叶えられた願い
 肌に突き刺さる鋭い風。首元は暖かくできても、顔だけはどうしようもない。
「六園寺くんはもう来てるかな」
 寂れた商店街には所々明かりがつき、まばらな後ろ姿が買い出しにいそしんでいた。 それを左手にして、待ち合わせの時計広場はある。併設された高架駅のホームからは聞き取れるほどの音量のアナウンスが耳に入る。
 地味な色合いのコートたちが目の前を横切っていく。立ち止まって時計を見る。ちょうど11のところにオレンジの光が反射して短針を隠していた。長身は6に寄った場所にあった。
「やあ、待ったかい?」
 改札から出てくるかたまりに混じって六園寺くんは現れた。
「ううん、今来たところだよ」
「そうかい。じゃあ行こうか」
 僕たちは商店街と高架駅に挟まれながら歩き始めた。百均屋の角を曲がればいつもの場所だ。
「さあ、今日はどうかな」
 六園寺くんは僕の顔をまじまじ見つめた。急に僕の手が汗ばむ
 ガラスの扉に木の格子、煉瓦の壁。扉の上部にくっついた棒には『Cafeはとばる』と書いてある。
 六園寺くんは扉に手をかけ、颯爽と中に入っていく。
「牧原くん」
 扉のちょうつがい側を左手で押さえながら入室を待っている。僕は口角を上げた。遅れて目が三日月のような形になる。
「苦笑いしてる場合じゃないよ。中のお客さんも寒がるだろう。そもそも、もう6回目だよ?」
 六園寺くんの口と目が同時に緩められる。それを見てようやく決心がついた。
「いらっしゃいませ」
 僕らの顔を認識すると、髭の豊かな店主はにこりとした。六園寺くんも微笑みを返す。
「今日は少ないよ。いつもの席も空いてるし」
 六園寺くんはひとしきり店内を眺めて僕をなだめた。
 二人分のスペース、奥の角席が僕らの指定席だ。僕らは静かに腰を下ろす。客が少ないからか、店主自らわざわざカウンターを出て注文を取りに来た。
「いつもので」
「かしこまりました」
 六園寺くんが注文をしている正面で、僕は今だににじみ出ている手汗をもみ消すように、両の手をこすりあわせた。
「本当に人見知りなんだね」
 僕らはインターネットを通じて知り合った。
「さあ、見せてごらん」
 ふふっと笑ったのち、悠然とした口調で催促する。僕は色褪せた茶色のショルダーバッグから紙の束を取り出し、六園寺くんの方に字面を向けた。
「うん、いい出来だよ」
 一通り読み終えた六園寺くんのその言葉にようやく胸を撫で下ろした。そして自然と頬が緩む。
「六園寺くんの丁寧な添削があって、ようやく僕の作品が完成したよ!本当にありがとう!」
 僕が差し出した手に、六園寺くんは穏やかな笑みを浮かべてやさしく握り返してくれた。
 そして、ミルクたっぷりのカフェオレが運ばれてきた。
「お、ちょうどいいタイミングだ」
 そう言って六園寺くんは一口カフェオレをすすった。そのときなぜか一瞬、僕には六園寺くんの眼光が鋭くなったように見えた気がした。いや気のせいだろう。僕もカフェオレに手をつける。飲みやすいちょうどいい温度だ。
「牧原くん」
 その声はまるでスタッカートを口で再現ようだった。突然、六園寺くんは肩を震わせた。上半身が小刻みに動いている。
「六園寺くん?」
 呼びかけると、真正面から今まで見せられたことのない表情が焼きついた。そのまぶたは少し落ち、口元はほぼまっすぐだ。
「六園寺くん?」
 震えた声でもう一度彼の名を呼ぶ。
「いやぁ、悪い悪い。ようやく全部揃ったものだから、つい嬉しくてね。君の書くお話は最高だよ!」
「う、うん」
「どうだい?今作の出来は?そうだねえ、僕は今まで一番だと思うけど」
 一人問答。
「ろくえ……」
「まあ、飲みたまえよ」
 僕の言葉を奪い取って、彼はカフェオレを勧めた。ぴんと張りつめた声だった。その言葉通りカップに口をつけるとなぜだろうか、先ほどよりひどく温度が落ちているように感じられた。
「お会計はこれですませてくれよ?」
 六園寺くんは左手で黒いリュックから財布から二千円を取りだし、僕の右側に置いた。
「待って!」
 思いがけないほどの声量が出た。数人の客がこちらを見た。構うものか。
「説明して」
「だから、いつも通りの添削だよ。君が望むままに添削してきた。その作品がようやく今日完成したんだよ」
 冷ややかな、上から見下すような目だ。何かがおかしい。
「そうじゃないだろう」
「これは今まで付き合ってくれたお礼だ」
 六園寺くんはずいと二千円を突きだす。
「ありがとう、これでいい作品が書けたよ」
 そう言うと彼はカップに残ったものを一気に飲み干した。
「小説の添削をして欲しいと頼んできたのは君だ。今までの尽力、感謝するよ。おかげで満足いく話になった」
「ふざけ、」
 僕の眼前にピンと立てられた左の人差し指。
「これは僕の、六園寺カイの名義品だ」
 そう宣言すると彼は、二千円を手にカウンターへ向かおうとする。
「今日は割り勘じゃないよ。最後くらいは誠意を見せよう。マスター、お会計を」
 僕は勢いよく立ち上がり、彼に詰め寄る。会計が終わるのを待って、彼が颯爽と外に出ていくのに付いていく。
 外気は待ち合わせのときよりも冷え込んでいた。
「六園寺くん、君は……」
「インターネットには気をつけなよ?」
 ふふっと彼は笑い、今まで右手に持っていたあの紙の束をリュックにしまった。
「これでもう会うこともない。楽しかったよ」
 くるりと陽気に回って見せた。そしてそのまま駅の方へ向かっていく。
 僕は唇を噛み締め、強く瞼を閉じた。右手で拳をつくり、左手でそれを覆う。小刻みに振動が腕を伝う。空を仰ぐ。オレンジの雲に澄んだ空。膝頭が笑い、踏ん張って立っているのもやっとだ。
 彼を追いかける気力はなかった。道のど真ん中に突っ立って、僕はただただ目からあふれる熱いものを垂れ流していた。
はしずめまい
2016年12月20日(火) 18時05分49秒 公開
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