リリス・キスキルの名の元に
 プロローグ

 大の大人が両の手を精一杯伸ばしたところで一枚の窓の端から端まで届かない。そんなひどく大きな出窓が空気が一切入らぬほどに締め切られている。黒いカーテンが張られた部屋には蝋燭の明かりだけが煌々と灯されていた。
 悪魔召喚の儀式部屋のように、その室内は闇と小さな光だけで彩られている。
 その闇に浮かぶ、少女の姿。
 リリス・キスキルは闇の中で水晶に手をかざしていた。舐めるようにその中を見渡す。小さな蝋燭の灯火に照らされ、その表情がはっきりとしたものになる。
「見つけたぞ……」
 リリスは一人呟いた。
 肌は青空に浮かぶ雲のように白く、真赤なドレスに彩られた身体は小さい。少女は手折られた花さえも至福と感じるであろう程に美しかった。
 ドレスの豪奢さとは裏腹に、腰の辺りまで届く癖のかかった金色の鮮やかな髪は、編まれてもまとめられてもいなく、背中に垂らされていた。
「我の……唯一の……」
 リリスは前方の扉へ、手をかざす。小さな、白い手を。
「――告げる」
 呪文の詠唱が始まる。
 それは嘆願の声。
 それはどこかの誰かに向けての声。
「――此処に示す。我は混沌を支配する悪の化身なり」
 呪文は、リリスが自分で考えたものだった。その内容を自分で口にしながら、苦笑する。確かに自分は悪の化身だろう、と。
 リリスの視界が一瞬暗くなる。
 全身から魔力と言う魔力が吸い取られ、足がふらつく。リリスの心臓が彼女個人の意志を離れ、早鐘を打ち始める。
 それでも、リリスは精神の集中を緩めない。
 やっと巡ってきたチャンスなのだ――ここで退けるわけがない。
「――我が逐うべきは汝の姿。リリス・キスキルの名の元に我の魔力を糧にして今ここに現れよ――!」
 そう呪文を終えるとともに、リリスは身体全体に流れ込む魔力の奔流を限界まで加速する。
 逆巻く風と稲光。リリスが目を開けていられない程の風圧の中、扉にあった召喚の紋様が燦然と輝きを放つ。風圧のせいで窓ガラスが割れて弾けた。
 ついに魔術陣の中の経路はこの世ならざる場所へと繋がり、一人の男が姿を現す。
 それは――リリスが、ずっと待ち望んだ光景だった。







 傘をなくしてずぶ濡れのまま、俺はネットカフェの自動ドアを抜けた。
 最悪だ。一人心の中でそうごちる。
 ネットカフェが家から遠いこの一軒しかない程の田舎。そんな田舎に来てしまうことになった自分のふがいなさを呪う。
 ネットカフェの中は煙草の匂いが充満していた。現在時刻、十一時半。こんな時間にネットカフェに訪れる人間とは、まあ、そういうやつらだからだろう。
 最悪だ。全部、全部最悪だった。
 髪の毛に付いた雨を手で払う。ジーパンはまあ何とかなるとしてもウールで出来たパーカーはどうにもならなそうだった。
 ため息をつきながら、カウンターへと足を運ぶ。
「いらっしゃいませー」
 気だるそうな店員の声に俺は顔をしかめた。この時間帯だ。恐らくアルバイトの大学生か、フリーターの人だろう。もしかしたら俺と同じ大学の人かもしれない。そうなると気まずかったが、とりあえず見知らぬ顔だった。
「あの、個室を借りたいんですが」
「会員証はお持ちですか?」
「いえ、初めてです」
「……分かりました。では、お名前をお聞かせ下さい」
 めんどくせーな、おい。という心の声が聞こえて来そうだった。俺は客だぞ? 何でおめーにめんどくさがられなくちゃいけねえんだよ。
 だが、背に腹が変えられないのも事実だった。今俺の自宅には先輩たちが押し入り、麻雀大会を開始しているころだろう。何故か俺の部屋に麻雀牌があるのだ。先輩の部屋に押し返そうとしても無駄だった。
 面子はいつも、俺を抜いたところで足りているというのに何故か参加させされる。麻雀っていうのは半分実力で半分は運だ。待ちを出来るだけ多くしたとしても上がれる保証はないし、地獄待ちにしても来る時は来る。というわけで俺もたまに大勝するときもあるのだが、相手は一応先輩だ。そりゃあ気も使うわけで、段々と俺の台所事情が悪くなってくるわけだ。
 ネットカフェで一晩を過ごすなら大体二千円。そっちのほうが金はかからないし、何より気が楽だ。というわけで今俺はこんなところにいるわけだ。
「小林里緒(りお)です」
「小林様ですね。……えっと、ではあちらの十五番をお使い下さい」
「分かりました」
 とぼとぼと、ため息をつきながら個室へと歩き出す。
 そもそも、こんな街に来るつもりなんてなかったのだ。受験に失敗して、浪人するわけにもいかず、親からは国立大学に入れと言われ、仕方なくこんな田舎の大学に入った。
 そりゃあ友達だって結構いる。でも、俺はもっと上の大学に入って人生を謳歌したかった。都会の大学で、色んなところで遊んで。それに比べてここはなんだ。遊べるところがボーリングかカラオケの二択って。そりゃあ最後に残った選択肢、宅呑みを発動するしかないだろう。
 お陰で酒に対する耐性はかなりついた。そんなに酒は好きなわけじゃないけど重要なコミュニケーションツールだ。仕方ないだろう。
「はあ、何でこんなことになるんだよ」
 一人呟く。
 先輩たちは俺が部屋にいなくても勝手に部屋を蹂躙し、勝手に始めているだろう。問題はない。入学当初は勉強して他の大学へ、なんてことも考えたが、大学生活の生ぬるさに呑まれてその気持ちも消え失せた。
 ゲーム機とビリヤードのできるフロアのあるロビーを抜けて、個室へと赴く。何の漫画を読もうか。最近は漫画も全然読んでないからなあ。とりあえず、個室に入って一息つこう。
 十五番の個室の前に辿りつく。まあ、ネットカフェの個室なんてどこも小さいものだ。一人で過ごせればいいだけんだし。
 そして俺は――小さな個室のドアを開け放って。
「うおっ!」
 強く、身体を引きこまれる感覚。一気に視界は真っ暗になって呑みこまれる。風が身体の周りを走る。悲鳴を上げる暇すらなくて。闇の中で目を閉じた。
 強烈な引力が身体を引っ張っているというのに身体の重心は動かない。
 何が、一体何が起こっているというのだ。
 血の気が下がり、気を失いそうになる。だが、もうその頃には周りの異常は収まっていて、俺は恐る恐る目を開けた。
「…………え?」
「おおっ! 来おったか」
 目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。
 蝋燭が消えたばかりの匂いが鼻につく。
 お姫様の部屋、と言ってしまった方が簡単に済むだろう。俺の価値観ではほとんど理解できないような豪華なものばかりだ。カーテンつきの、お姫様ベッドと呼べばいいのだろうか、ピンクのそれ。湖畔で佇む女性と動物の油絵、精緻な細工の施された黄金の蝋燭立て。そしてその中央に陣取っている、俺の腰の高さほどの黒色の台。その上に乗っている水晶の横にいるのは、小さな女の子だった。
 何故か左にある窓ガラスが割れて砕けているその部屋にいた女の子は真赤なドレスを身に纏っていた。肘の辺りが見えていて、肌は白く、空から降り注ぐ雪のようだった。
 それよりも、特筆すべきはその容姿だ。眼は綺麗な琥珀色。整った顔。朝露のように儚くも見えて、磨き抜かれたダイヤのように輝いても見えた。
 吸いこまれるような美しい金髪は少し癖がかかっているが、肩まで伸びていて、言うまでもなく綺麗だった。とりあえず、俺はこれほどの美少女をお目にかかったことがなかった。
 だが、今は関係ない。
 こんなに広い部屋がネットカフェにあるのだろうか。俺が部屋を間違えてしまった、という可能性もある。何故か女の子は俺が入ってきたことで目を輝かせているが、知り合いではないので無視をしよう。
「あ、すいません。部屋間違えちゃったみたいで」
 そして俺は女の子から踵を返し、扉へと振り返る。あれ? こんなに豪華ででかい扉だったっけか。まあ、いいか。とりあえずは……。
「――ま、待つのじゃっ! 外に出ては」
「え?」
 扉を開く前に女の子がそう叫んだ。だが、俺の意志とは裏腹に扉は開け放たれて、激しく叫ぶ声が聞こえた。
「――陛下っ! どうしたのでございますかっ!?」
 …………。
 なんだ、こいつ。
 部屋に入って来た女は背中に蜘蛛だろうか、そんな触手を生やして白銀の鎧を装着していた。紫のロングヘアーだとか、顔が綺麗だとかは置いておいて俺はそこに目がいって仕方がなかった。
 ここはコスプレ会場か何かか? いつからネットカフェはコスプレ衣装を貸し出すようになったんだ?
