拝み屋
 その日はたしかまだ六月のおわりだというのに、梅雨を忘れたかのような空は真っ青に晴れ上がり、初夏の陽気を漂わせていた。中学にあがったばかりの喜作は鎌倉での初めての夏を迎えようとしていた。
 普段殆ど来客のないひっそりとした神社にやってきた親子を見て喜作は思わずサッカーボールを蹴る足を止めた。子供はまだ小学生に上がったばかりかそこらの少年で、この暑さの中きっちりとしたシャツと半ズボンにハイソックスという格好だった。しかし彼は汗一つ流していなかった。その手を引く若い母親もまたきちんと着こなされた着物姿で、子供の手を引くもう片方の手で白い日傘をさしていた。これほどまでに和服の女性が魅力的に見えたことは初めてで、結い上げた黒い髪の下からのぞく白い首筋を見て、喜作は思わず背を正した。彼らは喜作の母の久しぶりの客であった。
 喜作の母は拝みやであった。家系的な血筋から巫女として四国で商売をやっていた。大きな組織には入らず、地道に祈祷師として喜作と二人生活していけるだけの収入を得て何とか暮らしていた。しかし、四国にはやたらそちら系の同業者が多く、特に組織がらみの客を相手にするのは個人経営をしている祈祷師にとっては危険だった。つまりは憑き物を落として欲しいとやってきた客の背後には実は組織的な祈祷師たちの呪術があったりするのだ。たとえそれを解くことが出来ても今度は組織からのあだ討ちがある。喜作の母もその被害にあった一人だ。大勢の祈祷師からの一斉の呪術をかけられて、さすがに対抗することも出来ずに喜作を連れて鎌倉まで逃げてきたのだ。鎌倉の神社で同じように四国から逃げてきた神社の神主の平尾さんに拾われて、今は母と二人この神社で平尾さんとともにひっそりと暮らしていた。
「それで、ご子息の癇落(かんおと)しということでよろしいのですね」
 母が丁寧に尋ねると和服の婦人はええ、と頷いた。
「この子、少し癇が強いんです。たまに変なことを言い出したり、いきなり発作を起こしたり・・・。病院で検査もしてもらったんですけど異状はないといわれまして、そういえば癇おとしに来てなかったことを思い出しまして」
 落ち着いて上品な声で話す婦人の横で少年は借りてきた猫のようにピクリとも動かずに姿勢を正していた。育ちのよさというよりは子供らしからぬ感じのする大人びた少年だった。
「わかりました。家はお近くなんですよね。祈祷しますので出来れば弥(ひさし)君をしばらくお借りして夕方ごろには迎えに来ていただけると嬉しいのですが」
 母は少年の方ににっこりと笑顔を向けながら言った。
「ええ、わかりました。すみませんがよろしくお願いします。また後ほどうかがいますので」
婦人は母に頭を下げてから子供のほうを向くとご迷惑をかけないようにね、と念を押してから白い傘を開いてきた道を戻っていった。
どうやら彼女は母が本当の拝みやであることを知らないらしい。というより、こちらにきてからというもの祈祷師であることを隠し、神社の巫女として毎日過ごすような暮らしをしているのだから知らなくて当然だ。婦人もたまたま近所にある神社が癇落としをしてくれると聴いて悩みの種である息子を一度連れてきて気分だけでも神頼みのようなことをしようとしただけで、まさか本格的な除霊を行ってもらおうなどと考えてはいないのだ。
「喜作、おいで。いるんでしょ。ほら、弥君と仲良くしてあげて。今、冷えた水まんじゅうもってきてあげるから」
 呼ばれて廊下の陰からのぞいていたことがばれたことに気まずさを感じながら喜作は少年と面と向かった。黒い瞳が喜作をじっと見つめた。ひどく澄んだ瞳だと思った。
「俺は志野喜作。さっきのは俺の母さんだよ。この神社で巫女さんだ」
奥の台所へ向かう母と入れ替わりに少年の前で喜作は自己紹介をした。
「こいよ。縁側で食べよう。彩京堂の水まんじゅうはうまいんだ」
 喜作は少年の手を引いた。ひんやりとした手のひらには本当に血が通っているのかと疑いたくなった。
 縁側の庭先で母の出してくれたよく冷えた水まんじゅうを口に入れる。とろりとした甘さが口の中で広がり、この上ない幸せを喜作は感じた。こんな小さなことで幸せを感じられるのだから人間って奴は幸福だと喜作はいつも思う。隣を向くと弥は水まんじゅうを口に運ぶことはぜずにただ見つめているだけなので、食わないのかと声をかけようとしたところを母の声が割って入った。
「弥君、大丈夫よ。ここには貴方が何かを見たからといって怒る人はいないし、悲しむ人もいないわ。自分の思ったことを素直に感じていいのよ」
母はそういいながら弥のそばに腰を下ろして彼の背をゆっくりと撫でた。顔を上げた弥が母を見つめると母は彼に向かってやさしく頷いた。
 小さな手が動いて透き通った水まんじゅうを一口分だけ口に運んだ。おいしい、とこぼれた言葉は喜作の聞いた弥の初めての声だった。
 結局母は弥を拝まなかった。その日は日が暮れるまで紀作が弥の相手をした。始めは固まっておとなしくしていた弥も徐々に打ち解けて帰りには笑顔を見せていた。母親に手を引かれて帰っていく弥を見送ってから、喜作は母に尋ねた。
「ねぇ、あいつやっぱりみえるの」
 答えをもらえるとはあまり期待していなかった。母は今まで喜作に拝み屋の仕事を詳しくは話そうとしなかった。それでも喜作は母のやっている家業についてのことはなんとなくわかっていたし、自分にまったく霊感がないことも知っていた。
「霊媒体質ではないわね」
ゆっくりと口を開いた母に驚き喜作は顔を上げた。母の横顔が遠くを見つめていた。中学にあがった息子にこれ以上隠す必要もないと感じたのかもしれない。どんなに願っても逃れられない運命があるのだ。霊力を持つ家系はそうやって何らかの形で結局はそうゆうものを背負って生きていく。それでも母は霊感のまったくない息子には自分のような苦労のある世界を知らずにいきてほしかったのかも知れない。そのくらい、霊界との間に生きることは厳しいものなのだ。
「霊感というのはね。あるとかないとかではなくて本当は皆が持っているものなのよ。強い弱いはあるけれどもね。弥君の場合は霊感が強いんじゃなくてそういうものに惹かれる子なのよ。だから自然と見えてしまうことも多くなるわけ。たまにいるのよ。そうゆう子が。これはどうすることも出来ないわ。彼自身が受け入れていくしか道はないのよ」
 喜作はわかったようにふうん、と頷いたが、母の言葉を多くは理解できなかった。ただ自分も少しでも見えたらとなんとなく弥に嫉妬感を覚えた。

