未来からの電話
 一
「お前は誰だ」
 それは男の声だった。
 俺は数秒前まで、レンタル屋で借りてきたB級ホラー映画を鑑賞していた。電話が鳴ったので映画を停止して受話器を耳にあてたのだが、そこで電話の相手は妙なことばを口にしてきた。俺が「はいもしもし」と言った後、相手は第一声に〈お前は誰だ〉と聞いてきたのだ。
〈誰だ〉と聞かれるとは思ってもいなかった。正直こっちが〈誰だ〉と聞きたいくらいだ。
 ひょっとするとこれはいたずら電話のたぐいかもしれないなと思った。知らない電話番号にかけて遊んでいるのかもしれない。
「お前こそ誰だ」
 俺は不快感をあらわにした口調で聞いた。
「いいから名乗れ」
「お前が名乗らないなら俺も名乗らない」
「時間がない。はやく名乗れ」
 どうやらゆずる気はないらしい。そっちがそういう態度をとるならばこっちにも考えがある。
「俺さまの名前を知りたければ土下座をするんだな。そうすれば教えてや」
「もうわかった。名乗る必要はない」
 この男は俺をおちょくっているのだろうか。
もし目の前にいたら鼻をへしおってやるのに。
「そのえらそうな態度でわかったよ。成功したんだ。わたしは成功したんだ!」
 男は急にきゃっきゃと喜びだした。まるでアポロ11号の打ち上げに成功したかのような騒ぎようだ。
〈お前は誰だ〉の次は〈成功した〉。まるで意味がわからない。これはあきらかに変人ではないか。 いったいこの気持の悪い男は何者なのだろうか。


「お前、慶太だろう?」
 男はとつぜん俺の名前を口にした。
「なぜそれを知っている」
 そうだ俺は慶太だ。だがなぜこの男が俺の名前を知っている。そもそも知っているのにどうして〈お前は誰だ〉なんていう質問を最初にしたのだろうか。
「名前だけじゃない。お前のことはすべて知っている」
 男は勝ち誇ったような声でそう言った。
 俺のすべてを知っているだと。こいつはいったいどこのどいつなんだ。まさかCIAの諜報員ではあるまいな。
 先週エスカレーターで女子高生のパンツをのぞき見したことがバレたのかもしれない。たしかパンツの色はあわいピンクだった。
 いやしかしそんなことでわざわざCIAが動くとは考えられない。そもそもCIAがなんなのか俺はよくわかっていない。
 いやまてよ。〈ハッタリ〉という可能性もある。いまのご時世、名前くらいどこでも手に入るだろう。実際、家の前の表札にもはっきりと俺の名前がきざまれている。〈お前のすべてを知っている〉と言って驚かそうという魂胆なのかもしれない。まったく最近のいたずら電話は手がこっている。
「おい、聴いているのか」
 無言でいると男がすこし強めの口調で言ってきた。
 この男が誰だかはわからない。しかし、下手に出るのはやめたほうがいいかもしれない。なめられたら相手の思うつぼだ。
 俺はいかくするように、そして余裕をもった風をよそおってこう言った。
「ああ、そうさ。そのとおりさ。俺があの殺し屋の慶太さ。あんたの用はわかってる。殺しの依頼をしたいんだろ」
 ふん、俺が殺し屋だとわかればこの男もびびってひれ伏すだろう。もう二度としませんのでゆるしてください、と泣きながら懇願するに決まっている。
「慶太よ、うそはいけない。お前は殺し屋ではないだろう。ただのB大学の学生だ」
 バレていた。
