わきあがる飢餓だけが踊り狂う夜
　女の肌をまさぐっていると、ふいに、ぬめり、と指が滑った。
「あれ？」
「どうしたの？」
「いや、いま、なんだか変な感触が」
　指先を見れば、緑色の粘液にまみれている。粘液は蛍光灯の光を反射し、抑鬱性の暗い輝きが視界をべとりと汚した。
「なに、それ」
「わからない。虫でも潰しちゃったのかな」
「やだ、なにしてんの。もう。取ってよ」
　そう言ってうつぶせになった女の背の一面びっしりに、鱗がはえていた。複雑な光沢をもって、硬く皮膚を覆っていた。隙間からじくじくと緑の粘液が漏れていて、それがぬめりの正体なのだとすぐに知れた。いったいどういう目的のもと分泌される物質なのか、それはよく分からなかった。
　隆起する鱗は、は虫類のものというよりは、むしろ魚類のそれに似ている。
「鱗だ」
「うろこ？　うろこ虫？　なにそれ。はじめて聞いた」
「いや……」
　すぐに訂正しようとして、躊躇した。しばらく考えてから、やめた。
「あー、もしかしたら俺の地方の方言なのかもしんない。うろこ虫って。他になんて言うか知らないけどさ」
「え、ちょっと見せてよ。わかるかも」
「もう死んでるって。捨てるよ」
　僕は女の粘液を丁寧にティッシュでぬぐってゴミ箱へと投げ込んだ。丸めたティッシュは粘液をたっぷりと吸ってすこし重たかった。ゴミ箱の底にぶつかると、べちゃ、と粘性の音がした。
「いや、気になるんだけど、あ、ちょっと」
　女の言葉をのみ込んで、行為が再開される。鱗はうなじにまで登っていて、首筋をなめると、粘液が舌に触れた。わずかに甘く、わずかに苦く、うまくはないが、まずくもない。くちびるでそっとすくって、くちうつしで注いだ。女はそれを、喉を鳴らして啜った。僕がうすく笑うと、彼女も笑った。頬が紅潮している。どうやら血液は緑色ではないらしい。鎖骨を甘噛みしてやる。
　なにがそんなに刺激するのか、僕はひどく興奮していて、昂ぶる神経は目の前の女をいまひとつうまく認識できないでいた。それは肉であり、それは柔らかさであった。それは熱であり、それは生命であった、それら四つが混在せず、ばらばらにほどけていて、認識のキメラとでも言おうか、つぎはぎの美しい混沌に、僕は衝動をつきつけている。それは性交というより、むしろ暴力と呼んでさしつかえないものだった。
　後背位で犯せば、せな一面の鱗がぺとぺと反射して、まるで鏡のようで、僕の顔がうつっている。鱗の鏡面はでこぼことしているので、像が歪んで、顔、というよりは腐乱した臓物の寄せ集めだ。薄く笑って、女を犯している。首の上からが臓物の、緑にぬめる男が犯している。女は喘いでいる。空虚を呼吸するかのように喘ぐ。
　僕は女に、好きだよ、と囁いた。女は相手にもせず喘ぎ続ける。

　○

　夜は喘息を患っているから、慢性的に酸素が欠乏している。いつだって青白い顔をして幽鬼のようだ。ろくに運動も出来やしないので、手足はやけに細長く、甲虫のように節くれ立っている。女がそれを嘲ると、粘液が、じくりと服ににじむ。それを気付かれないようそっと指先でこすりとって、舐めれば、わずかに甘く、わずかに苦く、唾液が出て、わきあがる飢餓だけが踊り狂う夜。
弥田
2012年07月12日(木) 01時56分04秒 公開
■この作品の著作権は弥田さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
リハビリ的な。
20〜30枚くらいになってくれればな、と思いましたが、無理でした。
この作品の感想をお寄せください。
No.6  弥田  評価：--点  ■2012-08-19 02:33  ID:ic3DEXrcaRw
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すみません気付くのに遅れました。感想ありがとうございます！

