籠の中の少女
 今日も異常無し、と。
 楽な仕事だ。一日中女の様子を観察するだけで、そこらのバイトの十倍以上は儲かる。その代わり、睡眠不足に悩まされるワケだが。

 対象は、十二歳前後の少女。透明なガラスで作られた、およそ六畳の部屋に閉じ込められている。顔立ちがひどく整っているが、しかし、その白い肌は何処か病的であった。少女は薄い服を身に纏っているだけで、髪の毛も恐らく切っていないのだろう。一日中何を考えているのか分からないし、目も虚ろで、たまに此方に目線を向けるだけであった。
しかし、どうしてだろう。俺はこの、籠に閉じ込められた少女に興味を持ち始めていた。
 ある日俺は、違反を犯して彼女に喋りかけてしまった。後ろめたさは緊張や興奮に掻き消され、全くなかった。
「食事は、美味しい?」
 彼女は朝食を摂っていた。フォークとナイフを使って器用にオムレツを切ると、中からチーズがとろりとあふれる。……いや、それは、チーズの様なものであって、チーズではなかった。俺が食べるチーズオムレツとは何かが違っていて、あまり美味しそうには見えない。
少女は、一度此方を向いたが、きちんと咀嚼して飲み込んでから向きなおした。躾の行き届いた女、だと思う。
「美味しい……?美味しいって、どの様な感じなのですか?」
 変わった返事が返ってきた。それ以前に、彼女が日本語を話せたということに驚いたが。
「美味しいっていうのは、何というか……食べると幸せになったり、もっと食べたいって思ったりすることだよ」
「そうなのですか……」
 彼女はオムレツを食べ直した。付け合わせのニンジンのソテーとブロッコリーも一緒に食べ(これらもまた、『〜のようなもの』という形容で片付けられるものであった)、目をキョロキョロさせながらよく噛む。そして、飲み込んだ。
「これは美味しくないと思います」
「ははは……やっぱり」
「やっぱり、とは?」
「いやさ、食べてる姿が美味しそうじゃなかったから。あ、そうだ」
 俺は急に、彼女について聞いてみたくなった。
「君はどうして、こんなところにいるの?」
 食べ終わった彼女は、席を立ち、俺の方に近づいた。しゃがむと白いワンピースがひらひら揺れて、それが少女らしさを引き出していた。
「私は、生まれたときからここにいるんです。この部屋から、一歩も出たことがありません」
「何かの研究対象なのかい?」
「はい。そう聞いています。研究者達との円滑なコミュニケーションを図る為に言葉は学びましたが、それ以外は殆どのことを知りません」
「外に出たことが無いんだ?」
「ええ、そうですよ」
 少女は笑った。だが、それは、嬉しいときにこぼれる笑みではなく、何処か哀愁を漂わせた微笑であった。中学一年生になるかならないかの少女が、こんなに複雑な表情をするなんて、意外だ。
そんな彼女が可哀想で、同情に似た感情を抱いてしまう。
「外に出てみない?俺と一緒にさ」
「外へ……いいのですか?」
 彼女は、物悲しい顔を一気に明るくした。この様な特殊な環境でも、表情を一転二転させる人間は造りだせるのかな。いや、そんなことを考えてはいけない、と自分に言い聞かせる。
「ああ。外は楽しいよ。……ここよりは」
「外という世界は、どのようなものがあるのですか?」
 俺は外について、自分の周りのことを中心に話し始めた。アスファルトが敷き詰められた道路のことや、それらに沿って建っている多くの家や店のこと。ついでに、金のことも話した。
「外では、本当に色んな物を売っているけれども、それを買うにはお金っていうものがいるんだ」
「聞いたことはあります。でも、お金がないと何も出来ないってことですよね」
彼女はそう言って自分を嘲笑うかのように口角を上げる。少女の心情が分かりすぎて、少し辛くなる。
「あ、一つだけ、聞きたかったことがあるんです」
正座して、俺の方に向き直ると、声を大にして、
「あのっ、人を好きになるって、どういうことですか!」
と言った。俺は思わず笑ってしまった。
「誰かのことをもっと知りたいとか、一緒にいたいって思うこと……かなあ?」
 俺は一般的に捉えられているであろう恋愛という単語の意義を彼女に伝えた。
「そうなんですか」彼女は思案の顔になった。「それじゃあ私は、あなたのことが好きなのかもしれませんね」
そう告げて微笑した彼女に魅力を感じてしまう。一回り以上歳が離れているのに。
好きの意味もあまりよく分かっていなさそうな無垢な少女に、
「俺も好きだよ」
と、自分の気持ちを伝えることは容易であった。
「外、早く連れていって欲しいです」
ぴと、と彼女はガラスに右手をつけた。俺も左手を当てて、その存在を確かめる。
「おてておっきいです」
時計を見ると深夜の零時。交代の時間だ。俺は彼女に笑顔を投げかけて、その場を後にした。

