海老釣り
 リィリュィアスは次元の片隅に浮かぶ人工の都市世界。
 幾億もの次元世界からなる次元系の知られざる中継地。ある次元世界から別の次元世界へ召喚される「勇者」と「魔王」が極秘に事前のレクチャーを受ける訓練所であり、召喚によるリスクを少しでも回避するために結成された通称「勇者機構」の本拠でもある。
 しかしその存在を知る者は幾億もの次元世界でもごくわずかで、当の被召喚者らすら、その地に関する記憶は残らず、よっていかなる記録にも残ることはなく、その存在は隠蔽され続ける。
 次元系を統べる神をも欺かんとする「勇者機構」、その真の目論見とは……?

 ……というけっこう壮大な舞台設定を背景とはまったく関係なく、リィリュィアスという架空都市に住むけったいな一家族の非日常的な日常のお話。

    *
 
「【海老】釣りに出掛けよう」
 と言った月彦は、返事も聞かずに、もう出掛ける用意をしている。
 寝間着である浴衣を脱いで、ぱっと見た茫々さに似合わない手際の良さで着物を着込んでいく。帯をきゅっと締めるまでにおよそ十五分、ただし襟元などややだらしない。
 なんだか野暮ったい若旦那風に見える。
 容姿は決して悪くない、むしろ整った方だと評価される。なのに全体として見た時のこの野暮ったさは、色柄季節感など頓着しない服飾センスのなさと、やはり致命的なのは表情の締まらない緩さゆえだろう。
 きりりと表情を引き締めればすぐにも一角の色男にもなりそうなものを、とても残念な雰囲気を醸し出している。本人、自覚はあるようだが気にした風もない。飄々とした泰然さで日々過ごしている。要は、マイペースなのだ。
「お師様、お待ち下され」
「お待ちなさいなの」
 月彦のマイペースさに振り回されるのは、この家の憑き妖である狐と狸の二人組。正確には、狐っぽい子供と、狸っぽい子供。どの辺りが狐っぽく、狸っぽいかというと、二人共に耳がある。そして尻尾もある。狐の方はどちらかというと細面、狸の方はふっくらとした、どちらもそれぞれに可愛らしい顔立ちをしている。
 こたつで背中を丸めてみかんを頬張っていたところ、月彦が早々に玄関へ向こうとするのに、てんやわんや、身なりを整えたり、貰ったばかりの髪飾りを差してみたり、それから庭の方にある物置でがさがさと物を取り散らかして、竿と小さな道具箱を出してくる。
「釣りをすると言いながら竿も持たないなんて世の中を舐めてますの」
 狐ッ娘の亜莉紗は手厳しい。
「そうなのであります」
 狸っ娘の絹江は生真面目顔。
 二人揃って、てけてけと小走りに着いて来る。走る仕草がてんで違うのに、歩調はまったく同じというのが微笑ましい。
「はいはい、ご苦労さん」
 ゆるぅく笑って月彦は、追いついてきた二人の頭をぽんぽんと叩き、ぐりぐりと撫で回す。
「痛いであります」
「子供扱いしないでなの」
 そんな二人にをかまいもせず、空を見上げ「今日の天気はどうかな」とやっぱり呑気に問い掛ける。
 誰に? すぐ傍で掃き掃除をしている小さな人影、ちびっこ獣娘コンビよりもなお小さい。白地に朱いまだら模様のワンピース、ひらひら、ふわふわ、踊るように掃除する。まるで金魚が泳ぐようにふりふりと。可愛らしくはあるが、しかし、婆ちゃんだ。
