見分けがつくようになってきている。
「部長からさっき、話があったんだが――」
 エトゥリオルの皿を眺めながら、ジンは切り出した。トゥトゥと地球人では食べ物が違う。O&Wの社員食堂は味がいいことで有名だが、それは地球人にとっての話であって、必ずしもトゥトゥにとってはそうではないことも、ジンは聞いていた。なんせ料理人が地球人ばかりだ。
「――それ、うまいのか」
 自分で切り出した話を中断してまで、つい、ジンは訊いた。エトゥリオルのスプーンに乗っている食べ物の色が、あまりに奇抜な外観だったので。
 エトゥリオルは困ったように首をかしげて、微笑んだ。言葉よりも明確な回答だった。
「トゥトゥの料理人が来てくれたらいいんだがな」
 ぼやいて、ジンは話を再開した。「今度、社員寮に空きが出るんだそうだ。俺が入っているのと同じ所で、寮の食堂も調理師は地球系ばかりだから、飯は期待できないだろうが――だからってわけじゃないと思うんだが、入寮しているトゥトゥの社員は、そんなに多くない。が、ほかにもいないでもない」
 いいながら、ジンは、エトゥリオルが目を丸くして羽毛をふくらませているのに気がついた。冠羽がぴんと立っている。
 ちょっとためらって、ジンは続きを口にする。
「もし希望するなら、入れるそうだが……」
 そのことをエトゥリオルに薦めていいものかどうか、ジンは迷っていた。しかしエトゥリオルは、嬉しそうだった。地球人の目からみてもすぐにわかるくらい、とても嬉しそうだった。
「あの。すごく、助かります。もしご迷惑にならないのだったら」
 本人が喜んでいるところに水を差すのも、気が引けた。それでも黙っておけなくて、ジンは付け足した。
「迷惑なんていうことはない。だけど、会社のすぐ近くの寮ってのも、いいことばかりじゃないぞ。どうしても会社と寮の往復だけになって息が詰まるし――飯の味もそうだが、君らにとってここは、まだあまり暮らしやすい街じゃないかもしれない」
 なんせ、その辺の店で売っている品のほとんどが、テラ人の生活にあわせたものだ。この町で暮らすトゥトゥは、まだあまり多くない。
 けれどエトゥリオルは、すぐに首を振った。「かまいません」
 それでもジンはまだ、ためらった。
 エトゥリオルは本当に喜んでいるように見える。仕事中にも、楽しそうに働いているように、ジンの目には映る。
 しばらく迷って、ジンはいった。「――無理をしていないか?」
「無理、ですか?」
 きょとんとしたように首をかしげて、エトゥリオルは聞き返してくる。ジンは小さくうなずきかえして、注意深く部下の表情を見守った。
 異星人に囲まれて働いているというだけでも、大小のストレスはあるだろう。寮に移ってくれば、ますますエトゥリオルの生活は、トゥトゥの社会から切り離されてしまう。
 それはほんとうに、彼にとっていいことなのか。
 考え過ぎだろうか。エトゥリオルのきょとんとしたようすをみて、ジンは自嘲する。がらにもない余計な口出しをしているという自覚はあった。
 目を丸くしたまま、エトゥリオルは首を振った。
「無理なんて。――寮、入れてもらえるなら、ほんとうに助かります。いまのところから通うのに、けっこう時間がかかってるので」
 ジンはうなずいた。そうまでいわれたら、それ以上かさねて反対するのも忍びなかった。それに、入ってみて合わなかったら、越せば済むことだ。
「わかった。――伝えておく」

   ※  ※  ※

 エトゥリオルは浮かれていた。嬉しさのあまり、食事の残りもうまく喉を通らないような気がした。
 ジンは味のことを気にしていたけれど、食事がまずいというのは、実のところ、大した問題ではなかった。もともとトゥトゥには、テラ人ほどじっくり食べものを味わう習慣がない。好き嫌いはもちろんあるけれど、そもそもほとんどが丸呑みなのだ。
 暮らしが不便というのも、エトゥリオルにとっては、この街に限った話ではない。トゥトゥの町で、曲がりくねった路地を延々と歩いて買い物に行くことが、すでに彼にとっては苦労だった。
 それより、エトゥリオルにとっては社員寮という言葉の響きが、嬉しくてしかたがなかった。まだ見習い期間は残っているけれど、寮の話は、彼にここにいていいのだといってくれているように聞こえた。
 それに――この町に住めるなら、今朝のようなこともなくなる。
 今朝のことを思い出して、エトゥリオルは顔をくもらせかけた。それから慌てて瞬きを繰り返した。暗い顔をしていたら、またジンから無理をしていると思われてしまう。
「食べ物っていえば」
 話を変えようと、エトゥリオルは顔を上げた。「テラからこっちにやってくるのって、すごく時間がかかるんですよね。一年半でしたっけ。その間の食べ物って、どうするんです?」
「ああ、食いものはかなり大量に積みこんでくるな。こっちと一緒で、向こうでも宇宙港は月にあるんだが、月面プラントで作られた保存食が、航海中の主な食糧になる」
 ジンはいいながら、苦笑を洩らした。「いちおう味はいろいろあるんだが、さすがに途中でうんざりしたな――船内にもいちおう小さなプラントがあって、そこでも野菜なんかの栽培はするんだが、それで賄える量なんか知れてるし、何かあっても途中じゃ補給のしようがないから」
 食糧の問題があるがために、たくさんの物資を運んでくるよりも、ひとを一人連れてくるほうがずっとコストがかかるのだと、ジンはいった。そうまでして、遥かな星の海を渡ってひとがやってくるということを、あらためてエトゥリオルは思う。
 サミュエルのことを考えて、胸が痛む。もうじきサムは、地球に向かって旅立ってしまう。いつかまたやってくるにしても、何年も先のことになるだろう。
 向こうについたら手紙を送るよと、サムはいうけれど、手紙――データをやりとりするだけでも、往復で一年ちかい時間がかかるのだという。
「――もっと、近かったらよかったのに」
 思わずそうつぶやくと、ジンは首をかしげた。「そうかな」
 エトゥリオルが見上げると、ジンは思ったよりもずっと真剣な表情をしていた。
「あんまり簡単にやってこれる距離だと、今度は侵略だなんだと、物騒な話も心配しないといけなくなるだろう?」
 今朝のピュートゥの言葉を思い出して、エトゥリオルはどきりとした。これまでに彼が出会ったテラ人たちは、みな、友好的に見えた。それでも、もしもっと地球が近かったら、彼らは攻め込んでくるのだろうか?
 エトゥリオルの不安には気付かないようすで、ジンは首をかしげる。
「その点、これだけ遠ければ、戦争をするにも大勢で移住するにも、まずコストが大きすぎて馬鹿らしいし――この先どれだけ技術が進んでも、かかる時間はたいして短縮される見込みがないらしいからな。遠くてかえってよかったんじゃないかと、俺は思うよ」
 でも――いいかけて、エトゥリオルは言葉を呑みこむ。この話を続けるのが、怖いような気がした。そのかわりに、彼はぜんぜん違うことを口に出した。「すごく優秀なひとしか来れないんだって、ハーヴェイさんから聞きました」
 眉を上げて、ジンは呆れたような顔になった。
「自分でいうんだから、あいつも大概いい性格をしてるよな……」
 いわれてみればそうだ。エトゥリオルは思わず笑ってしまって、ごまかすように嘴を掻いた。
「それは大げさだが、そうだな――まあ、なんせ人ひとり連れてくるのには、さっきもいったように、金がかかるからな。希望すれば誰でも来れるってわけにはいかないな」
「みなさん、希望して来られるんですよね」
「たいていはそうだ。会社の命令で仕方なく、っていうやつもいるだろうが――」
 ふっと遠い目をして、ジンはいった。「俺は来たかった。もとはといえば、むこうの報道で見た君らの姿に憧れたのが、最初だったな。こっちへの移住を希望したのも、飛行機を作りたいと思ったのも」
 エトゥリオルは目を丸くして、スプーンを取り落とした。そんなに驚かなくてもいいだろうといって、ジンは肩をすくめる。
「あとは、向こうの水があわなかったんだ。家族とも折り合いが悪かったし」
 ジンがプライベートの話をするのは、珍しかった。皮肉っぽく笑って、半ばひとりごとのように、彼はいった。「ちょっとでも故郷から遠いところに行きたかった。まあ、地球を発つころには、さすがにそんなのは子どもじみた逃避だって、自分でもわかってはいたんだが――それでも正直にいうと、清々したな」
 エトゥリオルはその言葉に、とっさに同意しそうになった。彼もまた、成人して家族のもとを離れる瞬間、何よりもまず先に、ほっとしたのだった。そしてそのことに、いつもどこかで、小さな罪悪感があった。
 そのことを、ほとんど口に出しかけてから、エトゥリオルは言葉を呑みこんだ。軽々しく、他人にわかるなどといわれたくはないだろうと、そういう気がして。
「――だけど、犬を置いてきたのだけが、つらかったな」
 それだけを英語で、ジンはいった。意識してのことではないだろう。思わず口からこぼれたというふうだった。
「犬……、向こうの動物ですか?」
「ああ。生き物を連れてくるのは、制限が厳しいから――仕方のないことなんだが。野生化してこっちの生態系を崩しでもしたら、おおごとだし」
 わかってはいるんだが、といいながらも、ジンの表情はどこか、寂しそうだった。犬というのがどういう動物かはわからないけれど、いい友人だったのだろうと、エトゥリオルは思った。
「君たちは、動物を飼ったりはするのか。その、家畜とかではなくて」
 訊かれて、エトゥリオルは首をかしげた。「飼う、というのかわかりませんが、鳥の巣箱を作ったりはしますね。やってくる鳥の好きな樹を、庭に植えたり……」
 へえ、と相槌をうって、ジンは頬をゆるめた。「いいな、それ」
「年中そこにいてくれるわけじゃありませんけど、去年と同じ鳥がやってきたりすると、やっぱり嬉しいです」
「社員寮の裏庭にも、来るかな。こんな都市の真ん中でも」
「来るかもしれませんね」
 エトゥリオルは微笑む。それはとてもいい考えのような気がした。寮に入ったら、巣箱を作ってみよう。社員寮には、手ごろな樹があるだろうか。

   ※  ※  ※

 社員食堂の中が、かすかにざわついた。
 ジンは思わず食事の手を止めて、顔を上げた。喧嘩とか非常事態とか、そういう悪い緊張感ではない。しかし明らかに、その場の雰囲気が変わった。
 周囲を見渡したジンは、大股で歩くひとりの女性に気がついた。
 麦わら帽子というものを、彼は、ものすごく久しぶりに目にした。
 すっぴんの頬にはそばかすと、なぜか、乾いた泥。整えればおそらく綺麗なはずの金髪は、帽子からはみ出して、あちこち跳ねている。けれど本人にはそうしたことを、ちっとも気にするそぶりがない。
 袖まくりしたTシャツにジーンズ、足元ははき古したスニーカー。首にはタオルをひっかけて、その白さが眩しい。両手には山盛りの野菜籠を抱えていた。
 いまどきちょっと見かけない、古典的な農家のおばちゃんスタイルだった。
 野菜を盛った籠まで、資料映画の中に出てきそうな、植物の蔓で編んだやつだ。中にはどうやら芋と、トマトそっくりの何かと、何だか見ただけでは見当のつかない根菜が、絶妙なバランスで積まれている。
 貨物運搬用のカートが、自動制御でぴったり彼女のあとについてきていて、そこにも野菜が山積みになっている。いっそ全部カートに積めばいいようなものなのに、なぜわざわざ彼女は両手いっぱいに、みずから野菜を抱えているのか?
 その答えは、彼女の表情にありそうだった。じつに嬉しそうな、自分の作品を自慢してみんなにみせびらかす子どものような、笑顔。
 にこにこと満面の笑みを浮かべたまま、その女性は足早に、食堂を横切って行く。
 間近に通り過ぎる彼女の顔を見た瞬間、ジンは茫然とした。
 知っている顔だった。といっても、知人ということではない。記憶違いでなければ、昔、なんどとなく報道で目にした顔だ。
 最初はまさかと思った――化粧をしなければ女は別人に見える。けれど、彼女がこちらに移住したという話は、たしかにきいたことがあった。
 ぽかんとして、ジンはその背中が厨房に消えていくのを、口を開けたまま見送る。その向かいで、エトゥリオルは彼が何に驚いているのかよくわからないふうに、首をかしげている。周囲のほかの社員たちは、慣れたふうに食事に戻るか、面白がるように笑っている。
「もしかして、お前、彼女を見るのは初めてか」
 隣の席で飯を食っていた同僚が、面白がるように話しかけてきた。
「ベイカー女史……か? いまのが?」
 なぜジンが驚いているのかというと、彼が知っているレイチェル・ベイカーは、常に一部の隙もない完璧なメイクと華麗なスーツで武装した、名高き才媛だったからだ。報道の中で見かける彼女は、いつだってカメラに理知的な微笑みを向けていた。
 報道や彼女の著作に添えられた略歴で、何度も目にしたことのある女史と、さっき大股に通り過ぎて行った女の子どものようなバラ色の頬が、ジンの中で、結びつかなかった。
 おもむろに腕を組んで、同僚はいう。
「こっちにきて野生化した、代表例だな」
 さっきの話を盗み聞きしていたらしい。とっさに笑いをこらえて妙な顔になったジンに、エトゥリオルが不思議そうに首をかしげた。


 いっときして、女史は厨房から出てきた。来た時と同じように、ずかずかと大股で歩いていく。
 まだ茫然としているジンに気付いて、女史は足をとめた。
「見ない顔ね。あなた、新顔?」
 泥だらけの顔のなかで、眼だけが知性の光を帯びて、楽しげにきらきらしている。
 まさか彼女は、支社に所属する何百人からの社員、全員の顔を覚えているのだろうかと、ジンは眉を上げた。覚えているかもしれない。そう思えるくらいには、彼女は堂々たる話しぶりをしていた。
「――あなたの大学の後輩です、博士。お会いできて光栄です」
「そんな噂を聞いた気がするわ。あなた、エンジニアのひとでしょ……ええと、ジン・なんとか」
「タカハラです」
 ジンがいうと、女史はにっこり微笑んだ。「花形じゃないの。がんばってね」
 はい。返事をするジンの後ろに視線を向けて、女史はにっこりと微笑む。
「じゃあ、あなたが設計部門に採用になったっていう子ね。エトゥリオル、で発音は合ってるかしら?」
 エトゥリオルが目を白黒させながら、どうにか挨拶をする。ほんとうに彼女は、すべての社員を把握しているらしかった。
 ジンは女史の農家スタイルに、不躾と思いながら、つい視線を向けてしまう。
「植物学の研究をされているのかと……思ってました」
「わたしもね、来たときはそのつもりだったんだけど――でも、実際に来てみたら、ごはんがまずかったのよ」
 レイチェル・ベイカーはきっぱりといった。非常に真剣な表情だった。「ものすごく、まずかったの。許されざることだわ」
「……そうですか」
 何と答えたらいいかわからずに、ジンは間の抜けた相槌をうった。けれどその途方にくれたようすを、女史は気にするふうもなく、力いっぱいうなずいた。
「何はなくても、まずはおいしいごはんが、すべての基本だと思うの」
 空になった野菜籠を抱きしめて、女史は力説する。「わたしのプライドにかけて、かならずこの地でおいしい野菜をつくって、みんなの食卓を豊かにしてみせる。――期待しててね」
 女史は不敵に笑って踵をかえすと、来た時とおなじく、勢いよく去っていった。
「なんだか、かっこいいひとですね」
 エトゥリオルが、まじめな調子でそういった。
「――そうだな」
 ジンはうなずいた。女史の言動に思わずあっけにとられてしまったが、実際のところ、彼女のような人材がいてくれるからこそ、この異郷で地球人たちが暮らすことができているのだった。
 トゥトゥの作る野菜のほとんどは、地球人にとって、食べられるものではない。うまいとかまずいとかいう問題ではなく、消化できないのだ。
 作物のほうの改良だけではなくて、人体のほうへのアプローチ――人工の消化酵素を体内に入れることの研究も、少しずつ進んできてはいる。しかしなにせ人体実験を要する研究というものには、とにかく時間がかかる。
 食べ物の問題は、テラ系人類がこの星で活動するうえで、大きな制約になってもいるのだ。ふたつの移民街の外に出て、トゥトゥの街で暮らす地球人がほとんどいないのも、この問題が最大の障害になっているからだった。
 農業部門は、苦労が多いはずだ。地球から植物を持ち込むことにはとんでもなく制限が厳しいし――その点、月面プラントのほうがまだやりやすいはずだ――許可が下りても、その植物がこちらの風土で育つとは限らない。いまあるものに品種改良を重ねて、安全性を確認するための、途方もない検査と実験の積み重ね。大変な仕事のはずだった。
 そのはずだというのに――女史の活き活きとした笑顔を思って、ジンは感じ入った。
「彼女には、こっちのほうが水があうんだろうな」
 そう呟いた自分の声が、思いがけず羨ましそうな響きをしていて、ジンは苦笑した。
 自分にとってはどうだろうか――ジンは考える。
 まだわからない。同僚には恵まれていると思うし、暮らしにも、我慢できないほどの不自由を感じたことはない。地球に戻りたいと思ったことは、この二か月で実のところ、一度もなかった。それは彼女のように、こちらの水があっているからだろうか?
 そういうことではないだろう、と思った。彼はただ、故郷から逃げてきただけだ――このままでは。
 自分が惑星ヴェドにやってきた意味を、見出せる日がいつかやってくるだろうかと、ジンは思った。

   ※  ※  ※

「……じゃあ、寮の話は伝えておく。今日はこれで上がってくれ」
「はい。お疲れさまでした」
 帰ってゆくエトゥリオルの背中を見送って、ジンはわずかに眉をひそめた。
 エトゥリオルの足取りは、心なしかいつもより軽い。社員寮に入るのが、そんなに嬉しいのだろうか。ただ通勤が近くなるというだけの理由で?
「難しい顔をしてるわね」
 同僚から肩をたたかれて、ジンは椅子を回した。
「そんな顔、してたか?」
「まあ、もとからあんたは辛気臭い顔をしてるけどさ」
 笑われて、ジンは顔をこする。「悪かったな」
「なんかトラブルがあるんなら、早めに相談しなさいな。何ごとも問題の共有が基本よ。小さなことでも、ね。――リオがどうかしたの?」
「お、なんだ。問題発生か?」
 もうひとりの同僚が、椅子を滑らせて寄ってくる。これはいい同僚に恵まれたと喜ぶ場面だろうかと、ジンは首をかしげた。ふたりの面白がるような顔からすると、ただ単に物見高いだけかもしれない。
「トラブル、っていうわけじゃないんだが」
 ジンは言葉を濁した。
 ――よかったらリオと呼んでもらえますか。
 あるときエトゥリオルは、そういった。
 はじめは皆、驚いた。なんせふつうのトゥトゥは、名前を正確に呼ばれることについて、非常に強いこだわりがある。
 けれど最近では皆が、その言葉に甘えている。たしかに彼の名前は、地球人にとって、正しく発音するのが難しいのだった。
 サムを通じてニックネームの文化に共感したというエトゥリオルの言い分には、納得できるものがあったし、本人がそれでいいというのなら、ジンが文句をいう筋合いはない。
 それでもジンには、どこか気になる。
「こっちのやりかたにあわせようと、努力してくれているのはわかるんだが……」
 ほんとうにそれで、いいのか。
 口に出してみて、ジンはようやく、自分が何にひっかかっていたのか、わかったような気がした。
 種族間の相互理解は、望ましいものであるはずだ。けれど現状、トゥトゥには地球人を嫌うものも少なくない。いずれその垣根が低くなってゆくことは期待されても、それは今日明日のことではないだろう。
 いまこの時代を生きるエトゥリオルが、無条件に地球人に肩入れすること、生活の多くを地球人のやりかたにあわせるということが、彼にとって、いいことなのか。周囲のトゥトゥ――エトゥリオルの家族や知人の、彼を見る目はどうなのか。
 エトゥリオルは家族の話をしない。トゥトゥはそもそも一般的に、成人して自立すれば、家族とは距離を置く。エトゥリオルが特別ということではないのかもしれないが――
「過保護なやつだな」
 笑い飛ばされて、ジンは視線を上げた。
「そう見えるか」
「見えるね。リオだっていい大人だぜ」
 いわれてみれば、たしかにそうなのだった。ジンは頭を掻く。
 エトゥリオルの嬉しそうな後ろ姿を思い出せば、考え過ぎだろうかという気がした。そもそも、自分だって故郷になじめずにこんなところまで流れてきたくちで、ひとのことをとやかくいえた立場ではない。
 それに――昼間に見たベイカー女史の活き活きした顔を、ジンは思い出す。エトゥリオルだって、同じことなのかもしれない。もしトゥトゥの社会よりもこっちのほうが水が合うというのなら、それはべつに、悪いことではないのかもしれない。
 考えこむジンの肩を叩いて、同僚が笑う。
「お前ら二人とも真面目すぎて、見てるこっちの肩が凝りそうだよ。もうちょっと気楽にやれよ――ってことで、これよろしく」
 端末に送られてきたデータをちらりと見て、ジンは眉を上げた。
「なんだ、これ」
「息抜きにはちょうどいいだろ。俺、いまちょっと別件で忙しいんだわ」
 ファイルを開けば、そこには仕様書が入っていた。
 トラムの客席周りで使う、小型ヒーターの改良案件だった。
「――いくら専門外はないったってなあ」
 肩を落として、ジンはぼやく。本分とはいわなくても、せめて飛行機の設備の仕事をしたい。
「馬鹿。大事だろう、暖房は」
 わざとらしい真顔で諭されて、ジンはため息をついた。相談していたつもりが、体よく仕事を押しつけられただけだった。
 くすくす笑いながら、もうひとりの同僚が横から覗き込んでくる。
「それ、リオにやらせてみたら?」
 ジンは眉を上げて反論しかけて、それから呑みこんだ。エトゥリオルは皆の雑用を手伝いながら、どんどん知識を吸収している。もっと先のつもりでいたが、そろそろ実際に、何か触らせてみてもいいかもしれない。
 ジンはファイルの中身を検討した。それほど難しい仕事ではないし、なにより納期にはかなり余裕がある。「そうだな……教えてみるか」
「あの子、ほんと覚えが早いよね。ついこの間まで素人だったなんて思えないな」
 ジンはうなずいて、頭の中で予定を組み始めた。何からまず覚えさせるべきか。
「あんた、もっと褒めてやりなよ。あの子、比べる相手がいないんだから、あんたに褒められないと、自信がつかないよ。自分がどれだけすごくて、周りに期待されてるかってこと」
 ジンがとっさに反論しようとした、その口を封じるように、追い打ちがきた。「ちゃんと褒めているつもりだって、いま思っただろ。忠告しておくが、お前の褒めかたは、わかりづらい」
 憮然として、ジンはうなずいた。
「――気をつける」


    5


 O&Wの屋上で、エトゥリオルはじっと空を見上げている。
 まだ昼どきだというのに、思いがけずたくさんのトゥトゥが、そこらじゅうを飛び交っている。休憩時間を使っての買い物か、昼までのシフトなのか、あるいは混みあう社員食堂をさけて、外に食べに出かけるところだろうか。
 今日は風が穏やかだった。高空には真っ白な雲の塊が、ゆっくりと流れている。
 この頃にしては涼しく、空気はからりと乾燥していた。飛ぶのには絶好の日和だろう。誰もが気持ちよさそうに、のびのびと羽ばたいている。
 真っ白な羽色をしたトゥトゥの女性が、いま上昇気流をとらえて、目を疑うほど高い空にのぼってゆく。


 エトゥリオルは一度だけ、空を飛んだことがある。
 ようやく物ごころついたばかりの、幼い時分の話だ。まだ自分が大人になっても飛べないなんて、思ってもみなかった頃。その日、兄の背中にしがみついて、エトゥリオルは空にのぼった。
 トゥトゥひとり背中にのせて飛ぶなんて、いまにして思えば無茶な話だ。だけどそのころ、エトゥリオルはまだほんとうに小さくて、体重なんて紙のようなものだった。
 ――しっかりつかまってろよ。
 彼の兄はそういって、翼の付け根にエトゥリオルをしがみつかせた。
 幼児のあんがい鋭いかぎづめに悲鳴を上げながらも、兄は二階の玄関から飛び立った。力強く羽ばたいた大きな翼は、すぐに上昇気流を捉えた。そうして彼らは家の上空を、ゆったりと二度、旋回した。
 たいした高さではなかったはずだけれど、小さかったエトゥリオルにとっては、その空は、はるかな高みに思えた。上から見下ろす街並みは、砂色の小さな建物がぎゅうぎゅうにひしめき合っている。周りを飛ぶトゥトゥたちの色とりどりの翼が、ときどき視界の端を横切って行った。
 着陸寸前、目を回したエトゥリオルがあぶなっかしく転げ落ちて、家の屋上でバウンドする結果になっても、兄弟はけろりとしたものだった。とりわけ落っことされたエトゥリオルのほうは。
 心配して集まってきた周りの大人たちからこっぴどく叱られても、エトゥリオルはどこ吹く風で、兄にもう一度とせがんだ。
 次は自分で飛べといって、兄は笑った。
 その夜、エトゥリオルは興奮のあまり、なかなか寝付けなかった。それがたった一度、彼が自分の体で空を感じた、最初で最後の飛行の記憶。

  ※  ※  ※

 こわれるのは一瞬だった。
 手の中できらきらと光を弾く小さな部品を、エトゥリオルは茫然と見つめた。金属光沢のなかにかすかに透けて見える、おそろしいほど微細な、緻密な回路。そのなかに、肉眼で見てはっきりとわかるほどの、亀裂が入っていた。
 ほかの機械のパーツから流用できるような、汎用性のある部品だったらよかった。工場に在庫があって、すぐに取り換えのきくものなら。
 その小さな小さな回路は、よりによって、今回の試作品のためにこのひと月をかけて、一から作り上げたやつだった。新しく作った部品のなかで、いちばん手間ひまと材料費のかかった、大事な部品のはずだった。
「――僕、」
 言い訳をする勇気さえ、途中でしぼんで消えた。
 社内規定としての試用期間は終わったけれど、エトゥリオルは実質上、まだ見習いから半歩も外に出ていない。給料をもらいながらも、仕事の何から何までを教えてもらっている身分だった。この部品だって、自力で作り上げたわけではなくて、手順をひとつひとつ教わりながら図面を引いて、何度も試算して点検してもらって、ようやくOKが出た。三日前に工場に回して、今朝しあがってきたものだった。
 工場のロボットが、図面に沿って自動でどんどん作ってくれるような部品もあるけれど、いまエトゥリオルの手の中にあるものは試作第一号、プロトタイプだ。熟練の作業員がていねいに時間をかけて仕上げてくれた。よりによってほかの部品でなくて、なぜこれだったのか。
 設計のときにも試算のときにも、慎重になって、どこかに間違いがないか、見落としがないかと、何度も確かめた。それなのに。
「――大丈夫か」
 肩をゆさぶられて、はっとした。
「僕、あの――ごめんなさい、」
 それ以上の言葉がつっかえて、出てこなかった。自分の努力をふいにしただけなら、まだいい。この部品ひとつ作るのに、みんなのどれだけの労力がかかっていたか。
「気にしなくていい。まだ納期には余裕がある。いまから作り直してもじゅうぶん間に合う――それより、こっちの図面を頼んでいいか。その間に、工場に連絡をいれておくから」
 ジンは淡々とそういったけれど、エトゥリオルはすぐに返事ができなかった。何時間もの労力をふいにされて、怒っていないはずがあるだろうか。
「――はい」
 それでもかろうじてうなずいたのは、わかっていたからだ。謝ったところで何になる。謝って部品が元に戻るわけではない。
 受け取ったチップを端末に読みこませて、データを開く。キーを叩く手が、震えた。
 通話を終えたジンが、振り返った。
「本当に気にしなくていい。俺の説明も足りなかったんだ」
 エトゥリオルは息を吸って、反論を呑みこむ。そういうジンは、近ごろ本当に忙しくしていて、いまも、いくつもの仕事を並行して進めているはずなのだった。このところ、休日に寮にいたためしがないし、夜も遅くまで残っていた。
 ほかのスタッフが、心配そうに視線を投げてきているのがわかった。エトゥリオルは体を縮めて、なんとか図面に集中しようとする。
 無理だった。気持ちがすぐに、あの一瞬に戻る。手の中であっけなくひびの入った部品。緩衝材をかぶせる前の、むき出しに近い回路。不注意のつもりさえなかった。
 キーを叩く、かぎづめの指を見つめて、エトゥリオルは震える息を吐く。
 彼はトゥトゥとしては、かなり手先が器用なほうだ。自分でもそう思っていたし、それは嘘ではないはずだった。けれど、テラ人のやわらかく繊細な手とは、はじめから違う――
 それを言い訳にしようとしている自分に気付いて、胸が苦しくなった。そんなことははじめからわかっていた。テラ人がそうする何倍も、自分は注意をはらわないといけなかった。それに、トゥトゥの企業だって精密部品は扱う。何の言い訳にもならない。
「リオ」
 呼ばれて、びくりとした。ジンが作業の手を止めて、彼のほうに向き直っていた。
「落ち込むな。君はまだ新米で――俺だってこっちじゃそうだが、とにかく、失敗くらいして当たり前だ。そういう可能性もわかっていて、部品を触らせているんだ。この手の精密機器を扱う仕事は、君は、はじめてなんだろう?」
「――はい」
「新人っていうのは失敗するものだ。それでも知識だけで覚えて頭でっかちになるよりも、実物をさわりながら覚えていったほうがちゃんと身につく。だからリスクを承知の上で、どんどん作業を任せるんだ。誰だって何度も失敗しながら仕事を覚えていく。君が特別に不器用なわけじゃない」
 慰められていることが、かえっていたたまれなかった。エトゥリオルはうつむいて、自分のかぎづめを見た。まだ少し、ふるえていた。
「失敗した人間に出来る挽回っていうのは、次はどうやったら失敗しないか、考えることだけだ。……これでもう、覚えただろう? ああいう部品を扱うときに、どこに気をつけたらいいのか」
「――はい」
 うなずいたけれど、顔は上がらなかった。ジンの短いため息を、エトゥリオルの耳は拾った。
「休憩にしよう」
「え……」
「昼休みにはちょっと早いが、社食はもう開いてる。いったん仕事から離れて、まずはしっかり飯を食って、外の空気でも吸ってこい。そのあいだに気分を切り替えろ。――上の空で作業したって、よけいな失敗が増えるだけだ」
 一から十まで、もっともだと思った。エトゥリオルはうなずいて、立ち上がった。みんなの顔を見られないまま、もう一度だけ声に出して謝って、フロアを出た。


 食事なんかとても喉を通らないと思ったけれど、とにかく社員食堂にいった。受け取った料理を無理やりぜんぶ口のなかに入れて、ひといきで呑みこんだ。この上、ずるずる落ち込んだままミスを増やせば、なおさら皆に合わせる顔がないと思った。ジンのいうとおりだ。
 エトゥリオルはいわれたとおりに屋上に出て、よく晴れた空を見あげた。この頃にしてはめずらしく陽射しが穏やかで、乾いた風が気持ちよかった。夏がもうじき終わるということに、このときはじめて気付いた。
 空の端にうっすらとかすむ月を目で追って、エトゥリオルは目をしばたく。サムは三日前に、宇宙港に向かうシャトルに乗り込んでいった。今頃は月面のはずだ。そろそろ地球に向けて出発するころだろうか。
 サムは笑顔でシャトルに乗り込んでいったけれど、その背中を見送りながら、エトゥリオルは泣きそうだった。次に会えるのは何年先だろう――テラはあまりに遠い。
 それでここ数日、エトゥリオルは気落ちしていた。けれど、そのせいで集中力を欠いたのだとは思いたくなかった。仕事中には気をそらさずに、作業に没頭していたつもりだった。
 だからこそ、失敗が痛い。
 空を舞う同胞たちを眺めて、気持ちよさそうだなと、エトゥリオルはぼんやり考えた。
 屋上の端に近づいて、エトゥリオルは、翼を動かす真似をした。どんなに力を入れても、冗談のようにのろのろとしか動かない、役立たずの翼。
 わかっているのに、ときどき無意識に試してしまう。あるとき急に奇跡が起きて、翼が動くようになっているなんて、そんなことはあり得ない。

  ※  ※  ※

 言葉がきつい。人の気持ちがわからない。
 人生の中で、何度おなじことをいわれてきたかわからない。ジンは階段を上りながら、がりがりと頭を掻いた。こっちに来てからエレベータは使わない習慣が身についた。たかだか三階建てのオフィスだし、近ごろ仕事がおしていて、運動不足がひどい。
 気がふさいでいた。間違ったことをいったつもりはなかったけれど、間違っていなければいいというものでもない。
 ものには言い方というものがあるのだし、相手を見て言葉を選ぶことぐらい、いいかげん出来るようにならないといけない年齢だ。自分でも、わかってはいる。頭では。
 ――お前はものの言い方がきつい。
 まずその場にいた同僚から怒られて、あとで話を聞いたハーヴェイにまで、追加で説教された。だいたいお前の顔は怖いんだし――
 ジンは憮然とする。面相が悪いのは自分のせいではない。
 いや、どうだろう。人間性が顔つきに出ているのかもしれない。歩きながら、思わずジンは自分の顔をこすった。
 態度がきついのも、性根が曲がっているのも、自覚はある。人付き合いが下手なことも。気に食わない上司に皮肉を飛ばすくらいの性格の悪さは、もういまさら矯正するつもりもないが、部下のメンタリティに配慮しないというのは、また別の話だ、と思う。
 反省はしている。しかし、どう対処したらいいのかはわからなかった。
 たとえばハーヴェイなら、どうだろうか。生真面目な部下が失敗して青褪めていたら、冗談めかして笑い飛ばしてしまうだろう。それからさりげなく、重要なことだけを注意する。
 ジンは気の利いた冗談をいう自分を想像しようとして、すぐに諦めた。人には向き不向きというものがある。
 ため息が出る。過去にも部下を持った経験はないことはないが、どいつもこいつも日がな一日機械のことばっかり考えていて、頭のねじの一本も二本も飛んだようなやつらだった。神経が細いどころか、神経があるのかどうかも怪しいような連中。
 数式やロジックが相手なら、怖いことはない。ユーモアを交えて軽口をたたくとか、気のきいた励まし方をするとか、そういうことこそが、彼にとっては難敵だった。いい年をして――と、自分でも思う。思うが、なおらない。
 どう声をかけるか決めきれないまま、屋上のドアの前に来てしまった。
 ため息をひとつ。ドアを開けるべく、IDをかざす。かすかな電子音がして、ロックが外れる。
 屋上に出たジンは、すぐにはエトゥリオルの姿を見つけきれなかった。
 外の空気を吸ってこいといったが、その通りにしたのかどうかはわからない。階段に向かったという目撃情報があったので、咄嗟にここだと思ったのだが、あるいは階下に降りて、中庭あたりにいるかもしれなかった。
 O&Wの屋上は広々としている。地球のオフィスビルなら、転落防止の柵でも設けてあるところだが、トゥトゥは屋上をあたりまえのように玄関や通用口として使うから、そうした設備は作れない。彼らが飛び立ちやすいように、そのままだ。
 風が吹きつけて、ジンは顔をしかめた。屋上という場所が、彼は好きではない。いやな思い出があるのだった。
 ジンは物ごころついてからずっと、家族の誰とも折り合いが悪かったが、姉がその中でも極めつけだった。ありとあらゆるものを嫌っていて、人を傷つけることがなにより楽しくてしかたがない、そういう女だった。
 その姉が、一度、飛び降り自殺のまねごとをした。
 はじめはたしかに、まねごとだったのだと思う。当時の姉の恋人が、泡を食って止めに駆け寄ったときに、彼女のなかで、何かのスイッチが入ってしまったのだろう。姉は楽しくてしかたがないというように笑ったまま、ほんとうに屋上から身を投げた。
 先端医療の力というものを、あれほど感じたこともなかった。およそ頭蓋の中身さえ無事なら、ほとんどの体のパーツは再生してしまう――ぐちゃぐちゃに見えた姉は命を取り留めて、三か月後にはもとの彼女と見分けのつかない姿で、家に戻った。
 帰宅した姉と、眼が合った瞬間のことを、彼はいまでも覚えている。怯えるジンに気付くと、姉は笑った。楽しくてしかたがないという笑みだった。飛び降りた瞬間に浮かべていたのと、まったく同じ――
 首を振る。思いだして気分のいい記憶ではなかった。
 給水塔を回り込んで、ジンはぎょっとした。
 見慣れたまっしろな羽毛に、きれいな模様の茶斑。後ろ姿でも、見間違えようがなかった。
 エトゥリオルは、屋上のへりに立っていた。あと半歩でも身を乗り出せば、まっさかさまに落ちようかという、ぎりぎりのところに。
「――おい!」
 とっさに声が出た。驚かせると危ないだとか、そういうことを考える余裕はなかった。

