アルビノの花

 あたしは結局最後まで、先天性白皮症の事はよく分からなかった。それはあたしが無知だったからというわけではなくて、彼があんまりにもやわくぬるい双眼鏡であたしを眺めていたからでもなくて、あたしがまるで人間じゃなかったからでもなくて、多分、彼がまるで人間のように透明で柔らかかったからである。

 そこは日が暮れた夜の街で薄くオレンジ色が灯る、とにかく暗めの部屋だった。彼には西洋風でお洒落な椅子と机が与えられていて、机の上には分厚い、丁寧な装丁の本の山と銀色のノート型パソコンが整頓されて置いてあった。その中央で、長い蝋燭がたったひとつ、ぽかぽかと燃えている。揺れる炎の明かりに彼の白い頬が照らされる様と、彼の閉じた瞳のまつげの長いことに、あたしはただただ見惚れていた。だからあたしはその飾られた芸術作品のような姿をみて、最初は子猫として彼に近付こうと目論んでいたことなど忘れ、堂々と元来の姿で部屋の窓を覗き込んでいたことに気が付かなかった。
「だれ?」
 ふわり、羽が揺れるように彼が喋った。あたしはその白い見た目も併せておとぎの国の王子様みたいな声だと、ぼんやり思った。
 あたしはすっかり子猫の鳴き声を返しかけた。しかし口を開いたところで吸いこんだ空気の量が多いことに気がついた。そして、思わず自分の足元、てのひらを確認する。あ、と思った。
「ねえ、だれがいるの?」
 しかし彼はあたしに目もくれず、瞼も上げずにあたしを呼んでいた。吐息を乗せて開く唇が、蝋燭の炎に照らされて揺れている。
「ごめん、僕は、目がよく見えないんだ」
 ふわり、と彼は瞼を持ちあげた。
 あたしはその瞳の美しいことに、一瞬にして世界を奪われた。
 雨が上がって晴れ渡った空が帰ってきたような感覚でも、好きな人が突然いなくなってしまうような感覚でもなくて、とにかく、骨という骨が「たいへんなことを見ている」とギシギシ軋み始めたような、騒々しさだ。その視線は確かにあたしに向いていないのに、彼と目が合ったような気がした。その感触がひどくじっとり、湿気を含んでいたのが強く印象に残る。
 彼の見目は非常に麗しいと共に、ひどく珍しかった。青年のような顔立ちなのに、うなじまで伸ばされた髪は白色で、肌の色も見たことが無いくらい白かった。輝く白というわけではなく、青い血管が見え隠れするくらい生気のない白であった。これはむしろ透明、と呼んだ方が相応しい。そしてその白、透明を強調するかのように黒いワイシャツに身を包んでいる彼からのぞく四肢すべてがほそっこく、同じく透ける白色をしていた。唯一彼がまとう色彩といえば、すこしばかり赤っぽく染まった頬と、長いまつ毛からのぞく瞳の色だった。
 ひどく印象的なその色は、ただただ薄く、青かった。
 彼の観察を隈なくしている最中、彼の唇が突然動いた。あたしは反射的に身をかがめる。けれど、その声音の優しいことに気付いたらすぐに体勢を元に戻した。
「窓からの、侵入者さん。ねえ、やっぱりきみは、言葉は知らないかなあ」
「知ってるよ」 
 あたしがすかさず質問に答えると、彼は驚いたように、肩をビクリと反応させた。人が来たとは思っていなかったようだ。その珍しい見た目や佇まいから少し怪しかったが、彼はどうやら普通の人間であって、あたしの外見などを気配で分かるというわけではなさそうだ。そんな気がする。
「……うつくしい、声だね」
「そうかな?」
「うん、そう」
 彼のうつくしい瞳は笑っていた。依然として身体や顔の位置は変わらないのだが、少しだけ首を傾げて肩をすくめているようだった。周りの情報を得るのに視力をまるで頼らないという姿勢がよく見えた。
 なにより、あたしは目がそらせないでいた。目の前の、彼が生きているという事実に。
「ねえ、突然だけどさ。思ったんだけどね。あたし、あなたの心臓を欲しがっているよ」
 言いながら、とくんと心が鳴る。それが次第に頭の中を支配していった。あたしは高鳴る鼓動の音というものを知る。もしかして、これのことなのだ。何かに強く惹かれるということは。
「すごく、うつくしいもの」
 あたしは自分が、幼子が親に色彩豊かな飴玉を欲しがるような夢と希望に溢れた表情をしているんだと思った。
「おねがい、ちょうだい」
 今まで、他人の心臓を自らねだったことは無かった。隙を見ては、捕って食らうような行動ばかりだったのに、いまは両手を合わせて欲しがっていた。この大きな大きな欲求を上手に満たしたかった。
「きみには欲しいものがあるの?」
「うん、そのとおり」
「僕に叶えられる?」
「うん、きみにしか、出来ない」
 言いながら、彼はゆっくりと瞳を閉じる。あたしは全身が落ち着かなかった。餌を待ちわびる子犬の気分である。実際に犬に化けて褒美のおやつを尻尾を振りながら待った経験があるから、この比喩は確かなものだ。
「じゃあ、僕のお願いを叶えてくれたら、いいよ」
 これぞ等価交換ってやつか、なんて、先日若い女のひとの部屋で読んだ漫画を思い出した。 
「あたしが疲れるようなことは、したくないなあ」
「でも、おねがい。きっと、最後のおねがい」
 彼はすっとこちらを向いて、ねだるように言った。声のする方に顔を向けて、お願い事をするべきだと思ったのだろう。依然瞳は閉じたままの静かな面持ちに、少しだけ我が儘が彩られる。満たしたいものが、あるのだろうか。
「聞くだけ、聞くよ」
 あたしは自分の欲求が満たされないかもしれないという不安を与えられて、少しテンションが下がっていたので、先程よりぶっきらぼうな言い方になってしまった。
 それからすこしの沈黙が訪れた。彼はなにかを熟慮しているようにも見えたし、ただ蝋燭が燃える音に耳をすましているようにも見えた。
 その後、ちょっと眠くなったあたしの耳に、かたん、という音が届いた。世界の全部の空が渇くような音だと思ったら、彼の声だった。

「僕を、看取って」

 そう言った彼の唇の白いことは、あまりにも非現実的だった。あたしは息を呑む。それは彼の発言に驚いたとかではなくて、彼のそのうつくしい瞳が薄く見えたから。またあたしの身体のひとかけら分を、彼は持って行ってしまうような錯覚を起こした。そんな景色に見惚れながら、あたしは良く考えもしなかったからすぐに彼の要望について答えられた。
「いいよ」
「ほんとう?」
 彼の声が少しだけ上擦る。
「死ぬのを見ろってことでしょ?」
「うん」
 彼が死ぬのを見る。そしてそのまま心臓を貰える。なんて完璧な道のりなんだろう。あたしはそれを手に入れた瞬間を想像し、とろけそうになる。
「いいよ」
「絶対だよ」
 うん、と呟くように言いながら、楽しくなって、自然と上がる頬肉に両の手のひらを当てた。こんなうつくしいものを手に入れることが出来るのだ。これはまるで恋をするおとめのような情景だろうと自嘲しながら、あたしは空中で指きりげんまんをした。彼には見えていないのだろうと思うと、やはり少し可笑しく思った。

 ***

 幸い、彼のいる部屋は一階にたたずんでおり、あたしが人間として会話をするには丁度いい高さに窓の縁がある。彼はきっと、近所の好奇心旺盛な少女が自分の家にもぐりこんだだけのものだと思ってるのだろう。いつも暗がりでよく見えないが、花壇に植えられた多分鮮やかである花々や、所せましと並んでいる樹木を抜けた真ん中にあるのがこの屋敷である。屋敷を囲む庭園、庭園を囲む洒落た格子をあたしは軽い身体でするりと抜けて橙の灯る部屋に向かい、彼に会いに行った。
「来たよ」
 あたしは窓の外から彼を呼んだ。彼は白い髪を揺らして、顎を上に向けた。それから、
「こんばんは」
 と喋った。それから、口角がすこし上がったようにもみえる。
「来てくれてありがとう」
「あたし、暇だしね」
「そうなの」
「まだ、看取らなくていい?」
 とあたしは訊きながら、さらに彼が顎を引く様子に被せるように言葉を続けた。 
「あたし、待ちきれないよ」
 彼が唇を噛んだ。それから瞳を薄く開いて、「ごめん」と零す様に言った。
「まだ、たぶん、死なないかも」
 ごめん、と彼はもう一度、言った。あたしはその睫毛の隙間にある割れそうな青にまた心奪われ、ぽーっとその色を見ながら「うん。仕方ないよ」なんて、頬杖を付きながら言う。
「きみはずっとここにいるの?」
「残念ながら、僕はあまりここにはいないよ。生まれてからずっと、太陽の光に弱い体質なんだ。だから、窓のあるこの部屋にはあまり出入りしないんだ。だけど、日が暮れたら、僕の苦手な太陽がお月さまとバトンタッチしてくれるから、僕はここに来る」
 あたしの暇潰しみたいな質問に、彼は丁寧に答えてくれた。
「ここが好きなの?」
「好きだよ。ここは亡くなった父が生きていた場所なんだ。父はこの椅子に座って、難しそうな本をこの机に積み、窓を指差して僕に言ったんだ、“お前はきっと、太陽のあたたかさを知ることは出来ないだろうけれど、代わりに透明なものを持って生まれた”、と」
「透明なもの?」
 あたしは彼の脆い声音に心地よさを覚え、気付けば次々と質問をしていた。
「僕は先天性白皮症という症状を身体に持っていてね。色素が作れない身体なんだ。父がいう透明なものって、多分、この肌のことだと思う」
 センテンセイハクヒショウ。あたしは彼がなにを言っているのかよく分からなかった。
「色素がないと、困る?」
「困る、かもしれない。色素のある生活をしたことがないから、よくわからないよ。けれど、目がよく見えないのは、困りようだ」
「きみは色素が無いから、太陽を知らないの?」
「うん。太陽が放つもので、良くない影響がでる病気なのさ」
「病気だから、死ぬの?」
「うーん……。別にこの病気だから、ってわけじゃないんだ。僕はこの病気の中でも、また珍しい、感染症にかかりやすいという特殊な症状を持っていて」
「ふうん。不幸そうだね」
「そうだね、そうかもしれない。お医者さんにもよくわからない病気を飼っているのは、幸せなことではないね」
 彼は、くくく、と笑った。自嘲しているはずなのに、あまりにも可愛らしく無邪気に笑うんだと、あたしは不思議に思った。
「ねえ、きみの名前は?」
 唐突に、今度は彼があたしに質問した。あたしは急に言葉に詰まって、頭の中が真白に染まる。身体の心臓の音を聞いて、少し背筋が凍った。あたしはそんな自分に、戸惑いや、それを越した軽い恐怖を感じる。――おかしいなあ、あたし、いつもは上手くできるのに。彼に嘘はつけない、という縛りが喉を締め付けた。
 この知らない感情に、驚いて、焦る。身体の不調だろうか。いや、そんなことはない。しばらくは正常に、そして要領よく扱えていたはずなのに。
 彼はあたしが黙ったのを不思議に思ったのだろう、うん?という表情で小首を傾げた。それから、理由を思いついたのか、眉間にしわを寄せる。
「――……もしかして、無い、とか?」
「……うん」
 あたしはちょっとしょんぼりとした。人に聞かれて、正直に答える名前が無いというのはやはり寂しいものだと思ってうつむく。頭の片隅で、ほら、こんなに単純に違う感情に支配されるんだ。戸惑いなんてすぐに忘れてしまうよ、という心の声に耳を傾けていた。
 あたしのそんな落ち込んだ様子に気付いたのか、彼はあたしに明るくこう言った。
「じゃあ、僕が名前をあげよう」
 胸がどきりとして、嬉しいという不思議な名前をした気持ちが零れる。
「ほんとう?」
 あたしが顔を輝かせたことに彼は知っていたのだろうか、彼は目を細めいたずらっ子のような顔をして、こう言った。
「いつかね」
 この日はすっかり、彼にしてやられた。


