Another agent with Identity
エピローグ

伊藤は逮捕されることを望んでいたかのように、ごく自然に手錠を受け入れる。その後、何かに気付いた様子で左側へゆっくりと顔を向けると、どこか安堵したような表情になった。目線をたどると、先に伊藤と同年代くらいの人物が二人、無言で佇んでいた。
「君の友人かい?」と聞くと少しの間が空いた。
「いいえ、親友ですよ。あの人はもう、大丈夫ですから……」
そう囁くように答えると、伊藤は自らパトカーの後部座席に乗車したのだった。





手記1

わたしは人まがいの存在です。「人」の形をしたものはすべて恐怖の対象なのです。それは、わたしが持つパーソナリティとしての病なのです。人は皆わたしのことを騙し、利用するつもりなのですから、隙など見せるわけにはいきません。だから仮面を被りました。常に自らを偽り、真の感情はこころの海の奥深くに沈め、他者から決して見えることのない殻をかぶりました。わたしはどんなに大勢の人たちに囲まれていようが、精神としてはいつも独りなのです。
 親というものはありません。義父母ならいます。しかし、わたしには何かと暴力ばかり振るう人たちなのです。そして、わたしの口にすることなど、なに一つ信じてはくれないのです。「苦しい」と、その類の言葉を口にはできません。わたしは生きなければならないのですから。


佐藤敦、あの男は何年も佐伯のことを苛めていました。佐伯の家は両親が病気ですから、高校に入ってからはあの子自身が家計を助ける必要があり、学校が終わってからも夜遅くまでアルバイトに出ていたのです。それなのにあの男は佐伯を脅してずっと金をもらっていました。逆ったら殴られるとあの子がわたしに話してくれたのです。今話した内容がすべて嘘ではないかと思ってしまうような表情で。
今ではその笑顔の意味が解るのです。それがさまざまな苦痛や恐怖を通り越した表情だったと。わたしも殴られたときは笑ってごまかしていました。しかし内側ではずっと泣いていました。
佐藤がいま、現在にどうあるかなんていうことはどうでもいいのです。そして、わたしは自身の行ったことが正しいとは少しも考えていない。一人の生涯を奪い、許されることはないのですから。
以前からわかっていた。わたしとあの男は根本的に同じなのだと。環境によってこころが歪んでしまった人間のひとりなのだと気づいてしまいました……




卓巳

甲高い電子音が響き、目を開いた。まだぼやついて、少し経つと部屋の天井がはっきりと見える。最近はいくら睡眠をとっても寝起きが悪い。昔のようにスッキリと目が覚めて、今日も楽しい一日が始まるのだというワクワクとした感覚が一切ない。あるのは体のけだるさだけ。枕のそばをあさって目覚まし時計を探しあてる。見るとその針は7時5分を指していた。俺は布団からのろのろと起き上がり、カーテンを開け、両腕を高くあげて大きく背伸びをした。雲ひとつない晴天が見える。
トーストを二枚焼き、スクランブルエッグとサラダを簡単に作って、大きめの皿に盛る。まだ眠気がとれないので、ついでにコーヒーも入れた。食事をしながらテレビのニュースを観ていると。昨日、市内の山奥で20代男性の死体が発見されたという内容をアナウンサーが淡々と話していた。身体には刃物の刺し傷があり、まだ遺棄されて数日しかたっていないそうだ。こんな事件は毎日のように放送されていて、それが特別珍しいことではない感じがする。こんな状況では、身近でいつだれが殺されてもおかしくないのかもしれない。画面を眺めながら、そんなことを考えていた。そして大学へ行く準備をすませると、早々に靴をはいて玄関を出た。今日はいい天気だ。


午前の講義を終えて、学生たちの声が飛び交う学食へ向かうと、そこで葵を見つけた。
「よお葵、朝のニュース見たか?市内で殺人だってな」
俺が声をかけると、葵が一瞬驚いた様子でこちらを見る。大学で初めて会ったときから暗い性格だったのだが、今日はより一層どこか怯えたような、暗雲立ち込める表情をしている。
俺が「どうしたんだ?」と聞くと、葵は口をつぐみ、間を置いた。
「殺された佐藤敦って人、わたしの知り合いだったの」消え入りそうな細い声で彼女が言う。
「知り合いって、どんな関係の人だったの?」と好奇心で聞いてみた。すかさず「その質問はちょっと失礼じゃないかなあ、卓巳」後ろから聞き覚えのある声がする。良く通る、明るい声だ。振り向いてみると、やはり秋彦だった。
「ここ、一緒にいいかい?――佐藤なら僕も知ってるよ、中学の時から同じ学校だったからねえ」そう言いながら秋彦が葵の隣に座る。
「それじゃあ、佐藤はどんな奴だったか知ってるのか?」
「授業をまともに受けてるのは見たことないね、それに学校で飼育してたウサギを殺したり、他の生徒を苛めたりして、よく指導員につかまってたよ」秋彦が話すのにあわせて葵がうなずく。
「典型的な不良少年って感じだな」
「そのころは不良グループのリーダー格だったからね、でも根っからの悪ではないはずだよ、家庭環境が複雑だったみたいだからその影響もあると思う。最近ではちゃんと更正して、仕事もしてたそうだ。まだ22だけど結婚もしてアパートで普通に暮らしていたらしいから」
「詳しいんだな」
「まあ、それに関しては噂程度の情報なんだけどね」と笑いながら秋彦が頬をかく。
「それにしても、その佐藤ってやつはなんで、誰に殺されたんだろうなあ」と素朴な疑問を問いかけながら、俺はカレーを口にした。
「まあ、いろいろあるだろうねえ、事件の背景なんていくら考えても無駄だよ。メディアの情報だけじゃ結局は憶測の域をでないからね」