  ※  ※  ※

 ぼんやりと空を見上げていたエトゥリオルは、背後に誰かの気配を感じた。誰だろう、ここから飛び立つつもりなら、僕がここにいたら邪魔になるかな――考えたのは、そんなことだった。
「おい!」
 それはジンの声だった。その切迫した響きに驚いて、エトゥリオルはとっさに振り返った。
 ジンは蒼白な顔をして、そこにいた。伸ばされたかけた手の意味がわからなくて、エトゥリオルは目をしばたいた。
 風が吹きつける。どこか空の高いところで、誰かの笑い声がしている。
 呼吸ふたつぶんほど考えて、ようやく察しがついた。どういう誤解をされたのかということに。
「――あ」
 ほとんど同時に、ジンもまた自身の誤解に気付いたようだった。普段はあまり慌てることのない上司が、珍しく動揺しているのが可笑しいような気がして、エトゥリオルは微笑んだ。
「いや――その、悪い、」
「いえ」
 エトゥリオルは首を振った。何でもないように笑えたと、自分では思う。
 ジンは何度か言葉を呑みこんで、それから真剣な顔で、頭を下げた。
「――すまない。つい何でも、とっさに自分たちの感覚でものを考えてしまう」
「そんな」
 エトゥリオルはもう一度首を振った。「心配してくださったんでしょう? ――ありがとうございます」
 空を飛べないのがあたりまえの彼らの感覚では、高いところから身を乗り出している人を見かけたら、とっさに心配するのが普通なのだろう。ジンの言葉におそらく、嘘はない。そう自分に言い聞かせながら、エトゥリオルは屋上のへりからさりげなく離れる。
「そろそろ休憩、終わりですよね。――戻ります」
 ああ――まだ慌てたような声の相槌を、背中で聞いて、足早にならないように、エトゥリオルは歩いた。
 IDカードをかざして、ドアを開ける。急がないように気をつけて、ゆっくりと階段を下りた。ジンの足音は、すぐには追いかけてこない。ほっとして、エトゥリオルは眼をしばたく。
 階段には窓がない。扉を閉めてしまえば、外が晴れていることもわからない。できれば誰も上がってこなければいいと願いながら、エトゥリオルは薄暗い階段を、一歩ずつ踏みしめる。
 この状況で心配されるトゥトゥなんて、僕ぐらいのものだろうなと考えて、エトゥリオルは小さく笑った。
 いちいちそんなふうに考えてしまう自分が、みじめだった。


    6


 設計畑には変人しかいない、というのは赴任半月めのときのジンの言だ。その言葉の客観的な真偽と他人事ぶりはさておいて、ヴェド支社の設計部にくせの強い人間が多いのは間違いない。
 エンジニアのアンドリューは、その筆頭だ。お気に入りの音楽がないと仕事が出来ないといって、勤務時間中にもかたときも私物のイアホンを外さない。
 彼はいついかなるときも――仕事中も移動中も風呂に入っているときも、睡眠中でさえ、彼のお気に入りの音楽を聴きつづけている。それでたまには静寂が恋しくなったりはしないのかと、周囲が不思議になるくらいなのだが、どうもそういうことはないようだ。
 いま彼が配置されているこの設計部は、作業音楽とは縁がないが、BGMが慣習になっている職場にいたときは、選曲が気に入らないといって、わざわざ専用のノイズキャンセラを作って自分の耳に届く音を消していた。その上からお気に入りの音楽を聴くのだ。
 ノーミュージック、ノーライフ。けっこうなポリシーだ。上司にどれだけ叱責されようが嫌味をいわれようが、アンドリューにちっともこたえるそぶりはなく、近ごろではもうなんだか皆がどうでもよくなって、見て見ぬふりを通されている。
 彼にいわせれば労働歌の文化は、地球人類がまだ猿だった太古の昔から連綿と受け継がれてきた、じつに理にかなったシステムなのだそうだ。曰く、みなが同じようにしないのが理解しがたい。
 ノリのいい音楽で常に気分を上げていくのが、能率的な作業遂行の秘訣――表だって同意を得られることはあまりないが、アンドリューはそのようなことは気にしない。
 その論が正しいかはさておき、彼がそのBGMのせいで人の話を聞き逃したり、音楽に熱中しすぎて手を止めたりしているようすは、特にみられない。それどころか彼は非常に腕のいいエンジニアで、これまでに上げてきた実績には、上司を黙らせるくらいの力は十分にある。
 彼のどこが筆頭扱いされるほど変なのかというと、そのイアホンが見た目だけの飾りで、実機能としてはまるきり役に立っていないというあたりだろうか。
 アンドリューの本当の音楽スピーカーは、外科的手術で側頭に埋め込まれた再生装置で、これは脳に直接信号を送る形で音楽を再現するので、外にはいっさい騒音を漏らさない。
 つまり、そのお飾りのイアホンさえ装着していなければ、アンドリューが音楽を聴きながら仕事をしているなんていうことは、周囲にはわからないし(本人がノリノリで歌いだしたりリズムをとったりしなければの話だが)、そうすれば上司とのあいだにいらない波風を立てることもない。
 それなのになぜ、わざわざ古式ゆかしき外観のイアホンを耳からのぞかせて、いかにもいま俺は音楽を聴いてるぜ! というファッションを、彼は貫いているのか。
 そのほうが気分が出るから、だそうだ。もう慣れ切ってしまって、同僚は誰もいまさらいちいちつっこまない。


 そのアンドリューが、珍しくインプラントの音楽再生装置を停止して、皆にも聞こえるように音楽をかけていた。古い戦争ムービーにでも小道具として出てきそうな、古色蒼然たるラジカセ――にそっくりの見た目をよそおった、最新式の音楽プレイヤーを持ち込んでいる。
 そんな趣味的なシロモノを、いったいどこから持ってきたのかというと、どうも自分で組み上げたらしい。工場から余った部品をがめているところを、複数の社員から目撃されている。
 フロアじゅうに響き渡る大音量だった。終業時刻は過ぎたとはいえ、まだほとんどのスタッフが残業している。
 そういう状況で、まっさきにうるさいといって怒りだしそうなジンが、これまた珍しいことに、手を止めて音楽に聴き入っている。
 それも無理もないくらい、美しい歌声だった。
 独唱だ。楽器の伴奏はないのだが、ときおり何か低い、ゆったりとした汽笛のような音が混じる。それがメロディーを、ふしぎと邪魔せずに調和している。
 歌い手の音域は非常に広い。トゥトゥの歌声だ。
「――いい歌だな」
 再生が終わったところで、ジンが思わずというふうに呟いた。その肩に、アンドリューが嬉しそうに腕をまわす。
「お前に音楽を理解する心があるっていうのは、嬉しい驚きだな」
 いって、アンドリューはジンの肩をばんばん叩く。無駄に力が強い。ジンがよろけてもちっとも気にせず、彼はふと気付いたように首をかしげる。
「そういやお前、せっかくこっちに来たのに、仕事仕事でまだほとんど遊んでないだろ」
「誰のせいだ?」
 呆れて、ジンは半眼になる。なんだかんだと面倒な仕事を押しつけてくるのは、たいていアンドリューだ。
「お前の要領が悪いだけだろ。遊ぶ時は遊ぶ、働くときは働く。オンオフの切り替えが大事なんだよ。ちょっとくらい休んで、小旅行にでもいってきたらどうだ?」
 アンドリューはいい考えだというように、自分の言葉に何度もうなずいている。
「――旅行っていったってなあ」
 ぼやくジンに、アンドリューは首をひねる。それからああ、と声を上げた。
「そうか、まだ出られないのか、お前」
 ジンは肩をすくめた。
 地球から移住してきた人間は、半年間は、移民街の外には出られない。それはトゥトゥの国家のどこかから要望があったというわけではなく、地球人の側が自発的に定めた、防疫のための条約だ。
 潜伏期間がもっと長い病気もないとは言い切れないが、航海中の期間もあるし、それに血液検査をはじめとするヘルスチェックは、到着前後に何度も重ねられている。現実的な妥協点として、半年――惑星ヴェドの暦でいう半年だから、およそ二〇〇日の線が引かれている。
 地球人の罹患する病気が、トゥトゥにも感染するという可能性は低いが、ウイルスや病原菌がトゥトゥの生態にあわせて変異する可能性は、捨てきれない――その逆もありうるように。
「まあ、マルゴ・トアフの中にも遊ぶ場所はあるさ。トゥトゥの歌に興味が出たなら、市民ホールに行ってみるといい。――ああ、ちょうど今日あたりが狙い目だぜ」
 端末のカレンダーをチェックして、アンドリューがいう。
「コンサートでもあるのか?」
「市民コンサートだけどな。こっちまで来てくれるプロの歌い手はなかなかいないが、アマチュアでも、じゅうぶん聴く価値はあるよ」
 アンドリューの言い分には説得力があった。なんせトゥトゥの音楽というのは、地球でもおおいに人気を呼んでいる。
 音楽データや絵画の複写のような情報商品は、地球との交易品目として、最大ベースのものになっている。というのも、星系間で品物をやりとりするのには、かなりの費用と時間がかかるからだ。そこまでのコストをかけても交易する価値のある商品というのは、あまり多くない。
 極端な話、こちらで発明した最新技術で作り上げた商品があったとして、それを地球まではるばる輸送しても、届いたときには向こうでは、とっくに時代遅れになっている可能性さえある。
 それに比べて、データのやりとりならば、ずっと早くできる。早いといっても時間はかかるが、ものを送るよりはずいぶんましだし、費用も安価で済む。実際のところジンも、地球にいたときに、何度かトゥトゥの楽曲を買って聴いたことがあった。
「だいたいトゥトゥって、歌うのが好きだよな。工場のやつらなんか、しょっちゅう歌いながら手を動かしてるしさ」
 嬉しそうにいうアンドリューには、トゥトゥの生歌が聴きたいがためにヴェド勤務を希望したという逸話がある。しかしそのためにエンジニアになったというのがどこまで本気なのかは、本人しか知らない。
 それほど音楽が好きならば、エンジニアなどせずに音楽業界で働いていてもよさそうなものだが、商業音楽の傾向と彼の嗜好には、ずれがあるらしかった。
「データならネットで買えるけど」ラジカセもどきをこつこつと叩いて、アンドリューは笑う。「でも、生で聴くとやっぱりぜんぜん違うぜ」
「そうだな……行ってみるかな」
 顔を上げて、ジンは隣の席を振り返る。「リオ、君も行かないか」
 驚いたエトゥリオルは、羽毛を膨らませて、きょろきょろ首を回した。
「僕、ですか?」
「君もこのごろ、ほとんど職場との往復になってるだろう?」
 エトゥリオルは何度かまばたきをして、それから頭を下げた。
「――ありがとうございます。お供します」
 その仰々しい言い回しが可笑しかったらしく、アンドリューが吹きだす。「お供、ねえ」
 周りで話を聞いていたほかのエンジニアたちまで、つられて笑いだす。なにを笑われているのかわからずに、エトゥリオルはきょろきょろと彼らの顔を見渡して、首をかしげた。

  ※  ※  ※

 夕暮れ時のマルゴ・トアフのステーションは、光に満ちていた。数えきれないほどの案内灯、照明、店の看板を彩るライト。
 この時間にトラムを下りてくるのは、出張や旅行から帰ってくる地球人が多い。逆にいまからトラムに乗り込むのは、自宅に戻るのだろう、トゥトゥの労働者たちだ。
 そんな流れに逆らうように、ひとりのトゥトゥがいま、ホームに降り立った。
 背が高い。体つきは引き締まって、どちらかというと細身なほうだが、骨格が大きい。羽色は腹側では真っ白で、背中や翼に入った斑は、オレンジがかった鮮やかな褐色をしている。その模様がまた華麗だった。トゥトゥ的にいうなら、いかにも女にモテそうな外見だ。
 鼻歌まじりに、彼は階段を上る。あちらこちらに気をとられながらの、いかにも気まぐれな足取りだが、そうして歩く姿が妙にさまになっている。すれ違うトゥトゥに振り向かれても、他人の視線を気にする様子はない。注目されるのに慣れているのだ。
 二階に出て、ロータリーから飛び立つ前に、彼は暮れなずむマルゴ・トアフの街並みを睥睨する。楽しそうに、その眼がきらめく。
「さて、異星人エイリアンの租界と聞いたから、どんな魔窟かとおもいきや。どうしてなかなか、楽しそうな街並みじゃないか」
 ポシェットを探って、彼は端末を取りだす。最新式の、とびきり薄くて頑丈なやつだ。画面に表示された地図は、一般的なトゥトゥの街のものよりも、ずっと表示が詳細だった――空から目標を探すことに長けているトゥトゥは、そもそもあまり地図の正確さいうものにこだわらない。
 端末を戻して、彼はふたたび街を見下ろす。
「ふむ。あのへんかな」
 歌うように独り言を漏らしながら、ロータリーの端へ。石畳を蹴爪で力強く蹴って、彼は大空に舞い上がった。大きな翼が、易々と風をとらえて高度を上げる。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはゆったりと羽ばたいて、マルゴ・トアフの空を旋回する。

  ※  ※  ※

 車窓から眺める夕暮れどきのメインストリートは、フェスティバルのときほどではないけれど、おおいににぎわっていた。ジンは目を細めて、喧騒を見やる。
 空を見上げれば、駅のほうに向かって飛んでゆくトゥトゥたちの姿。地上には地球人たちが目立っている。足早に帰るもの、いかにも残業中の買い出しといったふうのもの、仕事が引けて浮かれているのか、楽しそうにそこらの商業ビルを冷やかしているものも少なくない。
 ショーケースに並ぶさまざまな日用品、インテリア、衣料品。トゥトゥの羽毛を手入れするためのオイルと、人間用のヘアクリームが、同じ棚でいっしょくたに陳列されている。違法すれすれのインプラント改造ツールに、はてには何に使うのかよくわからないトゥトゥの民芸品まであった。雑多な商品のならぶ通りに、ちらほらと飲食店の看板も混じっている。
「ずいぶん賑わってるな」
「普通だよ。毎日毎晩飽きもせずにそこまで仕事漬けなのは、お前くらいだ」
 笑ってそういうハーヴェイも、半分は社屋に住みついているようなものだ。残業をさぼって無駄口を叩きにきたところで、出掛けようとするジンとエトゥリオルに気付いて、いい口実を見つけたといわんばかりに、そのままついてきた。
「ま、ようやく息抜きをする気になったのは、いいことだけど――こっちの音楽に興味が出たなら、いつか東部に行ってみたらいい」
「東部?」
「そう。クジラの歌が聴ける」
「――クジラがいるのか」
「地球の鯨類とはだいぶ違うけどね。大型の海洋哺乳類がいるよ。トゥトゥはよくいろんな生き物と合唱するけど、東のほうはとくに盛んなんだよ」
「アンドリューが再生してたのが、それですよ」
 エトゥリオルが口をはさんだ。歌声の後ろで響いていた音を思いだして、ジンは納得した。汽笛のような、ゆったりした低音。
 ハーヴェイが首をひねって、エトゥリオルのほうを振り返った。「鳥とも、よくいっしょに歌ったりするよな――あれって、どうやってるんだい。捕まえて訓練してるって感じじゃないよな」
「どうでしょう。そのときのステージで呼んでみて、来てくれた鳥と歌うんじゃないでしょうか」
「呼んだら来てくれるんだ?」
「そうですね――こんな感じで」
 エトゥリオルは喉を複雑に震わせて、いつもの話し声とは違う、高い音を立てる。「鳥の種類によって、呼び声が違うんです。いつも来てくれるとは限らないけど……」
 へえ、と感心したような声を上げて、ハーヴェイが目を輝かせる。
 ジンは車窓から、空に視線を向ける。今日は雲が多い。低いところを、何か黒っぽい鳥が飛んでいるのが見える。さすがに車中の声を聞きつけて舞い降りてくることはないようだった。
「そういえば、声で思いだしたんだけど、君らの名前って、産声なんだって?」
「あ、そうですね。第一声がそのまま名前になります。だけど、それって西部だけの風習らしいです」
「ああ、やっぱりそうなんだ。それでかな、似たような響きの名前が、けっこう多いよね――いや、ごめん、君たちの耳にははっきり聴き分けられるんだろうけど」
 ハーヴェイはばつの悪いような顔をしたが、エトゥリオルは笑って首を振った。
「いえ。似た名前のやつなんて、腐るほどいますよ。昔なんかは、生後三日以内に声を立てなかった子は、みんな名無しだったらしいし……」
 言葉を切って、エトゥリオルはくすりと笑う。「名前っていえば、笑い話が残ってるんですよ。ずっと昔の王様なんですけど、伝説があって。殻から出るのを待たないうちから、産まれおちて羽が乾くまでずっと、延々と声を上げ続けたんだとか」
 ハーヴェイが小さく吹き出す。「そりゃまた、周りは迷惑だったろうね」
「童歌にもなってます。そっちの方は誇張が入ってるらしいんですけど、とんでもなく長い名前だったのは本当で、公文書にも残ってるそうです」
「典礼とか、公式行事とか、いちいち大変だっただろうなあ」
 ハーヴェイはいって、くつくつと笑った。名前を正確に発音することが礼儀とされるトゥトゥの社会だ。途中で噛んだりしたら、目も当てられない。
「そこまでじゃないんですけど、うちの兄なんかも、名前が長くて。よくほかの人から面倒がられてます」
「あ、お兄さんがいるんだ。――あれ、でもトゥトゥって、あんまり兄弟といっしょに暮らしたりしないんじゃなかったっけ」
「そうですね。うちの場合はちょっと、兄が特殊で」
 トゥトゥは普通、子育てがひと段落して子どもがひとり立ちするまでは、次の卵を抱かない。子どものほうでも、育ってしまえばさっさと家を出て、そのあとはめったに親を頼ることもないから、兄弟の顔さえ知らない場合もめずらしくない。
「兄はなんていうか――いつまでもふらふらしてて、落ち着かなくて。とっくに家は出てるんですけど、僕がいるときも、しょっちゅう戻ってきてました」
「へえ――ああ、着いた」
 車が速度を落として、建物の前庭に入る。マルゴ・トアフにある車は、基本的に交通局の管理する無人タクシーばかりだ。自家用車というものがないから、当然ながら駐車場もない。次々に人を下ろしては、無人の車が去っていく。
 やってくる車の多さに、ジンは驚いた。市民コンサートだと聞いていたから、もっと小規模な催しだと思っていた。
「――本格的だな」
 ジンの呟きに、エトゥリオルがどぎまぎしたようすでうなずいた。人の多いところが苦手なのか、落ち着かないようすで冠羽をぴくぴく揺らしている。
 その様子を見て、ジンは口を開きかけた。言葉をさがして、ためらう。
 先日の屋上での一件を、あらためて謝りたかったけれど、ここ数日、ゆっくり話すタイミングをつかめなかった。アンドリューの話をいいきっかけと思って、連れ出してはみたものの、無理に付き合わせてしまったような気がして、いまさら気が咎めていた。
「おおい、入るよ」
 さっさと入場券を買ったハーヴェイが、二人に手を振る。
 開きかけた口を閉じて、ジンは歩きだす。コンサートが終わってからにしよう。


 一曲目と二曲目は市民合唱団による混声合唱で、七人のトゥトゥが舞台に並び、きれいなハーモニーを聴かせた。
 会場には音響設備もあるのだろうけれど、そうしたものが使われているような様子はない。そのままの声だけで充分なのだ。
 セミプロだという話が周囲の聴衆から漏れ聞こえてきたけれど、それも納得できる歌声だった。アドリブが入って、ときおり奔放に脱線するのに、それが全体にぴたりと調和している。
 コンサートホールは何百人と収容できそうな、りっぱなものだ。そこに、満席とはいかないが、けっこうな人数の観客が入っている。それだけの客席が、おおいに拍手でわいた。
「――たしかに、聴きに来る価値はあるな」
 ジンが思わずそういうのに、エトゥリオルが熱心にうなずいた。
 合唱団が挨拶をして、舞台のそでにひっこんだ。その直後、ふっと照明が落ちて、観客席にとまどうようなざわめきが起きた。
 舞台の上にスポットライトがともる。
 さきほどはそういう演出はなかった。何事かと舞台に注目する人々の視線を受けて、スポットライトが、軽やかに躍りだす。
 唐突に、大きな羽ばたきが響いた。
 舞台のそでから、ひとりのトゥトゥが躍り出る。まさしく躍り出る、というかんじだった。大きく翼を打ち鳴らして、飛びながら姿を現したのだ。
 派手な色をしたトゥトゥだ。胸元は純白だが、頭や背中はオレンジに近い褐色をしている。翼の先にいくほどその色があざやかに濃くなって、美しい模様の斑が入っている。
 舞台は、歌うには充分すぎるほど広いけれど、自由に飛びまわるには当然ながら狭い。その狭い舞台の上を、器用に飛びまわりながら、トゥトゥは歌い出す。
 朗々たる美声だった。
 はじめは驚いていた人々も、徐々に笑顔になって、このパフォーマンスを楽しみはじめる。途中からは、手拍子まで起こりはじめた。
 調子に乗ったトゥトゥの歌い手は、歌声を響かせながら、客席の上にまで躍り出る。抜け落ちた羽がひらひらと舞うのを、客席の地球人の子どもが、喜んでキャッチしている。
「ずいぶん派手だな……」
 歌を邪魔しないように、ジンは小声で呟いた。それから隣で、エトゥリオルがなぜかがっくりとうなだれているのに気がついた。
「――リオ?」
 エトゥリオルは頭を胴体にめりこまんばかりに縮めて、小さくなっている。トゥトゥのジェスチャーは、必ずしも地球人のそれと一致しないが、彼が何かいたたまれない様子でいるということは、ジンの目にも明らかだった。
「すみません――」
 エトゥリオルは縮こまったまま、唐突に謝った。ハーヴェイが振り向いて、怪訝そうな顔になる。
 なにを謝られているのかわからなくて、地球人ふたりが顔を見合わせる。エトゥリオルはうなだれたまま、消え入りそうな声でいった。
「……兄です」

  ※  ※  ※

 ステージが終わると、歌い手は袖に引っ込まずに、そのままばさばさと翼を鳴らしながら客席に飛び込んできた。
 ハーヴェイはとっさに軽くのけぞったけれど、エトゥリオルの兄は危なげなく客席のあいだを縫って、ふわりとそばの通路に降り立った。
「よう、元気にしてたかエトゥリオル!」
 席を立ったエトゥリオルが、胸ぐらをつかまんばかりの勢いで兄に詰め寄るのを見て、ハーヴェイは目を丸くする。
「こんなところで何やってるんだよ!」
 叫んでしまってから、周囲の視線を集めてしまっていることに気付いたようすで、エトゥリオルは羽毛を逆立てた。「とにかく、出るよ! ――すみません、すみません」
 周囲の観客に何度も頭を下げながら、エトゥリオルは兄の腕をぐいぐいひっぱってゆく。
「何って、可愛い弟がちゃんとやってるかどうか、心配になって見に来たんじゃないか……あ痛てて、乱暴にひっぱるなって、ハゲるだろ!」
 騒々しく出ていく兄弟を、いっときあっけにとられて見守ったあとで、ハーヴェイは我にかえった。
「――俺たちも出ようか」
「そうだな……」
 追いかけてホールを出るまでに、ふたりは点々と落ちている羽根を何枚もみかけた。
 ロビーの隅のほうで、兄弟は引き続き騒いでいた。
「心配することなかったか。ずいぶん元気そうじゃないか、弟よ」
「――たったいま元気じゃなくなったよ! なにやってんだよもう!」
 そこでようやく追いかけてきた二人の姿に気付いたらしく、エトゥリオルは顔を上げる。「なんていうか、すみません……」
「いや、謝らなくても。楽しそうなお兄さんじゃないか」
「似てない兄弟だな」
 口々に勝手なことをいう二人に、エイッティオ=ルル=ウィンニイはいまやっと気付いたようすで、大きく翼を広げて挨拶した。
「あ、どうもどうも、弟の上司の方です? こいつちゃんとお役に立ててます?」
 もちろんとうなずきながら、ハーヴェイはこんなに愛想のいい――というか調子のいいトゥトゥもなかなか珍しいなと思い、思っただけで口には出さなかった。ジンはいつものように、愛想にかける態度ではあったが、真面目な顔で即答した。「いつも助けられてる」
 それを聞いたエトゥリオルが、羽を膨らませて固まってしまう。弟の様子を見たエイッティオ=ルル=ウィンニイは、おお、こいつさては照れているなといって、大きく笑った。
 ハーヴェイもつられて、くすりと笑った。「――だけど、すごいな。噂をすれば影って、ほんとなんだなあ」
「あ、そういう格言、こっちにもありますよ」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはそういいながら、ははーんという顔をして、顎をさすった。
「エトゥリオルよ、職場のひとと仲がいいのは素晴らしいことだが、いい年をして身内の自慢話をするのは、あまり格好のいいことじゃないぜ?」
「なんで自慢だと思うんだよ。名前の話をしただけだよ」
「ああ、俺の美声は生まれつきだっていう話か」
「エイッティオ=ルル=ウィンニイは生後三日から口が減らないっていう話だよ! だいたい、僕の顔を見に来たんなら、なんでこんなところで歌ってるのさ……」
「それはお前が悪い」
 断言されて、エトゥリオルがひるむ。エイッティオ=ルル=ウィンニイは真面目な顔になって、懇々と弟にいい諭した。
「弟よ、まめに知らせをよこすのはいいが、お前はいつも肝心なところが抜けている。肝心の住所が書いてなかったぞ」
「前もって連絡すればいいじゃないか」
「馬鹿だなあ、お前。いきなり来て驚かせるのがいいんじゃないか」
 きっぱりといって、エイッティオ=ルル=ウィンニイは翼を振る。「まあ、会社の場所はわかったから、そっちに行ってみるつもりだったんだけどな。トラムに乗り遅れて、着いたのが夕方だったんだよ。いちおう会社の前までは行ってみたんだが、どうも終業時間は過ぎてるようだったし」
 ひとまずどこかに泊まって、明日にでも出なおすつもりで、人通りの多いほうに飛んできたのだと、エイッティオ=ルル=ウィンニイはいった。
「だけど、ここの前を通りかかったら、なんだか楽しそうなことをやってるし、受付で訊いたら、飛び入りでもいいっていうから、これは俺の出番だろうと思ったのさ。まさかお前がいるとは思わなかったが」
 これも血の絆というやつだろうかなあといって、エイッティオ=ルル=ウィンニイはうんうんとうなずいた。
 エトゥリオルが、がっくりとうなだれる。「なんていうか、色々とすみません……」
「だから、別に謝らなくても」
 エトゥリオルのようすが珍しくて、ハーヴェイは笑った。「せっかくだから、君、明日は仕事休んで、お兄さんと一緒にあちこち見物して回ったら? まだあんまりこっちの観光もしてないんだろ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
 エトゥリオルがきっぱりと首を振るのに、エイッティオ=ルル=ウィンニイが残念そうな顔をする。「なんだ、真面目なやつだなあ」
「っていうか、いやです」
「弟よ!?」
「仲がいいなあ」
 笑って、ハーヴェイは首をかしげた。「ええと――エイッティオ=ルル=ウィンニイ?」
 呼びかけると、エイッティオ=ルル=ウィンニイは面白がるような顔をした。
「はいはい、なんでしょう」
「まだ宿が見つかってないんだったら、社員寮に泊まられたらいいですよ。どんなところで弟さんが暮らしてるのか、一度見ておかれたら安心でしょう。許可、取っておきます」
「おお、ありがとうございます!」
 嬉しそうにいって、エイッティオ=ルル=ウィンニイはエトゥリオルの背中を抱く。「弟よ、今夜は久々に語り明かそうじゃないか!」
「いやだよ、明日も仕事なのに」
 げんなりしたようすで、エトゥリオルがうなだれる。エイッティオ=ルル=ウィンニイは気にした様子もなく、弟の背中をばんばん叩いた。

   ※  ※  ※

 車を停めて、二人を寮の前でおろしてから、ジンとハーヴェイはそのまま社屋に戻った。無理をして時間を作りはしたけれど、ふたりとも仕事は山積している。
 日はとうに落ちているけれど、支社の廊下は浩々と明るい。部署によっては遠方の取引先や空港と連絡を取る都合から、深夜まで交代で人が詰めている。
「いやー、リオはあんな顔もするんだなあ。すごいな、家族って」
 ハーヴェイが感慨深げにいうのに、ジンはうなずいた。その顔を覗き込んできて、ハーヴェイは笑う。「お前、羨ましそうな顔してるぜ」
「そうか?」
 自分の顔を手でこすって、ジンは苦笑した。「……そうだな。たしかに、羨ましいな」
 ハーヴェイは目を丸くして、足を止めた。
 つられて立ち止まったジンが、怪訝な視線を向けると、ハーヴェイは感慨深げにため息をついた。
「お前、変わってないようで、やっぱり変わったよなあ。十年って長いな」
「うるさいな。お互い様だろう」
 顔をしかめて、ジンは手を振った。気にするようすもなく、ハーヴェイはにやりと笑う。「リオは、元気が出たようじゃないか」
「――落ち込んでたの、わかったか」
「そりゃ、わかるよ。お前なあ、耳タコだと思うけど、もっとなんでも気楽にやれよ。ユーモアって大事なんだぜ? リオも真面目なんだから、二人とも真面目くさった顔を突き合わせてたら、息抜きってもんができないだろう」
 しかつめらしい顔で、ハーヴェイがいう。ジンは憮然としながらも、うなずいた。「アンドリューからも言われた」
「まあ、気の利いたことをいうお前は気色悪いけどな」
「どっちだよ……」
 ぼやいて、ジンは窓に視線を投げる。そこからちょうど、寮の灯りが見えている。
 ふと、ジンは微笑んだ。いまごろは兄弟で、また騒々しく喧嘩の続きをしているだろうか。

   ※  ※  ※

 エイッティオ=ルル=ウィンニイはなかなか眠ろうとしなかった。眠る姿勢で寝床に座ったまま、ひっきりなしに弟に話しかける。まるで合宿中の学生のようなテンションだ。
「いやあ、それにしてもこんなところで働いてるっていうから、心配してたけど、エイリアンにしてはなかなか、気のいい連中みたいじゃないか」
 エトゥリオルはむっとして口をはさみかけたが、エイッティオ=ルル=ウィンニイは慣れた呼吸で先を封じた。「いい勤め先が見つかってよかったなあ、お前」
 しみじみした口調だった。
「――うん」
 素直にうなずいて、エトゥリオルは窓の外に視線を向けた。ここからカンパニーの社屋が見える。まだ窓の奥に、照明がのぞいている。
 ジンは仕事に戻って行った。
 本当は忙しいはずなのに、市民コンサートを口実に、時間を取ってくれた。たぶん、エトゥリオルが落ち込んでいたのを気にして。
 その気遣いが嬉しかったけれど、それ以上に、申し訳なかった。まだ戦力にならない自分がくやしくもあった。
「あの赤毛のほう、俺の名前、きっちり呼んだなあ。もうちょっとで噛みそうだったけど」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは、上機嫌な調子でそういった。
 エトゥリオルは自分の羽をひっぱって、ちょっとためらってから、いった。「仕方ないんだよ――だいたい、喉のつくりが違うんだから」
「知ってる」エイッティオ=ルル=ウィンニイはあっさりうなずく。「それなのに頑張って発音したから、いいやつそうだなと思ったんだよ」
 エトゥリオルは、とっさに反応に困った。困って、いった。
「――そんなにいちいち心配してくれなくていいよ」
「お、生意気いうようになったなあ。昔は俺が会いに行くたびに、足元をちょろちょろつきまとって、べったりへばりついてきてたのに」
「そんなチビの頃の話なんか、不可抗力だろ」
 嘴を下げて、エトゥリオルは憮然とする。エイッティオ=ルル=ウィンニイは笑って聞き流した。
「お前、あいつらの会社で何してんの」
 エトゥリオルは答えるのを、わずかにためらった。前に送ったメールのなかでも、仕事の中身はぼかしていたのだった。
 けれど結局、エトゥリオルは答えた。
「機械をつくる仕事」
「機械、ね」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは繰り返した。その声に、皮肉の響きはなかったけれど、エトゥリオルは逡巡した。いっときためらってから、付け足した。「飛行機とか。――まだ、作ったことないけど」
 兄がどういう反応をするか、エトゥリオルは固唾をのんで待った。エイッティオ=ルル=ウィンニイの顔を見られずに、背を向けて窓の方を向いたまま、じっと黙っていた。
「飛行機か」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイのあいづちは、あっさりしたものだった。その声には、批難の調子は感じとれない。
 エトゥリオルはいっときそのままじっとしていたけれど、結局、がまんできずに兄のほうを振り返った。
「――反対する?」
「なんで?」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはそういって、笑い飛ばした。「でかいものを作るのって、面白そうじゃないか」
 またいっとき黙り込んで、エトゥリオルは翼をぴくぴくさせた。
「――怒るかと思った」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは、小さく首をかしげた。それからふっと、真面目な調子でいった。「まあ、世間の風当たりは強いよな」
 それでも、だからやめろとは、エイッティオ=ルル=ウィンニイはいわなかった。そのかわりに翼を伸ばして、エトゥリオルの背中を、軽く叩いた。
「頑張れ」
「――うん」
 それきり、エイッティオ=ルル=ウィンニイは話すのをやめた。
 兄がほんとうに眠ってしまったのか、寝た振りをしているのか、エトゥリオルにはわからなかった。
 そのままいっとき眠ろうとせずに、エトゥリオルは窓の外を見ていた。
 自動車が裏手の道を通りかかるらしい、かすかな走行音がする。夜行性の鳥の羽ばたきが、窓の外を横切って行った。


    7


 ハーヴェイがジンと知り合ったのは、大学の教養課程でのことだ。
 ジンは周囲から浮きに浮いていた。飛び級を重ねて入学したのはハーヴェイ自身も同じことだったが、東洋人は若く見られるから、ジンは講堂の中でひとりだけ、まるきり子どものように見えた。それでいて優秀なのは飛びきりだったから、よく目立ったし、人の妬みも買った。
 似たりよったりの状況にあったハーヴェイのほうはというと、社交というものに心血を注ぐ父親を見て育ったこともあって、人の嫉妬をかわしてそつなく振る舞うことに慣れていた。
 けれど、ジンはそうではないようだった。言葉も文化も違うところからひとりでやってきたためか、あるいは生来の性分か、とにかく口数が少なく、愛想がない。それで面白いように敵を作っていた。
 もっとも、本人は向けられる悪意にも素知らぬ顔をしていたから、やはり口下手なのはもとからの性分で、その手のやっかみには慣れていたのかもしれない。
 つるむようになったのは、ハーヴェイの起こした気まぐれだ。年の近い同期生が少なかったこともあるが、あまりにも周囲と衝突を起こすので、見ているうちにだんだん面白くなってきた。本人は他人に興味のないようすで、積極的に関わろうともしていないのに、周りのほうでほうっておかない。しょっちゅう絡まれて、そうなるとうまくあしらえずに衝突する。それで、ついおせっかいを焼いて仲裁をするくせがついた。
 話す機会が増えてわかったのは、ジンが馬鹿だということだ。
 適当に答えておけばいい場面で嘘がつけない。そのくせ、いわなくていいことはいう。愛想笑いができない。不機嫌になればすぐ顔に出る。融通がきかず、人の話を真に受けすぎる。
 要は、真面目すぎるのだ。それで馬鹿を見る。
 そのよく出来たおつむを、もうちょっと別のことにも使ったらどうだと、三日にいっぺんは思った。二度に一度は本人に向かっていったが、ジンは面倒くさそうな顔をするだけで、一向に態度を改めなかった。そうやって周りとぶつかってばかりいるほうが、よほど面倒だろうに。
 馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、その馬鹿さに救われていたのが自分のほうだと気付いたのは、卒業してメディカル・スクールに進んだ後、会う機会も少なくなってからのことだ。