あれから丸一日が経った。
「籠」の前に着くと、少女が「あっ!」と言って俺の近くに来る。
「こんにちは!」
「ああ、こんにちは」
「お外、連れていってくれますか?」
今日起きていられるように、昨日はずっと寝ていたんです、と彼女は続けた。そんなに楽しみにしていて貰えたなんて、嬉しかった。
「じゃあ、行こう」
部屋の扉を開ける。少し違和感があったが、それの正体が何かは分からなかった。
彼女は俺に抱きついた。どきどきしながら、俺も幼い彼女を抱きしめた。
「やっと、こうやって出来ましたね」
「うん」
手を繋ぐ。妹と歩いているような感じだったが、よく考えれば両想いってやつなのか……?なんて、変なことを思いながら街に出る。
深夜の街は光で溢れていた。彼女の目は驚きで輝いていたが、その顔は一層蒼白に見えた。何処に行こう……金は沢山持っているが、こんな時間にどの店が空いているのか全然分からない。
「何処か、行きたいところはある?」
「じゃあ、あそこ」
俺は、彼女が何処を指しても、願望を叶えるつもりでいた。
「分かった」
俺と彼女は朝まで一緒に遊んだ。彼女はますます可愛くなっていたように感じる。
「好き………」
今日になって、何回この言葉を聞いただろう。その単語を言っても、聞いても、心が落ち着く。すごく幸せな時間だった。俺達はその場を後にして、彼女が指さす所全てに立ち寄った。
「何か欲しい物は無いの?」
彼女は全ての商品に興味を示したが、欲しいとは言わなかった。
「見ているだけでいいんです」
「見てるだけ?」
「はい」
そんなやりとりが何回か繰り返されるうちに、夜になった。
「そろそろ、時間ですね」
悲しげに少女は呟いた。
「また、明後日に遊ぼう」
「いえ……」
俺を見つめた彼女の目には涙が浮かんでいた。
「今日で最後なんです。……あ、それじゃあ、さようなら」
彼女はそそくさと行ってしまった。あっけない別れ。俺には「さようなら」が、二度と逢えないということを暗示しているかのように聞こえた。

翌日、電話が鳴った。
 仕事先の人だった。話があるから来いということだった。今日はバイトを入れていない筈なのに。もしかして、違反がバレたのだろうか。それとも、解雇宣告か?心当たりが多くて、杞憂する。

 「昨日、彼女は死にました」
着いた瞬間、俺はそう告げられてしまった。唖然とするあまり、目上の人間に向かって、
「……はあ?」
と言ってしまう。数人の白衣を着た人間は、何とも思わなかったようだった。
「ですから、今日があなたの最後の仕事です。あなたの仕事は、彼女の真実を聞くことです。」
後方から資料を持った男性が歩み寄る。
「ここで行われていた実験の内容をご存じですか?」
「いえ、何も」
彼は、俺の返答に何の反応も見せなかった。
「彼女の体には特殊な遺伝子が組み込まれていました。あの部屋は、常に無菌状態に保たれていたのです」
俺には意味が分からない。
「ですから、外界に行き、無数の菌と接触すれば、彼女は死んでしまう」
「どのように?」
「体が腐敗するのです」と、男性は資料を読み上げるかのように淡々と続けた。「彼女は幸せでしたよ。好きな人の前で、醜い姿を晒さずに済んだのですから。とても見られたモノじゃありませんからねえ。アレは我々が回収しました」
 彼女を物扱いされ、少し傷つく。
「そのことを、本人は知っていたのですか」
「ええ、知っていましたよ。その上での実験なのです」
何の実験なんだ。何が悲しくて、彼女がそんな目に遭わなきゃならなかったんだ。理解不能な言葉の連続に、唇を強く噛む。
「一生無菌室の中で退屈な人生を送るか、一日だけでもいいから幸せに過ごすか、人間はどちらを選ぶのか、というね。……気づきませんでしたか?部屋に鍵がかかっていなかったということに」
 ああ、そうか。だからあのとき……違和感があったのか。
彼女は……自分が死ぬことを知っていたにも関わらず、外へ行くことを望んだってことか。あんなにも強く。

