これまでのおはなし
 これはよくある話。といってみると、私にとっては特別な話なのか?という疑問は生まれるかもしれない。けれど、安心してほしい。
 私にとってもよくある話、として処理されている。
 だけれども
 この話はこれからの私の準備の話だ。私のこれからを語るまでの前置きの話だ。だから特別なことなんてない。ただただ、淡々としたお話があるだけだ。

 夫が病気になった。
 不治の病。良くある話。
 だけれども、私にもその手のよくある話が起きるはずないと思っていた。だけど起きた。
 これはやっぱりよくある話なんだろう。

 夫は絵が好きだ。私も絵が好きだ。なんでこんな話をしたかというと、ただ話したかっただけ、というわけではもちろんない。
 私と夫の出会いは美術館での出会いだった。という話の前置きをしたかっただけ。もうここまで私の語りがいかに下手かっていうのを分かってもらえたと思う。
 とにかく私たちは美術館で会った。何を見に行ったのか。
 それはホドラーだ。フェルディナント・ホドラー。光の画家と呼ばれた彼。重病になった妻を死ぬまで描き続けた画家。
 私はそれ以来機会もなくホドラーの絵を見に行っていないが、彼には夫と引き合わせてくれたキューピッドとして夫と共に多大に敬愛している。

 やっぱり話がごちゃごちゃする。だけれども許してほしい。私だってごちゃごちゃしているんだ。
 夫は、まぁ当然だけど入院した。それなりに大きい病院だ。私たちの家から車で四、五十分程度。初めは通院だったけど病名が分かって入院。
 医者は内々にと、私に言ってきた。
 回復することはないだろう。良くて現状維持だと。ここで私が取り乱さなかったのは何故だろうか。たぶん夫のおかげだろう。夫は自分の病名は知らされていない。だからだろうか。
 夫はいつも会うと笑いながら、早く治して一緒にまた美術館めぐりしようよーなんて能天気なことをいっていた。
 そのことを聞いて、スーッと何かが晴れた。彼はこんなにも変わらない。なら私は?
 変わる必要はない。というか変わることなんてできない。
 だから私も、早く治してよ、退屈なんだから、と 笑いながら返した。
 私はこの時、決めた。彼と一緒にずっといよう、と。この能天気な彼と添い遂げようと。何かの契機、というわけではない。大きな出来事ではない。ただ、彼とのこの一瞬が愛おしくて。その一瞬がたまらなくて。

 夫はいわば猫のような人だった。何か興味があることがあったら唐突に何かしはじめ、また唐突に飽きて違うことをしだす。人見知りはするけれども、慣れたら慣れたで絶妙な甘え方で人を惑わす。魔性の男だった。
 誑かされた被害者が私だけで本当に良かった。
 そして、この男を独占できたのが私で本当にうれしかった。

 夫は病気になってもその性格はそのままだった。彼は元々、物書きの様なことでお金を稼いでいた。だから、ベットにいてもパソコンを持ち込み、物を書いて提出し、稼いできた。彼はこの時ほど在宅労働をしていてよかったと思ったことはないといっていた。安静にしていなよ、と私が注意しても、分かってる分かってると言いながら、次の言葉にはねぇ、散歩しようよ。等とのたまう程の自由人さを発揮していた。
 私も私で、はいはいといいながら流されてしまうしょうもない女だった。
 周りから見たらどんなふうに見えるのだろうか。少なくとも医者が見たらさぞや阿呆の所業だとあきれてものも言えないだろう。絶対安静の重病人を頻繁に外に連れ出す女。さては保険金狙いであるかと疑われそうなわたし。出来れば、アツアツのカップルのように見られたら私としてはとてもうれしい。以前、彼が元気だったころ、一緒に歩いていたら姉と弟のように見られて、ショックだったのだ。
 私の方が年下なのに……年下なのに!
 女としての価値を上げようと決意した日だったことは言うまでもない。