   ※  ※  ※

 O&Wカンパニーの社屋は広い。
 従業員三百人規模の会社といえば、地球でなら珍しくもなんともないが、ヴェドにそれだけの社員を置いている企業は、指折り数えるほどしかない。そのO&Wの社屋には、もしここが地球の大都市圏であれば、千人かそこらは詰めているような、尋常でない広さがある。条例によって高層ビルは作れないから、そのぶん横にだだっ広い。
 そうした空間の余裕は、O&Wに限ったことではなく、おおむねどの企業も、ゆったりとしたオフィスを持っている。これはマルゴ・トアフのある地方が、もともとトゥトゥにとってそれほど魅力的な土地柄でなかったというのもあるが、あるいは彼らが土地に関して気前がいいことの、ひとつの証左でもあるかもしれない。
 トゥトゥは旅が好きなだけではなく、移住も気楽にどんどんやる。気に入らない土地に、無理をしてまで住み続けたりはしない。ナワバリ意識がそれほど強くないのは、どこにいってもともかく生きてはいける、彼らの強靭さに由来するものかもしれない。トゥトゥは生物として、強い種族だ。地球人類とは比べものにならないほど。
 その気前のいい彼らのおかげでだだっ広い社屋の、ゆったりとした廊下を、ハーヴェイは足早に歩く。来客を出迎えるためにロビーまでいったら、相手の姿がなかったのだ。
 同僚とぶつかりそうになりながら角を曲がったところで、ハーヴェイはほっと息をついた。目当ての人物が、廊下の先を歩いていた。
 壮年の、風采のいいトゥトゥだ。西部の伝統で、医師であることをしめす刺青を嘴の横に入れている。体格がよく、羽がつやつやしており、またそうした要素以上に、表情やしぐさの醸し出す印象が大きい。どっしりした歩き方には、まさしく威風堂々といった趣きがある。
 すれ違う社員が、トゥトゥも地球人もひとしく驚いて、振り返っている。注目を浴びながら、そんなことは気にも留めないように、医師は泰然と背筋を伸ばして歩いている。
 ハーヴェイは見習って自らも背筋を伸ばし、足を速めて医師に近づいた。
「ロビーにお迎えに上がったらお姿がないので、慌てました」
 医師は足を止めて、じろりとハーヴェイをにらんだ。
「出迎えはいらんといったつもりだが。こんな場所で道に迷うほど、耄碌もうろくしてはおらん」
 その声は太く、眼光は鋭かった。「あんた方はそれが礼儀というが。それでは礼儀なんだか、ひとを馬鹿にしとるんだか、ちっともわからん」
 苦笑を噛み殺して、ハーヴェイは頭を下げる。「お気を悪くされたなら、申し訳ありません」
 医師は一拍ののちに眼を細めて、嘴を上に向けた。笑ったのだとハーヴェイが気付いたのは、少し遅れてからだった。
「いや。こちらも大人げのないことをいった。――あんたが連絡をくれた医師だな。ギイ=ギイだ」
「ハーヴェイ・トラストです。――遠くから、ありがとうございます」
 名乗り返して、ハーヴェイは医師の横を歩く。背後に従うように歩かれるのが、トゥトゥにとってはあまり気持ちのいい習慣でないというのは、ハーヴェイも知っていた。
 医師を応接室に通して、ハーヴェイはあらためて礼をいった。「――感謝します。これまでなかなか、ここまで足を運んでくださる方がみつからなくて」
 ハーヴェイは当然ながら、地球人を相手にした医師資格しか持たない。彼も前任者も、そのことに危機感を抱きつつも、トゥトゥの医療を本格的に学ぶ時間までは取れずにいた。日々の業務に追われる中で、合間に時間を作ってトゥトゥの医学書や文献に目を通すのがせいぜいだ。
 中央医療センターの医師たちも、その点は似たようなものだ。おかげでこれまでずっと、トゥトゥの従業員には、助成を出してほかの町で健康診断を受けてもらうことしかできなかった。
「ですが、あなたのような高名な方においでいただけるとは、正直なところ、思っていませんでした」
 ハーヴェイは世辞でも追従でもなく、真面目にいった。ギイ=ギイは名の知れた医師だ。彼の論文を、ハーヴェイはいくつも読んだことがある。
 腕のいい医者であればもちろん助かるが、ギイ=ギイのように名の知れ渡った大御所が、まさか自ら乗りこんでくるとは思わなかった。
 なぜだろうと、ハーヴェイは内心で首をかしげていた。ここは救急医療の現場でもなければ、難しい病気を抱えた患者が大勢いる場所というのでもない。さしあたって求めていたのは、健康診断医だ。報酬も破格というほどではないし、異星人嫌いのトゥトゥもまだ多い中で、地球系企業から引き受ける仕事が、たいした名誉になるとも思えなかった。
「――先日、トラムを利用した」
 医師は出された茶のにおいを嗅ぎながら、おもむろにいった。話の転換についてゆけないハーヴェイを気にも留めず、ギイ=ギイは続ける。
「年は取りたくないものだ。昔ならさっさと自分で飛んでいたような距離だというのに――まあ、それはいい。乗り合わせた車両で、急患が出たのだ。テラ系の女だった。私の目の前で急に倒れて、意識はあったが、唇が真っ青になっておった。同じ車両に、テラ系の医者はおらなんだ」
 医師のかぎづめに力がこもっているのを、ハーヴェイは見た。湯呑みを割るのではないかと心配になるような手つきだった。
「幸いにも、大事には至らんかったようだが――その場に居合わせておきながら、何もできなんだ。どういう処置をするべきなのかもわからん、命の危険があるのかどうかも見分けがつかん。――この私が、だ」
 医師は湯呑をテーブルに叩きつけると、怨念のこもった口調でいった。「屈辱である」
 ハーヴェイは思わず口元をほころばせた。なるほどこれは、噂にたがわない立派な人物なのだろうと思った。
 医師はいっときそのまま不機嫌そうに押し黙っていたが、やがて煮えたぎるような口調でいった。
「空いた時間に、そちらの職分の邪魔にならん範囲でけっこうだ。応急処置なりと、ご教示賜りたい」
 いい終えて、医師はじっとハーヴェイを見つめた。
 この眼を知っている、とハーヴェイは思った。馬鹿がつくほど真面目で融通のきかない人間の眼。専門分野のうちで自分の知らないことのあるのが許せない、頑固者の眼だ。
 破願して、ハーヴェイは頭を下げた。
「――こちらこそ、勉強させてください」

   ※  ※  ※

 エトゥリオルは出勤して廊下にジンの顔を見つけるなり、恐縮しきって頭を下げた。
「昨日はすみません……」
 並んで歩きながら、ジンは首を振る。「いい兄貴じゃないか」
「――はい」
 エトゥリオルは素直にうなずいた。ジンが意外そうな顔をしたことに、エトゥリオルは気付かない。うつむいて歩きながら、話を続けた。「昨日は、兄がいつまでも親のすねをかじっているようなことをいいましたけど――本当は、そういうふりをして、僕の様子を見に来てくれていたんです」
 エトゥリオルはいいながら、翼をわずかに動かす。
「僕がこうだから……心配してくれてるんです。過保護すぎるって、よくひとから笑われるんですけど」
「――いいな」
 微笑んで、ジンはいう。エトゥリオルは反応に困って、首をかしげた。
 設計部のフロアに辿りつくと、打ち合わせ用の机の上に、アンドリューが手足を伸ばして寝こけていた。エトゥリオルは困惑して、隣の上司の顔を見上げる。そこで、ジンの目元の隈に気付いた。
 寮にも帰らずに、徹夜で働いていたのではないか。
 エトゥリオルは反射的に、謝ろうとした。けれどそれを遮るようなタイミングで、ジンがぽつりといった。「俺には君たちが、羨ましい」
 その眼は、どこか遠くを見ていた。
 いつだか家族と不仲だといっていた、ジンの言葉を、エトゥリオルは思いだした。家族構成をたしかめたことはなかったが、兄弟がいるのだろうか。彼らはトゥトゥと違って、兄弟と一緒に育つことが多いと聞いていた。
 エトゥリオルは訊くのをためらい、ジンもすぐには話を続けなかった。
 静かなオフィスに、機械の作動音と、アンドリューの鼾だけが響いている。いっときして、ようやくジンが口を開いた。
「俺はとにかく、自分の家族が好きになれなくてな。それでさっさと奨学金をもらって留学したし――最初の就職先も、故郷から少しでも遠い場所をと思って選んだんだ。あとからO&Wに移ったのも、先々こっちに来れるっていう条件があったからだった」
 微苦笑を浮かべながら、ジンはいった。それは、過去の自分の幼さを笑っているように、エトゥリオルの眼にはうつった。
「いい家族じゃなかったが、俺のほうにも問題があった。家族に愛される努力も、愛する努力もしなかったしな。それに、昔から人間自体が、どうも好きになれなくて――報道で見聞きする君たちの話にやたらに憧れたのも、そういうことがあったからかもしれない」
 ジンは自分のデスクについて、書類をディスプレイに表示させたが、ふと思い直したように、その表示を図面に切り替えた。それはいつか見た、航空機の図面だった。
「俺は勝手に、君らの姿に理想を重ねてたんだろう。だが実際に来てみれば、トゥトゥにだって、いいやつもいやなやつもいるし――考えてみれば、そんなのは当たり前のことなんだけどな。どこに行ったって、俺自身の問題が解決しないかぎりは、同じことだ」
 そこまでいって、ジンは視線を図面から外し、エトゥリオルのほうに向きなおった。
「俺はどうも、ひとの心の機微っていうものが――いや、そういうことじゃないな」
 嘆息をついて、ジンは一度、言葉を切った。それから頭を下げた。「この間は、すまなかった」
 エトゥリオルはびっくりして、羽毛を逆立てた。すぐに言葉が出てこなかった。
「――ミスをしたのは僕です」
 いって、エトゥリオルはうつむいた。昨夜、おそらくは徹夜で片付けたのだろう作業だって、自分の失敗のフォローがなければ、おそらくもう少し早く済んだ。
「そういうことじゃない。俺の思い込みで、君を傷つけた」
 エトゥリオルは言葉につまった。違う、と思った。ジンが何かをしたわけじゃない。勝手に傷ついたのは、自分のほうだ。勝手にひがんで――
 そういおうと思った。けれど言葉は喉の奥につっかえて、どうしても出てこなかった。
「――屋上、好きなんです」
 そのかわりに、エトゥリオルはいった。「昔、小さいころに一度だけ、エイッティオ=ルル=ウィンニイの背中に乗せてもらって、空を飛んだことがあります」
 そうか、とジンはいった。それから迷って、何かをいいかけた。
 そのときほかのスタッフが、そろってオフィスに入ってきて、ジンは言葉を飲み込んだ。もう始業時間だ。
 エトゥリオルは頭を下げて、端末に向き直った。今度こそ自分に任された仕事を、きっちりやりとげなくてはならない。


『覚えてるとは思うけど、午後から健康診断だからね』
 ハーヴェイから念押しの内線があったのは、昼休みの直前のことだ。
 食事を終えて廊下を歩きながら、エトゥリオルの足取りは重かった。医者というものに、あまりいい思い出がない。
 健康診断。ふしぎな制度だと、エトゥリオルは思う。トゥトゥの企業ではふつう、そういうことはやらない。
「失礼します」
 医務室に入るのは、初めてだった。その隣の、ハーヴェイの事務室になら行ったことがあるが、入社してからこっち、怪我も病気もしていない。
 漠然と想像していたより、医務室は広かった。たくさんの機械が並んでいるのは、今日が健康診断の日だからだろうか、それともいつもこうなのだろうか。
 机の前に、立派な風采のトゥトゥが座っている。その嘴に医師であることを示す刺青があるのを見て、エトゥリオルは足を止めた。先に入っていたトゥトゥの作業員が、医師と向かい合って問診を受けている。
「入って入って」
 ハーヴェイに手招きされて、エトゥリオルはおっかなびっくり中に足を踏み入れる。どうやら基本的な計測はハーヴェイと、助手らしいもうひとりの地球人が担当して、そのあとにトゥトゥの医師が、問診をしているようだった。
 エトゥリオルは血を抜かれ、よくわからない機械に乗せられて、何だか見当もつかない数値を計られた。いつか自分の骨格の画像を見せられたときのことを思い出して、つい顔がひきつる。
「うん、あとは問診だけだね。――リオ? そんなに緊張しなくてもいいのに」
 ハーヴェイに笑われて、エトゥリオルはなんとか微笑みを返した。
「すみません、こういうの慣れなくて……」
 医師の前に座るとき、エトゥリオルはやっぱり緊張した。どうしても落ち着きなく身じろぎしてしまう。
 医師は、なぜかハーヴェイが差し出すカルテも受け取らずに、いっときエトゥリオルの顔を凝視していた。エトゥリオルがますます委縮して小さくなるのを、じっと見つめたあとで、おもむろに医師は口を開いた。
「リオというのが、君の名前かね」
 鋭い声だった。エトゥリオルはびくりとして、羽毛を逆立てた。ハーヴェイが医師の隣で、しまったという顔をした。
 一瞬、嘘をつこうかと思ったが、エトゥリオルはすぐに思い直した。ハーヴェイの手のカルテが視界に入ったからだ。どうせすぐにばれる。
「――エトゥリオルです」
 医師はゆっくりと瞬きをして、顎を引いた。その仕草から漏れだす怒りの気配に、エトゥリオルはとっさにその場から逃げ出したくなった。けれど医師は彼にではなく、ハーヴェイのほうを振り返って、怒声を発した。
「即刻やめてもらいたい。そちらの文化だか伝統だかを悪くいうのは本意ではないが、トゥトゥにはトゥトゥの流儀というものがある」
「――僕のほうから頼んだんです!」
 エトゥリオルは慌てて叫んだ。医師は首を戻して、じろりとエトゥリオルをにらむと、無言で顎をそらして、説明を求めた。
 しどろもどろになって、エトゥリオルは説明した。テラ系の友人が出来て、彼らのニックネームの習慣が羨ましかったこと、彼らと親しくなりたかったこと。医師は押し黙ったまま、彼の言い分を最後まで聞いて、それからいった。
「こういうことは、君ひとりの問題ではない」
 もう怒鳴ってはいなかったが、医師の声はまだあきらかに怒っていた。エトゥリオルは体を縮める。
「君がそれでよくとも、彼らがそれに慣れて、当たり前のように感じるようになっては、ほかのトゥトゥが迷惑をする。悪くすれば、無用の軋轢を生むかもしれん。違うかね」
 ぴしゃりといわれて、エトゥリオルはうつむく。謝るべきだという自分と、謝ってはいけないという自分が、胸の中でせめぎ合っていた。
 反論が喉のところまでせり上がっていた。自らの名前を誇り重んじるトゥトゥの伝統が、悪いとはいわない。だけどそれなら、自分を誇れないトゥトゥはどうしたらいい。
 黙り込んだエトゥリオルの代わりに、ハーヴェイが頭を下げた。
「僕らが安易でした。気をつけます」
 エトゥリオルはぱっと顔を上げた。ハーヴェイと眼があう。彼は首を振って、申し訳なさそうな顔をした。エトゥリオルにもわかっていた。医師のいうことが正論であることも、この頑固な医師の前では、とりあえず謝っておいたほうがいいのだということも。
 医師は首を振って、気をとりなおしたように問診を始めた。
 自分の震えるかぎづめを見つめたまま、エトゥリオルは質問に答えた。頭の中を言い訳めいた言葉がぐるぐると回っていた。健康に関していくつものことを訊かれたが、エトゥリオルは自分が何を答えているのか、よくわかってもいなかった。

   ※  ※  ※

 ハーヴェイはほっと息をついて、計測器具を片付け始めた。半日かからずに、全員の健康診断が終わった。トゥトゥの社員の数は、まだそれほど多くない。
「――やれ。すっかり嫌われてしまったな」
 ひと仕事おえたギイ=ギイが、ふっと、そんなふうにこぼした。見れば、苦笑している。その横顔には、もう怒りの気配はなかった。
「エトゥリオルのことですか」
 ハーヴェイが訊くと、医師はうなずいて、軽く羽を広げた。
「委縮させたかったわけではないのだが」
 ギイ=ギイは渋面になった。その表情に、よく言動を誤解される友人のことを思い出して、ハーヴェイは思わず微笑んだ。「ええ、わかります」
 エトゥリオルは問診が終わると、ほとんど逃げ出すように診察室を出て行った。ハーヴェイは罪悪感を覚える。自分の不注意のせいで、気の毒なことをしてしまった。
「たかだか呼び名の問題と、あんたがたは思うかもしれんが、そうしたところから、自意識というものは変容するのだ」
 ギイ=ギイは重ねていう。ハーヴェイはうなずいて、もう一度詫びた。
「そういえば、すぐお分かりになったんですね」
 リオというのが彼の本名ではないと、カルテを見る前に、医師は看破した。ハーヴェイが訊くと、医師は首を振った。
「医療関係者のあいだでは、有名な子だ」
 その答えに、ハーヴェイは驚いた。医師は窓の外を見て、つぶやくようにいった。「飛べないトゥトゥというのは、そう多くはないのだ」
 ハーヴェイは返答に迷った。先天性な欠陥で飛べない子どもが、近年、徐々に増えているという報道記事を、眼にしたことがあったからだ。
 ギイ=ギイは彼の戸惑いを察したように、ふと神妙な顔つきになった。
「ほんの百年ほど前には、早いうちに飛べないと分かれば、その子どもは殺されていた――野蛮な話だと思うかね」
 ハーヴェイはうなずきも、首を振りもしなかった。
 トゥトゥの文化や社会性は、むしろ地球のそれよりも、よほど洗練されている。科学技術にしたところで、総合すれば地球の方がいくらか進んでいるにせよ、そう極端に差があるわけではない。
 これほどまでに進んだ文明をもつ種族が、飛べなければ子どもを殺してしまうという風習を、つい最近まで残していたというのは、ハーヴェイには納得のしがたい話だった。野生の鳥ならば、そういうものだろうが――自力で生きられない雛の面倒を、いつまでも見続ける親鳥はいない。
「僕らの故郷にも、かつて似たような風習がありました。僕らには、あなた方を批難する権利はないと思います」
 ハーヴェイはためらって、言葉を足した。「ただ、エトゥリオルを見ていると……飛べないというだけで、なぜそこまでしなくてはならないのか、とは思います」
 ギイ=ギイは眼を金色に光らせて、うなずいた。
「そこに、どうもあんたがたの誤解があるようだ。飛べなければトゥトゥには生きている価値がないというのではない――そもそも飛べなければ、普通のトゥトゥは、弱って死んでしまうものなのだ」
 医師はそういって、かぎづめの手を組んだ。「三歳から四歳のあたりで、トゥトゥの体は作り変わる。代謝量が変わり、内臓の大きさが変わり、筋肉のつき方が変わる。五歳以降のトゥトゥの体は、そもそも飛ぶことを前提にできておる。翼に怪我でもしてひと月も飛ばないでおれば、すっかり内臓が委縮して、弱って死んでしまう……」
 医師は言葉を切って、翼を鳴らした。「それが長年の常識だった――いや、いまでもほとんどの子が、そうなのだ」
 ギイ=ギイはため息とともに続けた。まず育ちあがらんとわかっている子を、そうとわかって育てろというのもまた、親にとっては酷な話だと。
「だが、近年になって、彼のような子が、ちらほら出てきた――飛べないまま育って、そのまま成人するトゥトゥが」
 医師はいって、カルテを眺めた。いたって健康そうにしているにもかかわらず、トゥトゥの標準的な数値を逸脱した、エトゥリオルの診断結果を。
「――勉強不足でした」
 ハーヴェイは恥じ入った。折に触れて、トゥトゥの医学に関する文献も、少しずつ読んできたつもりだった。それなのに肝心なことを知らなかった。
 無理もない、あまり書きたがるもののいないことがらだからと、ギイ=ギイはいった。
「報道はいつも、彼らのような子の増加を、トゥトゥの退化だという。文明に浴しすぎて飛べなくなった、発展の落とす影だと」
 ギイ=ギイは苦々しくいって、首を振る。「そういう側面も、あるかもわからん。だが、見ようによっては、進化なのかもしれんのだ――トゥトゥが樹上で生きることを捨てて、地上に住みかを構えるようになってから、何百万年も経ったいまになって、ようやく、空を飛ばずとも生きられる子が出てきた」
 ギイ=ギイは半ばひとりごとのように続けた。
「だからこそ、彼のようなトゥトゥには、矜持を持ってもらいたい。――トゥトゥの尊厳を、ないがしろにしてもらいたくはないのだ」


    8


 ――仁、仁。ちょっと聞いてちょうだい。
 母親の、べっとりと耳に貼りつくような声に、仁は顔をしかめた。
 彼の返事を待たずに、母親は話しはじめる。いつものことだった。
 ――義姉さんったら、ひどいこというのよ。苦労知らずのお嬢様は金銭感覚も違うわねですって――わたしはただ周りに恥ずかしくないようにって……
 母親の口から滔々と流れ出る際限のない不平は、たわいのない愚痴をよそおっていても、にじむ毒の強さが、いつも彼を閉口させる。
 他人への批難以外の彼女の言葉を、仁はひとつも覚えていない。
 彼女の話の中では、母はいつも善良な被害者で、そのほかの人間はすべて、彼女へいわれなき悪意をぶつけてくる、恐ろしい怪物だった。
 わずかでも反論すれば、ますます歯止めが利かなくなる。自分で自分の言葉に興奮して泣き叫ぶことまであった。まあ、なんてことをいうの、どうしてそんなひどい子になったんだろう――そうよ、だいたいあんたは昔っから人の気持ちっていうものがわからない子だった――
 いつからか、聞き流すことばかりがうまくなった。母はあいづちさえ必要としていなかった。話しているあいだ、反論しない誰かが目の前にいさえすれば満足なのだ。
 人形でも目の前に置いて、それに向かって気のすむまで話していればいい。
 一度、口に出していったことがある。母親はヒステリーを起こして暴れ、彼は三針縫う傷を腕に負って、家の中は嵐に巻き込まれたような在り様になった。
 母の不平は、義姉のことから彼の担任の女性教師へとうつり、それからメディアに近ごろよく言動を取りあげられる女性議員に向かった。彼女の悪意は、わけても世の女という女に向いているようだった。その悪意が毒になって自分の体にしみこんでいく錯覚を、この頃よく覚えた。
 ――母さん、これ、見といて。
 姉の声がして、彼は顔を上げる。高校の制服を着崩した姉が、リビングの端末に、何かの書類を表示させているところだった。
 母はそれに返事をするどころか、一瞥もくれなかった。姉に話しかけられたことなどなかったように、まったく変わらないトーンで、彼に向かって話し続ける。
 ――そりゃあね、わたしも気の毒とは思うわよ、義兄さんのところは経営が大変だっていうし――だからって、そんないい方することないじゃない――
 彼はもう母親のことを見てはいなかった。その背後に立っている、姉を見つめていた。
 姉もまた、じっと彼を見ていた。恐ろしいほど感情のない眼つきだった。
 彼女がわかりやすい嫉妬や憎悪の色さえ、表情に出さなくなったのは、いつごろからだっただろう。
 ふっと踵を返した姉は、軽い足音を立てて、階段を上っていく。階上に姿を消す直前、一瞬だけ、その顔が振り返った。
 姉はうっすらと、微笑んでいた。敵意も、同情も、失望も、なにひとつそこには読みとれなかった。


 背中にいやな汗を掻いていた。
 ジンは呻いて、身じろぎをした。腕から伸びる点滴用のチューブがひきつれる。大げさなことだ――思わず苦笑が漏れる。中身はただの栄養剤だというのに、点滴に繋がれているというだけで、なにか自分が重病人にでもなったかのような気がする。
 息をつくだけで、体の節々が痛んだ。眼に汗が入る。白々とした天井が、ぼやけて滲む。
 いやに古い夢を見たのは、熱があるせいだ。
 体を起こすと、医療用ロボットがカメラアイを点滅させて、警告を発してきた。医師も看護師もあまりやってこないが、彼の体調は別室でモニタされているはずだった。
 病室は静まりかえっている。静寂がストレスになるということを、ジンは久しぶりに思いだした。
 このごろでは、朝から鳥の鳴き声で目が覚めることが多かった。少し前に、寮の裏庭に植えてあった背の高い木に、エトゥリオルが巣箱を取りつけた。ジンが見守る前で、作業を終えたエトゥリオルが喉を震わせて声を立てると、空を舞っていた小鳥が、まっすぐに滑空してきて、そのまま中に入った。
 あの鳥は、まだ居ついているだろうか。
 視線をずらせば、その先には小さな窓がある。リハビリテーションセンターと同じ、嵌め殺しのものだ。
 防疫上の理由だとわかってはいたけれど、その開きもしない小さな窓を見ていると、つい、別のものを連想してしまう。精神病棟の、自殺防止のための窓。
 妙なことを考えるのは、体調のせいだ。
 ジンは無理やり思考を止めて、眼を閉じる。ずいぶんと眠っていたはずなのに、すぐに眠気がさして、意識が頼りなく揺れる。また楽しくもない夢を見るような予感がした。

  ※  ※  ※

 ジンが医療センターに搬送されて、丸二日になる。
 エトゥリオルは医務室の前で、ひとり、途方に暮れていた。ジンのようすが訊けないかと思って、仕事がひけてからハーヴェイに会いに来てみたのだが、あいにくと医務室は無人だった。
 代わりに出てきたのは円筒形の医療ロボットで、そいつは合成音声の英語のあとに続けて西部公用語セルバ・ティグで、どうされましたかと彼にたずねた。
 エトゥリオルは返答に窮した。口ごもって、ロボットのカメラ=アイと見つめ合う。ロボットが質問をもう一度繰り返して、ようやくエトゥリオルは、ハーヴェイに会いにきたのだと、英語で伝えた。
 医療ロボットは胴体側面に文章を表示させて、同時に音声でもその内容を読みあげた。医師不在につき、軽度の負傷については医療ロボットで対応中――緊急時は中央医療センターへ通報のこと。
 ご丁寧に通報ボタンまで表示させて、医療ロボットは所在なさげに動きを止めた。エトゥリオルの返事を待っているらしかった。
 エトゥリオルのほうは、もっと所在がなかった。どうやってこのロボットに引き取ってもらえばいいのかわからない。
 一体とひとりはいっとき途方にくれて、見つめ合ったまま立ちつくした。
「――リオ?」
 呼ばれて振り返ると、当のハーヴェイが廊下を歩いてくるところだった。ほっとしたようすのエトゥリオルと、足元の医療ロボットを見くらべて、ハーヴェイは笑った。
「ああ――医療センターに行ってたんだ。医者の数が足りないもんだから、未知の病気が見つかると、僕みたいな産業医までいちいち呼びつけられる」
 患者がうちの社員だからっていうわけじゃなくてねと、ハーヴェイは苦笑した。口調はいつものように明るくても、その顔が疲れていることに、エトゥリオルは遅れて気がついた。
「原因、まだわからないんですか」
「うん――これじゃないかっていう目星はついてきたんだけど、その先がなかなかね。……中でちょっと話していかないか。ジンの様子を聞きにきたんだろ」
 いって、ハーヴェイは医療ロボットの胴体に触れる。パネルに何かのコードを打ち込むと、ロボットはカメラ=アイを点滅させて、おとなしく引っ込んでいった。
 事務室に入ると、ハーヴェイはエトゥリオルに椅子をすすめて、自分は一度デスクに向かって、端末を立ち上げた。仕事が溜まっているのだろう。ざっと目を通してから、急ぐ案件はなかったのか、ディスプレイから視線を外した。
 落ち着かずに身じろぎしているエトゥリオルの様子をみて、ハーヴェイは笑ってみせる。
「そんなに心配しなくて大丈夫だよ。熱もそんなにすごく高いってわけじゃないし、症状自体は、大したことないんだ。治療法が見つかるよりも先に、自力で治しちまうんじゃないかな」
 エトゥリオルはじっと、ハーヴェイの眼を見た。その言葉を真に受けていいのか、それとも彼を安心させようとしてそういっているだけなのか、わからなかった。
「だいたいあいつは、たまに風邪くらい引いたほうがいいんだ。こんなことでもなけりゃ、自分の体も、機械か何かと思ってるようなやつだから」
「――でも、入院なんて」
 ああ、と納得したように、ハーヴェイはうなずく。「そうか、君らは入院なんていったら、もう生きるか死ぬかだものなあ」
 防疫といった概念自体が、トゥトゥにはなじまない。三日も閉じ込められて飛べずにいれば体調を崩す種族にとって、隔離という考え方はないのだ。
「本当に、大丈夫だよ。僕らはこっちの病原体については抗体をほとんどもたないから、たいしたことなくてもいちおう大事を取って、対抗手段が見つかるまで、なるべく感染が広がらないようにしてるだけなんだ。万が一にも重篤化したときに、薬の開発も何も間に合わなかったら、おおごとだからね」
 他にも何人か発症者が出ているけれど、いまのところ誰も、命にかかわるような重い症状はないと、ハーヴェイは説明した。
 話しながら微笑んではいたけれど、ハーヴェイのようすが、いつもとどこか違うような気がして、エトゥリオルは身じろぎをした。多忙で疲れているせいだろうか。
「だけど、まあ、隔離しても無駄になるかな」
 ふっと、ため息のように、ハーヴェイはいった。隈の浮いた目頭を揉んで、椅子に深く腰掛ける。「今日、また新しく感染者が出たそうだよ。まあ、このまま広がっちゃうだろうね」
「そんな……」
「――仕方ない部分なんだ。僕らはこの惑星にとって異物だし、自分たちの生まれ育った星を離れて暮らすっていうのは、そういうことだ」
 病気に罹って、そのたびに治して、抗体を作り上げていくしかないんだと、ハーヴェイはいった。旅行とでもいうならともかく、この先もずっとこの惑星で生きていくつもりなら、そうやって長い時間をかけて、適応していくしかないのだと。その話は、エトゥリオルにも理解できるような気がした。
「追いつかなくて死者が出ることもあるだろうけど――でも、それは本来、あたりまえのことだし、ね。へたに医療が進んだせいで、僕らは病気で死ぬっていうことから、遠ざかりすぎた」
 途中からは、ひとりごとのような口調だった。ハーヴェイは、ふっと、皮肉っぽく笑う。「出向組の連中には、僕がこんなこといってたなんて、教えないでくれよ。問題になっちまう。――何年かで地球に帰るつもりのやつらからしてみたら、そんなの医者の怠慢にしか聞こえないだろうし、たまった話じゃないだろうから」
 薄情だって叱られちまうといって、ハーヴェイはおどけてみせる。その顔も、声の調子も、たしかに笑っていたけれど、なぜかエトゥリオルには、彼が悲しんでいるように見えた。
「薄情だなんて」
 エトゥリオルが首を振ると、ハーヴェイは一瞬、ふっと影に落ち込むように、暗い眼をした。
「僕は薄情者さ。友人が病気で伏せっているときにまで、こんなことをいってるんだから」
 エトゥリオルはとっさに声を上げた。「ほんとうに薄情なひとだったら、そんな顔はしないと思います」
 いってしまってから、エトゥリオルは慌てて冠羽を揺らした。何をわかったようなことを、と自分で思った。
「――あの、すみません……僕」
 眼を丸くしているハーヴェイに、なにか言い訳をしようとして、エトゥリオルは口ごもった。
「いや――ありがとう」
 ハーヴェイはそういって、手のひらで顔をこすった。それからいっときして、ぽつりとつぶやいた。「なんだろうな、君にはどこか、話を聞いてもらいたくなるようなところがある……」
 ありがとう。もう一度いって、ハーヴェイは何度か目をしばたいた。エトゥリオルには、黙って首を振ることしかできなかった。


 ジンは大丈夫だよ。もし何か状況が変わったら、すぐ知らせるから。
 そういったハーヴェイは、少し仮眠をとったらまたセンターに戻るのだといった。
 心配する以外にできることが、驚くほど何もない。エトゥリオルは事務室を出て、とぼとぼと歩く。
 ジンが入院している医療センターへの行き方は、エトゥリオルにもなんとなくわかるが、面会は禁止といわれている。病原体を拾って持ち帰らないための措置だそうだ。
 エトゥリオルは肩を落として支社を出た。寮まではすぐだけれど、なんとなく一人の部屋に戻る気になれなくて、反対の方向に歩きだす。
 今日はちょっと風が強い。視線を上げて雲の流れをたしかめてから、エトゥリオルはふっと、不思議な気分になった。そういえば近ごろ、あまり空を見上げなくなった。
 マルゴ・トアフの街並みは、いつも驚くほどにぎやかだ。仕事帰りに食事をするもの、浮き立ったようすで買い物に出かけるもの、連れだってシアターに入ってゆくもの。ほかの町でも似たような光景は見られるが、トゥトゥは空から町を見下ろすから、看板も広告も、地上にはほとんど見られない。
 このごろエトゥリオルは、街中をとりとめもなく歩く習慣が身についた。賑わう中を歩いているだけで、なんとなく気が晴れるような気がする。
 エトゥリオルはふと気が向いて、初めての道に足を踏み入れた。メインストリートを逸れても、どの裏道にもそれなりの広さがあるし、それに、街灯が等間隔にきちんと整備されている。表示もあちこちにあって、道に迷う心配がない。
 いったいどこから運ばれてくるのか、土のにおいがしている。エトゥリオルは不思議に思って、あたりを見渡した。
 一般的なトゥトゥの町と違って、ここでは水や空気を通す特殊な樹脂で、地面を固めてある。地表にあまり土ぼこりが立たないのは、そのためだ。この町ではなにもかもが、歩いて暮らすひとびとにあわせて作られている。
「ねえ、ちょっと、そこの君」
 急に横合いから声がして、エトゥリオルは立ち止まった。聴き覚えのある声だった。
 振り向くと、塀の上に、テラ系の女性の顔が突き出していた。お下げからはみ出した金髪が風に踊って、あちらこちらに跳ねている。エトゥリオルは思い出した。いつか食堂で会った女性だ。レイチェル・ベイカー。
「僕、ですか?」
「そう。――きみ、ええと、エトゥリオル? 業務外で悪いんだけど、ちょっと手を貸してもらえないかしら。この風で、授粉前に花が落ちそうなのよ」
「あ、ええと――はい」
 素直に門に向かうと、塀の向こうには、畑が広がっていた。さきほどからの土のにおいは、これだったらしい。
 けっこうな広さがある。まだ種を植えられたばかりなのか、何も生えていない畝もあれば、採りごろを迎えて実の重さに耐えかねたように垂れる枝もある。女史の周囲では、農作業用ロボットが黙々と作業を進めていた。
 見れば彼女は手にビニールシートを持っている。エトゥリオルは駆け寄って、シートの一方を持った。
「助かるわ。この子たちだけじゃ追いつかなくて――ほんとうは、人間が手を貸さないでも勝手に育つ環境をつくるのが理想なんだけど、なかなか本職のようにはいかないわね」
 本職というのは、トゥトゥの農家のことだろう。ベイカー女史は日焼けした腕で、勢いよくシートを引いた。
 トゥトゥの農法は、地球のそれよりもずっと優れていると、女史は話した。地球では経済性ばかりを考えて、ひとつの土地で一斉に単一の作物をつくる農法が主流なのだと。
 それに対してトゥトゥは、かならず混栽をやる。その組み合わせが肝心で、一緒に植える作物同士や、周囲の生態系との相互の作用を緻密に把握することによって、農薬も化学肥料にもほぼ頼らずに土を肥やし、作物の育成を助け、病害を最低限に抑えてしまう。そういう技術は、地球でも研究はされているけれど、なかなか広がらないのだそうだ。
 一度計画を立てて、そのとおりに植えてさえしまえば、あとはひとの手をほとんどかけずに、安全性の高い作物が大量生産される。そういうトゥトゥのやり方を学んで向こうに伝えたいのだと、女史はいった。おいしい野菜を作ってみせると、前にいっていたけれど、それだけが目標ではないらしかった。
 作業の手を止めず、何度となく風にさえぎられながらの話だった。畑は、通りからのぞいたときの印象以上に広い。
「これだけぜんぶ、おひとりで管理されてるんですか?」
「いつもは三人なのよ。ひとりは交替で寮に帰して、もうひとりはちょうど出張中――あとは、この子たちね」
 いって、ベイカー女史は農作業ロボットたちを示した。さまざまな形の機械が働いている。いまは動いていないものも含めれば、かなりの数があった。
 はじめは話しながら手を動かしていたが、やがて作業に没頭して、黙りがちになった。
 それにしても、地道な作業だった。けれど、エトゥリオルは単純作業がきらいではない。頭を空にして、黙々と体を動かすのは、気持ちがいい。
 作業がひと段落するころ、自分をじっと見つめる女史の視線に気づいて、エトゥリオルは戸惑った。
「――あの、僕、なにか変なことをしましたか」
 女史は首を振って、にっこりと笑った。頬に泥がついていて、乱暴に手でぬぐったのか、筋になっている。
「あなた、トゥトゥにしては根気強いわ――珍しいタイプね」
 褒められて、エトゥリオルは困惑した。「そうですか?」
 ベイカー女史は、妙に嬉しそうにうなずいた。
「いいことよ」
 根気強い、という部分のことかとエトゥリオルは思ったが、女史は違うことをいっているらしかった。「変わりものっていうのは、重要な特質だわ」
 いって、女史はひとりでうんうんとうなずいている。
「――そう、でしょうか」
 あいまいに首をかしげたエトゥリオルに、女史はきっぱりとうなずく。
「大事なことよ。生物の群れとしては。――覆いはこんなもので大丈夫そうね。ちょっと温室で、お茶でもしていかない?」
 エトゥリオルはその誘いに乗った。
 女史の温室は、みごとなものだった。多様な作物が、のびのびと葉を茂らせている。背丈も葉の色つやも、そのあたりの畑ではなかなか見かけないような勢いだった。
 出された茶は、変わった味と香りをしていた。エトゥリオルが首をかしげると、ベイカー女史はがっかりしたように肩を落とす。「口にあわなかったかしら」
「いえ、おいしいです――初めて飲む味だったので、びっくりして」
「そうでしょう。ベイカー謹製、オリジナルブレンドよ――でもまあ、まだまだ改良の余地ありね。トゥトゥにも地球人にも美味しいものを、目下、模索中なのよね」
 いって、女史はにっこりと微笑んだ。
 一定のマイノリティを含むことが、群れ全体の生存確率を上げるというようなことを、レイチェル・ベイカーは滔々と語った。彼女が生物学者だという話を、エトゥリオルはようやく思い出した。
「――まあ、そんなふうにいうのは、強がりもちょっと、入ってるけどね。わたしもよく、変わりものっていわれるから」
 エトゥリオルはうなずきかけて、慌てて首を止めた。気を遣わなくてもいいのよといって、女史はくすくすと笑う。
「子どものころは、草木や動物とばっかりお話ししててねえ――まあ、小さい子どもなら、それもほほえましいで済むけど、あいにくと育っても、なかなか人間らしくならなくて」
 母親をずいぶん心配させたと、女史は笑って話した。
「大人になって、世間にあわせるということもそれなりに覚えたつもりだったけれど、でも、やっぱり駄目ね。こっちにきたら、自分がそれまでどれだけ無理してたのか、いやになるほどわかったわ」
 そういってから、ふっと、女史は真顔になった。「向こうでね、あなたのお仲間が鳥と話している映像を見たとき、すごく羨ましかった――それからわたしはずっと、ここに来たかったの。よく空想したわ。もし自分があの星で、トゥトゥとして生まれていたらどんなだっただろうなんて」
 懐かしむように目を細めて、女史は空を見上げる。温室のガラス張りの天井からは、星空がよく見える。
 まあ、そういうわけで、と女史はいった。
「ここまで来るような連中は、たいていご同類なのよね。まあ、あたりまえといえばそうなんだけど。地元で順風満帆に暮らしてたら、親類も友達もみんな捨てて、こんなおいそれと地球に帰れないような場所に移り住んだりなんて、なかなか思いきれないもの」
 そういうものかもしれないと、エトゥリオルは思った。自分がもし、当たり前に空を飛べる普通のトゥトゥだったら――たとえば恋人がいて、たくさんの友人がいたならば、この街で働こうとまでは思わなかったかもしれない。テラからヴェドにやってくるほどの距離ではないけれど、多くのトゥトゥにとって、マルゴ・トアフは縁遠い場所だ。
 だから、変わりものは大歓迎。そういって、女史は微笑む。
「だけど、ちょっと不思議な気もするのよ。ひとりひとりを見たら、わたしたちよりもトゥトゥのほうが、享楽的っていうか――失礼、言葉が悪くて申し訳ないんだけど、地道な苦労に耐えるとかって、好きじゃないように見えるのよ。でも歴史とか、社会全体のことを見たら、あなた方のほうが急な変化を嫌う傾向があって、わたしたちのほうがすぐ、短絡的に新しいものに飛びつくのよね」
 首をかしげて、ベイカー女史はいう。「社会学者の人たちが、とっくに論文でも書いてるかもしれないわね。こっちにきてから野菜の相手で毎日いそがしくて、すっかり報道なんか見なくなっちゃったわ」
「――いいですね」
 自分の口からとっさに言葉に、エトゥリオルは驚いた。女史が面白がるように首をかしげる。
「社会情勢に疎くなるのが?」
「ええと、うまく言えないんですけど……」
 考え考え、エトゥリオルは言葉を探す。「手で土に触って、天気と生き物を相手にする仕事が、かな」
「地に足のついた暮らし、っていうやつかしら」
 いって、ベイカー女史は笑う。「自分の仕事の成果が眼に見えるっていうのは、まあ、いいものね。そのかわり駄目なときも、はっきり眼に見えちゃうけど」
 そうかもしれないと、エトゥリオルは思った。
 すっかり暗くなった外を見て、ベイカー女史は肩をすくめた。「わたしは今日は、ここで泊まりこみ。あなたはそろそろ帰ったほうがいいんじゃないかしら?」
 いわれて、エトゥリオルも外を見た。たしかにもう遅い。寮には門限のたぐいはないが、地球人はトゥトゥよりも眠る時間が長いから、夜中にはなるべく大きな物音を立てないようにといわれている。
 女史は温室の出口までエトゥリオルを見送りながら、歯を見せて笑った。
「今日は手伝ってくれて、助かった。報酬は現物支給でね。そう遠くないうちに、とびきり美味しい野菜を届けにうかがうわ」


