虹色の空

 夢のマイホームと言えば大袈裟だけど、空き家を譲ってもらったわりにはなかなか立派なピーマンだ。きれいに中身をくり抜いているしリビングも広いし何より二階建てというのが嬉しい。しかし長年誰も住んでいないらしいから、大掃除しなければ住める状態ではない予感がする。
 ニュースで見たが最近のお金持ちの間ではパイナップルが人気だそうだ。確かに改装しだいでマンションやホテルとしても十分機能するだろう。俺ももっとお金があればニンジンか、それが無理なら、せめてトマトに住みたかった。
 先月の誕生日で晴れて成人になったのだから、大人らしくしようと考え、知らない土地で一人暮らしをしたいとひらめいたが、お金はなく、格安物件を探しているところでこの空き家の元住人に出会い、使っていないから君にあげるよ、と言うのだからこのピーマンにしたのだが、今の時代、好き好んでピーマンに住む人はそんなに多くはないだろう、デザイン的に古いというか、カッコ悪い。
 けれども、はじめての自分の家の鍵を開けて扉を開く瞬間はときめく。それがピーマンであれニンジンであれ関係ない。
 一応、わくわくしながら中に入ったが、やはり、床や階段やありとあらゆる家具はびっしりとホコリをかぶっているし、呼気にまぎれて口に入る細かいゴミのせいで空気がひどくまずく感じた。息を止めて、窓を開けようと二階の正面にある大きな窓を目指して階段を上がり、行く手を拒む蜘蛛の巣を払い、窓を勢いよく開けたから金具が驚いたように軋んだ音を立てた。
 空気の入れ替えを祝福するかのごとく爽やかな風が部屋の中へと滑り込み、さりげなく、いくつかのシャボン玉も飛んできて、天気予報が、晴れのちシャボン玉だったと思い出す。地上は地平線のかなたまで数え切れないくらいの野菜や果物が並び、その数だけ人が住んでいるのだからおおいに活気のある町だ。日替わり太陽のせいで世界が半透明の薄い緑色の日光で照らされる。もともと緑色のものや植物は今は見えにくい、緑の次、明日はたぶん黄色だろう。
 日替わり太陽なら赤色が好きだ、今日のような緑のときは少し沈んだ気分になる、それは緑色に嫌な思い出があるわけではなくて、きっと色の持つ力が憂鬱な気分にさせるのだろう。見上げると、そんな緑の空の遠くで鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいる。正確に言うとあれは鳥ではなく野生のサンタクロースで、目的があって飛んでいるというより風に任せて空中をそりで波乗りしているようにも見えた。今の時期はああして群れをつくって生活するが、冬になると、分散して世界中を飛び回りプレゼントを配るという習性がある。野生のサンタクロースが人に飼われることはあまりなく、それどころかトナカイを捕まえてソリを引かせているのだから、わりと知能の高い生物なのだろう。昔、彼らがうっかり落としたプレゼントを何度か拾ったこともある、今日の天気は晴れのちプレゼントでしょう、とは子供のころによく言った冗談だ。
 本格的に降り出したシャボン玉は積もることなく落ちては割れるばかりだが、絶え間なく降るため視界から消えることはなく、風が走ると、無数のシャボン玉は重力から開放されたかのように宙を踊り、しばらくしてまたゆるやかに落ちてゆく。
 ふと視線を落とすと客人らしき人影が家の前につっ立っているのが見えて、二階の窓から、ちょっと待ってすぐ行くから、と声高く伝えてすぐに階段を下りた。  

 扉を開けるとそこに居るのは少年のころの自分だった。少年は一度にっこり笑って、ここに、ぴろれ・んぽんぴん、さんはいますか、と尋ねた。それは間違いなく自分の名前だし、この少年も間違いなく少年のころの自分たが、すかさず、そんな人はいないよ、と冷たく言い返して扉を閉めた。
 玄関に置いてある鏡に映る自分の姿をふと見ると、少年だったころの自分と大人になった今の自分の体の大きさの違いを改めて知ったし、なによりも、自分という存在にピントが合ってしまって、すごく気分を害した。自分という残念な現実に触れてしまったからだ。
 自分に自信がなかった。人に自慢できるものもなく、優れた能力もなく、輝かしい経歴もない。しかし、思い返せば、少年のころは、自分はきっと何かの天才でいつか有名人になると信じて疑わなかった。そんな懐かしい記憶を、先ほど家に訪れた、少年のころ自分の、期待に溢れた笑顔によって、ハッキリと思い出してしまった。
 懲りずに、少年が扉を小さく叩く、開けないまま、何の用だい、と問うと、ぴろれ・んぽんぴん、さんはどこに住んでいますか、会いたいのです、と明るい声で聞いてきた。知らないと言っているだろ、と叫び飛ばして追い払うこともできたが、そうはしなかった。あきらめて、扉を静かに開けながら、怖がらせないようにしゃがんで視線の高さを合わせて、できうる限りの優しい声で、少年の夢を裏切ることにした。
 シャボン玉のひとつが鼻先にあたって目の前で割れたのがうざかった。
「くやしいけど、僕が、君が大人になった姿だよ。力も弱いし、かっこ悪いし、必殺ビームも出ない。ほんとに、くやしいけど、これが君の、未来の姿なんだよ」
 少年は、一瞬、驚いたような顔をしたが、目をそらして正直な感想を独り言のように呟いた。
「さいあくだ」
 そんな少年に対してもう何も言うこともないと判断し、ごめんね、とだけ言い残してドアを閉めることにした。
 心の奥底に封じ込めていた、子供のころの、純粋な未来への希望が久しくキラリと光った気がした。自分はいつのまにか輝く未来を本気で期待するということを無意識にタブーとしていたのだ。大人になった自分を想像して胸を躍らせた少年のころの自分に、合わせる顔がない。
 無意識に下唇を噛んでいることに気付いたときにはすでに頬が濡れていて、今までこれほど自然に涙が流れた経験はなかったから自分が泣いている事に少し驚いた。
 少年のころの自分に申し訳なく思い泣いてしまっているのだから、それを人に話せば変わり者と思われるかも知れないけれど、それは、自分が人生ではじめて、自分はもう子供じゃないんだと認めてしまったた瞬間でもあるから、悲しいだけではなくて、その涙はどこか誇らしくも思えた。

