悪魔と天使
私は見た。
 
 静まり返った広場。本来この場所は、この街に住む者達でいつもにぎわっているはずだが、今日という今日はそうもいかないだろう。夕日に焼ける街並みで、整然と並べられていたであろう石畳は、所どころがまるでえぐり取られたように剥がれている。よく手入れされた街路樹は、一本の例外もなく燃え盛っている。炎の中で木片がはじけ、もうもうとした煙が私を包む。灰色に染まった空気が、私の視界を奪う。
 しかしそんな中でも、対峙する彼らの姿ははっきりと、はっきりと見えた。
 方や、ひしゃげた角。いかつい胴体。筋肉の盛り上がる肢体。コウモリを思わせる翼。
 まるで「破壊」という言葉の定義を全身で体現するかのような漆黒の身体。禍々しい気をまとわせた筋骨隆々の身を躍動させ、それは立ちはだかる者に殴り掛かった。
 彼女は――そう、「彼女」はそれを軽くいなした。宙にふわりと舞う長い銀髪は、戦場の緊張感を私に忘れさせるほどに優雅で、あまりの美しさにうっとりしてしまう。
 その端正な顔立ちは、「絶世の美女」と言うにふさわしい。肌は雪のように白く、骨まで透けて見えそうだ。すらりとした身体は、世の男性の心を奪うのに十分だろう。
 そして、背中から生える翼。鳥のそれを思わせる羽毛が純白の輝きを放ち、私の目をくぎ付けにした。
 空を切った異形の者の拳が地面に敷き詰められた石を粉砕した時、私はやっと我に返った。だらしなく開いた口をぐっと引き結び、右手で肩にかかった剣の柄に手をかける。
 左手の甲であごに垂れたよだれをごしごしとぬぐい取ると、私は勢いよく抜剣し、人ならざる者達の戦場に突撃した。
 悪魔の攻撃をかわしてこそいるものの、天使は明らかに押されていた。悪魔の拳に耐え切れず、くの字に折れ曲がり始めた槍で必死に受け流しているが、疲労の色を隠すことは出来ていない。
 このままではいけない。
 私は加速した。
上半身を前に傾ける。
腕を振る。
 腿を上げる
 地面を蹴る。
 思い切り蹴る。
 咆哮とともにその凶悪な拳を引き、天使を粉々にせんとする悪魔を射程にとらえると、私は渾身の力を込めて飛び掛かった。
 悪魔の腕が伸びる。
 剣を振り上げる。
 腕が伸びる。
 狙いをつける。
 腕が伸びる。
 剣を、振り下ろす。
 柄を通して伝わってくる、鈍い手ごたえ。
 靴の裏に地面の摩擦を感じ、私は自らの運動を止めようと足を踏ん張った。
 耳をつんざくような叫び声が響く。
 後ろを振り向き、のたうち回ってもだえ苦しむ悪魔と、地面に力なく落ちた丸太のような腕を見て、私は攻撃の成功を確認した。
 目を丸くしてこちらを見る天使の視線を尻目に、体勢を立て直そうとする悪魔の前に立ち、少しばかり大げさに剣を構える。
 腹に力を入れ、大声で叫ぶ。
「私はっ、西の大陸の勇者っ! この世にはびこる悪を討滅するため、馳せ参じたぁっ!」
 我ながら完璧な名乗りだ。
 体は臨戦態勢のまま首から上だけ後ろを向ける。未だにぽかんとしている天使と目が合うと、私は得意げに言った。
「天使様、ご安心ください! 私が来たからには、もう悪魔になど勝手な真似はさせませぬ! この剣でメッタメタに切り刻んで……天使様、背中のそれは?」
 今度は私がぽかんとする番だった。
 天使の左肩の影から、くりっとした二つの目がこちらを見つめていた。よく見ると、彼女の首には華奢な腕が二本巻きついている。天使の銀髪と対照的なおかっぱ頭の黒髪が、その動きに合わせてさらさらと揺れる。
 天使の背中に必死にしがみついているそれは、紛れもなく人間の少女だった。
 私は即座に状況を把握した。頭の中がかあっと熱くなる。
 切り落とされた右腕をかばいながら立ち上がった悪魔に、のどが張り裂けんばかりの声でわめき散らした。
「おのれ忌々しい悪魔! 力なき少女を手にかけようとするとは……許さんぞっ! 」
 私の声に応えるように、悪魔は左腕の拳を振り上げた。握りしめられた岩のような拳が、私の頭上に恐ろしいスピードで襲い掛かってくる。あれに当たりでもすれば最後、私の身体はばらばらになってしまうだろう。
 ふん、低能な悪魔め。そんな単調な攻撃が当たると思うのか。
 軽く地面を蹴って横にステップする。悪魔の巨大な拳が右の肩当てをかすめ、石畳が粉砕されたのを見計らい、私は悪魔の懐に突っ込んだ。
 私の右手に握られた剣がぎらりと輝く。
 まず、腹に一突き。胸から腰に掛けて袈裟切り。がっちりした足の肌をざくざくと切り刻み、もう一度腹に一突き。
 大きく開いた足の間を前転して抜け、悪魔の左腕をよけると、無防備に晒された太い尻尾に向かって、私は剣を振り回した。
 尻尾はあっけなく千切れ飛び、悪魔はバランスを失って前のめりに倒れた。
 私はとっさに悪魔のたくましい背中へ飛び乗った。私を振り落して再び立ち上がろうと、悪魔は必死にもがく。だが私がそうはさせるものか。
 握っていた剣を素早く逆手に持ちかえる。逆さまになった剣の切っ先が狙い澄ますのはただ一点。この魔物の左胸にあるであろう、悪魔の心臓だ。
 割れんばかりに柄を握りしめ、剣に全体重をかける。
 化け物め。これで終わりだ。