 弥が神社にやってきたのはその後何週間も間を空けなかった。
体の割りに大きな革鞄を提げた少年が外の石段の近くでうろうろしているのを見て喜作が声をかけた。
「香草園付属か。やっぱり金持ちなんだな」
喜作が背後から言うと弥は体をこわばらせておびえたようにこちらを見上げた。有名な校章の入った制服は紀作でも知っているここらでは有名なお坊ちゃま学校だ。初めて会ったときから思ってはいたが、やはり弥は金持ちの家の子供らしい。
「そんなにビクビクするなよ。別に怒りゃしないよ。よっていけば。母さんが喜ぶ」
 肩をすくめて喜作が言うと、小さく頷いた弥が後からくっついてきた。弥を連れて行くと当然のように母は喜び、平尾宮司は菓子や果物を沢山出してきてすすめた。弥は思う存分神社の境内を歩き回り、満足した笑みをたたえて帰っていった。そんなことが何度もつづき、夏が本格的に始まるころには弥の訪問も当たり前になっていた。なかでも彼が気に入ったのは境内の裏にある水琴窟で、向日葵の下で涼しげな音を奏でるその音が喜作の中でその夏の思い出となった。また、彼が神社に来るもう一つの目当てが喜作の母にあることにしばらくしてから気がついた。弥はとにかく母に懐いた。いつもはおとなしく無愛想な面持ちなのに、喜作の母の前にいくと彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。母ももちろん弥をかわいがった。そんな光景を見ながら喜作は複雑な気持ちを抱いた。弟や妹がいる友達はこんな風な思いをしているのだろうと感じた。特に、弥の持っている惹きつける力に喜作はやはり嫉妬感を覚えずにはいられなかった。自分には入れない共通の領域を母と弥は知っているのだ。