***


「こんばんは」
 この夜は、彼の方が先に挨拶をしてきた。あたしはそんな彼の不意打ちに身体を揺らして驚くほど、心が穏やかでなかった。
「三日ぶりだけど、なんだか、元気がないの?」
 彼の声は心なしか明るい様に聞こえた。
「……どうして、そんなことを聞くの?」
「なんだか、ほら、足音に元気が無かった」
 彼の声が明るく聞こえるのは、あたしの胸が痛いからなのだと気付いた。
「…………」
「きみと最後に会ってからずっと雨が降っていたけれど、今日は晴れたみたいだね」
「…………」
「ああ、やっぱり太陽の下で生きるってのは、大変そうだね」
「……そうなのかなあ」
 ため息をついて、あたしはやっぱり窓の縁に頬杖をついた。ひとつひとつに動作にあわせて、胸のあたりがキリキリとした。雨が降るととても痛くなる場所が、騒がしい。またひとつため息をついて、この胸のもやもやを吐きだそうとしたけど無意味なことだった。出てこない意地っ張りみたいなしがらみが根付いたままだ。
「ねえ、じゃあ、あたしの話をきいてよ。どうせひまなんでしょう」
 あたしは誰かに話すことで、解消しようと思った。人に愚痴をこぼすことはストレスを溜めないのだと、テレビで見た気がするのだ。
「ああ、いいよ。いくらでも聞くさ」
 彼はゆらり、笑う。あたしはそんな彼をみて、また少し胸のあたりがきりりと傷んだ。
「女の子が死んだの」
 あたしはこの目で見ていたものを頭の中で再生しながら話す。
「死にたかった女の子なの。そして、死んでもいいよって許された彼女はやっぱり死んだの。雨の日が続くとあたし、頭の中がその子のことですごく支配される」
 彼は少し顔を歪めた。そして、耳を澄ますように顎を引く。
「あの子は雨の強い日に、たくさん泣いていたよ。すごくすごく死にたかったみたい。生きてる意味なんてない、とか、私がいなくても世界は変わらない、とかそんな悠長な考え方なんかじゃなくって、もっと大きくてヒトの手のひらなんかじゃ掴めないくらいの自殺願望を溶かして、身体中に流し込んでいたの」
 名前も知らない彼女の土砂降りの涙を聞いていた音を思い出す。ざあざあ。ざあざあ、と。
「……生きるってそういうことなのかなあ」
 あたしはその泣いていた姿が死んだ様を目に浮かべる。
「死んじゃうって、こういうことなのかなあ」
 あたしは頬杖を解いて自分のまっさらな手首を見つめた。
「死ぬのが怖いの?」
 彼はぽとん、とおとし物をするように言葉を零した。それがあたしへの質問なのだと気付くのに少し時間を要するほど、あたしの方に声は向いていなかった。だって、彼はその言葉にどこか自問をするような気配を孕ませていたから。
「……分からないよ。死んだことないから」
 あたしは彼のその様子が気にかかって、質問自体はあまり考えずに最初に思った事だけを言った。
「ふ、それもそうだね」
 彼はあたしの答えがおかしかったのか、くくくと笑った。
「死んだ彼女は、好きな人のことを想っていたの。それだけが心残りで、結局恋情は死にたいという感情には勝てなかったけれど、死んでもなお彼女は好きな人のことを想っていたの」
「そう。ロマンティックだね」
「ねえ、彼女は幸せだったと思う?」
 幸せなんかであるものか。死んでしまったのなら意味はないし、死にたいと思えないあたし自身彼女の考え方はいまいち分からない。結局将来に見込みがないと割り切った彼女が幸せなんかであるものか。あたしは彼に答えが分かっている質問をした。
「それは、彼女にしか分からないよ」
 彼の口角は幸せそうに上がったままだった。なんだか、あたしはすぐそこまで心地よくないものが迫ってきていると思った。
「あたしはね、彼女の気持ちがだんだんと恐ろしく感じて、たまらなかったの」
 その不安を押し出したいが為にあたしの舌がよく喋る。
「そう」
 彼はゆっくり相槌を打つ。
「もしくは、既に彼女の感情にとらわれていたのかもしれない。長く眠っていたような気もしたんだ。欲するままにあたしは彼の傍にいて、夢が覚めて、あたしの中の彼女はいなくて。あたしの身体で成りえなかった自分を作り出していた彼女はもういなくて」
 あたしは痛くない程度に自分の唇を噛む。
「彼女の好きな、彼が立っていたよ」
 ふと目を向けたら、彼は瞼を閉じていたから、あたしの話を聞いているのか聞いていないのか判断がつきにくかった。不安になったあたしは、話の途中にこう質問する。
「ねえ、この話、つまらない?」
 彼はこの言葉を聞いてすぐ、やわらかく口角を上げた。
「そんなことないよ。君の話はひどく珍しい話だ。父のどんな書物にも無かったよ。だから、すごく集中して聞いていたのさ」
 そして彼は話の続きを促す様にまた沈黙する。あたしは安心して、彼の白い耳に届くようにと話を続けた。
「彼は震えていたよ。そしてなにより、あわれだった」
 心臓がきりきりと鳴る。たぶんきっと、いまもなお彼の心臓の傷んだ部分が爛れているのだ。
「彼はずっと考えていたんだ。彼女のこと。もう少し長く生きてさえいれれば何か変化があったのかもしれない。若しくは自分が早く自立して彼女のことを養えるようになれば、彼女を守りながらそばにいれたのかもしれない。あんなに考えたけど、あんなに悩んだけど、死ぬのは、やはり良くないことだ、って。あたしはそんな取り返しのつかない彼に同情して、また彼がひとを愛せるようにと思った。だってあんまりにもかわいそうなんだもの。だから、また適当に住居を探して、善良な人間とひっそりと暮らしていけると思った」
 あたしは息を吸って、吐く。
「それでも彼はあまりにかわいそうだった」
 彼は依然静かにあたしの話を聞いていた。
「結局誰も何も見ることも出来ないで、苦しい苦しいと嘆くんだ。長くて古い後悔に打ちのめされて苦しい苦しい、と。あたしは、最後には彼に意識をとらわれて、また心臓が増えた。彼にとって憎くて痛々しい女性の心臓をひとつ、手に入れたんだ」
 ひと呼吸を置く。あたしの言葉は中々途切れない。彼は静かに聞いている。あたしは自分の拳を強く握しりめた。
「その彼女に積もっていたのが嫉妬とか、ジレンマとか、欲求不満とか、赤茶けた下水道みたいな泥。優しくしてもらえない自分への嫌悪感とか劣等感とか、個人への気持ち悪いくらいの執着。その感情を手に取ってみたらね、すっごい汚くて、とても人の舐めるものじゃないと思ったよ、恋情なんて。あたしはもう、なにも分からなくなってきちゃっていた。その彼女の気持ちは哀れなほどに叶わないもので、妬みばかりが募っていた。彼の気持ちは哀れなほどに叶わなくて、後悔ばかりが積もっていた。あの子の気持ちは痛いほどに、キリキリと固まって動けなくなっていた。ねえ、心臓って痛いものなの?」
 訊いたけど、彼は質問に答えなかった。あたしはそれでも話を続ける。
「あたしはこうして人間みたいに生きてね、少し嘘をつくことを覚えたんだ。人の化けの皮を食べるんだ、とか、生きているのが素晴らしすぎる、とかね」
 あたしはブレーキをかけずにずいずいと突き進む。そういう風に話しながら、どことなく彼ならあたしを許してくれるような期待を抱いている自分に気づかなかった。
「名前が無いのは悲しかったから、適当に名乗ることも覚えていたの。……覚えたはずなの」
 風が吹き込んだ。夢みたいに、ぬるい風だった。
「うん、そう」
 彼はゆっくりと顎を上げた。息をゆっくり吸うようにも見える。あたしはなぜ、彼に名前を問われた時、適当に答えられなかったんだろうか。そう考えながら眉間にしわを詰めるあたしに、彼は痛い言葉をひとつ、あたしに浴びせた。
「それで結局、きみは一体誰なんだ?」
 ズズズ、と何者かがあたしの中枢を鈍器で押しつぶす音が響く。
 あたしは彼に答える言葉がひとつも見つからなかったことを、痺れるほど痛く感じた。このぬるい風がひとつ吹くたびに胸が痛んだ。あたしの手のひらが驚くほどからっぽなことなんて、ずっと前から分かっているはずなのに。
 あたしがあまりに絶句している様に居た堪れなくなったのか、彼はとつぜん一言、こう言った。
「チアキ」
「……チアキ?」
 あたしはその三文字による彼の意図が掴めなかった。彼の髪があたしの開け放った窓から吹き込む風によってふわりと揺らぐのに気を取られる。
「ちょっと珍しいんだけど。千の空って書いて、チアキと読ませるんだ」
 あたしは風が止んで彼の髪が少し乱れた形で落ち着くのを見ながら、千空、と心の中でひとつ呟いた。
「僕には、こういう名前があるんだ。いいだろう」
 彼は意地悪そうに笑った。けれど決してあたしの方に顔を向けなかった。しかしその勝ち誇ったような頬が、ひたすらに愛おしいと思ってしまう。ずっとあたしを支配している黒々とした、もやもやさえ忘れて。一体この感情は誰の仕業なのか、あたしには皆目見当つかなかった。