 寮に向かって歩くあいだ、マイノリティの意義というベイカー女史の言葉について、エトゥリオルは考えた。群れの生存率、という言葉は、彼にとっては新鮮だった。
 その生息域に最適化されすぎた群れは、環境の変化でたやすく絶滅する――群れに多様性が保たれるのは、生物としての本能だと、女史はいった。
 自分のようなものが生まれてくるのにも理由があるのだとしたら、とエトゥリオルは考える。群れからマイノリティをはじきだそうとする集団の力学は、どこから発しているのだろう。それもまた、生物が生き残るための知恵だろうか?
 寮について、すれ違うテラ系の知人と声をかけあいながら、エトゥリオルはまだそのことを考えていた。寮住まいのトゥトゥは、あまり彼に話しかけない。
 けれどそれも、お互い様だった。エトゥリオル自身にとっても、自分から声をかけるのには、トゥトゥよりもテラ人のほうが敷居が低い。自嘲して、エトゥリオルは自分の部屋に戻る。
 寮の食堂はまだ開いているが、食欲があまりなかった。もともと彼はあまり食べるほうではない。ふつうのトゥトゥは、一日に五回は食事を摂るけれど、飛ばないエトゥリオルは、そんなに食べてもエネルギーを使う場所がない。
 生まれてくる場所を間違えたのは、自分のほうだ。
 ヴェドで生まれたかったといった女史の横顔を思い出して、エトゥリオルはひとりうつむく。健康診断の日に医師からいわれた言葉と、あのときのいじけた気持ちが、まだときどきよみがえっては、胸の中をぐるぐる回っている。

  ※  ※  ※

「――本当に助かりました」
 ギイ=ギイは顔をしかめて、赤毛の医師を睨みつけた。彼は礼をいわれることが、好きではない。
「しつこい。医者が医療に手を貸して、礼なぞいわれる筋合いがどこにあるか」
 彼がそういうと、どういうわけだか、ハーヴェイは微笑んだ。
 なぜそこで笑うのか。テラ人の考えることはわからん――ギイ=ギイはふてくされて、そっぽを向く。
 彼がテラ人の間で発生した疫病について耳にはさんだのは、単なる偶然だった。先日の健康診断で診たO&W勤めのトゥトゥがひとり、彼の医院に通院している。診察の合間の世間話として、たまたまその話が出たのだった。
 患者が処方を受け取って帰って行ったあと、ギイ=ギイはいっとき考え込んだ。
 テラ人の体のことについては、彼は素人も同然だ。素人が医療の現場に口出しをするものではない。
 だがヴェドに存在する病原体への知識については、また別だ。
 トゥトゥが罹患する病原菌やウイルスが、テラ人の体にどう作用するかは、ギイ=ギイにはわからない。それでも顕微鏡を覗いてみれば、なにか貸せる知恵のひとつかふたつくらいは、あるかもしれないと思った。
 彼がO&Wとの間に交わした契約は、あくまで月に一度の健康診断だけだ。それもトゥトゥを相手にする仕事であって、テラ人の健康管理までは、本来、知ったことではない。
 だが、あのテラ人の医師は、マルゴ・トアフまで足を運ぶトゥトゥの医者が、なかなかみつからなかったともいっていた。それなら今ごろは下手をすると、テラ人ばかりで顔をつきあわせて、効率の悪い議論でも繰り返しているのではないか。
 そこで聞かなかったふりをできるなら、ギイ=ギイはそもそも医者にはならなかっただろう。
 幸いにも彼の医院には、若い医師たちが育ってきている。彼らにあとを任せてトラムに乗り込みながら、ギイ=ギイはふと、自分は年を取ったのだと思った。若いころなら、多少の距離ではトラムになど頼らなかったし、動く前にこんなごちゃごちゃした理屈を考えたりもしなかった。
「――それにしても、脆弱な種族だ」
 ギイ=ギイは吐き捨てる。テラ人の医学について、セルバ・ティグに翻訳された文献はさして多くないから、これまでに論文の記述に首をかしげることはあっても、違和感の正体まではわからなかった。だが実際に患者の容体を目の当たりにし、テラ人たちの口から治療方針について聞いて、ギイ=ギイは納得した。テラ人の肉体は、脆い。
 いったいどういう環境で育てばそうなるのだと、研究者たちを前に、ギイ=ギイは何度か怒鳴りそうになった。
「抗体の問題はわかるが、それを差し引いてもだ。ああいう乗り物に頼ってばかりおるから、あんたがたはそうまで弱くなるのではないか」
 今朝がた治療方針の目途が立つのを見届けて、医療センターからO&Wまで移動するとき、ギイ=ギイははじめ、自分で飛んでくるつもりだった。たいした距離ではないのだ。
 だが気まぐれを起こして、ハーヴェイのいうテラ人流の礼儀とやらに、つきあってみる気になった。彼は請われたとおりに彼らの自動車に乗り込み、そして愕然とした。
 テラ人の体格にあわせた車内は、トゥトゥにとってはやや窮屈ではあったが、そのことを差し引いても、それはひどく快適で便利な乗りものだった。
 気に食わん――ギイ=ギイは思う。乗り心地がいい、結構なことだ。移動が早い、それも結構だろう。乗っている人間は操縦のために頭も体も使う必要はなく、何もかもを機械が勝手にやってくれる。好きにするがいい、と思った。
 ちょっとした移動にまでいちいちこんなものに頼っているから、彼らは自分の体ひとつで生きる力を失ってゆくのではないか。
「――返す言葉がありません」
 ハーヴェイは苦笑して、それからふっと、何かを考えこむような仕草をした。いっとき迷うような間のあとに、赤毛の医師は真顔でいった。「僕らの会社は、航空機を作る企業です」
 ギイ=ギイは訝しく首を傾けた。そんなことは、とっくに聞かされている。今さら何をいうのかと思った。
「地球人がよけいな技術を持ち込んだから、トゥトゥの退化が進んだのだというメディアもありますが――どう思われますか」
 気にくわない質問だった。ギイ=ギイはハーヴェイを睨みつける。それでも医者のいうことか、とも思った。
 だがギイ=ギイは、若い医師の表情を見ていて、ひとつ気付いた。この地球人は、自分で心にもないことを、あえて口に出している。
 ますます気に食わんと、ギイ=ギイは思った。こいつは医者のくせに、まるで下世話な記者かなにかのようなやりくちではないか。
「馬鹿げた話だ」
 それでも彼は、乗せられる気になった。「飛べるようにならん子どもらなぞ、あんたらが接触してくるよりずっと昔から、常におった。それこそ私らの祖先がまだトリだったころからだ。たかだか二百年かそこらで、なにが退化か。――大体、そのせいで退化するほど、トゥトゥはあんた方の乗り物に頼りきってはおらんだろうが」
 ハーヴェイはいかにも恐れ入って拝聴していますという顔をしている。だがそれがポーズであることは、ギイ=ギイにも察しがついた。まったく、つくづく気に食わなかった。
 腹を見せない相手が、ギイ=ギイは嫌いだった。だがそれは同時に、ある意味で、医師としての資質なのかもしれなかった。正直で率直なだけでは、医者はつとまらない。
「まったくもって、つまらん話だ。どこにでも他人に責任をなすりつけたがる連中はおる」
 いってから、ギイ=ギイは顔をしかめる。「まあ、あんた方の飛行機は、私も好きではないが」
 ハーヴェイは間髪いれず、真顔でいった。「理由をお聞きしても?」
 やはり記者のようなやつだと、ギイ=ギイは呆れる。それからふと、思い直した。彼らはトゥトゥの率直な意見を耳にする機会に、恵まれていないのかもしれない。O&Wに雇われているトゥトゥはいるが、彼らは雇い主にものをいうには、どうしても気兼ねするだろう。
「危なっかしすぎるからだ」
 断じて、ギイ=ギイは顎をそらす。「あんた方は、発着場所を厳密に決めて、そのエリアにトゥトゥの立ち入りを禁じさえすれば、安全だという。だが若いトゥトゥはしばしば頭に血を上らせるものだ。オーリォの時期にもなれば、目立つ表示があったところで、知らんうちにうっかり迷いこむ連中が出ないとも限らん。まして鳥たちはどうだ。連中にいうことをきかせて、ここから先には入ってくるななどというわけにはいかんだろう。――鳥の嫌う音を出すか? だが、すべての鳥が嫌う音を出そうとすれば、その音はトゥトゥにも不快なものになるだろう……」
 ハーヴェイはうなずきながら、口を挟まずに聞いている。異論も反論も内心ではあるのかもしれなかったが、そうしたものを、何一つ外に出さない。
 若造めと、ギイ=ギイは鼻を鳴らす。若いのに小器用な人間というのは、可愛げがない。
 やはり自分は年を取ったと、ギイ=ギイは思った。若いころならこういうときに、わかっていてわざと話題に乗せられてやったりはしなかった。
「――だが、そいつが役に立つものでもあるのはわかっとる。輸送が早くなったことで、救われた命もある。災害のときに、あんたがたの飛ばした飛行機で救助された怪我人も、救援物資を受け取った連中もおるからな」
 ギイ=ギイ自身も、航空機の輸送のおかげで薬の到着が間に合った経験を、一度ならず持っていた。速度はときに、大きな力になる。
 憮然として、ギイ=ギイはいう。
「弊害があるのを承知でその恩恵を被っておきながら、何かあれば責任だけをなすりつけるようなやり口は、私は好かん」

   ※  ※  ※

 設計部の連中に聴かせてやりたい話だなと、ハーヴェイは思う。近ごろ、反対派の声が大きい。
 あいかわらずヴェド上の航空機は、大きな事故もないまま運用されている。それでも反対の声が減らない。何が彼らに、それほどまでに航空機を嫌わせるのか。
 機械の力に頼って空を飛ぶということに、抵抗があるのか。異星人の作ったものが、自分たちの飛べないような高い空を駆けることが、感情的に気に入らないのかもしれない。そういう表に出て来づらい感情の部分が理由なら、問題は根深い。
「まあ、若い連中は、飛行機に特別な抵抗もないようだ――いつかは良かれ悪しかれ、当たり前のものになるだろうさ。一度慣れた便利さというものは、そうそう捨てられるものではない」
 慰めのつもりなのか、ギイ=ギイはそんなふうにいって、窓の外を見た。つられてハーヴェイも、空を見上げる。高いところを、飛行機雲が流れている。
 このトゥトゥの医師が、怒っているように見せて、どこか面白がっていることに、ハーヴェイは気付いていた。
 器の大きな人物だと、ハーヴェイは思う。頑固で怒りっぽいようでいて、ほかのトゥトゥと話しているときにはあまり感じない、寛容さのようなものが垣間見える。
 彼が駆け付けてくれたことは、正直にいって、本当にありがたかった。ギイ=ギイの示唆がなければ、病因の特定も薬の製造方針が固まるのも、まだ遅れていたはずだ。
 病原は、トゥトゥの間ではそう珍しくもない細菌だった――トゥトゥに使われる薬が、地球人にそのまま投与できるわけではないが、彼の示した処方は、治療薬の開発の指針にはなった。
 環境が環境なので、地球上の諸国家で新薬の認可を受けるのに比べると、その類の手続きはずいぶんと簡略化されている。それでも充分な薬がそろうまでには時間がいるだろうが、ともかくなんとか治療方針の目途は立った。
 ギイ=ギイの見つめる窓の外が、薄暮に包まれ始めたことに、ハーヴェイは気付いた。つい長々と引きとめてしまった。
「お忙しいのではなかったですか」
「うちの病院には、頼りになる若いのがおるから、私が三日四日不在にしたくらいでは、たいして困らん」
 不機嫌をよそおっていた表情を緩めて、ギイ=ギイはいう。その声には、自慢げな響きがあった。「――いまの時期ならな。オーリォの頃ならそういうわけにもいかんが」
 ハーヴェイは首をかしげた。初夏になると、かなりの数のトゥトゥたちが北に向かうと聞いた。その分、医師の数が不足するにしても、患者の数もまた減るのではないかと、漠然と思っていたのだ。
 実際に、O&Wでもトゥトゥたちは夏季休暇に入るし、取引先の企業も、夏はあまりまともに動いていない。そういうと、ギイ=ギイは首を振った。
「もっと南のほうの連中が、このあたりにやってくるからな」
 ギイ=ギイの説明は簡潔だった。「オーリォの頃になると、頭に血を上らせた若いのの喧嘩が増える。――おかげで私は、もう三十年ばかり、まともに遠出しておらん」
 いいながらも、ギイ=ギイはそのことを、どこか誇りにしているようなふしがあった。そうした機微は自分たちにはわかりづらいなと思いながらも、ハーヴェイは医師の上機嫌につられて、つい微笑んだ。
「遠くまで旅に出る若者は、地球にもいますが――体ひとつで空を飛べたら、気持ちがいいでしょうね」
 医師はすぐには答えなかった。少し遠い目をして、黙り込んで、それからおもむろにいった。「オーリォか。あれはいいものだ」
 かつての日々のことを思い出しているのか、窓の外を見ながら、ギイ=ギイは目を細める。
 まだわれわれの祖先が渡りをしていた頃の、名残りというか、古くからの血なのだろうなと、ギイ=ギイはいった。
 あるいはその習慣こそが、地上に住まう彼らをして、いまだに空を飛びつづけさせている知恵なのかもしれないと、ハーヴェイは思う。
「いい風の吹く初夏の朝にな」
 口元をほころばせて、ギイ=ギイはいう。今日あたりに行くかと決めて、大空に舞い上がる。はじめのうちは思い切り羽ばたいて、力の限りに飛ぶけれど、やがて疲れてきたら、今度は上昇気流をうまくつかまえて、高度を稼ぎながら、休み休み滑空する。
「そうすると、どこまででも飛んでゆけるような気がするものだ――実際には、そう何日も飛び続けていられるものではないが」
 夜には降りて休み、朝を待ってまた旅立つ。そうしているうちに、ときどき鳥たちの群れにゆきあうこともあると、ギイ=ギイはいう。
 地球でもそうだが、鳥は、混群を作ることがある。何種類もの鳥が数羽ずつ、体を寄せ合って飛ぶのだ。そうすることで、天敵を避ける。
「トゥトゥを見かけると、連中はたいてい近寄ってくる。群れの中に大きい鳥がいるほうが、敵を遠ざけるのに有利だからな。連中、トゥトゥは飛んでいる鳥をそのまま捕まえて喰ったりはせんと、ちゃんと知っておる」
 そのことが嬉しくてしかたないというように、ギイ=ギイは嘴を反らす。
「ときどきわざとスピードを上げて、若い鳥たちをからかったりしながら、何日か休み休み飛んでゆくうちに、だんだん風が冷たくなってきて、体の中はかえって燃えるように熱くなる……」
 医師の語る空に、ハーヴェイはいっとき、思いを馳せた。
 それが実際には、見た目の優雅さに反して過酷な旅であることも、知識で知ってはいたけれど、それでも聞いていれば、やはりひどく羨ましいような気がする。
 トゥトゥからみたら、航空機はさぞ不自然で無粋なものだろうと、ハーヴェイはあらためてそのことを思った。速度は出るし、生身ではとても飛べない高いところをゆけるけれど、鳥を脅かさずに一緒に飛ぶことはできない。

  ※  ※  ※

 照明を絞った自室で、横になったまま、ジンは天井を見るともなく見つめていた。
 寝過ぎて、もう眠れる気がしなかった。ようやく退院できたのは有難いが、まだ数日は安静といいわたされている。
 熱もすっかり下がって、食事も常食に戻った。無視して出歩いてもいいくらいだったが、ご丁寧に、医療ロボットまでついてきている。老人の介助でもあるまいし、手を借りることもないのだが、規則で体調をモニタしなくてはならないといわれれば、断れなかった。
 大仰なことだと思う。故郷を離れて遠い惑星で暮らすというのは、そういうことだ。わかってはいても、やはり滑稽にしか思えない。何十回目かわからない苦笑を漏らして顎をさすると、無精髭が手のひらを刺した。
 ずっと空調の効いた屋内にいると忘れそうになるが、季節はもう秋も深まるころのはずだった。窓の外に視線を投げる。エトゥリオルの設置した巣箱が、ちょうどここの窓から見える。
 小鳥の姿はなかった。いまの時期は、もっと南のほうに渡ってしまうのかもしれない。
 また来年も来るだろうか。
 日はそろそろ暮れかかろうとしている。空を眺めていても、落ち着かなかった。こうまでずっと寝ていては、そのせいでかえって体調をどうにかしそうだ。
 かすかな電子音を立てて、部屋に備え付けの端末が、ランプをともらせる。メールの受信を知らせる合図だった。
 退院して部屋に戻ったときに、一度は確認している。置き去りにしてしまった仕事の簡単な進捗が入っていたのは、同僚の気遣いだろうが、アンドリューからのいたずらメールまで入っていた。
 またその類だろうか。顔をしかめて、ジンは立ち上がった。端末に歩み寄ってディスプレイを起動したところで、発信元を表す表示に、眼が釘付けになる。
 EA041JPの七ケタから始まる、長いコード。
 故郷からの通信だった。

   ※  ※  ※

 エトゥリオルは寮への道を急いでいた。手には籠を抱えている。中にはぎゅうぎゅうに詰め込まれた果物。
 ジンが退院したと聞いたのは、昼休みのことだ。ハーヴェイが内線で知らせてくれて、設計部は沸いた。まだ数日は自宅療養だけれど、もう会っても大丈夫だということだった。仕事が引けるなり、エトゥリオルは支社を飛びだした。
 多すぎただろうか? エトゥリオルは手の中の色とりどりの果物を見下ろして、不安になる。
 ちょっとした病気くらいでは病床につくということのないトゥトゥには、見舞いの品を持っていくという習慣がない。近くのショップで、テラ系の店員におっかなびっくり相談したら、これを薦められたのだが、そのまま真に受けてよかったのだろうか。テラ人はトゥトゥに比べたら、ずっと小食だ。
 映画の中ではどうだっただろう。いつかサムから教えてもらったテラの映画の中で、ヒロインを見舞う俳優は、両手にいっぱいの花束を抱えていたような気がする。やっぱりこれが普通なのだろうか。
 慣れないことをしているので、いちいち緊張している。ジンの部屋の前まで来て、エトゥリオルは一度深呼吸をした。
 部屋の扉に、小さな機械がついている。そっと手をかざすと、電子音がした。
 実のところ、人の部屋を訪ねるのは、エトゥリオルにとっては初めてのことだった。機械の操作は、入寮したときに教わっていたけれど、なんとなく緊張する。
 ふた呼吸ほどのあとに応答をしめすランプがついて、そのまま扉が開いた。照明を控えめにしてある――自分の部屋と同じ間取りだった。狭い玄関があって、そのまま部屋に続いている。
「――リオ?」
 ジンの声が、ひどくかすれているのに、エトゥリオルはどきりとした。
「あの、退院おめでとうございます」
 いいながら、その言葉が適切ではなかったような気がして、エトゥリオルはたじろいだ。
 痩せた――顔を見るなり、まっさきにそう思った。ジンは自分の足で立っていたが、まだ体調は戻りきっていないようだった。顔色がよくない。ハーヴェイはああいったけれど、やはり症状は軽くなかったのだ。
「迷惑をかけたな」
 エトゥリオルはぶんぶんと首を振った。それから、ジンのようすが、どこか上の空なことに気付いた。まだ具合が悪いのだろうか。
 不安になりながらも、手の中の果物のことを思い出して、エトゥリオルはおっかなびっくり差し出した。
「みんな心配してました。あの……これ」
「――ありがとう」
 いいながら、ジンは面食らったようだった。やはり変だったのだろうかと、おろおろしているエトゥリオルに気付いて、ジンは頬をゆるめる。「いや。ずいぶん豪勢だと思ったんだ」
 いくらかほっとして、エトゥリオルは気付いた。部屋に備え付けの端末が、起動している。
 まさか、もう仕事を始めているのだろうか。エトゥリオルの心配を察したのか、ジンは苦笑して首を振った。「仕事じゃない。姉からメールが来て……」
 いいながら、端末を振り返るジンの視線が、ふっと陰った。
「あ、お邪魔でしたか――」
 体調の戻りきらないところに長居するのは、気が引けた。家族からの通信だって、人前では再生しづらいだろう。出ていこうと身じろぎをしたエトゥリオルを、ジンは呼びとめた。
「――君も、いてくれないか」
 エトゥリオルは目を丸くした。家族からのメールなのに?
 まじまじと見上げると、ジンはいままで見せたことのないような、覚束ない表情をしていた。家族と折り合いが悪かったという、いつかのジンの話を、エトゥリオルは思いだす。
 病み上がりで、いつになく気が弱っているのかもしれなかった。実際、ジンはすぐに我に返ったように、瞬きをして首を振った。
「――いや。妙なことをいった。忘れてくれ」
「います。僕でよければ」
 反射的にそういって、エトゥリオルは自分の言葉の勢いに、自分で驚いた。
 ジンは目をしばたいて、それから、かすれた声でいった。「――ありがとう」


 テラ人用に調整されたディスプレイは、エトゥリオルには実は、ちょっと見づらい。首を傾けて、斜めに見るような姿勢になる。
 ジンがキーボードを叩くと、わずかなタイムラグのあとに、メールが開いた。
 映像はホログラフではなく、ディスプレイ上の平面画像だ。テラから通信を送るのにもそれなりの費用と手間がかかるというから、データ量を節約するためなのかもしれない。
 画面の中で微笑んでいたのは、女性だった。
 きれいな顔立ちをしている。少なくとも、エトゥリオルにはそう見えた。トゥトゥの美的感覚がどれほど彼らと近いかはわからないが、切れ長の目をした、肌のきれいな女性だった。まっすぐな黒髪を、肩の上で切りそろえている。
 目元がわずかに、ジンと似ているような気がした。地球ふうの化粧なのだろうか――こちらで見かけるテラ系の女性よりも、くっきりと赤く、唇を塗っている。
 やがて画像が、動き出す。女性は赤い唇を開いて、微笑んだまま話し出した。
 女性の言葉の内容は、エトゥリオルには聴き取れなかった。英語ではない――ジンの母国語なのだろう。椅子に深く腰掛けたジンの手が、ぴくりと揺れるのを、エトゥリオルは見た。
 女性は微笑を浮かべたまま、歌うようなリズムで、何かを話している。聞いているうちに、ざわりと羽が逆立って、エトゥリオルは身じろぎした。
 何をいっているのかはわからない。エトゥリオルにわかるのは、その楽しくて仕方がないというような微笑みと、そして、悪意に満ちた声音だけだ。
 ジンが一人でこのメールに向き合いたくなかった理由が、わかるような気がした。
 とっさに振り向くと、ジンの表情はこわばっていた。その視線は、画面にくぎ付けになっている。
「あの」
 思わず、エトゥリオルは声を上げた。「もう少し、体調が戻ってからのほうが――」
「いいんだ」
 ジンは掠れた声で遮った。視線は画面を見つめたままだ。
 その思いつめたような横顔を、エトゥリオルは途方に暮れて、ただ見守った。

   ※  ※  ※

『母さんが死んだわ』
 画面の中で、姉がいった。
 よく知っている表情だ。嫌になるほど記憶に焼きついているのと同じ、楽しげな微笑みだった。
 変わらない――ジンはまずそのことを思った。もう十年以上も会っていないというのに、姉は記憶の中とまるで変わっていないように見えた。
 母の死は、とっくに知っていた。ちょうどジンが入院する前に、向こうの弁護士から連絡があっていた。相続放棄の手続きのために返送した書類は、まだ向こうに着くまでには何か月もかかるだろうが、姉がそのことを知らないとも思えなかった。
 そもそもジンは、連絡先を家族の誰にも伝えていない。勤務先も教えたことはないが、調べることはできただろう。
 姉がそうまでして連絡を取ってきたことに、ジンは動揺していた。画面の中で、彼女は笑う。
『ひどいものだったわ。一日おきにみるみる痩せていって、最後には骨と皮みたいになって、個室でたくさんのチューブに繋がれて――もう麻酔もあんまり効かないみたいだった。最後の瞬間まで、世界中の何もかもを呪いながら死んでいったわ』
 姉の声は、楽しくて仕方がないという響きをしていた――何がそんなに楽しいのだろうと、ジンは思う。母の苦しむようすか。それとも弟を断罪することがだろうか。
『散々あんたを恨みながら死んでいったわ――可哀相な母さん、ずっと恥ずかしそうだった。そりゃあ、そうよね。母親がもう長くないっていうのに、一度も会いにも来ないで、さっさと宇宙に出ていくような息子じゃあね』
 エトゥリオルが急に、声を上げた。「あの――もう少し、体調が戻ってからのほうが」
「いいんだ」
 いって、ジンは苦笑した――つもりだった。唇が動いたかどうかはわからない。
 日本語だ。エトゥリオルには姉の話す中身は分かっていないだろう。それほど自分はひどい顔色をしているだろうかと、頭の隅で考えた。けれど意識のほとんどは、ディスプレイの中で歪む姉の微笑に向かっていた。
 母の死に際のようすを、姉は、歌うように滔々と語る。
 彼女が病床の母に最期まで付き添っていたのだということに、ジンは驚いていた。姉はいったいどういう思いで、自分を愛さなかった母親の面倒を見ていたのだろう。
 それが姉なりの、復讐だったのだろうか――そう思う自分と、その考えを疑いたがる自分がいた。本当に、ただそれだけだろうか。
 姉はふいに、初めて表情をゆがめた。口元の笑みが深まる。何かを嘲るように。
『あの女、死に際になって、ようやく私の名前を呼んだわ――初めてじゃないかしら?』
 それまで以上に、毒のある口調だった。
 可笑しくてならないというように、姉はいう。『馬鹿みたいだわ。――馬鹿みたい』
 通信はそこで、唐突に終わっていた。

   ※  ※  ※

 再生がおわり、画面が暗くなっても、しばらくジンは口を利かなかった。
 エトゥリオルは何度も口を開きかけては、言葉を飲み込んだ。
 ジンはひどい顔色をしていた。それでも、通信が終わったあとの画面を、じっと見つめている。身じろぎひとつせずに。まるで見つめ続けていれば、もう一度彼女がそこに戻ってくるとでもいいたげに。
「ジン」
 名前を呼んで、エトゥリオルは上司の腕を引いた。ジンはいっとき、反応らしい反応を見せなかった。
「――ジン」
 ほかにどうしようもなくて、エトゥリオルは繰り返し、彼の名前を呼んだ。何度目かで、ジンはようやく顔を上げて、エトゥリオルのほうを見た。
「すまない。気分のよくないものに突き合わせて」
 ふっと、現実に戻ってきたように、ジンはいう。
「そんなこと……」
 いいかけて、エトゥリオルは嘴を閉じた。画面越しに、悪意に中てられたような気がした。
 言葉はわからなくても、画面の向こうの女性が、ジンを傷つけたくて仕方がないというように、エトゥリオルには見えた。言葉を見つけられず、エトゥリオルは首を振る。
「大丈夫だ。――ありがとう」
 ふと小さく笑って、ジンが目頭を揉む。それから言葉を探しあぐねるように、いっとき黙っていた。
「――姉は、昔から、俺のことを憎んでいて」
 ようやく口を開いたジンは、また、暗くなったディスプレイを見つめていた。
 だけど多分、それだけのことを、俺もしてきたんだと、ジンはいった。
「家族とはもうとっくに縁を切ったつもりでいたし、いまさら連絡があるとも思ってなかったんだけどな。母親が死んだことを、人から聞いた時にも、ちっとも悲しいとも思わなかった」
 そういいながら、ジンはふらりと立ち上がって、端末に向かった。その手が、据え付けのデスクの引き出しから小さなディスクを取り出すのを、エトゥリオルはただ見ていた。
「だけど、妙なもので――どうしてだろうな。姉のことだけが、いまでも、どうしても憎いような気がするし」
 ジンはいいながら、メールをディスクに保存した。それから引き出しを漁って、適当な大きさのケースを見つけると、そのなかに、ディスクを慎重に収めた。そっと、大事なものを扱うように。
 エトゥリオルはわけもわからず、そのしぐさが、ひどく悲しいような気がした。
「彼女に責められるのだけが、いつまでも、怖いような気がする」
 エトゥリオルはジンの横顔を見上げる。姉のことが憎いといったジンの言葉は、彼の耳にはまるで違う風に聞こえた。
 彼女のことを愛していると――そういうふうに。
 その自分の考えを、エトゥリオルはおかしいと思った。ジンはひとこともそんなことをいっていないのに。
 手の中のディスクを見つめて、ジンはふっと、ため息のようにいった。
「――そうか、名前を、呼んだのか」


    9


 部屋の端末を使って、前の日の主要な報道を簡単にさらうのが、エトゥリオルの日課になっている。
 空いた時間に携帯端末でチェックすることもできるが、彼にとっては目で読むよりも耳で聞く方が、情報が頭に入ってきやすい。それで目覚ましを兼ねて、決まった時間に記事を音声再生している。
 あらかじめキーワードを入れておけば、関心のある事件や報道を中心に、コンピュータが勝手に記事を組んで、順番に流してくれる。以前から似たような習慣を持ってはいたけれど、マルゴ・トアフに移ってきてから、少し変化があった。
 以前はトゥトゥの報道しかチェックしていなかったのが、テラ系の人々が運営している放送に重心がシフトした。それも、できるだけ選んで英語のほうを聞くようにしている。
 彼らの報道はたいてい、英語と西部公用語セルバ・ティグと、どちらも選べるようになっている。社内では、少なくとも就業中は皆、セルバ・ティグで話すから、いまさら英語を勉強する必要があるかどうかは微妙なところだ。けれど、記事を書いた人間の母語で聞いた方が、より正確なニュアンスで理解できる――ような気がする。
 日によって流れる分量はもちろん違うけれど、おおむね羽をつくろい終えるころには、おおよその記事の概要くらいはつかめている。
 その朝、いつものようにニュースを聞き流していたエトゥリオルは、羽をつくろっていた嘴を止めて、顔をしかめた。
 航空機反対派の演説だった。添えられている名前は、どこかの大学の教授だかいう、高名なトゥトゥだ。トピックの途中で音声がセルバ・ティグに切り替わったのは、本人の話をそのまま録音したデータを記事に組み込んであるからだろう。
『――航空機の利便性は、理解できないことはない。しかし利便性だけを追求することの危うさを、今一度、顧みてほしい』
 すぐに止めようかとも思った。迷ったのは、飛行機を嫌う人たちの言い分も理解しなければ、それらの声に反論することさえできないという考えが、頭の隅にあったからだ。――そんな機会と勇気が、自分にあるかはわからないけれど。
『航空機だけではない。近年、テラ人よりもたらされた技術によってトラムの速度が上がり、安定性が上がった。それは一見、喜ばしいことのように思える。しかしトラムで旅をするトゥトゥが増えたことは、果たして本当に喜ぶべき事態だろうか』
 論者は声高に続ける。背景に雑音が入っている。どこかで行われた講演だか講義だかの、録音なのだろう。
『使わなければ、肉体というものは衰退する――生物はそもそも環境に適応するように出来ている。極北の孤島に住む、空を飛ぶことを忘れた陸生の鳥を、メディアを通じて見たことが、誰しも一度はあるだろう。空を飛ぶだけの強い翼を失うとき、それはわれわれのアイデンティティの喪失のときでもある――』
 再生を止めた。
 それでも案外、自分が平静でいられることを、エトゥリオルは意外に思った。けれど、それも当然なのかもしれない。過去にこうした論調の報道を見かけたことは、一度や二度のことではない。こんなことでいちいち傷ついていては、彼のような者にはきりがない。
 身支度を終えて、エトゥリオルは部屋を出る。社内で使うIDカードが、そのまま寮の部屋の鍵も兼ねている。
 ふっと、予感のように思う。さっきの記事と、演説の主の名前を、そのつもりはなくても、自分は忘れられないだろう。

   ※  ※  ※

 今日からジンが出勤する日だった。
 エトゥリオルが設計部に入ったときには、ジンはすでに自分の席についていた。ほかのエンジニアから小突かれながら、詫びたり、言い返したりしている。
 その表情は、思ったよりもずっと明るかった。エトゥリオルはほっとして、上司のもとに駆け寄る。
「おはようございます」
「おはよう。――先日は、すまなかった」
「いえ」
 エトゥリオルは首を振って、ジンの顔をまじまじと見た。痩せたのはまだ戻りきらなくても、その表情は、普段どおりに見えた。
 ためらって、エトゥリオルは言葉を飲み込む。気になることはいくつもあった。あのあとジンは、あのメールの入ったディスクをどうしただろう。姉というあのひとに、返事を送ったのだろうか。
 けれど、皆の耳のあるところで話すのは憚られる気がしたし、それに、ジンの落ち着いた表情を見ていると、過剰に心配されることを、彼は望まないだろうという気がした。
「――復帰早々、いいニュースよ、ジン」
 同僚のひとりが、そういいながら近づいてきた。その眼がいたずらっぽくきらきらしているのを見て、エトゥリオルは首をかしげる。
「なんだ」
「FMA202」
 噛み締めるようにゆっくりといって、彼女はにっこりと笑う。「改良設計。二年計画」
 わっと、周囲のエンジニアたちが湧いた。きょとんとして周りを見渡すエトゥリオルの肩を、アンドリューが小突いた。
「うちの持ってる小型貨物機だ。――新型の設計じゃないが、久しぶりに本業らしい仕事だな」
 一拍おいて、ようやくエトゥリオルは理解した。飛行機の、改良。航空設計部門の本務。
 盛り上がる周囲のひとびとを見ていても、すぐには実感がわかなかった。エトゥリオルは羽毛を膨らませたまま、まばたきを繰り返す。
 ――僕にもなにか、手伝わせてもらえるんだろうか?
 その考えがようやく頭に下りてきたのは、けっこうな時間が経ってからだ。
 エトゥリオルはどきどきする胸を押さえて、自分に言い聞かせた。まだわからない。なんせ自分はまだまだ下っ端だし、全員がその仕事にかかりきりになるとも限らない。なんせいま回ってきているような、飛行機本体ではない設備の一部だったり、そのほかのこまごました設計の仕事だって、なくなるわけじゃないのだ。
 だけど、ほんのちょっとくらいは、なにかさせてもらえるかもしれない。どきどきする胸を押さえて、エトゥリオルは思う。雑用でもいい。飛行機に、関わりたい。
 エトゥリオルはとっさに、ジンのほうを振り返った。
 どういうわけか、ジンはやけに浮かないような顔をしていた。