「天気が気になるのかえ、なら、占ってしんぜようかのう」
 ぱくぅんと口を開けると、自分の握り拳よりも大きい水晶の珠を、腕をぐっと突っ込んで取り出す様は、ちょっとばかりシュールだ。ふりふりと尾びれのようにお尻を振る。
 どれ……と覗き込んで、うーん、と唸る。
「今日の天気は、晴れ、時々人が降ってこよう」
「ほほう、人が降るかね」
「人が降るわな」
「なるほどねぇ」
「なるほどのう」
「では今日は、頭上注意ということだね」
 緩慢な礼の言葉を転がして、月彦はもう一度空を仰ぐ。そこへ、
「あら、出掛けるの?」
 と涼やかな声。鈴を転がすようなとは、まさにしかり。
「お帰りであります、優菜」
「優菜、お帰りなの」
「ただいま、亜莉紗ちゃん、絹江ちゃん、タマお婆ちゃんも」
「ああ、おかえり、優菜」
 セーラー服の冬服にゆったりしたコートをはおる少女。肩に掛かる黒髪は艶やかにさららと風に揺らされ、日焼けを知らない白い肌、円らな黒い瞳は二人の幼女に暖かな眼差しを向ける。その微笑みに、弥勒の慈愛を想うのは月彦ばかりではない。
「お帰り、優菜」
「ただいま、ツキニィ」
「今日はいつもよりずいぶん早いんだな」
「勇者様が降臨されるらしくて、先生達が場所の特定に駆りだされちゃったから、午後は休校だって」
「ふぅん、またか。ここのところ立て続けのようだけど」
「そうよね。うぅん、何か起こるのかしら」
 少しばかり不安げな目で優菜が上目遣いに見るのを、月彦は、心配ないと頭を撫でてやる。さっきの獣ッ娘たりとは比べものにならない優しい仕草で。
「なんだか差別を感じるであります」
「月彦はすけべぇなの」
「いいだよ、嫁なんだから」
 年齢不詳の若旦那風青年である海逆月彦は、現役女子高生美少女の優菜と、実はこっそり結婚している。そこには深かったり浅かったりな経緯もあるのだが、あまりそういうことを意識することもなく、二人は二人なりに幸せにやっているので好しとしよう。
「変態なのであります」
「変態、鬼畜なの」
 さんざんな言われようである。
「なんとでも言ってくれ」
 気にする風もない月彦、優菜はくすくすと優しい微笑みを浮かべて小さい二人を見ている。
「三人揃って、どこへ行くの?」
「海老でも釣りに行こうかってね、優菜も行くかい?」
「うぅん、あたしは今日は家の片付けをしてるわ。ちょっと荷物が増えちゃって整理が付かなくなってたから」
「手伝おうか?」
「大丈夫! むしろ二人を連れ出してくれた方が助かるかも」
 当の二人に聞かれないよう、ひっそり耳打ちする。秘密を共有する感覚で、二人は微笑みあう。
「その代わり、大きな海老をたくさん獲ってきてね。海老フライの用意をして待ってくるから」
「お任せなのであります」
「任せるなの」
 ちょっと気ままに散歩がてらと思っていたのが、本格的に成果を求められることになってしまって、月彦は一抹の不安を覚える。まぁ、なるようになろう。いつものように鷹揚に構える。
「行ってきますであります」
「いってきますなの」
 獣ッ娘二人は元気にはしゃいでる。
 ならば好し。