***


「こんばんは」
 また別の夜にあたしは彼の部屋に訪れた。彼はあたしの声に直ぐに反応して、「こんばんは」とにこやかに返してくれた。
「千空」
「なんだい」
 彼はあたしが初めて名前で呼んだことが嬉しかったのだろうか、心なしかにこやかに返事をしてくれた。あたしはそんな彼が心がぎゅうっとなるほど触れたいと思うのだ。そしてこの間の彼の勝ち誇ったような笑みさえ鮮明に思い出してしまう。
「なんでもないよ」
 あたしは言いながら、この間は雨が降ってとても胸が痛かったから、あたしらしくなかったんだよ、なんていう言い訳の仕方を探していた。それと一緒に、次に会う時には普段のあたし通りとても元気にいようと思ったのに、なんだか上手く頬肉が動かない。それがなんだか歯がゆい。
 忽然と、しばらく沈黙が続く。なにか話すことを、と思考を巡らせているのに、上手い言葉が出てこない。今日は、愛おしい彼にプレゼントを用意してきたのに、上手く出来なくて泣きたくなってしまった。折角の品が、薄汚れて見える。不自然に黙り込むあたしに千空が、
「ねえ、ずっと聞きたかったんだけど。どうしてこの家を訪れたの?」
 と、尋ねた。あたしは次会うときにはとても元気でいよう、このプレゼントは喜んでくれるだろうか、なんて考えていたのをゴミ箱に放るかのように直ぐ手放して、頭の中がその質問の答えを探すことだけに集中した自分の単純さを実感しながら、その夜のことを曖昧に思いだし答える。――暗闇の中の、四角いオレンジ。
「夜中に、薄暗い灯りがともっていて、そして窓が開いていた、から」
 あたしは言いながら、それだけじゃないかもしれないと思った。あの夜のこの灯りはもっと別の特別があったんじゃないかと。こういう出会いがあった後だから感じるものではない、もっと、彼自身が作り出す光景に引っ張られた気がするのだ。
「こんなに大きな屋敷とは知らずに、入ってみたんだ。そしたら、偶然千空がいた」
「――ふうん。なるほどね。でも、多分僕は、夜にはいつでもここにいるから、それは必然でもあるかもしれないよね」
 千空が首を傾げてちょっと笑った。彼の中途半端な襟足が、身に纏った清潔なワイシャツの襟に掛かる。千空が楽しそうだったから、あたしも楽しいなあと思った。頬肉が自然に、解凍されたみたいにゆるくほどけた。それから、この和やかなタイミングであたしは事前に用意してきた彼のためのサプライズ品を紹介することにした。
「あのさ、千空が暗がりでも楽しめるいいものを持ってきたの」
 うん?と首を傾げる千空をよそに、あたしは胸が躍っていた。人にものをあげることは、こんなにもわくわくして、どきどきすることなのかとその新鮮味がとても美味しくてたまらないのだ。
「いい匂いのする花を、育てようと思って」
 そう言って、窓の縁に土のこびり付いたそれをどん、と置いた。半径はおよそ十五センチ程の、一般的な植木鉢だ。中には茶色いふかふかした土が敷いてあって、そこから発育旺盛気味な蔓がいくつも絡まり合っていた。つやつやした小さな緑の葉っぱが可愛らしく見える。通り道で、他人の家の花壇から拝借したものだ。
「花?匂いは、しないけど」
 千空は首を伸ばして、小高い鼻の先で匂いを探す仕草をした。あたしはふふっ、と笑いながら、
「うん。だってまだ、咲いてないし」
 と言った。そしたら千空は拍子抜け、という風に瞳を少し開けて、
「咲いてないの?」
 と驚いていた。あたしは彼がなんで驚いているのか分からないから、なんの疑問も持たずすごくすっきりと答える。
「咲いてないよ。この花のことよく知らないから、実は本当に匂いがするかも分からない」
「じゃあ、どうするの?」
「え?もちろん、育てるけど」
「これは苗をプレゼントしてもらったってこと?」
 千空が不思議そうな顔をして、指でまろやかな顎を触った。
「うん。まあ正しくは、その辺のおうちから借りてきたんだけどね。それが苗なのかもよく分かんない。ええっと、花の名前は――“茉莉花”って書いてあったかな。でも大丈夫、けっこう蔓も伸びてきているし、すぐ咲くはずだよ」
「“茉莉花”――ジャスミン、かな?匂いの強い花だったような記憶があるけど」
「ほんとう?」
 よかった、とか、うれしい、とかと一緒に、神様ちょうどいいものをありがとう、と思った。
「あたしね、咲くまで待てないなあと思ったの。あたし、誰かにプレゼントをするのとか初めてで、それがこんなにうきうきしちゃうものだとは知らなくて。うっかり、早く渡したくてしょうがなくなっちゃったの。千空、良い匂いのするものなら楽しめるはずだって思い立ってから、我慢出来なくてね」
「もう。きみはばかだなあ」
 千空は耐えられなくなったように吹き出して、お腹を抱えて笑いだした。喉で苦しそうに息を吸う。
「そう?ばかなのかなあ」
「うん。ばかだと思う。それと、すごく嬉しいよ。ありがとう」
 彼は笑いながらあたしに言った。笑いすぎて苦しそうだったけど、あたしはまた彼の一面を見れて素直に嬉しいと思ったのだ。
「じゃあ、そこの窓のところに置いておくことにするよ」
「うん。あたしも世話してあげるよ。なんだか、千空ひとりじゃ不安だし」
「そう、有難う。心強いよ」
 千空はまだ笑っていた。それがあんまりにも長いからあたしは恥ずかしくなってきて、「笑いすぎだよ」と注意した。そしたら千空は片手を肩のあたりまで上げながら、ごめんごめん、と繰り返すのだった。
 それからあたしたち二人が交わす話題は中々尽きなかった。と言っても、あたしが外でぶらぶらと散策している中見つけた面白いものの話とか、いま間借りしている住人と一緒に見た邦画の話とかをあたしがするばっかりで、千空はそれをうんうんと聞いているだけだった。あたしは自分だけが話している状態にやっと気がついたとき、千空にこんな質問をした。
「ねえ、千空はいつも孤独そうだね。誰か、話したり、面白かったりする友達はいないの」
 すると千空は考えるように視線を下に向けて、また細長い人差し指でその顎を撫でた。それが千空の変な癖なのかもしれない。
「友達、はいないのかもしれない。そういう機会もないし。家族や使用人とも上手くコミュニケーションが取れないんだ」
 心なしか、声音に元気が無かった。
「なにそれ、変なの。家族でしょう」
「人の家の事情には色々な色があるものだよ」
「でも、兄弟とかは、仲よしであるものでしょう」
 これもソースは前述した先日若い女のひとの部屋で読んだ少年漫画である。 
「僕はこの家の一人息子でね、特に兄弟はいないんだ。父も既に亡くなっているし――」
 ここで千空はぐっと表情に陰りを纏わせた。あたしはびくり、と胸を騒がす。
「母は再婚して、知らない男の子供を孕んでいるらしい。妊娠していることは隠しているみたいで、僕はこのことを使用人から聞いたから母はもう僕に何の望みもないんだと思ったんだ――。だから、ただ僕は、とても嫌な言い方だけれど、その子が男の子であろうと女の子であろうと、どんなに可愛い姿で生まれてこようと」
 あたしは空が曇ってきて、雨のにおいが鼻をくすぐる感覚を思い出した。これがちょうど、そのような湿気た空気感だったのだ。
「――僕は多分、とても妬む」
 千空の透明が陰った。その様に、あたしは指先が震えるほど動揺した。千空が生きているという事実が目の前にあることを思い知らされる。その陰った透明から、濁った笑みが千空の口角から零れているのが見て取れた。
「生まれてくる子は何も悪いことをしていない。悪いのは母だ」
 千空の心臓の色が汚れてしまうと思った。あたしはとても焦るけれど、何も出来ない。
「僕は母のことが嫌いだった。父の前ではおしとやかでよき妻としていたのだけれど、使用人などには父や親族の愚痴ばかりだし、僕の短命を知っていたからかあまり関わろうとしなかった」
 千空の人形みたいな白い肌にしわが寄る。こんなにあからさまに表情を変える彼を目撃して、あたしは動揺し続けた。でも、何故か、少しだけしょっぱいくらい心地良いのはなぜなのだろう。
「――と、まあ。そんな感じで、知り合いは少ないんだよ。担当医とか、使用人とかとしか話したりしないからね」
 あたしの怯えたような反応を察したのか、千空は少し慌てて口調を和らげ、和やかな雰囲気を取り戻そうとしたのが窺えた。でも、あたしは千空のことに恐怖に似たものを感じながら、好奇心を抑えきれなくなっていた。ほとんど勝手に、口が動く。
「千空、話してよ。あたしも千空のこと知りたい。話相手ならここにいるでしょう」
 ね、とあたしは自分の胸のあたりに人差し指を当てた。彼に見えていないことなんて承知の上だ。それに気付くと、少しさみしく感じる。
 千空は少し押し黙っていた。あたしはその間に、窓の横にまとめられたカーテンが風が吹き込んだり止んだりするのに弄ばれるようにふよふよしているのを見つめながら、千空の匂いとかこの空間とかのぬるさに浸っていた。変な夜の匂い。夏が近い、湿っぽさを、肌で感じて、ちょっと感傷的になる。
 ぼんやりとしていると、千空がおそるおそる、と口を開いたのが見えた。その白髪が、許してもらいたそうに揺れる。
「――母は、遺産が目当てだったんだろうと思うんだ。僕はこの家のことあまり詳しく知らなくて。父は僕がそういう事情を知るべき年齢になる前にはいなかったし、母は絶対喋りたがらなかったから。使用人にもよく口止めをしていたようだし。それに、僕は母の幸せそうな笑い声を耳にするたび、憎くて、悲しくてたまらない。でもさ、それでも」
 すっと筋通りのいいそのつんとした鼻先に手の甲を押し付けて、千空は俯いた。それから、とても小さな声で、風と一緒に囁く。
「僕は死んでしまうよ。誰の目にも止まらぬ早さで」
 あたしは千空が泣くんじゃないかと思った。折れそうで、すこし人間臭くて、心配した。何か言えたら、何か言えたらいいのにと焦る。あたしはこの感情を言葉にしなきゃと思った。
「何ごとも無かったかのように、僕は死んでしまうよ」
 千空はもう一度言う。自嘲するように、少し笑みを含ませていた。
 あたしは、もう、千空のことばっかり見つめて、言い放った。
「ねえ。千空はお母さんに好かれたかった?」
 彼の目が開いた。青を見て、あたしは心が溶ける。
「興味さえ持ってもらえなかったのが、寂しかったんじゃないの」
 彼の口が、歯が、ちがう、と言った。まばたきの無い割れる青が、なにかを見つめだした。
「あたしそのお母さんのこと微塵も知らないけど。考えられることっていっぱいあるんじゃないの。千空をそういう症状のまま産んでしまった罪悪感とか、あまりたくさん関わってたのしいことをつくると、千空がいなくなったときとても寂しいとか。お母さんが再婚して新しい家族をつくるとき、千空は関わろうとしたの。きっと新しいお父さんのこと、嫌いになったりしたんじゃないの。お母さんがしあわせそうなのを悲しく思うのは、それが全然自分に向けられないのをさみしく思うからじゃないの」
 言いながら、なんだか千空に腹が立ってきた自分がいた。ちょっと情けないと思ったのだ。病気だけど、細いけど、生きてないみたいだけど、オトコのくせに。生きてるくせに。そう思った。
「あたしは千空がその病気に甘えているようにも見える」
 あたしは、自分がとんでもないことを言っているという事実に気付いているのに、喉に次から次へと言葉が流れ込んでくるのを拒まなかった。
「確実に、どうしたって千空は生きている人間だよ。病気だからってじっとしていて、誰かがなにかをしてくれるわけじゃない」
 あたしは自分の口がとても正しいことを言っているという保証はなかった。この頑固な感情は多分、好きな人を死なせてしまった人の考え方だ。正しくなんかないのに、自分の考えで許されようとする愚かな思考回路。自らに降る賽の目を見て、怯えて、好きな人の望むものを手に入れてもらおうとする自己満足。客観的に見れば、その人の頭ん中を操作しているみたいな感覚さえ手に入れられる。
「人から逃げてるのは、千空だよ。きっと今だってあたしからも逃げているの。お父さんがいなくなったことも、お母さんが別の人と幸せになっていくのも、認めたくないだけ。ましてや、その病気を言い訳に、自分が不幸だって公表してるの」
「そんなの」
 千空が口を開いた。寂しげで、強がっているみたいな感触がする。視線は依然、その高級そうなカーペットの上だ。
「そんなの、病気になったひとじゃなきゃ分からないよ」
「うん、分かんない」
 あたしは間髪いれず答えた。嘘はついていないし、つく必要もないのだ。だってあたしは、彼に心を開いている。あっけらかんと見せてみようとしている。でも、そんな真摯さと同時に、正義感みたいなものにまとわりつかれている気味悪さも持っていた。
「だけど、分かったからってなんなのさ」
 彼の深いもやの底が見えない。あたしが怖いのはそれなのかもしれない。どこまで抉ったら取り返しがつかないのだろう。あたしには皆目見当つかない。
「千空が欲しいものは、同情じゃないくせに」
 千空の渇きの真意に近付いている気がしてきた。でもそれは、わくわくでもどきどきでもなくて、しとしと、と雨が降るような静けさと湿っぽさだ。
「千空はどうしてあたしに看取ってなんて言ったのか、よく分かったよ。千空は寂しがり屋なんだ。自分で思っているより、一億倍くらい、さ」
 あたしはこの、“一億倍”を両手いっぱいのおおきなボールを持つようなジェスチャーで伝えようとした。手のひらを目一杯広げてジェスチャーしながら、あ、千空には見えてないんだ、と気付いたら胸の痛みが加速した。
「千空はマイナスで生まれてきたわけじゃない。なのに未だゼロなのは、なにもしていないからだよ」
 そうしてあたしがこうして彼のことに精一杯になりながら、彼をプラスにしようと演説している訳はよく分からなかった。ただただ、彼の汚れが払拭されて、また綺麗な千空が戻ってくるべきだと使命感に駆られていた。
 自分の喉が落ち着いた途端、あたしは糸が切れたようにふっと我に戻った。
 何を言っているんだろうあたしは。彼が病気なのは彼の所為なんかじゃない。彼は目が見えないというのに、人並みに生きろって強要するほうがどうかしているというのに。あたしは千空を傷つけた。深くて寂しいところにいる千空を、手放しで傷つけただけなんじゃないか……。
 彼に随分なことを言ってしまった事を悔やみ始めたのとほぼ同時に、千空がそろっと口を開いた。
「僕は、次に生まれるときには幸せになりたいんだ」
 千空は顔を上げて、瞼を伏せた。そしてその囁く声で空気と混ざっていく。あたしはその様に、急に胸に込み上げてくるものがあって、目頭が熱くなった。
「この世界じゃ、どうして生まれてきたのか、よく分からないから」
 その言葉は重かった。ごつごつとしていて、決して鋭利ではない。だからあたしの中に傷口が現れなくて、苦しくなった。血も液もどこからも垂れやしない。身体の中にある熟れすぎて腐りかけの心臓が、雪崩を起こしているような気分だ。
 それがたまらなくて、あたしは少し強めの口調でこう言い放った。でも、威勢がいいのは冒頭部分だけだった。
「どうして生まれてきたかなんてあたしも分からない。――ううん。あたしのがよっぽどわからないよ……」
 涙が瞳のふちからひとしずく垂れた。それを指ですくって、息を呑む。ひとつすくったのに、また別のひとしずくが次から次へと垂れてきていたのだ。
 あたしはその水滴に怯えるように、その窓から逃げ出した。あたしを呼び止める千空の声が聞こえた気もした。でも、あたしは逃げ出した。
 ぬるい風を切って、暗がりの木々や花々の隙間を駆けた。踏み切る足が地面に着くたび、胸が痛む。でも、ここで止まってしまったらこの痛いのが致死量に至るくらいどっと押し寄せてくるんじゃないかと思って、足を止めることが出来なかった。だって息を切らして走っている最中さえも、とっても不思議なことに中々あたしの涙は止まらなかったから。