その後も事件についての話を卓巳としていると、途中で葵が口を挟んできた。
「卓巳、次は経済だったでしょ?そろそろ2号館に行かないと」
「ああ、もうそんな時間か、秋彦、俺らは先に行くよ」
「わかった、それじゃあ」
学食から出ていくときに振り向くと、秋彦がこちらに軽く手を振った。そのしぐさが、俺は妙に印象深く思えた。


翌日、大学で講義を受けていると、ある一つの事件が起きた。警察に秋彦が逮捕されたのだ。


午後の講義は受けず、通学路を歩いて帰宅する。あまりの衝撃に足元が崩れそうな思いで、ふらつきながら歩いていた。もうなにもしたくない、何も考えたくない。――あいつが、秋彦が人を殺すなんて……。考えられない。そんなはずがない……。そう思いを巡らせているといつの間にか自宅アパートの前までついていた。階段を上ろうとしたが、足を止めた。俺のポストに何か入っているのが目に入ったからだ。中を確認してみると、どうやらそれは手紙のようだった。





手記2

……わたしは佐伯から話を聞いても、その時は恐怖心が湧き起こり、何もできなかった。顔には出せないものの激しい怒りも抱いた。わたしがいじめられているわけではない。直接の関係はない。しかし、だからこそ見逃すことはできない。もう傍観者のまま終われないんだ。
俺の命を使ってでも、実行しなくてはならないと決意した。第三者の殺人を。佐伯は望まないかもしれない。ただの独善なのかもしれない。すべて分かっている。しかし、許すことはできない。いじめられた佐伯があのような状態になり、いじめを行った本人は平穏に暮らしを続けているという事実、その不条理を許すことはできない。佐伯がもし自殺すれば悲しむ人はたくさんいる。あの子は優しいから。俺が消えても、想ってくれる人は誰もいないだろう。
俺も本当の親が欲しかった。もっと、愛情が欲しかった。人が死ねばどうなるのだろうか。それは永遠の謎だ。生まれ変わるなんてことがあるのだろうか、もしそうなら今度は本当の親のところで育ちたい、暴力をふるわない親がいい。
集団においては、優しい人間がいつも苦しむんだ。知っているか、本物の純水は猛毒なんだ。そして、純粋な人間はいつも優しさという毒に侵されている。周りの人は傷つけずに自分だけで抱え込んで、壊れていくんだ。本人はそれに気づいていない。俺にはもう時間がない、これで最後にする。俺は始めに不信の病に犯されているという内容を書いたが、それは違うと今解った。これを書いているということは、少なくとも俺は渡辺卓巳と佐伯葵の2人のことだけは本当の親友だと信じている証拠なんだと。大学で2人と過ごした時間は絶対に忘れない。忘れられないよ。今まで、本当にありがとう。
                                                                  伊藤 秋彦
しつみ
2015年03月05日(木) 17時07分43秒 公開
■この作品の著作権はしつみさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
小説の創作は初となります。まだまだ稚拙な文章、また構成となっておりますが、今後の上達のためにも、正直な評価をよろしくお願いいたします。

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No.1  名無しの顔無し  評価:30点  ■2015-03-07 04:31  ID:mOfbYPUz1oM
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拝読しました。
三度、四度と読み直して、合点がいく話でした。
不本意に歪められた人間達を、外側からみる卓巳さんという構図が面白いです。
殺人の動機も一見すると、お前関係ないじゃん、と言われてしまいそうな、
本人にしか分からない理由で、その独善加減が虚しくて良いと思います。
伊藤さんは佐伯さんの為だという名目で自分を救いたかっただけなのでは、と、最後の自己弁護的な手記から感じました。
自己解釈にてごめんなさい。
ただ、申し上げにくいのですが、やや読みにくい印象を受けました。
先に現在のことをみせ、何があったのだろう、とおもわせる構成は面白いと思います。
総レス数 1  合計 30

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