さよならのくちづけを
 あなたを心配していたけど、あなたは強いね。泣き腫らした目をしていながら、もう人の中へ入っていこうとしている。緑豊かなこのトルテムグリーン国で、あなたを必要としてくれる人が現れるといいのだけど。
 サファイア色の肩より少し長い髪をうなじのあたりで黒のリボンでまとめているのが、愛らしくて好きだったよ。同色の瞳の色は透き通った湖面の光をそのまま映しているようだね。チェック柄の燕尾服を簡素に着こなし魔力を帯びたマントを羽織り、丸いマルバアサガオのようにあどけない顔をわずかに傾げる仕草が、まるで小鳥のようだ。
 ごめんね、マルバ。
 あなたを一人にしてしまった。

 あなたと初めて会ったのは数ヶ月前のことだったね。エヴァラスティア国の首都エヴァファスタにある噴水広場で、わたしは楽しそうに水を地上へ注ぎ続けるキューピットたちの像を眺めていた。
「神秘的な方だ」
 突然声をかけられてわたしが目つきを鋭くさせたのは、何度かガラの悪い男たちに絡まれていたからなんだけど、あなたったら小さいんだから。そのくせとても紳士的で、わたしに手を触れるどころか節度を守った距離で優雅に一礼して、まず名乗ったよね。
「失礼、僕はマルバと申します」
 わたしは目をぱちくりさせたっけ。
「あなたの波立つような黒髪(こくはつ)と吸い込まれそうな黒瞳(こくとう)に魅せられて、思わず声をかけてしまいました。まるで遥か東方に住むとされる神の国の民のようだ。あなたのその黒曜石には、かの有名な神話のように真実を映す力があるのでしょうか? もしそうなら、僕の心を覗いてみてはくださいませんか? あなたの示す道ならば、僕はぜひとも歩んでみたい」
「……おもしろいことを言うんだね」
 まさか本当にわたしを、虚構の世界から抜け出してきた女神だと思っているわけでもあるまいに。
 わたしの髪は確かに長かったけど、地面に引き摺ってしまわないよう背中の辺りで括っているだけ。汗臭い道着姿で腰に黒い刀を差し、化粧っけもなかったから、そんないいものじゃなかったはずだよ。
 なのにわたしがそう言うと、あなたはムキになって否定したよね。睫の長い切れ長の目が綺麗だとか小麦色の肌にムラがないだとか、ヒバのように真っ直ぐ伸びた長身が、わたしの芯の強さを感じさせてくれるだとか。
「なぜ、わたしの名前を知っているんだ?」
 見たことのない少年だけど、もしや父の使いの者か? とわたしは身を固くしたのに。
「名前?」
「……ヒバ」
「あなたはヒバというのですか!」
 あなたは目を輝かせるんだから。
「知っていますか? ヒバは枯死しても腐らない強い木なんですよ。きっとあなたの心にも、どんな逆境にも負けない確固たる意志があるんだ。とても素敵な名前ですね!」
「……ありがとう」
 すっかり毒気を抜かれてしまったっけ。
「実は僕、一緒に旅をしてくれる連れを探しているところなのです。よろしければご一緒していただけないでしょうか?」
「……わたしでいいなら」
 願ってもないことだったよ。わたしは行き場をなくしていたから。
 あなたは打ちひしがれていたわたしの心に光明を差しかけてくれたんだ。わたしの境遇を聞いた上でそれでもいいと言ってくれ、着の身着のままで家を飛び出してきてしまったわたしのために旅の準備を整えてくれた。羽根を切られた籠の鳥がようやく親鳥を見つけたように、わたしの目にはその時ようやく、空の青が見えたんだ。

