軍用列車(改訂版)
 岡船の町から山に沿った線路を山間部の山津の町に向かって走っていた最終列車が、ガタン、と音を立てて駅に停まる。
 その振動に侘びしくなった客車で居眠りをしていたカナコは目を覚ました。
「しもうた。降りる駅過ぎとるが」
 薄いブラウスにモンペといういでたちの彼女は慌てて列車から降りた。
 山が迫っている電灯すらない暗がりのその駅は遅い時間ということもあってひっそりと静まり返り、冷たい夜風が近くの雑木林をざわめかせ吹き渡っていた。
 最終列車の機関車が野太い汽笛を短く鳴らして、闇に消える。
 冬が近づいているらしく寒い。しかし、重ねて着るべきものがない。
 ホームにぽつんと取り残されたカナコは寒さに震え、空腹も手伝ってだんだん心細くなってきた。
 彼女が寝過ごして降りた駅から家までは歩いて帰ろうにも程遠く、帰れそうにもない。
 もちろんタクシーも電話もない。
 途方に暮れた彼女は泣き出したい気持ちになった。
 今頃家では、どうしたものか、と心配しているかもしれない。
 そう思うと辛かった。
 ここでカナコがいる時代についてふれておかねばならない。
 その時代の日本は大日本帝国と名乗っていて、勝ち目のない戦争を続けていた。
 岡船の町は地方の中小都市の一つに過ぎないのだが、駅の近くに軍需工場があり、通称「赤紙」と呼ばれる召集令状で軍隊に送られた熟練工に代わりに、女学生のカナコは勤労奉仕者として動員され、慣れない作業にてこずりながら働いている。勉学に勤しみたいと思っても、それはできなくなっていた。
 生活は日用品が統制され、ことに食糧は配給制になっていて、その配給すらも途切れがちになり都市部では困窮していたし、公園のベンチも赤い郵便ポストも町から消えた。寺院からは釣鐘が徴用回収された。
 道を走る自動車、トラックは木炭ガスを発生させる窯が車の後ろあるいは荷台の一部に据えられ走っている。
 娯楽としての番組は戦線の状況を伝えるニュースに置き換わり、贅沢は禁じられ、彼女のように女性はブラウスにモンペか丈の短い着物にモンペ、男性は軍服に似た国民服の着用が義務付けられた。
 戦争に反対しようものなら、常に目を光らせている特別高等警察に逮捕される。
 駅では徴兵された一般市民の出征を祝う壮行会が幾度となく繰り返されている。それが日常になっていた。
 そんなデストピアの世界さながらの時代だった。
 途方に暮れた彼女は、どうしよう、と悩んだ。
 ふと駅舎に目を向けると、駅舎から明かりが漏れていた。
 淡い期待を抱いて駅舎に駆け寄り、明かりが漏れた窓をそっと覗くと、黒縁の円い眼鏡をかけた初老の駅員が白髪混じりの髪を短く刈り込んだ頭をかきながら事務処理をしていた。
 彼女は窓枠を思わず叩いた。
「おう。この時間にどうされました?」
 窓枠を叩いたカナコの存在に気づいた駅員が窓を開け、彼女にそう尋ねた。
 まさかこんな時間にしかも勤労奉仕の女学生がいるとは思ってもなかったらしく、駅員も少しばかり驚いた様子でいた。
「実は寝過ごしてしもうて、この駅で降りたんですが。もう岡船に行く汽車はねぇですか」
 ありのままをカナコは駅員に話し、そう聞いた。
「乗り越されたのじゃな。それで、どこで降りよう思われておったんかな?」
 駅員がカナコに聞く。
「王樫駅ですが」
 カナコが駅員に答えた。
「もう岡船に行く汽車の最終が行ってしもうてねぇわ。山津へ行く汽車が最終じゃけぇよ」
 そう駅員が言うと、すっかりカナコはしょげてしまった。
 あると思っていた岡船へ行く列車がもう終わっていて、帰れなくなってしまったからだ。
 カナコの落胆ぶりに見るに見かねた駅員はしばらく考え込んでいたが、おもむろに時刻表を広げて見やり何かを確かめて
「最終が行ってしもうたあとじゃけど、あったわ。臨時じゃが、山津から岡船に向かう軍用の汽車がおる」
と、落胆したカナコに言った。
「ほ、ほんまですか」
 今にも泣きそうな顔をしてカナコが駅員に聞き返した。
「今からでも遅くねぇから、乗せてもらえるか山津の駅に聞いてみるけぇよ。ちょっと待ってもらえんかの」
 駅員はカナコにそう答え、山津駅に電話をかけた。
「もしもし、山巻駅ですが。夜分に申し訳ないですが、今しがた岡船から最終列車を乗り越された娘さんが困って来られたんですけえど、まだ臨時は出発しとらんかな」
 対処する駅員にカナコは思わずそっと手を合わせた。
 うれしかった。
「ああ、まだ出ておらんと。それで無理を言うようですまんことじゃが、来ておる娘さんを乗せてやってもらえんでしょうか。本駅から王樫までなんじゃが」
 駅員が電話口で話す。
 しばらくして電話をしていた駅員が、
「山津駅にな。訳を話して問うてみたらな。本来は臨時の便はおえんけえど、乗せてもらえることになったけぇよ。それに乗せて貰われぇ。で、乗るときはわかるように合図をせられぇ、ということじゃったが、よろしいか?」
と、寒さと空腹でうずくまって震えているカナコに言った。
 カナコは短くうなずいて立ち上がり
「無理を言うてすみませんでした。ありがとうございます」
と、か細い声で答えた。
 駅員は臨時の軍用列車が来る時間を告げ、ほんの短い時間しか停まれないことと王樫までの区間のみ、ということを彼女に念を押して帰った。
 駅舎の明かりが消え、また暗がりが広がった。
 駅員が帰り、一人取り残されたカナコは沁みるような寒さに震え、吹く夜風がざわめかせる雑木林の音に心細さを感じながらも、臨時の軍用列車が来るのを待ちわびた。
 どれほど待てばいいのだろう、とカナコは思ったが見る時計はない。
 寒いし、心細くなによりも一人でホームにいるのが寂しかった。
 やがて遠くから機関車の野太い汽笛が何回か聞こえてきた。
 それを聞いたカナコは立ち上がり、気づいてもらえるようなるべく大きく手を振り始めた。
 暗がりに機関車のライトがチカリと光り、力強く走ってくる音が近づいてきた。
 カナコは必死になって手を振り続けた。
 お願いじゃから、乗せてちょうでぇ。
 そう願いつつ、彼女は大きく手を振り続けた。
 機関車がホームに滑り込むようにして入って停まり、乗務員が差し出した手に、彼女はしがみつくようにして握るとそのまま軽く引き上げられた。
 気づいてもらえたのだ。
 彼女はうれしかった。助かった、と思った。
 彼女を引き上げ乗せた臨時の軍用列車は短く野太い汽笛を鳴らし岡船方面へ走り出した。
マルメガネ
2013年01月19日(土) 02時17分43秒 公開
■この作品の著作権はマルメガネさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
一週間前の作品の改訂版です。
 会話を方言にしてみました。