 殺し屋ではないということはもちろん、B大学という偏差値5の大学にかよっているということも。どうやらこの男は俺の身辺調査をすでにすませておいたみたいだ。
 俺は恐怖を覚えた。
 単なるいたずらで大学名まで調べるだろうか? これは本格的に警察のにおいがしてきたではないか。逮捕する前に被疑者のことを調べるのは常套手段だ。
 俺は想像した。
「偏差値5のB大学に通う慶太容疑者が、女子高生のスカートの中を凝視した疑いで逮捕されました。本人は容疑を否認しているとのことです」
 いろいろな番組でそう報道される俺の姿がありありと頭にうかんだ。
 この歳で変態の容疑で逮捕されるだなんて自分が哀れでしかたがなかった。
 足と受話器をぷるぷるとふるえさせていると、男がつつみこむようなやさしい声で言った。
「わたしの正体が知りたくないか?」
「いったいどなたさまなのでしょうか」
 相手を刺激しないよう、おそるおそる聞いた。
「さきほどは失礼いたしました。さしつかえがなければあなたさまのお名前をお聞かせいただけないでしょうか」
「わたしの正体はな」
 そのあとにつづいた男のことばを聞いて俺は目を見開いた。彼はこう言ったのだ。
「わたしは未来のお前だ」と。


 からだの緊張が一気にほぐれた。
〈わたしはお前だ〉だと? そんな馬鹿なせりふを言う警察なんているわけがない。
 恐怖におののいて損した。だがなおも男はつづける。
「過去と通話ができる電話を開発した。わたしは今その電話でかけているのだ。過去のわたし自身にな」
「なるほど、すごい発明をしたんですね」
「そうだ。世紀の大発明だ。50年という歳月をかけてひとりで開発した。ある重要なことを果たすためにな」
「なるほど。それはそれはすばらしいですね」
「いままで何度実験をくりかえしても成功しなかった。だが、いまこの瞬間成功した!」
「要約するとこうですね。あなたは未来の俺で、過去と通話ができる電話を発明した。そしていまあなたは、あなたの過去である俺と話をしている」
「そう、そのとおりだ! 信じてくれたか!」
「信じるわけないだろこのクソ野郎!」
 俺は受話器に向かって大声で叫んだ。
 こいつはあれだ。あれにちがいない。新手の詐欺師だ。そうに違いない。
〈わたしは未来のお前だ〉とかなんとか甘いうそでひっかけてお金をだましとろうという魂胆だろう。
 見え見えなんだよ。俺が気づかないとでも思ったのか。こう見えて俺は詐欺師を見抜くプロフェッショナルだ。いままで7回も〈幸福をよぶつぼ〉という商品をだまされて買ったんだ。もう二度と同じような手口には引っかからない。
 ぐるりと部屋を見渡すとそこら中にへんてこな形の壺が飾られている。この壺たちが言っている。この男は詐欺師だと。
「そんなくだらないうそに引っかかると思ったか?」
「う、うそなどではない。わたしは本当に……」
「お前が詐欺師だってのはわかってるんだよ」
「詐欺師? ちがうわたしはお前だ」
「はいはい、じゃあ電話切るぞ。じゃあな」
「ま、まて! 切るな! わたしの話を聞いてくれ!」
「なんだよ。まさか〈わたしはお前だ〉なんてことをまた言い出すんじゃないだろうな」
「そのまさかだ」
「じゃあ切る」
「8歳のときおやじの大事なカツラを川に投げすてただろ」
 俺は電話を切ろうとした手をとめた。いまこの男、なんと言った?