 わたしはヒノミヤ道場の一人娘だった。話したよね?
 生まれたときから家に縛り付けられていたから、友人もなく外の世界を知らなかった。教育は母から受けたし、その母も外に出たことなんてないと言っていたよ。わたしは跡継ぎだったから、分家の屋敷に招かれたり道場主同士の会合があったりで父と馬車に乗ることがあったけど、途中で町に降りることは固く禁じられていた。
 剣術なんて今時流行らないのにね。
 刀は好きだったよ。すらりとした刀身は美しくて、構えるとすっと心が静かになるんだ。
 でもエヴァラスティアの主流はフェンシングだし、大抵の人は習いたければスクールに通う。そうでなければ士官学校を目指すよね。相手の人柄に惚れ込んで弟子入りするケースもあるけど、道場なんて排他的で窮屈な場所には誰も近づきたがらない。道場がこうなってしまったのは、立場が弱かったせいで戦争が盛んだった時代にひどい扱いを受けたかららしいんだけど、だからといって心を閉ざしていたんじゃなんにもならないのに。
 両親はわたしを「愛している」と言うけど、言いなりにならなければ愛してもらえないなんて悲しいよ。だから、自分を見てもらいたくて盾突いた。なのに父は聞く耳持たず「勘当だ」と叫び、母はひたすら目を逸らしていた。わたしは頭に血が上り、そのまま飛び出してきてしまって。
 それでも初めて自分の足で歩いた町だ。最初は物珍しかったよ。でもすぐに途方に暮れてしまった。どこに行けばいいのか何をしたらいいのか、見当が付かなくて。
 父はこれを見越していたんだ。剣術と家しか知らないわたしが、どこかに行けるはずがない。疲れきって頭を下げながら帰ってくるのを、きっとほくそ笑みながら待っている。
 惨めだった。父の興味は人を屈服させることにしかないんだと悟った。母もそうして繋がれている。わたしもそうするしかないんだろうかと、絶望していたところだったんだよ。
 あなたが手を差し出してくれなかったら、わたしの心は殺されていたかもしれない。

 あなたは町を、人を、生活を教えてくれたね。
 噴水広場をぐるりと囲んでいるエンジェルたちの像が、キューピットたちを見守っている姿だなんて気づきもしなかった。買い物の仕方も知らなかった。宿に泊まる方法も、仕事の探し方も。
 赤い組み紐を買ってくれたね。花の形に編み、ゆるいお団子にしたわたしの髪に付けてくれた。お返しに、わたしが初めて稼いだお金で黒いリボンをプレゼントすると、喜んで毎日使ってくれた。
 おしゃれなんてしたことのないわたしにアドバイスをしてくれた。すらりとしたパンツに動きやすいブーツを履き、腰巻の上からベルトを付け刀を吊った姿を「かっこいい」と褒めてくれた。
 隣町がどんなところなのか、ヒバの木がどんな姿をしているのか、世の中がどんな風に回っているのか、見せてくれた。渇ききった大地が水を求めるように、わたしはどんどんあなたに与えられるものを吸収していった。
 あなたのことも教えてくれたね。
 お姉さんがいたんだね。親の顔は知らないけど、優秀な魔道士だったお姉さんに育てられた。彼女のようになりたくて魔道士になったなんて、素敵だよ。あなたは「厳しくて怖かった」と言っていたけど、きっと同じくらいあたたかい人だったんだ。
 医療に携わっていただなんて、すごい。あなたを連れて世界各地を転々として、あなたの世界を広げてくれた人なんだね。土砂崩れに巻き込まれ、あなたを助けて彼女は死んでしまった……それがまだ十三のときのことだったなんて、辛かったろうね。
 一年一人旅を続けて、いい加減立ち直ろうと思ってわたしを目に止めてくれたんだ。
 わたしは幸運だったよ。

「――大丈夫だよ」
 涙を流し震えていたわたしの顔を、包み込んでくれたね。
「僕がずっと、一緒にいるから」
 あなたの唇、あたたかかった。
 父の影にわたしは怯えていたんだったね。
 兄弟姉妹のいないわたし。唯一の後継者がいなくなれば、ヒノミヤ家の財産は分家に移ってしまう。そうでなくても、裏切り者だ。わたしは帰らなかったんだから。
 いずれ誰かが連れ戻しにくる……もしかしたら、殺しに。
 わたしがあなたに不安な気持ちを隠していたのは、あなたに迷惑をかけたくなかったからじゃない、見捨てられるのが怖かったからなんだよ。あなたはわたしを連れ出してくれたけど、争いに巻き込まれるかもしれないと分かってまで、一緒にいてくれるかどうかは分からなくて。
 わたしはあなたを信用せず、勝手なことばかりを考えていた。
 なのにあなたは私を許し、安心させ、わたしの親への愛も恨みも全て受け止め、慰めてくれた。わたしを「好きだ」と言ってくれた。わたしは何も返せないのに、そう言ったら笑ったね。
「側にいてくれてるじゃない。それだけで、僕は救われてるんだよ、ヒバ」
 優しくわたしを抱き締めてくれた。
 あの瞬間から、あなたはわたしの全てになったんだよ、マルバ。