***


 またやってしまった。彼のこととなると取り乱してばかりの自分に嫌気がさしている。頬をつねって、揉んで、自分のふがいなさに呆れる。ふう、とため息をつきながら、街灯を眺めた。あれから六日も経ってしまったのだ。
 まだ日は暮れたばかりで、西の空が少し赤っぽく滲んでいる。いつもより少し早めに彼のところに向かう街並みはなんだか感傷的で、でもいつもはよく見えないような色の屋根とか車の形とか、それから千空の家の敷地内の草木がよく見えるのは面白かった。
 草を踏んで千空の家の敷地内を歩く。いつもの窓の縁のところで、千空の姿を見つけた。心の準備が出来ていなかったのでおそるおそる近付いたのだけれど、千空にはそれがお見通しみたいに直ぐにあたしに話しかけてきた。
「もう来ないのかと思った」
 薄く笑みを浮かべる千空には、うつくしさが戻っていた。
「でもそれは困るなあと、思ってたんだ」
 その心臓の華やかで純で、蓄えた潤いが波打つのが見えてしまいそうだ。あたしはまたほう、と溶けそうになった。
「千空に会いに来たんじゃないよ。花の様子を見に来たの」
 感情と裏腹に、照れ隠しみたいなつまらない言葉を言ってしまった。彼に変な見栄を使い始めている自分に気がつく。千空はそれにずっと前から気付いてたみたいな雰囲気で、まだにこやかに目を伏せていた。
「そう。会えてうれしいよ」
「……うん」
「花は、順調だよ」
「ほんとう?」
 あたしは窓の縁の方に日が当たる様に置いてあるその植木鉢に目を向けた。茉莉花の植木鉢は新しく、余分な水を受けとるためのお皿が底に取り付けられていた。千空に渡した時ところどころ泥がこびり付いていた植木鉢の表面も綺麗になっている。花自体はパッと見ただけでは変化がつかみにくいが、少しばかり蔓が伸びてきているようだった。
「日向に置くのがいいみたい。ちょうど、きみが来るその窓は日当たりがいいから、まるで、きみがそのことを分かっていてこの花を持ってきたり、この窓から現れたりしたみたいだ」
 でも、そんなはずないよね、と千空は言いながら笑った。それはあたしを小馬鹿にしているようだったけれど、とても包容力のある口調だったから、あたしはすごく居心地がよかった。
 そんな揺りかごに揺られながら、あたしは引き続くセンチメンタルを言葉にした。
「ねえ、日向は嫌いなの?」
 その言葉をきいて、彼は薄く瞳を開けた。淡く壊れる青が空気に触れた。
「嫌いじゃない」
 彼は懐かしいものを見るような目をした。そしてひんやりとした空気に染みる言葉を、うつくしい唇から吐く。
「焦がれてる」
 あたしも、なんて言えなかった。彼の目の色を見ていたら、ぜんぜん、何にも言えなくなってしまったから。
「……槇の木はね、水に強くて朽ちにくいんだ。知ってた?」
 彼はふうん、と鼻を鳴らした。
「クリスマスツリーでお馴染みの樅の木の花言葉は、時間、だって。あたし樅の木の花なんて見たことないや」
「そうなんだ」
 あたしは自分が彼に一体何を喋っているのかよく分からなかった。今まで何を話していたのかも分からなかった。ただ彼のことに、気を、目を、奪われる。頭がぼうっとしては、彼のことに満ちたコップが溢れそうになるのだ。久しぶりに見たから、余計にそう思うのだろうか。ほんとうは千空に一日でも早く会いに行こうと思っていたのに、中々勇気が出なくて、何を喋ったらいいのか分からなくなったし、どうやって謝るべきなのかという点についても悩みに悩んでいた。
 それに気付いたあたしは、そんなもどかしさを彼に訴えたい、なんて感情が沸き出てしまっている。あたしはまるで第三者になったみたいに、制御できなくなっていく自分の感情を客観的に見ていた。それをどう片付けたらいいのか分からないから、どうしようもない。あたしは彼の長い睫毛を見つめた。彼はあたしからの言葉を待っているようで、首を少し傾げたまま静止している。いつの間にか日が完全に沈んだ、暗い夜の風は生温い。
 ああ、――あたしは彼に、心臓とかではない何かを求めようとしているのだ。予感が、すこし胸を痛める。
 彼に何かを言ったり言われたりすることで、こうやって空間を共有することで、今までにない感情が生まれてきている。それに怯えるべきなのか、受け入れるべきなのかもわからなくて、とても怖い。
「……あのね」
 口が開いた。なぜだろう、あたしには彼の心臓の眩しいことに心を奪われているはずなのに、心はまだしっかり此処にあるのだ。そして此処でギイギイと鳴く。
「……――あたしのことを話そうと思う」
「きみのこと?」
 千空は少し笑った。嬉しい、みたいな顔だと思った。今日彼が着ている真っ黒に塗られたシャツとその愛らしさが相反して、もどかしい。
「ね、千空は、あたしのこと、一体なんだと思っている?」
「うーん……。人間の、女の子、かな。夜遊びが得意な、ね」
 千空は「ね」の部分で首をちょいと傾げる。彼の白い髪が揺れた。
「あたしね。……あたし、ね」
 息が詰まった。あたしはこれから善くないことを言うんだろう、そんな罪悪感のようなものが押し寄せる。舌がぴりっとした。いますぐにこの舌を噛んだらどうだろう。無意味なことまでふっと思い付く。そんな、緊張感。
 口を開けて言葉を喉から押し出すという行為を意識的に行う、気持ちの悪い、感じ。
「……ねえ、時空警察って知っている?」 
 彼の表情が止まった。聞き慣れない言葉に、顔をしかめているようだ。しかし、あたしはそんな彼の反応は予想の範囲内なので、構わず話を進める。言いだしてしまったからには、はやく、全部言ってしまいたかったのかもしれない。
「時間と時間は繋がっていて、未来と過去といまがある。その間を行き来することなんて、出来っこないわけも無かった。そんな時代に、あたしが作られたの」
 あたしは彼の顔がまともに見れなくて、そわそわと手のひらを握りしめたり開いたりした。
「時間の自由が与えられた。それに人間だって人工的につくることが出来るようになったの。いまこうしている間だって人工脳の研究とかが進んでいる筈――でもね、そのふたつの自由は世界の秩序がどうのこうの、人権がどうのこうのって、困るんだって、すごく偉い人が言ったの。だからいまは時空警察っていう国家の雇われ者がそわそわと時間を管理していて、誰かが勝手に昔にいったり未来にいったり出来なくなった。それに、人間を人工的につくることも、ちゃんと禁止されたんだ」
 しなりと、何かが鳴る。木の葉を揺らす風の音が、鳴っているのだ。
「あたしを作ったのは、年寄りで白髪混じりの博士。博士は天使が作りたかったんだって。でも結局不完全で、博士は何年たっても心臓を作る技術が分からなかったし、あたしの外の形も安定しなかった。目が覚めたら目ん玉が膝小僧にいることや、片耳を口から呑みこんでいたことなんて、ざらにあるくらいにね。――多分とても危険なことを博士はしていたんだと思う。そんな風にこそこそと法律を破るやつらなんていっぱいいたんだ。……だから、やがて政府が人間の心臓に“ナンバー”を振り分け始めたの。勝手に未来に行っちゃった奴が誰だとか、これは人間じゃないとか、すぐわかるようにしちゃったんだ。いわゆるGPSとか、そういう感じにね。あたしにはどうしても心臓がなかったから、すぐに警察が博士の元に来た。博士は悪い博士だったから、ちゃんとちゃっかりタイムマシンも持っていた。博士は血相かえながら、それを使って、あたしをこの時代まで逃がした。あたしのこと、大事にしていたから」
 そこで博士のことを思い出して、初めて博士のことで胸がきしりと鳴った。初めての感覚に戸惑い息を呑んだけど、あたしの口はなにかに急かされているように語り続けた。
「でもやっぱり時空警察は優秀で、すぐにあたしを追いかけてきた。だからあたしが生きていくためには、この時代の人間の“ナンバー”が付けられた心臓を蓄えていないといけなくなった。しかも、その心臓は外部の物体であるあたしの存在をいつまでも保ってくれるものじゃないから、何個も何個も必要になった」
 だから、そうして、あたしは心臓という固体に侵されていくの。何も知らないままにこの世界に来たことや、考えたくないことに対して果てまで逃げてしまいたかったのも、どろどろに溶けていくの。あたしが手にしている彼の気持ちや彼女の気持ちも侵すことで救われたなら。救われたなら。
「きっと多分、いま使っている心臓はそろそろ駄目になると思う。時間がないんだ……。――そんなときに、千空を見つけた。あなたの心臓はとても高く麗しいから、あたしが手に出来ればとても潤うと思ったから、とても欲しがった。そして、いまもなお」
 彼等は報われたか。とても凛として冷たく、やわらかく、まろやかなものを象っている千空を見ているとそんなことばっかりが、頭の中を支配する。
「あたしは最初から生きてなんかいないの。あたしは人間にもなれなかった、ただの出来損ないなんだよ」
 自嘲した。あたしは笑うのを止めた。どうせ千空には見えちゃいない。あたしがどんな顔で、どんな格好で、千空を見ていようが、いまいが、見えちゃいないのだ。急に、そんなことが苦しいと思えた。
「心臓がなくなると、時空警察がやってくる。あたしはもう、この時代には居られないんだ」
 生きる意味などさらさらないあたしがなぜ生きることに固執するのだろうか。この気持ちはあの死んだ彼女と死なせた彼の心臓を手にとって味わってから生まれた。理由など。理由などない。あたしが彼等に支配されているにすぎないのだ。生きることにとらわれていたあの獲物があたしの胸を傷めていく。じくじくと。じくじくと。あたしは目の前の彼の、心臓を、心臓を、と、焦るのだ。
「ねえ、千空はまだ、生きてしまうの?」
 言ってすぐ、あたしは罪悪感というものを抱く。潰す様に抱く。中々潰れなくて焦る。あたしはとてもじゃないけど泣きたくなった。
「……ごめん」
 ごめんね、ともう一度、千空が言った。あたしは瞼をぱちぱちと開閉させてシャッターを切る。千空の白い髪は揺れる。その取り戻せない一瞬一瞬をどうしたらいいのか、あたしにはわからなかった。
「僕はまだ少し、きみと会話なんかをしていたいと思っていたんだ。……でもきっとそれは、叶わないことなんだよね」
 そんなことない、と返したかった。むしろもう、そう叫びたかった。けれど
「うん。うん、……そうだね」
 言葉を呑みこんで喉が潰れるような思いを、あたしは気が遠くなる程強く感じた。焦がれても焦がれてもどうしようもないことに、焦がれている。そうして、目が焼き焦げそうだ。こんな、こんな気持ちなのか。人を思うとは。人を思うとは。
 そして次に聞こえた千空の言葉は骨の髄まで届くとどめのように惨かった。
「でも、安心して。多分、もう僕はそんなに生きたりしない」
 彼は目を細める。その割れる青はとても遠いものを見ているようだった。何も見えないからこそ見える、とても遠いものを。
「だから、よかった。きみの望みも、叶えられるよ」
 胸の奥がぎゅうぎゅうと鳴いている。あたしの喉は絶句している。目の奥がかゆい。泣きたくない、泣きたくない。あたしの眼球の丸のひとまわりのすべては広大な乾燥地。どうか、そのとおりであって欲しい。
 あたしはあたしのことがよくわからなくなっている。そんな感触を気味が悪いと感じて、また千空に何も告げないまま踵を返した。がさがさと草むらを掻きわけて進みしゃがみ込んで嘔吐するふりをした。しかし外に出すものが胃の中にないものだから、噛み続けた指に痕だけが残ってしまった。