 私たちは絵が好きだ、とは前にも語ったと思う。
 だけれども絵に詳しいか、と聞かれたら首を横に振るだろう。
 自慢ではないけれど、中高と、美術の成績は2だった。だけれどもどちらの時も選択科目は美術をとった私は下手の横好きの地域代表に選ばれるくらいの横好きっ子である。
 彼も同様だった。私と同じ下手の横好きの一員だった。
 だからなのか、私たちが絵の評価をするときはとても幼稚だ。
 例えば私たちが犬の絵をある展覧会で見た時の話である。
 彼の感想は、モフモフしたい。
 私の感想は、三軒隣の望月さんが飼っている犬にそっくりだ。
 あぁ、なんて嘆かわしき語彙力の無さ。学芸員さんが聞いていたら卒倒しそうな話だ。よくこれで絵が好きだと言えるものだ。と私さえも思っているけれども私自身絵が好きであることを自覚しているので仕方ない。私たちがどうしようもなく日本人なのと同じくらいに理由なく絵が好きなのである、と言ってみる。別に知らなくても私たちは楽しく暮らせている。些細なことを気にしてはいけないのだ。しかし、彼はこれほどの語彙力の低さだったのになぜ物書きを仕事として選択できたのだろう。
 些細なことは気にしてはいけないのだ。

 彼が物書きの類であるということは前に語ったと思うけれども、そのせいか彼は本をよく読む。それはもうなんでも読む。この前はSF物を読んでいたと思えば、今度はプリンの作り方。プリン作りたいのかなーと思っていたらそんなことはなく今度はミステリー。私に隠れてマルグリット・デュラスなんか読んでいた。恥ずかしがらなくていいのに。こんなところも彼の可愛いところでもある。
 ……話を戻そう。
 入院中でもやはり彼は彼だったから暇があったら本を読んでいた。本を読んでいる時の彼は真剣そのもので声をかけることをためらってしまう私だけれども、彼は見た目ほど真剣ではないらしかった。――彼がもしこれを聞いていたならば噴飯物であるが――
 よく読んでいる最中にココすごい面白いよー、等といいながら私に読ませてくることが多々あった。……正直な話、途中から読む本ほど、面白くないものはないのだが余りにも彼が嬉しそうに説明してくれるから困ったものだった。
 その中で彼がこれはいいなぁ、とずっと感心していたところがあった。例にもれず私は彼にその部分を紹介されたので、記憶に残っている。
 それは、「物語は柔軟だ。」というフレーズだ。登場人物など、詳しいことは忘れてしまったが、確かリア王が喜劇だっていいじゃない、なんていう話だったと思う。
 彼はそれを見せながらこういうことができるから物書きはやめられないなぁ、と言っていた。私からしてみれば彼はいつでも自由なことをしていたように思えたが、彼もやはり人の子だったというわけだ、というのは言いすぎなのだろうか。
 あの頃は彼が言っていたことに対しただ単に良いなぁ、と思っただけだったが、今はその良さを実感と共に受け止めている。なぜならば物語は話と違い、奇跡だって起こせるのだから。……こういう言葉も言いすぎなのだろうか。言い過ぎの定義を教えてほしい。
 
 彼と病院で話すことは取り留めもない話ばかりだった。
 というのは、今までの話からしても分かり切っていることかもしれない。
 でも、その日はちょっと違った話をした。私たちの出会いの話だ。話を聞くに彼はそれを忘れていたらしい。
 一緒に見た画家の名前ってなんだっけ、と彼が言いだしたときは私は思わず彼が病人であったことを忘れてしまうほどのショックを受けた。私がホドラーであることを伝えると彼は思い出したようにポンと手をうった。そこからダラダラとホドラーの話をしていた。
 私はひとつ気になっていたことを聞いた。私たち、どの絵の前で会ったんだっけ。ということ。ホドラーばかりが頭の中を先行し、自分も細部を忘れてしまっていた。彼は少し寂しそうな顔をしながら一つの作品をいった。
 それは死体の作品だ。それは病床であったホドラーの恋人の姿だ。骨と皮ばかりの肖像画だ。遺骸とバラが描かれている作品だった。
 それを聞いて私も思い出した。私たちが出会った時のことを。