 もうすぐ国境を越えられる。
 気が急いていたね、わたしたち。
 狭い世界で生きているあの人たちにとって、国外は異世界も同じ。追ってくるかどうかも分からない彼らだけど、国外まではきっと来れないだろうから、そこを一区切りにしようとあなたと話していたんだよね。思い悩むのは国内でだけにし、晴れて自由になったら何も気にせず二人旅を満喫しようと楽しみにしていた。
 甘かったのかな、わたしたち。
 まさか父が直々にわたしを殺しにくるなんてね。
 滞在するつもりのなかったファルセオ村で、わたしたちは人助けをすることになったんだよね。
 山菜を採りに山へ入った老夫婦が行方不明になり、捜索に入った若者たちも帰ってこなくなってしまった。いつも入っている山のはずなのに動物たちがやけに騒がしく、猛獣が村にまで出没するようになった。何が起こっているのか調べてきてほしいと、あなたが魔道士であると見込んでの村長からの依頼で。
 先を急いではいたけど、困っている人たちを見捨てて素通りすることはできない。だからこそのあなたなんだもの、わたしは大賛成だったよ。
 原因が父であったとも知らずにね。
 そこまでするのかって、思った。何の関わりもない人たちを監禁して、猛獣を村にけしかけて。わたしは頭にきていたんだ。行方不明になっていた人たちをあなたに任せ、静止も聞かずに一人で父の元へ向かった。
 生い茂る木々の合間で。
「なんだ、その格好は!?」
 それが父の第一声だったんだよ。久しぶりに会ったのに、この人にとって一番重要なのはそれなのかと思った。
「あなたには関係ない」
「なんだと! 後継者としての誇りを忘れたか!?」
「……誇り?」
 わたしは鼻で笑ったよ。ヒノミヤ家の、そして昔のわたしのどこに誇りがあったのかと思った。でも言い合うつもりもなかった。無駄だと分かっていたからね。
「あなたがわざわざ来たんですね」
「感謝するがいい」
 厳かに父は告げた。
「お前一人のわがままのために、大事な門下生を消費するわけにはいかんからな。直々に、私が始末をつけに来てやったのだ」
「消費って……! こんなやり方を、する必要があったのですか?」
「こうでもせんと分からんだろう。お前の勝手な行動が、どれだけ周りの迷惑になっているかがな」
「卑劣なことを!」
「ヒバ……!」
 その時、出てきたのは母だったんだ。父の鬼のような巨体に隠れ、こちらを伺っていたんだろう彼女。よたよたと前に出てきた姿を見て、わたしは目を見開いていた。
「母上……!?」
 この山に父がいると分かったとき以上の驚きだったよ。
 だって彼女は痣だらけだったんだ。右の頬と左の目が異様に膨れ上がっていた。いつもきっちり引っ詰めている髪がぼさぼさで、目も真っ赤だ。足を引き摺りながら苦しげに手を伸ばしてくるから、わたしは思わず駆け寄ったよ。
 支えるように肩を抱くと、彼女は少し頬を緩めたけど。
「これは、どうしたのですか!?」
 わたしが聞くと、目を泳がせ黙りこんだ。
「母上……」
「お前のせいだろうが」
 責めるような父の低音に、わたしは耳を疑ったよ。
「お前が戻ってこなかったからだ。この女はお前を育てるという使命をまっとうできなかった。報いを受ける必要がある」
「……それって」
 さすがに信じられなかったよ。凝視するわたしを、父は眉一つ動かさずに見ていた。
「私が始末をつけたまでだ」
「なんてことを!」
 自分の妻なのに。戦う力なんてないのに。
「……いいのよ」
 でも母は、身じろぎしただけだったんだ。
「あなたの教育を誤った、私が悪いのだから」
「そんな!」
「戻ってきなさい、ヒバ!」