***


 ある夜のその洋室には、ついに誰もいなくなった。その分厚い本は忘れられたように中途半端なページを開かれたままであったし、千空を赤く照らす長い蝋燭の火は灯っていない。
 あたしは千空があたしの知らないところで死んだのだと真っ先に思った。生きていたみたいな痕跡のまま、透明すぎて蒸発してしまったのだと。
 しかしよく目を凝らして部屋を再度見渡すと、見慣れない紙切れが本と机の間に挟まっていることに気がついた。あれはなんだろう。あたしは自分の視力のよさに感謝しつつ、窓の縁を掴み、腕の力だけでこの軽い身体の半分を持ちあげる。そして片足を縁に乗せてから、足の力で再度全身を持ちあげた。そのまま身体を前に持っていき、とん、と土足で室内に着地する。
 室内は本の匂いと、知らない花の匂いで満ちていた。あたしはあの花が咲いたのだと思って辺りを見渡したが、机のわきに大きな花弁の赤い花が縦長の花瓶にいくつか差さっているのを見つけてしまい、期待というものが薄まってしまった。その予感は的中して、窓の縁にあった部屋の雰囲気と比べると余計見窄らしい植木鉢の中の葉は茶色がかっていて、すっかり元気を無くしていた。においを嗅いでみても、これといったものはない。あんなに元気よく伸びていた蔓も茶色くなってくたりと身を重力に任せていた。認めたくないけど、これは枯れてしまったと思うべきなのかもしれない。
 しゅん、としぼんだ心持のまま、あたしはおそらく上等なカーペットの上を泥まみれの足で歩き通し、机の上の紙切れを手に取る。白い余白が眩しくてその小さく素朴な文字列に気が付きにくかった。左から右に読むと、「二階の東の奥の部屋」と書かれているようだ。あたしは真っ先に、「東って、どっちだろう」と眉間にしわを寄せた。そしてこの紙切れは誰が誰に宛てて書いたのだろうか。少し悩んだけれど、これはあたしに書かれたものだろうと思うことにする。おそらく書き手、いや、送り主は千空だろう。彼は目が見えないから、誰か他の人に頼んで書かせたのだろうと思う。そして、千空はなんらかの事情でこの部屋にいない。会いに来たならこの部屋に来いと。
 そういうことなのだろう、と推理しつつ、部屋のドアを開けた。あたしは目の前に広がった空間に目を瞬かせる。ドアの先は右と左ばかりか、目の前にも天井にも果てなく空間があった。壁の絵画や手すりの文様など、そのひとつひとつから王子様が住むような、高級なにおいがする。
 天井を仰いで目に入ったきらきらを持て余すシャンデリアを見つめながら、あたしは呟く。ああ、どっちだろう。どこなのだろう。ニカイノヒガシノオクノヘヤ。ひどく遠い場所にあるような気がする。ああ、千空。どこにいるんだろう。

