勝利の行方
 大阪府北区に位置する人材紹介企業に訪れた豊島浩司は、ある社員との面談を要求した。
 彼にとって、今日は待ちに待った日だった。そう表現出来る状況ではあるのだが、その表情はおよそ晴れやかと言えるものではない。
 個室で待っていると二度ノックが聞こえ、勤続6年目の菅井洋平が入ってきた。
 軽薄な紺のストライプスーツのボタンを外して向かいに座り、資料とノートパソコンを広げ、「さて」という言葉を彼が切り出すより先に、浩司は口を開いた。
「俺の顔を覚えてるか?」
 数秒の沈黙の後、洋平の顔が青ざめ、こめかみから冷や汗が流れた。


 浩司には士朗という名の息子がいた。
 彼が中学へ入った頃、妻による浮気が原因で離婚してから、男手一つで育ててきた。互いに不慣れである家事を覚え、浩司が家にいない間は士朗が炊事や洗濯もこなしつつ、学業や部活に励んでいた。
 士朗は正直者で優しく、人の頼みは断れないような性格だった。友人もそれなりに多く、中高一貫である進学校で充実した日々を送っているように見えた。
 しかし彼が高校二年生の頃、事件は起きた。
 5時限目の途中に「トイレへ行きたい」と言って教室を出た士朗は、トイレとは逆の方向へ歩き、屋外の非常階段へ繋がる扉を開け、4階の高さからその身を投げた。
 しばらくして地面に血を流して倒れている彼を警備員が発見し、警察へ通報した。現場検証と報道規制を敷く手続きの為、4時半頃まで生徒全員が教室から出る事を許されなかった。
 遺書として残されていた士朗のメモや事情聴取の内容から、程無くして彼がイジメに遭っていた事が分かった。

 最初は友人同士のじゃれ合いだった。「ウソをついたら罰金を払う」というゲームが士朗を含めたグループの中で始まり、その場の空気に流され、彼がターゲットにされた。事あるごとに金を要求され、暴行を加えられるようになったのだ。
 時折財布から金が抜かれているのを、浩司は気付いていた。士朗を問い詰めると、“友達とカラオケへ行くのに使った”などと答え、毎回最後には泣きながら謝った。彼にはそれが反抗期の衝動によるものだとばかり思っていた。
 聴取が進められると、更なる事実が明るみになった。イジメは精神的攻撃にも及び、ある時は弁当に精子をかけられ、それを無理矢理食わされていた。またある時はトイレの中で身ぐるみをはがされ、全裸の写真を個人情報と共にゲイサイトへ投稿された。高校の裏サイトではそれをネタにした中傷が始まり、彼の居場所は徐々に奪われていった。

 ニュースでその事が報告されるや否や、ネットでは犯行グループに対する非難が沸き起こった。
 とある掲示板に「犯罪者のいる学校を潰す」という意味合いの文と共に放火予告が書き込まれた事をきっかけに、最寄駅から学校までの通学路に数名の教師が立ち、約8カ月に渡って警備するという厳戒態勢が敷かれた。
「教室という小さなコミュニティに数十人という青少年を詰め込めば、知らぬ間に派閥が生まれるのは昔からの摂理です。今回の事は晴天の霹靂で、私としても非常に遺憾であります」
 学校長は事件に対してそのように述べた。
 この言葉によって、学校関係者の明らかな管理不足が露呈し、校長は辞任する事となり、他校から送られたイジメ問題について明るい教師が、新校長に取って変わった。

 何故最悪の事態となる前に止められなかったのか。浩司は犯行グループを恨み、事態に気付いていなかったと主張し、コトが起こるまで何の対応もしなかった教師を恨み、そして何より自分を恨んだ。

 犯行グループは刑事裁判による協議の結果、6人中4人が実刑判決を下され、残りの2人には執行猶予が付いた。
 しかし浩司には、この判決に対して不満が残った。生徒の話では、グループに巻き込まれて嫌々ながらイジメに加担していたのは1人だけで、もう1人はイジメの内容についてのアイデアを出し、実行していた主犯格だったのだ。
 しかし彼の父親は同学校で国語の教師をしていた。その為学校側が被るダメージと罪状が天秤にかけられ、結果的に学校から罰金が支払われた事により、情状酌量が認められたのだ。
 その男は事件後、周りの生徒と同じく一般入試を受け、県内Bランクの大学へ入学した。

 償うべき罪へ背を向け、息子には叶わなかったキャンパスライフを悠々と謳歌している。そんな事が許されるのか?
 浩司はその親子に対して再審を求め、入学の取消と父親の解雇に加え、イジメが引き起こした結果に対する慰謝料や、マスコミが関与した事によって家族の受けた精神的被害への賠償を合わせた金額の支払いを要求した。
 しかし弁護士は、法的な材料を全て満たした状態で一度決定した判決を、個人的な考察により覆す事は困難であり、また有罪が確定しても父親の解雇等の要求は通らず、被告に対する傷害過失致死の容疑で数ヶ月の懲役が関の山だという理由で、依頼を取り下げた。また後者の理由に対して反論しようとすると、弁護士はこんな例え話まで持ち出した。

 ノストラダムスの予言を信じて自殺する者がいたとしても、彼を罪に問う事は出来ない。そういう事ですよ。

 ……バカなのかこいつは。
 奴は実際に危害を加えているではないか。息子の心身に傷を与え続け、その結果死に至らしめた。それは歴とした殺人じゃないのか。
 そんな浩司の想いも、法の前ではもろくも砕けた。
 どうすれば士朗の無念を晴らせるのか。彼はその方法を探る事に没頭した。仕事から帰ると法学の専門書を開き、当時の判決に穴が無いか徹底的に調べた。またそれと同時に探偵を雇い、洋平の動向を掴む事にも努めた。