 母は必死の形相だったよ。わたしは間近で彼女を見て、そうしてやっと気が付いた。彼女が懐に差しているもの、それが懐(かい)刀(とう)だって。
「そうすれば父上もあなたを殺したりはしない……分かるでしょう? 家族だもの。本当は戻ってきてほしいのよ。そしてまた、昔みたいに……」
「うむ」
 父が重々しく頷いて。
「さすがの私も『勘当だ』などと言いすぎた。それを真に受けてしまったお前の気持ちは分からなくもない。この場で膝を折り過ちを認めるというのなら、許してやってもいい」
「っ……!?」
 わたしは母を突き飛ばしてた。わたしを説得しながらも、彼女の手が懐刀の柄(つか)を握ったからだよ。
 数歩退がって距離を取り、わたしは左手で刀を引き寄せる。柄の感触を確かめたよ。油断したら最後、命はないと思ったから。
 二人はすごくおかしかったよ。
 母は喪服を着ていたんだ。襷がけをして裾をからげ、懐刀を手に持っている。
 父は戦装束だったよ。黒袴の上からは脛当てを、道着の上からは籠手を付けてる。刀はとっくに抜き身で、まるで血に飢えた鎧武者のようだった。
 冷たい目をしてわたしを見てた。
 ――ねえ、マルバ。
 この期に及んで、わたし少し期待していたんだ。都合のいい解釈かもしれないけど、もしかしたらこの人たちはわたしを逃がしてくれるつもりなのかもしれないって。だってこの数ヶ月は、本当に平和だったんだから。
 わたしと彼らの間には、目に見えないだけでちゃんと親子の絆があって、蜘蛛の糸のように頼りなくとも、まだ切れていなかったんだって。わたしの幸せを、彼らは望んでくれていたんだって。
 なんて、馬鹿だったんだろうね。
 でも悲しいよりも、なんだか可哀相だったよ。
 嗜虐的な笑みを浮かべている父も、突き飛ばされた格好のままへたり込んでいる母も。
 だってさ。
 わたしはあなたのおかげで愛を知ったけど、この人たちにはそれがなかったんだろうなって。
 愛を得る機会が。力を振るう以外の方法で満たされる瞬間が。人に「ありがとう」と言われることが。
「わたしは間違ってませんから」
 刀を抜いたけど、殺意はなかったよ。この場を切り抜けられれば、それでもういいやって思って。
「母上、退がっていてください」
 ただ、無性にあなたが恋しくなった。
「愚か者があああっ!!」
「あっ……!?」
「母上っ!?」
 わたしは血相を変えたよ。わたしと父の延長線上にいる母。父はわたしを見ていたけど、振りかぶった刀は母を襲っていたから。
「ヒ……ヒバ!」
「う……!」
 二人の間に滑り込むのがやっとだったよ。刃はかろうじて受け止めたけど、切っ先は横に逸れわたしの脇腹に刺さったんだ。
「りゃあっ!」
「ぐっ!?」
「ヒバ!?」
 奇声を発した父に思い切り蹴飛ばされ、わたしは木に叩きつけられた。くずおれたわたしは脂汗をかいていたよ。落ち葉や草を握り締めながら必死に体を起こしたけど、血がぼたぼたと流れていった。そこから力が抜けてしまいそうだったよ。
「どうした、ヒバ。余所見などしていては危ないぞ」
 父が大股に近づいてくる。
「弱くなったな。男にかまけているからだ、ヒバ」
 勝ち誇って、笑ってる。
「……違う」
「何?」
「あなたは、弱い」
 ……そうだよね、マルバ。
「負け惜しみを」
 父はわたしを見下していたけど、きっとずっと、強くなんてなかったんだ。
 父の二撃目が来るとわたしは飛び起きたよ。意地で刀を捌いたけど、父が手加減してたのは分かっていた。獲物を嬲るのが、この人の唯一の楽しみなんだから。
 やられてたまるかと思ったけど、同時に死の恐怖がわたしを蝕みはじていた。