 俺の眼の前に立っていた女は息を切らしていて、どこからともなく丈の短い剣を取り出していた。
「――曲者!」
「うおっ!」
 俺は抵抗する暇もなく、その女に胸を押され床に叩きつけられた。俺も男だから、というわけの分からない理由で反撃しようとした。が、女は既に俺の身体の上でマウントポジションをとって喉元に剣を押し付けていた。
「ひっ、ひいっ!」
 悲鳴を上げるが、女はそれを無視する。女の眼には先の見えない漆黒の闇。目の奥にそれを隠し持っているようだった。
 ――殺される。
 本能的にそう思った。
 喉仏に添えられた剣から血が流れる。チクリとした痛みがそこから走る。
「貴様、陛下の寝室に侵入しておいてただですむとは思っていまいな」
「よいっ、レイラ」
「――なっ、しかしながら陛下っ」
「よいと言っておるじゃろうが。それとも我の命が聞けぬのか?」
「…………はっ」
 女は立ち上がると剣を納めた。本気で死ぬと思った。というか、レイラだっけか、そう呼ばれた女はまだ納得いっていないようだった。まだ、俺の命は風前の灯と言うわけか。
「レイラ、もう下がってよいぞ」
「で、ですが陛下っ、このような得たいも知れない者と一緒になどと」
「はあ……お主の忠誠には感謝する。じゃが、こやつは我の大切な客人じゃ、問題ない」
「で、では、陛下のお傍付きとして某もここに居させて下さい」
 全然何を言ってるのか分からなかった。とりあえず、怯えて身体に力が入らない。が、頭だけはしっかり動くので状況を整理してみよう。
 ……えっと、ここはネットカフェで、でこいつらは姫様と部下か? いや、全く分からんぞ? てか、何でこの女、真剣なんか持ち歩いてるんだ。銃刀法違反ってやつじゃ。
 俺がそんなことを考えているのを尻目に女の子は頭を何度かかき、レイラと呼ばれた女に呆れているようだった。
「……ふむ、我はお主がお傍付きだと認めた覚えはないのじゃがのう。はっきりと言う――今のお主では我の警護は手に余る」
「なっ! そのようなことは」
「お主にはまだその力がないということじゃ。分かったら出ていくがよい」
「…………はっ。承知いたしました」
 そして、レイラと呼ばれた女は身を翻し、部屋を出ていく。その途中で俺のことを睨みつけてきた。
「貴様、陛下に何かしたらただではすまさんぞ」
「は、はいっ!」
 反射的に身体を立ち上げて俺は気をつけをしてしまった。声が少し裏返ってしまったが気にしないことにしよう。
「ふんっ」
 パタンと女が出て行って扉が閉じられた。どうやら命の危機は回避できたらしい。ホッと胸を撫でおろす。まあ、まだ分かんないけど。
「余計な邪魔が入ったが、何とか無事に召喚出来たようじゃな」
「え? 召喚?」
 振り返りながら俺は訊きなれない単語を復唱する。
 召喚とはつまり、人を呼び出すこと。特に、裁判所が被告人・証人・鑑定人などに対し、一定の日時に裁判所その他の場所に出頭を命ずること。というのが辞書的な意味だが、何故か俺は記憶力がいいのだ。
「あのー、何か俺、悪いことでもしたんでしょうか?」
 とりあえず、裁判的な意味だと解釈しておく。そのほうがまあ、なんか自然だし。
「ん? 悪いことじゃと? そんなものは関係ないが」
「え? そうなんですか? じゃあ、召喚っていうのは、一体……」
「何を言っておる。お主を召喚したのじゃ、異世界からこの世界、イルレオーネにな」
「…………」
 どうやらかなりの厨二病を患っているらしいな、この子。可哀想に。このまま成長してしまったら大学でぼっちになるのは確定だ。心底痛みいる。
「そうか。そうなのか……」
 一人勝手に納得する。
「で、ここはどこなんだ? どうやらネットカフェじゃないみたいだけど」
「ネットカフェ、とはなんじゃ? ここは魔王の城じゃが」
「……魔王の、城?」
 魔王っていうのはあれか、総ての魔族を統べる王様のことだよな。でも、ここが魔王の城だと? この子、かなり重症だな。その手の友人が俺にもいるが、同族の仲間内でも引かれるレベルだぞこれは。
「いいから、冗談はそれくらいにしてくれ。マジでここはどこなんだ?」
 少しイライラしてきたので俺は声を荒げる。
「だからここは魔王の城だと言っておろうに。信じられないならそこから外を見てみるのじゃ」
 そして女の子はガラスの割れた窓を指し示した。
「ったく、何だよ。どうせ何もないんだろ?」
 ――俺はこの時点で気が付いていた。
 ここが俺のいた街ではないことに。
 声が少しだけ震えていたため、それを自覚出来た。
 まず匂いが違う。自然の匂いと言ったらいいのだろうか。森の中に入ったかのような、だがしかし、どこか気持ちが悪い。爽やかというには程遠い。
 空気が違う。先ほどまでとは重みが違う。
 本当は気づいていたのだ。ただ、認めたくなかっただけだ。俺は恐る恐る窓へと近づく。
 間違いであってほしかった。下らない日常でも、そこにあってほしかったのだ。
 窓から外の風景を眺める。
「――――なっ!」
 言葉を、失う。
 そこに広がっていたのは見渡す限りの自然美だ。そよ風に揺られる木々たちは静かに何かを囁き合い、その上では葉を跳び移る光の妖精たちが無邪気に踊っているように見える。
 だが、一つだけ問題があった。
 その森の木々は皆――紫色に染まっていたということだ。
「なんだよ、これ……」
 何とか漏れた声で俺はそう呟いていた。紫の葉を生やす木なんて俺は知らない。知るはずもない。何でこんなものがここにあるのだ。
「あの木々はな、この辺りにしか生息しないのじゃ。まあ、見てくれは悪いが部下たちが好きだと言うので仕方なくな」
 俺の疑問に答えるように女の子は言った。俺は静かに振り返る。女の子はベッドに腰掛けてこちらを眺めていた。
「どうじゃ? もうここが異世界だと信じることが出来たか? 恐らくあの植物はお主の世界にはないものじゃろう?」
「ほ……本当に……?」
「そうじゃ。お主は誇り高きこの我に召喚されたのじゃ」
「誇り高き……?」
 何だかもう、俺はここが普通の世界ではないと信じていた。証拠はまだないけれど、そう考えれば全ての説明がつく。先ほどの触手を生やした女のことも、あの森ことも。
 そして、俺は女の子の言葉を繰り返しながら、ある考えに至った。
「まさか、お前が……」
「おおっ、察しがいいの。そうじゃ、我こそが誇り高き魔王――リリス・キスキルじゃ」
 ベッドから立ち上がり、胸を張りながら女の子は言った。なんだか得意げにしている普通の女の子に見えなくもない。
「そんな、こんなに小さいのに?」
「ぶっ、無礼者っ!」
 女の子は掌の上に紫の光の球を作り出し、それを俺に投げつけてきた。
「ええっ!?」
 俺は瞬時に身を屈めてその攻撃を避けた。近づいてきた瞬間に凄い圧力を感じたため、避けてしまった。
 静かに窓の外へ眼をやると、地平線の果ての森で激しい爆発が起きてキノコ状の煙が出来た。爆音が俺の鼓膜を支配する。今のを避けきれなかったら、一体どうなっていたのだろうか。想像しただけで身体が震えた。
「わ、悪かったっ。もう言わないから、許してくれっ」
 命の危険を感じた俺は即座に頭を床へと擦りつけて土下座した。女の子は息を荒げて怒りが収まらないようだったが、俺の土下座を見ると両手を組んで鼻を鳴らした。
「ふんっ。今回は見逃してやるが、これからは気をつけるのじゃなっ」
「へ、へい。そりゃあもう……」
 これは、マジだ。
 きっと夢じゃない。それなら先ほど剣を突き付けられた時点で目覚めているはずだ。これはきっと――現実。
 手を揉みながら俺は考える。
 これからどうすべきか。とりあえずは事情を聞いた方がいいだろう。その方が賢明だ。自分でもどんな適応能力だよと突っ込みを入れたくなる。
「……それで、魔王様が、この俺にどんな御用でしょう?」
「む? ああ、そうであったな。では、お主は勇者という存在を知っておるか?」
「勇者? そりゃあまあ。魔王を倒すために旅をしているやつだろ?」
「ふむ。それは知っておるのか。実はな、最近勇者たちとの戦いが敗戦続きでな」
「…………」
 何となく、分かった。
 よくあるファンタジーのパターンだ。俺に勇者を倒せとか言うに違いない。そんな力は俺にはないぞ。高校までサッカーをやっていてちょっと運動神経がいいくらいで。
「そこでな……」
「ああ、分かった。俺に勇者を倒してほしいとか言うんだろ? そんなの無理に決まってる」
「……何を言っておるのじゃ?」
「え?」
 あれ? 違うのか? じゃあ、こいつが俺のことを召喚した理由はなんだ? 全く分かんねえぞ。
「お主にそんなことは求めておらん」
「じゃあ、何で……」
「実はな、その勇者と言うのがとんでもない色魔なのじゃ」
「色魔?」
 色魔とはつまり、情欲のおもむくままに次々と女を誘惑し、もてあそぶ男。という意味だが、それが何だと言うのだ。訳が分からん。
「我ら魔族は体内に保有する魔力ゆえに魔族たり得る。じゃが、その魔力が失われる現象が存在するのじゃ」
「魔力が失われる、現象?」
 話を繋げながら整理してみる。
 勇者が色魔で、俺を召喚して、魔力が失われて。
「まさか……人間に恋をする……とか?」
「おおっ、お主、やはり察しがいいの。そうじゃ、我ら魔族の殆どはメスなのじゃが」
「そりゃまた何で」
「お主の世界に存在するかは分からぬが、この世界には例えば昆虫という生物がおっての」
「それは俺の世界にもいるが」
「それなら何となく分かるであろう? 昆虫の中の一つ、蜘蛛は交尾した後、どうなるか知っておるか?」
 俺は記憶の中の知識を掘り出して、そしてこいつの言わんとしていることを理解した。
「……オスはメスに食べられるけど……」
「そういうことじゃ。魔族もそういうものでな、メスのほうが力が強いのじゃ」
「は、はあ……それでどういうことなんだよ」
「魔族は人間に恋心を抱くとその魔力を失い、普通の人間に変化してしまうのじゃ。あの勇者は前のダンジョンでも我の部下を籠絡し、無血で突破してしまったのじゃ」
「…………」
 ということは、だ。
 勇者を倒すことが無理だと言うのならば、俺が呼ばれた目的は……。
「それじゃ、俺が召喚された理由っていうのは……」
「うむ。お主に我が求めることはただ一つ。勇者よりも先に我の部下を籠絡するのじゃ!」
 ビシッ! という効果音が聞こえてきそうなほど、リリスは力強く俺を指さした。
 いや、そんなこと言われてもなあ……。
「……無理だ」
「そう心配するでない。我らは魔族と言っても感受性は人間と殆ど変らぬ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「なんじゃ、何か不満か?」
「俺はそんな女の子を落とすような技術なんて持ってないし」
「お主に拒否権はないぞ?」
「え?」
 フフンとリリスは鼻を鳴らして得意げに俺のことを見てきた。何だか嫌な予感がする。
「実はな、先ほどお主を召喚したせいで魔力が殆ど底をついてしまったのじゃ」
「……ということは……?」
「しばらくはお主を帰すことは叶わぬな」
「なっ、何ぃっ!?」
 俺はリリスの肩を両手で掴み、揺さぶった。と思ったが案外リリスの体幹は頑丈で殆ど動かなかった。
「たっ頼むっ! 早く帰してくれっ! 単位が危ないんだっ!」
「タンイ、とはなんじゃ? そんなに大事なものなのか?」
「う……いやそれは」
 言葉で説明しづらいのが難儀だった。とりあえず、現時点で命よりは価値が下がるが金よりは大事だ。とにかく、なくてはならないものってことだ。
「とりあえずないと困るんだよっ!」
「ふむ、それはとても残念じゃが、我も魔力がなくてな……仕方のないことなのじゃよ。タンイとやらのことは諦めるしかないのう」
 悟ったような顔でリリスは言った。こいつに付き合っていても埒が明かない。何とか、何とか俺のことを帰してくれる魔法使いを見つけるんだ。それしか、留年を回避する方法はない。
 俺はリリスから手を離し、扉へと歩を進める。
「お、お主、どこへ行くというのじゃ」
「帰るんだよっ。どっかに俺を帰してくれるだけの魔法使いがいるはずだ。それを見つけて」
「……それは構わぬが、きっとその扉の向こう側は我の部下ばかりじゃぞ?」
 ピタリと俺は扉にかけようとしていた右手を止めた。
 そうだ。俺はすっかり失念していた。腐ってもここは魔王の城だ。扉の向こう側にはリリスの部下がうじゃうじゃといるに違いない。
「先ほどお主が命を奪われかけたレイラが典型じゃな。今度は我も止める自信がないのう」
「くっ、お前、俺を脅すっていうのかっ!?」
「脅しではない。お主に選択肢を与えているだけじゃ。我に従い、言うことを聞くのか。それともその扉を抜けてなぶり殺しにされるのか。お主はどっちがいいのじゃ?」
「くっ…………」
 選択の余地は、なかった。
 俺はリリスの言うことを聞くしかなかった。
