黄昏通り異聞録
 それはちょうど午前と午後のいれかわる時間のことだった。
 一日の中で一番明るいはずの空は、重さを感じさせるほどよく育った夏の雲におおわれてすっかりよどんだ色に染まっている。季節は夏。この地域ではよく雨の降る時期だ。
 そして今日も今にも雨が降りそうだった。
 そんな雲の下には大地が広がっている。近くに大きな山や森はなく、見晴らしのいいその大地には低木や草花が思い思いの方向に伸び散らかしている。あまり人の手が入らないらしく、そこはあるべきものがあるべき姿で生きている。
 そんな生き物たちの中に、一本の道が走っている。「道」とはいっても獣道というには広いけれど、舗装されている様子もなく、ただ草木の上を巨大な蛇が通っていったかのように土がさらされているだけの道だ。
 こんな何もない地域でいったい誰が通るのか、あるいは何が通るのかはわからないが、その道は草木に覆われる気配もなくそこにある。
 しずかな草原だった。
 その誰が通るとも知れない道を一台の自転車が走っていた。真っ黒なフレームは鈍い空の色を映して光り、でこぼこの道を転がる車輪は不安定に揺れる。そのたびに荷台にくくられた荷物も小刻みに震えている。
 自転車にまたがっているのはまだ若い少年だろうか。手足はほっそりと長いが黒いTシャツから伸びる腕はしっかりと小麦色に焼けてひきしまっている。中途半端に伸びたこげ茶色の前髪をときどき邪魔くさそうにかきあげている。目は髪と同じく深い茶色をしている。
 ぽつりっ、とハンドルを握るグローブに雨粒が落ちて少年は空を見上げた。
 またぽつりっと雨粒が頬をたたき、少年は眉をひそめてあたりを見回す。少し先に一本の木が立っているのに気づいてあわててその木陰に飛び込んでブレーキをかけた。
 空からバケツをひっくり返したような雨が降り始めたのは、間もなくのことだった。
 木陰には一人の男が立っていた。旅人なのか、風除けのマントをはおりぼんやりと雨に打たれる草原を眺めている。
「危ないところでしたね。少し遅かったらびしょぬれになるところでしたね」
 旅人が少年にそう言った。
「そうですね。早くやんでくれるといいんですけど。やむまでご一緒させてください」
 少年は木陰の先客に対して軽く会釈をした。
「どうぞどうぞ。といってもこの木陰はボクのものではありませんけどね」
 旅人は自らを詩人と名乗った。少年は宅配屋です。と名乗った。
「まいったな。急ぎの依頼なんですけどね」
「急ぎ? いつまでに配達するのですか?」
「明日の日が暮れるまでに隣の街の薬屋さんにとどけないといけないんです」
 魔法が使えれば雨もやむのにな、と宅配屋の少年はつぶやいた。
「魔法を見たことがあるのですか?」
「いえ、ありません。魔法は大昔になくなってしまったと、聞かされてきましたから。でも魔法が使えたらきっともっとみんなの生活も楽になるんでしょうね」
 詩人はそれには答えずに笑みを浮かべた。
「魔法、使ってみたいのですか?」
 詩人の問いに少年は首を横に振った。
「いえ、それは便利になるんでしょうけど。でもボクは自分の足で自転車こいで配達するのが好きですし、待っていた荷物が来て喜ぶお客さんの顔を見れば、足が疲れているほどこっちもうれしくなります」
 根っからの自転車好きなんですかね、と少年は照れくさそうに笑った。
 詩人はそんな少年の笑顔を物珍しそうに眺めて、それから視線を雨の草原へと戻した。
「はるか昔。文明が起きる前から人は魔法が使えたといいます。かつて魔法が使えた時代、人は今より多くのことができました。多くの荷物を一度に遠くまで運んだり、文明が発達してからはより難しい薬の精製をおこなったり。今の人間に比べると一人ひとりの生産力はとても高いものであったといわれています。けれどやがて人は階層社会を作り出し、高位の人間が魔法を独占するようになりました。身分の違うものが身分に合わない魔法を使うことが固く禁じられ、やがて魔法は衰退していきました。なぜなら魔法とは本来自由なものだからです」
 詩人は詠うように言葉をつむぎました。
「制度などと人の作った鎖でつないだ瞬間、魔法は死んでしまうのです。人間にはそれがわからなかった。科学と魔法の違いが当時の人々にはわからなかったのです」
 詩人は手を伸ばして降りしきる雨に触れた。
「世の中すべての人が、君のように大切なものを見失わなければ、きっと魔法が滅びることもなかったのでしょうね」
 そういうと詩人は少年のほうに振り返った。
「ではまだ若い宅配屋さん、荷物を明日までにしっかりとどけてください。あなたの旅が魔法に満ち溢れたものでありますよう」
 いい残して詩人は雨の降りしきる木陰の外に足を踏み出した。あっと驚いて手を伸ばしかけた少年だったが、旅人が外に出たとたん、さっきまで豪雨だったのが嘘のように空が晴れ渡った。
 呆然と空を見上げた少年がふとわれに返ったときには、詩人の姿は広い草原のただなかで、どこにも見当たらなかった。
 ただ平原にはぽつりと一本だけ木が生えていた。
みつね
2011年12月14日(水) 16時20分24秒 公開
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No.7  楠山歳幸  評価:30点  ■2011-12-23 20:28  ID:3.rK8dssdKA
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 初めまして。読ませていただきました。