「あんた、いまなんて」
「だから、8歳のときおやじの大事なカツラを川に投げすてただろ。たしかそう、黒目川とかいうところに」
 そうだ、そのとおりだ。たしかに俺は8歳のとき、おやじのだいじにしていたカツラを川に投げすてた。おやじが俺のプッチンプリンを勝手に食べたからだ。そのおかげで翌日おやじは頭をきらりと光らせながら会社に行った。泣きながら帰ってきたのを憶えている。
 だがそれは誰にも見られていなかったはず。何度もつけられていないかチェックをした。ぬかりはなかったはずだ。
 完全犯罪。そう確信していた。だがどうやら違ったようだ。
「まさかあんた、俺が投げすてるのを見てたのか?」
「ちがう」
「じゃあなぜ知ってる」
「だから言っただろう、わたしはお前なんだ。未来のな。お前のことはなんでも知っている」
「うそだ!」
「うそではない!」
「じゃあ俺が中学生のとき好きだった女の名前を言ってみろ!」
 当時俺は梅子という女に惚れていた。これは誰にも話したことがない。もしこの男が本当に未来の俺ならば知っているはずだ。
「梅子だろ」
 男はまようことなくその名前を口にした。それは予想外のことだったのでおもわず狼狽してしまった。
「な、なぜ知っている! どこで調べた!」
「調べるまでもない。何度も言わせるな。俺はお前なんだ。未来のお前なんだよ」
「そんなたわごとを信じろと? どうせ同級生の誰かに話を聞いたんだろ!」
「話を聞く? それは無理だ」
「なぜ!」
「それはお前が一番よくわかっているだろう。梅子への想いを誰かに話したことはない。彼女の横顔を盗み見るときも細心の注意をはらっていた。まるでけんせい球をおこなうピッチャーのようにな。誰一人として梅子への想いに気づいてはいない。自分自身をのぞいてはな」
 ぐぬぬ、と思わず俺はこぼしてしまった。まさか〈ぐぬぬ〉なんて言ってしまう日がきてしまうとは。
 言い返すことばは出てこなかった。梅子への想いを知っている人間はまちがいなくこの世にひとりしかいない。それは自分自身がよくわかっていた。
「いまでもはっきりと憶えているよ。ある冬の放課後、音楽の時間にこっそりと抜け出したことをね。お前も簡単に思い出せるだろう。お前からすればつい数年前のことだ」
「ああ、昨日のように憶えているよ」
「冬の放課後」
「音楽の時間にこっそりと抜け出して」
「生徒の合唱を後ろに聞きながら」
「俺は走った」
「そして無人になっている教室に行き」
「ロッカーから梅子のリコーダーを取り出して」
「そこに熱い口づけをした!」
 俺と男は過去に犯した禁断の行為を交互に言い合った。それは長年付き添ったカップルのような連携プレーだった。体が熱くなっていくのがわかる。
「あのときの味はいまだに忘れられない!」
 男の興奮する声と鼻息が受話器からみずみずしく聞こえてくる。
「俺だってわすれてない!」
 負けじとそう言った。
「梅子のリコーダーの味は甘いストロベリーのような味だったな。もちろんそれは単なる気のせいだったのかもしれない。だが、梅子が毎日吹いているリコーダーをいま自分が吹いているんだ、そうおもっただけでストロベリーのような甘みが口の中に広がっていったのだ」
 男は、恍惚とした表情をうかべているのがわかるほどのうっとりとした口調でそう言った。
「そうだ。あれ以上のストロベリーは二度と食べられないかもしれない」
 俺も思い出してとろけるような顔をする。
「まあ残念ながら梅子は結婚してしまったがな」
「え、そんなまさか!」
 いきなりのバッドニュースに俺は我にかえった。
「何十年も前にIT企業の社長と結婚して4人も子供を作っのだよ」
「う、うそだ」
「うそなどではない。真実だだが俺は別にかなしくもなんともおもっていない」
「なぜだ。梅子が結婚したんだろ。かなしくないわけがない」
「最初はかなしかったさ。だがな、わたしは悟ったんだよ」
「悟った?」