  ※  ※  ※

 ジンは顔をしかめて、端末とにらみ合っていた。画面に表示されているのは、航空機反対派の抗議文だ。会社から業務として回覧されてきたものではなくて、報道で流れたものだった。
 改良設計が決まって、一週間が経とうとしていた。
 昨夜、改良設計のチーム編成について、支社長からわざわざじきじきに呼びだされて、打診を受けていた。その場には設計部の部長も同席していた。上意下達でないのは、職場環境としてはまあ喜ばしいことかもしれないが、判断を任されたジンは、迷っていた。
 一晩が明けても、どう返答するか、決めかねていた。そこに視界に飛び込んできた記事だった。
「いやあ、参ったよ」
 アンドリューが頭をかいて、隣の席にどさりと荷物を置くのに、ジンは視線だけで振り返った。件の機体が運用される予定の空港を四か所、三日かけて回ってきたはずだった。滑走路や整備場の状況を見て、操縦士や空港従業員、現地の整備士たちの意見を吸い上げるのが目的だ。
「どうだった」
「いや、まあ、空港のほうはな。路面の状態なんかでいくつか気になることはあるけど、大きい問題はなさそうだ。それよりさ、飯がまずいのなんのって」
「――現地の店で食ったのか」
「そそ。最近、空港近くのちょっといい店だと、地球人でも食べられるメニューには、マークがついてるんだぜ」
 いって、アンドリューはわざわざそのマークを、端末のディスプレイに呼び出して見せる。「これこれ。――でもなあ、味はなあ。結局途中からは、持って行った携帯食だよ」
 ひとしきり食事の愚痴をこぼしたあとで、アンドリューはそのままのトーンで、急に話を変えた。
「それと向こうで、反対派のトゥトゥに絡まれた」
「――大丈夫だったのか」
 とっさにジンは体ごと振り向いた。アンドリューはいつものとおりへらへらしていて、特に怪我をしている様子はない。
「や、こっちの連中のほうがそのへん紳士的っつうか、理性的っつうかなあ。いきなりキレて掴みかかってくるような連中はさ、地球に比べたら、やっぱり少ないよ」
 アンドリューは苦笑する。「けどやっぱり、気分的には参るよな。わざわざ空港の前に座り込んでるんだぜ。そんなに嫌いかね、ヒコーキが」
 アンドリューは頬を掻いて、付け足す。「――違うな。俺らが、かな」
 ジンは端末の記事に視線を戻した。そうかもしれない。トゥトゥたちは技術にではなく、それを押し付けてくる異星人エイリアンに、反発しているのかもしれない。
 ジンはいっとき渋面で考えていたが、やがて目頭を揉んで、記事を閉じた。

  ※  ※  ※

「リオ、ちょっと話がある」
 ジンに手招きされたエトゥリオルは、首をかしげながらデスクを離れて、打ち合わせ用のブースに移動した。
 普段のちょっとしたミーティングや指示なら、デスクで済ませてしまう。わざわざ席を離れるということは、なにか込み入った話だろうかと、エトゥリオルは考えた。
 知らないうちに、なにか自分は失敗をしただろうか――エトゥリオルがつい不安になったのは、ジンの表情が険しかったからだ。
「すまないが」
 ジンはそんなふうに切り出した。「FMA202の改良設計のプランから、君は、外れることになった」
 エトゥリオルは二度瞬きをして、それからああ、とためいきを落とした。
 正直にいって、かなり落胆した。大きな仕事を任せてもらえるとは、自分でも思っていなかった。それでも、ほんのちょっとした雑用でもよかったのだ――飛行機に関われるかもしれないというだけで、胸がわくわくした。
 だけど、話はそう簡単ではないらしい。
 しかたがないと、エトゥリオルは思おうとした。航空機を動かすためのしくみというのが、一般の機械類にくらべてとんでもなく複雑だというのは理解していたし、ちょっとの間違いが人命に関わる性質のものでもある。自分はまだ半人前なのだし――
 そこまで考えて、顔を上げた。
 何に違和感を覚えたのか、エトゥリオルは自分で、すぐにはわからなかった。一拍遅れて、気付いた。外れることになったと、ジンはいった。
 それではなんだかまるで、もともと入ることになっていたかのような言い回しではないか。それとも、単なる言葉尻の問題だろうか? エトゥリオルは瞬きをする。
 ジンはかすかに目を伏せて、話を続けた。
「もともと、全員が今回のプランに関わるわけじゃないんだ。FMA202の原型は、ほかの航空会社も共同で開発した機体だから、よそのエンジニアとも一緒にチームを組むことになるし――」
 ジンはこんなに多弁だっただろうか?
 エトゥリオルは顔を上げて、じっとジンの顔を見た。一言、君はまだ経験が浅いからといえば、それだけで済むことだ。
「いま抱えているような、ほかの細々した業務だって、誰かがやらないといけないわけだし……いや」
 ジンは唐突に言葉を切って、がりがりと頭を掻いた。
 ひどい渋面だった。
 目を丸くするエトゥリオルと視線を合わせて、ジンはひと呼吸おいた。それから、いった。
「――正直にいう。俺の判断だ。支社長は君をチームに入れたがってる」
 エトゥリオルはいっぺんに羽を逆立てた。
「それなら、どうして――」
「支社としては、君を広告塔にしたいんだ。俺は、それが気に食わない」
 エトゥリオルはぽかんとした。
 いわれていることの意味が、すぐには飲み込めなかった。広告塔――宣伝? 自分が航空機の設計にかかわることが?
「近ごろ、反対派の報道が続いただろう。航空技術を、地球人が強引にトゥトゥに売りつけているっていうようなイメージを、O&Wとしては、払拭したいんだ。それには君の存在がアピールになると、支社長は思っている」
 ジンのいう話が頭にしみわたるのに、少し時間がかかった。渋面のまま、ジンはいう。「トゥトゥ自身が航空機を歓迎しているという絵を作りたいんだ。――引き受ければ、おそらく取材も来るだろう」
「かまいません」
 エトゥリオルは反射的に声を上げていた。
 本気だった。いまさらトゥトゥの報道に、どう記事を書かれたって、気にしないと思った。どうせ自分はトゥトゥとしては――
 ジンがいった。「メディアに姿を出せば、バッシングの矛先が君にまで向かう」
 反対派からしてみたら、エトゥリオルの姿は裏切り者のように映るだろうというようなことを、彼らしくない婉曲な言い回しで、ジンはいった。
「君が、同胞から不要の敵意を向けられるところを、俺は見たくない」
 エトゥリオルは息を吸い込んだ。
 ジンは渋面のまま、まっすぐにエトゥリオルの顔を見ている。視線をそらして、エトゥリオルは細く、震える息を吐いた。
 もし、自分がまだ半人前だから、とても機体には触らせられないといわれたのだったら――それならきっと、諦めがついた。またいつか機会があるかもしれないと、次を待つ気になれただろう。
 僕が、トゥトゥだから。
「トゥトゥが――」
 エトゥリオルは口を開いた。それは、自分でもはっきりわかるくらい、ひどくひきつれた声になった。
 ジンが眉を上げて、何かをいいかけた。それを遮って、エトゥリオルは続ける。
「彼らが飛べないやつはトゥトゥじゃないといって、あなた方が僕はトゥトゥだからというなら――僕はいったい、どこにいけばいいんです」
 いい終える前に、自分で耐えられなくなった。エトゥリオルは椅子を蹴立てて、駆けだした。
「リオ!」
 ジンが追いかけてくるのも、驚いたほかのスタッフが声をかけてくるのも、全て振りきって、エトゥリオルは走った。
 廊下を駆け抜ける。目を丸くして通りかかる社員が振りむくのがわかった。
 戻れ――まだ仕事中だ――そう忠告する自分の声も振りきるように、エトゥリオルは走り続けて、社屋を飛びだした。
 職場放棄はテラの社会では、どれくらい重い違反だろう?
 そんなことを冷静に考える自分が胸のどこかにいて、エトゥリオルは走りながら、ひとりで笑った。
 土ぼこりの舞わないマルゴ・トアフの歩道を、エトゥリオルは駆ける。いくあてはなかった――誰も知り合いのいないところがいい。
 吸い込む風が、冷たい。それなのに体の中はひどく熱かった。
 知らない路地に飛び込んで、何事かと驚く人々を避けながら、エトゥリオルはけっこうな距離を走った。
 気付いたときには、湖が目の前に開けていた。
 立ち止まって、エトゥリオルはとっさに、水面に見とれる。当たり前だけれどまだ太陽は高くて、風に細波だつ湖面が、銀の粒を捲いたように輝いている。広い――遠い対岸には、豊かな森が広がっている。
 こんなに大きな湖が、すぐ近くにあったなんて、これまでちっとも知らなかった。
 マルゴ・トアフという都市の名前を、エトゥリオルは思う。古い言葉で、水の町という意味だ。この湖が、由来になっているのだろう。空を飛ぶトゥトゥたちからすれば、一目瞭然に違いなかった。
 端末に連絡が入ったことを知らせる音がして、エトゥリオルはびくっとした。ポシェットからとっさに掴みだして、反射的に受信機能をオフにする。切った瞬間にはもうそのことを後悔していたけれど、もう一度、スイッチを入れる勇気は出なかった。
 強い風が吹いて、対岸の森がざわめく。
 湖畔には、ちらほらとトゥトゥやテラ人の姿があった。観光だろうか、この町で働く人々が、ちょっと休憩に来ているのだろうか。
 水辺にふらふらと近づいて、エトゥリオルはそこに移る自分の顔を見た。そこにいるのは、痩せっぽちで、子どもじみた顔をした、ひとりのトゥトゥだった。
 僕はほんとうに、まだ子どもなのかもしれないと、エトゥリオルは思った。オーリォを済ませていないというのは、ただ伝統と形式の問題ではなくて、自分の翼で空を飛んで北の地を目指さないかぎり、トゥトゥは言葉通りの意味で、精神的にも肉体的にも、大人になれないのかもしれない。
 水鏡の中で歪む自分の嘴を、羽毛を、エトゥリオルは見つめる。
 ジンに当たってしまったあとで、エトゥリオルははじめて、自分の気持ちに気付いた。
 彼は、テラ人になりたかったのだ。
 サミュエルやジンやハーヴェイや、借りた地球の本の中に出てくる登場人物たち――エトゥリオルは、彼らになりたかった。
 それが馬鹿げたことだというのは、誰にいわれなくても、自分でわかる。彼は、トゥトゥだ。どんなに半人前で、子どもじみていて、ほかのトゥトゥに仲間と認めてもらえなくても、それでも動かしようもなく、エトゥリオルはトゥトゥなのだった。
 また風が吹きつけて、湖面が乱れる。葉擦れの音が轟々と唸りを上げて、鳥たちが舞い上がる。
 銀色の光の乱舞する湖畔で、エトゥリオルは泣いた。人目を気にする余裕もなく、みっともなく声を上げて、子どものように泣いた。


    10


 空が暗くなる頃になって、ようやくエトゥリオルは歩きだした。
 宵の口から風が強まったためか、湖畔にはすっかり人の気配がなくなっていた。湖面に映りこんだ半月が、風に吹きちぎられて千々に乱れている。
 戻るのには、勇気がいった。
 いったん頭が冷えてしまえば、馬鹿なことをしているという気持ちだけが残った。エトゥリオルはとぼとぼと歩きながら、羽をしぼませる。
 前にもこんなことがあった。ジンはただ心配してくれているのに、自分が勝手にそれをひがんで。
 湖をちょっと離れると、さっきまでの自然豊かな風景が嘘のように、整然と整えられたテラ人たちの都市が、目の前に広がる。
 マルゴ・トアフは広い。実際に暮らしてみて、異星人たちの人口の意外なほどの多さを、エトゥリオルは知った。
 トゥトゥは一般に、大きすぎる集団を嫌う傾向がある。O&Wのような巨大な会社もほとんどないし、各国の首都でさえ、ひとつの街に住むトゥトゥの人口は、ここよりもずっと少ない。
 ピュートゥのようなトゥトゥがテラ人を嫌うのも、もしかすると、そうしたところへの反発があるのかもしれない。ふっと、そういう考えが頭の隅をよぎった。
 そんなふうに考えてみるのは、初めてのことだった。彼らが地べた這いなんて憎まれ口をたたくのも、ただテラ系の人々を馬鹿にしているというだけではなくて、そこには強がりが含まれているのかもしれなかった。
 その広い街並みの、まっすぐな整った道を、ひたすら歩きながら、エトゥリオルは自分の足がどんどん重くなっていくのを感じた。
 メインストリートに近づくにつれて、人通りが増えてゆく。飲食店の前を通ると、人々のにぎやかな話し声が耳に飛び込んでくる。
 クビだっていわれたら、どうしよう。
 入社と同時に渡された就業規則という文書を、エトゥリオルは律義にすべて読んでいた。平易なセルバ・ティグで書かれたそれは、トゥトゥの一般的な企業で交わされるような契約にくらべると、ずいぶん細かく文章化されていた。
 その中には、無断欠勤と解雇についても記されていたように思う。あれはどれくらい厳密に適用されるものなのだろうか。
 ときどき弱気に負けて、足が止まった。そうすると、次の一歩を踏み出すまでに、また気力をふるい起さなくてはならなかった。
 もしO&Wではなくて、たとえば前にエトゥリオルがしていたような、トゥトゥの会社での半端仕事だったなら、そのまま辞めて、自分から逃げだすことも考えたかもしれない。トゥトゥは自分に合う仕事を探して、職を転々とするのが普通だ。
 けれどここは、そうではない。マルゴ・トアフの社会は、その規模にくらべて、意外なほど狭い。そのことを、エトゥリオルはすでに理解していた。企業同士の、横のつながりが強いのだ。
 母星を遥か遠く離れた異邦の地で商売をやっていくのには、協力関係が必須ということなのだろう。妙な辞めかたをしたら、ほかの会社で雇ってもらえないということも、充分に考えられた。
 それに――エトゥリオルは瞬きを繰り返す。彼は、O&Wで働きたかった。ほかではない、この会社で。
 その気持ちだけが、かろうじて足を前に押し出していた。
 社屋の前に着いたときには、すっかり夜も更けていた。
 時間も遅かったが、残業しているスタッフはいるかもしれない。ともかく一度、戻らなければならないと思った。
 事情を知らない顔見知りが声をかけてくるのに、気もそぞろに答えながら、エトゥリオルは廊下を歩く。もしクビになったらと思うと、ぎゅっと心臓が縮むような気がした。
 設計部の前まで来て、足が止まった。
 謝らなくてはならない。
 わかっていても、手がなかなか伸びなかった。ドアにつけられた小さな機械を、じっと見つめたまま、エトゥリオルはいっとき躊躇していた。
 通りかかった人が、怪訝そうに彼の方を見ては、声をかけづらそうにして通り過ぎる。三人目の姿が遠ざかったところで、ようやくエトゥリオルは覚悟を決めた。
 なんども深呼吸したあと、ようやくIDを通して設計部に入ると、中はまだ皓々と明るく、何人ものスタッフが残っていた。
 アンドリューがエトゥリオルに気付いて、笑顔で振り返る。「よう、大丈夫か」
「――すみませんでした」
 反射的に謝って、顔を上げると、残っていたスタッフがそれぞれに、気遣って声をかけてくれた。エトゥリオルを責める者はいなかった。それがかえって申し訳なくて、小さくなりながら、エトゥリオルは何度も頭を下げた。
「気にすんな。何を話してたか知らんが、まずジンが悪い」
 アンドリューが笑って断言するのに、エトゥリオルは必死でかぶりを振った。横から別の同僚が声をかけてくる。「ジンとは会えたの?」
 エトゥリオルは目を丸くして、羽毛を逆立てた。そのようすで、察しがついたらしい。周りにいたスタッフがそろって顔を見合わせた。
「なんだ、まだ会えてなかったのか。あいつ、変なところでトロいよなあ」
「もしかして、あのあと――」
「お前を探しにいったきり、戻ってないよ。いつまでうろうろしてるんだろうな――心配性なんだか何なんだか。お前だって、大の大人だってのになあ」
 怒ってもいいんだぜと、アンドリューはいったけれど、エトゥリオルは小さくなって首を振った。子どものようなことをしているのは、どう考えても自分のほうだ。
「連絡、なかったのか?」
 びくっとして、エトゥリオルはポシェットを探った。携帯端末は、湖畔で受信機能を切ったままだった。
 その薄っぺらい端末を、まるで爆弾かなにかのように、エトゥリオルはおっかなびっくり取り出した。そのしぐさをみた同僚たちから笑われても、恥ずかしく思う余裕は、エトゥリオルにはなかった。
 画面を開くと、何度も連絡の入った痕跡があった。ジンの個人端末のIDだ。
「過保護な母ちゃんみたいなやつだなあ」
 アンドリューがにやにやしながら覗き込んで、早く連絡してやれよといった。その軽い調子に助けられて、かろうじてエトゥリオルは、端末を取り落とさなくてすんだ。
『――リオか? いまどこにいる?』
 通話が繋がるなり、勢い込んで訊かれて、エトゥリオルは口ごもった。アンドリューが笑って、横から口をはさむ。「お前、いったいどこまで探しにいってんだよ」
 ――戻ったのか、と安堵したような声がして、エトゥリオルは縮こまった。
「ごめんなさい……」
『――無事ならいい』
 もう寮に戻れといって、ジンは通信を切った。ぶっきらぼうな調子だった。
「聞いたか、あの声」
 アンドリューが、腹を抱えて笑っている。ますますいたたまれなくなって、エトゥリオルは端末を握りしめた。
「――ほんとに、今日はごめんなさい。あの、僕、欠勤は……」
「休暇届を出しといたから、大丈夫よ」
 横から同僚が声をかけてくれるのに、エトゥリオルは頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました……」
 恥じ入るエトゥリオルを見て、皆が笑う。アンドリューがエトゥリオルの背中を叩いた。
「だいたいお前ら、ふたりとも真面目すぎるんだよ。そんなに堅苦しくやってたら、いちいち肩が凝るだろ」
 エトゥリオルは首をかしげる。凝るような肩は、トゥトゥにはない。気付いて可笑しくなったらしく、アンドリューはひとりでげらげら笑った。


 寮の廊下で、ジンを待っていた。
 待ち合わせたわけではないのだけれど、今日のうちに、ひとこと顔を見て謝りたかった。
 待つあいだ、何度も弱気がさして、くじけそうになった。ジンは怒っているだろう。まだ戻ってこないということは、かなり遠くまで探しにいってくれていたのではないか。
 ひとりでじっと黙っていると、次から次に自己嫌悪が襲いかかってきた。
 エトゥリオルはO&Wに入社した日のことを思い出す。あの日、自分に与えられたデスクを前にしたとき、何よりもまず、一人前の働きをできるようにならなくてはと思った。それだというのに、いつまでも周りに迷惑をかけては、心配ばかりされている。
「リオ? 待ってたのか」
 ジンの声がして、エトゥリオルは飛びあがった。
 とっさに逃げ出しそうになった。踏みとどまったのは、ジンの疲れた顔に気付いたからだ。
「――今日は、本当にすみませんでした」
 情けないほど、小さな声しか出なかった。
 いや、と首を振ってから、ジンは言葉を探すような顔をした。
 エトゥリオルのほうでも、謝るだけではなくて、ジンと話さなくてはならないことが、あるような気がした。けれど、待つ間にいくらでも時間はあったはずなのに、考えはうまくまとまらなかった。
 ジンがなにか、口を開こうとした。そのとき、軽快な足音が近づいてきた。
 顔を上げた二人は、山もりの野菜籠と、そこから生えた人の足を見た。
 籠には、何種類もの野菜が積み上げてある。トゥトゥが日常的に食べる種類のものばかりだ。よほどうまく詰めてあるのか、よく崩れないなと不思議になる高さだった。それだけの荷を抱えているのに、持ち主の足取りは軽い。
 ぽかんとする彼らの前を、一度は通り過ぎてしまってから、ベイカー女史は立ち止まった。視界を遮るほど山積みの荷物を抱えていたら、それは前方に立っている人間の顔にも気付かないだろう。
「ああ、ちょうどよかった。約束の報酬を持ってきたのよ」
 そうにっこりと笑って、女史はエトゥリオルに籠を差し出した。もう日も落ちてずいぶんになるというのに、またしてもなぜか、顔には泥がついている。いまのいままで農作業を続けていたのだろうか。
 とっさに手を伸ばして、籠を受け取ってしまってから、エトゥリオルはそれが先日の手伝いの礼だと、ようやく気がついた。「あ――わざわざありがとうございます」
「こちらこそ。また何かあったらよろしくね」
 女史はそこでようやくジンに気付いて、きょとんと首をかしげた。
「――あら? お取り込み中だったかしら?」
「いえ……」
 首を振ってから、堪えかねたように、ジンが吹き出した。
 彼が声を立てて笑うのを、エトゥリオルは初めて見たような気がした。
「失礼ね、人の顔を見て笑うなんて」
 ベイカー女史がふてくされてみせたあたりで、エトゥリオルもつられて、つい笑いだした。
 女史も、本気で気を悪くしているわけではなさそうだった。わざとらしく肩をすくめて怒ってみせてから、レイチェル・ベイカーは自慢の野菜を手のひらで示して、目を輝かせた。
「わたしにはあなたたちの味覚はわからないけど……」
 そう前置きして、女史は胸を張った。「検査結果の数字からしたら、きっとトゥトゥにも美味しくできてると思うのよ。今度、感想を聞かせてね」
 エトゥリオルが何度もうなずくと、満足したようににっこり笑って、女史は去って行った。弾むような、軽やかな足取りで。
「――それ、全部食うのか」
 ジンはまだ笑っていた。エトゥリオルは自分の手の中の籠を見おろす。たしかに、ものすごい量だった。
 ふつうのトゥトゥは大喰らいだから、ベイカー女史はそのつもりで持ってきてくれたのかもしれない。それにしても、小柄な彼女がよくもこれだけ抱えてきたなというような、ずしりとした重みがあった。
「ええと……食堂に持って行って、使ってもらおうかと思います」
 それがいいとうなずいて、ジンはようやく笑いをおさめた。そして、ふと改まって、真顔でいった。
「――リオ、君は、飛行機は好きか?」
 エトゥリオルは面食らった。いまさら何でそんなことを――ほとんどいいかけてから、気付いた。
 自分はそのことを、口に出していったことがない。
 ジンの前だけではない。誰の前でも、ずっといえなかった。そのことを、いまやっとエトゥリオルは自覚した。
 口に出すのが怖かったのだ。
 何が怖かったのか。自分の胸の内を、エトゥリオルは振り返る。不相応だと感じるからだろうか。トゥトゥが飛行機を好きだなんて、おかしなことだと、いつの間にか自分でも、思い込んでいたのだろうか。
 顔を上げて、エトゥリオルははっきりといった。
「好きです」
 ジンはいっときエトゥリオルの目を見返して、それからうなずいた。
「――わかった」
 それだけだった。それですべて話は終わったというように、ジンは話題を打ち切った。
「まだ、晩飯も食ってないんじゃないのか」
 いまのいままで空腹を感じる余裕はなかったけれど、いわれてみれば、そのとおりだった。エトゥリオルはうなずいて、それからジンも同じだろうということに、ようやく気がついた。
 社員食堂は、まだかろうじて開いている時間だ。ジンは野菜籠に視線を投げて、目の端でちらりと笑った。
「半分持つから、そいつを厨房にあずけて、飯にしよう」
 慌ててうなずいて、エトゥリオルはおっかなびっくり、籠の持ち手を差し出した。

   ※  ※  ※

 食事を終えて部屋に戻る途中、エトゥリオルの端末に、メールの受信を知らせる表示があった。
 画面を見るけれど、発信元には見慣れない署名があって、それもほとんど文字化けしている。画面に触れても、アクセスできない――携帯用の小型端末では閲覧できない、特殊な形式のデータということだ。部屋に戻らなければ、中身を見ることができない。
 コンピュータウイルスの類は、あまり心配していなかった。ものを持ち歩くことを嫌うトゥトゥたちは、積極的にネットワーク技術を活用したがるから、社会全体でセキュリティ対策が進んでいる。
 誰だろう――エトゥリオルは首をかしげる。
 ふつう、知り合いはたいていメールを送りつけるにせよ、話すにせよ、携帯している端末のほうに直接連絡をとってくる。こんな形でメールが届くというのは、そうそうないことだ。それに、この見慣れない形式。
 自分の部屋に戻ると、真っ先に端末に向かった。
 そこに表示されたデータにどきりとして、エトゥリオルは画面に見入った。私物の小型端末では文字化けしていた発信者名が、こちらではちゃんと表示されている。
 船籍番号EVS2−01002N。英語でそう書かれていた。


『やあ、リオ? 元気にしてる?』
 そういって、画面の向こうで笑っているのは、サミュエルだった。エトゥリオルはぽかんと口を開けて、映像に見入る。
『――なんだろう、これ、あらたまって喋るの、ちょっと恥ずかしいね』
 照れくさそうに頭を掻いて、サムはいう。背景には、宇宙船の内部なのだろう、見慣れない金属光沢のある壁が映っている。壁のいたるところにモニタがあって、何かの装置があって、パネルがある。喋っているサムの背後を、小型のロボットが通り過ぎて行った。あれは何をする機械なんだろう――
『まだまだ地球までの道のりは遠いんだけど、でも、そっちの太陽はもうちっともわからなくなった。縮尺図で見てても、なんかスケールが大きすぎて、あんまりぴんとこないけど――やっぱり早いね。クルーの人から、理屈を教えてもらったけど、難しくて、さっぱり。君ならもっと分かるのかな』
 後ろで誰かの抗議の声と、笑い声が混じる。画面には映っていないけれど、そばに人がいるのだろう。
 映像のなかのサムは、鼻をこすって、ちょっと笑う。
『君のほうは、もう仕事はすっかり慣れたころかな。いまどんなことしてる? 僕はまだ無重力に慣れないよ。よくいろんなところにぶつかってる。完全な無重力じゃないんだけど――なんか、遠心力を利用して、擬似的に低重力状態を作るんだって――でもやっぱり、体がふわふわしてる。ちょっとジャンプすると、すぐ天井に頭をぶつけるんだ。ほら』
 いって、サムは軽くその場でジャンプしてみせた。力を入れたようには見えなかったのに、彼の体は高く跳ね上がる――危なっかしく天井に手をついて、下りてくるときによろめいた。
『こんな感じ。そのうち慣れるだろうけど、でも地球は、そっちよりもちょっと重力が強いっていうから、どうかな。向こうに着いてからのほうが、苦労するかも』
 画面の向こうで、サムは微笑む。


 いつかまた、そっちに戻るつもりだけど、でも、みんなの話を聞いてたら、やっぱりけっこう大変みたいで――いまはほら、僕、うちの親のオマケみたいなもんだから、いろんなことをずいぶん免除してもらってるんだけど。本当は、宇宙船に乗るだけでも、なんか難しい資格がいるんだって。
 こういう船の乗組員になる資格に比べたら、乗客として乗るのはもうちょっと簡単だっていうけど、やっぱりけっこう、時間がかかるかもしれない――
 でも、かならず戻るよ。その前に、まずは地球をめいっぱい見物してくる。面白い風景があったら、向こうからメールする。
 メールっていえば、ほんとなら、こうやって通信を送るだけでも、お金がかかるんだって――思ったほど高くはないみたいなんだけど、僕、いまは自分で使えるお金なんて、ほとんど持ってないしさ。どうしようかと思ってたら、会社のひとが、こっそり支社あての通信と同送してくれるって――あれ、これ、このメールで言っちゃってよかったのかな。
 ――O&Wは情報管理がしっかりしてるから、プライヴェートの通信をのぞき見するようなふとどきな社員はいません、だって。社用便に私用メールを紛れ込ませちゃうふとどき者はいるみたいけど――ごめんなさい、感謝してます! ほんとだって!
 もう、友達あてのメールなんだから、ちょっとは遠慮してよ――うん、大丈夫。操作は覚えたよ。わかった。

 人が離れていく気配がする。いっとき後ろ頭を見せていたサムが、あらためて振りかえって、カメラに向かって微笑む。ちょっと緊張したような表情。

 あのさ、僕、ずっと君に、いわなきゃって思ってたことがあるんだ。
 リオ――君はさ、たぶん君が自分で思ってるより、ずっといいやつで、すごいやつなんだよ。だから、もっといつも堂々としてたらいいのにって――ごめん――ほんとはときどき、思ってた。だって君、いつもなんか遠慮して、小さくなってばっかりでさ。――君のそういうところ、いいところだとも、思うんだけど。君、ぜったいひとを見下したりしないもんな。
 ハイスクールでだって、君、皆から好かれてたのに――まあ、いやなやつもいたけど。だけど僕、君といっしょじゃない授業のときに、ほかのやつらが君の噂をしてるの、たくさん聞いたよ。――いい噂だよ、念のためにいっとくけど。
 そんなの、いまさら何って思うかもだけど、君、なんだかそういうこと、ちっとも気付いてないみたいに見えたから。
 いつか、いおういおうって思ってて――でも顔を見てたら、なんか恥ずかしくってさ。
 でも、よく考えたら、こんなふうに一方的にいうことじゃなかったかな。
 ――あんまり長い時間は無理だって、いわれてたんだった。地球についたら、またメールするよ。
 君も、もし都合がついたら、いつか返事をくれたらうれしい。――元気で、リオ。


 ひとりきりの部屋で、エトゥリオルはちょっと泣いた。
 今日、二度目の涙だと思って、誰も見ていないのに、自分で恥ずかしくなった。子どものころの泣きべそが、いまさらぶり返したみたいだった。


   ※  ※  ※

 翌朝、出勤するなり、エトゥリオルは大量の図面や仕様書を押しつけられた。
 アンドリューはじめ、何人ものエンジニアから、次から次にだった。ひとつひとつは難しい案件ではないし、たいした分量でもない。いまのエトゥリオルなら、ひとりでしっかりこなせる内容だ。
 目を白黒させながらデータを受け取って、エトゥリオルはいたたまれなくなった。昨日、ここを辞めることまでちらりと考えたのを、口に出してもいないのに、みんなに見透かされている気がした。
「お前らな……自分でやれよ」
 横で見ていたジンのほうが、途中で怒りだした。
「チームワークだろ? 手のあいてるやつにどんどん任せなきゃな」
 飄々というアンドリューに、ジンが顔をしかめて、何ごとか、耳打ちをした。
 アンドリューは眼を丸くして、口笛を吹いた。それからにやりと笑って、エトゥリオルに押しつけた仕事のいくつかを、引きとっていった。
 なんだろう?
 首をかしげながらも、なんだか訊きづらくて、エトゥリオルはまばたきをした。
 押しつけられた仕事で、午前中はやたらとあわただしかった。失敗のないようにという気持ちと、早く片付けたいという気持ちのあいだで目まぐるしく立ち働いていると、ほかのよけいなことを考えている暇がなかった。
 午後の始業から間もなく、設計部の部長が、ジンのデスクに近寄ってきた。
「――支社長の了解が出たよ」
 ジンがそっけなくうなずくと、部長はエトゥリオルのほうに向きなおって、目じりに皺を作って笑った。それから彼の翼のあたりを、ぽんと軽く叩いて、去っていった。
 普段はあまり親しく話す機会もない、偉いひとだ。そんな相手にとつぜん背中を叩かれて、エトゥリオルはおろおろした。周りを見渡しても、みな忙しそうにしていて、気付かない。アンドリューだけが、何か事情を知っているようで、エトゥリオルを見てちらりと笑った。
「リオ。ちょっといいか」
 ジンに呼ばれて、エトゥリオルは顔を上げる。真剣な顔が、そこにあった。
「昨日、あれからよく考えたんだ。もし、君さえ望むのなら、俺は――」
 ジンはそこで、一度、言葉を切った。


 それからジンが説明した内容を、エトゥリオルは即座に理解できなかった。
 言葉の意味をよく飲み込めないまま、その声は、エトゥリオルの耳を通り過ぎて行く。改良設計――操縦系の大幅な設計変更――テストパイロット。
 それらの単語の意味が、まともに彼の頭にしみこんできたのは、だいぶ経ってからだった。
 ジンは一呼吸おいて、いった。
「――俺は君に、空を飛ばせてやりたい」


    11


 改良設計のプランに上ったFMA202という機体は、いつかフェスティバルの空に見たものだった。あの日サムと二人で見上げた、銀色の飛行機。


 大変だぞと、いろんなひとから念を押された。
 いまの飛行機には優秀な自動制御機能がついているから、事故はそうそうないが、それでも可能性はゼロではない。まして試作機のテストパイロットならなおさらだ。トゥトゥの飛ぶ空と違って、ずっと高いところを飛行するから、一度事故が起きれば危険も大きい。
 その上、航空機を嫌うトゥトゥからの視線は、厳しいものになるだろう。いわれのない中傷も受けるだろうし、悪くすれば嫌がらせを受けることだってあるかもしれない。
 ほんとうにそれでもやるのかと、誰かに訊かれるたびに、エトゥリオルは繰り返し、自分の胸の内をのぞきこんだ。
 いつかのフェスティバルの日、空を舞う銀色の機体を見上げたあのときから、いつか飛行機に乗って空を飛べたらと、心のどこかで思っていた。
 それはずっと、ただの夢想だったのだ。
 トゥトゥのパイロットはまだひとりもいないと聞いていたし、操縦士の訓練は大変だということも、知識としては持っていた。だからそのいつかというのは、やってくるかどうかもわからない、遠いいつかだった。おそらくはそんな機会はないだろうけれど、もしかしたら何かの間違いでそんな日がやってくるかもしれない。そういう距離の向こう側にある、甘いばかりの願望だ。
 それがただの夢ではなくなって、まだどこか実感がわかないような日々の中で、エトゥリオルは何度となく自問した。本当に、僕は空を飛びたいのかと。
 飛びたかった。
 子どものころ、みんなの舞う空をひとりで寂しく見上げていたころの感情を、いまでもよく覚えている。
 空を飛んだからといって、いまさら彼らの仲間に入れてもらえるとは、思っていなかった。ただあの空を、もう一度、どうしても飛びたかった。
 願っても叶わないことだからと、子どものころからずっと諦めて、押し殺してきたつもりの願いは、本当に死んではいなかった。そのことをエトゥリオルは、ようやく自分に対して認めた。

  ※  ※  ※

「あのね、ほんとはリオには内緒だったんだけど」
 同僚からそう耳打ちされたのは、エトゥリオルがテストパイロットになるための勉強を始めて、まもなくの頃だった。
「夏の終わりごろ、改良設計の話が来るちょっと前に、ジンがしばらく、ずっと残業ばっかりしてたでしょう。あれね、本当に忙しかったっていうのもあるんだけど。半分はね、操縦系とインターフェイスの改良設計の、シミュレーションをやってたのよ。トゥトゥのパイロットが乗るための――会社の命令も全然きてないのに、こっそりね」
 エトゥリオルは驚くあまり、テキストを表示した端末を、落っことしそうになった。彼女は小さく含み笑いを残して、自分の仕事に戻っていった。
 ――それが本当なら、ジンは彼が思うよりもずっと前から、エトゥリオルがいつか空を飛ぶ日のことを、考えていてくれたことになる。ただ、それが彼のためになるかどうか、判断しかねていただけで。
 何度もまばたきをしてから、エトゥリオルは首を回して、ジンの姿を探した。ジンは隅のブースで、他社の技術者と打ち合わせをしていた。
 本当にそれが自分のためのことだったと思うのは、うぬぼれだろうかと、エトゥリオルは考えた。それから首を振って、考えるのをやめた。いま彼がすべきことは、かけてもらった期待に応えることだけだ。