「……分かったよ。落としてやろうじゃねえか。お前の部下をっ!」
「よくぞ言った。それでこそ我が召喚した異世界人じゃ」
「だが、その前にいくつか聞いておきたいことがある」
 俺はリリスに断りも入れず、部屋の中にあった椅子に腰かる。ポケットの中から煙草を取り出し、その中の一本を口へと咥えた。
「なんじゃそれは」
「ああ、これは煙草って言うんだ。俺の世界の中にある嗜好品の一つさ」
 言いながら火をつける。煙草でも吸わなきゃやってられないぜ、全く。
「ほう、お主の世界にはそんなものが……って、なんじゃ、これは……」
 リリスはそして両手で体を掴みながら地面へとしゃがみ込んだ。体が少しだけ震えている。何だか知らないが少しだけ艶めかしく見えた。
「ど、どうしたっ、大丈夫かっ?」
 俺は立ち上がりながらリリスへと駆けよった。もちろん煙草を口に咥えながら、だ。
「はっ、早くそれをしまうのじゃっ。体が、熱い……」
「わ、分かったっ」
 俺は煙草を放り投げ床へと叩きつけた。その火をもみ消してもう一度リリスへと向き直る。
「これでいいのか?」
「……どうやら、収まってきたようじゃな」
 言いながらリリスは立ち上がる。その顔はどこか熱っぽそうで赤くなっていた。
「お前、どこか熱でもあるんじゃ」
 俺はリリスへその手を伸ばし状態を確認しようとする。リリスの手に触れた、その時だった。
「――――ッ! さ、触るでないっ!」
 一瞬身体を痙攣させたと思ったら今度は手を振り払われた。全くわけが分からない。
「なっ、なんだよっ。心配してやったっていうのに」
「……その、お主が持っておるタバコというものには、どうやら我ら魔族に対する媚薬のような効果があるらしいの」
「えっ? 媚薬だってっ?」
 確かに、もう一度リリスのことを見てみるとやっぱり艶めかしく見えた。息は荒いし、少しだけドレスがはだけてるし、熱っぽいし……って俺は何を考えているんだ。
「……ふう、少し落ち着いたようじゃ」
 髪をかきあげ、リリスはまた普通の状態に戻っていた。
 ちょっと待てよ。ってことは煙草を使えばこいつの部下を落とすのなんか、実は簡単なんじゃ……。
「言っておくが、ゆめゆめそのタバコとやらを籠絡のために使おうなどと思わないことじゃ」
 何故かリリスに釘を刺されてしまった。
「え? 何でだよ」
「それはまた説明する。で、お主が言っていた質問とやらはなんじゃ」
「ああ、そうだったな。まず一つ。お前は人間に恋をしたら魔力が失われると言ったが、そもそも俺は人間だ」
「ああ、そんなことか。何、心配することはない。お主は人間であっても異世界人じゃからな。恋をしたところで何でもない」
「何だよそのご都合主義的設定は……」
 異世界人が人間じゃないって、なんだよそれ。まあ、分からなくもないが。
「で、質問はそれだけか?」
「もう一つある。お前は魔力を持つ者が魔族たり得るって言ったが、それなら人間の中にも魔法使いがいるはずだろ? それはどうなんだよ」
「なんじゃお主。勇者のことは知っておっても魔法と魔術の区別もつかんのか」
「何か違いでもあるのかよ」
「魔術とは我ら魔族にのみ許された力のことじゃ。人間には使えぬ。魔術の力の源とは魔力じゃ。まあ、そういうことじゃな。それに対して魔法とは人間が使うことのできる力のことじゃな。その力の源は人間の想像力に起因する。どうじゃ、理解したかの?」
 整理してみよう。
 分かりやすく言うならば、魔術は魔族が使えて、魔法は人間が使えると。だから関係はないってわけか。なるほどな、希望が一つ消えたわ。
「じゃあ次の質問だ」
「申してみよ」
「籠絡するとは言ったが、具体的にどの辺りまでいけばいいんだ? Aか? Bか? それとも……」
 まあ、俺はキスもしたことがないわけだが。それはあえて言うまい。
「なんじゃまたそのエー、ビーと言うのは。まあとりあえずは口づけくらいでよい。というよりもそれ以上は行かぬ方がいいじゃろうな」
「……どうしてだよ」
「言ったであろう。我ら魔族はメスの方が強いと」
「…………そういうことか」
 つまりはだ。キス以上まで行けば俺は自動的に死ぬ、と。何だよこの難易度。ありえねえだろ。俺は深いため息をついた。
「じゃからお主が先ほどのタバコというものを使ったら命の保証はない、ということじゃ。我は何とか自制することができたが、今度もそうできる自信はないからの」
「はあ……煙草も自由に吸えないのかよ」
 また、ため息をつく。どんな状況だよ。まあ、元いた世界でも自由に吸えたわけじゃないけど。
「なんじゃ、先ほどのタバコというのはそんなにいいものなのか?」
「まあ、いいってわけじゃないが、悪くはないな」
「ふむ、異世界人の考えておることは分からぬのう」
 リリスがしかめっ面を浮かべながらそんなことを言った。俺だって何で吸い続けてるのか分からないくらいだからそう思うのは当然か。
 そして俺は一番気になっていた質問をリリスへ向ける。
「じゃあ、最後の質問だ――何で俺なんだ?」
 俺は別に特別モテるわけじゃない。彼女がいなかったわけではないが、俺の趣味を理解してもらおうとしたらキスもしないまま振られた。
 まあ、そういう恋愛経歴なわけだ。俺なんかが呼ばれる理由は殆ど考えられない。
「何故、お主か、か…………それはじゃな……」
「…………それは……?」
 沈黙がしばらくの間、俺たちの間を支配する。リリスは深く考え込むように腕組んで黙りこむ。
 何だ? やっぱり特別な理由があるのか? それは一体、何なんだ……?
「…………それはじゃな……」
「…………」
「――偶然じゃ」
「…………は?」
「いやー、召喚と言うのはそれだけで強力な力を要するのじゃ、誰を召喚するかなど我の知るところではないのじゃ」
「……ああ、そう」
 しばらく長いためを作ったから何だ重要な理由でもあるのかと思ったが、何だよそれ、いい迷惑だわ。マジで。
「何じゃ、元気がないようじゃな」
「いや、まあな……」
 ため息をつく俺をリリスが心配そうに見上げてきた。そりゃあため息もつきたくなるっての。俺なんかに何人も落とせるわけがないだろ。
「まだ自信が持てぬのか? よし、ならば体を屈めよ」
「え? 何だよ急に」
「いいから、言われたとおりにするのじゃ。我は魔王じゃぞ?」
「わ、分かったよ」
 俺は言われたとおりに体を屈めた。まるで俺が子供相手に目線を合わせるような形になったがこいつはそれに屈辱とか感じないのだろうか。
「……これでいいのか?」
「うむ――動くでないぞ」
 リリスは俺に近づいてきてつま先立ちをする。
 リリスは俺に顔を近づけてきて、両手を俺のうなじの辺りへ回して、引き寄せる。
 リリスの顔が、俺のすぐ近くにあって、琥珀色の瞳に俺は吸いこまれそうで――俺はこの段階になって始めてこれから何が起きるのかを理解した。
「――――ッ!」
 ――リリスの唇が俺のそれに触れる。
 背筋が震えた。リリスの唇は魔王とは思えない程に柔らかくて、熱くて、身体全体が溶けてしまいそうだった。異世界に飛ばされてきたことを俺自身が忘れてしまうほどにそれは心地よくて。
 どれくらいの時間が過ぎただろうか、瞳を閉じていたリリスは気が付くと唇を離していて、俺はその姿を見るとようやく正気に戻った。
「なっ、何のつもりだよっ、急にっ!」
 俺は激しく取り乱しながら自信の唇に手を添える。まだリリスの唇の感触が残っていてそれを意識するたびに顔が真っ赤になることが分かった。
 俺の動揺っぷりに対してリリスは平然としていてそれが何か悔しかった。そりゃあ初めてのキスだしこうなるだろ。魔王だけど、相手はこんな美少女なわけだし。
「くふ。何を慌てておる。たかが口づけじゃ。人間たちの間では普通にやっておることじゃろう?」
「そ、それは心を許しあった仲での話だっ」
「まあよいじゃろ。これでお主も少しは自信がついたであろう?」
「そ、そんな理由で……」
「我が口づけをした理由はそれだけではないぞ」
「え?」
「魔族にとって口づけとは契約の証しじゃ。これでお主の中にもほんの僅かじゃが魔力が流れるようになった。我と魔力を共有したというわけじゃ」
「え……そう、なのか……?」
 リリスに言われて俺は体全体を見渡して両手を握ったり開いたりしてみた。
 特に何か力を得たという感じはしない。体から湧き上がってくる何かも全く感じない。
「……別に何も感じないぞ?」
「まあ、そうじゃろうな。我が与えたのはほんの僅かじゃからな。じゃがそれでも魔物と称すには十分じゃ」
「どういうことだよ」
「これでお主も魔族として我の部下を落とせるというわけじゃ。どうじゃ、よかったじゃろ」
 くふふ、とリリスはまた俺に向けて笑顔を見せた。その真夏の向日葵のような鮮やかな笑顔に俺は少しだけ見惚れていた。そりゃあ、こいつは魔王だとしても可愛いし、キスされたわけだし……。
「なんじゃ? どうかしたのか?」
「い、いや、何でもない」
 俺はリリスに覗きこまれ、思わず視線を逸らした。いや、これからは気をつけよう。魔王に恋するなんてどこのゲームだよ。
「そうか? まあよい。そう言えば、まだお主の名前を聞いておらんかったな」
「ああ、俺は小林里緒だ」
「リオ、か。ふむ、中々良い名じゃ。では、ほれ」
 リリスはそして、小さな白い手を俺に差しだしてきた。俺は先ほどのキスのせいか一瞬その手を取るのを躊躇った。
「む? なんじゃ、握手よりもキスの方がよいのか?」
「そ、そんなんじゃねえよっ」
 俺は仕方なくリリスの手を取った。 リリスの柔らかい掌は、春の日差しよりも暖かった。
「うむ。これからよろしく頼むぞ、リオ」
「ああ、分かったよ……」
「…………まあ、そこまで期待はしとらんがな…………」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いや、何でもないぞっ」
「そうか……?」
 リリスが何か言った気がしたが、とりあえずはどうでもいいか。
 とりあえず、こいつが魔力を回復する前に勇者に倒されたら帰れないわけだ。
 そのためにはこいつを勇者との戦いに勝利させなくてはいけない。それが出来るのは、俺だけってことか。
 やるしか、ない。単位が、いや、俺の留年がかかっているのだ。
 俺は空いている手を強く握ると気持ちを新たにするのだった。








 一章

 俺とリリスが決意の握手をした後、何故か俺たちは魔王の城の廊下を歩いていた。
 モノクロのタイルが敷き詰められた床は綺麗に整えられていて、ふと視線を落とすとしばらくの間見入ってしまいそうである。廊下は全体がアーチを描くようになっている。壁面はただの灰色であり、まあ、こういうところが魔王の城らしいな、なんて俺は思う。天井からはカンテラがぶら下がり、辺りを薄く照らしていた。窓の反対側には魔物と思われる像がいくつか並んでおり、俺は無意識の内に視線を逸らしていた。
 何でもリリスが言うには俺に優先的に落としてほしい部下がいる、ということらしかった。
「で、誰なんだよ。その落としてほしい部下って言うのは」
「くふ。まあ、我の話を聞くがよい」
 リリスは廊下を歩きながらニヤリと笑って見せた。こういう悪だくみをする悪代官のような笑みは魔王らしいな。
「我の部下の中には三本刀と呼ばれる者たちがおるのじゃ」
「三本刀?」
 俺は訊きなれない言葉をそのまま口に出す。
 何となくだが、語感でその内容は読みとれた。
「ああ、お前の選りすぐりの部下ってところか?」
「そうじゃ、我の部下の中でも最強の三人。それをお主に落としてほしいのじゃ」
「はあ、で、俺は今からそいつらに会わせられる、と?」
「そういうことじゃ。……む、ほれ、その一人の姿が見えたぞ」
 リリスが指さした方向へ俺は無言で視線を向ける。ゆっくりと視線を動かしていると、その対象物に目が止まった。
「げっ」
「……ん? あっ! 貴様はっ!」
 俺のことを殺そうとした蜘蛛の騎士のコスプレをした女が廊下の突き当たりを歩いていた。
 いや、今となってはコスプレではないわけだが。それにしても、よくよく見てみれば綺麗だ。紫色のロングヘアーも銀色の甲冑も凛としたその表情にはとても似合っている。騎士のくせにそんなに長い髪をして戦いのとき邪魔にはならないのだろうか。などという無粋な事は聞かないほうが賢明だろうな。
「またしても陛下のお傍にっ、ここでその命断ってくれようっ!」
「ぼ、暴力反対っ!」
 女は腰に納めていた剣に手をかけた。俺は抜刀される前に身の危険を感じ、リリスの背後に身を隠す。我ながら情けないとは思うが相手は真剣を持ったガチ剣士だ。とても敵うわけがない。
「貴様、陛下を盾にするとはどれだけ卑劣なのだっ!」
「刃物禁止っ!」
「これ、よさんかレイラ」
「し、しかしながら陛下……」
 リリスが命じるとレイラはしょんぼりとして剣にかけていた手を引っ込めた。何でそんなにがっかりしてるんだよ。そんなに俺のことを殺したかったのか?