 とにかく歩いてみることにした。薄暗くて、人の気配も皆無である。そしてよく見てみるとこの家、いや屋敷はほどよく古そうな感じがする。風化しているにおいが漂っている。だからか、セキュリティはそこまでしっかりとしていないような雰囲気があるし、あたしがここまで散策しておいてなんの反応もないなら、ほんとうに張り巡らされてはいないのだろう。そう思うと、最初はそろそろと足音立てずに歩き回ったのも、慣れてくると背筋を伸ばして堂々と探り歩いていた。心なしかあたしの足はいつもより早足で、頭の隅で千空がもう既に生きてはいないことを想像していた。しかしどこかでまた耳を澄まして風の音を聞いているんだろうとも思っていた。その両方が交互にあたしのつま先で転がっていく。
 二階、と書いてあったのでとりあえずぎしりぎしりとしなる階段をのぼった。二階に辿りつくと、奥の部屋の扉が少しばかり開いていて、そこから白い光が漏れているのを発見した。あたしはその光から千空のにおいがすると思った。これは多分野生のカンではなく、女性のカンだろう、なんて少し笑う。足音を立てぬようにそろそろと扉に近づいたはずなのに、やっぱり彼はあたしのことに気がついたようですぐに声をかけてきた。 
「ああ、やっぱりきみか」 
 千空の声が耳に馴染む。あたしは返事をするより先に、金属のドアノブを掴んで部屋の扉を押しあけた。全体の古い見た目からギギギ、と鳴るかと思っていたのに、その扉は驚くほどスムーズに空気を切った。
 その部屋はとても白く、新品のような眩しさがあたしの目を横切った。壁、床、天井、カーテン等に至るまでどこもかしこも白くて、唯一カーテンに挟まれている夜空のうつった窓だけが黒々しい。そしてその窓際に置いてあるやはり白いベッドの中で上半身を起こした状態の千空があたしの方を見ていた。薄く、瞳を開けているから、その青色が酷く際立って鳥肌が立つ。白の世界にふたつの青色があたしを見ている、妙な空間だった。
「こっちの部屋で目が覚めたときに、使用人に、メモを書いておけと命じたんだ。きみが来て、僕がいないのは、困るから」
 千空に繋がれている沢山の管や、ベットの脇に置いてある難しそうな機械を見て、あたしは悪い想像をして背筋が凍った。大きな機械はテレビドラマ等で見るのよりごちゃごちゃとしていて、その機械は千空と管で繋がっている。ここは、無知のあたしでも分かるくらい、科学の先端的な部屋だった。それに気付くと、足のつま先まで冷え切っていく。
「きみにすごく悪いお知らせがあるんだ」
 喉が鳴った。横隔膜あたりが蕩けて身体中を這いずり回っているような不快感が気持ち悪くて、下唇を噛む。
「あの花を、枯らせてしまった」
 あたしは頭の中で、あの花のしょんぼりした姿を思い起こした。そして、やはりあれが花や草というものの枯れた姿なのだと理解する。
「水のやり過ぎだと、使用人に教えて貰ったんだ。ごめん、折角きみがくれたプレゼントだったのに」
 あたしはゆっくり首を横に振った。そんなことない、と言いたかったのに、喉が不自然に痛くて、どうしても無理だった。
「――でも、きみにすごくいいお知らせがあるんだ」
 千空は嬉しそうに笑った。あたしはその透明さが心に刺さる。恐怖だ。これは最新鋭の恐怖だ。例えば、地表に差し込んでみたら、地球内部まで届いて、高温物質を引っ張り出してしまうような。そんなとんでもないモノが手の中に滑り込んでくるという事に対して、怯えている。あたしは恐怖でそれに抵抗することも出来ない。苦い息を呑む。千空の唇がうすく開く。彼が小さく息を吸ったのが分かるくらい静かな空気が、あたしを殺そうとしているんじゃないかと思った。
「僕はもう長くない」
 千空は嬉しそうに笑った。あたしの頬に風が切り付ける、この、ひどくぬるいものを愛せないと思った。嫌だ、と。嫌だな、と。
 ああ。つらい。つらいと思うのだ。あたしは愕然とする。足元が冷えて、膝が小刻みに振動する。あたしは彼を失うという現実を抱きかかえて。どこにも行きたくない。辿りつきたくない。
「うそだ」
 ここでようやく、なんとなく自分のことが分かった。先日なぜあたしは焦ったように彼にまだ生きてしまうのか、なんて彼に嫌な思いをさせるようなことを言ったのか。
 あたしは愛してしまうことへの恐怖など、身に染みて持ち歩いていた。だからあたしはどうしても認めたくなくて、まだ死なないのかと訊きたくないことをわざわざきいたのだ。胸に刺さる音を確かめ血の色を拭った。彼が死なないようにと。どこにもいない神様や、出来損ないの神様や駄目になっている神様などに、強く思っていたんだ。
 もう網膜は断線しているみたいに上手に状況を拾えなくなってきた。このまつげも渇いた。手足は輪郭を失ったかのように、積ませた心臓部だけの感覚に支配される。あたしの舌は愛の味などわからない。ぴりぴりと鳴っている。ただ、これが愛だというのなら、あたしもうつくしい涙くらい優に流せるのだと思う。だから、世界中の誰もが泣いている。なるほど、流さないととてもじゃないけど耐えられない。耐えられないだろう、ひとを愛するなんてことは。
「うそじゃないさ」
 千空は笑みをこぼしている。あたしはもう、この光景すら信じられない。
「うそ」
「うそじゃないって」
「やだ」
「やだ、でもない」
 千空は駄々をこねる子供をたしなめるようだった。自分の残り少なさには無頓着な雰囲気を装っている。
「――っ、やだよ!」
 あたしは耐えられなくって、両手で髪の毛を掻きむしった。指通りのいい細く金色の髪の毛が、指の隙間から溢れている。そのままの両手で顔を覆い隠した。顔の全部が、苦しくて歪んでしまうから。
「そうしていると、化け物みたいだ」
 千空が皮肉を言う。あたしは噛み過ぎて薄切れた唇からなんの体液も垂れてこないことに憤りさえ感じる。
「うそよ」
 ああ。もしかして、果てしなく愛しているのか。なんて恐ろしいことをしているのだろう。それが必ず奪われるという現実にあたしは焦燥感を覚えて、あたしはずっと自分のことをつらつらと述べて、あたしのことも愛してほしかったのかもしれない。
「だから、うそじゃないってば」
 彼はあたしをまたたしなめるように言った。駄々をこねる愛娘に困ったお父さんみたいな甘ったるい声。でも、ここでのあたしの「うそ」は我が儘ではなかった。
「ううん、ちがう。ちがうの」
 あたしは中々認めたくなかった。彼に愛をそそいでいることを。それは醜い執着を見てきたから。あたしは純粋な天使の化け物。手に入らないものにあんなにめらめらと燃えたりしない。しないほうが良いのだ。あたしは唾を呑んで、言葉を発した。
「未来からきたなんて、うそなの」
 あたしは手を下ろして、千空を真っ直ぐ見て言った。千空の瞳が、動揺のようなもので少し揺らいだ。
「あたしにはなにもわからないの」
 あたしは渇いた喉で千空に喋り続けた。
「心臓移植をするとね、記憶が混じるから」
 千空の腕が微かに動いた。その動きと連動して、彼に接続されている管も音を立てて揺れる。
「だから、あたしはその記憶の中で誰かを愛したりとか、愛されたりとか、してみたかっただけなの」
「……なんであんなこといったの?」
 千空の声音は、動揺とか焦りとかではなく、ただたださみしげだった。
「ちょっと、格好いいでしょう」
 あたしは笑って見せた。彼に見えていないことも分かっている。分かっているけど、自分自身の事を笑ってやらないと、どうにも耐えられないのだ。
「なんて、ね。あたしは千空が怖かったの。あたしが心臓を貰ったあの死んだ女の子が人を愛していく様や、もう無いものにすがる男の子がそのままで成長する様や、自分に向けられていない恋情に嫉妬する女の人の様をみていて、人を愛するのは怖かったの。いずれあたしもとらわれるんじゃないかって。のぞんでいたはずなのに、突然、どうしようもなく怖くて。だからはやく、千空が惜しくて悲しくなる前に死んで欲しいなんて思った。だからはやくしないと駄目なんだ、なんて急かして」
 彼がいなくなることは。彼がいなくなることとは。心臓を抉りとられるみたいな痛いことを指すんだろう。あたしがいままでやってきたのと、同じことだ。
 変な罪悪感にさいなまれた。自己嫌悪が忙しくなってしまいそうになる。
「あたしはぜったい、千空のこと好きになんかなりたくなかった……だって、とてもつらいだろうから」
 言いながら、ぽとん、と自分の心の中で理解出来た、腑に落ちたような感覚があった。じゅわり、と胸の中でなにかが溶ける。
「でも、もう手遅れだったね。だめだ、千空がいなくなることは。だめだと、思うんだよ」
 強く強く言いながら、あたしが認めたく無かったことから、もう逃げられないのだと理解した。あたしの頭の中はもうずっと、彼の事でいっぱいだ。
「あたしきっと千空のことがひどく好きなの。その白さも、鈍さも、透明なやさしさも、好き」
「急な、告白だね」
 千空はとても照れ臭そうに笑った。年相応の少年みたいな、恥じらいを含んだ笑みだった。あたしはそんな彼が、愛おしい。
「千空を好きになって、もっともっと、生きていたいなんて思うようになったの。ひどい。ひどいことだよ。ねえ、責任をとって」
 あたしは千空を誰にも奪われたくなかった。どうすれば、一緒にいれるのだろう。今まで通り、たくさん話が出来るのだろうか。ぐるぐると、脳味噌が、まわる。
「ほら、もういなくならなくて、いいから。千空。もう心臓は要らないから。ずっとここにいてよ」
 もう既に術は無いことくらいあたしにだって分かる。でも、すがってしまう。すがってしまうよ。こんなに愛しいひとなんだから。
「おねがい」
 終わりがあるから、一生懸命になれるとか、命を無駄にしないとか、誰かが言っていた。でもそんなのはうるさいなあと思うのだ。
「おねがい」
 終わりがあるから、終わりがあるから、だからなんだっていうのだろう。そしてなぜこんなにも、どうしようも出来ないのだろう。
「あたしがどんなに悲しくても、千空には見えない。そのことばっかり、ひどく、悲しい。あたしがどんな色をしていようとも構わないんでしょう。どんな形をしていようと構わないんでしょう。あたしが咲かせようとした花がどんな色でもいいんでしょう。ただ太陽さえ出てこなければ」
 頭がぐるると回りまわって透に爪を立てている自分に少し気持ちのいい様な感触がした。捨てられてしまうのだと気付いた宝物に傷を付ける。ぞくぞくとする快感を得てゆく。ゆっくりと、ゆっくりと。刃は食い込む。血はまだ出ない。
「色なんてないくせに。見えないくせに」
 千空はゆるく、微笑むばっかりだった。あたしは、落胆する。
「……例えば千空が死なない世界だったとして」
 取りとめのないあたしの考えを、彼に言い放った。
「代わりに透明さを失うのなら、とてもつらい世界だろうと思うの。濁った水や許しの血をコーヒーやビールみたいに苦いのが美味いというんだ。あたしは、その言葉をいおうとすると口がごわつくよ。ずっとなにも感じないと思ってたんだ。浸透してくる水は清らかだと思ってたから。――でもある日に雨が降った。清らかなガラスの心臓は、あたしにとっての真実だった。あの味はもう渇いてしまった。代わりにその味を慈しむ心がやってきた。そしてその心を丸めて飲み込んでしまいたいくらいの憎しみも。全部がぞろぞろと列をなしているんだ。逃げられやしない。逃げたり出来ないんだ、誰かを想うことなんか。誰かを想って生きることなんか」
 言いながら、彼に謝らなくてはいけないことを思い出した。あたしは千空のことを見つめて、それからゆっくりと口を開いた。
「――ごめん」
 うん?、と彼が小首を傾げた。あたしに謝罪されるような心当たりが無いからであろう、不思議に思っているようだ。
「もうひとつ、隠してたことがあって」
 ちゃんと言わなくちゃ、と思った。
「実はあたしも、水をあげていたの。千空のいないお昼頃に。水のあげ過ぎで花が枯れるなんて知らなかった。あげればあげるほど、早く大きく育つと思ってた」
「そうなんだ。なんだ、そういうことか。僕はちゃんと適量を遣っていたと思っていたのは、正しかったんだね」
 彼は多分笑っているのだろうけど、あたしは千空に目を向けられなかった。意味もなく、てのひらを開いたり閉じたりしている。
「うん。ごめんね。匂いや、花を、みせられなくて」
「いいよ。もう、いいんだよ」
 あたしはまた唇を噛んだ。既に裂けている部分に八重歯が食い込む。
「あたしも、日が当たるととても痛いよ。あたしもセンテンセイハクヒショウなのかなあ」
 不謹慎なことを言っている。でも、なんだか許されるような気がしてしまった。
「あの花みたいに、日に当たることや、注がれることが、とても快感になったらいいのに。――たぶん、あたしも透明だよ。とてもじゃないけど目に見えないものを飼っているから」
「そうだね。きみは天使みたいな色をしているから、そうなのかもね」
 金色の髪の毛に、色とりどりの瞳、青空が似合いそう。彼は力無く笑った。
「でもやっぱり僕は透明とは違うと思うんだ。きみの内側はとても強烈な色をしているから」
「――――……」
 あたしは口を開けて彼の言葉の槍の先を探した。――え、待って、待って。
 胸の中枢に大きな落とし穴を見つけた。口の中が渇いていく。――おかしい、何かが違う。
「見えるよ」 
 そうはっきり言った千空の瞳は確かにあたしを捉えていた。その割れる青の中に自分の姿を見つける。千空と目が合っているこの空間に、あたしは狂喜と恐怖を同時に身体中に塗りこまれた。
 震えてしまう。この現実に。
「うそばっかりでごめん」
 千空ははにかむ。バツが悪そうな、無邪気な顔をしていた。
「先天性白皮症は、ほんとう。でも、この病気で失明することは無いんだ。あのね、目の見えない人間が、どうやって本を読むって言うのさ?」
 千空が笑った。あたしを見て、馬鹿にして、笑った。その笑顔の透明さは、あたしをざぶざぶと浄化していく。千空の横に積まれた本の山。蝋燭。
 ああ、ああ、ああ。あたしの目が開かれていく。
 ――もしかしてあたしは、人間みたいに阿呆な勘違いをしていたのか。
「僕には見えてる。ぼんやり、ぼんやりと、きみが、人間みたいに笑ったりすること。人間みたいに哀しいという顔をすること」
 あたしはあまりの衝撃に絶句していた。千空は、そんなあたしをみてちょっと笑った。
「初めて見たときからきみのことが眩しくて、見ない方がいいと思った。この短い命に縋りたくなかったから――でも、見離せなかった。僕もちゃんと、ちゃんときみに焦がれていたよ。どうしようもない感情を捏ねていたよ。でも逃げたかったよ。……惜しいよ。きみといられないことは」
 千空が、あたしと同じようなことを思っていたと気付いた。千空も、あたしと同じように、愛することが怖かったんだ。そして怖いながらも、一緒にいたかったと思ってくれていたんだ。ここから、離れたくないと。
「きみが、僕の為に泣いてくれたのも知ってる――。だから、それだけでいい。僕には十分すぎたよ」
 千空は大切なものを見るような瞳をしていた。そしてそれが、あたしに注がれている。
「きみが言ってくれた言葉の全部が、僕の埋まらないものを少しでも満たしてくれた気がしたんだ。やっぱり母とは上手く喋れないし、新しい家族に出会うことも出来ない。でも、すこし、許せると思った。きみと出会うことで、心がやわらかくなったから。だから、後悔はない。この世界に、後悔はないよ。ただ、きみだけが惜しい」
 彼も、彼もあたしのことを愛おしいと思っていてくれた。心が通い合っていたんだ。あたしのうれしいという感情が許容量を超えて溢れだした。なんていうことだろう。こんなにうれしいのに、もうすぐ無くなってしまうんだ。せつなさで喉が詰まった。
「きみは僕の心をこんなにたくさんさらっていってしまった。きみは一体、だれだったんだい」
 千空は薄い青の瞳をあたしに向けた。あたしは、ちゃんと答えなきゃという使命感に駆られた。
「あたし、自分が誰なんだかよく分からない。なんで、上手に自分の外見をつくり変えることだって出来ちゃうし、食べなくても寝れなくてもずっと動いていられるし、こうやって自分で考えたり行動したりも出来るんだろう」
 少し間を置いて、千空のことをじっと見つめた。彼も、あたしのことを見ていてくれた。この現実に、涙が出そうになる。あたしは、強い口調で、言った。
「でもね、間違わないで欲しい。あたしきっと、ペテン師でも、亡霊でも、無かった。ただの、ひどく自由な、人間だったんだ」
 自分で言いながら、どこか虚しく思っていた。虚言だと、分かっていたから。
「自由と、生きるってことは、矛盾しているんだ。だからあたしには、生きるということはやりきれない。やりきれないよ」
 あたしが肩を落として言うと、千空はくくく、と笑う。笑いながら、あたしの言葉に足すように言う。
「そして透明であることと生きることもきっと同じ場所にはいられないんだ。ただそれだけのことだよ」
 それから、どこか晴れ晴れとした表情で彼は言った。
「おねがい。看取って」
 いや、いや、と駄々を捏ねながら、首を横に振った。振るたびに、胸がぎしぎしとしなる。鋭くあたしを研ぐ。ひどくやわくなったものを再生しようとする。
「待ちきれないといっていたじゃないか」
 千空はやさしい目をして言う。青っぽい、その、色素を作らない瞳で。本当に、あたしを見つめて。
 あたしは、いじわるなことを言われたから何も言えなかった。静かな時間が訪れる。やはりぬるい風が肌をかすめて、千空の白い髪の毛を揺らした。
「……ここにいてくれてありがとう」
 彼が呟いた言葉で、すう、と空気が澄み渡った。ここはとても居心地がいい。そして、とてもせつない。
「でも、それだけだったね」
 そう言った千空は天使を見るような目をしていた。あたしは喉が千切れそうになった。千空が薄まっていく。この世界の白っぽさに浸されて、透明が見えなくなる。目の前のその様を、あたしはどうにかして食い止めたかった。喉から手が出るほど、なんて言えない。そのまま肘が出てきて、肩まで出てきちゃうくらいだ。
「――アイを」
 嗚咽が言葉を途切れさせる。あたしの色の無い睫毛から雫の欠けた土砂降りの雨が降っている。
「アイを、注いであげるから。」
 あたしの拙い舌から、汚くて意味の無いものが吐き出ている。愛なんて。愛なんてものは、生まれてこのかた、味わえる試しもなかったはずのに。つらくてつらくて舌を噛んだ。きみのことなら、取り返しが付かなくたって構わないんだと思うのに。こんなにも強く、思うのに。
 千空への固執。尊い痛み。かなり透明なはずなのに、なぜだろう、とても濃い色をしている。あたしは息が詰まっては、その色に手を伸ばす。あたしはもうこの世界のすべての万物に理解が出来ない。ただ強烈に、あなたのことばかり。染まらない色に。飲み干せやしない色に。そんな夢ばっかり。そんな夢、ばっかり。
「日向は嫌い?」
 自分の唇からふざけた言葉が出てきた。あたしは噛み切れない舌で歯を撫でる。
「嫌いじゃないよ」
 千空はあの日と同じ言葉を出した。
「焦がれてる」
 遠い目をしている。でも、この目は確かにあたしをとらえている。遠いあたしを見ている目を。青が見ている。
「すきよ」
 ――これは恋だ。唐突に、身体で思った。
「すきよ、千空。だから一緒にいて。もうあたしに心臓なんて要らないの」
 唇がぷるぷると震える。これが恋だ。そして、愛で。あたしのすべてになってしまったもの。目の前にある、これだ。
 千空はもう返す言葉が尽きたのか、あたしが肩を揺らして震えている様子をじっと静かに見ていた。その薄い色の瞳を、ちゃんと開いて。
「いつかは、いつかのまま?」
 震える声音であたしは千空に訊いた。あたしはつらいと思うのだ。つらいと。彼が形を無くしていくのは、つらいと。もう頭の中はそればっかりだ。
 彼は色素の消えた唇で、いつか?と尋ねた。薄い頬笑みを絶やさないままだ。
「いつかって、言った」
 我が儘を言っているのだと思う。
「千空は、いつかあたしに名前をくれるって」
 でも許されるとも思っている。千空は唇から白っぽく漏れる吐息と一緒に沈黙したけれど、やがてあたしのことをじっと見ながらこう言った。
「名前か……。いやだなあ。付けたくないよ」
 あたしはずるっと背筋が冷え上がった。一瞬、目がくらむ。千空に否定をされたことがひどく心地悪くて、無意識に顔の肉が歪んだのを感じた。でも、千空はあたしの焦りをよそに、ぜんぜんほがらかなまま、ゆったりと一人ごちた。
「だって、愛着がわくじゃないか」
 でも、今さらかな。なんて、彼はくすぐったそうに笑う。それを見たら、また、じわっとあっつくて痛いものが返ってきた。一瞬冷えた肝も、また感覚を無くしていく。あたしのそんな百面相を見ていたからか、彼はやっぱり面白そうに、そして少し哀れんだ顔であたしのことを見た。
「――じゃあ、きみに名前をあげよう」
 千空は笑顔と称するにはあまりに痛い顔をしている。彼はきっと上手に笑えているつもりなのだろうけれど、あたしにはそれが硝子の破片の盛り合わせみたいに見える。それをあたしは全身で実感する。水が冷たさで凍っていくみたいに。氷が温かさで水になっていくみたいに。彼にいつか、なんてないんだ。いましかないんだ。――ああ、そういえば、千空がいなくなるんだ。ああ、どうして、千空が。
「きみの名前、か。きみの、名前は――……」
 言いながら、千空はあたしに手を伸ばしてきた。彼の手が初めてあたしに触れる。骨ばった、薄くて、細い手のひら。この瞬間をあたしは目を見張って見ていた。心を開いて見ていた。じんわりと伝わる彼の体温は、思っていたとおり痺れるほど冷たい。しかしあたしはその非道な冷たさを、温もりと錯覚した。
 彼の口が喋る。多分、これが最後で最後だ。あたしの目の奥はその強烈な色でくらくらを引き起こす。これが最後だ。世界の全部が渇く音が近付いてくる。
「――ぼくのすきなひと、かな……」
 耳の奥がぱりぱりと鳴った。胸の奥が沈んで、あたしの喉は震える。彼の唇は微かに、微かに言った。
「うん、それがいい――――」
 段々と彼の声は薄くなっていく。あたしは目が逸らせない。彼の唇が閉じて、彼の瞼が閉じて、彼の透明さが失われる。ああ、この渇いた音とは、ぱたん、ぱたんと最後のページまで捲りきれなかった本が閉じてゆく音だ。そして、咲かせられなかったあの花がくしゅくしゅと泣く音。
 そしてとうとう、彼は息をしなくなった。だけどあたしはぱちぱちとシャッターを下ろせなかった。ただ目を開いて、雨の匂いや、あたしのことに包まれて冷たくなっていくその様を、一瞬たりとも逃さぬよう、見ていた。
 無意味に開け放たれた窓から風が吹き込んで、千空を奪っていく。夜の帳は彼の存在に覆いかぶさって、あたしの指先から透明に変わる。まるで還元されるみたいに。これは、千空が息絶えて世界がマイナスになる、という感覚ではないのだ。千空が息絶えて、やっと還元されて、プラスマイナスゼロになった世界をあたしは目の当たりにしているのだ。