   *

 てっきり河原の方へ行くのかと思っていた。獣ッ娘二人は当惑顔である。道を間違ってると思いつつも、迷った後で笑ってやろうと二人で相談している。ちびっ子のくせに悪い笑顔だ。
 ところで……、
「海老というのは何を食べるでありますか?」
 はたと気付いて絹江が問う。餌になるような物を用意してきていない。
 月彦は、ひょいと肩をすくめて、
「かっぱえびせん?」
 そんなことを月彦が知るはずもない。何しろ海老釣りなど初めてのことなのだから。
「それはないであります」
「それはないですの、馬鹿ですの、死にますの?」
 狐ッ娘はたいそうなツンデレさんでありまして。
 対して月彦は、悪びれもせず、
「狸か狐でもくくりつけておけばいいかな」
「あんまりなのです」
「ふざけんななの」
 当然その案は却下され、冗談で言ったにもかかわらず大きな不興を買った月彦は、二人を宥めるために朱い鼻緒の草履を買ってやる約束までさせられた。自業自得ではある。
「さて、着いた」
 月彦がそう言ったのは、山でも谷でもなく、見渡す限りの草原。この先には小川も流れているが、そこまでは行かない。
「こんなところで何をするでありますか」
 絹江の疑問ももっともだ。
「海老釣りだよ」
 平然と応える月彦。そもそも、海老というのは釣るものなのだろうか。網でばっさり獲ってしまうイメージが浮かぶ。
 ちょうどいい石を見付けて腰掛けるとき、思わず、よっこらしょと声が漏れてしまう。
「年寄り臭いのであります」
「爺ぃなの」
 自覚はあるのだが、ま、優菜に見放されない限りかまいはしないと開き直っている。そうでなくとも、気にするような性格ではない。
 絹江から受け取った道具箱を開ける。
 さっき、獣ッ娘たちがこたつで食べていたみかんを一つ、いつの間にか袖に入れて持ってきていた。それを針の先にちょいと付ける。
「かっぱえびせんと大差ないであります」
「それで釣れるのは食いしん坊の狸くらいなの」
「ぷー」
 狸っ娘が頬を膨らます。本当に仲がいい。
 微笑ましく眺めながら、浮きに少しだけ魔力を通すと、ふわりと浮いて、どんどん上昇していく。
「海老さんは雲の上にいるでありますか」
「ほえーなの」
 ぐんぐん昇っていく浮きを二人はあんぐりと口を開けて見上げている。
 空は青い。どこまで続いて、青さを増していく。白い雲、ぽっかり浮かんでゆっくりと風に流されていく。草原は緑、そよと吹く風、お日様は温かく、冬の寒さを忘れさせてくれる。少し硬い空気は新鮮で、深呼吸すると身体の中の清浄な空気に満たされる。
 後は引きがあるまで待つ。
 広い原っぱは小さな子供がじゃれ合うにはちょうどよく、二人は元気に駆け回っている。それを見ながら、いつものゆるぅい笑顔で、頬杖を突く月彦。どれくらいそうしていただろうか。ついうとうとしたけた頃、
「お師様、お師様」
「起きるなの、寝てる場合じゃないなの、このボケナス」
 二人のちびっ子に両側から揺さぶられ、優菜愛してるよとか恥ずかしい寝言を漏らしながら、はっと目を覚ます月彦。
「お、引いてるじゃないか」
 きりっとした表情を作ってみせるのは照れ隠しのつもりだろうか。
 それはさておき、竿がぐいぐい引かれ、リールからどんどん糸が出ていく。
「大物ですあります」
 はしゃぐ子供達。
 一方、月彦に珍しく余裕がない。どうも海老釣りを甘く見ていたようだ。
「あー、君たち、悪いけどちょっと手伝ってくれないかな」
「了解であります」
「厭なの」
 珍しく意見が分かれた。首を傾げて亜莉紗をみる絹江。
「月彦が本気出せばわけないなの」
 亜莉紗が鋭い指摘をする。絹江もそれに頷く。
 月彦はぽつりと、
「面倒臭い」
「お師様……」
 白い目で見られた。
「こういうのは協力してやったほうがいいんだよ。チームワーク的に」
 苦しい言い訳。けれどまぁ、二人にしても、実は竿を握ってみたいという欲求が見て取れる。
「分かったなの」
 獣ッ娘二人は頷き合い、その場で宙返りを打つ。ぽんっと小さな破裂音、白い煙の塊が一瞬、それが晴れて、
「あぁ、この姿になるの久しぶりぃ」
「ほんと、子供の姿は楽でいいけど、たまにはねぇ」 
 と、そこには、年の頃二十歳前後の美女二人。一人はぼんきゅぼんのナイスバディ、一人はスレンダーなモデル体型、ゆるくウェーブした黒髪と、癖のない艶やかな金髪、好対照ながらどちらも目を見張るほど美しい。
 ふふぅんとお互いプロポーションを見せつけ合う。
 ちなみに大人姿になると、耳や尻尾は見せなくなるらしい。
「いいから、早く手伝ってくれ」
「はいはい、すぐ行きますぅ」
「まったく、だらしない主様を持つと苦労しますわ」