 悪魔はぴくりとも動かない。地面に横たえられたその巨躯からは、生命活動を微塵も感じさせることはない。
 慣れた手つきで剣を振り、血を払う。
私は振り向くと、後ろからこちらを眺めていた天使の前に、ぎこちなくひざまずいた。
 激しい心臓の音が鼓膜に響いてくる。さっきは興奮していたからそうでもなかったが、今こうして冷静に相対してみると、なるほど、この世ならざる凛としたオーラをたたえている。
 緊張で固まった声帯から、声をひねり出す。
「てっ、天使様、お怪我はございませんでしょうか?」
 まずい。ところどころ声が裏返ってしまった。
 痛いほどの沈黙が、空間を包む。
 私はいたたまれなくなって、垂れていた頭をぐっとあげ、天使に顔を向けた。
 しかし、天使は私の方を見ていない。それは、相変わらず背中に担がれている少女も同じだった。少女は血の気の引いた顔をして、私の後ろを凝視している。天使の碧眼も、同じ方向を向いていた。
 冷たいものが、私の背中を流れる。
 振り向かせまいと抗う自らの首を無理やりねじ伏せ、私は後ろに頭を向けた。
 悪魔だ。
 常世のものとは思えない形相。右腕を失い、全身を切り刻まれながらも、自らの血で染まった大地を這い、こちらにゆっくりと迫ってくる。
 馬鹿な。
 馬鹿な、馬鹿な。
 天使と対峙していた時とは比較にならぬほど衰弱しきった悪魔が、私の方に左手を伸ばしたのを見て、あろうことか私の身体は、二歩、三歩とあとずさってしまった。
 確かに手ごたえはあった。心臓を貫いたはずだ。
 なのに、なぜ、生きている。なぜ、まだ動ける。
 いつの間にか、剣を抜いていた。無意識のうちに、叫んでいた。
「この悪魔がっ!」
 まるで巻割り用の斧でも振るうかのように、私は剣を振りかぶった。
 研ぎ澄まされた刃が、悪魔の首へと、吸い込まれるように飛んでいく。
 刀身が肉をかき分けて沈んでいく感覚。
 飛び散る鮮血。
 突如喪失する手ごたえ。
 そして、耳をつんざく少女の悲鳴。
 血払いもせずに剣をしまうと、弾む息をそのままに、私はもとのひざまずいた姿勢へと戻った。
「これで……大丈夫です。もう心配はいりません。完全に息の根は止まったはずです」
 そう口に出して言っているうちに、私の心も落ち着いてきた。そう、今度こそ、終わったのだ。悪魔は死んだ。悪の根源は滅ぼされた。
 心に余裕ができると、私は天使から与えられるであろう褒賞について、考えをめぐらせ始めた。
 何せ、悪たる悪魔を討伐しただけではなく、天使とか弱い少女の窮地を救ったのだ。きっと、この世界に存在する全ての勇者が 賞賛し、嫉妬するほどの名誉をくださるに違いない。歴戦の戦士にありがちな二つ名だって付くのだろう。私の場合なら、そう、例えば「悪魔殺し」とか「デーモンスレイヤー」とか、そういうやつだ。
 ふふ、悪くない。悪くないじゃないか。
 そう思うと、口角が自然と上がってしまう。私は、この大事な場面でだらしない表情をするまいと努めた。
 すると、さっきまでおとなしくしていた少女が、急にじたばたし始め、半ば落ちるように天使の背中から降りてきた。
 くりっとした両目に涙をたたえ、今にもわっと泣きだしそうな顔つきで、こちらに駆け寄ってくる。
 私はにこりとした表情を作ると、両手を広げ、少女を待ち受けた。