 何度となく、計測があった。骨格、姿勢ごとの筋肉と骨の動き、視覚や音に対する反応。
 地球人のために作られて改良されてきた操縦席は、座席もインターフェイスも、そのままではトゥトゥには扱えない。ひとつの装置や部品を置き換えれば、その周辺のあらゆるものに影響が出る。ときには重量バランスが変わって、機体そのものの形にも影響が出る。エトゥリオルが想像していたよりも、よほど大げさな改良になった。
 ひとつひとつの部品や装置や配置について、改良の方針を決め、アイデアを出し、検証し、ほかの要素と組み合わせてシミュレートしていく。彼が漠然と思い描いていたものと、実際の作業はずいぶん違っていた。なんというか――たとえば計算やシミュレーションはコンピュータがやるにしても、発案や検証については人間がするというぐあいに、もっと役割がわかれているものだと、エトゥリオルは勝手に思い込んでいた。
 実際にはそうではなかった。コンピュータが無数に発案し、自らそれを検討して、拠り分けた選択肢を人間に差し出す。それを人間が別の視点で検討し、戻す。エンジニアが何かを思いつけば、それを端末に入力し、コンピュータによって無数の類似パターンについて検証とシミュレーションが開始される。うまくいきそうだったら小型のモデルを作って、実験が進められる。
 そういうことの往復によって、驚くほど速やかに、多くのアイデアが試されてゆく。膨大な試行の反復と蓄積。
「本当は、小型のグライダーみたいなもののほうが、自分で空を飛ぶ感覚に、もっと近いと思ったんだが――」
 ジンがあるとき、ぽつりとそういった。端末の画面に、彼が呼びだして見せたのは、FMA202とはまるでフォルムの違う、小さくて軽そうな飛行機だった。画像で見るだけでは、それはいっそ、おもちゃのようにさえ見えた。
「こっちは地球と違って、風が強すぎる。シミュレーションはしてみたんだが、安全性を考えたら、運用は厳しい。――FMAじゃ、自分で飛んでいるという感覚は、あまり強くないかもしれないが」
 エトゥリオルは微笑んで、静かに首を振った。彼が乗りたかったのは、あの銀色の機体だ。けれどその感情は、うまく言葉にならなかった。


 小型機の操縦資格は、大型の航空機に比べれば、比較的容易に取れるらしかった。
 それでもエトゥリオルが勉強することは、山のようにあった。ただ機械を操作する方法を体で覚えればいいというのではない――万が一の機械の故障や誤動作に、パイロットは対処できなくてはならない。そのためには飛行機が空を飛ぶ仕組みを理解する必要があったし、装置や部品のひとつひとつの役割と、それが壊れたときの対処を、いちいち把握しなくてはならなかった。
 支社長は君を広告塔にしたがっているという、いつかのジンの言葉のとおり、支社としては本当なら、どんどん取材を入れて、エトゥリオルの存在をアピールしたいらしかった。
 それを、設計部のスタッフが上申して、待ったをかけてくれた。悪意による捻じ曲げられた報道はいくらでも予想されたし、周囲が落ち着かなければ、エトゥリオルの訓練にも差し支えが出てくる。
 それよりも改良設計がひと段落して、彼が完成した新型機で空を飛ぶときが来てからのほうが、宣伝効果も大きいはずだ――やや強引な説得ではあったけれど、支社長はその意見を呑んだ。定期的なプレスリリースはあったけれど、現場に記者が乗り込んでくるようなことは、ともかく差し止められた。
 計測、学習、シミュレータによる訓練、たび重なる健康診断、公的機関への許可申請。やることはいくらでもあった。改良設計そのもののプランが二年計画だったのは、考えようによっては、ちょうどよかったのかもしれない。


 春が来るころにはエトゥリオルの学習も、模擬装置を使ったシミュレーションが中心になっていた。
 よく晴れたある日の午前中、エトゥリオルはジンに連れられて、工場に向かった。よく行く、支社に隣接しているすぐそばの作業場のほうではなくて、少し離れた郊外にある、航空機専用の工場。
 大きな建物だった。中に足を踏み入れる前から、機械油のにおいがしていた。建物の中とは思えないような広大な空間を、さまざまな重機が忙しなく行き来している。
 整備場の真ん中に、銀色の飛行機が、堂々と横たわっていた。
 ぽかんと口を開けて、エトゥリオルはそれを見上げた。まだ出来上がってはいない――よく見れば、作業中の箇所を示すペイントが、いくつも目につく。
 それは飛ぶ姿から想像していたよりも、はるかに巨大な機械だった。
 ――これで、小型機なんだ。
 エトゥリオルはおそるおそる、機体に近づいた。
「触っても?」
 案内してくれていた作業員に訊くと、中年のテラ人は、にやりと笑ってうなずいた。
 促されて、エトゥリオルはそっと手を伸ばした。かぎづめの手が、機体の表面に触れて、かちりと小さく音がする。冷たく、頑丈な、鋼鉄の皮膚。
「おいおい、そんなにそろっと触らなくても大丈夫だよ。いくら君に腕力があっても、こいつを壊すのは簡単じゃないぜ」
 作業員に笑われた。エトゥリオルはきょろきょろして、それからもう一度、機体に触れる。手に返ってくる感触は、力強かった。
 これが、彼の相棒になるのだ。

   ※  ※  ※

 訓練が始まって半年が過ぎた。それは待ち遠しく、苦しくて、長いような短いような、奇妙な時間だった。
 季節は初夏を迎えていた。
 その日の朝、支社長がじきじきに設計部まで足を運んで、満面の笑みで、それを発表した。エトゥリオルの操縦許可証が、ようやく到着したのだ。
 操縦免許とは違う。免許を取るためには、これからさらに教官を隣に乗せた状態で、一定時間の操縦経験を積まなくてはならない。まずはその訓練飛行をするための、許可証だった。このあと、本物の免許を彼が手にするのは、まだまだ先のことになる。
 ただそれだけの許可が、ここまで遅くなったのにはわけがあった。マルゴ・トアフはエトゥリオルの目から見ればかなりの規模の都市だが、それでも彼ら地球人にとっては、小規模の居留地なのだ。各国の企業が身を寄せ合って、それを便宜的に国際機関の支局が統括しているという、不安定な都市。
 航空機の操縦に関する資格試験や認可の体制は、これまで、この街の中で独立して整えられてはこなかった。いまヴェド上で活躍しているパイロットはほとんど皆、地球で免許を取ってからこちらへ移住してきている。当然ながら、トゥトゥにはそのような免許制度はない。
 そのせいで、どの機関がどういう手順で許可証を発行して、それに誰が責任を負うのかということが、なかなかまとまらなかったそうだ。これ以上遅くなれば、試験飛行のスケジュール自体を、大幅に見直さなくてはならなくなるところだった。
 許可証が届いたときには、試作第一号機は、すでに完成していた。
 衛星の観測データと気象予報が念入りに何度もチェックされ、スケジュールの調整がなされた。
 エトゥリオルの初フライトは、その三日後に決まった。

  ※  ※  ※

 試験飛行場は、広かった。
 マルゴ・トアフの郊外、航空機メーカー各社の工場がずらりと並ぶその先に、その飛行場はある。
 自動車を降りて、エトゥリオルはその広々とした飛行場の、さまざまな方角に伸びた滑走路を見わたす。
 地球でならば、低空を飛ぶ航空機も多いらしいのだけれど、ヴェドではトゥトゥとの衝突が危険というので、離発着のためのごく限られたエリアの外では、一定以上の高度しか飛ぶことが許されていない。
 その離発着のための施設周辺には、かなりの範囲において、トゥトゥの飛行を禁じる区域が設定されている。間違っても彼らがうっかり飛びながら越境しないように、周辺ではアナウンスがされている。地上にも大きな目立つ標識が立っているし、ちょうどトゥトゥが飛ぶあたりの高度の前後には、うっとうしいほどの数のマーカーまで浮いている。
 ここから飛び立って、その区域のなかで決められた高度まで上がり、予定空域のフライトをこなして、戻ってくる。
 風は強すぎず、弱すぎず、一定の速度で吹いている。空は晴れ渡って、よく澄んでいた。見渡す範囲には、雲ひとつない。
「絶好のフライト日和だ」
 そういって、彼の教官はひとつ、気持ちよさそうに伸びをした。
 こういう飛行訓練のときには、訓練を実施する資格のある人間が、同乗しなくてはならないらしい。
 ヴェドに暮らすテラ人パイロットはけっこうな数がいるが、そういう指導をする資格のある人間はあまり多くなくて、だからかなり無理をいって、彼には予定を開けてもらっている。エトゥリオルが操縦免許の申請資格を獲得するまでの時間数を、これからこの人物に、助けてもらわなくてはならない。
 よろしくお願いしますといって、エトゥリオルは神妙に頭を下げた。
 通常の路線に使われている飛行場ではなく、あくまで試験用の設備だから、本物の管制はない。
 ただの小型機の操縦訓練というだけならば、本来は必要ないのだが、必然的に試作機のテストを兼ねての操縦になることから、この日は仮管制まで準備されていた。近くの建物から飛行がモニタされ、随時、無線で指示が飛んでくることになっている。
 もうじき訓練開始時刻だった。
 エトゥリオルは、飛行場の端に遠慮がちに停まっている試験機を見つめた。
 銀色の翼を輝かせて、それは、静かに出発を待っていた。
 空を仰ぐ。いつか兄の背に乗って飛んだ空を、エトゥリオルは思い出す。それから地上のごみごみした建物の隙間から、いつも見上げていた空を。


    12


 エイッティオ=ルル=ウィンニイは子どものころから、何をやらせてもひとより器用なたちだった。
 頭の出来もよかったし、飛ぶのもとびきり速かった。曲芸飛行だって、彼よりうまくやれるやつはそういない。特段の努力をしたわけではない。初めから、彼にはほとんどのことが容易だったのだ。
 ひとの心の機微を汲むことにかけても、それは同様だった。優秀すぎるものは妬まれる。彼がそのことを理解したのは、かなり早い時期だ。だからエイッティオ=ルル=ウィンニイは、道化になった。
 陽気で目立ちたがりで、お調子者のエイッティオ=ルル=ウィンニイ。それが彼の評価になった。口さえ閉じておけばいい男なのに、いつも馬鹿げたことばかりいって、ひとを笑わせている。しょっちゅうくだらない悪戯を仕掛け、何の意味があるかわからないような冒険には率先して先頭をきる。
 当然のように、エイッティオ=ルル=ウィンニイは仲間たちから好かれた。何もかもが呆れるほど、彼にとっては簡単だった。簡単すぎた。
 道化の仮面の内側で、彼はいつも退屈していた。あっさりと彼の見せかけに騙される同胞たちを、いつも醒めた眼で見つめていた。ありとあらゆることがくだらなくて、馬鹿らしいとしか思えなかった。それだというのに、その仮面を脱ぐことも面倒で、彼はいつまでも道化であり続けた。
 その仮面と心との落差が、どこかににじみ出てしまうのかもしれない。オーリォを迎えると、彼の周りにはひっきりなしに女の子たちが集まってきたけれど、結局のところ、誰とも長続きしなかった。
 成人して働き口を見つけてからも、そうした彼の鬱屈は変わらなかった。仕事を覚えるのに何という苦労もなかったし、上司からも同僚からも、エイッティオ=ルル=ウィンニイは当然のように好かれて、可愛がられた。そしてそのことに、彼は深く失望した。
 何もかもがつまらなかった。
 所詮はそんなものだと諦めようとしたけれど、一年が経つころにはどうしようもなく、何もかもが嫌になっていた。
 二度目のオーリォの旅先から、エイッティオ=ルル=ウィンニイは戻らなかった。
 職場をクビになったことも、かつての仲間からあらぬ噂を立てられたことも、もうどうでもよかった。彼はふらふらと、無為にあちこちを飛び回った。そういう自分を、醒めた眼で見つめたまま。
 遊び呆けて丸一年もすれば、手持ちの金もすっからかんになった。それでエイッティオ=ルル=ウィンニイはふと気まぐれを起こして、両親のもとを訪ねてみる気になった。
 本気で困り果てていたわけではない。なんだかんだで要領のいい彼は、短期間の仕事くらいなら、いつでも見つけることができた。職や住まいを点々と変えるトゥトゥは、珍しくない。やろうと思えば、いくらでもやり直せる。
 だからそれはただ単に、嫌がらせのつもりだった。あまり彼に親らしいことをしてくれたことのない両親――彼のほうでも、ふたりに頼ったり甘えたりということをした記憶がほとんどなかったから、ある意味ではお互いさまだったのだが、ともかくこのときエイッティオ=ルル=ウィンニイは、彼らを困らせてやろうと思ったのだった。
 ふつうのトゥトゥは、独り立ちしてしまえば、めったなことでは親元に戻ったりしないものだ。まして金をたかるようなやつは、そういない。常識のある親だったら、一発はたいて追い出すだろう。ただでさえちょうど、次の子を育てるのに忙しく、もの入りな時期でもあるのだから。
 子ども時代、彼にあまり関心を払わなかった両親は、このときもやはり興味のなさそうな顔のまま、投げつけるようにして彼に金を与えた。
 皮肉に笑って金を受け取ったエイッティオ=ルル=ウィンニイは、足元に転がる毛玉に気付いた。白っぽい、ぼわぼわした毛の塊。
 よく見れば、そいつには小さな嘴と手足があった。
 これはもしかして自分の弟かと、エイッティオ=ルル=ウィンニイは目を丸くした。およそトゥトゥには見えない。どうひいき目に見ても、不格好な鳥のヒナだった。ちょっと足の先でつつくと、あっけなく転がってぴいぴい鳴いた。
 だというのに、すぐに立ち直って、よたよたと寄ってくる。それをまたつつく。毛玉は転がって、やっぱりぴいぴい鳴いて、それでも懲りもせずに、また彼のほうに近づいてくる。そうしてじっと、エイッティオ=ルル=ウィンニイを見上げる。
 彼はちょっとの間、面白がって弟を転がしていたけれど、それにもじきに飽きて、あっさり興味をなくした。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはその日のうちに再びあてのない旅に出て、それきり弟のことは、すっかり忘れていた。

   ※  ※  ※

 エイッティオ=ルル=ウィンニイは不機嫌に翼を揺らしていた。
 眼下には、のっぺりした路面が広がっている。無機的に固められ均された、阿呆のようにだだっ広い地面。
 滑走路、というのだそうだ。整然と引かれたラインに、点在するマーカー。その先、遠くに見えるのは、巨大な銀色の機体。
 この路面を、あの不格好な機械が走って、空に飛び立つのだという。
 大仰なことだ。エイッティオ=ルル=ウィンニイは胸のうちで、皮肉に笑う。どうして飛ぶのに、こんなに長い助走が必要なのか。
 だいたいあの機械の、不格好なことといったらどうだ。あんな単純な形の鉄の翼が、自在に風をとらえて羽ばたくとは、とても思えなかった。あんなもので空を飛んで、安全だなんて、エイリアンどもは本気でいっているのだろうか。
 初夏の陽射しは強い。胸のうちで散々に目の前の光景を罵りながら、エイッティオ=ルル=ウィンニイは陽炎のたつ滑走路を睨む。
 それが八つ当たりだというのは、自分でもわかっている。
 けっこうな数の航空機が、いまやヴェドの各地を行き交って、遥かな遠い土地からさまざまな荷物を運んでくる。それが彼らの生活にもたらすものは、少なくない。これまでに小さな機械トラブルはともかく、事故らしい事故があったという話も聞かない。
 だからただ単に、彼は個人的にその飛行機が気に食わなくて、難癖をつけているだけだ。自分でわかっていながら、エイッティオ=ルル=ウィンニイは胸中で罵るのをやめない。
 隣にはひとりの異星人が立って、やはり機体のようすを見守っている。弟の上司という男だ。しばらく黙りこんでいたが、ふと顔を上げて、エイッティオ=ルル=ウィンニイのほうを見た。
「――今日は風もいい具合だし、まだ訓練飛行だから、ベテランの操縦士が同乗する。心配はいらない」
 その言葉に、罵声を返しそうになって、エイッティオ=ルル=ウィンニイはぎりぎりのところで思いとどまった。
 翼を軽く広げて、エイッティオ=ルル=ウィンニイは笑顔を作る。
「いやあ、過保護だって、よくいわれるんですけどね。笑ってもらっていいですよ」
 いいながらも、心のうちでは吐き捨てていた。何が安全だ、あんな不格好なもので空を飛ぶのに、安全もへったくれもあるものか。
 けれど顔には出さなかった。あくまでにこやかに、エイッティオ=ルル=ウィンニイは翼を振る。
「――やっぱりね、俺らとしては、怖いんですよ。今回は、乗っているのが弟だからっていうのもあるんですけどね、それだけじゃなくて」
 訝しげにしている異星人を見下ろして、エイッティオ=ルル=ウィンニイは説明する。
「あなた方の飛行機が空を飛んでるのを、はじめて見かけたときにね、やっぱり思いましたよ。あんなところを飛ぶなんて、馬鹿じゃないのかって――いや、失礼」
 怒らせてもいいという気持ちが、どこかにあった。けれど異星人はわずかに眉を上げただけで、気を悪くするようすもなく話の続きを促した。テラ人の表情の細かい違いは、エイッティオ=ルル=ウィンニイにはわからない。ただ、じっと彼を見上げる男のようすは、ごく真剣なものに見えた。
 その態度を見て、エイッティオ=ルル=ウィンニイは気を変えた。首をかしげて、言葉を探す。
「理屈ではちゃんと、大丈夫なんだろうと思うんです。ただ、俺たちにとっては――なんていったらいいのかな。体が覚えてる感覚っていうか、そういうのがあって」
 少し、真面目に話してやってもいいかという気になっていた。いいながらエイッティオ=ルル=ウィンニイは、空を翼の先で示してみせる。
「ガキの頃にね、飛ぶ練習をして、ようやくよたよた飛べるくらいになるでしょう。その頃にね、何度か落っこちたり、風にあおられて危ない目にあったりするんですよ。そのときのことを、体が覚えてるんです――このくらいの高さまでだったら、何かの間違いでうっかり落っこちても、まあそうひどい怪我はしないで済むぞ、これ以上高くなると空気が薄くて飛ぶのが難しいぞ、っていうような」
 喋っているうちに、苛立ちがおさまっていくのを、エイッティオ=ルル=ウィンニイは感じた。もともと彼は、そういうタイプだ。喋れば喋るほど、自分の言葉にあおられて興奮するトゥトゥも少なくないが、彼の場合はどちらかというと、話しているうちにどんどん冷静になってくる。
「でも、あなたがたの飛行機は、それよりずっと高いところを、強引に飛んでいくでしょう。危なっかしいような強い風の中でも」
 一度言葉を切って、エイッティオ=ルル=ウィンニイは空を仰ぐ。よく晴れている――たしかにいい風だった。
「見てるとね、頭ではすごいなと思うんですけど――理屈じゃなくて、背中のここらへんが、ぞわぞわするんですよ。あんなところ飛べるはずがないぞ、死んじまうに決まってるだろう、って。――そうだな、そういう意味じゃ、エトゥリオルは向いているのかもしれません。あいつは高いところが、怖くないみたいだから」
 苦笑して、エイッティオ=ルル=ウィンニイは言葉を切った。彼を見上げる異星人は、いっとき考え込むような様子を見せて、それからうなずいた。
「俺はこんな仕事をしてるから、君らが飛行機を嫌う理由については、いろいろと考える機会が多い。異星人の技術っていうのに抵抗があるんだろうかとか、空を飛ぶのに機械の力を借りるのが嫌なんだろうかとか。だが、いくら考えても、実感としてはわからない――想像するしかないからな。そういう問題について、俺たちに本音のところで話してくれるトゥトゥは多くないし」
 ふっと言葉を切って、異星人は頬を撫でた。それからかすかに首を傾けて、いった。
「いま、君の話を聞いていて、思った。この星で飛行機が一般的になるまでには、まだかなりの時間がかかるんだろうな」
 落胆しているのだろうか――まじまじと見下ろしても、やはり異星人の表情は、よくわからなかった。エイッティオ=ルル=ウィンニイは嘴を掻く。
「――でも、飛んでるところを見てれば、やっぱり、羨ましいなとも思いますよ」
 いいながら、それがあながちただの慰めでもないことに、エイッティオ=ルル=ウィンニイは気付いた。それもまた、彼の本音だ。
「あんなふうなスピードで、空を思いっきり飛べたら、気持ちがよさそうだなっていうのも――やっぱりそれはそれで、あります」
 そのとき唐突に、遠くで低く、唸るような音がした。それが切れ目なく続き、じわじわと高まっていく。飛行の準備が始まっているのだろう。
 銀色の機体の脇で、いくつかのランプがともるのが見える。
「――俺は管制のほうに移動するよ。俺の眼では、ここからじゃ飛んでるところが、あまりよく見えないから」
 彼らの視力は、トゥトゥに比べればお粗末なものだと聞いていた。エイッティオ=ルル=ウィンニイはうなずいて、翼を振った。
「俺はもうちょっと、こっちにいます」
 そうかとうなずいて、異星人は去っていった。エイッティオ=ルル=ウィンニイはあらためて、滑走路の向こうの飛行機を見る。その巨大な機体と、まっすぐにのびる武骨な鉄の翼を。

  ※  ※  ※

 二度目に弟の顔を見たのは、最初のときから、一年半ほど経ってからだっただろうか。
 やはり金が尽きて両親のもとに顔を出したエイッティオ=ルル=ウィンニイは、弟の変化に目を丸くした。前のときには鳥のヒナにしか見えなかった毛玉は、ようやくいくらかトゥトゥらしい形になっていた。そして、とにかく騒々しかった。
 舌っ足らずにぴいぴい囀りながら、いつまでもエイッティオ=ルル=ウィンニイの足元にまとわりついてくる。最初はそれを面白がって、構ってやったりもしてみたけれど、あまりにも無心にまとわりついて来るものだから、途中からだんだんうっとうしくなってきた。
 帰ろうとするエイッティオ=ルル=ウィンニイを、引きとめようとして、弟はしつこく足元にしがみついてきた。それをあしらっているうちに、ふと彼は、意地の悪い気持ちになった。
 ちょっと脅かしてやろうかという気になったのだ。
 よく晴れて、ちょうど空を飛ぶのには絶好の日和だった。背中にちいさな弟をしがみつかせて、エイッティオ=ルル=ウィンニイは屋上に出た。
 ――しっかりつかまってろよ。
 いうと、弟は興奮したような顔で何度もうなずいた。
 風も強すぎず弱すぎず、近くを飛んでいるトゥトゥは多かった。それを横目に、屋上の縁を力強く蹴って、エイッティオ=ルル=ウィンニイは家の上空に舞い上がった。
 彼の背中に小さいかぎづめを喰いこませて、弟は歓声を上げた。やっぱりよしておけばよかったか――エイッティオ=ルル=ウィンニイはちらりとそう考えた。かえってうるさくてしかたがない。
 空を飛ぶといっても、たいした高さではない。軽く家の上空を一周して、すぐに戻ろうと思っていた。
 エトゥリオルがうっかり落っこちそうになって、びびって近寄ってこなくなれば、うっとうしくなくていいかもしれない――それくらいの、軽い気持ちだった。

 本当に落とすつもりはなかった。

 背中に食い込んでいたかぎづめの感触が、ふっと消えたその瞬間、エイッティオ=ルル=ウィンニイは自分でも意外なほど焦った。
 うっかり大けがでもさせてしまったら――落ち方が悪くて死んでしまったら。
 心臓が止まりそうになりながら急降下して、弟のもとに向かうと、エトゥリオルは屋上に転がったまま、きょとんとしていた。
 体重が軽いというのは、まったくもって、怪我から身を守るすばらしい資質なのだった。驚いたことにエトゥリオルには、怪我ひとつなかった。
 慌てているエイッティオ=ルル=ウィンニイを見て、弟はあろうことか、満面の笑顔になった。そしてひとの気も知らないで、はしゃいだようすで彼にせがんだ。もう一度、と。
 次は自分で飛べと、笑って言い聞かせながら、まだ冷や汗が出ていた。


 その日以来さすがにちょっとは気になって、たまに顔を見にいくと、エトゥリオルは会うたびにどんどん大きくなっていった。そして、それにもかかわらず、赤ん坊のときと同じように、エイッティオ=ルル=ウィンニイにやかましくまとわりついてきた。
 大きくなったとはいっても、どうも同じ年頃のトゥトゥよりは小柄なようで、体つきもなんだか痩せて貧相だった。
 そのうえどうやら、頭もあまりよくないようだった。知能が低いというのとは違うようなのだが、することがいちいち、どうしようもなく馬鹿っぽい。なんでもないようなことですぐ笑うし、すぐ泣く。
 兄がそうするようにわざと道化て見せているわけではなくて、なんというか、愚直なのだ。なんでもかんでもひとの話を真に受けて、疑うことを知らない。エイッティオ=ルル=ウィンニイに懐いてしつこくまとわりつくあたりが、その最たるものかもしれなかった。
 よくいえば、素直なのだろう。それにしても、あまりに単純な弟に、エイッティオ=ルル=ウィンニイは何度となく呆れた。こいつは本当に俺と同じ母親の卵から生まれたのだろうかとさえ思った。


 四歳になったエトゥリオルが、まだ飛べるようにならないと聞かされたとき、エイッティオ=ルル=ウィンニイはどきりとした。
 あのときには平気そうに見えたけれど、まさか落っことされたときの恐怖心が心の奥に残っていて、それが原因で飛べないんじゃないか。そんなふうに考えが向いて、どうにも落ち着かなかった。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイよ、お前はそんなことで罪悪感を抱くような、繊細なタマだったか? そう呆れる自分が胸のうちにはいた。それでもその小さな刺は、どういうわけか、いつまでもちくちくと彼の胸の片隅を刺していた。
 それだから、エトゥリオルが病院に連れられていって、飛べない原因がわかったとき、エイッティオ=ルル=ウィンニイはまず何より先に、ほっとした。
 先天的な骨の障害が理由で、この先も生涯、飛べるようになる見込みはない――なんだ、それなら俺のせいじゃない。何も気に病むことはなかったじゃないかと。
 そう思ったあとで、むちゃくちゃに気がとがめた。


 そのあと、しばらく足が遠のいた。会わなくても罪悪感はずっと残っていて、エイッティオ=ルル=ウィンニイの中で、抜けない刺になった。
 どうしても気になって、二年ぶりに会いにいった。その二年間で弟は、ひどく卑屈な眼をするトゥトゥになっていた。
 ただでさえ痩せっぽっちの小さな体を、所在なさげにさらに縮めて、飛びまわっているほかの連中を、いつまでも羨ましそうに見上げている。それで我に返ると、いじけた眼つきをする。
 会いに行ったその日、エトゥリオルは彼の前で、べそべそ泣いた。
 ――僕も、エイッティオ=ルル=ウィンニイみたいだったらよかった。
 弟のその言葉を聞いて、彼は殴られたような衝撃を受けた。部屋の隅に小さく縮こまって、兄の目を見ないまま、エトゥリオルは繰り返した。
 ――兄さんみたいになりたかった。
 馬鹿をいえ、と思った。
 後にも先にも、あんなに激情に駆られたことはない。べそを掻いている弟の横で、エイッティオ=ルル=ウィンニイは、あろうことか、自分まで一緒になって泣いた。いじけて丸まった弟の背中を見て、こんな話があるものかと思った。
 馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけれど、いくらなんでもそんな馬鹿な言い分があるものか。なにが悲しくて、お前みたいなやつが、わざわざ俺なんかのようにならなきゃいけないんだ。
 お前ならもっと、ましなものになれるはずだろう。
 その日、エイッティオ=ルル=ウィンニイは生まれてはじめて、心の底から自分を恥じた。

   ※  ※  ※

 よく晴れた空の下、滑走路の向こうから、いま銀色の機体がゆっくりと、こちらに向かって走り出した。高まっていくエンジンの音。
 充分に加速したあとで、あの機体は一気に空まで飛び立って、ぐんぐん高度を上げてゆくのだという。トゥトゥの翼では及ばない、はるかな高い空へ。
 次は、自分で飛べ――いつか、ほんのちびだった弟にかけた言葉を、エイッティオ=ルル=ウィンニイは思い出す。
 不安だった。危ないことをするなといって、弟を殴ってでも引きとめたいような気持ちは、正直にいうと、いつでもあった。
 それでもエイッティオ=ルル=ウィンニイは、この日まで一度も、弟を止める言葉を口にしていない。
 彼の弟はいま、多大なる努力のはてに、あの中にいる。そうして兄には飛ぶことのできない遥かな高空に、これから向かうのだ。いつかの幼い日に交わした、約束のとおりに。
 止める言葉が、あるはずがなかった。
 空には雲ひとつない。風が力強く彼の背を押している。
 季節はちょうどオーリォにさしかかる頃だ。これほどいい日和なら、今日あたり旅立つトゥトゥも多いだろう。
 銀色の機体は、徐々に速度を上げて迫ってくる。エイッティオ=ルル=ウィンニイは食い入るように、弟の乗る飛行機を見つめる。


    13


 コクピットは、乾いた機械油のにおいがした。
 操縦席の中で、エトゥリオルは尻をゆする。シートはシミュレータと同じもののはずなのに、まだどこか慣れない。真新しすぎるせいだろうか。
 FMA21X――起動したばかりのシステムが、ディスプレイに大きくロゴを表示した。それがまだ正式なシリアルナンバーをもらえていないこの試作機の、いまの呼称だ。
 操縦桿を握るエトゥリオルの手は、少しばかりこわばっている。副操縦席の教官にばれて、笑われた。
「そう緊張するな」
 はい、と答える声は、自分でもそうとわかるくらい、弱々しいものになった。苦笑されるのが、振りかえらなくても気配でわかる。
「大丈夫だ。いざとなったら俺もついてるし、小型機とはいえ、こいつには優秀な操縦支援システムが載ってる。おまえが妙なことをしようとしたら警告も出るし、よっぽどとんでもないことをやらかさなければ、多少のミスはこいつがカバーしてくれる――シミュレータでもいやってほど試しただろう?」
 エトゥリオルはうなずいた。それからディスプレイの表示を、声に出して読み上げ確認した。
 夢に出るほど繰り返し頭に叩き込んで、飛ぶ前のブリーフィングでもさらに二度確認したチェック項目の数々を、ひとつひとつ、順を追ってクリアしていく。
 咳払いをひとつ。通信を入れる。
「エンジン点火します」
 少し待つと、外から機体をチェックしている整備士から、返答があった。『エンジン問題なし。スタートOK』
 シミュレータと同じように、ディスプレイに次の手順のナビゲーションが表示される。たしかに、ただ何も考えずに決められたコースを飛ぶだけなら、文字さえ読めれば子どもにだってできそうなくらい、操縦システムは優秀だった。
 それでも操縦士の眼で見て、声に出して、何重にもひとつひとつのチェックを繰り返してゆくのは、それだけ空を飛ぶということが、危険だからだ。
 本来なら無人でも運用できるだけの能力がある機体に、あえてパイロットが乗り込む。万が一のシステムエラーやコンピュータの誤認を、あるいは突発的な機器の故障を、ひとの眼でもかさねて監視し、対応するためだ。システムが自動で行うあらゆる動作が、緊急時にはパイロットの制御下に置くことができるようになっている。
 エトゥリオルは気をひきしめて、機器の示すデータを確認する。ひとつひとつ、システムに、OKの合図を返してゆく。大丈夫、エラーはない。
 エンジンの音が、だんだん高まっていく。
「――不格好なもんだよな。トゥトゥや、鳥たちからしたらさ。こんなややっこしいことしなきゃ、いちいち空も飛べないっていうのは」
 ふっと軽口のように、教官がいった。
 エンジンの回転が規定に達する。整備士のOKサインを、カメラ越しに確認する。
 管制に通信を入れると、すぐに走行許可が出た。
 加速の衝撃は、訓練中に想像していたよりも、もっとずっと柔らかかった。
 ディスプレイに映るカメラの画像と、キャノピごしの実際の視界が、流れるように進んでいく。なめらかな、きれいな加速。
 計器と目視の両方で、動翼の位置を確かめる。表示される風速を確認して、声に出して離陸速度を確認する。実際に機体が動き出してしまえば、訓練で叩き込んだ手順のとおり、自然に体が動いた。
「俺が口出しすることがないな」
 離陸のシークエンスが始まる。
 呆れたように、教官が笑う。「ま、せいぜいフライトを楽しませてもらうよ」
 エトゥリオルは冠羽をぴんと立てる。ちょっとだけ、誇らしかった。シミュレータに向かって、何百回もしつこく練習した甲斐があったと思った。
 機体が、浮き上がる。
 翼がシートに押し付けられる加速の中で、エトゥリオルは言葉を失った。地平がぐんぐん遠のいていく。高度計の数字が見る間にあがっていく。
 四方の視界が、青一色に染まる。
 空に、飲み込まれたような気がした。
 自分が二人いるような錯覚を、エトゥリオルは覚えた。手順どおりに数値を読みあげ、パネルを操作し、管制に通信を送っている自分と、ただぽかんと口を開けてキャノピの向こうに見入っている自分。
「――いい天気だ」
 歌うような抑揚で、教官がいう。隣にエトゥリオルがいなければ、いまにも本当に歌いだしそうな調子だった。
 あらかじめ組み込んであった高度に達したところで、システムが確認の表示を出してきた。OKの合図を返すと、自動的に機首が下がる。
 地上からではどこまでも晴れ渡っているように見えた空だったけれど、この高さに来ると、はるか遠くの地平に、うすく雲がたなびいているのが見えた。空の色が、地上で見上げるのと、すこし違う。
「さて。試験飛行だからな。最初はこの高度での動作確認から――訓練飛行ついでに機体の試験なんて無茶な話だが、パイロットの条件からすると、しかたないか」
 エトゥリオルは小さくうなずいた。現行機では、エトゥリオルには操縦することができない。
 そしてこの機体は、トゥトゥがテストしなければ意味がない。座席の形が違い、計器の配置が違い、操縦桿のつくりが違い、言語表示が違う。テラ人とは違うトゥトゥの視野にあわせたディスプレイ。
 教官の座る副操縦席は、旧来のテラ人用のものをベースに作られている。乗る者にあわせて、操縦席周りのユニットを丸ごと換装できるように設計されているのだ。
 手作業の記録項目は俺のほうでやるから、まあお前は飛ぶことに専念していろと、教官はいった。エトゥリオルは返事をする自分の声を、どこか遠くで聞いた気がした。
 操縦方法だけでいうなら、シミュレータとまったく同じはずだ。それなのに実際の飛行は、訓練とはまるきり違うものに、エトゥリオルには思えた。
 計器や、レーダーや、ディスプレイにしめされる状況や手順。そういうことを、眼でひとつずつ追いかけているはずなのに、同時にただ無心になって、ぽかんと周りをとりまく空に見とれている自分がいる。コクピットに収まって、機体を操作しているという実感が、どんどん遠のいてゆく。
 奇妙な感覚だった。教官も機器も、手を伸ばせば届くすぐそこにあるのに、エトゥリオルはまるで、たったひとりで空に浮いているかのような錯覚を覚えた。
 トゥトゥの視野は広い。前を向いたまま、エトゥリオルの視界には、側面のキャノピがはっきりと見えている。透明な強化樹脂の板の向こう、銀色の翼が、太陽の光を弾いて誇らしげに輝く。
 ふと、腑に落ちるように、思う。
 ――これが、僕の、翼だ。

   ※  ※  ※

 エイッティオ=ルル=ウィンニイは地上から、弟の操縦する機体をずっと眼で追いかけていた。
 路面に横たわっているときには、ひどく不格好な鉄の塊にしか見えなかった機体は、飛んでいれば、それなりに格好がついて見えた。
 はらはらしているのと同じ胸の片隅で、ほんのかすかに、弟を羨ましく思っている自分がいる。
 目を細めて、高空を駆ける機体を見つめる。どんな気分だろう、あんなに高い場所を飛ぶというのは。
 いまエトゥリオルが見ている空は、どんな色をしているだろう――衛星写真で見たことのある高高度の紺色の空を、エイッティオ=ルル=ウィンニイは思い浮かべる。あの画像ほど高くはないか。
 そこはトゥトゥの誰ひとり、いまだに自分の眼で見たことのない空だ。
 長いこと、エイッティオ=ルル=ウィンニイは高速で飛ぶ銀色の軌跡を、ただじっと見つめていた。機体はずいぶん高いところを何度も繰り返して飛んでいたけれど、やがて遠ざかっていったかと思うと、ゆったりと旋回して、機首をひるがえした。慎重に高度を落としはじめる。着陸姿勢なのだろう、機首がじわじわと上がっていく。
 近づいてくるのを見ていると、その銀色の機体には、かなりの迫力があった。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイは、ふいに小さく笑った。がらになく子どものように胸を高鳴らせている自分に気付いたのだった。