 身体が大きくなっても会話のコンビネーションは変わらない。
 よいしょよいしょと三人で竿を引く。
 というか、真剣な顔をしているのは二人だけ。
「お師様、竿触ってるだけですぅ」
「やる気がないなら邪魔なだけですわ」
 なら、と月彦は竿から手を放す。ひらひら手を振ってさっきの石に腰掛け、
「がんばれー」
 とか言ってる。
「クズ野郎ですぅ」
「ゲス野郎ですわ」
 そんな罵倒もぬるぅい笑顔で応える。
「亜莉紗ちゃん!」
「絹江!」
「二人で健気に生きましょう」
 よく分からない連帯感で、二人は力を振り絞ると、高い高いところに浮かぶ白い大きな雲を割って、ぬっと突き出す灰色の影。一見するとドラゴンかと思うような尖った甲殻、ぎょろりと飛び出した目。ぐいぐい引っ張るうちにようよう全容を見せる。海老だ、紛うことなき巨大な海老だった。
 予想外の大きさに、獣ッ娘二人が目を剥き口をあんぐり開けて空を見上げている。
「何人前の海老フライ……?」
 雲の下に姿を見せて少しは弱っているだろうに、びくんと跳ねる度、竿を持って行かれそうになる。
「お師様ぁ」
「やれやれ、さてと」
 やおら立ち上がる月彦。ぱんぱんと裾を祓い、何もない宙空に手を添え引き絞る。見えない弓がそこにある。音もなく射出される見えない矢。さして狙う素振りもないのに、確実に獲物を捕らえる。その度にびくんびくんと跳ねる海老。その作業を三度、四度繰り返す。
 きゃあと叫んで尻餅をつく二人。
「糸が切れたですぅ」
 けれど海老はのた打ながら落ちる。
「【ずどーん】」
 きゃっきゃとはしゃぎながら駆け寄る二人。もう元の幼女の姿に戻っている。
「まだ生きてるであります」
「新鮮食材なの」
「どれ、思ったより大きいな」
 どうやって持って帰ろうかと思案しながら、月彦は氷系の魔法で瞬間冷凍する。このサイズだと、海老フライより切り分けでソテーの方がよさそうだ。というか、フライは無理だろう。
「おぅ、随分立派なのを釣ったもんじゃないか」
 怪しい風体の、むさ苦しい顔をしたおっさん。どこにいたものかふらりと現れて、品定めでもするように海老を見る。
「よかったら、背腸のところだけ売ってくれないか」
「背腸?」
「他はいらねぇ。ま、売ってくれるなら買いはするけど、売らねぇだろ? 身はうめぇからな。背腸のところに寄生する虫がなんとかってぇウィルスの繁殖を媒介するらしい。でな、そのウィルスてのが、ある次元のある種族に覿面に効くってんで高値で買う人がいるだよ」
 ま、いわゆる【ウィルス兵器】てやつだなと、おっさんは満足げに煙管をぽんと打ち鳴らす。
 しかしまぁ、『なんとか』とか、『ある』とか、扱っている商品の割りに曖昧な話だ。
「なに、理屈はどうあれ、売れりゃいいのよ」
 怪しげな風体の商人としては、そんなところだろうと三人して頷き合う。
 それにしても、虫だのウィルスだの。この海老、本当に食べられるのか?
「心配しなくても、兄さんらが喰ってもなんともねぇよ。ぷりっとして濃厚な旨味がじわりと染み出して、そりゃあ、うめぇらしいぜ。俺は商売柄あんまり喰いたかねぇけどな」
 一部族数百人が死んでいく様を間近で見せられたことがあるからなと渋面を浮かべる。
「でも売るんだ」
「ま、商売だからな。いちおう、使う側にもそれなりの言い分もあるんだぜ。そのおかげでその世界は戦乱が収まって平和になったしな。あとは抑止力として備蓄しておきたいらしい」
「なるほどね」
 分かった風を装うが、分かってはいない。要は武器を売る死の商人、生物兵器を扱うのはより質が悪い。
「確かに生物兵器なんて武器としては最悪の部類だが、千年続いた戦乱がそれで収まったんだしな。たくさん犠牲者も出ていた。正直、やれやれとも思っているよ」
 どうやらおっさんは、その世界の出身らしい。王家の密命を帯びて次元を旅してようやく見付けた切り札と言われれば、安易な非難もし難い。
「あぁあ」
 異口同音に漏れる溜息。今の話ですっかり食べる気を失ってしまった。
「いらねぇなら貰ってくぜ、いや、買い取らせてもらおう。合わせて金貨五枚でどうだい」
「それでいいよ」
 投げやりな気分で売ってしまう。おっさんの思惑通りはめられた気もしなくもない。なんだか、無駄に疲れた。
 陽もとっぷり暮れた夕方、帰り道、とぼとぼと家路に就く三人。いつも元気な獣ッ娘二人も、今回ばかりはしょんぼりしている。
 剣呑な気配にふと空を見ると、流れ星? ひゅうという風を切る落下音、どさりと何かが落ちる。
 占いの予測通り空から人が降ってきた。
「やれやれ」
 つぶやいたきり、心に余裕がないので放置した。
 三人は家路を急ぐ。期待して待っているだろう優菜への言い訳を考えながら。