 血のぬかるみに足を取られる。
「はああっ!」
 父の刀が肩に深々と食い込み、目の前が真っ赤になったよ。
「ヒバ!」
 ビシィッ!
 その時、目の前の空間に大きく亀裂が走って。
「ぐおっ!?」
「マルバ……」
「ヒバっ!!」
 来てくれた。
 泣きそうだったよ。
 あなたの魔法、いつ見てもすごいね。声は遠くから聞こえたのに、次の瞬間にはもうわたしを背中に庇ってた。父はたまらず吹き飛ばされ、背中から茂みに突っ込んでいった。
「静かなる大気よ。あなたは我らを育む世界だ……」
 両手を大きく広げながら、あなたは自然界の精霊たちに甘い言葉を囁き始めて。
「はあ、はあっ……マルバ……」
 わたしはそれを聞きながら蹲っていたよ。それでも必死にあなたを見上げた。
「お願い……手加減、してあげて……」
「どうして……?」
 尋ねたのは母だったよね。あなたは目だけを柔らかくわたしに向け、小さく頷いてくれた。母が涙を浮かべながらわたしを助け起こしてくれて、嬉しかった。この人の目に情が生まれる瞬間を、見られてよかった。
「理由なんて、ありません……」
 息も絶え絶えに私は答える。
「死んでほしく、なんかない」
「……ヒバ」
 一人ぼっちの、わたしの母。そして父。
 この人たちの心に愛がないなら、わたしが与えてあげたかった。
「邪魔をする気か、貴様……?」
 父は、茂みから這い出してきたね。全身から湯気を立ちこませてたこの人だけど、精霊はもうあなたの心に同化してる。魔道も知らない父なんかが、敵う相手じゃなかったよね。
 大気は刃(やいば)になどならず、衝撃波となって父を襲った。成す術もなく父は木に激突したけど、気絶しただけだったよね。わたしはすっかり力が抜け、母の腕の中で風に揺れる木々と泣きじゃくるあなたを見つめていたっけ。
 母の手が、あたたかかったよ。
 ヒバの木漏れ日が匂い立つようで、血の匂いをかき消してくれているようだったよ。
 あなたの涙が、嬉しかったよ。
「ヒバ、もう大丈夫だよ!」
 涙声で精霊に話しかけ始めたのを、わたしは制したよね。知っていたから。魔法は奇跡じゃない。小さな傷なら治せるけど、わたしのはもう手遅れなんだと。あなたの様子で悟ってしまった。
「……ありがとう」
 だからわたしは、胸の前で組まれたあなたの両手に触れたんだ。わたしはもうここまでなんだと思ったら、魔法よりもあなたの手が欲しくなった。あなたはしっかり握り返してくれたよね。
「助けにきて、くれて」
「そんなの……」
「ここまで、連れて、きてくれて」
「ヒバ……?」
 なんだか、いい気分だったよ。
「すき、だよ。マルバ……だから……」
「えっ……?」
 とびきりの、笑顔を見せられたと思う。
「あたらしい、ひと、見つけて……」
「ヒバ!?」
「まえに……すすんで……」
「ヒバ!!」
「ははうえ、もだ、よ……」
「ヒバ!?」
 あなたと母が口々にわたしを呼んでくれていたことに、ありがとう、と何度でも言いたかったんだ。
 残されていくあなたたちが心配だった。あなたたちを、守ってあげたかったのに。
 だから最後に、言ったんだ。
 わたしの死に、あなたが立ち止まってしまわないよう。母が孤独に打ち勝てるよう。
 これがわたしの、あなたたちにできる、最後のことだから。
「ヒバああああっ!!」
 あなたが泣いている。
 嬉しかった。わたしを惜しんでくれる人が、この世にいてくれていることが。
 柔らかな、あなたの唇。
 たくさんわたしにくれるのに、わたしは受けてあげられない。
 もう、そこにいられなかったことが、最後の心残りだったよ。