 その日の私は大学生だった。このころも絵は好きであり、何か暇なときは美術館に行っていた。何故ホドラーを見に行ったかという理由はなかった。偶然友人がホドラー展の券をくれたからだ。別に誰のものを見たいという願望がなかった私はアホみたいにありがとうと繰り返しながら意気揚々と授業の終わりに上野へと向かった。人はまばらで自由にゆっくりと見ることができた。そしてそこで一つの絵に目を奪われたのだ。名前は ホドラーの二十歳年下の恋人の姿であると説明されていた。なぜか、目を奪われてしまった。悲しいはずの作品だ。何かが失われていく作品だ。好き好んで見る作品ではないだろう。だけれども惹きつけられる。
 ホドラーの意思がそこにはあった。ただ失いたくない。出来るだけ先延ばししたい。しかしできない。
 ならば、せめて描こう。描くことによって彼女を残そうとする男の姿が見て取れた。

 と、いうのは音声ガイドの受け売りである、と今ここで白状しちゃおうと思う。
 ただ、目が奪われていたのは事実であって、何かが揺さぶられた気もしたのは確かだ。
 まぁそんな感じで絵をずっと見ていた。それはもう馬鹿みたいに。

 そこでだ。彼と出会ったのは。私はふと、隣にずっと男の人が立っているのに気付いた。彼のほうを見てみるも、彼はそのことに気付かずただアホのような顔をしながらずっと絵を見ていた。
 ふと、考えが思いついた。
 もし、そこのあなた。この絵についての感想を出口のカフェで話し合わない?
 彼はそこで私の存在に気付く。そして彼は軽く笑いながらいいよ、とだけ答えた。
 生まれて初めての逆ナンパだった。別の意味でお顔真っ赤な出来事であることは間違いなかった。この時の私は暴走していたのだろうか。グッジョブ私。

 私たちが出会い、付き合うにはあまり時間がかからなかった。なんで付き合うって話はこういう時にするものだというのが一般的なお話のながれなのだろうけれど、ここで語ることじゃないと思う。それなりに恥ずかしいし。       
ただ言っておきたいことが一つある。それなりの不満かもしれないけれど。
 私から告白はしましたのです。
 それだけ。
 
 だからだろうか。
 出会いは私からだった。付き合うのも私からだった。
 ねぇ、と彼は言葉を区切った。何でもない風に。だから私は彼に笑顔を見せながら彼の言葉を待った。
 僕の絵を描いてくれないか?
 彼はそういったのだ。
 私は動じなかった。出会いがホドラーなら別れもホドラー。ただ、やってやろうじゃないか。そう思った。
 その日、彼は医者から自分の身体の状態を説明され、自宅へと彼の場所は移った。これは彼の希望だった。助かるためにいろいろするのは疲れるから最後は私とだって。
 ははー照れちゃうよ。
 照れてまうよ。
 照れるしかないじゃないか……。

 絵を描くにも画力が必要。愛しの彼の絵を描くのに私のような凡人にも劣るような画力では表現しては申し訳が立たない、と思っていたけれどそんなことはなかった。
 彼がそういったからだ。
 曰く、君に画力を求めようとした僕が馬鹿だった、と私が初めて彼の絵を描いた後にそういわれた。真に遺憾である。……別に、きれいに描こうと思えば描けるはずだけど。何よりもほら、枚数描くしかないしね。質より量ですよ、量。一日一万枚、感謝の絵描きとまではいかないけど、朝の彼と仕事から帰ってから描く夜の彼を私は毎日描いた。彼は自分の病気のことを知らされていても、何も変わらずただいつもの彼がそこにいて。私は相変わらずの彼を見て嬉しくて。だけれども緩慢にだけれど、確実に弱っていく彼の身体を見るのは辛くて。でも変わらずにいて。ただ、彼といつも通りしゃべりながら絵を描いていた。