†=========†    
【後日談1】
 リィリュィアスは、一つの都市であり、一つの世界である。この世界には宇宙も銀河も惑星系も、宇宙の外に続く外宇宙も何もなく、ただ都市があり、都市を取り巻く空があり、太陽と月が周回しているそれだけの世界。
 海も山も、谷も川も、全て都市の中にある。都市だけがこの世界の全てである。
 都市はおよそ五千のエリアからなる。
 面白い事実がある。幾億とも幾兆とも言われる次元系の惑星群であるが、召喚をする側の世界は無数にあれど、召喚を受ける側は実は意外に限られている。およそ五千ほどの文化圏に属する諸世界の特定エリア、ほとんどの被召喚者はその出身であると、勇者機構の公式レポートにある。よって、リィリュィアスのエリアも五千ほどからなるわけである。
 と、そんなことで、月彦の住んでいるのは、おおよそ地球の日本に近い文化エリアである。
 今日呼ばれているのは、その内の京永安三区の区長の屋敷であった。と同時に区役所でもある。一町もの広大な面積の屋敷の一部を役所として使っている。京エリアでは珍しいことではない。
「久しぶりだね」
 気さくな素振りで話し掛けるのは、一見、生徒会長タイプの眼鏡の凛々しい美少年。理解ありげな微笑みを浮かべるが、彼を知る者からすれば、目が笑っていないことは明らかだ。
「そう凄むなよ、圭十」
「僕は凄んでなんかいない」
 あくまでのほほんとしてる月彦に、常日頃余裕の笑みを絶やさないことを旨とする香代圭十区長にして、眉間に皺し、口角を引きつらせることを隠そうとしない。
「君はしかし、反省というものを知らないのかね」
 一見すると随分若い区長で、年上の月彦を叱りつけているように見えるが、実際は、月彦よりも区長の方が年が上である。元々成長の遅い種族である区長と、魔法を使って年を上に見せている月彦のスタイルの違いがよりそう見せる原因となっている。
 それはいいのだが。
「なぜ、勇者を勇者と知っていて放置して帰るようなまねをするんだ」
 海老釣りの帰りのことである。空から降ってきた少年、それと知りながら、結局獲物をゲットできなかったげんなり感と優菜へのいいわけを考えるのとで、とても対応する気にならなかったのだ。
「ここじゃあ、あまり希少価値もない勇者だが、勇者は勇者だ。必要として呼び寄せた誰かがこの次元系のどこかにいるんだ。彼らにすれば命に関わるリスクを負って呼んだんだから、それをないがしろにするわけにはいかないだろう」
 と言っている区長の口調が、どこか白々しい。そんなことは建前であると、態度が語っている。
「そもそも勇者であれなかれ、その場に放って置くなんて人道的に問題があるだろうに」
「男だったからね、大丈夫だろう」
 呑気にというか、至極無責任に応える月彦。
「女だったらどうしていたんだ」
「さすがに女なら連れて帰るとも。まぁ、ある程度の基準を満たしていたなら、だけど」
「お前なぁ」
 不細工はいらないとでもいうのか。圭十は頭を抱えたくなる。これがこの区、いや、東方幻想エリア一の勇者指導員の言葉かと思うと、溜息の一つも漏らしたくなるというものだ。
「いいか、区長として……」
「無理無理、断る」
「いや、待て」
「ウチはね、私以外女ばかりの所帯だから、子供とはいえ男の子を一時的にでも住まわすわけにはいかないんだ」
「方法はいくらでも……」
「そんなわけだから、じゃあ、後よろしく」
「待て、帰っていいなど誰も……」
 と、と、と、と軽快に縁側を渡っていく足音。
「お帰りですか?」
 と役人が声を掛けるのに、
「帰る帰る」
 と気軽に応える声が聞こえる。
「まったく、アイツときたら!」
 立ち上がりかけた腰を、結局、ぼそっと革張りの柔らかな椅子に戻す。
 こうぽんぽん涌いてくる勇者を、次はいったい誰に任せたものか。圭十は誰にともなく愚痴をこぼす。今年に入って京エリアだけで七人目。一エリアの人数としては多すぎる。魔王の異常発生でも起こっているのだろうか。
 まさか、な。
 ひょっとしたら堕天の出現が近いのかも知れない。そんな最悪がふとよぎりそうになるのを、慌てて打ち消し振り払った。