 わたしを背中に担いで、一緒に山を降りてくれたね。両親を見捨てないでくれて、ありがとう。町から来た自警団に連れて行かれたあの人たちが、どうなるかは分からない。
 罪を償って、いつか救いを得られればいいと思ったよ。
 そう思えるようになれたのは、きっとあなたのおかげだね。
 
 海岸線沿いを歩いてきた、あなたと彼女。長い道の途中にあった小さな小屋で、ゆっくり休めてよかったね。
 新しい、連れができてよかったね。彼女の方から声をかけてもらえたなんて、きっと幸運の女神様が力を貸してくれたんだよ。
 金茶の癖っ毛に金の瞳のかわいい子。あなたよりも小さいのに、旅に出たいなんてすごい。髪と瞳が同色であることが美人の条件だなんて言われているけど、彼女には当てはまらないよね。だって瞳は猫のようにぱっちりしてるし、髪は少し淡い方が彼女には似合っているんだから。
 彼女に押し切られる形での同行だったけど、大丈夫だよ。あなたもきっと彼女を好きになれるから。ついさっきだって仲良く話せていたんだ。これだけ快活な子なら、あなたを元気づけてあげられる。頼ることも頼らせることも、喧嘩しながらでも少しずつ、二人でできるようになってほしいな。
 今は毛布にくるまって、あなたは眠れないのかな? 窓の外を眺めている。
 ふいに立ち上がって、荷物を探ってわたしの遺骨が入った壺を取り出すと、海水が打ち寄せる水際に立って。
 そっか、もう国を超えたんだからね。
 あなたの魔法で体を灰にしてくれたこと、嬉しかったよ。ずっと見たいと思っていた、海に連れてきてくれたんだ。
 ――ここまでなんだね。
 仕方ない。わたしはもう、死んでしまったのだから。
「ヒバ……」
 ぽつりとわたしを呼んで。
「僕も言うよ。……ありがとう」
 マルバ……わたしの最後の言葉に応えてくれてるんだね。
 壺の中身に手を伸ばし、ゆっくり海に撒いてくれる。
「大好きだったよ、ヒバ……」
 あんなに泣いたはずなのに、まだ足りなかったんだ?
「頼ってくれて、嬉しかった。救われたのは……僕の……っ……!」
 マルバ……!
「僕の方だったんだよ……!」
 あなたを抱き締めたかったよ。
 あなたの目の前に来て、いっぱいに腕を回すのに。
 でも、きっとそれでいいんだ。
「だから僕、頑張るよ。あなたの分まで幸せになる……!」
 ――ありがとう。
 あなたは強いね。失う苦しみを二重に与えたわたしなのに、それでもわたしを愛してくれてる。
 あなたの周りはいつも色彩を帯びて鮮やかだったよ。あなたの側にいるだけで、わたしはとても自由だった。
 今もほら。
 こうしているだけで、あなたはこんなにもあたたかい。
 あなたの唇、触れられないのに、心地いい。
 あなたの心がどんどん流れ込んでくる。
 心が満たされ、背中がふんわり軽くなり。
 これは、羽根?
 ……そっか。
 わたしの羽根は、切られてなんていなかったんだね。
 ふと見ると、あなたの後ろに彼女が顔を覗かせていたよ。
 不思議だね。わたしが見えるの? 金の瞳をいっぱいに見開き、口をぱくぱくさせているのがかわいいな。
 ふんわり、彼女に微笑みかけて。
 ――よろしくね。
 あなたの代わりに、私が頼んでおかないとね。
 ――わたしの代わりになんて言わない。あなたはあなた、だものね。だから。
 わたしは行ってしまうけど。
 ――彼のことを、よろしくね。
 その時だよ。
 不思議だな。あなたもわたしを見ているなんて。
 ……そうか、見送ってくれるのね。
 なら、最後に。
 あなたがゆっくり目を閉じて。
 ああ、ようやくキスができたね。
 わたしの想いも伝わったかな?

