SWEET SIXTY
 


 永嗣(ながつぐ)は、映画を撮りたいと思っていて、ほんとうならばフィルム撮りしたいのだが、それは予算的にも無理があることでもあるし、当然デジタルに甘んじなければならないことは百も承知だったが、「ドレミファ娘の血が騒ぐ」みたいな、デジタルからフィルムを起こすようなことも出来るわけなのだから、とにかくいまは、お話を書くことに集中しなければならないと肝に命じていながらも、ついつい別なことに逃げてしまう……たとえば、オナPであるとか、エロゲであるとか、まんま寝逃げとか、やっぱオナPとか、2ちゃんだとか、たまにテレビとか、読書は、文章が頭に入ってこないので無理があることに最近気づいた……のだが、そこらへんに転がっているネタではなく、もっと高尚で崇高な雰囲気すら漂わせているような、そんなシナリオを書くのだと自分自身に宣言してから早いもので、もうすぐ三十年になんなんとしているわけだが、ここにきて急にいけそうな感じがしてきているのは、なぜなんだろうかと自問自答してしまうほどの、クオリティなのであって、まだシノプシスとも言えないメモ書き程度のものなのだが、頭の中では、完璧に出来上がっていて、それは、あるギリシャ人地層学者のために催されたカクテルパーティーからはじまる。
 これがアヴァン・タイトルで、次にタイトルを被せながら、時間を遡りフサンの家に戻って、シャワーを浴びていたウテナウナチネに、ファンカンテノルにいる妹サクラジサクラダから電話がかかってくる。急にマリエンバートの温泉病院に入院している義理の母イザベラウルワラの容体が急変したので、フクシマに出向しているマルセルセルシの代わりに自分が病院に駆けつけなければならないから、パーティーにはたぶんいけないかもしれない、そういう電話で、その後すぐに今度は、弟のイソフラハマドゥエが、ドタキャンのメールを送ってきたので、結局、パーティーには、ウテナウナチネひとりで行くことになってしまったのは、それはそれで仕方のないことだったが、サクラジサクラダとイソフラハマドゥエともに、病院絡みのことで出席できないということが、なにやら迷信深いウテナウナチネには、いやな偶然なのだった。
 が、それはそれでそんなシンクロニシティも、長く人間をやっていれば、何度かお目に掛かることもあるでしょう、で終わるようなエピソードであったはずなのに、ウテナウナチネは、イソフラハマドゥエのメールから、ある嫌な思い出を想い起こしてしまったのだった。それは、あのカスヴァンに関係していたことだからであり、いや、そんな風に悪く解釈してしまうのは、ウテナウナチネのいつもの悪い癖だったが、なんでもかんでもカスヴァンと結びつけて考えてしまうわけではないのだが、なにやら穢れた血の臭いがしたような気がしたからなのだ。
 その血とは、むろんカスヴァンボルトという狂った一族の血である。そのことの前に、まずはヤーンというカスヴァンボルト家の眷族にあたる一族のある男のことを話さなければならない。
 その男は、ナイと名乗り、当時のサンヒヨナチ自治区に、ある日突然現れると、集会があると新任の牧師になりすまして教会に女を集めて籠城し、男たちは、狙撃したり、切り捨てたりして皆殺しにし、その後で赤ん坊以外の女という女全員、合わせて五十六人を独りで犯しまくったのである。
 そして、ここでスーパーインポーズ。
 後に、この極悪非道なナイは、連邦警察に捕まるのだが、取り調べで、ナイが語った犯行の動機は、わずかながら情状酌量すべき点もみられたようであった。
 そして、時間は一気に現代へと飛ぶ。
 アルカトラズから脱走し、逃げ延びたナイの末裔の物語がはじまる、というわけだ。
 ま、そんな具合だったが、あの日は、英嗣にとって映画のようにある種劇的な一日だった。
 その日、英嗣は仕事絡みで、ある文化人類学者の講演会に参加したあと、そのままホテルに一泊し、もう一件、社長の私的な野暮用を片付ける予定がキャンセルとなったため、早めに帰阪したが、英嗣がドアを開け自宅に入ると、なんと、嫁の薄汚い喘ぎ声が聞こえてきたのだった。
 永嗣は思った。やはり、嫁は、おれが汗水流して玉掛けやら、ハツリやら給料計算、そしてたまには息抜きに破瓜なんかを愉しんでいる隙に浮気をしてこましたったんやなぁ。
 いつも「うち、お兄ちゃんが世界中でいちばん好き」なんてうまいことゆうてけつかるのになぁ。英嗣は嫁に、いつもお兄ちゃんと呼ばれていたのだった。
 バーンと襖を蹴破り、永嗣は浮気現場に突入する自分を想像してみた―――嫁をバックから責め立てている間男のアナルにベランダから持ってきたデッキブラシの柄を力まかせにぶち込む、あるいは、あっけにとられフリーズする間男を尻目に、嫁の空いてる上の口にぶち込んで3Pに突入とか、さらには、嫁の性器から間男の性器を抜かせ、女の子みたいにしちゃうために、間男の性器にまんべんなくアロンアルファを塗って、股の間に挟んで速攻股を閉じさせるとか。
 永嗣はウォッカを生のまま、一気にぐいっと呷ると、戸棚の上の元お煎餅とかおかきが入っていたのだろうアルミの小箱を開けて、いい匂いのする薬草だかハーブを見つけると、それを全部ズンドウにいれ、二リットルのミネラルウォーターを三本ほど、どぼどぼとその上からちょっとした滝のようにぶちまけてから、そこらにあった香辛料なんかを適当にぶちこんでやおら火を点け、ぐらぐらと煮たつのを毛むくじゃらな腕を組んでキッチンを行ったり来たりしながら辛抱強く待っていたようだったが、そのうちふと何か用事でも思い出したのか、ふらりとキッチンから出て行ってしまい、やがて戻ってきた時には、完璧とはお世辞にもいえないが、ばっちりお化粧をしていて、ローズピンクのパンティーらしきものからは、もののみごとにはみ出していて戸板のような胸には、ブラジャーが申し訳ない程度に巻かれていた。彼にとって、これが人生二度目のパンティだった。ちなみに、アタマからパンティを被ったことは、まだない。