†=========†    

【後日談2】
 失意の三人が家に戻ると、鼻腔をくすぐるいい匂い。芳しい味噌の香りは、優菜の得意なお味噌汁だろうか。とたんに、ちびっ子二人のお腹がぐぅと鳴る。
「お腹がすいたであります」
「早く何か食べさせろなの」
 子供はこういう単純で現金なところがいい。
 家に入ると、セーラー服に割烹着姿の優菜が台所で夕食の用意をしていた。
「あら、おかえり」
「ただいまなのです」
「手ぶらでごめんなさいなの」
「海老さん、釣れなかったのかしら」
 優菜が二人のちびっ子を連れて、ちゃんと手を洗わないとねと、一人ずつ抱え上げて流しで手を洗わせる。
「釣れたけど、人に売ってしまったのであります」
「そうなの?」
 優菜の問いが、月彦に向けられる。小遣稼ぎなんてことはないわよねと、ややじっとりと見る目の色が語っている。
 心外だなぁと肩をすくめる月彦。
「ウィルス兵器になるそうなの」
「ウィルス兵器?」
 経緯を説明する。
「確かにちょっと気持ち悪いわね」
「そんなわけでごめん、優菜」
 月彦が手を合わせて謝る。いつもの軽薄な笑みではなく、真摯な表情で頭を下げる。
 あたしにできるなら他の人にもすればいいのにと、優菜は思わなくもない。一方で、自分に見せる特別に、悪い気はしないというのも確かだった。そして、まぁいっかと、いつも許してしまう。
「今日は残念だったけど、そんなこともあろうかと」
 優菜が冷蔵庫からおもむろに取り出した物。
「海老さんであります」
「ちゃんとした普通の海老さんなの」
「別に頼りにしてなかったわけじゃないんだけど、魚屋のおじさんが今日は安くしとくからって」
「本物の車海老か、けっこう大きいな」
 月彦も感心する。
「おっきな海老さんよりずっと美味しそうなの」
 それを言うか。
「残ってもいくらでも使い用はあるし」
「まあ、そうだね」
 と肯きつつ、あの巨大海老を本当に持って帰ったらそうそう食べきれるものではないなと内心苦笑する。あるいは、結果オーライだったかもしれない。
「さぁ、この海老をフライにするから、あっちの部屋で待ってて」
「はいであります」
「はいなのー」
 元気よく駆け出してこたつにスライディングするちびっ子達。
「壊すなよ」
 と月彦は苦笑する。
 くたびれ損のような一日だったが、こういう締めくくりがあるから、それも楽しい思い出になる。ちびっ子達はあのときどうだっただのおしゃべりに興じ、月彦は、その様子を眺めながら冷蔵庫から出してきた冷酒を啜る。
 ややあって、優菜がちびっ子達を呼ぶ。
「ごはんできたから手伝って」
 とてとてを駆けていく二人。帰りには、優菜と共に、揚げたての海老フライといくつかのお総菜に、ごはんと味噌汁を用意する。
 ところでと、ご飯をよそいながら優菜が話を向ける。
「今回の勇者様は空からご光臨されたみたいなんだけど、通りかかった人が無視をして通り過ぎちゃったんだって。不敬よね」
 と横目で月彦を見る。
「へぇ、そうなんだ。よく知ってるね」
 としらっ惚ける月彦。
「タマお婆ちゃんから聞いたの」
 余計なことを言う婆ちゃんだな。
「それと、つい今、区長さんから手紙が来たわよ。速達だって」
「圭十から? 手紙なんて随分まどろっこしいことをする」
「お友達の圭十さんとしてじゃなくて、区長である香代圭十さんとしての公式な書状みたい」
 ああ、なんだか面倒な予感しかしない。月彦が顔をしかめる。
「ツキニィはいったい何をしたのかしらねぇ」
 完全にバレてるね、これは。
 罰として今日は一緒に寝ないからねと宣言されたり、
「ぼっちなのであります」
「三行半なの」
 と二人のちびっ子に散散に言われたり、本当に一階の居間に一人で寝かされたり、夜中、子供達が寝静まった後、こっそり優菜が忍んできて一緒に寝たり、と。
 なんだかんだで、海逆家は、今日も平和でありましたとさ。