 ――わたし、幸せだったよ。
 ――愛を知った。
 ――与え合えた。
 ――あなたに出会えた。
 ――生まれてきて、よかったよ。
 ――ありがとう。

 両親にも。
 生んでくれて、ありがとうございました。

 そして、この世界にも。

 ありがとう、ございました。
 わたしをたくさん生かしてくれて――。

ハギノ
2012年02月17日(金) 20時43分40秒 公開
■この作品の著作権はハギノさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
(大昔に一度投稿させていただいたことがあるのですが、多分、誰も覚えていないと思うので)はじめまして、ハギノと申します。

これは「小説コバルト」に投稿して箸にも棒にも引っかからなかった作品でして、恥ずかしくてしまいこんでいたのですが、少しは打たれ強くなる努力をしようと思い、投稿させていただきました。
一人称で「彼」とかではなく「あなた」呼びで統一させる文体にチャレンジしてみたかったのですが、友人間では賛否両論でした。

よろしくお願いします。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  ハギノ  評価:0点  ■2012-03-06 22:48  ID:pt5S5l.1Z4I
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陣家さま

初めまして、感想ありがとうございました!
愛おしいと言っていただけて感激しました。
キャラの内面にはとても愛着があるので、ほめていただけて嬉しいです。

戦闘シーン……スピーディーにですか。たしかに。実は二人称にしたせいですごくやりにくかった部分なのです。もっと改良の余地があったかもしれませんね(汗)

ハーレムゲーというのにはびっくりです。そ、そうなんですか……。
私むしろ、そういう系のゲームは苦手なタイプの人間なので、まさか自分がやってしまう日がくるとは思いませんでした(笑)
隠しテーマが「オレの屍を越えて行け」的な感じだったので、マルバの旅がこれからも続いていく感を出したかったのですが、最後にちょろっと出てくるだけのキャラに華やかな見た目を与えたのがいけなかったのかも……反省しております。

つまらないなんて、とんでもないです!
感想をいただけて本当に嬉しかったです。
よければ、また相手してやってください。よろしくお願いしますv
No.3  陣家  評価:30点  ■2012-03-06 01:32  ID:1fwNzkM.QkM
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拝読しました。

読み終えてすぐはそうでもなかったのですが、なぜかじわじわと胸に引っかかるように愛おしさを感じる、そんな作品でした。
うまく言えませんが、キャラクターの魅力に心を奪われた気分です。
キャラクターを描き出す力、そこに確かな作者様の才能を感じます。

二人称的な記述は難しいとは思いますが、戦闘シーンはいっそ現在進行形っぽくスピーディーに描いても良かったかもしれませんね。
もっと思い切って、直接的な擬音を使いまくってでも。

ただ、新しい連れについては、あえて無くても良かったんじゃないかとも思いました。
なんか、ハーレムゲーっぽい感じもしちゃいますし。ここで読者の興がそがれてしまいそうな気もします。

つまらない感想ですが、参考になれば幸いです。
No.2  ハギノ  評価:0点  ■2012-02-18 20:33  ID:3eeVF5uI4zA
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白星さま

こんばんは。感想ありがとうございました!
中盤の盛り上がりが好きと言っていただけて、嬉しかったです。
終盤の方、たしかにマルバが冷静すぎたかもしれませんね。スマートなキャラが好きなのでそういう風にしたのですが、たしかにこれでは淡々としすぎて盛り上がりに欠けたかもしれません。
題名を先に思いついてしまったので、題名に話を合わせようと固執してしまった部分も反省しないといけないなと思いました。

生意気なんてこと、全然ありません!
いいところと悪いところ両方をたくさん言っていただけて、とても嬉しかったです。
ありがとうございましたv また頑張ります!
No.1  白星奏夜  評価:30点  ■2012-02-17 23:53  ID:eKs5WnurmLw
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こんばんは、白星です。コメント残して下さったので、私も。
とりとめのない感想なので、切って捨てちゃって大丈夫です(笑)ご参考になればと思い、かかせて頂きます。
最初の人物の描写が、個人的にはちょっとくどいように感じてしまいました。登場人物達の感情が溢れる展開であるのに、最初が説明っぽいというか、容姿の描写に凝っているというか。生意気言ってごめんなさい。ある仕草が気になったとか、哀し気な表情に惹かれたとかもっと、素直な説明でも良かったように思います。
中盤は、個人的に大好きな盛り上がりでした。特に、父親のくそっぷり(言葉が汚くてすみません)と、母親の卑屈さにまあいらいらさせられて(汗
終盤、タイトルとの関連でこのようなラストだと思うのですが、なにか一つ足りないような気持ちになってしまいました。例えばですけど、生まれてくる子供にヒバと名付けるとか、成長した子供にあずける刀の名前がヒバとか。貧弱な発想で申し訳ないですが、もう一描写あっても良いかなぁと思いました。
あと、愛する人を酷い目に合わせられたのにマルバ君が落ち着き過ぎているような。ほんとにマジぎれしちゃって力が暴走しかかったところで、ヒバが止めるくらいの方が盛り上がったかもしれません。
なんか偉くもないのにいっぱい書いて、すみませんでした。一つの意見として、見て頂ければ幸いです。
中盤の父と娘のかけ合いは、とても印象的で迫力があって好きなところです。感情がぶつかり合う描写や、ヒバの気持ちの描写はうまいなあと思いましたぁ。
長々と失礼致しました。また、読ませて下さい。
総レス数 4  合計 60

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