「人は皆、呼ばれるときがきまっているんだよ」
平尾宮司が喜作にそんな言葉をかけたのは赤く染まったもみじが庭に絨毯を敷くように葉を落とす季節に入ったころだった。
 クラブに入らず殆ど毎日早く帰宅する喜作は縁側で紅葉の絵のスケッチをしていた。美術の授業の宿題だ。来週行われる文化祭で展示するらしい。
「どうゆうこと」
喜作が聞き返す。庭の紅葉の下では弥が紅葉の葉を拾っていた。綺麗な形のものをあつめてしおりにするらしい。平尾宮司が喜作の隣に腰掛ける。午後の日差しに目を細める横顔を喜作はじっと見つめた。
「この世には裏の世界が確かに存在する。しかしな、それは人によって違う形で現れるんだよ。呼ばれるときも当然違う。特にお前は志野の家系に生まれたんだから決してその運命は逃れられないよ」
 白髪の混じるきりりとした眉がこちらを見つめ、心を見透かされた気がした。
「俺もいつかそっちの世界にかかわるときが来るってこと?」
「ああ、いずれはな」
 平尾宮司が前を向く。喜作は持っていたペンを置いて庭を走り回る弥を見つめた。
「でも俺、じつはあんまりよく信じられないんだ。そうゆうの。見えないからかも知れないけど」
 紅葉を拾う小さな少年は自分の見えないどんなものをみているのだろうか。あの綺麗な黒い瞳に映るそれは彼に何をあたえているのだろうか。
「なぁ、喜作。信じないということは大切なことだ。たとえ見えてもな。霊能者は他人が見えないものを見えるからといって見えないという他人を見下したがる。でもな、それは違うんだ。人には人それぞれ見える形があって、自分の見え方を人に押し付けたとこで何にもならない。怪しい宗教が生まれるだけのことだ。だからたとえ見えたとしてもそれは自分の中だけのもので、信じなくたってそのことを大切に生きていけばいいんだ。自分のこころの中でな」
 風が吹いた。赤い絨毯が舞い上がる。風に飲み込まれた弥がふと何か悲しそうな顔をした。喜作は以前四国にいたころに、母のところに来た客が誰かを呪い殺してくれと頼みに来るたびに苦痛の表情を浮かべ、何日も部屋に篭った後、青い顔に無理に笑顔を作っていた母の顔を思い出した。親子二人で食べていく金を作るにはそれだけのことをしなければならなかった。あのとき、母の背負っているものを少しでも自分も共有することが出来たらと強く思った。弥もまた見ているのだろうか母と同じようなその世界を、あの黒い瞳で。そう思うと胸が締め付けられた。喜作は自分の生まれついた家系を呪った。そして初めて自分が見えることへの恐怖感を抱いていることを知った。

 いつの間にか季節が過ぎ、年月も過ぎた。弥が神社に顔を出さなくなったのがいつごろだったか覚えていないが、喜作が高校入試のために勉強に忙しくなり、弥の相手を出来なくなったころからかもしれない。なので、久しぶりに見た少年の成長に喜作は目を疑わずにはいられなかった。昔と変わらずどこか影のあるいでたちだったが、そこに以前にはなかったずるがしこい少年らしさが備わった弥はどこにでもいる生意気な少年になっていた。普段の時だったらついこないだまでデカイ鞄に担がれながら俺のあとくっついてきてたお前がな、などと親戚のおじさんに言われるような文句の一つぐらいは言えたかもしれないが、そのときの喜作には黙って少年を見つめる今年か出来なかった。
 ずっと体を酷使してきた母が四国からの追っ手に追いつかれて力尽きたのは弥と初めて出会った初夏の日のようによく晴れた暑い日だった。
「あの、お葬式があるって聞いたから」
 神社にやってきた弥はそういった。うそだということはすぐにわかる。母が死んだことは誰にも言っていない。二年前に亡くなった平尾宮司がいなくなってから神社で母と二人で暮らしてきた喜作は母の葬式を遺言に従って一人でひっそりとあげることにしていたのだ。
「そう」
 喜作はそれだけ返した。うそをついたことに関しては触れなかった。弥は母の死を誰かから聞いたのではなく感じたのだ。多分、喜作の感じられない何かから。それをうそをついてごまかすぐらいには弥も成長したのだろう。普通には受け入れられないことだと彼もわかる歳になったのだ。提げている鞄も、着ている制服についた校章もあのころと変わらない弥のものだった。しかし、それは彼になじみ、彼を受け入れ、彼の一部となったかのように今では思えた。聞けば、弥は来年には中学に上がるという。歳もとるはずだ。成長した弥を見ながら喜作は心の中で呟いた。喜作も来年、高校を卒業するのだ。
 畳の上に敷かれた布団の上に横たわった母の顔は安らかで、それを見つめる弥の顔は本当に悲しそうだった。遺体はこの夏のような陽気を考慮して夕方には火葬場に送りひっそりと母と別れを告げる予定だった喜作にとっては、自分以外に母のことを想い、哀しんでくれる人間がいることがありがたかった。
「百合さん、いい顔してるね」
 少年の昔と変わらぬ黒い瞳が母を見つめていた。喜作はその隣に座り、頷いた。母の雪のように白い肌には生前の苦労が刻まれていた。女手ひとつで自分を育ててくれた母、志野という家系に生まれつき、その呪縛から逃れられなかった母の苦しみだ。気がつくと喜作は両手の拳を畳に押し付けるようにしていた。手は震えて、涙は溢れ出した。悔しい。自分が一人前の男になり、母を守れなかったことが、霊的な感性を持っていなかったために母の苦しみを理解してやれなかったことが。
 ふと暖かなものに包み込まれて喜作は顔を上げた。喜作の左手の拳の上に包み込むように弥の右手が重なっていた。少年は黙って母の方を向いていた。喜作も同じように母のほうに顔を向けた。すると、喜作の目の前に一面に花が咲いた。赤く鮮やかな色をした花の中に母がいたのだ。巫女の姿をした母は、喜作と弥の前で座ると赤い花を一つ摘み取り、息を吹きかけた二本の指でその赤い花の花びらをなぞった。一度見せてもらったことがある。人の幸福を願うときに行うお呪いだ。母はそれから優しく口を開いた。声は聞き取れないがたぶんお呪いの文句だ。汝の幸福を願う。そして母は笑った。喜作が一番見慣れた母の顔だった。赤い花は蝶となって飛んで行き、母の幻影も消えた。喜作はそのまま声を出して泣き崩れた。そうだ、母はいつだって笑っていた。
 そして、初めて喜作は母や弥の知る世界にはこんなにもきれいなものもあるのだということを知った。