 千空が動かなくなってからしばらくして、急に、苦しいと思った。これは出来ごとによる感情の苦しい、では無くて、酸素が足りないという身体的な苦しい、というものだ。あたしは直ぐに、息を呑んだままであることを思い出した。あたしはぼうっとする頭のまんま、薄く膜の張っていた喉から空気を取り入れて、吐いた。胸に酸素を送ると、空気の通った管の辺りが急にばちばちと痛みだす。そしたらあたしはもう信じられないくらい悲しくて、直ぐに涙を流した。あたしにはもうまばたきなんて要らなかった。
 白い天井を見上げて、両膝を床についた。そうするとどうしても視界に千空が入り込むから、それがあんまりにも悔しくて、たまらなかった。あたしはゆっくりと彼に近づいて、その輪郭を撫でようとする。零れる雫がその肌にこつこつと垂れ続ける。溢れたものが捲りきれないページの上に染みをつくってゆく。どうしても渇いてしまう染みをつくってゆく。それは雨のようで、呼吸のようで、血のようで、人間のような涙だった。あの子の死にたいという涙や、彼の許して欲しいという涙や、彼女のにくたらしいという涙なんかより、ずっとずっと、あたしの涙こそが綺麗なものだって思った。汚い嗚咽が喉を鳴らす。千空があまりに冷たいことが胸をグチャグチャに掻き回していく。
 ああ、千空、千空。あたしは彼の頬を撫でる。指先がつるつると表面を滑って、この天使の輪郭が蕩けてゆくのを惜しんだ。つらくて痛いものが全身を痺れさせている。人の子を一人愛するだけでこんなにもつらいのなら、彼と出会わなければよかった。彼がこんなに透明じゃなかったら、あたしはこんなにも悲しくなかったはずだ、なんて、微塵も思わなかった。それだけ、彼が作り出したやわらかい時間や白っぽいぬかるみに足を突っ込むのは、あたしにとって清い血流だった。彼のことで、彼女たちが救われたと思う。ひたすらに、遠い場所まで、後悔などはない。愛おしかった、千空。涙が彼の頬に染みをつくり、時間と一緒に渇いてゆく。ああ、きみがいるなら、もうなにひとつ、満ち足りないものはないはずだと、思った。
 そして、彼に正しいうそをついたことを、迷わないでいようと思った。

「容疑者を発見した」
 足音も無く、忽然と男性の低い声がした。機械音とも間違えそうな位の、色の無い声音。あたしはすぐにその正体に気がついた。あたしを捕まえに来た時空警察だ。どん、と胸が震える。けれど、あたしは千空の事で頭がいっぱいで全然それどころじゃなかった。背後に二人分の気配がする。交互に、少し声色の違う声が喋るから、彼らは会話をしているんだと思った。
「三十秒後に容疑者の記憶を飛ばす。後のそのガラクタの処理は上の者の指示を煽れ」
 最初に喋った男の人の低い声は近付いて、あたしにおよそ殺菌された布をかぶせた手のひらで触れ、持ち上げる。あたしはまるで人間みたいに涙を流しながら、抵抗せずに身体を任せた。だってあたしは全然それどころじゃないのだ。金属が触れ合ってカチャカチャという硬い音を鳴らすのが聞こえる。やがて慣れた手付きであたしのこめかみに金属の冷たい温度があてがわれる。
 時空警察が来て、悪いことをした者の記憶を飛ばす。それはとてもありふれたことで、あたしと千空とのことも、随分とありふれたことなのだと。あたしのありったけは、ありふれたことなのだと、少し冷静に思うと、この宇宙みたいな喪失感も少しは薄まった。
 有り余るものを見つめた時、あ、と思うものがあった。あたしの真ん中を騒がす、撫ぜる、風が。それは、あの花や千空のことを慈しみ愛でたことで、彼女らではなく、あたしが救われたのだ、ということ。
 彼と出会ったことで、あたしはやっと誰かを愛したりとか、うつくしい感情を愛でることが出来たのだから。気付けば、さいなまれていた彼女たちの儚くて深い苦悩もすっかり理解出来てしまうようになっていた。
 そう息を呑んで気付いたとき、生きて、と思った。彼のことや、枯れてしまったあの花のことなど、自分の存在では救えないことばかり悔やまれた。悔いて悔いて、もう痕はなにひとつ残らないのだとも気付いた。それこそひどく自由だったあたしの代償なのかもしれない。無いはずだと思った後悔が襲ってきた。晴れた空に覆いかぶさる漆黒の闇のように、ずいずいと、ずいずいと、わき目もふらずに。あたしはその様子を一片たりとも逃がせやしない。喉が麻痺する。
「結構な人形だな。管も内臓もニューロンもしっかりしている。――自分の心臓が無いのは惜しい」
 時空警察の男のその低い声とかぶさる様に、もう片方の男が、私語はつつしめ、と喋った。無意識にまばたきをすると、目のふちからひとしずくが垂れてこめかみを通り抜け、耳の穴にするりと入り込んでいく。それがひどくこそばゆかった。千空と喋ったどんな言葉より、かゆくてたまらない。このひとしずくが。
 ぼうっとする頭の中、カチリ、スイッチのようなものが切り替わる音が響いた。時間が近づいてるのだと思った。悔やまれるのに似た、深い海底に沈んでいくような息の詰まりを感じる。ああ、そうか。これが真実の代名詞なのだ。だから、あたしはあたしで無くなる瞬間をまるごと、受け入れようと覚悟した。
 なのに、ごそごそと低い音がまた喋っている。ぽつぽつと水滴が落ちるようにリズムよく、低い声が喋っている。
「――ジュウ……キュウ……」
 段々と、声が鮮明に聞こえてきた。まるでカウントダウンみたいだと思うけれど、あたしは胸が痛くてどうしてもそれどころじゃないのだ。深く、深く悲しくて愛おしいから。
「――ナナ……ロク……」
 その刹那、そっと風が吹いて、千空の匂いが現れる。それが嗅覚から全身の血流をびりりと痺れさせるから、あたしは千空がこんなところにまで会いに来たんだと思った。
 千空のことを一目見ようと瞼を上げたら、窓の外は雨が降っていた。綺麗な花は育つだろうけれど、きみとなら、傘を差さなくては、と、焦る。
「サン」
 あたしのうそが張り詰めた空気にぱりぱりと沁みて、やわらかな花も育たなかった。それでいい。それがよかった。そしてそれが、あたしのすべてだった。

「イチ」







End.

らた
http://nanos.jp/rrrrrrrrr/
2012年05月04日(金) 02時25分15秒 公開
■この作品の著作権はらたさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ

この板に投稿して良いのか迷いましたが、こちらに置いていたものの続きなのでこちらにそろっと投げ込ませていただきます。
水をあげすぎて枯れる話はこれでおしまいです。好きなように書きました。スペースお借りいたします。

この作品の感想をお寄せください。
No.5  らた  評価:--点  ■2012-05-29 18:34  ID:9hhwgmk6ESY
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ぢみへんさん

お返事遅くなってしまい申し訳ございません。感想有難うございます。
物語的なものや全体のまとまりを普段より意識していたので、
完成度という言葉を使っていただけてとても嬉しいです。
最終的にすんなりと読了していただけたようでほっとしました。
当たり前の話ですが、書き手になると読者さんにどこまで理解してもらえているのか
いまいち上手く掴めなくて、試行錯誤しておりましたので。
設定も大事ですよね……。手塚大先生を超せるなどと思いませんが、誰よりも一味ちがったストーリーを書いてみたいものです。
素晴らしい、と言っていただけて嬉しいです。
ありがとうございました!
No.4  ぢみへん  評価:50点  ■2012-05-14 01:35  ID:lwDsoEvkisA
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これは驚きましたね。
大変完成度の高い作品ではないでしょうか。

まぁ最初はなんでこの主人公なり千空という人がここまでストイックで、ねちねちと繊細なことをひたすら交し合っているんだろうと思う気持ちもないではなかったのですが、ラストで全て合点がいきました。手塚治虫の「火の鳥」にロボットを愛した人間が自らをロボットに変え、離れ離れになった恋人ロボットを探す…という話があったと記憶していますが、どこかそれに通ずるところがあるような気がします。あるいは梅図かずおの「わたしは真悟」の方が近いですかね。

いやぁ〜素晴らしいものを見せてもらいました。この世界観を膨らませば既に文庫本一冊くらい書けるくらいの創造の種になってしまうのではないかと思います。

また次回作があれば読んでみたいです。
No.3  らた  評価:--点  ■2012-05-14 16:59  ID:9hhwgmk6ESY
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陣家さん