   ※  ※  ※

 古来、絶対に壊れることのない機械はなく、絶対に事故の起きない行動はない。
 どれほど安全係数を高くとって組みあげられた機械も、どれほど綿密に計画されたプランも、同じことだ。ときに偶然の一致によって、あるいは悪意ある必然の積み重ねによって、人の予測と対処の間にある針ほどの隙間を縫って、それはやってくる。
 そこは訓練飛行場だった。厳重にセキュリティチェックの重ねられている空港ではなく、あくまで試験飛行のためにしつらえられた、テラ人の占有空間だ。
 当然、そこに設置された管制は、空港にある本式のものではなく、あくまで試験のために仮に組まれたものだった。
 それでもそこには大勢のスタッフが詰めていたし、いくつかのレーダーが備えられていた。たしかにそれらは、空港で運用されているものに比べれば、精度の一段落ちるものではあったが、たとえば地球の各国の空港を見れば、もっと粗雑なつくりのレーダーしか配備されていないところは、いくらでもあった。
 レーダーというものは、近距離ではかなり精密な解析をできるが、離れた場所については距離の分だけ荒くなるものだ。まして空にはつねに大小様々の鳥たちが飛んでいる。ときには風のいたずらで軽量のゴミまで舞っている。そうしたものの一つ一つまですべて拾って警告を上げているのでは、実際問題として、話にならない。あるていど距離の離れた場所の、鳥のようなごく小さな反応については、ノイズとして処理するようになっている。
 その日、管制に響いた警告が遅れたのは、過失か、それとも不幸な偶然か。
 あえていうなら、スタッフの中には、試験飛行の順調なスタートに喜んで興奮気味の者はいたけれど、油断して気を抜いているものは誰ひとりとしていなかった。
 周辺の地上には、飛行禁止区域をあらわす表示はあっても、そこに銃を持った兵士はいない。空中にマーカーはあっても、物理的な障壁はない。
 いままで惑星ヴェド上で、航空機による事故が起きたことはなかった。反対派のトゥトゥがデモを起こしたり、抗議文を寄せたりすることはあっても、彼らが強行的な手段に訴えたことは一度もなかった。

 悪夢のような、という表現は、責任逃れにすぎないだろうか。

   ※  ※  ※

 管制でレーダーを監視していたスタッフが、比較的大きなノイズに違和感を感じて声を上げたのは、システムがそれを危険物と認識して警告を出すよりも、ずっと前のことだった。
「――これ、鳥でしょうか」
 その声の中にかすかな不安の響きを聞きつけた周囲のスタッフは、そろって嫌な予感を覚えて、レーダーサイトを振りかえった。
 どんな小型航空機よりもずっと小さなそのノイズは、たしかに鳥と見えないこともなかった。
 けれど、そう決めつけて楽観するものは、誰ひとりとしていなかった。上空の衛星のうち、彼らの要請で即座にカメラを動かすことの出来たものがすぐ近くにあったのは、この日に彼らに訪れた、数少ない幸運のうちのひとつだった。
 それでも衛星が該当空域のピンポイントの映像を捉え、それを彼らのディスプレイに映し出するまでには、数秒のブランクがあった。
 画面に映ったそれは、青みがかった羽毛をまとう、ひとりのトゥトゥだった。
「――反対派か!?」
 悲鳴が管制を満たした。

  ※  ※  ※

 トゥトゥの飛行速度は速い。個人差は大きいものの、場合によっては水平飛行時で、時速120キロメートルを超える。
 そしてFMAシリーズは、小型機とはいえ、かなりの速度が出る機体だった。それが災いした。
 もし逆に、もっと圧倒的な高速で飛ぶ大型機だったならば、FMA21Xよりもはるかに高性能な機上レーダーを搭載していただろう。
 ここが飛行禁止区域でさえなければ、あるいはいまが着陸動作中でさえなければ、そもそも機体は、トゥトゥにはとても飛べない高度にいるはずだった。
 管制からの警告が機内に飛び込むよりも一瞬早く、エトゥリオルの動体視力は、その青白い影がトゥトゥであることを認識していた。
 同じとき副操縦席の教官の眼には、それはいまだ、ただの白い点としてさえ映っていなかった。
 それがもし逆だったなら、何かが変わっていただろうか。
 もしもエトゥリオルが、優秀ではない訓練生だったなら、とっさにパニックに陥って、何もできなかったかもしれなかった。逆に彼がもっと経験を積んだベテランだったなら、自動衝突回避装置の性能に賭けただろう。
 起こったことは、そのどちらでもなかった。
 エトゥリオルの手は反射的に、自動操縦に割り込んでいた。システムの発するいくつもの警告を即座にカットして、機体に急制動をかけた。
 判断の是非はあえて措こう。それは、見事な手際だった。この日までに何百回というシミュレーションを重ねてきた、彼の努力の結晶とさえいえるかもしれなかった。
 その結果、FMA21Xめがけて突っ込んできたトゥトゥは、機体に衝突することはなかった。風圧に煽られて危なっかしく振りまわされはしたものの、かろうじて体勢を立て直して、離れた地上に降下していった。
 引き換えに、FMA21Xはバランスを失ってきりもみに入った。
 それでも、もし――その日管制に詰めていた地球人たちの何人が、仮定はむなしいと知りながら、同じことを考えただろう。もし機体が着陸に入ったところでなくて、通常の高度だったなら、たとえバランスを崩したとしても、落下までの間に余裕をもって立て直せたはずだった。

 ――悪夢のような一瞬だった。

   ※  ※  ※

 青白いトゥトゥが視界に入ったその瞬間には、エイッティオ=ルル=ウィンニイはもう駆け出していた。次の一呼吸で、彼は空中に舞い上がって、全力で羽ばたいていた。
 彼のはるか前方で、銀色の機体がバランスを崩し、ぐるぐると回りながら、墜落を始める。その機体から、脱出装置によってふたつの操縦席が射出されるようすを、エイッティオ=ルル=ウィンニイの眼はとらえていた。そのうちのひとつが、すばやくパラシュートを展開するのも。
 そのとき、エイッティオ=ルル=ウィンニイは、何も考えていなかった。きりもみしながら落ちていく機体に、わずかでも接触したら自分の命はないだろうことも、自分が飛んで行ったところでまず間違いなくなにひとつ間に合わないだろうということも、馬鹿な特攻をかました見知らぬトゥトゥへの怒りも、彼の頭の中には、まるでなかった。
 地上の第三者からみたならば、それは空を切り裂くような見事な飛行だった――トゥトゥのような大きな生き物が出すとは思えない、驚くべき速度だった。けれど彼の主観の中では、信じられないくらいのろのろとしか、弟の姿は近づいてこなかった。
 引き延ばされた視界の中で、エイッティオ=ルル=ウィンニイは見る。パラシュートが彼の弟の翼に絡まって、開ききらないでいるのを。

   ※  ※  ※

 ぐるぐると回る視界の中で、エトゥリオルは自分の体が、完全に空に投げ出されていることを感じた。
 不思議とあまり怖くなかった。頭のどこかが冷静に、非常事態のマニュアルをなぞっていた。脱出機構が正しく働いて、自分の体が自動的に機体から射出されたことも、エトゥリオルは理解していた。それをどこかで、誇らしくさえ思っていたかもしれない――FMA21Xは、いい機体だ。
 ほかの飛行機をまだ知らない彼が、そんなふうに自慢げに思うのも、おかしな話かもしれないのだけれど。
 時間がひどく、間延びして感じられた。
 パラシュートの紐が、自分の翼に絡んだ瞬間にも、エトゥリオルは妙に冷静に、事態を把握した。心のどこかに、苦笑するような思いさえあった。ろくに動きもしないくせに、こんなときに邪魔だけはしてくれる、彼の役立たずの翼。
 絡まった紐を、なんとか手で掴もうとする。体が激しく回転している中では、それはひどく困難なことに思えた。
 間に合わない。
 間延びした思考の中で、彼は思う。死ぬ前に一度だけでも空を飛ぶことができた。僕は、幸運だったのかもしれない。
 青く澄んだ空と、地上の遠景とが、忙しなく入れ替わる。銀色に輝く太陽が眩しい。
 そのときエトゥリオルの視界に、エイッティオ=ルル=ウィンニイの姿が飛び込んだ。
 不思議なことに、エトゥリオルは一瞬、兄の姿に、はっきりと見とれた――高速で回転する視界の中で、そんな余裕があったはずはないというのに。あるいはそれは、彼の錯覚なのかもしれなかった。
 それでも彼は、見たと思った。見事な飛翔だった。がむしゃらに飛んでいるように見えて、わずかの無駄もない、力強く優雅な羽ばたき。
 かつての幼い日々、無心に兄に憧れていたころのことを、エトゥリオルは思い出した。
 ――あんなふうに、僕も、飛びたかった。
 その瞬間、エトゥリオルは初めて、心臓が引き絞られるように、怖いと感じた。
 体じゅうが一瞬で、燃えあがるように熱くなった。耳元で風が轟々と唸っている。間延びしていた時間が、急にもとの流れに戻る。
 ――死にたくない。

   ※  ※  ※

 高速で飛んでいるせいで狭まった視界の中で、エイッティオ=ルル=ウィンニイは、その光景を見た。動かないはずの弟の翼が、大きく二度、羽ばたくところを。
 それは、空を飛ぶにはまったく足りない、不器用な羽ばたきだった。
 けれどその頼りない羽ばたきは、それでもエトゥリオルの姿勢を安定させて回転を止め、落下速度を遅めた。
 視界に映るそうしたものの意味を、エイッティオ=ルル=ウィンニイはほとんど理解していなかった。だからそうした細部のひとつひとつは、彼があとになってから思い返したことだ。
 気がついたときには、地表がすぐ間近だった。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイのかぎづめに、弟のパラシュートが引っ掛かっていた。ものすごい力で、彼の体はそれに引っ張られて、バランスを崩した。
 弟の墜落に巻き込まれながら、エイッティオ=ルル=ウィンニイは必死に羽ばたいた。それでも高度を稼ぐまでには至らなかった。
 二人は風に流されながら、飛行場の滑走路に、斜めに突っ込んだ。
 遠くで機体が炎上する轟音が響いていた。


    14


 病室の白々とした壁を、窓越しの陽射しが切り取っている。
 うつ伏せにベッドに転がったまま、エトゥリオルは瞬きをする。こうして日のある時間に部屋を見渡しても、埃ひとつ浮いていない。はじめ、彼はそのことに驚いたのだけれど、そのまま疑問を口に出したら、ここは病院だからねと、ハーヴェイに苦笑された。
 そういうものだろうか。入院するということ自体が生まれてはじめてのエトゥリオルには、この中央医療センターの清潔な部屋が、どうにも落ち着かない。早く出て寮に戻りたいと、日に何度も思う。
 落ち着かないといえば、このうつ伏せの姿勢も、彼には落ち着かなくてしかたがない。トゥトゥはふつう、座って眠る。けれど痛めた場所が場所だけに、ただ座っていても、どこかしら痛むのだった。
 あの日、FMA21Xから投げ出された空中で、自分の翼がたしかに羽ばたいたのを、エトゥリオルは覚えている。
 妙なものだった。生涯まともに動くことはないだろうと、幼いころに宣告されたとおり、彼の翼はこれまでどんなに力を込めても、弱々しく動かすことしかできなかった。
 けれどやはり、それだけの無茶をしたということなのだろう。いま翼を少しでも動かしてみようとすると、胸や背中に激痛が走る。助かったのは何よりだけれど、骨から筋からあちこち痛めていて、こうして何日もずっと、病院のベッドに転がっている。


 嬉しいことに、設計部のスタッフをはじめとして、FMAの改良設計に関わった人々が、交代で見舞いに来てくれていた。
 レイチェル・ベイカーは例によって、前が見えないほど山盛りの果物を差し入れてくれた。今度ばかりは彼女の顔も、泥だらけではなかった。場所が病院だから、気を遣ったのだろう。
 その果物の山は、ほとんどエイッティオ=ルル=ウィンニイの腹に消えた。
「なかなかいけるな、これ。また持ってきてくれないかな」
 悪びれずにそんなふうにいって、けろりとしている。この兄は、寮のエトゥリオルの部屋を拠点にして、むやみやたらと病室に入り浸っていた。
 エイッティオ=ルル=ウィンニイもまた、手脚や腹など、あちこちに傷を負っていた。ところどころ自慢の羽毛がそげ落ちてしまっていて、手当のあとが見るだに痛々しい。それでもとにかく、翼にたいした怪我がなくてよかった――エトゥリオルはしみじみ思う。
 飛べなくなれば、ふつうのトゥトゥはあっという間に弱って死んでしまう。もとより飛ぶことのできない自分のほうが、怪我には強いというのが、なんだか妙な話のように、エトゥリオルには思える。
「そういや、今日も来てたな。ええと、ジンだっけ? お前の上司の」
 エトゥリオルがうなずくと、エイッティオ=ルル=ウィンニイは嘴をかすかに下げて、複雑そうな顔をした。それから、この兄にしては非常に珍しいことに、続きを口にするのを、かなり長いことためらった。
「治ったら、また続ける……んだよな」
 FMA21Xの試験飛行のことをいっているらしかった。エトゥリオルは少し首をかしげて、うなずいた。
「そうなると思う――まだはっきりしないけど」
 ジンは、おそらくこのまま中止ということにはならないだろうといった。断言しなかったのは、世論がどう動くか、見極めがつかないからだ。
 エトゥリオルは安静を理由に報道を見ることを止められているけれど、見舞いに来る皆の話から察するかぎり、例の事故は、けっこう派手に流されているらしかった。
 今度のことをかさに着て、航空機の危険性を言い立てるトゥトゥも、少なからずいるだろう――エトゥリオルは思う。
 けれど不思議なもので、前ほど嫌な気持ちにはならなかった。あの初フライトの日以来、不思議なくらい、気持ちが安定していた。ひどい目にあって死にかけたというのに、妙な話なのだけれど。
「あんなに、さ」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはいっとき嘴を掻いていたけれど、やがて、ふっと真顔になった。「危ない目にあうかもしれないんだったら、もうやめちまえよって、いいたいんだよ。俺としては、ほんとはさ」
 エトゥリオルは何もいわずに、ちょっと笑った。その困ったような微笑みを見て、エイッティオ=ルル=ウィンニイは首をすくめる。
「――まあ、わかってるよ。お前が案外怖いものしらずで、おまけに頑固なやつだってことはさ」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはそういうと、翼をばさばさ鳴らして、呆れたようにそっぽを向いた。
「ありがと、助けてくれて」
 エイッティオ=ルル=ウィンニイはもうひとつ、ばさりと翼を鳴らした。


 このセンターにエトゥリオルが入院しているのは、本当なら、かなり不自然なことだった。いくら事故現場から最寄りの医療機関とはいえ、なんせここには、トゥトゥの医師が常駐していないのだ。
 ジンやハーヴェイがいろんなところに掛け合って、無理を通してくれたのだそうだ。トゥトゥの病院に入ったのでは、取材に詰めかけてこられてもブロックできないからといって。入院して三日目になって、エトゥリオルはようやくその話を知った。
 それでトゥトゥの医師がはるばる日参して、エトゥリオルの怪我のようすを診てくれる。O&Wに健康診断で来ている、あの頑固そうな医師だ。
 いつかのように、頭ごなしに叱られたりはしていないけれど、正直に言うとエトゥリオルは、まだ彼のことがちょっと怖い。


 エイッティオ=ルル=ウィンニイが腹ごなしの散歩に出かけてしまうと、エトゥリオルはふたたび退屈になった。
 安静にしているべきだというのはわかるのだけれど、なんせずっと、ただ転がっているだけなのだ。寝て時間をつぶすにも限度がある。
 それでもやはり、体が弱っているのだろう。うつぶせのまま、やがてうつらうつらしだしたころ、病室のドアが軽く叩かれた。
「――はい」
 寝ぼけた声で返事をすると、姿を見せたのは、ジンだった。
「仕事はいいんですか」
「もう終業時間は過ぎてるよ」
 いわれて窓を見ると、たしかに日は傾きかけていた。夕陽に、エトゥリオルは眼を細める。空調のきいたこの部屋にいると忘れそうになるけれど、もう夏だ。日が長い。
「何か、進展はありました?」
 訊くと、ジンは肩をすくめた。
「計画の行方のほうは一進一退だが――ひとまず、シミュレーションの結果は出たよ。君があのとき制御系に割り込まなかったら、例のトゥトゥは、おそらくぎりぎりのところで助からなかっただろうという話だ」
 ほっとして、エトゥリオルは笑った。「よかった。無駄に機体を壊しただけなんじゃないかって思って、じつはけっこう、気が咎めてました」
 ジンも苦笑する。それからふっと、疲れたような顔になった。
「いくら事故防止のためのシステムを作っても、ああもまっしぐらに突っ込んでこられたんじゃなあ……」
 件のトゥトゥがああした行動に出た理由は、まだはっきりしていない。
 アンドリューが教えてくれた話によると、報道では、職を失って自棄になっていたのではといわれているらしい。もともと、長距離貨物自動車のドライバーだったそうだ。貨物航空機の参入で仕事が減ったことを、恨みに思っていたのではないか――
 憶測だ。トゥトゥの噂話ほど、あてにならないものもない。
 いっときして、ジンは顔を上げた。
「いや、それも言い訳か。――まあ、いずれにせよ、自動衝突回避については、まだ見直さないとな。パラシュートもだ」
 それからジンは、仕事の状況について話してくれた。まだ方針が決まらなくて試作二号機には手をつけられないが、試験飛行のデータは、引き続き解析が進んでいること。あんなことになったわりには、スタッフの士気はほとんど落ちていないこと。
 話が途切れたところで、エトゥリオルは顔を上げた。うつ伏せのまま首をそらして、ジンと視線を合わせる。
「――取材とか、止めてもらってるんでしょう?」
 ジンは眉を上げた。「当たり前だ。君だって、そんな調子なのに」
 エトゥリオルは情けなく転がったままの自分を見下ろして、思わず笑った。たしかにそのとおりだった。
「あの。僕、もうちょっとよくなったら――」
 自分で驚くほどすんなりと、そのあとの言葉は出てきた。「取材、受けてみたいんです」
 ジンは面食らったような顔をした。
 庇ってくれた彼らに申し訳ないような気がしながらも、エトゥリオルは言葉を引っ込めなかった。
「話、ちゃんと聴いてもらえるかわからないんですけど。きっと報道とかって、いまごろ推測だらけの、とんでもない話が出回ってたりするでしょう?」
 ジンは黙っていたけれど、その渋い表情を見れば、肯定しているも同然だった。
「僕、ちゃんと話さなきゃいけないことが、あると思うんです」
 いって、エトゥリオルは上司の反応を待った。
 ジンは、すぐにはいいともだめだとも答えなかった。いっとき考えるように黙り込んでいたけれど、やがて長い間のあとに、ため息を落とした。
「――まずは、体調を戻してからだ」
 エトゥリオルは嬉しくなって、つい微笑んだ。
 いつだって、心配してもらっていることは有難かったけれど、同時にそれが、エトゥリオルには辛かった。心配をかけることしかできない自分が、あまりに情けなくて、みじめに思えて。
 いまだってまだまだ半人前には違いない。だけど、少しずつでも変わっていけると思った。

   ※  ※  ※

「――では、あの飛行機に乗ることになったのは、あなたの希望で?」
「はい」
 ひとしきり雑談を交わしたあと、くせのない中央ふうの西部公用語セルバ・ティグで、トゥトゥの記者は聞いてきた。
 年配の女性だった――記者という仕事からエトゥリオルが漠然と想像していたよりも、ずっと物腰がやわらかく、穏やかな話し方をする人だった。取材を受けているのが、病室だということも関係しているかもしれない。
 支社長の判断で、公正な報道で知られている彼女を、O&Wのほうから指名したと聞いていた。そうした配慮を受けることが、心苦しいような気はしたけれど、反対派寄りの記者から意地の悪い質問を浴びせられても上手に切り返す自信があるかといわれると、わからなかった。
「飛行機に乗りたいと思うようになったのは、いつごろからですか」
「二年ほど前に、初めて近くで飛行機が飛んでいるのを見かけて、それからです。そのときは、いつか自分が乗せてもらえるなんて、思ってもいなかったんですけど」
「ああいう機械を使って空を飛ぶことに、抵抗はありませんでしたか」
 それまでと変わらない穏やかなトーンのまま、記者はその言葉を投げかけてきた。エトゥリオルが質問を素直に受けとめることができたのは、彼女の声に、皮肉や追及の色がなかったからかもしれない。
「いいえ――僕がこうだからかもしれませんが」
 いって、エトゥリオルは翼を不器用に振った。傷はずいぶんよくなってはいたけれど、やはり動かそうとすると、まだ少し痛んだ。
「生まれつきなんです。自分がいつか空を飛べるなんて、ずっと、思っても見なかったから」
 思ったより平静にそのことを話せる自分に気付いて、エトゥリオルは微笑んだ。
 支社の立場のためにというよりも、自分の素直な思いを話そうと決めていた。恩知らずなことかもしれない。けれどおそらく、彼がいくら積極的に支社をかばうような言動をとっても、聴く方はそれを、エトゥリオルが雇われている立場だからだと考えるだろう。
「飛行機というものは、ずいぶん高いところを飛びますね。そのことは、怖くはありませんでしたか? 危険だとは?」
 エトゥリオルは首をかしげて、言葉を探す。
「飛んでいるときは夢中で、怖いっていうのは、あんまり思わなかったです。――結果的には、こんなことになってしまったんですけど」
 いいながら、エトゥリオルは冠羽を垂らした。「どれだけ安全に気を遣ってあっても、危険はゼロではないというのは、口をすっぱくしていわれてました。だからいろんな不測の事態を想定して、訓練もたくさんしました――だけど、あのひとが突っ込んできたのが見えたときは、本当に怖かった」
 正直な気持ちだった。よくあのとき手が動いたなと思うと、いまでもひやりとする。
「禁止区域に入り込んだトゥトゥに、腹を立てていますか」
 この質問にも、エトゥリオルは首をかしげた。
「わかりません。話したこともないひとですし……どういう事情があったのかわかりませんが、とにかく、怪我がなくてよかったです。腹が立つっていうなら――」
 エトゥリオルは眼をしばたいた。「もし僕に、もっと操縦の技術があれば、機体も壊さずに済んだのかもしれません。それは、すごく悔しいです」

   ※  ※  ※

 会社側の人間がその場にいては公正な取材に見えないからと、他の者は席をはずしていたけれど、取材記録はあとでO&Wにも提供された。
 設計部の自分のデスクでファイルを再生しながら、ジンは眼を閉じる。休日だ。さっきまで何人か同僚が出てきていたが、いまは彼ひとりだった。
 記者の発言は、比較的、エトゥリオルに好意的なように感じられた。ジンの耳にもそう聞こえるのだから、反対派のトゥトゥからしてみたら、なおさらかもしれない。地球人に肩入れした報道だといって、かえって反発を覚える者もいるだろう。
『あんな事故があっても、まだ航空機に乗りたいと思いますか?』
『乗りたいです』
 即答してから、エトゥリオルは言葉を足した。『その、決めるのは会社の偉い人だと思うので、僕が希望しても、飛ばせてもらえるかわからないですけど』
 僕は、ひとりじゃ飛べないから――エトゥリオルのその言葉は、不思議なくらい落ち着いていた。
『ずっと、僕はどこでも一人前のトゥトゥとして扱ってもらえなくて。なんでこんな体に生まれたんだろうって、いつもいじけてました。だけど、この街で働いてみて、やっと少し、わかってきた気がするんです』
『というと?』
『飛べないから、とかだけじゃなくて。そんなふうにいじけてばっかりでいる僕が、一人前の大人として、見てもらえるはずがなかったんです。いつも拗ねて、僻んでばっかりいて、自分だけが仲間はずれのひとりぼっちだって、ずっと思ってました。自分のことだけでいっぱいいっぱいで、周りのひとたちのことが、ぜんぜん見えてなくて――それじゃ立派な大人だなんて、思ってもらえるはずがないんだって。そういうことが、ちょっとずつわかってきて』
 エトゥリオルの口調は、言葉を探してつっかえることはあったけれど、ずっと穏やかなままだった。記者は口をはさまず、黙って話に耳を傾けている。
『拗ねるのをやめたら、いろんな人たちから助けてもらえるようになりました。飛行機を作って飛ばすのって、すごくたくさんの人が関わってて。いろんな人たちの手を借りて、それでやっと、あの日初めて空を飛べたんです』
 エトゥリオルはそこで一度、言葉を切った。それからひと呼吸おいて、はっきりといった。
『許されるなら、また飛ばせてほしい――飛びたいです』


 再生が終わる。
 ジンは眼を開けて、自分の手の中を見た。
 手のひらに乗っているのは、広報室から預かったディスクだ。中を見るための端末は、センターにあるものを借りられるはずだった。
 フロアのセキュリティをチェックして、ジンはオフィスを出る。

   ※  ※  ※

 どうするか迷ったんだが、とジンは切り出した。
「――支社あてで届いた抗議のたぐいについては、広報のほうで処理している。だけど、君を名指ししてのメールまで、会社の判断で君に黙って削除するのも、違うだろうという話になった」
 病室には二人だった。もうエトゥリオルの退院も間近だ。エイッティオ=ルル=ウィンニイは少し前に、自分の暮らす街に戻って行った。オーリォの時期ももう終わる。そろそろ彼には彼の仕事が始まるはずだ。
「支社あてに来ているほうも、賛否両論といったところだ――この中にも、ろくでもない誹謗中傷の類も、おそらく混じっているだろうと思う。セキュリティチェックはしているが、中はまだ誰も見ていない」
 ジンは顔をしかめていった。「君がいいというなら、そういうものだけでも、先にチェックして除けたいんだが――」
「見たいです」
 エトゥリオルが即答すると、ジンは深く、ため息を落とした。
 ジンの眉間のしわを見て、エトゥリオルは思わず笑う。「過保護だって、みんなにいわれませんでしたか」
「いつもはな。――メールのことについては別だ。それくらい、支社に届いた方も、ひどかったんだ。中には応援の声もあったんだが……それも、あとで見せる」
 ジンは来客用の椅子にどかりと腰をおろして、小型端末をベッドの脇に置いた。
「初めから結論ありきで報道を見ると、こういうことになるんだなと思ったよ――地球でも似たようなものは見てきたが、偏見っていうのは、どこにでもあるんだな」
「僕、大丈夫です」
 エトゥリオルはいった。強がりのつもりはなかった。何を読んでも傷つかないとはいわないけれど、もうきっと、耐えられないことはないと思えた。
 ジンがいっときためらって、それから短く息を吐いた。
「君がこれを読んでいるあいだ、俺もここにいていいか」
 エトゥリオルは眼を丸くして、それから微笑んだ。いつかと逆だなと思ったのだった。
「ありがとうございます」


 映像や音声データではなくて、文字だけのメールがほとんどだった。こうしたものは、より匿名性が高い手段のほうが書きやすいのかもしれない。
 事前にいわれていたとおり、誹謗中傷のたぐいもいくつもあった。彼らの眼に映るエトゥリオルは、異星人の手先で、トゥトゥとしての誇りを持たない裏切り者なのだろう。
 以前のエトゥリオルなら、傷つかないですむように心を閉ざして、そうした声を自分の中から遮断していたかもしれない。いまは少し違う。内容に納得はできなくても、そういう価値観があるという事実を、受け止められる。彼らは彼らで、自分は自分だという、言葉にすればたったそれだけのことが、ようやく腑に落ちたような気がした。
 応援のメッセージも、思いのほかにあった。会ったこともない相手からの励ましを、エトゥリオルは不思議な気分で読んだ。それから、飛行機に興味を持ったらしい、若いトゥトゥからの声も。
 一通のメールを開いたとき、エトゥリオルは画面の前で、固まった。ジンが振り返って、怪訝そうに眉をひそめる。
「――俺も見てもいいか?」
 エトゥリオルはかろうじて、その言葉にうなずいた。
 それはひとりの、トゥトゥの少年からのメールだった。
 自分もエトゥリオルと同じ障害を持っているという文面から、メッセージは始まっていた。
 ぼくもいつか、飛行機にのって空を飛べますかと、そこには書かれていた。
 長いあいだ黙りこんで、エトゥリオルはずっと、画面を見つめていた。日が落ちて、静かにジンが病室を出ていったあとも、いつまでも。

   ※  ※  ※

 よく晴れていた。空の端に、わずかに雲がたなびいている。
 滑走路には、あの日のように陽炎こそ立ってはいなかったけれど、春先のいまごろにしては、温かい日になりそうだった。
 FMA21Xはかなりの悪天候でも飛べる機体ではあるけれど、訓練飛行でそんな危険は冒さない。天気とスケジュールがあうのを待っていたら、思いのほかに時間がかかってしまった。
「さて。ようやく仕切り直しだな」
 教官が笑ってそういった。エトゥリオルはうなずきかえしながら、あらためてこのテラ人への感謝の念を覚える。あの日、エトゥリオルの無茶な操縦のおかげで機外に放り出されたというのに、快く訓練の続きを引きうけてくれた。
 エトゥリオルは振り返って、滑走路を見渡す。訓練飛行場の端、仮管制のあるビルの屋上から、エイッティオ=ルル=ウィンニイが翼を振っている。
 エトゥリオルはいたたまれなくなって、嘴を下げた。前のときがあんなことになったから、心配してくれているのはわかるのだけれど、さすがにこの年になって保護者つきというのは、ちょっと恥ずかしかった。
「――僕、小型機の操縦資格を無事にとれたら、次の目標ができました」
 笑われるかもしれないけど、と前置きして、エトゥリオルはいう。
 もしも、まだ自分が生きているうちに、トゥトゥが空の旅行を楽しむような日が来たら。そのときは、旅客機のパイロットをやりたい。
 口に出しながら、現実的ではないだろうかと、エトゥリオルは思う。だけど考えてもみれば、もともと空を飛ぶこと自体、彼にとっては途方もないような話だった。
「笑やしないさ。だけど――旅客機か。あれはけっこう、難しい。小型機と違って、時間がかかるぞ」
 うなずいて、エトゥリオルは笑った。「どっちにしても、旅客便が運航できるほど、飛行機に乗りたがるトゥトゥが増えるのは、まだずっと先でしょうから」
 彼はそういったけれど、支社の方にときおり、飛行機に乗ってみたいというトゥトゥの声が、寄せられるようになっていた。
 事故の報道があったのをきっかけに、そういう意見が増えるというのも、なんだか妙な話だけれど、それだけトゥトゥの社会で、これまで航空機の存在が黙殺されてきたということだろう。大きく報道されたことで、反対の意見も増えたけれど、興味を持つものも出てきた。
「まあ、まずは目の前のことからひとつずつ、だな。――そろそろ行くか」
 教官の言葉に、エトゥリオルは力強くうなずく。「ええ」
 滑走路に降り立つと、目の前には銀色の機体があった。機械油のにおいを胸いっぱいに吸いこんで、エトゥリオルは空を見上げる。
 いい風が吹いている。
朝陽遥(HAL)
http://dabunnsouko.web.fc2.com/
2012年10月06日(土) 11時14分40秒 公開
■この作品の著作権は朝陽遥(HAL)さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 このような長い小説にお目を通していただきまして、ありがとうございました。このたび改名しました。HALあらため朝陽遥(アサヒ ハルカ)と申します。あらためまして、どうぞよろしくお願いいたします。

 忌憚ないご意見をいただければと思います。ご指導方、どうぞよろしくお願いいたします。

この作品の感想をお寄せください。
No.13  朝陽遥  評価:0点  ■2013-02-17 22:23  ID:waSVJYnXjGE
PASS 編集 削除
 あらためてのご感想及びご指導、ありがとうございます!

 仰るとおりで、読み飛ばされるほうに理由があるんです。読み飽きられるほど長々と説明せずとも、もっとポイントを押さえて、かつ回りくどくなく、自然に必要な背景を示す手段はあったはずと思います。
 本当なら逆に、たとえ細部の設定に目を止めずに流し読んでもらったとしても、気にせずエトゥリオルを中心にした本筋を楽しんでいただけるように書きたかったのですが、いずれにせよひたすら力不足でした。メインストーリーとそれに絡む人物の描写にもっと力があれば、細かいことに引っかかることも少なく、もっとストーリーに専念していただけたのではないかと思っています。

 手紙のシーン、お気に召していただけたとのこと、嬉しいです。このシーン、本当はエトゥリオルにも姉のいう内容が理解できればよかったのですが……英語だったらよかったのに、なぜジンを日本人にしてしまったのかと、だいぶ書きすすめたあとでそのことに気付いて、ひっそり悔しい思いをしました(涙)

 これまた言い訳にしかならないのですが(涙)、一番最初のプロットを切ったときには、もっとエトゥリオルとジンのW主人公な感じの筋だったんです。しかし見直しているうちに、これではメインストーリーがとっちらかるというか、主題のぼやけた話になりそうだと気がついて。(あと長くなりすぎるのと……)
 それでメインをエトゥリオルに絞って構成を組み直したのですが、そのときに按配を失敗したのだと思います。そこまでやるならいっそ、ジンに関するエピソードはもっと絞って、徹底して脇役にしてもよかったのかもしれません。愛着に負けて、いまひとつ思いきれませんで、どっちつかずになってしまいました……。くやしいです。

 重ね重ね、ご丁寧にありがとうございました! 一度書き終わった話に手を入れだすと際限がなくなるので、改稿は考えていないのですが、今後書くものの参考にさせていただきます。
 今後ともどうぞよろしくご指導くださいませ。
No.12  つとむュー  評価:0点  ■2013-02-17 09:09  ID:1RXwxpPFNoE
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HALさん、詳しく返答いただきありがとうございます。
原因のほとんどは、おそらく僕が読み飛ばしていたんですね。
まあ、中にはそんなとぼけた読者もいると思っていただけたら幸いです。

それにしても、これほどまでしっかりとした設定が組まれていたとは、本作への好感度が増しました。
自分が読み飛ばしてしまった理由をいろいろと考えてみたのですが、
本作の良い面と裏返しなんじゃないかと思い、再び感想を書きたいと思います。

まずはリアリティ。
これは、返答いただいたような緻密な設定の上にしっかりと成り立っていると思います。
序盤は、完全にリオの気持ちになって本作を読んでおりました。
マルゴ・トアフの街に行くシーン、そして飛行機に魅せられてO&W社に入る。
本当にリオになったような感じで、ドキドキを味わうことができました。
きっと、そちらの方に気持ちが行き過ぎて、O&W社の方針が記憶に残らなかったんだと思います。

そして中盤から繰り広げられる、リオとジンの心のやりとり。
ジンのお姉さんからの手紙にまつわるシーンは、本当にゾクゾクしました。本作で一番好きなところです。
でもジンに関する描写が良ければよいほど、気持ちはジン側に傾いていく。
結局、終盤は完全に気持ちがジン側になっておりました。
クライマックスでリオが飛ぶシーンは、「あそこでリオが飛んでいる」という風に、
まるで管制塔に居るような気持ちで読んでしまったんです。
読み終わった後、リオが飛んだ時の嬉しさをリオと同化して味わいたかったなあと残念に思ってしまったのは、
そういう理由なんじゃないかと思います。

まあ、要は微妙なサジ加減なんだと思います。
今のままでもピタリとはまっている方も多いでしょうし、
少数だとは思いますが、僕のようにちょっとズレてしまった方もいるかもしれません。
ちょっとサジ加減を変えたいな、と思われた時にでも参考にしていただけると幸いです。
No.11  朝陽遥  評価:0点  ■2013-02-16 11:13  ID:6g/RR/gclws
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 こちらこそお世話になっております!
 まずは長いのに最後まで読んでくださったこと、ご多忙の中でお時間を割いて詳細なご指導をくだすったこと、心より感謝いたします。ありがとうございました!