 これから私は、この少女を胸に受け止めるのだろう。恐怖から解放され、うわんうわん泣きじゃくる少女を、私が優しく抱きしめる。何とも感動的なシーンではないか。
 しかし、私の期待は簡単に裏切られた。
 少女は、私の横をすり抜けると、肩から上のない悪魔の亡骸にすがりつき、声をあげて泣き始めたのだ。
 少女の顔が、こちらを向く。そこには、感謝の念も、ましてや賞賛の感情もなかった。
 眉根にしわを寄せ、鋭い眼光できっと睨みつけるその表情。あの顔が示す感情はただ一つ。憎悪だ。
「人殺し……」
 最初、私は信じることができなかった。これは夢だと、何かの間違いだと思った。だがそうではない。少女の言葉一つ一つが、私に説き続けた。これは現実だ、これは現実だぞ、と。
「人殺し! 悪魔殺し! 悪魔殺し!」
「い……一体……何を言って……」
「勇者よ」
 ぽんっと肩を叩かれ振り返ると、そこには彫刻のように整った天使の顔があった。
「悪魔退治、大儀であった。お前がいなければ、私も無事ではすまなかったかもしれぬ」
「こっ……これは……」
 あからさまに動揺する私に、彼女はにこりと笑いかけた。
「あの少女は魔と心通わす者。悪の根源たる悪魔と親交を持つなど言語道断であろう?しかるべき場所へ連行し、見せしめとして処分する予定なのだ。今後このような愚かな真似をする者が現れぬように」
 天使の表情は変わらない。微笑みをたたえたままだ。
「さあ、それをこちらへ」
数組
2014年04月01日(火) 21時07分15秒 公開
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■作者からのメッセージ
こちらには初投稿です。
よろしくお願いいたします。

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No.2  数組  評価:--点  ■2014-04-11 22:58  ID:R9W8xnYw8ss
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片桐様

今回は貴重なお時間を割いて私の小説を読んでいただき、ありがとうございました。
いろいろと試行錯誤をしていく中で、欠点やミスを指摘していただけるのは本当に助かります。
ご指摘いただいた事柄については次回以降修正していこうと思います。

数組
No.1  片桐秀和  評価:10点  ■2014-04-11 19:24  ID:n6zPrmhGsPg
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 こんにちは。遅ればせながら読ませていただきました。
 コミカルな雰囲気は出ていると思いますが、難点も多い作品と思いました。
 1、冒頭の情景描写が、ファンタジー世界的になっていない。
  そのため、いきなり勇者という単語が出てきて、面喰いました。
 2、戦闘シーンを盛り上げるための、短文、改行の連続が、うまく機能して
   いない。
 3、SSとしては落ちが弱い。

 こんなところです。
 ちょっと辛目な感想になってしまったと思いますが、
 あくまで一意見ですので、あまり気にせず、新しい作品を書いていってほしいいです。

  それでは、これにて。
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