感想ありがとうございます。
とんでもないです、の一言に尽きます……。
そしてなにより、陣家さんがこの作品のシリーズを好いてくださっていたことが
ずっととっても嬉しかったです。原動力になりました。
私は小説に留まらず、「表現すること」が好きなので、
こうやって好きなように好きなだけ文章を続けていくと心理描写の連続になってしまい
堂々と、小説です!なんて言い難くなってしまうんですけど、
でも「ぼく傘(この略し方可愛いですね)」がずっと悩み続けている小説だったので
こっちももやもやし続けていいんじゃないかと開き直りました。
書き終えて、保存したとき、原点に帰った気がしました。あれを書いたのがちょうど二年前くらいなので。
どこに行くんでしょうね……。伸びしろがあるのは喜ばしいことです。
わたしの若いという特権の味は自分でも美味しいものです。

SF的な設定をどこから、というと、「七花八裂」ですね。「死線期呼吸」は何にも考えてませんでした。
「死線期呼吸」に出てくる日向はほぼイコール冴です。空っぽの日向に冴の心臓が入っている、みたいなイメージで。死線期呼吸を書いたときは私も日向が誰なんだか知りませんでした。
まるっと日向というキャラクターを詳しく書こう、と思って書いたのが「アルビノの花」
日向を書くのに材料が足りないなあ、と付け足して「七花八裂」って感じです。
こんな風に繋がっていると思うと、結構な時間妙な世界観の中に浸っていたなあと思います。
なにはともあれ、生物の先生が授業中の余談で「心臓移植をすると心臓の持ち主の記憶が移ることがあるらしい」とか言ってたのが原点です。このことについての真実は知りませんが。笑
とりあえず、日向が何だったのか、という点を少なからず伝えられたのなら幸いです。
作中に登場人物が死ぬ、という展開はあまり好きくないのですが、
最初のやつが「死ぬ」前提で書いたものなので、こちらも同じような結末にしました。
ぼく傘は、携帯小説が流行った頃に、見かけた携帯小説の登場人物が頻繁に命を落としていくのでなんだか悔しくて、死ぬ、という結末はどうやったら簡単じゃなく書けるか、みたいなのをテーマにしてましたので。
死にたいひとと止めないひと、死んでしまう人とと止められないひと、という対比、とか考えていましたが、上手く表現できなかったかなあと思います。反省点です。

誤字の指摘有難うございます、後ほどこちらを参考に、修正させていただきます。

いえいえ私なんぞ毎日ぼーっとしているだけですよ。
こちらこそ、お忙しい中こんな文章を待っていて下さって、
最後まで見届けてくださって有難うございました!


Physさん

感想ありがとうございます。
そして勿体ないお言葉をありがとうございます。あったかいです。
いつか、小説を書くのもやめるときがあるのかなあ、とよく考えます。
どこまで書いているかはまったくの謎です。明日やめるかもしれません。
多分、駅の改札でPhysさんの前を定期でピッと通り抜ける女子高生が
一体どこにいくんだか知らんのと同じです。

「分かりやすさ」はほんとうに意識するようになりました。
分からなければ何にも面白くないっていう今更すぎることに気が付きました。
自分の頭の中の世界やイメージを伝えたって、それがなんだっていうんだ、とか。
小説は物語で、出来事があって、そこで何か感情が生まれて――という繋がりを作って、
薄っぺらかったのを厚く濃くするべきだと。
そこでまた無意識で健在する自分らしさとかを手放したくないなあという困ったことが起こるんですが、
これからも書いて積んでいくことでちゃんと秤にかけてバランスが取れていけるようになれたらいいなあと思っています。てんびん座ですし。笑

文章量の差については盲点でした……。読み返してみればなるほど、ですね。
ちょっと長いもの(殆ど書きませんが)を書くときは最後から書きはじめるという私の癖が悪いところで出てきましたね。
序盤を書いている最中でも頭の中ではもう既に千空くんが死んでて悲しかったりしてました。笑
私の中で時間の経過がごちゃごちゃになっているのがいけませんね。
読み返すという作業を入念にするべきということを学びました。ありがとうございます。

感動させる、というのが私が創作ごとをするにあたっての一番の目標というか、理由といいますか。好きなんです。涙腺を攻撃するのが。
だから、私はスナイパーのごとく躍起になって狙ってこねていたりします。
少なからずダメージを与えられてとっても満足です。ふふふ。

確かに歌詞がぴったりですね……作者ながら胸にじーんと響きました。ちょっとハマりそうです。
曲、といえば、capsuleの「グライダー」が日向のイメージとぴったりで、執筆中死ぬほどリピートしていました。明るめなのがまたちょうどいいです。
あと、一番最初の「ぼくたちに傘はない」からここまで、よく森田童子さんの曲を聞きながら小説の世界に浸かっていましたね。
「みんな夢でありました」とかがぴったりなんです。ぎゅいいんと、現実から小説の主人公のところまで引っ張ってってもらってました。ですから、お世話になったといったほうが正しいですね。
もし耳にする機会があったらちょっぴりこの小説のこと思い出してもらえると最高です。

有難うございました!
No.2  Phys  評価:40点  ■2012-05-08 21:33  ID:eKNLcJv0NWo
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拝読しました。

読み始めてすぐに、私の中の『すごい小説センサー』が飽和しました。壊れた
まま読み続けて最後までなんとか辿りつき、らたさんはいったいどこに行くん
だろう……という末恐ろしさに震えました。沙里子さんが天才なら、らたさんは
鬼才とも言うべき書き手さんだと思います。本当に、素晴らしかった。

以下、私はTCに小説を投稿している立場ではなく、純粋に創作物を鑑賞する
見地から客観的に感想を残させて頂きます。つまり、私が小説を書けないことを
完全棚上げして、コメントします。

文章が以前に比べても格段に洗練されていると思いました。らたさんの書いた
小説はいつでもらたさんの世界であったし、これからも、もちろんそうなのだと
思いますが、本作は読み手である私たちに対する、ある種の「分かりやすさ」を
意識して書かれたのかな、という印象を持ちました。

ようこそ。
と、らたさんに呼ばれているような気がしました。

読み手が物語世界に浸るための舞台装置、また表現のユニバーサリティも含め
かなり気の利いた小説でした。個人的には、前半の千空さんとのやり取りと、
後半の千空さんが死んでしまう一連の場面との間で、文章量のバランスが若干
良くないのが気になりました。
(これは単に私の感覚の問題でして、しかもTCのみなさんからは支持される
ことが少ない部分だと自覚しているので、特に気にしないでください。汗)

表現力はとにかく非凡です。本当にこれを普通の高校生が書いているの……?
と疑いたくなります。自分の価値観のちっぽけさ、ふだん使っている語彙の
チープさが恥ずかしくなりました。(私自身は、平凡かつ陳腐である点にこそ
自分らしさがあると思っているので、比較するのは変な話なんですが……)

そして、内容についても、堪らなかったです。らたさんが「女の子らしさ」を
前面に出して書かれるとき、私はいつも身構えてしまいます。なぜなら、らた
さんは必ず私の涙腺を壊そうと鋭い牙を研いで待っていますし、感情移入して
しまえば、その術中に見事に落ちてぼろぼろ泣いてしまうからです。今回も、
電車の中で読んでいて目頭が熱くなりました。熱くなって、これはやばい、と
思って深呼吸をしました。もう一度携帯のディスプレイを見ましたが、これは
家で読まないとダメかも……。と判断しました。もはや綱渡りです。

一つのうつくしい小説を読ませて頂いたことに、私は感謝しています。

でもまだまだらたさんは高いところに行く力を持っている方だと思いますし、
これで限界なんて言ってほしくないので満点は付けませんでした。これからも
その実力に奢ることなく、そして生き生きと、その稀有な筆力を磨いていって
下さい。お誕生日が一日違いという縁もあり、らたさんがすごい人になるのは
私にとっても喜ばしいことなのです。

それにしても……。らたさんの作品には一番に感想を残そうと思っているのに
またJさんに先を越されてしまいました。しかもお二人の作品は互いに独立に
書かれたとは思えないくらいきれいにシンクロしていますし……。
なんだか、嫉妬心が湧き上がってきました。笑

あと、おはなしを読んでいてずっとコブクロの「ここにしか咲かない花」が
流れていました。さいきんベストアルバムを聴いています。素敵な歌声が、
らたさんの流麗な文章とよく馴染んでいました。

また、読ませてください。
No.1  陣家  評価:50点  ■2012-05-07 00:52  ID:1fwNzkM.QkM
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拝読しました。

まるで餌を待つ駄犬のごとく待ちわびていたような気がするらたさんの僕傘シリーズ完結編!
もう本当に印刷して仏壇に供えてから読もうかと思いましたが、仏壇が無かったので、さっそく読ませて頂きました。

まずはこのらたさん独特の濃密な語り口にやられました。
今までのどの作品もそうでしたが、特に今作は気合いが入っていると感じました。
一打目のインパクトで空中に浮かされたが最後、足が地に着く間もなく十連コンボをたたき込まれるかのようなハイパーな表現の連続に脳汁がどばっと出る感覚が最高です。

これがらたさんのフルパワーなのでしょうか、いや、いやいやこの後二回ぐらいのパワーアップどころの騒ぎじゃ無いのかもしれませんね。
どこまで行くのかもっともっと見てみたいです。

正統派青春小説、<僕たちに傘はない>からスピンアウトした<死線期呼吸>
そして<七花八裂>そして今作、完結編の<アルビノの花>
シリーズ化した当初は自殺した冴=日向と思ったのですが、なるほど、そうきましたか、やられました。
どのあたりでこのいわゆるSF的設定を構想されていたのか分かりませんけど、伏線の回収は見事に、そして無惨に完了できましたね。
伏線の回収は必要ではあるのだろうけど、やはりどこか作者様の痛みを伴う作業なのだろうということが、今作を読んで痛感しました。
自身の出自を吐露する彼女、痛々しいのですが、それと同時に幽霊の正体みたりで、衝撃的でもありました。
いやあ、SF的考証の部分、ここは読んでいてかなり”そわそわ”してしまいました。
良い意味で……。
なんて言うか、単純に繋がった感覚が嬉しかったのでしょうか。
お互いがお互いのフォロアーみたいだとすると、やけに難度の高い、手間の掛かるツイッターみたいですね。笑

それにしてもアルビノという現実に実体を持ちながら透明な存在、希薄な肉体。
一方、実体が存在していても不定形な存在であるところの彼女。
現実とバーチャルの境界が禅問答のように、どこまでも妖しく浮遊する様はお見事だったと思います。
しかし、日向(ひゅうが)じゃなくて(ひなた)だったとは……。やられました。笑
心臓、というのが具体的に何を指しているのか、実はまだ考え中なのですが、それはそれでいいのでしょう。
良い小説には謎がある、と言いますし。

生きることにどん欲だったはずの彼女は結局愛ゆえに自らを破滅させるのですね。
僕の解釈(ハッピーエンドむにゃむにゃ)は当たらずも遠からずだったのでしょうか。

>管も内臓もニューロンも……
僕の書くような、下世話なシモネタギャグとは雲泥の差がありますね。
お利口さんの読者は秘めやかにムフ、とするべきなのでしょうが、僕の隣で愛の添い寝ぬいぐるみプーちゃん(一応スターシステムキャラです)がつられクマーしてしましました。ごめんなさい。
博士は老いてなお現役でおられたのですね。

>あたしは千空がこんなところにまで会いに来たんだと思った。
油断していたら、ここでモニターの文字が読めなくなりました。非道いことになりました。

あと、もしかするとミスタイプかなと思えた箇所をいくつか。
>舌唇を噛む。
>あたし注がれている。
>旨いと言うんだ。(セリフ中の”言う”はひらがなで統一かな?とするとです)

益体のない感想ですね。すいません。
とにかく執筆お疲れ様でした。
僕なんぞよりよっぽど忙しいであろうらたさんの筆の速さを見せていただき、こちらもまたまたパワーをもらえた気がしました。
ありがとうございました。
総レス数 5  合計 140

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