【後日談3】
 リィリュィアスには五千の文化区域がある。その内の日本風区域から、隣の中華風区域へ向かう門。門兵に止められている一人の男。
「俺は無実だ、はめられたんだ!」
 と青筋を立て、唾を撒き散らかしながら、尋問する兵士相手に喚いている。
「分かった分かった、ほら、名前は?」
 対する兵士は、慣れたものかまるで意に介さず、質問事項を繰り返す。
「俺はあれが盗まれたものだとは知らなかったんだ」
「だが訴えによると、お前さんが養殖場から逃がしたとあるぞ」
「嘘っぱちだ」
「そうは言ってもなぁ、勇者機構の指導員で、色んなツテを回って来てるから、これ、もう既定路線に乗っちまってるぞ。お前さんがなんと言おうと、ていうか、事実だろうとなかろうと、無罪にはなりっこねぇレベルだ」
「冗談だろ、おい」
「気の毒にな、あんたいったい、誰を怒らせたんだい」
「誰なんだよ、その指導員て」
「知らんよ、知ってても教えられるわけがないだろう。いちおう、裁判とかはちゃんと開かれるみたいだから、もしかしたら言い分が認められることもあるかも知れねえ、もしかしたらな」
 達者でやれやと言って、兵士達は去って行く。
「ちゃんと名前とか書いとけよ、それ以上心証悪くしてもしょうがないだろ」
 後に残された商人は唖然としたまま、行き場のない怒りを持て余していた。
「誰だ、誰なんだよ」
 思い返してみるも、心当たりが多すぎて絞り込むこともできない。渡りで行商人なんてやってるとあちこちで恨みを買う。恨みの一つも買わないようでは商人としては一人前ではないとすら思っている。
 ただ、どうも今回は妙だ。やり方が商人らしくない。だから商人仲間の厭がらせという可能性は考えにくい。だとしたら、誰だ。
 客に恨まれるようなことはしない。依頼人や買い取り先にも誠意を持って対応する。出し抜くのは商人だけだ。だから商人を除くと途端に容疑者が減る。
 一人引っ掛かるとすれば、昼間会った、獣人の子供二人を連れたとっぽい兄ちゃんか。巨大海老を食い損なった意趣返しだろうか。しかし、そんなことでここまでするか、普通?
 他に思い当たることがない。今時点でそれが一番もっともらしい。それ以上考えることが煩わしくなってきて、商人は、とりあえずそういうことにする。
 もうどうにでもしやがれ、こんちくしょう。
   *
 この商人の冤罪が晴れたのは三週間後のことで、三週間きっちり拘留され、あれやこれやと尋問された。尋問する側にもされる側にもあまり真剣味がなく、そういう意味では、煩わしさは少しましだったかも知れない。
 嫌疑が晴れたのはある人物の証言があったからだという。会いたいというので、商人は会ってみることにした。そこにいたのは、
「やっぱりお前か」
「おや、無実を晴らしてあげたのに、あまり歓迎されていないみたいですね」
 月彦である。いつものように飄々とした出で立ち、締まらない薄笑いは、不敵だとも言い換えることができる。
「そもそもお前だろう、俺をはめて無実の罪を着せたのは」
「心外ですね。私がそんなことをするとでも?」
 言われてみれば根拠などはなにもない。精神的に切羽詰まって、証拠も何もないのに決めつけることによって、スケープゴートに利用したに過ぎない。
「すまない、俺の思い込みだ」
「ならいいのです」
 握手を交わして二人は留置場を出る。
 握手を交わす二人。
 商人は改めて礼を言う。
 別れ際、ぽつりと言った月彦の一言。
「食い物の恨みは恐ろしいということで」
 ……は?
「やっぱり、お前じゃねぇかよ!」
 快活に笑って去って行く月彦。
 なんとなくそれ以上怒る気にならず、
「今度会ったら倍返しで取り立ててやる!」
 と宣言して立ち去るのだった。
2014年02月15日(土) 22時31分37秒 公開
■この作品の著作権はおさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
三語に書いたものに前書きと後日談を足してみました。
お題【ウィルス兵器】【ずどーん】【海老】
よろしくお願いします。