 時間は流れていく、というのは当たり前のことで止めようのないことだ。それは私だってわかっているはずなのに。最近は止まってほしいとずっと願っている。
 それ程に、彼の身体は弱ってきていた。
 彼はいつも通りだった。そう努めようとしているのが分かった。いつものように飄々と。だけれどもそこには彼が持っていたはずの涼やかさはなくて、泣きそうになってしまう。  
 それでも私は、彼の絵を描き続けた。
 細くなっていく彼の腕を描き続けた。
 笑顔がなくなっていく彼の顔を描き続けた。
 骨と皮しかない彼の足を描き続けた。
 消えそうな彼の命を描き続けた。

 絵を描いているときも彼は会話をしようとした。彼は死ぬ間際の性欲の高まりについて話を始めた。私は柄にもなく彼のその話を聞いて赤面した。彼はその姿を見て笑っていたけれど、だってしょうがない、ご無沙汰なのだから。そう返すと彼も何を想像したのか軽く赤面して、そのあと二人でクスクスと笑いあった。
 だけれども、こんな会話が出来たのは最初のほうだけだった。彼はどんどん病気が重くなっていき、眠る頻度が高くなっていった。
 それでも私は彼の絵を描き続けた。それが彼の望みだったから。私も彼が生きているっていうことを残したかったから。
 
 ある日、彼が冷たくなっているのを見つけた。仕事から帰ってきたときのことである。彼は手に何かを持っていた。その何かを見る前に彼の絵を日課通り描いた。彼の望み通り、私が出来うる限りで新鮮な彼の死に姿を絵に描いた。
 描き終わった後、彼が何を持っているのかを確認した。それは一枚の紙だった。
 絵の具で描かれたたった一言。
 おやすみなさい。
 その紙を見て、彼に対し私はできうる限りの平静を保って
 もう、早寝すぎだよ。
 と、だけポツリと零した。だけれども涙は出なかった。
 彼の顔はいつも通りの飄々としたような顔だった。苦しまなくいったのかな、だったらいいな。
不満は一つだけ。その言葉はちゃんと声で聴きたかった。

 彼の親族には連絡をした。そして彼は荼毘に付された。
 だけれども私は彼の絵を描き続けた。彼が死んでからの絵だ。少しづつ腐っていく絵。もしかしたら私はこの時には自分の気持ちに気付いていたのかもしれない。だけれども気が付いていないふりをしていた。

 彼の絵が骨の絵と変わったころ。実家の母親から縁談の話が持ち上がってきた。あなたもそろそろ次のいい人を探しなさい。私は全然ピンとこなかった。ただただ疑問しか浮かばず、思わず母親にいい人ってなに、と聞いてしまった。母親は少し寂しそうな顔をしながらやっぱりいいよ、とだけ答えた。

 それからもずっと朝と夜。彼の絵を描き続けた。少しづつ彼の絵を描き進めた。骨すらも風化したあと、私は何を描くのだろうか。だけれども彼の絵の描き進めるしか私にはやることがなかった。

 朝起きて、仕事に行って、夜絵を描く毎日。部屋を見回してみると彼の絵ばかりが落ちていた。
 少し、ほっとした。彼の跡がこんなにもあることに対して。まだ彼の事を描けることに安堵した。

 しかし、終りはすぐにやって来た。
 とうとう彼の骨が風化した。描いていた骨は砂のようなものになり、これ以上の描くことはもう私の技術では無理だろう。
 私はとうとう描くべきものが無くなってしまった。
 同時に
 ああ、彼はもういないんだって理解した。
 唐突に理解してしまった。
 彼の絵を見て、痩せ衰えていく絵を見て、死んだ絵を見て、腐っていく絵を見て、骨だけの絵を見て、風化していく絵を見て。
 私はある時のことを思い出す。彼と出会った時のこと。ホドラーの絵を見た時に聞いたホドラーの話のことをだ。私は今の今までホドラーの踏襲をしていたのだ。それを自覚していなかっただけで、恐らく分かっていたのかもしれない。
 ただただ、彼のやってほしいことをしたのではなくて、彼がいなくなってしまうということを認めたくなくて、絵を描いていたことに。もしかしたら彼のことだから絵を描いていたら絵から彼の言葉が聞こえてくるかもしれない。もしかしたら彼が絵から出てくるかもしれない。そんな物語のようなことを夢想していた。
 でも、そんなことはありえない。
 これは、よくある話なんだ。

