ホタル
 7月の夕暮れ、じわっと止めどなくにじみ出てくる汗。じめっとした空気が肌にまとわりついてくる。思考も停止し虚ろになる宵の口。思い出すのは、ホタルの乱舞。
闇夜に浮かぶ淡いヒカリ。追うとふっと消える。出ては消え、出ては消える。追っても追いきれない。からかわれているよう、でも不思議と苛立ってくるわけでもなく、頭を空っぽにしていつまでも見ていたくなる。
 徐々にまとわりついている空気も、汗もわすれて体から魂が切り離され乱舞するヒカリにシンクロしていく。そんなトランス状態で囁かれたたわごとは冷静に考えれはわかることなのに、本気にしてしまう。女の性(さが)。

 こんなじめついた夜になると翠(ミドリ)の頭には永次と見た蛍の情景が思い出される。
 彼氏と喧嘩ばかりしてデートもメッセもしなくなっていた。でも、ついつい確認してしまうスマホのディスプレイ。
 その前を蛍のように舞い降りてきた永次。SNSで知り合ったから顔も知らないし、声も聞いたことなかった。
「広大な世界で奇跡的に知り合った二人じゃん。なんでも話せよ」
永次から届いた最初のメッセ。だからか何でも話していた。それをまた嫌がることもなく聞いてくれた。そして永次の話を聞くのも楽しくて、既婚者とわかっていてメッセしていた。そんな安心からからかとめどない話の中に、時折出てしまっていた彼氏の愚痴。
「女心としてはそうだよね〜 」
なんていってくれるだけで、なんかうれしかった。

「そろそろホタルの時期だね〜。俺さ〜毎年一人でホタル観に行く穴場の場所あるんだよ。そろそろ今年も観に行きてえな……」
 そういえば、永次の住んでいる場所を知らなかった。というか知りたいなんても思わなかった。だが、無性に聞きたくなった。
 そうじゃない、そのホタルを永次と観に行ってみたくなった。
「永次はどこ住んでいるの?」
「あれっ? 教えただろ群馬の桐生だ。翠は川崎だろ?」
「違うよ。埼玉の児玉。私、永次に住んでいるとこ言ったことないし」
「あっ、そうだったけ? てっきり川崎かと思っていた」

「なに? ホタル観に行きたいって、お前児玉に住んでいるんだから、ホタルくらい見たことあるだろう?」
「ないよ。奥さんとも行ったことない所にお願いするのも変だけど…… 永次と観たい」
 永次は二つ返事で「かみさん連れて行ってって言われても連れて行かないけど、翠なら。俺も翠とならホタル見てもいいな」ってOKしてくれた。


 どんより雲が立ち込めているのにものすごく蒸し暑い梅雨特有の天気。初めて会うのにずっと知っているかのような感覚。不思議だった。
 永次が運転する車に乗って1時間。どんどん道が狭くなり行き止まりになった。外灯も何もなく、ヘッドライトを消した瞬間墨汁をこぼしたような暗闇が目の前に現れた。ここにあるであろう自分の手すら見えない。
 いきなり唇に温かい感触。むっと生温かい息が頬をくすぐった。ガンガンエアコンが効いているはずなのに汗が噴き出す。躰が熱くなった。
「今日初めて見たときに心奪われた。写真よりかわいいよ翠」