「お主に紹介しておこう。こやつはリオ。今日から我の側近を担ってもらうこととなった」
「えっ!? 側近!?」
「なっ、陛下っ、何故なのですかっ!?」
 俺とレイラは同時に驚きの叫びを上げた。いや、側近って聞いてないけど。まあ、その方が色々と都合がいいのか?
「我の決定じゃ。何か不服でもあるのか?」
「で、ですが、こいつは人間ですぞ?」
「本当にそうか?」
「な、何を……?」
「もう一度よく見てみよ」
 リリスに言われてレイラは俺のことを舐めるように見渡してくる。なんだかちょっと気恥ずかしかった。まあ腐ってもこいつは美人なわけだし。
 レイラはしばらく俺を見ているとハッとしたような顔を浮かべた。
「ほ、本当でございます……確かに微かではありますが魔力を感じます」
「じゃから言ったであろう。こやつは魔族じゃ」
「で、ですが、こいつはオスでしょう? そんなオスに陛下の側近等と……第一、陛下にお目通りすることを許されたオスは」
「レイラ、お主は何も分かっておらぬなあ」
「どっ、どういうことでございますかっ?」
「戦闘力だけが優秀な部下としての要因ではない、ということじゃ」
「……それは」
「お主の力は我も信頼しておる。じゃからここは身を引いてくれんか?」
「…………くっ。分かりました……」
 レイラはそして一歩後ろへと下がり、踵を返す。その後ろ姿は本当にがっかりとした様子でなんだか俺は悪いなあなんて思ってしまった。
「……なあ、本当にいいのかよ」
「よいのじゃ。あやつは三本刀の一人なのじゃが、どうも過保護が過ぎる。少しくらい突き放してやったほうがあやつのためじゃ」
「はあ……で、俺が落とすのはあいつってわけか?」
「そういうことじゃな」
「いやー、きついと思うぞ……?」
 そりゃあまあ殺されたかけたわけだし。
 それよりもあいつはきっと俺のことをよく思ってはいないだろう。俺はレイラがなりたがっていたリリスのお傍付きみたいなことになっているわけだし。
「ふむ。まあ、そうであろうな。何、時間をかけて落としていけばよい。お主に落としてもらいたいやつは他にもいるのでな」
「そうか」
 まあそうだろうな。他にも三本刀というわけだから可能性はある。と思いたいな。
「それにしても、ほれ、見てみよ。あのレイラですらお主が魔族だと言っておったであろう?」
「ん、まあ、そうだけど」
「これで安心じゃろ? よし、では次じゃ。行くぞ、リオ」
 リリスは俺の手を引いて廊下を歩き出した。本当に、無邪気な子供のように。
 俺は跳ねあがったリリスの髪の匂いを感じた。レモンのような甘酸っぱい爽やかな匂い。先ほどしたキスが脳裏に蘇る。いやいや、そんなことを考えてはいけないな。俺が落とすべきはリリスじゃないわけだし。
 と、俺がそんなことを考えているとリリスの足が急に止まった。それにつられて俺も慌てて身体を止めた。
 一体どうしたというのだ。
「おい、どうしたんだよ……?」
「……こんにちは、リリス様……」
「おお、ロアか。丁度よい」
 俺はリリスの後ろから顔を伸ばしてロアを呼ばれた存在をその目で見た。
 小さな女の子だった。リリスよりも小さな。真黒なローブにその全身が呑みこまれていて体型までは把握できない。だが、無表情ながらも整った顔立ち。短いながらも綺麗な銀色の髪の毛は俺にとって美少女と呼ぶには十分すぎた。
「…………?」
 俺のことを見てロアと呼ばれた少女は首を傾げた。その表情は崩れない。まあ、こんな得体の知れない俺みたいなやつがいたら疑問を持たずにはいられないだろうな。
「おお、紹介がまだであったな。こやつはリオ。今度から我の側近をやってもらうこととなった」
「…………リ、オ?」
 片言のようにロアは俺の名前を呟いた。何だ? もしかして食べ物の名前か何かと勘違いしてるんじゃないだろうな。
 とりあえずは俺も自己紹介をしたほうがいいだろう。
「あ、えっと、リオです。よろしくね、ロアちゃん」
 あえて名字までは名乗らなかった。というよりは名字なんて概念は魔族の中にはないのだろう。何か微妙に混乱してるようだし、余計な事は口にしない方が賢明だ。
 っていうよりも、このちっこい女の子がリリスの優秀な部下の三本刀なのか? とても信じられない。
「ロアは三本刀の一人じゃ。中々優秀なやつなのじゃぞ?」
「…………」
 とても信じられなかったが、とりあえず当人の前だ。余計なことは言わない。さっき俺はそう決めたはずだ。
「ほれ、ロア。お主も自己紹介じゃ」
「…………ジコショウカイ……?」
 ロアはそして考え込むように腕を組んだ。何だこの子。自己紹介も知らないのか? 三本刀なのに。あえては言わないけど。
 しばらく考え込むとロアはポンと手を叩いて何かを悟ったようだった。
「…………ロアです……」
 それだけ言って、ロアはローブを揺れ動かしながらペコリと頭を下げてきた。何て言うか小動物のようだった。あまり動かない。
 それ以降、ロアは何も言わずに無表情のまま俺のことを見つめてきた。何だか俺たち三人の間に気まずい空気が流れる。
 それを打開するようにリリスが口を開いた。
「……ロア、これは自己紹介じゃ、リオに対して何か質問などは無いのか?」
「……シツモン……?」
 そしてロアはまた腕を組んで考え込んだ。何だこの子。いちいち会話の中で心理フェイズを入れなきゃダメな子なのか? なんかだんだんイライラしてきたんだが。
「…………! ……好きな殺し方はなんですか?」
 首を傾げてロアは聞いてきた。
 殺し方、か……。
 言っておくが俺は殺人経歴などない。そんな犯罪者ではない。
 まあ、この子も曲りなりにも魔物なわけで、そりゃあ服の流行並みに気になるものなのか? 分かんないけど。
「えっと、まだ俺、実戦経験はなくて」
 とりあえずこんな感じで答えておけば不審に思われることもないだろう。
「……そうなのか……」
 いきなりタメ語を使われた。
 別に悪い気はしないけど、とりあえずその無表情がなあ。なんかあれだな。
「……ふむ、まあこういうやつなのじゃ。仲良くしてやってくれ」
 くふふとリリスは先ほどのような笑みを浮かべながら俺にそう言って来た。仲良くっていうか、いずれは俺が落とすんだろ? なんか、さっきのレイラってやつよりも大変そうなんだけど。
「あっ、リリス様。こんにちは」
 見知らぬ声が背後から聞こえてきて俺は振り向いた。
 また知らないやつだ。ここは俺の世界じゃないんだから知り合いなんているはずもないけど。
 女の子、だろうか。走ってくる人影は俺にはそう見えた。獣の耳に尻尾。栗色のそれは狼のようにも見える。ロアと同じように髪の毛こそ短いものの尻尾と同じ栗色の髪の毛は川の流れのようにさらさらと輝いている。
 真赤なタブレットにホ―ズを身に纏うその姿は俺より少しだけ小さいくらいだ。一応魔王の城に使えているのだ。これくらいの武装は当然だろう。
 何だ。魔王の城には美少女しかいないのか? まあ、俺は別に構わないけど。
 息を切らし走ってきたその女の子は俺の姿を見つけるとロアと同じように首を傾げた。
「リリス様、この方はどなたでしょう?」
「おお、ベリアルか。これはまた丁度よい」
「え?」
 俺はリリスの言葉にすっとんきょうな声を上げてしまう。リリスの言葉から推察するにこのベリアルって言われた子も三本刀ってことか? 確かに武装はしてるけど、とても強そうには見えないぞ?
「紹介しよう。こやつはリオ。今度から我の側近を担ってもらう者じゃ」
「リオ、さんですか。初めまして、僕はベリアルです。よろしくお願いします」
 ベリアルはそして頭を下げてきた。何だ、いい子じゃないか。とりあえず今まで出会ってきた中で一番だ。笑顔は可愛らしいし、何て言うんだろう傾国の美女っていうのかな、こういうの。
「どうも、リオです。よろしくね、ベリアルちゃん」
 でへでへと俺は後ろ頭をかいた。
 俺はベリアルのただそこにいるだけで世界から他の色を奪ってしまうかのような笑みに見惚れていた。可愛いは正義とはよく言ったものだ。
「む……これ、リオっ。あまり我の部下にデレデレするでないっ」
「え? い、いや、そんなことは無いぞ」
 俺はパーカーを着ているためあるはずもなかった服の袖を直す。とりあえずはこうやっておけばデキる男に見えるのだ。多分。
「あはは……えっと、リオさんはお酒飲みますか?」
「はい、そりゃあもう」
 とりあえず、俺なりに格好よく言ってみた。無駄だ無駄だと思っていた友達との酒呑みも意外な所で生きるものだ。いや、人生とは分からないものだ、全く。
「そうですか。では、是非今度ご一緒したいです」
「ええ、喜んで」
「むう…………」
「…………?」
 俺たちを除いたリリスとロアはそれぞれ別の反応を示している。が、今は関係ない。こんな美少女と酒が飲めるのだ。籠絡もできて一石二鳥というものだろう。
「ありがとうございます。では僕たちはまだ仕事があるので、リリス様、リオさん、失礼します」
「うむ」
「はい、ではまた」
 そうしてベリアルはロアの手を取って俺たちの前から立ち去ろうとする。
「ほら、ロアちゃん。行くよ」
「…………?」
「全くもう。また仕事をさぼってうろうろするんだから」
 ベリアルはロアのことを強引に引きずって遠くへ行ってしまう。ロアのローブが廊下に引きずられて音を立てていた。
 微笑ましいな、全く。まるで姉妹みたいじゃないか。いやはや、いいことだよ。全く。
「……あまりベリアルに肩入れし過ぎるでないぞ」
 俺がそんなことを思っているとリリスが釘をさしてきた。何だよ。別にそこまで肩入れしてるわけじゃないけど。
「何でだよ」
「狼は人のことを化かすからのう」
「え? それって……」
 狐のことじゃ、と言いかけて俺は思い出した。狐が人を騙すという伝承があるのは実は日本だけで、それがヨーロッパに行くとその役割は狼に歴任されるらしい。確か何かの本で読んだことがある。まあ、この世界はファンタジーなのだからヨーロッパっぽい風習があってもおかしくはないか。俺はそう思った。
「っていうかよ」
「なんじゃ?」
「三本刀って言うくらいだからどんなやつらだよって思ったけど、あんなんで戦いのときに役立つのか? 特にロアちゃんとベリアルちゃん。レイラってやつはまあ強そうだったけど」