「ああ。梅子は中学生のとき誰とも付き合っていなかったな。つまり、ファーストキスはまだだったわけだ。俺と梅子はリコーダーを通じて間接キッスをした。つまりそれは俺が梅子のファーストキスをうばったということに他ならない。梅子がどんな男とキスしようが、俺が最初の男だという事実は永遠に変わらない!」
「な、なるほど!」
「どこぞのIT企業の社長が梅子となにをしようがわたしが梅子にとってのはじめての男なんだ!」
「俺、バンザイ!」
「わたし、バンザイ!」
 FIFAワールドカップでの熱心なサポーターも驚いてしまうほどの大声で、俺と男はファーストキスの喜びをかみしめあった。いままで誰にも言えなかった禁断の行為。それを話すことのできる人物をようやく見つけた。この男は一体何者なのか。その答えはもうすでに出ていた。
「わたしが未来のお前だということ、信じてくれたかな」
「ああ。あんたは間違いなく未来の俺だ」
 こんなド変態、俺以外ありえない。
 

 俺はいま世紀の大発明を目の当たりにしている。いや正確に言えば〈耳当たり〉とでもいうべきか。
 時空を超えて未来から電話がやってきた。それはなにを隠そう未来の俺からだったのだ。
過去と通話ができる電話を作ってしまうだなんて、われながら天才すぎてこまる。
「いままで疑ってほんとうに申し訳ない」
「謝ることはないさ。むしろ感心したよ。かんたんにだまされるような男じゃないとわかってな。さすがだ昔のわたし」
「照れるじゃないか。あんただって大発明品を作ったんだろ。天才にもほどがあるよ未来の俺」
「やめろ、照れる」
 俺たちは褒めあった。自分を褒めるのも悪い気はしない。
「ところで、なんで過去と通話のできる電話を作ろうとおもったの」
「それはだな。お前にとあることを伝えなければいけなかったからだ」
 伝えなければいけないこと。一体それはなんなのだろう。俺に関係のあることなのだろうか。
「それで伝えたいことというのがだな」
「あ、その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ」
「あんたっていま何歳なの」
「わたしは今年で72歳だ」 
 72歳か。なんとなく自分は早死にするかもしれないと思っていたからこれは朗報だ。これからもジャンクフードはたくさん食べよう。
「それでな、伝えたいことなのだが」
「あ、その前にさ、もうひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ質問ばかりだな」
「いやだって未来の自分と話せるだなんてそうそうないじゃない。ガリガリ君の当たりが出る確率くらいすくないでしょ」
「いやガリガリ君の当たりはもっと高確率だとおもう」
「どっちでもいいけど、未来のこと聞くチャンスなんて滅多にないわけ。だからいろいろ聞きたいのさ」
「お前のきもちはわからなくはない」
「だろ」
「わかった。質問を許そう。しかしもう時間があまりないから質問はひとつだけにしてくれ」
「時間がない?」
「そうだ。さっきも言ったが、過去とつながったのはこれがはじめてなんだ。いままで何度も実験に失敗している。この通話は奇跡的につながったようなものなんだ。だからいつ切れてもおかしくない不安定な状態なんだよ」
 そんな微妙な状況の中、俺たちはリコーダーをなめまわしたという変態話で盛り上がっていたのか。
 ほんとうはいろいろと聞きたいことがあった。だがしかたない。ひとつにしぼった。
「俺の未来の嫁について聞かせてくれ」
 やはりこれだろう。未来の自分がどんな嫁を手にしたのか気にならない男はいないはずだ。梅子でないことだけはわかっている。
「嫁・・・か」
 男はさきほどまでの揚々とした雰囲気から一転して、暗澹とした声質に変わった。
「まさか結婚できなかったのか?」
「なんと言えばいいのかな。複雑な問題なんだ。盛大な結婚式はしたよ。みなに祝福された」
 俺はホッと胸をなでおろした。てっきり天涯孤独の身になるのかとおもったじゃないか。
「で、どんなひとなの? 美人だったりする?」
「ああ、とてもきれいなひとだ。長澤まさみにそっくりだよ」
「な、長澤まさみってあの女優の!?」