この作品の感想をお寄せください。
No.6  お  評価:0点  ■2014-02-25 01:20  ID:ww1wwq4E9t.
PASS 編集 削除
どうもどうも。ありがとうございます。
まぁ、もとが三語なので、体裁については、大目に見て貰えれば嬉しいかなと。
キャラ多すぎますか。まぁ、最初から想定していたより婆ちゃんだけが増えましたが、あとは、こんなものかなぁと思っていたんですが。主人公の影が薄いとは確かに思いますが。幼児二人が頑張ってので良かなぁってところで。
話数を重ねていけば、バランスもよくなっていくんでしょうけどねぇ。多分、やらないなぁ。
てことで。またお会いできれば。
No.5  gokui  評価:30点  ■2014-02-23 14:33  ID:WOz5G1X2KrY
PASS 編集 削除
 読ませていただきました。
 発想が自由で面白いんだけど、なんだかそれだけで終わってる感じですね。キャラもストーリーからすると多すぎでもったいない感じ。キャラクター命みたいなところがあるのでキャラを増やしすぎると一人一人が印象薄くなっちゃってもったいないのです。そのわりには、それぞれのキャラクターの影があまり薄くなっていないのは、うまいんですけどねえ。
 後日談は、それだけでけっこうな物語になっているので、後日談としてではなく、本編に取り込んで欲しかったですね。後日談と書かれるとなんだか読まなくても良い部分という先入観を持って読んでしまいますから。
 いろいろ書きましたが楽しかったです。今後も期待していますね。
No.4  お  評価:0点  ■2014-02-19 01:41  ID:MA1er3vmK2M
PASS 編集 削除
どうもどうも。
ありがとうございます。
ほのぼの。そんなに意外でしたか。そう思われるのが意外と言えば意外。
幼児の観察なんてしてませんよ。さすがに通報されてしまう……
後日談は、僕の楽しみでした。僕が楽しめたから、それはそれでありかと。
サイト運営の方は管理人にその気が無いのでまぁなるようになるとしか……
どうもありがとうございました。
No.3  楠山歳幸  評価:40点  ■2014-02-16 23:10  ID:3.rK8dssdKA
PASS 編集 削除
 読ませていただきました。

 驚きました。
 おさんがほのぼの系を書いていらっしゃる!
 そして女の子がかわいい!機転を生かしたようなセリフが面白くてかわいかったです。いつどこで観察したんだろうと良い意味でビビりました。
 月彦がねーちゃんあちきとあそばないとか言い出すんじゃないか少し心配してしまいましたが気のせいでした。
 自由な海老の発想と飄々とした、余裕を見せるような作風が面白かったです。ラストも堅苦しい勇者をばっさり切って笑ってしまいました。それだけに後日談は、僕は蛇足かなと感じました。
 三語に参加してくださる方や一般板にもUPして下さる方がもっと増えるように影で祈ります。
No.2  お  評価:0点  ■2014-02-16 23:01  ID:UWN2hhhpo6.
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やあやあ。さんくす、さんくす。
ポップ!
書いてて楽しかったことは確か。
続き書けと言われても無理だけど。
露骨は嫌いじゃないしね。
読者にひよってみるのもたまにゃいいさ。
君の幻想は眩んでるか?(イミフ)
No.1  tori  評価:30点  ■2014-02-16 20:19  ID:pM6/RBsvYYc
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お久しぶりです。toriです。

おさんのポップ?というか、美少女を意識したキャラを見るのがすごく新鮮でした。
以前にも拝見したことはあったなあ、とは思うのだけれども、そのとき以上に露骨というか。出てくるキャラというキャラが美形っていうのは、文章で起こされるとそれはそれで露骨な感じになっちゃいますねえ。

とはいえ。
空から海老を釣り上げるとか、そういったネタづくりはさすがだと思いました。
こういう幻想的なのいいですよねー

ということで、以上です。
総レス数 6  合計 100

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