 「君は」側に居た三十前後の女性が口を開ける。「このことを知っていたら、彼女を外に連れ出した?」
俺ははっきりと答えた。
「いえ、連れ出さなかったと思います」
そして、踵を返してドアに向かって歩く。
「俺はこの先もずっと、生きていかなければならないから」
薄氷雪
http://usurahiyuki.web.fc2.com/
2014年03月10日(月) 14時08分33秒 公開
■この作品の著作権は薄氷雪さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初投稿です!
2年前に書いた短編小説を載せてみました(*・ω・*)
もしよろしければHPにも掲載しているので遊びにきてください(*ノωノ)

この作品の感想をお寄せください。
No.2  薄氷雪  評価:--点  ■2014-03-12 22:30  ID:uFxsqFJnvGY
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評価ありがとうございます〜(・ω・´)
杞憂は「心配する必要のないことをあれこれ心配すること」で使ったつもりだったのですが……、どうせその場に行ったら分かることなので、いちいち心配する必要がないのに、心配してしまう、そんな感じの意味で使っていました(・ω・`)
本当に、こうやって感想をいただけて本当に嬉しいです!
今後の作品作りに生かしていけたら、と思います(´∀`*)

中学生のときに書いた部分もありまして、そのせいでセリフ回しが多少臭かったりするのは自分でも感じておりました( ´▽`)ノ
イラストも見ていただけて幸せです!
本当に、本当にありがとうございます♪
No.1  片桐  評価:20点  ■2014-03-12 08:41  ID:n6zPrmhGsPg
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こんにちは。
読ませていただきました。
最後のセリフが、なんだか切ないですね。
>ずっと生きていかなければならないから。
はっきりとした意味は分からないけれど、彼女に生きていてほしかった、ということなんだろうな、と。

全体的に、あらすじは分かりやすいですが、人物の言動、感情の流れが少し不自然、あるいは唐突と思える部分がありました。

一例を挙げれば、

>しかし、どうしてだろう。俺はこの、籠に閉じ込められた少女に興味を持ち始めていた。
ある日俺は、違反を犯して彼女に喋りかけてしまった。後ろめたさは緊張や興奮に掻き消され、全くなかった。

長い間ただ監視していただけの主人公。
冒頭を読む限り、美しい少女だとは感じていたが、それ以外に「ここに興味を抱いた」ということは、書いてありません。
そうであれば、なぜ主人公は、少女に語りかけたいと思い、そして語りかける際に、緊張や興奮を覚えたのでしょう。
その理由のようなものが、少しでも書いてあれば、主人公はこういうことで少女に語りかけたのだと、読者としても興味、共感を抱けると思います。
また、主人公はその理由をよく分かっていないということであっても、読者がある程度は想像できるように書いていないと、作品に入り込む余地がなくなってしまうように思います

たとえば、ただ監視しているだけだったが、
ある日、少女が意外な表情をしたり、行動をする(昔好きだった女の子や、妹にその姿を重ねた、なんていうのがベタですねw)。主人公はそれが気になって、仕事のことさえ忘れて彼女に語りかけてしまう。といった感じ。
もちろん、そこはあえて書きたくなかったというのであれば、余計な指摘なので、無視してください。

全体的に、もう少し理由や、背景を書けば、作品のクオリティーがあがるのではと思った箇所がいくつかあったように思います。
小さな積み重ねがラストシーンの盛り上がりにつながると思うので、個人的にはもう少しディテイルが欲しいなと。

あと、文章や言葉のチョイスに、多少の違和感を覚えた箇所がありました。慣れといえば慣れなのですが、一点、明かな誤用は、

>もしかして、違反がバレたのだろうか。それとも、解雇宣告か?心当たりが多くて、杞憂する

杞憂というのは、取り越し苦労のことなので、心当たりが多くて取り越し苦労する、というのは、おかしいかなと。

最後に。これは、後からHPを拝見して思ったことです。
イラストとてもかわいらしくて、いいですね。ほんわかします。そうか、作者さんの頭のなかでは、こんなイメージが広がっていたんだなと感じました。私の意見はきつめな部分もあったかもしれません。でも、イラストを見て、作者さんのこの作品世界に対する愛情をあらためて感じました。これからも、がんばってくださいませ。
それでは。
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