「はあ……お主、魔族のことは見た目で判断するなと教わらんかったか?」
「いや、そんなことは教わらなかったぞ」
 人のことは見た目で判断するなとは教わったけど。
「お主が強そうと申しておったレイラじゃが、今のところ三本刀の中で実力は最下位じゃ」
「ええっ!?」
 俺は思わず驚きの声を漏らした。あの俺を殺そうとした女が最下位だって? いや、とてもそうは思えないんだけど。
「お主は感じることができぬかもしれぬが、魔族の強さはその中に秘めた魔力の総量によって決定するといっても過言ではない。ロアはあんなに見てくれは小さいがレイラを超える魔力を秘めておる」
「へえ……」
 まあ、なんとなく話の概要は理解できた。単純な戦闘力だけじゃ魔族同士の力の優劣は測れないってことか。なるほどね。
「三本刀の中で順位をつけるならば、ベリアル、ロア、レイラの順かの。強さだけ言えばの話じゃが」
「えっ!?」
 またしても驚きの声が漏れた。
 あの可愛らしいベリアルちゃんが最強だって? これはあれか、俗に言うクールアンドビュ―ティーってやつか。ちょっと違う気もするけど。
「へえ、ベリアルちゃんが一番強いんだな……」
「我もあやつと一騎打ちで戦えば無傷では済むまいな」
「そんなになのか……」
「あやつが何故強いのかと言うとな、それは――オスだからじゃ」
「…………は?」
 聞きなれた単語が聞こえた気がしたので俺はもう一度リリスに尋ねることにする。
「あの……もう一度言ってみてくれませんか?」
「ん? なんじゃ? ベリアルがオス、ということか?」
 ――オス。
 それは、メスと対比される動物の性別。主に人間以外の動物で使われ、人間の男性に相当する。動物の中で、精子を作り出す個体を言う。記号として、槍と盾をかたどった「♂」が使われる(男性器を表すというのは誤りである)。雄の作る精子は、雌の作る卵に比べ、遙かに小さいので、それを作るエネルギーは格段に少ない。そのため、雌が卵を作る数に比べ、雄が精子を作る数は格段に多いのが通例である。つまり、雄の作る精子は、その大部分が無駄になる定めである。反面、変異がおきやすい。
 以上、俺の記憶の中のウィキぺディア引用。
 つまりは、だ。
 あの可憐で綺麗なベリアルちゃんが男だと、リリスはそう言いたいわけか。そりゃまた、とんだ御冗談を。
「またまた、お前も冗談が上手いなあ。全く」
「……何を言っておる。冗談ではないぞ」
「……マジで?」
「前から気になっておったのじゃが、そのマジというのはなんじゃ? とりあえず、ベリアルがオスというのは本当じゃぞ」
「だってお前、部下を落とせって俺に言ってきただろうがっ」
「別に我はメス限定で落とせなどと言った覚えはないぞ? 我はただ、部下を落とせと言ったまでじゃ」
 頭がだんだんくらくらしてきた。あの可愛いベリアルちゃんが男。そりゃあまあ、世界にはそこらの女より綺麗なニューハーフは沢山存在するが、俺は、人を見る目、いや、魔族を見る目がないってことなのか。
「じゃあ、俺にあのベリアル……さんを落とせって言うのか?」
「そうじゃな。言ったであろう? 狼は人を化かすと」
「ふざけるなっ!」
 俺は声を荒げてリリスに詰め寄った。男を落とすなんて冗談じゃない。俺にそんな趣味は一切ない。たまに興味本位でBLの本を読むくらいで。
「俺にそんな趣味はねえっ!」
「大丈夫じゃ」
 ポンとリリスは息を荒げる俺の肩に手を置いて、そしてこう言ってきた。
「たかがキスじゃ」
「それが嫌だってんだよっ!」
 俺はリリスの手を振り払って続ける。
「てか、そもそもお前、魔族はメスのほうが力が強いって言ってたじゃねえか。それが何で三本刀最強なんだよっ」
「そのメスが強いと言う環境の中でベリアルはのし上がってきたのじゃ。それなりの地力は持っていたということじゃよ。お主はベリアルの話を聞いておらんかったのか? あやつの一人称は僕、じゃったはずじゃぞ?」
「俺の世界にはな、ぼくっ娘なんてのは溢れかえってるんだよっ!」
「なんじゃまたそのボクッコというのは。よくは分からぬが、お主は我と契約したではないか。今更それを反故にするというのならお主の中の魔力を返してもらっても我は構わぬのじゃぞ?」
「くっ……」
 またしても、俺は選択を迫られた。
 このまま、この訳の分からない異世界で命を落とすのか。それとも、男とキスするところまでなんとか辿りついて単位を勝ち取るのか。
 ……どっちも嫌だっつのっ!
 男とキスするなんてまっぴら御免だ。だが、背に腹が変えられないのも事実ではある。命よりも大切な物なんてこの世にはないんじゃないか。そんな考えが俺の中に浮かんできた。
 そして……いやいや、やっぱ無理だろっ!
 俺は一人取り乱して、見悶えていた。リリスがそんな俺を見て軽蔑の視線を向けていたとにも気付かない。
「……なんじゃお主。そんなに嫌なのか? まあ、別にベリアルを最優先に籠絡せよ、とは言わぬ」
 そのリリスの言葉に俺は妥協してしまった。なんとか誤魔化すんだ。なんとかベリアルの攻略の前に勇者が死んでくれれば……そうだ! そうじゃないか。俺がベリアルを攻略する前に勇者が倒れてくれれば俺は攻略する必要なんてない。
 なんとかして勇者を、ベリアルの前に倒すんだ。それしか、俺の生きる道はない。
「……分かった」
 俺はピタリを動作を止め、ゆっくりとリリスの方へと向き直る。リリスはそんな俺の急速な変化に少し驚いているようだった。
「な、なんじゃお主。どうかしたのか……?」
「やってやろうじゃねえか。やってやるっつってんだよっ!」
 勇者を倒すことをな!
 俺は半ばやけくそになりながら、そんな決意を密かに胸の中で決めた。それしか、ないのだ。
「……あ、あい分かった。それで、お主は三本刀の中の誰を落とすと言うのじゃ?」
「そうだな……」
 俺は腕を組んで少し考えてみる。
 選択肢は三つだ。レイラ、ロアちゃん、ベリアル……いや間違えた。選択肢は二つだった。
 レイラかロアちゃんか。正直言ってロアちゃんは落としづらそうだ。あんまり喋んないし、何より俺がそのペースについていけない。
 というよりも……俺はロリコンじゃない。あんな小さい子を落とすなんて俺は出来ない。でも、いずれはやんなきゃいけないのか。
 ったく、仕方ねえな。単位のためだ。というわけで、俺が落とすべきなのは――レイラだ。
「まずはレイラを落とそうと思う」
「レイラか? ベリアルの方が簡単そうじゃぞ?」
「黙れっ! 俺にそんな趣味はないといったばかりだっ!」
「冗談じゃ。じゃが、あやつはお主のことを嫌っておったようじゃが」
「それは問題ない」
「何故じゃ?」
 リリスが首を傾げて俺に尋ねてくる。
 やはり、異世界人にはそんなことも分からないらしいな。
 ここで、俺の趣味というのを紹介しよう。このせいで俺は唯一できた彼女に振られたわけだが、今は忘れよう。少しトラウマになりかけてる。
 俺は子供のころから文章を読むのが好きだった。サッカーもやっていたがどちらかといえばそっちのほうが好きだった。父さんが本には金の糸目をつけない性格だったので俺が望む本を何でも買ってくれた。俺は本を読み漁った。そうして成長した俺は中学高校となってある不満を抱いた。
 授業中は本を読めない。
 一度だけ机の下に隠しながら読んでみたこともあったが先生に没収されてそれ以降はやらなくなった。だが、そんな時、俺が出会ったのは携帯の中にあるSSや、ネット小説というやつだ。文庫本と比べてクオリティーは落ちるがそれでも暇つぶしには十分すぎた。そうしてSSやらを読み漁っていた俺は二次創作という存在を知った。そして、その元ネタになっていたゲームの種類に出会ってしまった。
 それはつまり、恋愛シュミレーションゲーム。
 最初のころはどうせキモオタ専用のゲームだろ? なんてバカにしていたが、その中のシナリオに心打たれる物があった。確かに外れは多い。だが、当たりを引いた時の達成感と言えばこの上ないものがある。シナリオのクオリティーで言えばつまらない文庫本よりも上だった。
 俺は友人にその趣味を隠しながら細々とそれをやっていたわけだが、心を許せると思った彼女が出来たのでそれを理解してもらおうと思ったのだ。
 まあ、結果は惨敗だったけど。
 というわけで、そんな俺の知識から言わせてもらうならば。
「レイラは三人の中で一番落としやすい」
「だからそれは何故じゃと聞いておる」
「ああいうタイプはな、気が強そうに見えてどこか弱い部分や悩みを抱えているものだ。そこをついてやれば、なんとかなるはずだ」
「……ふむ、そういうものかのう……」
 リリスが考え込んでいる。まあ俺も正直言って自信はないが、実際の恋愛経験はほとんどないわけだし。だが、やるしかない。単位が、かかっているのだ。
「まあ、俺に任せておけって」
「……レイラか。まあ、あやつはな……」
 リリスがぼそぼそと何かを呟いた。俺は気になってリリスを問いただす。
「何か言ったか?」
「い、いや、なんでもないぞっ。あは、あはは……」
「……まあいいけど」
「それでリオよ。具体的には、まず何をするつもりなのじゃ?」
「ふっ、まあ待てよ。俺の世界にはこんな言葉がある『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』ってなあっ!」
 ビシッ! と俺は前にリリスに指さされたように人差し指を突き立て、リリスへ向けた。リリスは何故かぽかんとした顔をしている。
「……どういう意味じゃ? それは」
「ふっ、つまりはだ。戦争に勝つには味方のことを熟知し、さらに敵の情報を十分に入手しておけばどんな戦いも負けることはないってことだよ」
「……話の方向性が見えぬが」
「つまりはだ。俺の敵、勇者の情報を俺は全く持って知らない。……というわけでこれから勇者の偵察に行こうと思う」
 俺が現在入手している情報は勇者が色魔である、ということだけだ。
 どんなタイプであるかで俺も行動を変えていかなくてはいけないだろう。例えば、勇者はひどい女ったらしだとか。こういう可能性だって考えられるわけだ。まあ、あまり想像は出来ないけど。
 リリスは俺の話を聞くと何やら深刻な表情で考え込んでいた。何かあるのだろうか?