 サークルに入った。
 試験を受けた。
 恋人を作った。
 就職した。

 そのような報告を聞く度に、彼の執念は一層深いものとなった。
 しかし何度弁護士事務所へ足を運んでも、答えは変わらなかった。
 他人事だと思っている連中に頼んだところで、事態は何も進展しない。そう考えた浩司は、拙いプログラミング知識で支援サイトを立ち上げ、仕事が終わると街頭に立ち、署名を集めた。

 民意というものは一長一短である。彼の心情を汲み取り、快くサインする者もいれば、交差点の片隅で一人の中年が声を上げたところで、世の中は変わりゃしないとせせら笑う者もいるし、騒音になると文句を言う者もいた。それでも彼はたった一人、雨が降ろうがひたすらに無視されようが、街頭に立ち続けた。息子の感じた孤独感は、こんなものとは比較にならないのだという想いが、痛む膝に喝を入れ続けた。
「あなたの無念、よく分かります」
 ある日、道を通りがかった主婦が署名を書き、そんな言葉をかけてきた。自分も以前、イジメによって娘を亡くしたのだという。兆しに気付く事が出来なかった不甲斐なさから、一時期は食事を一切摂らない事もあったと、彼女は語った。
 イジメ被害者の会に所属していた彼女と知り合った事をきっかけに、徐々に賛同者が現れ始めた。他にも同じような境遇を持つ親や、過去に受けたイジメを乗り越えた学生、ボランティア団体等が集い、三〜四県に渡る範囲で集められた支援が、浩司の下に届けられた。

 述べおよそ50名の支援者によって、自然発生的に広がった署名活動が反響を呼び、フジテレビの学園ドラマの中で裏掲示板のネタを扱おうという企画が上がった。その為脚本家と権利問題担当のスタッフが、浩司のもとへ許可を取りに来た。息子の死の要因となったものの卑劣さを全国的に知らせる一助になるだろうと考え、彼はそれを承諾した。
 放送後、支援サイトのアクセス数や署名数は格段に伸びた。1200枚に及ぶ署名シートと、支援サイトに寄せられたメッセージのデータが入ったUSBメモリーを携え、浩司は士朗の母親である元妻と共に検察庁へ訪れた。
 浩司が訴え続けたのは、これまでの殺人という概念に根本的な変革をもたらす法改正だった。


従来の少年法から自殺教唆という枠組を排除し、生前の自殺者に対する行為が一般見解の上で心身を過度に追い詰めるものである場合、当該事件の被告を殺人容疑とみなした上で、刑事事件として扱う。その際情状酌量等による執行猶予は与えないものとし、また学生時代に上記を満たす行為を行った事が卒業後一五年以内に発覚した場合、最終学歴の卒業資格を剥奪し、いずれの場合も二〇年以下の懲役が適用される


 彼の執念が結実するまで、11年の月日が流れた。士朗が生きて四年制大学へ進んでいれば、内定した企業で6年程働いている年齢である。


「上司の耳へ届く前に、私の口から伝えにきた」浩司は滾る感情を抑えながら言った。
 求職者を装った男の正体を思い出してからというもの、洋平はずっと目を伏せていた。
「こっちを見ろ!」
 大声で怒鳴ると、彼は一瞬大きく体を震わせ、顔を上げた。
「士朗が死んだ日、お前はどんな気持ちだった? 裁判所の前で歯を食いしばって悔しさに耐える私をテレビで見た時、どんな気持ちだったんだ」
「……すみませんでした」涙を滲ませながら、洋平は謝罪の言葉を口にした。
「10年以上も経って、まだそれか」浩司は彼の裁判が行われた時の光景を思い出した。「あの時も証言台の前で同じ顔をしていた。その場限りの薄っぺらい表情を浮かべたところで、今度は逃げられんぞ」
 洋平は、これは本心なんですと言わんばかりに、首を横に振った。
「信じて欲しけりゃ縦に振れ。その通りですと認めろ」
 その言葉を聞くと、彼は言う通り縦に首を振った。

 ……今更遅いんだよ。

 直前まで、浩司は目の前の男をトイレへ連れて行くつもりだった。士朗がされたように腹を殴り、スーツを脱がせ、全裸の写真をばら撒き、彼が死んだ時のように頭を床へ思い切り打ちつけてやろうと考えていた。目には目をだ。
 しかしこうして背中を丸め、捨て犬のような情けない表情をしている彼を見ていると、その計画の先には気が滅入るような虚しさしか残らない事が目に見えた。
「今日、お前はクビになる」先程よりもいくらか落ち着いた声で、彼は言った。「会社に連絡が届き、警察が来るまでオフィスで拘束され、今夜は留置場で過ごすんだ」
 事実を告げられると、洋平の表情が絶望に変わった。
「おそらく懲役は、最長の二〇年になるだろう。しかし一度罪を逃れている事を考えると、場合によっては終身刑になるかも知れない。じっくり時間をかけて償え」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 浩司は、うわ言のようにそう繰り返す彼を残して、個室を後にした。
(こんな事であいつが報われるなら、世話無いよな)

 慌てた様子の社員と廊下ですれ違うと、彼は深い溜め息をついた。
TAKE
2014年04月26日(土) 22時21分08秒 公開
■この作品の著作権はTAKEさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
高校時代に学校で起こった実際の事件を元にしているので、どちらかといえばルポに近いものになりました。
法改正などに関してはフィクションです。

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