青の夏のその先の
 ここはとあるド田舎。
 僕の家はそこにある。周囲には青々とした田畑が広がり、周囲にはこれと言った観光施設も何もない。そんな田舎の夏は遮るものがなく容赦なく暑い。暑さの独占販売状態で僕は早くこんな田舎とはおさらばして、かっこいい都会の男になりたいと常々口にしていた。
 小学校からの同級生も二十歳を超える頃には散り散りになり、寂しさの残るこの場所で僕はひとり夏の風に吹かれていた。口にするのは簡単でも年老いていく家族を置いてこの土地を離れる気にもなれず、ずるずると気づけば二十歳を超えて今や三十路を迎えてしまった。
 「じゃあ、行ってくる」
 日本家屋の扉を開いて僕は今日も畑へ向かう。静かに流れる景色を軽トラックの中からぼんやりと眺める。オンボロの車は冷房もなく、開け放たれた窓から吹き込む僅かな風に少しの清涼感を思い浮かべる。
 「暑いな。ほんと、暑い」
 口に出してもしょうがない事はわかっているが、どうしたって声に出したくなる。それで余計に暑くなってもだ。
 「そろそろ買い換えようかな…」
 僕はこの場所で結婚して子どもは二人。元気のいい男がふたりでよく軽トラックの荷台に上がっては飛んだり跳ねたりするものだから、いつか壊れるんじゃないかとひやひやしている。
 「新車にするならなにがいいかな?」
 最近見たカタログの軽トラックが妙に格好良くて嫁の許しが出たら絶対にこれにしようと考えてはいる。ただ、育児に忙しい上にせっせと働く彼女にそんな事怖くて言えないのも事実で。僕は愛着の湧きすぎた軽トラックのハンドルを握り締める。僕の愛車はよそ見をしていた事に気づいたのか不機嫌そうな音を立てる。
 「おいおい、機嫌を損ねないでくれよ。畑に行けなくなるじゃないか」
 そう言って優しくハンドルを撫でる。しかし、今日はどこか虫の居所が悪かったのだろうか。畑の畦道でエンストしてしまった。
 「ええーここでかよ」
 対向車が来たら避けることもままならないような場所で機嫌を損ねた愛車はそのまま静かに黙り込んでしまった。
 「しかも、雲行きまで怪しくなってきた…」
 仕方なく携帯電話を取り出して、電波を探しながら家に電話を掛ける。数コール鳴らしたところで電話が取られる。
 『もしもし?』
 「あ、康子?」
 『あら、どうしたの? 忘れ物?』
 「いや、それがさ、畑で立ち往生しちゃって」
 『ええー。またどうせ機嫌を損ねるようなこと言ったんでしょう?』
 「いやあ、面目ない」
 『そんなこと言っても私今、手が離せないのよ』
 「そっか。悪かったね。まあ、そのうち機嫌も直るだろうし、ちょっとここで待機してみるよ。だから、何時になるか分からないから、帰れる時にまた電話するよ」
 『ま、そうなるわよね』
 電話の向こうで息子たちの声がする。「ママ―お腹すいたー」
 「うちの雛鳥たちが空腹で騒いでるようだね。ごめん、よろしく」
 『はいはい』
 電話を切ると車の中に戻る。どうやら一雨来るようだ。空の色が黄色く染まり始めていた。どうも、一雨どころか雷雨になりそうだった。
 車の窓を閉め、持ち込んだ文庫本を片手に静かに時間が過ぎるのを待っていれば、ごろごろと遠雷が光り始めた。
 「なんだって、今日はこんなことに」
 そう呟いてすぐに、愛車のご機嫌を取りなおす。
 「いや、お前はいつも僕に優しいよな。そうさ、お前がいれば何もいらないよな。僕が悪かった。許してくれ」
 まるで浮気がばれた男の様に車に向かって言い訳を続ける。バシバシと音を立てて雨が車体に当たっている。泥に汚れてしまうだろう。
 「明日、晴れたら綺麗にしてあげるからね」
 僕はそう言って愛車を優しく撫でる。妻にすらそんなことを滅多にしないのに、恋人にするように優しく丁寧に扱ってやる。雨はもう少し降り続きそうだった。締め切った車内はむしむしと漆戸を上げていく。フロントガラスが内側から曇りはじめ、雨が流れるたびに筋が浮かぶ。追いかけるようにあとからあとから続き、大きな流れとなって下に落ちていく。それを眺めながら、今度こそ遠のいた雷に安心して窓を少し開ける。勢いよく降ったお陰で少し冷えた風が車内に吹き込んで来る。
 「そろそろ、機嫌も直りましたか?」
 そう言って、エンジンを掛ければ、ぶるるると身体を揺らしてエンジンをかける。
 「よかった。それでは、お家に帰りましょうか。レディ?」
 そう言って静かに走り始める。今日は畑仕事もできないし、僕の愛情を独占した彼女はご機嫌に来た道を戻る。
 「明日はきっといい天気だよ」
 息子たち夏休み中だ。一緒に洗車をして畑にでも連れてきてやろう。
 そう思って、明日の予定を考えながら、僕は微笑んだ。
 都会に出ることに憧れた少年は今、このド田舎で意外と幸せに暮らしている。これはこれでいい人生だと、あの頃の自分に教えてやりたい。
 けれど、それは叶わぬ望みであるし、それをしてやれるほど僕は優しくない。
 たくさん悩め、そして苦しめ。
 その分だけ幸せはすぐ近くにあることが分かるようになるよ。
 それくらいなら教えてやってもいいかもしれない。
 愛車はぶるぶると進む。僕を乗せて田舎の畦道を。ゆっくり確実に幸せの場所へ。
青海 斗馬
2016年07月09日(土) 20時38分47秒 公開
■この作品の著作権は青海 斗馬さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めまして。青海斗馬と申します。
長編を書く傍らで夏を想い描きました。
つたないものですが、ご意見ご感想をどうぞよろしくお願いいたします。

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No.2  海原山  評価:50点  ■2016-10-25 20:56  ID:B/RaCz3FYlg
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拝読しました。
新しい軽トラックは買えそうに無い、道中エンストしてしまう、さらには雨に降られる…という、普通ならイライラしてしまうような事すらも、主人公は幸せと感じている。物語全体で「日常」という幸せを美しく表現されていると思います。
心がほっこりと優しくなりました。私はとても好きなお話です。
No.1  灰梅  評価:10点  ■2016-07-09 22:35  ID:W.8EbUpZSbo
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イライラした感じを出すためかな。わざとやっているのならこの感想は無意味になってしまうけれど、一文の中、又は近い段落内に同じ言葉が重複するのはうるさく思う。特に冒頭の部分が顕著。少し推敲して言葉を削れば、すっきり読めるテンポの良い文章になりそう。
ラストで自分の気持ちを主人公が語っちゃうのは、どうかと思う。また、その部分で主人公が誰のことを述べているのか分からない。
どんなに短い作品でも、何らかのオチがあると思って読み始める。出来事と主人公のアクションを絡めて、作者の狙った方向へ(僕たち)読み手をいざなって欲しい。小説はどれだけ上手に嘘をつくかだと思う。
総レス数 2  合計 60

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