 しかし具体的に返信しようとすると、言い訳以外に書けることがほとんどないですね……(涙)
 どういう意図で書いたにせよ、表現したかったことが本文中で伝わらなかった以上、読み手の方にとっては、書かれていなかったも同然です。いくら言い訳をしても恥の上塗りにしかならないのも重々承知の上ですが、これだけ詳細にコメントをいただいておいて、「精進します」の一言で終わるのもそれはそれでなんですし、こちらが相互交流の場であることに甘えて、見苦しい返信(だか言い訳だか)を敢えて書かせていただきます。御不快なようでしたら、読み飛ばしていただいて結構です……(すみません・汗)

 O&Wは当然、将来的にトゥトゥの企業や公的機関相手に飛行機を売ることを視野に入れて活動しており、それがトゥトゥの飛行機への予想以上の反発・地球人嫌いに阻まれて、なかなか事業戦略として前に進まずにいるという現状である……ということを、報道ふくめたエピソードによって描写した、つもりでした(涙)
 なぜ多くのトゥトゥが飛行機を嫌悪し反発しているのかという理由、とりわけ、自分の翼で空を飛ぶということに誇りを持っている彼らが、「機械の力を借りて、それもエイリアンの技術に依存して」飛ぶということに、感情的な根深い反発を抱いているというのを、書いたつもりだったのですが、伝わるように書けていなかったということだと思います。無念です。

 グライダーにしなかったのは、ひとつには上記の点があります。自らの翼で飛ぶことのできる一般のトゥトゥにとって、補助翼のような機械はまったくもって不要どころか、それに頼るということが、不名誉だからです。彼らは誇り高い種族である反面、差別的な意識が強いという側面があります。(これも書いたつもりだったけれど、おそらく伝わるように書けていないのだと思われます)
 また、この惑星の自転が地球より早く(一日が24時間より短い)、その結果風が強くて、ある程度の推力がないと飛行が危険であることも理由のひとつです。じゃあその設定を取り除けばいいだろう、と思われるかもしれないのですが、ストーリー上どうしてもトゥトゥには手(中肢)が必要でした。ないとまず操縦桿を握れないですし……(タッチパネルもタッチできませんし)。文明程度の描写としても、手なしでは厳しいなというのがあって。地球と比べて圧倒的に科学技術力の低い種族というふうに書きたくはなかったのです。
 じゃあどういう環境ならば、鳥類に(翼以外の)前足が発生しうるかというのを、ない頭をひねって検討した結果、風の強い惑星であれば、地面にしっかりとしがみつくように六本足の動物が多くなるのではないか、という結論に至りました。(これは自分の発想ではなく、SFの勉強をする中で学んだ考察のひとつですが……)

 また、エトゥリオル以外の一般のトゥトゥからしてみれば、けがや老化で自力で飛べなくなれば、すぐに弱って死んでしまうという生物的特性があり、「老化などで筋力が弱まってもグライダーで飛べばいい」という問題ではない、ということがあります。
 ここも、ただグライダーを選択しなかった理由としてだけではなく、そもそもエトゥリオルのような存在の、トゥトゥという種族の中での位置づけということで、ストーリー上重要なキーとしてギイ=ギイの語りの中で描いた、つもりだったのですが(涙)、つもりだけでやはり伝わっていなかったということですね。伝えられるだけの筆力・構成力がなかったことが非常に悔やまれます……。

 仰るとおりで、いくら簡素な作りのグライダーだとしても、エトゥリオルひとりのためだけには、企業として設備や費用を出せませんし、あくまで商業戦略上としての開発の必要性という理由からも、グライダーは避けました。(ジンは検討していましたが、これは飛ぶという体感にもっとも近いものということで、エトゥリオルのためを思うならまず検討してしかるべき……と判断して書いたのですが、それを書いたせいで余計に「あれ、グライダーでもいいんじゃない?」というミスリードを誘って、紛らわしくなってしまったのかもしれません……)

 トゥトゥの多数派が反発を覚えていても、それでもヴェドに飛行機が浸透しつつあるのは、速度と運搬力の利便性によるものです。これも、一話で示した「トゥトゥが引っ越しでどうしても重い家財を運びたいときぐらいにしか地上をゆかない」という部分や、ギイ=ギイの飛行機への意見の部分などを通して、それとなく書いた、つもりでした(涙)

 上記の理由で「速度」が必須条件になる以上、トゥトゥの飛ぶ空域と重複しては、どうしても事故の危険が付きまとうので、飛行禁止区域はやはりなくせない。それが「ここも自分たちの惑星の空なのに、エイリアンの飛行機が飛ぶために、自分たちの飛行が禁止される」というトゥトゥ側の感情的反発に繋がっている、のですが伝わるように表現しきれて(以下同文)

 いくら書いたつもりでも、伝わらなかったものは書かなかったも同然です。
 それこそ言い訳でしかないのですが、そういう設定のアレコレを、本文の地の文でぐだぐだと堅苦しく書いては、きっとすぐに読み飽きられてしまうだろうというのが、まず念頭にありました。それで、全体のエピソードの中に設定をちりばめて、通して読むことでなんとなくそういう背景が察せられるように(そしてそういう設定の細部に興味のない読み手の方には、細かいことはあまり気にせずにメインストーリーだけを読んでもいいように)したかったんです。したかったんですが、ご意見拝読するに、まったく力が足りませんでした。

 もう一つには、なんでも直球で書いて、一義的な説明で済ませて単純な構図にしたくなかった、というのがあって。さまざまな要因をいろんな立場・角度から少しずつ書こうとしたんです。しかし筆力が足りていなかったり、書き方が遠まわしすぎたり、話全体を通して大きな文脈として伝えるにはエピソード同士の間があきすぎてしまっていたりしたんだなと思います。
 腕のない人間は、あまり凝ったことをやろうとしないで、なんでも直球でわかりやすく書いたほうがいいなと、自分でも思いました……。

 諸々非常に悔しいですが、この悔しさをバネにしたいと思います。

> 最後はリオの気持ちで終わってほしかった
 この点に関しましては、ご意見もっともなことと思いつつ、書いた当時のわたし自身が、どうしてもあくまでエトゥリオルの成長を外から見た構図にしたかったので、もう仕方のないことかなと思っています。ただ、三人称で外からの視点で書きつつ、なおかつ感情移入させるということそのものは、もっと筆力があればなんとかなったんじゃないかと思います。それはやはり悔しいです。
 あるいは、周囲のキャラクターの心情描写を前半から中盤でもうちょっと頑張っていれば、また少し印象が違ったのかもしれないとも思います。話が長くなりすぎることもあったし、あまり枝葉が多すぎてメインストーリーがぶれてもよくないかと悩んで、エトゥリオルのエピソードに集中したのですが、半端だったのかなと思います。いっそ他のキャラクターのことも、多数主人公くらいのつもりで書きこむのもありだったんじゃないかと。この点も、反省として胸に刻みます。

 三十年、二百年というような部分は、あくまで彼としてはトゥトゥの言葉・トゥトゥの単位で喋っているけれど、(この小説を)日本語に翻訳した結果として、地球時間に換算して表記している……というつもりでしたが、いわれてみれば、たしかに分かりづらいなと思います。
 漢数字は単純に小説作法上の問題から漢数字で表記したかったのですが、何かもうちょっと工夫のしようもあったのかなと思います。細かい気配りが足りませんでした。
 八進数にしたのは、単純に「ほかの惑星で異星人と暮らす」ということの困難さの一例としての描写のつもりでした。安易に入れてしまいましたが、伏線ぽく見えてしまったというのは、しまったなあと思います。もうちょっとさりげなく書ければよかったのですが……

 ……ということで、本気で見苦しい言い訳ばかりの返信になってしまいましたが(涙)、色々考察しつつ読みこんでくださったこと、本当にありがとうございました。今後の糧にいたします。
 長編の構成の難しさといいますか、途中で読み飽きられずないように引っ張るというスキルがなかなか身につかなくて、よく悩んでおりますので、読みながら続きが気になったとのお言葉、とても嬉しかったです。(本当は序盤からそういうふうに書ければよかったのですが、どうしてもスタートダッシュが遅い癖が治りません……。これまた無念です)

 また機会がございましたら、ご指導いただけると嬉しいです。このたびはありがとうございました!
No.10  つとむュー  評価:30点  ■2013-02-14 21:31  ID:1RXwxpPFNoE
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いつもお世話になっています、つとむューです。
御作を拝読しましたので感想を記します。

まずは、HALさんらしいしっかりとした作品だと思いました。
世界観、設定、人物描写など、地に足が付いていて安心して読むことができました。
でも、いいことばかり書いていても役に立たないと思いますので、
?に思ったことをいくつか記したいと思います。
(気に障りましたら、申し訳ありません)

本作で一番不思議に感じたのは、人間用の飛行機をトゥトゥが操縦できるように改造するという点です。
その改造にお金を出すのは民間企業ですから、もっと強い理由が必要なんじゃないかと思います。
例えば、将来、トゥトゥ達が自ら飛行機を運行するようになった時に売り込もうと準備している、という風な、
O&W社の展望(魂胆?)みたいなものが提示されていた方が、より現実的かなと思いました。
(もしかしたら書かれていたかもしれませんが、あまり記憶に残りませんでした)

それとも、ナウシカメーヴェみたいな超小型グライダーを題材にするという手もあるかもしれません。
テラ人がトゥトゥの世界に溶け込むために作ったグライダーを、リオがトゥトゥ用に改造する、という展開なら、
しっくり来るような気もします。
改造が成功すれば、リオのようなトゥトゥや、高齢のトゥトゥに売れそうですし。
グライダーなら、トゥトゥの飛行禁止区域みたいなものも関係なくなるかもしれません。

個人的に一番残念だったのは、クライマックスでリオとエイッティオ=ルル=ウィンニイが一緒に飛ぶ、
というシーンが無かったことです。
本作の軸は、リオが兄と飛んだ幼少期の思い出が空への憧れに繋がるところにあるんじゃないかと個人的には思っていますが、
もしそうであれば、やっぱり最後は兄弟で一緒に飛んでほしかったです。
例えば、映画『千と千尋の神隠し』のクライマックスで、ハクと一緒に飛ぶ千尋が昔のことを思い出すシーンのように。
リオが飛べない理由が筋肉にあるのなら、翼を広げれば滑空はできそうな気もしますし、
最後にリオが兄と一緒に飛ぶシーンがあれば、個人的には涙していたかもしれません。

本作は三人称で書かれていますが、後半になるにつれてテラ人側の視点が多かったように感じました。
これはちょっともったいないと感じました。なぜなら、終盤であまりリオに感情移入することができなかったので。
本作が群像劇のように感じるのも、その影響だと思います。
元々群像劇として書かれたのであれば、その試みは成功したと言えると思いますが、
個人的には、やはり最後はリオの気持ちで終わってほしかったなあ、と感じました。

あと、細かいことですが、ギイ=ギイが「三十年」とか「二百年」とか、十進法の年数を口にするのは?でした。
(「30年」や「200年」だったら八進法でもアリなんですけどね。日本語って難しいですね)
八進法の設定も、最後の展開の伏線か?と思って読んでいたら全然出てきませんでした。
せっかくの設定ですから、最後の展開の重要なキーとして使ってもらえたらと思いました。

いろいろと書いてしまって申し訳ありません。
本作は設定や心情描写がしっかりとしているので、もっともっと感動できる作品になるんじゃないかと思います。
自分は少しずつ日を置いて読んでいたので、途中から続きが気になって仕方がありませんでした。
リオとジンの心のやりとりも、とても良かったです。
空想科学祭での成績は、それらの点が評価された結果だと思います。
個人的には、飛ぶことによるリオの心の解放をもっと読みたかったと思いました。

以上、拙い感想ですけど、よろしくお願いいたします。
No.9  朝陽遥  評価:0点  ■2012-11-08 21:17  ID:AZzXstlcNdU
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> 蜂蜜さま

 わ、ありがとうございます。身に余るお言葉を頂戴しました。感謝です。

> 長かったから
 す、すみません……。長いと読まれづらいのは、紙の書籍でも同じですが、ウェブではなおのことですね。本当はもっと序盤からキャッチーな話の作り方を身につけるか、そうじゃなかったら短くまとめられるようになったほうがいいんだろうなあと思ってはいるのですが、頭ではわかっていてもなかなか……

 せっかくの有難いお言葉なのですが、わたし、もともとプロ志望ではないんです。なりたかったらなれるのかという問題ももちろんありますが、それだけではなくて。仮にもっと腕が上がって、プロの世界で通用するレベルのものを書ける日が来たとしても、本業と掛け持ちでは、体力的に、責任ある仕事をやれると思えませんので。本業の方は、できれば定年まで勤めたいと思っていますので、よほど人生の転機でもなければ、考えないだろうなと思います。
 こちらのサイトには、プロを目指して日々研鑽されている方も多いので、そのなかにわたしのような完全趣味派の人間が混ざって投稿させていただくことに、ときどき忸怩たるものを感じないでもないのですが……(汗)

 わたしの夢はむしろどちらかというと、「めざせオンラインノベル界の星!」なので。それはそれでえらく険しい道なので(ちょっとやそっとの腕ではすぐに埋没してしまう昨今のウェブ小説界でもありますし……)、引き続きマイペースながらも、地道に研鑽を続けていきたいです。

 でも、お言葉とても嬉しかったです。ありがとうございます。
 ますますのご活躍をお祈りしております。ありがとうございました!


> ゆうすけ様

 わあ、ありがとうございます! 世界観の作りこみ、がんばりました!
 がんばったとはいっても、諸々考証が甘いので、ハードSFファンの方から見られたら噴飯ものとは思いますが(涙)、さておき誉めていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

 ベイカー女史のセリフをお気に召していただけたとのこと。わたしも浮いた子だったので(と、過去形でいってしまっていいものか……)、自ら振り返って、しばしば反省も後悔もするのですが、それがなにかしら小説の役に立ったのであれば、悪いことばかりでもなかったのかなと思います。

 これを書きあげたあと、なかなか次がうまく書けず、ここしばらく悶々としておりましたので、温かいお言葉がとても嬉しいです。いただいたお言葉を励みにして、今後とも精進してまいりたいと思います。
 お忙しい日々のなかでお時間さいてくださって、ほんとうにありがとうございました!
No.8  ゆうすけ  評価:50点  ■2012-11-06 18:22  ID:1SHiiT1PETY
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拝読させていただきました。

HALさんは舞台設定の匠だと勝手に思っておりまして、今度はどんな世界を見せてくれるのかと思っておりましたら想像を遥かに超える世界に驚愕しました。
登場人物が丁寧に描かれておりますね、内面を描くことで血肉が与えられて存在感があります。
ベイカーのセリフ「変わりものっていうのは、重要な特質だわ」このセリフ最高です。

あまり技術的な事は書けないので、読んで今思っていることを素直に書きます。
フランダースの犬とかペリーヌ物語みたいな優しいタッチのアニメにして、私の子供たちに観せたい作品だと思いました。親子で劇場で観ても楽しめるお話であると思います。

「紫麟に透ける」を思い出しました。マイノリティーの苦悩が描かれているからでしょうか。私も若い頃、周囲に馴染めないで孤立してばかりでしてね、「変わりものっていうのは、重要な特質だわ」も含めて妙に共感してしまうんですよ。魂が共鳴するような感覚です。心に闇を持ちながらも、それに屈しない光を持っているような。

 仕事が多忙でなかなか読めませんでしたけど、やっと読めてよかったです。今後も執筆頑張ってくださいね。期待して待っておりますよ。
No.7  蜂蜜  評価:40点  ■2012-11-06 00:16  ID:fxD0PHpbJtA
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HALさん改め、遥さん

拝読しました。

僕自身のTC『卒業』に伴って、最後っ屁として、僕が着目している作者さん数名の作品に感想を落としていこうと思いましたが、遥さんの作品に感想を書くのは、これが実は最初で最後かもしれません。

僕が旧HALさんを、作者としてはその想像力とバイタリティーに一目も二目も置いておきながら、なかなか感想を書けなかった理由は単純で……

そうです、「長かったから」です。はい。すいません。

で、えーっと、遥さん、最後に僕が貴女に何を言いたいかと言うと……

『いつまでもこんなところ(ネット)に埋もれてるんじゃねーよ! 早くこっちへ来い!』

これだけです。

遥さんの想像力と、文筆力、そして、大作を幾つも書き上げるそのバイタリティーは、一介の無名ネット作家で終わらせるには、あまりにも惜しい。これだけの力がありながら、なぜこの人はここでぐずぐずしているのだろう? と、とても不思議に思います。

貴女が想像しているより、『ハードル』は低いですよ?
想像力の極北まで突っ走れば、ほら、もう、すぐそこです。

ハードルの向こう側でお待ちしています。

今後のご健筆と、更なる発展を祈念して。


No.6  朝陽遥  評価:0点  ■2012-10-17 22:52  ID:P6FV/aiPbHo
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> 星野田さま

 ありがとうございます……!
 ご指摘の、シーンが細切れの件、じつは某所で別の方からもご指摘いただいておりました。お恥ずかしい!
 クライマックスのシーンをはじめ、いくつかの場面でどうしても交互に視点の切り替わる書き方をしたかったのですが、「そこだけ唐突にそんな書き方をしてもなあ……」という弱気から、ほかのシーンでも視点の切り替えを挿入してしまいました。おなじく複数視点で書くにしても、もうちょっと滑らかな視点移動ができたのではないかと、こっそり反省しています。ご指摘ありがとうございます。

 8話の、ある意味すごく地味なあのふたつのシーンをお気に召していただけたとのことで、あんまり嬉しくて、ひとりで盛大にニヤニヤしてしまいました。
 ウェブでは読み手の方が見切りをつけるのが早いというのもあって、ストーリーの山谷をなんとかこまめに入れなくてはならないと思うのだけれど、どうしても自分のペースで書くと、いちいち場面が冗長になってしまって。とにかく話が動くのが遅くて、実際に途中で読み飽きられた方もかなり多かったんではないかと思うのですが(涙)、こんなふうにいっていただけると、報われた思いです。

 一方で、ほんとうなら鳥から進化した異星人であれば、もっとずっと地球人類とは異質な思考形態を持つ種族なんではないかと思っていたりもして……。リアリティを問うなら、ほんとうは思考速度もロジックも、ぜんぜん違うと思うんです。あまりそのあたりを厳密にやるとストーリーにならないというので、ご都合を承知で開き直って書きはしたのですが、それでももうちょっと異文化感というか、「ああ、やっぱり異質な存在なんだなあ」という感じを途中途中で入れていけたらよかったなと思います。

> 混栽とか多様性の話とかFMA21X関連の話とか
 ありがとうございます。(わたしにしては)勉強がんばりました!
 混栽については、勉強したというよりも、池澤夏樹さんの小説「光の指で触れよ」でパーマカルチャーについての話題が出ていて、それがずっと頭の片隅に残っていました。あとは、メカやコンピュータやなんかのほうではなくて、生物学・有機化学の特別に発展した世界の話とか面白そうだなあ……と漠然と思っていたのが、なんとなく半端に芽を出した感じでした。
 飛行機関係は「カラー図解でわかるジェット旅客機の操縦」「飛行機操縦のABC」から……こうして並べると、資料セレクトの軟派っぷりがよく伝わりますね!(難しい本で勉強する気は全くないっていう)
 トゥトゥの生態については、「鳥類学」から。読んでいるだけで楽しかったです。

 世界観、アタマ悪いなりに頑張って色々考えました。ヴェドの自転速度と風の強さから始まって、気候風土とそこから発生するトゥトゥの体の構造、社会や気風……等々、けっこうしつこくネチネチ考えたのに、あまりくわしく本文に書けなくて無念だったので、こうして拾っていただけてとてもうれしいです。ありがとうございます。

 物語の流れとラストシーンについて。
 この話でいちばん最初に浮かんだのが、飛べない鳥人の男の子が、ごみごみした地上から空を舞う同胞を見上げているシーンでした。鳥人は地上を歩くことが少ないから、街並みはちっとも歩きやすいようにつくられていなくて、みんなスイスイ飛んであっという間にいってしまうのに、取り残されて、長い時間をかけてとぼとぼと歩いている、ひとりぼっちの男の子。
 だから、物語の冒頭はここだと、最初から決めていました。空を見上げるシーンから始まって、そして、空を見上げるシーンで終わろうと。
 設定やプロットなんかは、ない知恵を絞って拙いながらも必死に作りましたが、いちばん肝心かなめの部分は、なんというか、どこかからの贈り物のような気がしています。あとは、それをもっとうまく書くだけの腕が欲しかった。悔しかったです。

 序盤で全体が予測できる、この点については弊害も承知で、あえて狙っていきました。わたしは頭が悪い上にどうも固くて、複雑な筋とか斬新なアイデアとか、考えても考え付かないものですから、そっちはもうあきらめて、どこまでもベタど真ん中を行くしかないと思っています。なんとかして正面突破力を身につけたい所存です。

 悔いも色々と残りはしましたが、お言葉を励みに精進してまいりたいと思います。温かいお言葉の数々、本当にありがとうございました!


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> うんた様

 重ねてありがとうございます。きちんとした考えがあるというか、そのときどきでいうことが変わる、自分に都合のいい言い訳をしてばかりいる人間なので、あんまり信用しないでください……というのはさておき。

 ありがとうございます。火の国については、細かいところの出来はともかく、いまにして思えばあれでも、わりと自分の本分を発揮できたほうだったのではないかと思います。
 告白しますと、今回すごく書くのが辛かったんです。わたしは書き手としても読み手としても感情移入派で、長編で三人称というのが、そもそも苦しくて……。それでもいわゆる一人称三人称ならまだなんとか誤魔化しがきくけれど、神視点はほとんどお手上げで。
 主人公=語り手が語る、その人物の眼から見た物語しか、これまでほとんど書いてこなかったですし、正直いうとそのスタイルが、自分には合うと思っています。それはつまり全体の俯瞰ができないということでもあるので、ストーリー全体での盛り上げだったり、込み入った筋だったりというのがどうもなかなか書けなくて、不利な点も多いのですが……。

 ともかく今回はどうしても、エトゥリオルの視点ではなく、あくまで彼を外から見る視点でないと、書けないと思ったんです。といって、途中にはどうしても登場人物の視点に入り込みたいシーンもあったものですから、苦し紛れに神視点から登場人物視点にスライドしてみたり、また戻ってみたり……なんやかやと悪戦苦闘して、おかげで途中で文体を何度も見失い、やたらと不自然でがちゃがちゃした文章と構成になってしまいました。お恥ずかしいです。

 メインストーリーがブレないように、そのほかの部分は色々と削いだということもあります。(そのうえ思い切って絞りきれずに、結局冗長になっている部分も多々ありますが……)
 じっくり書きたいという気持ちと、ウェブの読み手さんは見切りをつけるのが早いので、これ以上展開が遅くなってはますます途中で飽きられるという思いとの、板挟みでもありました。

 そういうアレコレがあって、それぞれの人物が、彼らなりに苦しんだり不安を抱いたりしているのを、彼らの生身の感情として、内側からしっかりと書けていなかったと思います。言い訳を承知でいえば、けして彼らひとりひとりが苦しんでないわけでもなければ、うまく感情を処理できているわけでもないのですが、その苦しさが、読み手の方々にきちんと伝わるように描けていないです。エトゥリオルもですが、サブストーリーになるそれぞれの人物についてのストーリーラインが、きれぎれになってしまっている上に、それを語る視点も、一歩どこか引いてしまっている。
 じゃあ慣れたいつものスタイルで書けばよかったのかというと、それでは一番肝心の書きたかったところが、書けなかったと思うんです……。

 今回、いままで出来なかったことに挑んで、うまく書けなかったなりにも一定の成果を得たという気持ちと、書きたかったものに腕が追いつかず、気負いでかえって筆が上滑りしているという悔いと、半々になってしまいました。挑んだことが間違いだったとは思いませんが、悔しさは悔しさとして覚えておいて、バネにしたいです。

 異文化理解については、わたしにとっても思い入れのあるテーマなので、この点をしっかり書けなかったことも、やはり悔いのひとつです。本来であれば鳥から進化した種族なら、もっと異質な思考回路、ロジックを持った存在であるはずで。腕のなさと想像力の限界から、そういう異質さや、衝突や葛藤を充分に書きこめなかったこと、無念です。

 無責任なんてとんでもないです。小説は読まれたときから読み手の方のものでもありますから、むしろわたしのほうこそ、見苦しい言い訳の数々申し訳ありません(大汗)
 書き手の方が集まる場だからと、ここではつい甘えしまっているところがあります……(汗)

 丁寧に読んでくださって、本当にありがとうございました! またたびたびお目汚しをすると思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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> 鮎鹿ほたるさま

 ありがとうございます。そうですね、序盤、大変冗長になってしまいまして、その点も大きな悔いのひとつです。

 恥を承知で告白しますと、プロットをしつこく練った結果が、これなんです……。お恥ずかしい。
 どうもわたしの場合、かえってノープロットで書ける中編以下のほうが、まだしもいくらか引き込みのマシなものを書けるようです。そのかわり全体を俯瞰できないので、こんどは後半の盛り上がりがなくなります……。どうもうまくいかないものです(涙)

 長編になると、全体のストーリーのなかでのクライマックスと結末をまず念頭において、それを前提に中盤までを組むことになるので、そこで序盤をついつい積み上げに使ってしまうのだと思います。そしてプロットを細かく作るせいで、いざ筆を執ったときのライブ感が損なわれる。わかっていてもなおせない、まったくそのとおりです。

 ウェブのほうが紙の本よりも読み手の方が見切りをつけるのが早い傾向にありますから、より多くの方に読まれたければ序盤が肝心というのは、なおのこと仰るとおりと思います。
 ミステリ的手法とまではいわずとも、冒頭からすでに事件は始まっている式の展開が組めればよいのですが……頭ではわかっていても、実際にやるとなると別ですね(涙)

 くじけず、引き続き試行錯誤を続けていきたいと思います。ご指摘ありがとうございました。
No.5  鮎鹿ほたる  評価:20点  ■2012-10-16 22:55  ID:O7X3g8TBQcs
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こんにちは。
ストーリーというものは最初の転がりだしというかうまく読者を入り込ませる部分が一番むつかしいものだと思います。
作家志望の人たちは皆さんプロットを錬るのが好きではないようなのですが、映画で言ったら最初の30分ぶんくらいのところまではプロットを練ってみたらいかがでしょうか?自分の書いたものは客観視するのが困難ではありますが。
うまく転がり出す30分が書けるかどうかって才能じゃなくて根気のような気がするのです。
謎とかミステリーの要素を入れないと。とか、主人公に魅力がないとか同情する要素が必要とか、面白いエピソードを盛り込みながら主人公を取り巻く状況を説明するんですよとか・・・そんなことはストーリーの世界を目指す人なら技術として誰でも知っているわけで、分かっていても書けないのが最初の30分だと思うのです。すいません、小説なのに30分30分と。

どうも、今回の話はうまく入っていけませんでした。すみません。
No.4  うんた  評価:0点  ■2012-10-15 09:44  ID:iIHEYcW9En.
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>朝陽様
 
 たびたびすみません。うんた(うんこ太郎)です。丁寧なご返信をありがとうございます。とてもおもしろく拝見させていただきました。HAL様はやっぱりきちんとご自身の考えのある自覚的な書き手さんなんだと納得いたしました。

>読者層の問題は、むずかしいなと思います。わたしは露骨な悪意をあまり積極的に書かないので(ゼロではないですが)、それが物足りないといわれてしまうこともしばしばあります……。今回も、悪意ある第三者は存在するけれど、いずれも間接的な描写ばかりで、物語の前面にはあまり出てこないようにしました。

 読者層という書き方をした私がいけなかったのですが、例えば一人の人間のなかにも、子供の読み手や大人の読み手がいるという考えではどうでしょうか。私個人の経験を言うと、子供向けの本を読むときに懐かしさを感じるとともに、どうしてももう一人の冷めた目を持った自分が何処かにいるような気がすることがあります。その冷めた自分は完全には子供の世界を信じきれてはいないっていう……。
 
 別にこれは作品にいちゃもんをつけているとういうつもりは全くないのですけど、私には「火の国より来たる者」がすごくおもしろかったんですね。現実の壁を突き抜けて、星空が広がってくるような迫力があったと思います。それはやっぱりトゥイヤの役割が大きくて、恐怖や不安といった人間の弱さを乗り越えていく様子が、非常にうまく書けていたからだったのかなと思いました。
 
 今回のマルゴトアフも非常に素晴らしかったのですが、でも心の陰という意味では、みんなそれぞれに心のエリートでうまく処理しているというか、それを薄汚れた三十過ぎている身としては、どうも遠い理想的な世界のように感じてしまったのかもしれません。作品のなかで人間とトゥトゥとの異文化の理解が着実に進みますね。多少の葛藤はあれども皆それぞれに開いた心を持っているから、おもいやりを持って理解が進む。これはすごく美しいことだと思います。
 
 私は日本国外で外国人と働いているのですが、同じ地球人であっても日々は誤解と勘違いの繰り返しです。だから、時にはどうせ日本人の気持ちや文化なんて分かるまい、そういう閉じた心で自分にとって安易な結論を導いてしまいたくなることもあります。それでは駄目だということは分かっているんです。異文化、特に力のある異文化というのは強烈です。たとえば鯨を食べることの文化的な背景は無視され、行為だけが取り上げられて、さも野蛮なことと受け取られてしまうように、弱い文化というものは強い文化の常識で解釈されてしまいます。そういう時に異文化の言葉で、異文化に属する人たちが納得できるように、説明ができるような強さを常に持ち合わせていればいいのですが、それは容易ではないこともあります。そういう自分のもどかしさと卑屈さとがあるので、もしかしたら開いた心をもったマルゴトアフのメンバーたちのことをひがんでいるのかもしれません。
 
 だからと言って暗い話にして欲しいというわけではないんです。もっと心の陰を書いたら良くなる、なんていうことを言いたいわけでもありません……。ただそのような感想を持った、というだけなんです……。無責任なことばかり言ってすみません。

 本を読むことに対して何を求めるのか、これは本当に人それぞれだと思います。あんまり大袈裟な言葉を引用するのも恥ずかしいですが、「本はわたしたちの心のなかの凍った海を砕く斧でなければならない」と言っていた有名な小説家もいました。斧のような本だげが、私たちの心を割るのだそうです。
 
 私の場合ですと、すごくせこいからか、現実に役に立つように思える本しか読む気があまりおきません。現実に役にたつというのは曖昧ないいようですが、例えば腹痛のときには腹痛を治すための本を探します。仕事の合間なんかにHALさんの小説やブログを読ませていただくと、とても元気が湧いてくることがあります。毎日を大切にされている様子がうかがえて、私もがんばろうという気になります。これも現実的な読書だと思っています。
 
 しつこい感想となってしまいましたが、どうかご容赦ください。いろいろと考える大変貴重な機会をいただきました。ありがとうございました。
No.3  星野田  評価:50点  ■2012-10-14 20:55  ID:p72w4NYLy3k
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こんにちは。
なろうとTC,どちらに感想を書こうかと悩んだのですが、やはりホームであるこちらで(笑。

 あまりしないのですが、先に気になった点を述べます。
 物語の流れ方は素晴らしく文句はないのですが、なんというかひとつのシーンが細切れにされている?ような書かれ方がちょっと気になったかも知れません。一つのシーンはひとつのシーンとして、もっと淀みない一つのまとまりとして書いてくれてもいいのにな、みたいな。
 まあ本当はあまり気にならないのですが(ぇ。批評として何かひとつ言っとくべきかなという謎の義務感を発揮してみました(?)

 そしてここからは素直な感想です。

 世界観、物語、人物造形すべてにおいて素晴らしい作品でした。
 トゥトゥという鳥のような人たちの、文化、歴史、暮らし、性格、思想。そういうものがよく練られ、違和感なく描かれ、魅力的に書かれていたと思います。
 エトゥリオルとベイカー女史が温室でお茶をするシーン、それに続くギイ=ギイ博士とハーヴェイ氏の会話のシーンがとてもお気に入りです。地に足をつける人間と、空に翼を置くトゥトゥという二つの種族の交流が、とても丁寧に描かれている。細かいお気に入りポイントをひとつひとつ挙げていくと長くなってしまうのでしませんが、この二つのシーンの雰囲気、会話、心の交流、などを通して垣間見える二つの種族のバックボーンがとても魅力的でした。全く違いすぎて共感を得難い二つの種族が、それでもなんとかお互いを許容しあおうとする感じというか。初恋同士の恋人をみているような(笑。
 ここらへん、物語の大筋にはあまり関わらないのだけど、トゥトゥという種族がどのようなものであるかを描くための細かい描写とか、調べが入っているなあとも感心しました。混栽とか多様性の話とかFMA21X関連の話とかですね。設定の作りこみが巧みで、見習いたいです。素晴らしい世界観の構築がされていました。風景を想像しやすい文章なども、上手ですよね……!
 
 飛べないトゥトゥがテラ人の作った飛行機のパイロットになる、という物語の流れもよかったです。
 この流れ自体は割と序盤に予測できるのですが、それは決して悪いわけではなく、王道という意味で良い物語でした。
 そこに上で言ったような魅力的な世界観や、登場人物たちの心の機微などが加わり、とても膨らみがあり素直に感動できる物語が出来上がっていたと思います。一人ひとりが物語のために存在する登場人物ではなく、血の通った、それぞれが別々の心を持って、やりたいようにやって生きているのを感じました。

「いい風が吹いている」
 ラストのこの文章で、この物語の先にある物語や、彼らがこれから歩んでいく未来、この星の世界などがファーっとひろがっていくようで、とても爽やかでした。素晴らしい作品でした。書いてくれて、そして世に出してくれてありがとうございます。
No.2  朝陽遥  評価:0点  ■2012-10-08 20:50  ID:D060Ec7JQpE
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> うんた様

 ありがとうございます! 自分がコンプレックスの強い人間なので、この子の話はどうしても書きたいという気持ちがありました。共感していただくことができたのであれば、嬉しいことです。

 また、はらはらしていただけたということで、思わずガッツポーズを取ってしまいました。ずっと盛り上げ下手で悩んできましたので、ぎこちない構成になってしまったながらも、クライマックスで多少なりと緊張感を出せたのであれば嬉しいです。

 もっと読んでいたい、とてもうれしいお言葉です。反面、「物足りない」にもつながるご意見かなと思います。ジンの姉との関係のその後、ハーヴェイの葛藤、エトゥリオルの家族との関係など、いずれも最初はもうちょっと書くつもりでいたのですが、ストーリーの流れを邪魔しないようにと思った結果、入れるタイミングを見つけきれませんでした。反省です。
 だらだら書きたいだけ書いて冗長になっても、すぐに読み飽きられてしまうのではないかという気持ちもあったりして、悩みます。スピード感を意識しつつ、要所は抑えてエピソードを入れていく構成力を、なんとか身につけたいです。

 ほろ苦い系の結末はともかく、悲惨オチは書かない…………と思います。いつか書きたくなったらやっちゃうかもしれませんが、少なくともこの手の長編では、そういうことはしないかなと。原稿用紙何百枚分もずっと読んで、登場人物に愛着がわいたあとにラストに救いがないのでは、辛すぎますものね。(書くほうもつらいですし……)

 読者層の問題は、むずかしいなと思います。わたしは露骨な悪意をあまり積極的に書かないので(ゼロではないですが)、それが物足りないといわれてしまうこともしばしばあります……。今回も、悪意ある第三者は存在するけれど、いずれも間接的な描写ばかりで、物語の前面にはあまり出てこないようにしました。
 ご期待に添えないことは心苦しくもあるのですが、自分が書きたいと思えないものは書けないので、仕方がないことかなとも思います。

 小説には毒があったほうが面白い、あるいはそういう側面もまた人間であるのだから、良い面ばかりを書いてもリアルではない。そういう読者さんがいらっしゃることは、わかるんです。ただ、自分が読み手として、フィクションのなかでわざわざ生々しい悪意に触れたくはない派なんですよね……。
 そういうのは現実だけで、もう充分お腹いっぱいだという気がして。自分にとっての読書の意義の半分は、精神安定剤的なというか、現実逃避行動でもあるので。それがわたしの底の浅さといえば、そうなのかもしれませんが(汗)

 書きたいと思ってもいないものを、読者獲得のためだけに無理に書いても上っ面に終わってしまいますので、いずれ描きたいと思うときが来たら、あるいは物語やテーマの必要からどうしてもそういう悪意を書かずにはすませられないという場面が来たら、そのときあらためて真剣に考えたいと思います。
 あと、生々しい悪意のほうでなくて、カッコイイ華のある悪役というか、エンタメとしての悪や敵対の構図は、できれば書けるようになりたいなーという気持ちがあります。そちらは機会をとらえて挑戦していきたいです。

 誤字……どこが違うのかとっさにわからなくて首をかしげてしまったのですが(お恥ずかしい)、よくよく考えたら「連絡があった。」か「連絡が来ていた。」のほうがすっきりしますね。ありがとうございます。おそらくまだあると思うので(汗)、後日まとめて訂正させていただきます。なかなか自分で読み返す勇気がもてなくて……。ご指摘感謝です。

 お言葉を励みに精進してまいりたいと思います。長いのに、早々にお読みいただき、温かいお言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました!
No.1  うんた  評価:50点  ■2012-10-08 11:08  ID:iIHEYcW9En.
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朝陽遥 様

 読ませていただきました。とても優しさのある小説だと思いました。苦しみや悲しみに身を寄せて、気持ちを共にしてあげよう。重い荷物を、一緒に背負うことはできないのかもしれないけど、せめて一緒に歩いてゆこう、そんな誰かの声が聞こえてきそうな作品でした。それは作者様の声なのか、それとも登場人物たちの声なのか。

 自己嫌悪の感情があればこそ、より多くの人を受け入れることができるのではないかと思います。自分の欠点を認識しつつ、それでも受け入れることを学んだ人が、より多くの友情を育めるのではないかと思います。

 もっともっと読んでいたい、そう思える作品でした。 
 リオだけではなく、ジン、ハーヴェイ、ギイ=ギイ、レイチェルベイカー、ルル=ウィンニイ、リオの父親。それぞれが抱えている事情がうかがえて、もっとこの世界について読んでみたいと思いました。
 
 終盤ははらはらとして読みました。まさか、最悪の事態もあるのではと息をのみましたが、HAL様がそういう結末にするはずはないと、心の隅で固く信じてもおりました。
 
 私はHAL様の登場人物へのあたたかい眼差しと希望のあるお話がとても好きですが、反面それは読者層を限定してしまうものかもしれません。だれにでも心のどこかに陰はあるものだと思います。例えば許し難い悪であってもそれはもしかしたらその人の成熟なのかもしれません。希望と優しさが根底にある美しい話はすばらしいです。しかし一方で、幼い読者のための物語として終わってしまう懸念もあるのではないかと思います。

 それから誤字とおぼしき箇所ですが、申し訳ないです。二点だけ見つけたのですが、メモしなかった為に一点は分からなくなってしまいました……。

向こうの弁護士から連絡があっていた

 好き勝手ばかり申し上げてすみません。この作品も素晴らしい作品でした。とってもとっても楽しい時間を本当にありがとうございました! 次作も心待ちにしております。

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