「行こうぜ」
永次は車降りた。しばらく動けない。助手席のドアを開けて、
「観に行くんだろ。ホ・タ・ル」
 引き寄せられしっかり永次に握られた手。サイレンのように鼓動が鳴りっぱなしの翠はうなずくだけだった。喉がカラカラに乾いて声も出ない。
 10分ほど歩くとチョロチョロ水の音が聞こえてきた。目は暗闇に慣れてきたが流れの出所を特定するどころか、砂利道でつまづいては何度も永次にぶつかってしまった。そのたびにさらに警報が鳴り鼓動が早くなる。
「おまえ…… いつまで下ばかり見てんだ。見るとこ違うだろ。上だよ上」
言われて上を向く。最初はただの暗闇だけ。こらしてみているうちにほわん、ほわんと豆電球より小さく弱い光がついたり消えたりしている。
「うわ〜っ」
「シー。でけえぞ声。逃げちまう」
あわてて口をつぐんだ。声を出さないようにゆっくり口をあけるとため息がもれる。これが、自然の中に存在している光景とは思えない程の美しさに目を奪われる。
「結構歩いて疲れたろ」
そういうと永次は翠を軽々持ち上げ自分の上に座らせる。出そうになる声を手で塞いだ。
「これは夢だ。これは夢だ」呪文のように心で唱えながらも、永次の温かみを感じていることでやっぱり現実なんだと思っている自分もいて、訳が分からなくなっていた。

「どうだ? 初めて見たホタルの感想」
耳元で囁かれた。ぞわぞわそわっと足先からてっぺんに向かって鳥肌が駆け上がって行く。何とか平常心を保って「この世のものとは思えないよ」どうにかこうにか答えた。
「だろ? まだまだ最盛期じゃないから、まばらだけど、こんなもんじゃないんだ。もっともっと飛んでる。まだゲンジホタルが少ないな」
「ゲンジホタル?」
「ゲンジホタルと、ヘイケホタル。光が明るいのと淡いのといるだろ。上の方に飛んでいて明るいやつが、ゲンジホタル。下の草むらに近いところ、あまり飛んでなくて光が淡いのがヘイケホタル」
明るい光は長く尾を引くように流れて風に乗って高く高く舞い上がっていく。闇夜に慣れた目を下に落とすと、海苔色の草むらのいたるところに、線香の先っぽみたいな灯りが見え隠れする。
「どこ光っているのかな?ホタルって……」
ふと、唇からこぼれた言葉。そっと躰から手を離して立ち上がる永次。少し先の草むらに屈みこんだ。そっと後を追った。
永次は翠の気配を察して後ろに振り返る。ボールを包んだ形の両手を差し出した。
「そっと顔を近づけてみな。」
言われた通りそれに顔を近づけると、1センチくらいの隙間が開いた。ほわん 線香の先っぽが出現した。
「永次すごい!!」
「よく見てみろ、みたら逃がすぞ」
首を上下に動かしたが、見えないことに気づき「うん」永次の耳元に囁きなおした。見ると発光しているのはお尻よりもずいぶん上だ。形はカナブンのようなコオロギのようなそんな印象しか受けない地味な虫。
 しかし、指の隙間からもれるほわんは妖精のように儚(はかな)げで、いまにも消えそうだった。
「ありがとう。ゆっくり見れたよ」
「手を出してみな」
右手を差し出す。永次の手が重なり離れた。翠の手のひらにほわん、灯った。永次と翠の手だけ闇から浮き上がる。切り絵のような光景が、いま目の前で起こっていた。
 1時間くらい居たのか、時計していても時間すらわからない。車に戻った。喉がカラカラだったこと思い出した。唇の感触が蘇ってきた。ドアを閉めた途端いきなりロックがかかった。
「!!! 」思う間もなくさっきと同じ感触が唇に襲いかかってきた。カラカラの舌に永次の舌が絡みつく。腕に力がはいるが、反対の力で押さえつけられ、絡まれた舌に抵抗する気力が萎えてきた。頭の中では「いけない! いけない!」さっきと違うサイレンが鳴り続ける。
 どのくらい経ったかわからない時間が過ぎ、解放された。
「嫌か? 俺じゃ」
「そうじゃなくて、そうじゃなくて……。好きだけど永次は奥さんいるし、私には彼氏がいる……」
「だから何? そんなの関係ねえじゃん。今ここに二人にしかいない。俺はおまえが好きだ。そしておまえも俺が好きだと言った。それだけあれば、ほかに何が必要なんだ?」
 強く否定できない自分。目の前にいる永次に抱いてほしいと体が欲していた。どんなに脳が否定しても、心は永次に飛び込んでいる自分がいた。