「そうだ、そのまさみだ」
 俺はガッツポーズした。
「だけどな、すぐにいなくなった」
 ガッツポーズをとりけした。
「なぜ」
 まさか病気かなにかで他界したのか。
「聞きたいのか」
「聞きたい」
「結婚詐欺だったんだ」
 俺はあまりのショックに失禁しかけた。ちょっとだけ出た。
「彼女はずっと言っていた。婚姻届は出したくないと。なぜ、と聞いたらこう言ってきたよ。
〈あなたが本気かどうかわからないの〉
 とね。本気だという証拠を見せてほしいと言われたんだ。わたしはもちろん本気だったよ。身体的にハンデのあるわたしを愛してくれたんだ。しかも美人だったしね。だから俺は盛大な結婚式をやった。そしてそのときに結婚指輪として4億円もする5カラットのダイヤを彼女の指にはめたんだよ」
「それでどうなった」
「翌朝目を覚ましたら彼女はいなくなっていた。彼女のにおいだけがベッドに残っていた」
〈なんてこの男は馬鹿なんだ〉
 そう一瞬思ったのだが、この男は未来の自分なのであった。俺は受話器を耳に当てながら床にひざまずく。めまいがしたからだ。なにが〈彼女のにおいだけがベッドに残っていた〉だ。結婚詐欺にあったことを文学的な表現で語ってほしくない。
「そのあとはもちろんたいへんだったよ。4億円だなんてお金はもともとないからね。
何件もの闇金融から借りてようやく集めたんだ。毎日毎日夜叉みたいな顔をしたヤクザが金を返せとわたしの家を訪れてきてね。コンクリート詰めにされそうになったことは数え切れないほどあるよ。そのあとは……」
「もういい。聞きたくない」
 前途は真っ暗だということを知った。知りたくなかった。部屋の中を見渡すとたくさんの〈幸福をよぶつぼ〉が目に入る。詐欺にあう体質は未来にいっても変わらないようだ。
「ともかく、まさみ似の女が近づいてきたら無視しろ。ろくでもない目にあわされる」
 俺はこころの中にまさみ似の女には要注意ときざみつけた。
「もしかして、未来からわざわざ電話してきたのはこのことを伝えるためだったの?」
「いやちがう。もっと大事なことを伝えにきた」
 結婚詐欺にあって大損することよりも大事なこととはいったいなんだろう。
「お前のからだに関することだ」
 男はさきほどよりもさらに深刻な口調に変わった。
「からだ……のこと?」
「そうだ。じつはわたしのからだはほとんど動かせない状態になっている」
「どういうこと?」
「右手以外の機能がほとんど失われたのだよ」
「なんだって!」
 驚きのあまり声がうわずった。
「両足で立つことはもちろんできないし、左手が使えないからギターを弾くこともできなくなった。まあもともと弾けないが」
 それは知っている。
「ある日事故が起きてな。そのせいでこうなってしまった」
「あんたはそれを止めるためにわざわざ大発明をして、俺に伝えようとしたのか」
「そのとおりだ。あの事故のせいでたくさんのものをうしなった。手術をするのにたくさんのお金がかかった。父は手術費用をつくるために保険金自殺をした。母はわたしを捨ててIT企業の副社長と再婚した。父の残した多額の保険金を持ちにげしてな。ほんとうに数え切れないほどのくるしみと戦ってきた。わたしはお前にそんな目にはあってほしくないのだよ。未来をかなしみ色に染めてはほしくはない。お前には素敵な女性と幸せな家庭をきずいてほしいんだ」
 俺は熱くなった目頭をおさえた。未来の自分がしようとしていることに感動したからだ。ただのド変態ではなかった。俺を救うためにわざわざ未来から電話をしてきてくれるだなんて、われながらとんだ天才やろうだ。
「あんたのきもち、ほんとうに嬉しいよ。わかった。俺は事故を全力で阻止する」
「阻止する必要はない。事故の起きる現場にいかなければいいだけの話だ」
「そうだな。わかった。全力で逃げる」
 そのとき、受話器からの声にノイズが混じりだした。
「まずい。もう時間がない」
「え、どういうこと」
「通信のタイムリミットがせまってるということだ。いいか過去のわたしよ。この電話をふたたびかけ直すのは不可能に近い。この通信はもともと奇跡的に成功したのだからな。だから一度しか言わないからちゃんと憶えておくんだぞ」