 しかし、さすがに自分でも、これはどうだろうと思ったらしく、そしてそう思ってしまったならば確かにその苦渋に満ちた人生やら恥ずかしさやらが滲み出ているようで、これもまたまったくよろしくない。が、しかし、とにかく何かまったく意味のないことをとめどもなくやりたかった。因果律をぶち壊してやりたかった、らしい。
 どうしたものものだろうかと、永嗣は、キッチンの椅子にどかりと坐って、何気なく出窓の方を眺めた。
 出窓は、半円に外側へと突き出している。その框のところに飾ってある、左へと流れる五葉松の吹き流しが、風に負けまいとして大地にがっちりと根を張る、その力強さ、我慢強さが、まさにそこには存在し、畏怖の念さえ覚え、そうかおれには我慢が足りないのだなと永嗣は思った。
 盆栽などにまったく興味がなかった永嗣であったが、あるとき、たまたま手にした盆栽の本で、その素晴らしさを知り、なぜまたこんな魅力があるのだろうと考えざるをえなかったことがあったのだ。
 それは、 はじめての女性の盆栽家である山根さんの作品であったけれど、草もの盆栽の、繊細さ、可憐さ、しかも凛とした強さが、その根底にはあるそんな盆栽を見て、感銘を受けたのだった。
 幾星霜の年月によって刻まれ育まれてきた盆栽は、百年千年の重みを持つ時空をその場に現すのだ。
 その現前する奇跡を、われわれは、家庭で寝そべりながら、あるいは、一杯やりながら、ほんとうに気軽くに愉しめるというわけなのだ。
 もの言わぬ盆栽は、ただすっとして涼しい顔をしているが、じっと目を凝らして見なくてはならない。そこには、時間が、空間が、ぎゅっと凝縮され、喜びも哀しみも、すべてを知りながらじっとたえて生きている姿がある。よって、そこに感動を覚えるのは当然のことだった。
 そして、永嗣はふと思う。おれは都会が好きだが、自然のなかで過ごす心安まるなんともいわれぬあの時間をかけがえのないものと考えている。おれは、故郷のあのどっしりとした大地と山河に育まれたのだ。あの山河がなければ、今のこのおれもないのだ。
 そう思ったら、永嗣は自分でも無意識のうちにシンクの前に立っていた。
 冷蔵庫のなかを覗いて、足りないものを確認する。
 肝心要な野菜がなかった。
 考えるよりも早く永嗣は、愛車の「ランエボV」に乗り込むや、オオゼキにマッハでぶっ込んだ。
 そうそう。三人分だった、これが大事。
 アーティチョーク、生のものを四つ。レモンひとつ。にんにくひとかけ。スパゲティ 二百グラム。
 またマッハで、帰ると、まずは、ボウルに冷水を入れ……うちはいつも、南アルプスの天然水が冷やしてあるが、あの世界が変わってしまった地震の後都内からは、ミネラルウォーターが消えたけれども、暫くたって……外国から船便でくるから三カ月くらいたってからか、うちの近くにあるセイジョーに置いてあった、ドバイだかのやけにひょろっとした見てくれのペットボトルの水が、やたらうまかったような記憶がある。……とか思い出しながら、冷水に、レモン汁、搾ったあとのレモンもいれる。
 アーティチョークは、ムラサキのやわらかなガクが出るまで茹で固い部分を取ってしまう。そしてから縦に半分に切り、ワタがあったらそれもとって、四つくらいに切って、さきほどのレモンの冷水につけておく。
 で、鍋に水三リットルくらいの湯を沸かし、お塩を大さじ三くらい入れちゃう。それから、スパゲティをぶちまけて、茹ではじめる。
 それと同時に、フライパンにオリーブオイルに、にんにく入れて火にかけ、香りが立ったらすぐにんにくを出して、さっきのレモン水に漬けたアーティチョークを、しっかり水気を取って、軽く塩、胡椒しながら炒める。
 スパゲティは、アルデンテに短めに茹で、湯を切ってアーティチョークとさっと混ぜ合わす。
 そして、永嗣は、風に負けまいとして大地に根を張る五葉松を眺めながら、腹を空かせてやってくるふたりを静かに待った。
 ただし、一緒に食うわけもないことはわかっていたから、永嗣は、泣きながらアーティチョークのスパゲティをひとりで食べた。味などわからない。
 亡羊とした頭で漫然とただ咀嚼する永嗣の目には、五葉松の盆栽も何ものも見えていなかった。が、やがて桑畑でふたりして桑の実を無断で採って食べたことを思い出した。
 そして、その桑の木の下で、ふたりは愛しあったのだ。ふたりの舌は桑の実で紫色になっていたから、案の定、永嗣のあれは紫に染まってしまったのだった。それが、あゆみには、よほど面白かったらしく、そのあとで、それはふたりだけのHな隠語となった。
 あゆみはふざけて、きまって静かな場所、たとえば図書館であるとか、映画館であるとかを選んで、声をひそめて永嗣を困らせるように、こういうのだ。
「ねぇ、紫がほしいの」
 永嗣の嗚咽がとまらない。



鰍沢
2012年10月22日(月) 01時17分01秒 公開
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