 少しロマンチックな出会いをして
 なんとなく馬が合って
 付き合って
 結婚して
 そして、彼が死んだ。

 流れとしてはそれだけのこと。こんなに語らなくてもよかったこと。事実だけを残せばそれだけのことでしかない。それでも私はそんなことを認めたくなかっただけなのだ。

 どうしようもなく、彼は死んでいる。
 私はそれをようやく理解することができて、私はようやく涙を流した。


 いやはや、恥ずかしい話だった。ただの女が何かを認めたくなくてあがくだけのお話。自分のことだけれど、みっともなく最後は泣いて、やっと認めることができた。そんな凡人のお話。
 これが、私のこれまでの話だ。ただただ普通の一家庭の話だ。この話はびっくりどっきりな奇跡なんかは起きないで、普通のことが起きて、それを私が消化するまでの話。
 そして
 今からが私のこれからの話だ。物語のように机の引き出しからロボットが出てきたり、世界の破滅を防いだりは絶対にすることはないだろう。ただ、普通の生活を送る。
 もしかしたら誰かと巡り合い、再婚するかもしれない。もしかしたら犬を飼うかもしれない。可能性の幅は物語みたいに広くはないけれどそれでも持て余してしまうほどには狭くない日々の可能性。
 私はこれからの日々を考えつつとりあえず部屋の掃除から取り掛かろうと思う。


モハメド
2015年01月10日(土) 17時58分16秒 公開
■この作品の著作権はモハメドさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
よくある話でも普通の人ならばどう感じるだろうと考えた結果です

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No.2  モハメド  評価:0点  ■2015-02-17 04:54  ID:qcmu6Qzu29M
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Physさん、感想ありがとうございます。
表現は今回気にしていた部分でもあり、その点を褒められたのは嬉しく思えます。
よくある話意識して書いたため、その結果それを出し過ぎて閉まったのかも知れません。今後は気をつけたいと思います
ありがとうございました。
No.1  Phys  評価:40点  ■2015-02-15 10:29  ID:8ktjPVZyMp2
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拝読しました。

細部に至るまで、とても情緒的で好きなお話でした。ホドラーさんという方
には嗜みがないのですが、お話の内容と主人公さんが絵を描き続ける理由が
重なっているのが良かったです。芸術が人の生死と結びつくと、かくも儚い
ものなのですね。

本作は、印象的な表現が多かったです。例を挙げると、

> 「物語は柔軟だ。」
> 悲しいはずの作品だ。何かが失われていく作品だ。好き好んで見る作品ではないだろう。だけれども惹きつけられる。
> 出来うる限りで新鮮な彼の死に姿

などです。とにかく言葉選びにセンスがある方だなあと思いました。とくに
言葉を区切るテンポと言うか、呼吸が、私の好きな小説に近くて、惹きつけ
られました。

また、私がすごくいいと思った一節が、

> 私から告白はしましたのです。
> それだけ。

のところです。上述のとおり、とても表現が洒脱なだけに、こういった愛情
表現の拙さが逆に際立っていて良かったです。うまくは言えないのですが、
幼さと上品さのコントラストみたいな部分が好きでした。

最後に、一つだけこうだったら良かったと感じた点を申し添えます。すごく
いいお話で、最初は50点を付けようと思いました。しかし、作者様が作中で
繰り返し「これはよくある話」と書いてしまうことで、ある意味では物語を
貶めているような気がしてしまいました。作品が好きな内容だっただけに、
それがとても残念でした。

私は、奇をてらった物語だけが小説ではなく、既視感のある、ありきたりな、
でもその人がその人の言葉で書かれた文章であれば、読み手の心を動かす
力をもっていると思います。その生み手である作者様がありきたりなものと
して物語を扱うのは、少し勿体ないように思えます。(もちろん、物語の軸
として「つまらないものだと強がっている主人公」を描くための技法という
ことであれば、その限りではないのですが……。)

でも、とにかく良かったです。素敵なお話を読ませて頂きました。

また、読ませてください。
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