 草原の描写が映像にし易く、人物の描写も穏やかな、共に純粋だけど年齢を感じさせて、味があって良かったです。全体に爽やかな雰囲気で良かったです。
 上のご指摘の通りありがち感もありましたが、雰囲気と掌編に合っていると思いました。

 素敵な作品でした。
 失礼しました。
No.6  星野田  評価:0点  ■2011-12-20 23:24  ID:aknRF1OVg/Q
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No.5の感想を書いた者です。投稿者名が文字化けしてしまいました。。。しかも編集用パスワードが分からない。。すみません。荒らしみたいな名前になってすみません
No.5  ツ青ッツ摸田  評価:30点  ■2011-12-20 23:23  ID:aknRF1OVg/Q
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こんにちは

 最近演劇を見る機会が何度かあったのですが、この作品も演劇とかに向きそうな話ですね。場所を固定して、そこに現れる人、そこから去る人で話が構成されているというか。カメラワークを意識しているというのも、なるほどなあと思いました。
 世界設定みたいなものに空白があるというか、「もしかしたらこんな世界なのかな!」とか妄想を広げられる余白があるのが、読んでいて楽しめました。
 描かれているのが「木の下」という舞台での話なのだけど、たとえば郵便屋がここに立ち寄る前に、どこかの家人に挨拶をするシーンとかをいれたりすることで、世界をふくらませて、世界の余白みたいなのも増やせて、もっと妄想をひろげられそうだ!! みたいに思いました(よく分からない感想ですみません!)

あ、それと
冒頭「そ」で始まる言葉が多いのが、なんとなくリズムを悪くしているような気がします。なんとなく。
No.4  みつね  評価:0点  ■2011-12-16 12:19  ID:vXvZVFs.fHU
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ごぶさたしております。
今回の作品は、久々に書いたということもありましたが、最近映画を見る機会が多かったので、映像的なカメラワークを意識して書いた習作でした。

ウィルさん
確かに、間の取り方が下手だというのは自覚があるんですけどねぇ。なかなかこればっかりはうまくなりませんねぇ。もうちょっと精進しようと思います

蜂蜜さん
おほめのお言葉恐縮です。
どこかで読んだ話というのも、自分の欠点だなぁって思います。精進しますので、よろしくおねがいします

おさん
ご無沙汰です。久しぶりに文章を書いてみる気になりましたw
大学生活最後のあがきというか、やっぱり映像や音楽もやってみたけど最後はここに戻ってくるというか。
またしばらくお世話になりますがよろしくお願いします。
No.3  ウィル  評価:30点  ■2011-12-15 16:44  ID:bmb9AguB0Ms
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拝読しました。
描写がとても綺麗ですね。小説の内容にとてもあってます。

なんというか、知らない二人が話をするまでに、必ずといっていいほどわずかな間があって、その間として、雨の音や、少年が塗れた部分を布か何かで拭く描写、やまない雨に苛立つ描写などが
「木陰はボクのものではありませんけどね」 から 「まいったな」
 の間にある程度あったほうが物語の流れとしてもよかったかもしれません。

 次回作も機会があれば読ませていただきますね
No.2  蜂蜜  評価:20点  ■2011-12-14 22:06  ID:8SlA.arG1XM
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書き慣れた感じで、安心感と好感を持って読めました。
ただ、話としては割とありがちというか、「どこかで読んだことがあるような話」という既読感がありました。

今後も頑張って下さい。
No.1  お  評価:30点  ■2011-12-14 21:46  ID:.kbB.DhU4/c
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こんちわ。
ずいぶんとお久しぶりですねぇ。
お元気でしたか?

さてさて。
こちらもお久しぶりでしたが、物語を書かれるのも、もしかしてお久しぶり? なのかな?
冒頭の描写辺り、先入観からかもしれないけども、なんとなく、探り探りっていう感じを受けました。おっかなびっくりというのかな。
ただ、
『ぽつりっ、とハンドルを握るグローブに雨粒が落ちて少年は空を見上げた。』
この一文は、さすがに心得てる! と思いました。距離のある視点から、一気に人物へ跳ぶ。距離の詰め方が絶妙。タイミングも良い、後への繋がりも良い。これは視覚的にカメラワークを意識していないとできないこと。なので、そういったセンスは健在だと安心しました。
内容としては、なんとなく雰囲気は分かるのだけど、魔法に関する解釈が今ひとつ、よく分からなかったかもw

次回作、次々回作、どしどし、期待してますよ!
総レス数 7  合計 140

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