 そしてまた、メッセを送りあう日々が始まった。何度も「またホタルを観に行きたい」と書いたが、永次は仕事が忙しいなど、連れて行ってくれる気配はない。
 なのに「昨日あっちの方に仕事だったから、ついでにホタル観てきちゃったよ」なんてシャアシャアとメッセに入れてきた。そんなメッセに凹むが「よかったね。今度は連れて行ってね」なんて無理して書く。

 仕事が忙しかったその日。着信のバイブが鳴る。「永次だ」どうしても見たい。トイレに駆け込んでアプリを開く。
 ――EIJI――。
 タッチして開く。
「マユミ? 何気取っているの? 俺とマユミは? そう。こんな広大な世界で奇跡的に出会った二人じゃん。早く、おまえに逢ってみたいよ〜 この間はOKしてくれたじゃん? 何心変わりしちゃったの? 今日は夜勤だったっけな。時間あるとき連絡くれ」
 クラッとしたが、踏みとどまった。冷凍庫に入ったように心がフリーズしていく。
おもむろにニコちゃんマーク隣タッチ。
「私、マユミじゃなくて翠。相手間違えてません?」
送信タッチ。
送信完了して速攻ブロックかける。トークから削除。一度友達になると、ブロックかけても友達に残るのが癪(しゃく)だが仕方ない。

「翠? 具合悪いの?」
「大丈夫。暑くてちょっとクラッとしたけどもう治まったよ。すぐ行く〜」
トイレから出て走って会議室に戻った。
開戸 優日
2013年07月17日(水) 06時08分17秒 公開
■この作品の著作権は開戸 優日さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめて投稿します。
まだまだ未熟すぎる作品ですが、自分では気づかない点多いので
ご指摘いただけたら助かります。

この作品の感想をお寄せください。
No.8  うぶさん  評価:--点  ■2013-08-06 06:21  ID:3qgH.wtzjm6
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かたぎりさま
ご感想アドバイスありがとうございます。
情景描写は自分の感じたものを、100%読者に伝わったらと精進していますが、まだまだですね。
回想録だから、かたぎりさまのおっしゃるように、最後にもうひと捻りあったほうがよかった。と、書きあげてから時間経って、客観的に作品を見るようになれて感じました。
みなさまから、たくさんのご指摘が本当にうれしいです。
一つ、一つになるほど!とか、自分の中では表現したつもり伝わってなかったなど、すごく勉強になります。

今書いている次回作も、気が付いたら回想録でした。
違うスタイルにするか、練習のためにこのまま書くか少し悩んでいますが、
かたぎりさまのアドバイス参考にプロット考えたいと思います。
No.7  うぶさん  評価:--点  ■2013-08-06 06:12  ID:3qgH.wtzjm6
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gokuiさま
ご感想アドバイスありがとうございます。

翠の人物設定が作りこめていなかったため、永次のキャラが際立ってしまいました。
翠がもっと永次にのめりこんでいるように書いていると、自分では思っていました。少し時間おいて客観的に読めるようになるとそんなに書けていなかったです。
最後の永次のメールは読者の想像にお任せしたく、惹きつけられていたなら、うれしいです。
次回作も少しずつ書き進めています。
頑張りますね!
No.6  かたぎり  評価:20点  ■2013-08-01 19:28  ID:n6zPrmhGsPg
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こんにちは。感想を送らせていただきます。

情景描写にこだわった作品ですね。いくつもある美しい表現が良かったです。ただ、ときどき文章の流れが止まってしまうように読める部分は気になりました。細かい指摘はしませんが、おそらく、一年も先に読み返すと、作者さま御自身も色々とお気づきになると思います。

話の構成としては、現在で始まり、回想を挟んで、また現在に戻るというもの。
こういった構成は短い話をまとめやすくはあるのですが、この作品では、まだ良さが出しきれていないように感じられました。永次が女たらしだった、という展開は、話の流れとして不自然ではないけれど、少し安易にも思えます。
また、主人公の女性はその永次を断ち切るわけですが、このままではあまりにあっさりしている感じがします。せっかく回想部分を美しい表現を凝らして書かれたのだし、最後の部分は、もっと別の感情、たとえばホタルというタイトルに絡んだものが書かれていると、なお良かったのではないかなと。

