安全なところ
赤地に白で、交通事故多発地帯と書かれた立て看板があるのは、駅前のスクランブル交差点。
 いくつもある歩行者用の信号が青になると、のんきな電子音で、もしもしカメよ、のメロディが流れる。信号が点滅すると、そのメロディがブツッと途切れてパウパウというサイレンが三度なるのだけれど、それを聞くと私は不安になってしまう。そんな、追い討ちをかけるような音いらないのに。信号が点滅する前に遠くへ行こうと、この交差点を渡るときはいつも早足だ。
 街灯に照らされた歩道。工事現場は特に明るい。真っ白に光る大きな蛍光灯が吊下げられているから、そこは夜でも昼間のようだ。
 夜、一人で放浪してしまう私を叱る父に教えてあげたい。置き去りにされたペットボトルを蹴飛ばしながら考える。夜の街は安全なんだと。危ないところほど、明るく照らされているから。
 夜は人のたくさんいる駅周辺しか歩かない。危険なものは危険だと、しっかり示してあるところ。暗い路地裏は、昼間の散歩道。
 安全じゃなかったら、かばんも持たずに、薄着で、サンダルを履いて徘徊する女の子なんているはずがないのだ。私みたいに。
 さっきコンビニで買った、小さなパックの牛乳を飲みほしてしまったので、別のコンビニの前のごみ箱に捨てた。持ち物がなくなったので、両手をぶらぶらさせながら歩く。ずんずん歩く。街灯の道はずっと続いている。
 危険なものは危険なまま、放っておけばいいのに。
 工事現場の周りを赤いコーンなんかで囲わなくていいのに。大きな穴をあけっぱなしにしておけばいいのに。周りを昼間みたいに明るくしないで、どこに穴があるのか、危ないものが落ちているのかわからないままにしておけばいいのに。そしたら誰も近づかない。
 街灯はいらない。車や自転車のヘッドライトもいらない。危険を回避できないくらい、真っ暗なままだったらいいのに。どこに誰がいるのかわからないくらい。そしたら私は夜の散歩なんてできない。日が沈んだら家に帰って、どこにも行かないで、じっとしている。
 風が強くなって、髪の毛がばさばさとうるさい。後ろのほうで、何かがバタンと大きな音を立てて倒れた。
 まだ眠らずに家で待っているだろう父の様子を思い浮かべる。お風呂からあがって、ありきたりなストライプのパジャマを着て、食卓に一人で座っている。神経質に、細い銀フレームの眼鏡をつけたり外したりしながら。母はもう一時間ほど前には眠っているはずだ。
 鍵を開けておかなくていい、電気も消して、眠ってしまっていい。そう言いたいけれど、そんなことを言うと余計に叱られるから言わない。
 父を裏切りたくて、夜出歩くわけではない。街灯があるのは、危ない所に安全に近づくためだ。だからついつい外へ出てしまう。
 また口寂しくなって、コンビニへ入る。深夜のコンビニは、商品の入れ替えをしているから、好きな物を好きなように取れない。店員の横を失礼して、さっき飲んでいたのと同じパック牛乳を取る。どいてくれなくても手を伸ばせば取れたのだけれど、白と青のストライプの制服を着た店員は私に気づくと急いで場所を空けてくれた。私はなんだか申し訳なくなって、一言謝ってからレジへ行く。昼間はコロッケや唐揚が暖められている保温庫は、電気が消えて空だった。
 外に出ると、風がまた強くなっていた。ごうごうと街路樹が激しく揺さぶられて、落ちてきた葉が腕やふくらはぎをかすめていく。真上の街灯が一瞬ちかちかとまたたいて、またすぐに点いたけれど、私は急に不安になってしまった。ストローの袋を片手で破ってパックに差し込む。
 少しずつ牛乳を飲みながら、家の方向へ歩いて行く。多分、今私の携帯電話は勉強机の上で何度も着信音を鳴らしている。散歩へ行く時私が携帯電話を持っていないことを、父は知っているのに。
 家以外に安全な場所がなければいいと思う。そうすれば私はひとりでふらふらしない。父を睡眠不足にもさせない。
 倒れた立て看板の下でビンが割れていたから、私は大きく迂回する。強い追い風で髪の毛が口の周りにからみついてくるから、牛乳が飲みにくい。一気にじゅっと音をたてて飲み干して、パックをつぶした。近くのコンビニにはごみ箱がなかったから、仕方なくつぶしたパックを握って歩く。
 駅前に戻ってくると、はじめに通った時よりもしんとしていた。風に吹かれて、紙くずや葉がコンクリートの地面の上でくるくる回っている。
 カーブミラーの中を、灰色の猫が横切っていく。あの角を左に曲がると、きっと一軒だけ明かりのついた、壁が白い、二階建ての家が見える。
 鍵をかけて、明かりを消して、先に寝てていいんだよ。私は心の中で父に言う。鍵は持っているし、明かりがついていなくてもそこが安全なことはわかっている。
 けれどやっぱり角を曲がると家には明かりがついていて、玄関には鍵がかかっていなかった。私は寝ている母を起こさないように静かに扉を開けて、小さな声でただいまと言う。
春矢トタン
http://redroof.hanamizake.com/index.html
2012年12月01日(土) 17時59分10秒 公開
■この作品の著作権は春矢トタンさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
こんにちは、久しぶりに現代・歴史板へ投稿します。
2年半くらい前、描写の練習用に書いてたのを掘り起こしました。掘り起こして、少し直しましたが、だいたいそのままです。
あと宣伝で、ツイッターやってます!→@haaaaruya 

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No.2  春矢トタン  評価:0点  ■2013-01-06 20:43  ID:p72w4NYLy3k
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> 赤潮さま
返信が大変遅くなってしまい申し訳ありません! ご感想ありがとうございました^^
二度も目を通して下さり、本当に嬉しいです。一人称で視点が主人公と一致しないのは、書き方として問題ですね。もう一度見直してみます。冒頭の部分のことも、読み直して、その通りだなと思いました。
描写部分の効果がどう表れるか、もっと読み手の立場に立って考えたいと思います。
ありがとうございました!
No.1  赤潮  評価:20点  ■2012-12-15 16:24  ID:OlMsmMDwkWU
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作者さんのメッセージを読んで、再度目を通しました。描写の練習用に書いたものとのことですが、主人公が自分の目で見ていないように感じます。見ている主人公を作者さんが眺めているような雰囲気。だから妙に寒々しい。
あと、最初の一文で夜を感じさせないのは不味いと思う。冒頭の数文の描写がムダになる。
総レス数 2  合計 20

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