「わかった!」
 未来の俺が50年もの時間をかけて発明し、そして届けようとしたメッセージだ。なにがなんでも受けとめてやる。
 そのとき、甲高い大きな音が外から聞こえてきた。キイイイイイという大きな音。
 音のする方向を見た。
 それはだんだんと近づいてくるように感じた。
 一体この音はなんなのだろうか。この音はどこかで耳にしたことがある。そう、日ごろよく街で聞く音に似ている。
 するととつぜん部屋を突き破って巨大な何かが突撃してきた。
 俺は動けなかった。あまりに急な出来事だったからだ。
 その巨大な何かにぶつかり、うしろへとつきとばされた。背中をどこかにうちつけた。激しい痛みが俺を襲った。
 意識が途切れる直前、近くに落ちた受話器から男の声が聞こえてきた。
「いいかよく聞け。2010年の4月2日にお前の家にトラックが激突する。飲酒運転の馬鹿野郎が突っ込んできたんだ。そのせいで一生立てないからだになってしまった。くれぐれも気をつけるんだぞ。おい聞いているのか。ところでいまの爆音はなんだ」


 目を覚ましたとき、一番最初に見た光景は看護婦が点滴の薬剤を交換しているところだった。
 からだ全体が何かで固定されているように感じた。動こうと思っても動けない状態だったのだ。
「ここはどこ」
 そう声をかけると看護婦は驚いた表情をうかべて先生を呼びに行った。
 先生から聞きたくないことを聞かされた。俺が事故にあってしまったこと。背中をうちつけたとき、脊髄を損傷してしまったのだということ。そのせいで自分のからだのほとんどが動かせないのだということ。
 泣きたくなった。どうしてこんな目にあわなければならないのか。運転手への怒りよりもかなしみのほうが強かった。まだまだやりたいことがたくさんあった。それなのに。それなのに。
 涙を流す直前に気づいた。
「動く!」
 なんと右手の指だけは動かすことができたのだ。先生も予想外のことに驚きをかくせないようだった。
 指だけではなく、腕全体も動かせるような気がした。
「うごけ、うごけ!」
 そう言いながら何度も動かそうと試みた。そしてついに右腕が動いた。
「やった動いた!」
 となりに立っていた看護婦の胸をわしずかみすることに見事成功した。
「やった、やったよ。右手が動いた!」
 なんども確認するように看護婦の胸をもみしだく。これだけ動かせるならば右手は平気だろう。そう安堵した直後、俺は気絶した。看護婦が俺のことを殴ったからだ。
 俺が悪い。
 それはさておき、俺は事故にあう1,2時間前までのできごとを思い出せずにいた。トラックに突き飛ばされたときの衝撃で脳にもすこしダメージがあったみたいだ。誰かと電話で話をしていたような気がする。そこまでは思い出したのだが、どうしても相手のことや話した内容までは思い出せなかった。
 まあどうでもいいだろうと思った。別に電話のことなど思い出さなくても死にはしない。それよりも俺はあるひとつのアイデアを実現させることに夢中になった。
 実は事故にあってから目覚めるまでの間に俺は夢を見ていたのだ。その夢のことは、はっきりと憶えている。未来の俺から電話がかかってきて、俺の身に危険が迫っているのだと教えてくれる。そういう夢だ。
 Sf小説の読みすぎでそういうヘンテコな夢を見てしまったのかもしれないな。だが俺はそれをヒントにして、過去と通話のできる電話を作ろうと決心したのだった。過去の自分に危険を知らせるために。
 もちろんそうかんたんにことは運ばなかった。科学的な知識をまったくもっていなかった俺は、中学生の理科から勉強をはじめなければいけなかったからだ。それにくわえて時空を超える電話作りなどというものに賛同してくれる馬鹿は誰もいなかった。俺という馬鹿をのぞいては。
 だができないながらも勉学だけはおこたらなかった。なぜなら俺には自由がなかったからだ。両足を使って自由に走ることもできなければ、片手が使えないためにテレビゲームですらもたのしめない。俺に残された希望は時空を超える電話のみだったのだ。