＞季織さん
ありがとうございます。
満たされない感じ、なんかを表現できたらもっとよくなったんじゃないかな、と思いました。参考になります。ありがとうございました。

＞Physさん
ありがとうございます。
去年ごろから、こういう極彩色な感じのばかり書いているのです実は。奇をてらってますｗ
うすく笑う、なんかはほとんど手癖で書いてました。二回目のうすく笑う、は漢字のひらきかたが違ったりして、こういう脇の甘さはなくしていきたいです。
タイトルは、これしかない、と思ってつけたのでウケたのは本当によかったです。
ありがとうございました！

＞ゆうすけさん
太陽の活動の影響か、星の位置の支配を受けているのか、ときおりこういう文章が思い浮かんできて、その感覚がとても好きですｗ
飢餓感、については本当にそうですね。なんとなく流れででてきたこの一文をタイトルにしたのまではよかったのですが、本文とはあまり調和していなかったかな、と今は思います。こういった脇の甘さをなくしていきたいです。ありがとうございました！
No.5  ゆうすけ  評価：30点  ■2012-07-29 19:07  ID:dZDA6s9Jnbw
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拝読させていただきました。
「夜は喘息を患っているから、慢性的に酸素が欠乏している」←背筋がぞぞぞっとくる、痺れる文章です。文章センスのない私には書けません。

タイトルにある飢餓感をあまり感じなかったので、なにかこう満ち足りない感じ、一緒にいても一緒じゃないような、食っても食っても食い足りないような、交わっても交わっても虚しいような、底知れない飢えが欲しい気もします。
No.4  Phys  評価：40点  ■2012-07-29 18:51  ID:rokNX3sV0fg
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拝読しました。

こんにちは。
ねじさんも仰っていますが、激しい描写からも、作者様の優しさを感じられる
のはいいなあ、と私も思いました。リハビリでこの水準なのですか……。私が
練習で書いたら、小学生の作文みたいになってしまうので、羨ましいです。

モチーフは割とビビッドなものでしたね。粘液、臓物、など艶めかしい表現が
際立っていて、今まで読ませて頂いた弥田さんの作品とは雰囲気が違うような
気がしました。

>くちびるでそっとすくって、くちうつしで注いだ。女はそれを、喉を鳴らして啜った。僕がうすく笑うと、彼女も笑った。頬が紅潮している

この一節が特に好きです。ひらがなの使い方が絶妙で、独特の柔らかさが出て
いました。ただ、『うすく笑う』は後半でも重複していたので、ちょっとだけ
しつこさみたいなものを感じました。（指摘するような点ではありませんが。汗）

>わきあがる飢餓だけが踊り狂う夜
個人的に、タイトルで締める掌編は、なんだかあざとさを感じてしまうときも
あるのですが、本作は違和感がなくて良かったです。ばしっと着地が決まって
いました。

また、読ませてください。
No.3  季織  評価：30点  ■2012-07-23 03:08  ID:pt5S5l.1Z4I
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　こんばんは。読ませていただきました。

　緑の粘液とか鱗とか、すごく好きな感じでした。魚類の鱗……大好きです(笑)
　激しく愛し合いながらも奪い合っている感じが良く出ていると思います。奪い合えば奪い合うほど満たされない感じってありますよね。まあ、私だけかもしれませんが……。
　ふくらましてもっとたくさんの意味を与えていくのもいいかとは思いますが、これだけでも十分楽しめると私は思いました。

　素敵な作品を、ありがとうございました。
No.2  弥田  評価：--点  ■2012-07-12 23:12  ID:ic3DEXrcaRw
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感想ありがとうございます！

実は比較的硬めの文章にしてみよう、と意識して書いてみたのですが、どうにも失敗してしまったようです。薄っぺらな要因のひとつでもあるような気がするので、次はもうちょっとどうにかしてみたいです。

ありがとうございました。
No.1  ねじ  評価：30点  ■2012-07-12 19:13  ID:uiv4pJVFId6
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読みました。

性的でグロテスクで暴力的ではあるものの、不思議と柔らかいというか、優しいところがあるのが弥田さん的でよいなあ、と思いました。また読ませてもらえたことに嬉しくなりました。
短いせいかよいなあ、以上の何かが感じ取れなかったのと、ちょっと難しいというか硬い言葉が浮いている部分があるが少し気になりました。

ありがとうございました。
総レス数 6 　合計 130点

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