 ほぼ閉めた扉のわずかに開いた隙間から、ちょっと待って、と言われて戸惑った、再び扉を開けると、少年は器用に両腕を背後に回して背中のチャックを開けた。すると少年の中から見たこともないくらい美しい天使が出てきて脱皮するように少年の皮を脱ぎ捨てる。驚く間もなくその天使は一度聞けば永遠に忘れないであろうほどキレイな声で喋りだしていた。
「この子はね、すごいだろ、って言って欲しかったのよ。どうだ、これが君が大人になった姿だ、強くて、かっこよくて、必殺ビームも出せる、世界一立派な男だ、すごいだろ、って」
 くやしくて何も答えられずにいると、今度は少し口調を強めて、今のあなたは過去の自分にも未来の自分にも合わせる顔がないわ。すかさず言い返した、どうすればいい。言葉を準備していたかのように、どうとでもできるわ、と返ってきた。また何も答えられずにいると、天使はあきれたように、未来を信じると誓いなさい、と言って、そっとほほ笑みを付け加えた。
「信じればなんだってできるのかい、だったら、いますぐ、このうっとうしい緑色の空を、虹色の空にしてみせてよ、それができたら、君の言うとうりに未来を信じると誓ってもいい」
 天使だか何だか知らないけど偉そうなやつで気に食わないから、てきとうに意味不明な事を言って追い払うことにした、けれどもそれは計画的な行動ではなくて、困惑した気持ちがさせたことだから、言い放ってすぐに気まずくなって、ごめん、ちょっと、イライラして、と謝ろうにも恥かしくてうまく声が出なかった。
 すると天使は小さな溜息をつきながら一歩さがって距離をとり、白くまぶしい翼を広げ、、祈りを捧げるように胸の前で指を組み瞳を閉じた。またたく間に天を指す白い翼が変色をはじめ、世に存在しうる、あらゆる種類の色を、翼に封じ込めたかのような不思議な色になったかと思えば、それぞれの色がそれぞれに光を放ちだし、そのカラフルな光は薄い緑色の日光に埋もれることなく強力に輝き、瞬間的に光が爆発すると同時に、一度、大きく翼をはためかせて激しい風をおこした。反動で天使はかなりの高さの上空に飛ばされていて、地上から見上げると小さな影にしか見えない。しかもその小さな影がある空は、すでにそれまでの緑色ではなくなっていて、どこまでも続く巨大な虹が何本も何本も織り重なり空一面が虹で隙間ひとつない完璧な虹色の空になっていた。太陽の光さえも信じられないくらいにカラフルな光となって町を色鮮やかに照らし出し、たくさんのシャボン玉たちも嬉しそうに光を反射する、そのうちのひとつが顔のすぐ近くを通り過ぎ、そこに映った開いた口を塞げないでいる自分の顔と目が合った。
 首をぐるぐる回して見てもどこまでも虹色の空が広がっているだから、その感動は鳥肌どころのレベルではなく、風船の空気が抜けるように体に力が入らなくなり思わず地面に膝をついてしまい、上空に見とれ、心臓が恐いくらいにどきどきしていた。
 町の遠くから誰かの空への驚きの声が聞こえたかと思えば、それを合図に、見たことのない美しい風景への歓喜の声があちこちから次々に上がり、やがて町全体がパレードのようにみんながひとつになってよろこんだ。
 ほどなくして虹は、ぼやけ、色褪せ、風に流されて形が崩れ、天空と地上を照らす光は少しづつ緑に移り変わってゆく。いつのまにか天使は姿を消していなくなっていたけれど、そのとき、テレパシーのように心が天使の声を聞いた。勇気付けてくれたのだろうけどあまりにも天使らしい言葉だったから、それを聞いたときはくすぐられたように笑えてきた。 
 
「たくさんの日々と、たくさんの未来と、ひとつだけの人生を、高らかに生きてゆきなさい」


 end


2011年06月09日(木) 09時47分15秒 公開
■この作品の著作権は凶さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ

 一週間たちましたので投稿させていただきます。
「ふしぎ世界」と「少年のころの自分に合わせる顔がない」という話を足し算しました。何度も読み直して整えたつもりですがお気づきのことがあれば何なりとおっしゃってください。よろしくお願いします。テレパシーが使えるかたは念じていただくだけでも結構です。
 
 

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No.10  凶  評価:--点  ■2011-06-23 20:15  ID:H5kn4nBA6qA
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レスありがとうございます!