「ん? どうしたんだよ」
「……いや、お主、本当に行くのか、と思ってな」
「どういうことだよ」
「……まあよい。ではほれ」
 リリスはそして何かワームホームのような黒い穴を眼の前に出現させた。境界面からバチバチとの電気ようなものが走っているが大丈夫なのだろうか。
「……これは?」
「勇者が現在滞在中の街はここからはちと遠いのでな、こうしてワープをするというわけじゃ」
「は、はあ……」
 流石は魔王だわ、正直にそう思う。けど、俺、この中に入って大丈夫なのか? 不安なんだけど。
「なあに、心配するでない。お主の中にも魔力は流れておるはずじゃから通り抜けられるはずじゃ」
「……お前は確か、ほんの少しと言ったよな」
「……まあ、多少は怪我を負う可能性もあるが、問題ないじゃろ」
 くふふと、リリスはにこやかな笑みを浮かべた。いや、全然よくねえよ。
「やっぱ危ないんじゃないか? 俺は別に徒歩でも……」
「ええいっ、うるさいやつじゃ、お主が言ったのじゃぞっ? ウダウダ言うでないっ!」
 リリスはそして俺の手を強引に引っ張ると黒い穴の中へ俺を引きずりこんだ。リリスの力は流石魔王と言った具合にもの凄いもので、俺は一切の抵抗が出来なかった。
「うわあああっ!」
 悲鳴は穴の中へと掻き消えて、俺は勇者の調査へと旅立つのだった。








 魔王の城とは打って変わって、勇者の滞在している街は明るくて活気に満ちていた。
 人の数も多いし、露店も沢山並んでいる。この活気から推測するにここは城下町だろうか。狭い街路が縦横に交差して、それは人の多さと相まって何だかとても狭く感じられた。
 露店には様々な装飾が施され、人の眼を引く看板やらが所狭しと置かれている。広場には露店で買った物をテーブルに置いて一般の人たちが食事を楽しんでいた。
 いや、平和だな、マジで。
 俺たちは街の裏路地へと抜ける通路を塞ぐように置かれてあった木箱に身を隠して広場の様子を伺っていた。
 リリスのワープホールを抜けた俺は当然のように無事であるはずがなく、髪の毛の一部が焼き焦げてウールのパーカーの一部が変色してしまっていた。ワープしている間はそりゃあ闇の中で色々な痛みが俺を襲ってきたものだ。電撃が走り、全身に激痛が……いや、これ以上は思い出したくもない。
「で、何故我らはこんなところに隠れなければならんのじゃ?」
 リリスが何の悪びれもなく訊いてくる。いや、その前にお前は俺に何か言うことがあるだろうが……。
「お前な……その前に俺に何かするべきことがあるんじゃないか……?」
 俺は身と声を震わせながらリリスにそう言った。リリスは可愛らしく首を傾げて、本当に何も分かっていないようだった。
「おお、そうか。キスか」
「違うわっ! 俺に謝れってことだよっ!」
 どうやらリリスはキス魔らしい。いや、魔王だからキス魔王か。
「なんじゃ、そんなことか。まあ、悪かった。許せ」
「お前な……」
 リリスの謝罪には何の気持も込められてはいなくて俺は自分の気持ちを律することに必死だった。腐ってもこいつは魔王。力では勝てないことぐらい俺にだって分かっている。
「で、どうして我らはこんなところに隠れなければならんのじゃ?」
「ん、ああ、そうだったな」
 俺はとりあえず、今の悪行は忘れてリリスの質問に答えることにする。
「勇者は、この街に滞在してるんだろ?」
「ああ、そうじゃが?」
「俺は一度、勇者がどんなやつか客観的に見てみたいんだ」
「……どういうことじゃ?」
「まあ、とりあえずじっとしてろって」
「うむ、それは別に構わぬが……」
 そして、しばらく俺たちは木箱の裏で待機する。近くを通りがかった町の人たちに訝しげな視線を向けられるが、気にしない。今は待つのだ。
「っていうかよ」
「なんじゃ」
「お前、こんな街に出てきても大丈夫だったのか?」
 いくら少女の風貌とは言え、こいつは魔王。人間が住んでいる街に降りてきてしまったら何かと不都合があるんじゃないか。俺はそう思ったのだ。
「我の姿など誰も知りはせん。たとえそれが勇者であってもな。だから問題ないのじゃ」
「そうなのか?」
 確かに魔族を統べる王たる魔王がこんな小さい女の子なんて誰も思わないよな。多分、どでかい化け物を想像しているに違いない。
「まあ、そういうことじゃな」
「あ、もう一つ気になったことあるわ。勇者を倒すならベリアル……さんを差し向ければいいんじゃねえの? 一応男だし」
 それはそうだ。勇者が魔族の女を籠絡しダンジョンを攻略して回っているというのならオスで最強のベリアルを送り込めばいいだけじゃないか。俺はそう思ったのだ。
「ふむ……まあ、お主の考えも理解できんわけではないが、勇者はベリアルを差し向けたとしてもどうなるかは五分五分なほどに手ごわいのじゃ」
「え? 籠絡させるだけじゃねえのか?」
「確かにそれも一つの要因じゃが、勇者の剣の腕は一流じゃ、それに仲間が二人もおる。三対一ではたとえベリアルといえども、というわけじゃ」
「そうなのか……」
 これで俺の予想の一つ。勇者はただの女ったらしという可能性は消え失せたわけだ。それはそうか。それなら俺が何とか倒すし。
「それにのう」
「何だよ」
「ベリアルはああいう性格なのでな……勇者に惚れる可能性がないとも言いきれんしな」
「ああ……それは何となく分かるわ」
 確かに、俺も最初はベリアルのことを女の子と勘違いしていたくらいだ。心は女、身体は男ってわけか。
「全く、大変…………どうやらお出ましのようじゃぞ」
「え? どこだよ」
 俺はリリスがそんなことを言ってきたので慌てて周囲を見渡した。
「ほれ、あそこの露店じゃ」
 リリスが露店の一つを指さした。視線をそこに向けると俺にも一瞬で誰が勇者なのか分かった。
 たなびく赤いマント。上半身には鎧を装着している。流れるような金髪。端整な顔立ちに歯が白く輝いていて、笑顔も素敵。
 俺が何を言うまでもなく、嫌みを感じさせない程にイケメンだった。俺はこれほどのイケメンはテレビでも見たことしかなかった。
「イケメンだ……」
「ん、なんじゃイケメンとは」
「つまりはな、格好いいってことだよ」
「はあ、じゃからお主を連れて来たくはなかったのじゃ」
 リリスはため息をついてそんなことを言ってきた。つまりはこう言いたいのだろう。俺があのイケメン勇者を見て落ち込むんじゃないかと、そう思ったわけだ。こいつは。
「何だよ。そんなに俺、顔悪いのか?」
「なんじゃお主、自分の容姿に自信でもあったのかっ!?」
「そんなに驚くなっ! ……傷つくから」
 涙を堪え、俺はそう言った。確かにそんなにイケメンだとは思っていないけど、それほど悪くはないと思っていたのに。
「ま、まあ、そう落ち込むでない。お主は……まあ、中の下と言ったところかの」
「全然慰めになってねえよっ!」
 涙を、堪える。
 大丈夫だ。母さんも婆ちゃんも俺のことは格好いいって言ってくれた。だからいいんだ、もう。
「じゃ、じゃが、お主はそこまで悪くないと思うぞ。……我の感覚でじゃが……」
 もじもじとリリスは語尾を濁してそんなことを言ってきた。何だか照れ臭くなってしまって俺は顔を伏せた。何だよこいつ、俺のこと中の下とか言ってきたり、悪くないと言ったり、訳分かんねえぞ。
 と、とりあえずは勇者の観察だ。俺は伏せていた顔を木箱の上へと上げて勇者の様子を確認する。俺が眼を離している内に勇者の隣には二人の美少女たちが姿を現していた。
 一人は気の強そうな子。黒い髪を三つ編みにして結い上げている。そのまま解けばかなりのチャームポイントになりかねないと言うのにもったいない。服装も可愛げがない。適当な皮の服と言ったところか。街の女の人たちは皆スカートをはいているというのにこの子だけ浮いている。だが、眼もパッチリとしていて睫毛も長い。とりあえずは綺麗だ。
 もう一人は、聖職者だろうか。純白の修道服を身に纏い、勇者と同じ金髪を洗ったままのように垂らしている。桜色の唇に優しげな笑顔は美少女と呼んでもおかしくない。
 なんなんだ、これは……。イケメンで女の子を二人も連れて……。
 勇者たちの雰囲気を見るに、今ここであった人と言うわけではないようだ。ということは、だ。勇者とともに旅する女の子なんて大体二つに分けられる。
 勇者を助ける魔法使いか、回復魔法を使う聖職者か。大体はそんなところだろう。
「あの黒髪の子が魔法使いで、もう一人が聖職者ってところか?」
「おおっ、お主、何故分かったのじゃ? 確かにその通りじゃが」
 リリスは俺の言葉に驚いているようだったが、俺にしてみれば少し推理すれば分かることだ。
 と、勇者たちの会話が聞こえてきたので俺とリリスは耳を澄ませた。
「これはいい首飾りだな。メアリに似合うんじゃないか?」
 勇者は露店の中にあった首飾りを手にとってまじまじとそれを眺めた。どうやらあの露店はアクセサリーを売っている場所らしいな。
「えっ!? に、兄さんっ、そんなっ、私は別に……」
「――ぐあっ……!」
 俺は地面に身体を伏せた。身体、いや、心が痛くて仕方ない。
「りっ、リオっ! 一体どうしたと言うのじゃっ!」
 兄さん……だと……?
 実を言えば俺は妹属性なのだ。だが、そんじょそこらの妹好きとはわけが違う。安易な妹好きのやつらは「お兄ちゃん」だとかそんな呼び方をすれば満足するが、俺はそんなことでは満足しないのだ。
 ――兄さん。
 それが俺の理想とする妹からの俺の呼び方。つまり、どういうことかというならば「お兄ちゃん」と呼んでいる妹は兄貴にぞっこんラブというわけだ。つまり、対等な関係はありえない。それは、俺の理想とする妹の姿じゃない。それに対して「兄さん」となると一体どうなるだろうか。例えばよくあるシチュエーション。妹が寝ぼうした兄を起こしにくるという場面があったとしよう。その場合、例えば「お兄ちゃん」と呼ぶ妹の場合はどうなるのか。まあ十中八九兄は起きなくて泣き寝入り、そこからは兄の技量にその後の展開が委ねられるというわけだ。
 だが、一変して「兄さん」と呼ぶ妹の場合はどうなるだろうか。兄がタヌキ寝入りを決め込んだとしたら「兄さん」と呼ぶ妹の場合、そいつは大抵クールビューティーだ。そうなると、兄に皮肉の一つでも言って寝室から出ていってしまうのだ。
 そこがいいんだよ!