 俺は何十年という月日を電話作りに費やした。その途中で長澤まさみにそっくりな女に結婚詐欺でだまされたこともあった。詐欺師を見抜くプロである俺でさえも彼女のことは見抜けなかったのだ。さすが俺の愛した女だ。お前を愛したことをほこりに思う。こわい顔をした闇金の連中に殺されかけながらそう思った。
 どんな絶望的な状況でも生きることにしがみついた。それはもちろん電話を完成させるためだ。

 事故にあってから50年の月日が経った。
 わたしは相変わらず電話を作りつづけていた。何度も何度も失敗した。国からの援助は一切もらえなかった。わたしのことをみなはマッドサイエンティストと言って馬鹿にしていた。多くの新聞にトンデモ博士だと紹介されもした。変態ロリコン博士とののしられたこともある。まったく失礼な連中だ。なにもわかっていない。わたしは変態ロリコン博士などでは断じてない。変態ロリコン”紳士”である。
 そんな荒波にもまれながら研究をつづけていたのだが、ある日わたしは自分の命がそう長くないのだと知る。医者にあと数ヶ月の命だと言われたのだ。
こころのノートブックを開いて、いままでの人生をふりかえってみたとき、そこにはこの電話のことしか書いていなかった。何十年もの間電話作りにばかり没頭したからだ。まさみ似の女にだまされたくらいしかおもいではない。
〈わたしの人生は本当にこれでよかったのだろうか〉
 余命を宣告されてから何度も自問自答をくりかえした。
 完成したところでなにになるのか。過去を変えることでいまの自分も変わるかもしれない。そんな淡い希望を胸に抱きつづけていた。だが仮に過去を変えることができたとしても、いま現在のわたしが幸せになれるかどうかはわからないのだ。
 正直もう電話の完成は半分あきらめかけていた。けれど今更やめることなどできない。親も知人もみな死んだ。子孫も残していない。わたしにはなにも残されていないのだ。この未完成の電話をのぞいては。
 そんなときのことだった。
 いつもどおり通信テストのために電話のスイッチを入れた。これで通算7億5432万1233回目の通信になる。いつもは受話器に耳をあててもノイズだけしか発生しない。うんともすんともわんとも言わない。しかしこの日は違った。
〈ルルルルルル〉
 受話器から聞き覚えのある電子音が流れてきたのだ。
「な、鳴った!」
 わたしの心臓は急速に拍動した。
〈奇跡が起きた〉
 そう思った。死ぬ真際になって神様が奇跡を起こしてくれたのかもしれないと。
 感動のあまり涙が出そうになる。それをぐっとこらえる。まだ油断はできない。間違えてとなりのおばちゃんの家に電話をしただけなのかもしれない。
 と、そのせつな。とつぜんたいせつなことを思い出した。
 事故にあった直後に見た夢のことだ。その夢のなかでは事故を防ぐことはできなかった。通信はできたのだが、会話が予想以上に長引いてしまったせいで防げなかったのだ。
 わたしは思った。
 夢と同じことを犯してはいけない。ようやく起きた奇跡を無駄にしてはいけない。かならず過去のわたしに伝えて事故を回避するのだ。
 受話器から聞こえてくる電子音がとまった。誰かが電話をとったのだろう。
「はい、もしもし」
 それは男の声だった。聞き覚えのあるようなないような声。すくなくとも隣のおばちゃんではない。
 この男は過去のわたしなのだろうか。まずはそのことを確かめなければならない。
 わたしはこころを落ちつかせてこう聞いた。

「お前は誰だ」
のぼる
2012年10月29日(月) 19時46分38秒 公開
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■作者からのメッセージ
3回目の投稿になります。すこし長いかもしれませんがお付き合いいただけるとうれしいです。

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