さかさき
2012年06月14日(木) 19時18分20秒 公開
■この作品の著作権はさかさきさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
長いのをお読みいただきありがとうございます。

感想等あれば一言からどうぞ

この作品の感想をお寄せください。
No.5  夕凪  評価:30点  ■2012-08-12 00:07  ID:qwuq6su/k/I
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 拝み屋と言うのが・・占い師とどう違うか?等というのは此処ではバカげた質問なんだろうと思った。生き霊とかを撃退したりこっちから飛ばして相手をやっつけるんだろうか?四国から逃げて来たと言う所で、、日頃から四国って随分古い神秘的なイメージが有るんで・・・。何か凄いなぁと思った。喜作のお父さんってどうなったんでしょうか?物語だから書いて欲しい。お母さんが若い頃沢山ボーイフレンドが居りどれかの息子なんでしょうか?占い師で生計をたてようかと思った事もあるが、祈祷師も相当苦しそうなんで止めとこうか?
この手の話が好きなんで大変面白かった。
No.4  青山 天音  評価:30点  ■2012-06-26 21:23  ID:i1YITvLeLvw
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青山 天音と申します。
読ませていただきました。
一枚の絵画のような雰囲気のあるお話だな、と思いました。最後の景色がとても美しくて感動しました。
喜作の母とその能力に対する思いに感情移入する事ができたので物語の世界に入りやすかったです。
はじめの方に説明されている母子が四国から鎌倉に来るまでの下りが詳細に設定されている上にとてもおもしろかったので、ぜひこちらの方も一つのお話として読んでみたいです。
No.3  さかさき  評価:0点  ■2012-06-23 12:46  ID:bWjCk.64/Qo
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>G3さん
感想有難うございます。物語の序章というのは当たりです。
続きも構想であるのですが序章のみ投稿させていただきました。
誤字が多かったとのこと読み込みが足らずすみません。
今後校正もしっかりしたいと思います。

>白星さん
はじめましてこんにちは。感想ありがとうございます。
綺麗すぎる話とのことありがとうございます。描写に気をつけて綺麗にまとめたかったのでお言葉嬉しいです。
でも白星さんのおっしゃるとおりもう少し暗い部分もあっていいのかもと思いました。今後鍛錬したいと思います。
No.2  白星奏夜  評価:30点  ■2012-06-19 22:29  ID:ZnM0IRCgEXc
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こんばんは、白星と申します。

綺麗な進め方、終わり方だなぁと思いました。澄んだようなラストシーンは、とても印象に残りました。
私も、長い物語の序章のような感じを受けました。この少年が、どう成長していくのか、それも気になりますね。

批評するにはおこがましいのですが、少し綺麗すぎるかなぁなんて思ってしまいました。最後に綺麗な世界だった、と気付くので、もっと前半でそちらの世界に関わることによる暗さというか、黒い部分を見たかったような気がします。
余計な一言、気を悪くされましたら申し訳ありません。

ではでは、失礼させて頂きます。
No.1  G3  評価:30点  ■2012-06-18 00:07  ID:v1oYWlDv7GQ
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読ませて頂きました。面白かったです。長い物語の序章の様な雰囲気ですね。これから何かが起こりそうな予感。
惜しいのは誤字がちょっと多かったかなという点でしょうか。
以上、簡素な感想にて申し訳ない。
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