 「兄さん」と呼ぶ妹は兄貴と対等なんだ。まあ、こんな特殊性癖誰にも話したこともないし、これからも秘密にして過ごしていくつもりだが、とりあえず、あの勇者の妹は俺の理想形というわけだ。
 リリスが心配そうな視線を俺に向けているのでとりあえず立ち上がることにする。
「どうした、まさか勇者に攻撃を受けたのか? 我が見ている中でリオに攻撃を加えるとはやはり、侮れぬな」
「い、いや、勇者は関係ないんだ……ただ、兄さん、というのがな……」
「兄さん? それがどうかしたのか?」
「い、いや、お前は知らなくてもいいことだ」
 とりあえずそんな俺の熱い理論をリリスに語るわけにもいかなかったし、ここはなんとか言葉を濁すことにしよう。
 どうやら勇者たちの会話が進むようなので俺たちはまた耳を澄ます。
「すいません。この首飾り、一つ下さい」
「にっ、兄さん……」
 妹らしき聖職者の言葉を無視して勇者は胸から銀貨を取り出し、それを店主へと手渡した。
 だが、勇者は気が付いていない。
 勇者の背後で不満そうに腕を組んでいる魔法使いの存在を。
「ほら」
 そして勇者は俺の理想の妹の首に首飾りをそっとかけた。その首飾りは全体が銀で出来て光り輝いている。この世界の金銭感覚が分からない俺でも高いんだろうな、ということぐらいは分かる。
「兄さん、でも、こんなところで無駄にお金を使ってしまっては……」
「いいんだよ、メアリ。最近お前に何もしてやれてなかったからな。――よく似合っているよ」
 勇者が嫌みも見せず、格好よく、そんなことを言った。多分俺には一生出来ない荒技だろうな。白い歯が光輝いてる。
「……兄さん……」
 メアリと呼ばれた妹は勇者にそう言われると顔を赤らめて、幸せそうな表情を見せた。
「……決まったな」
「ん? 何がじゃ?」
 俺がそう呟くと案の定リリスが尋ねてきた。ここは説明してやらねばならないだろう。
「あの勇者はただの色魔じゃないってことだ」
「ん? どういうことじゃ?」
「まあ、お前が疑問を抱くのは仕方ない。まだ確証はないが、あの勇者は恐らく俺たちの世界で言うところの一級フラグ建築士ってやつだ」
「イッキュウフラグケンチクシ? なんじゃ、お主の言っていることはさっぱり分からんな」
「今のは一級フラグ建築士のみが使える技。『笑顔だけで女を落とす』だ」
 技名への突っ込みは止めてほしかった。
「……なんじゃそれは、全然技名になっておらんではないか」
「黙って見てろ。恐らく勇者は別のアクセサリーをあの魔法使いに買わせられるはめになるだろう」
「何? バカな、お主は予言者だとでも……なっ!」
 リリスは勇者たちの行動を見て驚きの声を上げていた。
 やはりな、俺の思った通りだ。
 魔法使いの女の子が勇者に対して怒りだしていた。
「ちょっと、アルスっ」
「なんだよリナ」
 魔法使いはリナと言う名前らしい。リナはアルスの後ろで腕を組んで苛立っていた。
「メアリちゃんには首飾りを買って、私には何も買ってくれないっていうのっ!?」
「なんだよ、お前はいいだろ?」
「よくないっ!」
「……ったく、分かったよ」
 勇者はそして露店に並べてあったアクセサリーの中から指輪を選び出した。
 なんという……ここまではさすがの俺でも読み切れなかったぞ。
「すいません。これも下さい」
 また勇者は懐から銀貨を取り出して指輪を購入した。首飾りに比べれば安上がりで済んだようだが、リナの変化を見れば指輪の価値はおのずと推察できた。
「えっ!? あっ、アルスっ。そんな指輪なんて……」
「ん? なんだよ。ほら、手貸せよ」
 勇者は強引にリナの右手を取るとその薬指に先ほど買った指輪をそっとはめた。
 見る見る内にリナの顔が真っ赤に染まっていくのが見て取れた。
「あ、あわわ……」
「どうしたリナ。どこか熱でも……」
「だっ、大丈夫だからっ!」
 勇者はリナの額に手を添えようとした。だが、その手はリナの手によって阻まれていた。
「お、おいおい、本当に大丈夫かよ……」
「大丈夫だってっ……その、ありがとう……」
 俯きながらリナはそう言った。それでもまだ勇者はリナの変化の意味を理解していないらしい。
「お前、やっぱ変だぞ?」
「……兄さんっ」
 そんな俺の怒りを駆り立てるような勇者の行動は、どうやら妹の怒りまで駆り立ててしまったらしい。メアリは頬を膨らませて勇者のことを睨みつけていた。
「なっ、何だよメアリまで」
「知りませんっ!」
 そしてメアリはそっぽを向いてしまう。話の中心である勇者はというと、訳が分からず頭を抱えているようだった。
 ……これで、ほぼ決まったわけだ。やはり俺の読みは正しかったというわけだ。
「なあ、あの魔法使いって勇者の幼馴染だろ?」
「何? お主、何故そんなことまで知っておるのじゃ?」
 リリスが俺の言葉に驚いている。
 やはりな。ということは次の考えも多分正しいはずだ。
「じゃあ、指輪を男から女に送ることがどんな意味を持っているか。恐らく、婚姻とか、そういうことだろ?」
「……お主、やはり何か特別な力でもあるのではないのか?」
 やはりそうか。こりゃあ確定だ。
 俺は確かな確証を得ていた。
「今、あの勇者、もとい、一級フラグ建築士が使った技の名前を知りたいか?」
「……いや、別に知りたくはないが……」
「そうか。なら教えてやろう。あの技はな『無意識の内に女を落とす』だ」
「だからお主のは技名になっておらぬと……」
「黙ってろ。まあ、これで確定したな」
「何がじゃ」
 リリスが訝しげな視線を向けながら俺に訊いてくる。俺は得意げに胸を張って言った。
「あの勇者はな、知らず知らず、いや無意識の内に女を落とす特殊能力を有している」
「なっ、なんじゃとっ!?」
「まあ、驚くのも無理はない。それに、一番たちが悪いのは勇者自身がそれを全く自覚していないってことだ」
「そんなやつが本当におるのか? ということはお主に勝算はほぼないということではないか」
「ふっ、まあそう焦るな。実はな……」
 俺が得意げに話している途中、話の腰を折るように広場から女性の悲鳴が聞こえた。
「何か動きがあったようじゃぞっ」
「そのようだな」
 俺は冷静に、また勇者たちへ視線を移した。
 どうやら先ほどの悲鳴は勇者たちとは関係ない人のもののようだった。状況を推察するに、どうやら泥棒が町の中で現れたらしい。こんな勇者がいる広場の中で盗みとは、どんなバカだよ。
「――――!」
 勇者は女性の悲鳴が聞こえると、勇者は眼にも止まらぬ速さで駆けだした。
「あっ、アルスっ!」
「兄さんっ」
 先ほど攻略した二名の声を無視して勇者は駆ける。
「誰かっ、泥棒ですっ!」
 ポーチを盗まれた女性が地面にしゃがみ込み、叫んでいた。勇者はその女性の傍を颯爽と通り過ぎて泥棒の背後に迫っていた。それは本当に風のようで俺はリリスの言葉が間違いではないと悟った。
 女性からポーチを奪った泥棒はまだ遠くまでは行っていなかった。どうやら裏路地へ逃げ込もうとしていたようだが、遅すぎた。
「へっ、ちょろいぜ」
「――遅い!」
「なっ、何っ!?」
 一閃。
 眼にも止まらぬ速さで勇者は剣を抜き放ち、正確に首を打つ。スローモーションのように全てが脳裏に焼き付いている。が、それは 一瞬の出来事だった。
 泥棒の首は取れてはいなかった。どうやら勇者は剣の斬れない部分で泥棒のことを気絶させたらしい。泥棒の身体が力の入っていない人形のように地に伏した。周囲が肌に感じない風の音が聞こえるほど静かになっている中で勇者は盗まれたポーチを手に取った。
 あっけにとられていた女性にポーチを差し出して勇者はこう言った。
「気をつけて下さいね。いつも――俺が傍にいるとは限りませんから」
 何という……。勇者がそう言うと女性は顔を赤らめてぼうっとしていた。
「あ、ありがとう、ございます……」
 そして女性は顔を俯ける。どうやら本気で勇者に恋してしまったようだな。自覚はないようだが。
「いえいえ、ははは」
「――ちょっと、アルスっ!」
「――兄さんっ!」
 いつの間にかリナとメアリは勇者の背後に立っていて、勇者に有無を言わさず、その両手をガッシリと掴んでいた。
「え? な、なんだよ……」
「ほら、行くわよ。見ず知らずの女の人に鼻の下伸ばさないのっ!」
「そうですっ、はしたないですよ、兄さんっ」
「べ、別に俺は鼻の下なんて伸ばして……」
 勇者はそして、先ほどとは打って変わって情けない格好になり、地面を引きずられ、どこかへと行ってしまった。
 その後しばらく、勇者に助けてもらった女性は勇者の立ち去る姿を眺めていた。輝く瞳で。
「これは、想像以上だ……」
「む? どういうことじゃ?」
 リリスが俺に尋ねてくる。
「今の勇者の技の」
「それはもうよい」
「そうか。なら教えてやろう。あれは『フラグは自分で作り出す』だ」
「だからそれは技名になってないと言うに。それよりもフラグとはなんじゃ」
「分かりやすく言うならば、あの魔法使いと妹はもうすでにフラグが立っている。ついでにあの女の人も」
「全く分からぬぞ。あれか? 女を落とすのには欠かせぬものなのか?」
「まあ、あながち間違いじゃないな」
 俺は言いながら立ち上がる。これからやるべきことがあったのだ。
「あの勇者はな、そのフラグを無意識の内に、殆ど苦労もせず、それすらも超越して女を攻略できる天才だ」
「それならば、やはりお主に勝ち目はないではないか」
「だが、俺は一級フラグ建築士じゃない」
 そう、俺は一級フラグ建築士じゃない。ならば、俺がやるべきことはただ一つだ。
「あいつは天才だ。だったら俺なりの戦い方がある」
「戦い方、じゃと……?」
「俺はあいつとは違い、論理的に、重要なイベントをこなして攻略するだけだ」
 あの勇者はイベントなんて勝手に転がってくるようなことはないだろう。俺が、俺自身の手でそのイベントまでの状況を導き出さなくてはいけないのだ。
 やってやる。
 てか、やるしかない。留年がかかっているのだ。
 というよりも、あいつがムカつく。あんな妹を連れておいて、しかもフラグが立った幼馴染だと?
 ふざけろ!
 俺は、絶対あいつに負けるわけにはいかない!
「やってやるってんだよ!」
「……お、お主の決意は分かった。ふと思ったのじゃが」
「何だ?」
 リリスは俺の決意表明に若干引いているようだったが、それに屈せず、俺に問いかけてきた。
「あの妹をお主が攻略する、ということは出来んのか? そうすれば勇者は精神的に大きなダメージを……」
「ふっ、青いな」
「なっ、何がじゃ」
「一度立ったフラグはな、滅多なことでは崩れはしないんだ。特に、あいつみたいな天才ならそれは絶対だ」
「そう……なのか……?」
 リリスは少し納得がいっていないようだったが、その考えは大きな間違いだ。俺がもし、そんな愚かな真似をしたところでそれは勇者と妹の一イベントに収束してしまう。
 引力には、逆らえない。
 俺の策略は結局世界の意志によって阻まれて勇者と妹が絆を強めるだけだ。
 ということは、だ。とりあえず、俺が勇者に勝つには。
「まず、フラグ理論で恋愛を考えるなら、あの勇者に勝つ方法はただ一つ。先手必勝だ」
「……なんじゃ、お主。偉そうな言いぶりの割には大したことのない案じゃの……」
「そんなことはない。とにかく勇者とのイベントが発生する前に俺が何とか対象となる魔族を落とせばいいってわけだ。これは結構重要なことだぞ?」
「そうなのか?」
「……というわけで、これから、勇者との接触を図る」
「なっ、なんじゃとっ!?」
 リリスが驚きの声を上げる。そこまでおかしな考えだったろうか。
「それが一番だ。勇者とのイベントを発生させないためには、勇者の人となりをこの眼で確かめておく必要がある。いくら勇者の行動が逐一分かったところでイレギュラーは必ず起きる。それだけは絶対に避けなくちゃいけない」
「なっ、ならんっ! それはならんぞっ!」
 やけにリリスが俺の意見に反対してきた。首を左右に大きく振って否定の意志を確固たるものにするようだった。
「な、何でだよ」
「お、お主は、我が勇者に近づいてそれで落とされてもよいというのかっ?」
「あ、そうか……」
 確かに、言われてみればそうだ。リリスが勇者に近づいて攻略されない危険性が全くないと言うわけではないのだ。人間に恋をすれば、魔族は魔力を失って……俺が帰れなくなるってことか。
 それは、確かに不味かった。
「そうだな……じゃあ、こういうのはどうだ?」
「……なんじゃ」
「俺とお前が恋人の振りをする」
「――なっ!」
 リリスは予想以上に驚いているようで顔を真っ赤にして俯いてしまった。なんだ、俺にキスまでしておいて恋人の振りをするのはダメだっていうのか?