お褒めいただいてうれしいです!うぬぼれてはいけませんが、いろんな方に「よかったよ」と言っていただけると、次はもっといいもを作れるように頑張りたくなります。人に見てもらう、人に見せるという行為は自分の輪郭を強調し自分の姿を映し出す鏡になる、という話をどこかで聞いたことがありますがその意味がだんだんわかってきたのかも知れません。
No.9  羽田  評価:40点  ■2011-06-23 10:56  ID:cxNKv/82aqU
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凶様へ
はじめまして 羽田と申します。
拝読させていただきました。
個人的にすごく肌に合う作品で、最後までスラスラ読めてしまいました。過去の期待と現在の諦念がピーマンの家とか「鬱陶しい」シャボン玉などで暗示されていてとても感触が良かったです。
一見すると絵本のようなのに、肌触りは絵本よりも少し重くてざらざらしているような、不思議な作品でした。面白かったです。
No.8  凶  評価:--点  ■2011-06-16 11:12  ID:H5kn4nBA6qA
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レスありがとうございます!

恥かしいながら、単純なストーリーというのは書いた僕自身の知能の低さが反映しているように思います。まばゆく目がくらむ、のところを読んでにやりとしました、虹色の空の部分はまさに「まばゆい」と思わせたくてこだわったつもりですから。
No.7  お  評価:30点  ■2011-06-15 19:59  ID:E6J2.hBM/gE
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収まるところに収まったという感じで、非常に収まりの良いお話でした。
FANTASYが実にファンタジーでまばゆくて目がくらむようでした。
子供と大人が数日間過ごすと良くある映画のネタとかになったりするのかなぁとか思ったり。複雑にごたごたあれこれ並べ立てらる長い話しよりも、シンプルでわかりやすい感じでした。
No.6  凶  評価:--点  ■2011-06-13 17:30  ID:H5kn4nBA6qA
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レスありがとうございます!

最後まで読んでいただけるようなものを書けるようにがんばりますので許してください。少しでも目を通していただけたので、うれしいです。
No.5  左手甲毛  評価:50点  ■2011-06-13 15:23  ID:xkyrp59vkSk
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一段落目だけ読みましたが、面白かったです。
No.4  凶  評価:--点  ■2011-06-11 18:30  ID:H5kn4nBA6qA
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レスありがとうござます!

ハロウィンのかぼちゃいいですね!若者たちが夏の思い出に肝試しに行って、幽霊が出るという噂の廃虚がお化けカボチャハウスだったりしたらおもしろそうですね。俺たちを歓迎するようにカボチャの口が不気味に笑っているように見えてギクリとしたけれど、あの子を隣にして逃げ出すなんてかっこ悪いことはできないから、恐怖を押し殺して、精一杯に強がって、カボチャに、にっこりと笑い返してやった。なんて想像してみたり。

おほめいただけて嬉しいです。がんばった甲斐がありました!

 
No.3  星野田  評価:30点  ■2011-06-10 21:06  ID:d6WyejyHi.w
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テレパシーが使えないので感想を。
面白かったです。ハロウィンのあとのカボチャお化けをもらって、それに住めば、中をくりぬかなくてらくそうですね。
しかしこの天使、なんか天使過ぎて腹が立つ(笑
素敵な世界観と、飛び跳ねる展開が素晴らしいと思いました。こういうの好きです。
No.2  凶  評価:--点  ■2011-06-10 19:39  ID:H5kn4nBA6qA
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レスありがとうございます!

まさに、そうなんですよ。書いているとき、少年のシーンでほろりときて終りにするか天使を出すか迷いまして、天使の登場で話にむりやり変化を与えることにしましたが、浅はかでしたね。なんでもかんでも天使が解決してくれるなんて都合がよすぎですよね。

お互いがんばりましょう!
No.1  エンガワ  評価:30点  ■2011-06-10 18:59  ID:IS6Q0TStVxc
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綺麗だなぁって思いました。晴れのちシャボン玉、野生のサンタクロース、素敵ですね。空間の広さの開放感と何所か儚げな感じが、作品に合っていて心地よかったです。全体を漂う不思議な感じが、ピーマンの家や大人の自分という現実感と、マッチしていると思います。
ただ、凄く個人的な願望なのですが、子供の頃の自分との対面で話を進み終えても面白かったんじゃないかと思ったんです。何というか、天使、というのがちょいと都合のいい唐突感があって、そこで迷いました。過去の子供と今の大人との決着をつけるには、少しバランスが整わない感じがしたんです。でも、それは個人的な願望ですので、余り気にせずに。
読んだあと、チリチリとしたものが残って、いい感じでした。
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