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No.3  天祐  評価:20点  ■2013-01-29 21:56  ID:ArCJcwqQYRQ
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拝読しました。

丁寧な筆致で作者さんの性格がよくにじみ出ている文章でした。
内容について正直に申し上げますと

「で?」

という感じです。
長い物語の序章という印象で、続きがないのが非常に残念です。
待ちに待ってきた列車のなかでどんな人と出会い、気持ちを通わせあい、そして別れていくのか。そこを読者としては大いに期待してしまいました。

丁寧に描いているだけに尻切れトンボの読後感が非常に残念です。


少々辛めですが、それだけ期待が大きいということでご容赦ください。

次回作、楽しみにしています。
No.2  朝陽遥  評価:30点  ■2013-01-21 20:34  ID:t1WE.LdVfhA
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 あらためまして、拝読しました。
 方言、いいですね! 方言=温かいと一概にレッテルを貼るのもどうかとは思うのですが、でもやっぱりセリフが方言になると、場面全体にぐぐっと人間味が感じられるようで、自然にお話の空気の中に入りこんでゆくことができました。

 最初のバージョンに比して情報量が増えて、ぐっと時代のにおいが出た一方で、やや情報を盛り込もうとしすぎているのか、ところどころで文が長くなっていて、その分だけいつになく、文脈がぎこちなくなっているような印象があります。もう少しだけ一文あたりの情報量を少なめにして短く切ったほうが、より読みやすいのでは……と感じました。(といって、もちろん文体には書き手それぞれの好みやこだわりがあって当然ですので、あくまでわたしの個人的な感覚です。あしからず!)

 自分の体験したことのない時代を書くというだけでも大変なことなのに、なまじっか資料の多く残っている昭和中期ですから、調べるのも難儀なことと思います。いつも自分が適当に逃げてしまうので、爪の垢でも煎じて飲みたいです……。
 改稿おつかれさまでした!
No.1  帯刀穿  評価:0点  ■2013-01-19 10:14  ID:DJYECbbelKA
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参考にできそうな資料を見つくろってきた。
例 大仏次郎時代小説自選集
第6巻 巻書名 霧笛.幻灯.薔薇の騎士
図書館にあった物の一つだ。何かの参考になればいいのだが。
個人的に物凄く親近感が沸く人なのでエピソードを載せておきたい。

一高時代、博文館の『中学世界』に寄宿寮の生活を描いたエッセーを連載し、これで生まれて初めて原稿料五十円を貰った。以後学生時代から各誌に小文を書くようになるが、そのほとんどは本代に消えたという。一学期分の食費を貰ったら、丸善で手当たり次第欲しい本を買って、本棚に目一杯に並べてしまい、一月もしないうちに使い切ってしまうという始末だった。そのため本を古本屋に売ったり、雑誌に小文や翻訳、果ては時事解説まで載せて生活をつないだという。読むためもさることながら、稀少本や豪華本を蒐集することを趣味としている側面もあった。

学生時代からアルバイトで執筆活動をしていたが、その延長で本格的な作家生活に入っていった。「丸善に払う為に私は原稿を書き始めたのである」(『私の履歴書』)と後に回想している。

他、その時代にいた作家さん
夏目漱石 芥川 龍之介 谷崎 潤一郎 宮沢賢治 川端康成 三島 由紀夫
志賀直哉  島崎藤村 森 鴎外 樋口一葉
総レス数 3  合計 50

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