表現に対するこだわりを確かに感じたので、これからもなお良い作品を書いていっていただきたいと思います。それでは。
No.5  gokui  評価:30点  ■2013-07-28 22:09  ID:SczqTa1aH02
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読ませて頂きました。
藍山さんが小説技術の基本的なことを書かれていますので、その辺は省略させて頂きますね。
内容ですが、ただ流されていくだけの翠より、永次のキャラの方におもしろみがありますね。蛍を見に行くという情緒を持っていながら、女性を性の対象にしか見られないというギャップとか、最後に送ったメールが、間違いだったのか、わざとだったのかというミステリアスな部分とか、読者を引きつけますねえ。そういう効果を、ねらって書いたのですか?
それでは、次回作も期待しています。
No.4  うぶさん  評価:--点  ■2013-07-23 05:18  ID:3qgH.wtzjm6
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藍山椋丞 様
ご指摘ありがとうございます。
一人称で書いているつもりなのですが、三人称になっていますね。
体言止めの多用は気を付けたいと思います。
余韻が引っ張れるからついつい使ってしまいます。
ここぞで、使わないと効果も半減以下ですね。

本来なら、目指す作家さんの模倣から入るべきなのかもしれませんが
目指す作家さん見つからないのが問題ですね。
もっとたくさんの作品読まなくてはと、思います。

藍山椋丞 様の作品も、是非拝読させていただきたいと思います。

ありがとうございました。
No.3  藍山椋丞  評価:10点  ■2013-07-21 23:38  ID:i/iCocdcxPo
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読ませていただきました。
まず人称の混濁が見られますね。
冒頭(というより始まって四行目や四十行目)は三人称、中身は翠の一人称になっています。初心者がやってしまいがちなミスですね。ざっとしか読んでいませんが、「翠」を「私」と修正すれば大丈夫です(たぶん)。
それと、あまりにも体言どめが多いです。そのせいでリズムが悪い印象を受けます。ここぞ、という時にだけ使ってみてはいかがでしょうか。
私もよく体言どめを多用してしまう癖があり、気をつけています(ホラー・ミステリ板に三作品ほど投稿しています)。
あとは、ところどころ「を」が抜けている箇所がありますね。何かカタコトになっています。
もっと読み書きをすれば良い書き手さんになれる、と思います。
お互い頑張りましょうね〜。

No.2  うぶさん  評価:--点  ■2013-07-18 12:53  ID:3qgH.wtzjm6
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YEBISU様
感想、評価ありがとうございました。
ルビの振り方は今後気をつけたいところです。
この物語の発想が、まずホタルの情景が最初でした。
そこから話を膨らませました。
最初の永次の伏線は、最後に書き加えたのですが、
残すか削除するか、悩んだところでした。

なかなか、率直な感想いただけないので、
とてもありがたく、今後の創作の時はご意見踏まえて書きたいと思います。
No.1  YEBISU  評価:10点  ■2013-07-17 21:02  ID:hugVebm6UOc
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 読ませていただきました。YEBISUと申します。
 ‥今時、こんな出来事は一々話題にならないだけで、結構多いんだろうな、などと思いながら読ませていただきました。
 冒頭のあたりから、永次は最低って伏線を張りつつ、それでも惹かれていく翠の心情は理解できないでもない。永次の性根も、判らなくはない。
 ただ、それでも感じたのは、テーマに対して、ちょっと深みが足りないというか、もうちょっと枝葉を広げても良かったのではないかという感じもしました。‥以上、やや辛口ながら、私の感想です。
 ‥それと、余計なお世話とは思うんだけど、漢字にカッコでカナをふられると、却って読みにくいというか、ストーリーに没頭できないというか。‥どうしてもそう読ませたい部分は潔くカタカナにするとか、句点の打ち方を工夫するとかという事も必要なのではと思います。
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