 とりあえず、リリスのことは無視して俺は続ける。
「いくら勇者といえど、恋人のいる女にまでフラグを立たせることはできないはずだ。だから……おい、どうした?」
 リリスは少しだけおかしかった。これはあの時と似ている。確か、俺が煙草を吸ってしまった時だ。その時と同じようにリリスは顔を赤らめていて、そして、突然叫んだ。
「わ、分かったわっ! やってやろうではないかっ! い、行くぞっ、リオっ」
「あ、ああ……」
 俺はリリスに手を引かれ、広場の中へと足を踏み入れる。リリスが何をそこまでムキになっているのか俺は理解できなかった。









 確かに勇者は、いやな男の子だった。
 勇者は子供の時からフラグがむちゃくちゃ立っていて、あちこちで女の子を落としていた。神様は俺にとって理想の女の子を妹として勇者に与え、幼馴染はそれに嫉妬しました。そしてまわり中の女の子が勇者をちやほやと甘やかし、そうして成長した勇者はとんでもない鈍感男へと成長してしまいました。
 と、勇者の半生をつぐみ風に語ってみたが、まあ、あながち間違いではないだろう。
 とりあえず言えることは、許さない、絶対にだ! ということだ。
 だが、何故なのだろうか。
「……そこでボブは言ったわけよ。『お前は、世界一の漁師だ』ってな」
「あっはは! いや、面白いなリオは」
「これは実話だぞ?」
 嘘だけど。
 城下町の酒場は俺の思った通り賑わっていた。軽く汚れている木材でできたテーブルやカウンターはどこか暖かい印象を人々に与えている。明かりは何個か吊るしてある小さなカンテラのみであり、酒場の雰囲気を強調していた。歓談の中にジョッキを叩く音と葡萄酒の香りが混じり、俺にはそれがとても心地よく感じられた。
「お待たせいたしました」
 女給が葡萄酒を運んで来てそれを俺たちが座っているテーブルへゴトリと置いた。葡萄酒の甘い香りが鼻孔を撫でて、俺はその味を空想する。女給はさらにこんがりと焼きあがった鶏肉が乗せてある皿をテーブルへ乗せた。俺たちは鶏肉などは頼んでもいなかったので戸惑いの表情を隠せなかった。
「あの、俺はこんなもの頼んでいないんだけど」と勇者は女給に尋ねた。
 女給は勇者に顔を近づけて軽くウインクをすると、
「勇者様にはサービスですよ。いつもお世話になってますから」
 そうして女給は俺たちのいるテーブルから去って行った。
「いやー、なんだか悪いなあ」
 勇者はでへでへと後頭部を手でかいていた。
「このっ、女ったらしっ」
 俺が肘で勇者をつつく。
「そんなんじゃねえってのっ」
 勇者がつつき返してくる。
「ちょっと、アルスっ!」
 魔法使いであるリナが勇者に対して文句を言ってきた。
「さっき言ったでしょっ!? あんまり知らない女の人に」
「べ、別にそういうわけじゃねえよ……」
「そうだよリナちゃん」
 俺が勇者に助け船を出す。
「アルスは別に何も悪いことしてないんだから。そこまで責めるなって」
「なっ……リオさんまで……」
「――おいっ、お主」
 勇者に助け船を出していた俺にリリスが小声で話しかけてきた。
「ん、なんだよ」
「なんでこんなことになっておるのじゃ」
 リリスがそんなことを俺に尋ねてきた。当然の疑問だろうな。
 ここで、ここまでの経緯をおさらいしておこう。俺は勇者と接触を図るため、勇者が休憩をとっていた酒場へと赴いた。もちろん恋人役のリリスも連れてだ。
 そこで勇者の弱点の一つでも掴んでやろうかと思ったが、案外勇者はいいやつだった。話が弾んでしまって今に至る。
 以上、あらすじ終わり。
「だって、アルスって案外いいやつだし」
「バカ者っ。勇者は我らの敵なのじゃぞっ?」
「お前に俺の世界にある言葉を教えてやるよ。『昨日の敵は今日の友』だ」
「……なんじゃそれは」
「昨日までは敵だった者たちでも、事情が変わって今日は味方同士になること。人の心や運命がうつろいやすく、あてにならないものであることのたとえだ。まあ、そういうことだな」
「じゃからと言って」
「――あ、あの」
 俺たちのヒソヒソ話を打ち切って勇者の妹であるメアリが話しかけてきた。
「リオさんとリリスさんは、恋人同士、なんですよね」
「ああ、そうだよ」
「…………そ、そうじゃ……」
 リリスはまたもじもじとして語尾を濁していた。
 何だリリスのやつ。これは芝居だ。何をそんなに照れてやがる。
「そ、それじゃあ……二人はどこまで行ったんですか?」
「どこまで?」
 そういうことか。このメアリって子、他人の恋愛に興味があるタイプらしいな。
 ふむ、もう少しクールなほうが俺の好みなんだが、まあこれも許容範囲だな。
「まあ、キスくらいは……」
「きゃあっ!」
 メアリが歓喜の声を上げ、頬に手を添えていた。まあ、嘘ではないよな。出会った時に一回やった。これは間違いない。
「なっ、お、お主っ」
「なんだよ、別に間違いじゃねえだろ」
「ま、まあ、そうじゃが……」
 なんだリリスのやつ。全く訳わかんねえぞ。
「いいなー、キスかー、私も……はあ……」
 リナはリリスの隣でため息をついて勇者のほうを見た。勇者は全く訳が分かっていないようだったが。
「ん? どうしたんだよ、リナ」
「何でもないわよっ、バカっ!」
 そう言ってリナは葡萄酒をガバガバと飲み始めた。これはいわゆるやけ酒ってやつだな。
「葡萄酒おかわりっ!」
 近くにいた店員にリナは叫んで葡萄酒の入っていたジョッキを突き付けていた。こりゃあ泥酔確実だな。
「何だよリナのやつ」
「まあ、察してやれよ」
 俺は勇者の肩に手を置いてそう言った。勇者は何も察する気配はなかったが。
「ん? なんだよ、リオまで」
 本当にこいつは、典型だよな全く。
「っていうか、羨ましいよな」
「何がだよ」
「リオはこんなに可愛い恋人がいてさ」
「なっ、我は別に可愛くなど…………」
「まあな……」
 なんかリリスは勝手に照れているがとりあえず無視だ無視。
 お前に言われたくはねえよなマジで。だって考えてもみろよ。こんな理想的な妹がいて、自分のことを好きな幼馴染がいるんだぞ? それもどっちも美少女。
 それだけでもう人生の勝ち組じゃねえか。こいつはその希少価値を全く持って理解していやがらねえ。まあ、あえては言わないけどな。
「あ、あの、それでお二人はどんな出会いだったんですか?」
「え? ああ、そうだな……」
 キスの下りだけでは満足できなかったのかメアリが俺のことを問い詰めてきた。
 しまった。恋人に偽装したはいいが、そこまで具体的な設定までは考えていなかった。とりあえず適当な話で誤魔化すとしよう。
「こいつが俺のことを好きになったのが始まりで……」
「なっ、何を言っておるっ!」
「……しかたねえだろ?」
 荒ぶるリリスをなだめるため、俺は耳打ちする。
「お前だっていいって言ったじゃねえか」
「そ、それはそうじゃが……」
「いいなぁ、お二人は凄く仲がよろしいんですね」
 うっとりとした表情を浮かべてメアリはそう言った。
「そうなんだよ。いや、全く困っちゃうくらいで」
「そう言えば、リオはリリスさんと二人旅をしてるんだよね」
「え? ああ、そうだな」
 そう言えばそういう設定にした気がする。
 何となく俺には勇者の次の言葉が読めていた。
「よかったら俺たちも同行しようか? 俺たちも旅をしてるんだよ」
「あ、ああ、そうか」
 それは不味いな。
 確かにこんな理想的な妹キャラと旅をするなんてのは理想的だが、勇者と行動を共にしていたら肝心の攻略が全く進まない。
 名残惜しいが、ここは断るしかないか。
「いや、それは遠慮しとくわ。一応二人旅だしな」
「……そうか。確かに二人の恋事を邪魔するのは無粋だったね」
「こ、恋事じゃとっ!?」
「……いいから、少し黙ってろって」
 何か言いだしそうだったリリスを黙らせる。
「いや、お前みたいな気の合う友人が出来たのは初めてだったから、残念だな」
「まあ、今日は沢山飲んで出会いを祝おうぜ」
「そうだな、じゃあ――」
「「乾杯!」」
 俺と勇者はそうしてジョッキをぶつけ合った。
 何だか当初の目的とずれている気もしたがこれでいいのだろう。勇者の人となりは大体のところは把握したわけだし。
 そして、俺たち五人は酒を呑み漁って、気が付くとすっかり日も暮れていた。





「ふう……」
 酒を飲み始めてからどれくらいの時間が経っただろうか。リリスなんかは酒にめっぽう弱かったらしくて葡萄酒一杯でベロベロになっていた。俺は皆が酔い潰れたのを見計らって酒場の外へ出ていた。
 今この世界の季節は何なのだろうか。吐いた息は瞬時に白く染め上がって肌寒かった。夏以外は夜でも寒いのが当然だろう。空はどんどんと暗くなっていって辺りはすっかり闇に支配されていた。それに抵抗するように月明かりや、街に僅かだが設置されている街灯が仄かに明かりを灯していた。
 少しだけ酒の匂いの残る、酒場の裏側。俺はそこに置かれていた酒樽に腰を下ろした。
「よっと」
 ポケットから煙草を取りだして火をつける。
 体の中に煙草の煙が染み込んできて、少し落ち着く。俺は紫煙を吐いて空に重鎮する月を眺めた。
「……これから、どうなるんだろうな」
 月を眺めながら、ふとそんなことを考える。
 いきなり訳の分からない世界に連れてこられて、帰る当てもない。そして帰ることができるのがいつになるのかも分からない。
 不安だらけだ。
 しかも、魔族を落とせだなんて、本当に出来るのだろうか。リリスの前では強がってばかりだけど、正直自信はない。
 勇者と出会ってそれがはっきりとしたものにになった。あいつは本物だ。本気でそう思う。一級フラグ建築士とか関係なしにあいつはいいやつだ。俺が女だったらもしかしたら惚れていたかもしれない。分かんないけど。
 本当に、俺なんかで大丈夫なのだろうか。そう思うときりがなかった。
「――こんばんは」
「あっ、メアリちゃん」
 木の陰から俺に声をかけてきたのはメアリだった。メアリは俺が座っていた樽の近くまで歩み寄ってくる。
「どうしたのさ」
「私、お酒は強いほうなので」
「そっか……」
 頬に手を添えてメアリはにこやかに言ってきた。いや、やっぱりメアリちゃんはいい子だわ。まあ、あいつに相応しいのかもな。
「それは何なのですか?」
「ん、ああこれ? 何でもないよ」
 メアリは煙草のことを言ってきたのだろうが余計なことは言わない方がいいだろう。
「そうですか……あの、少しよろしいでしょうか」
「何?」
 メアリは突然、何か迷うように俯いた。そして何か思い立った表情になって顔を上げた。
「あなたは――一体何者なのですか?」
「えっ?」
 ぽとりと、俺は口に加えていた煙草を地面へと落とした。
「あなたからは、何か人ならざる力のようなものを感じます。もしかしたら、私の気のせいかもしれませんが……」
「…………」
 確かに、リリスの言うことを信じるならば俺の中にも魔力が流れているのだろう。リリスはああ見えても魔王だ。これは俺の予想だが、体内の魔力をコントロールすることもリリスには容易いことなのだろう。きっと俺には出来ない。
 勇者と共に旅をするくらいだ。きっとこの子もそれなりに聖職者としてはレベルが高いのだろう。だから、気が付かれたのか。
 嘘をつこう。俺はそう思った。
 余計なことをすると俺の立場が危うくなる。だが、全て嘘で塗り固めてしまってはその塗装は剥がれやすい。
 だから、少しの真実と言う隠し味を混ぜるのだ。そうすることで嘘はかなりの信憑性を持つ。
「……俺さ、この世界の人間じゃないんだ」
「ま、まさか、異世界から召喚されたのですかっ?」
 メアリは驚いて俺のことを見てきた。どうやらそこまで異世界からの召喚は秘奥義というわけではないらしい。
「でも、召喚術を使える魔法使いなんて、今は……」
「俺も、誰に召喚されたかなんて分からない。気が付いたらこの世界にいて、今はリリスと元いる世界へ還る術を探してるってわけさ」
「では、リリスさんも……?」
「まあ、そういうこと」
 メアリのことだ。きっとリリスの魔力に気が付いているのだろう。こう言っておいたほうが後々楽になるはずだ。
「そうだったんですか……」
「まあ、そこまで俺たちは落ち込んでないからさ、気にしないで」
「……私にできることがあれば何でもします」
「……ありがとう」
 なんていい子なんだ。俺はメアリにお礼を言いながら拳を握りしめていた。
 って、ちょっと待てよ……?
 今メアリちゃんは「何でもします」って言ったよな……。
 そうか、そういうことだな。
「じゃあ、その、お願いが一つあるんだけど」
「はい、何でしょう」
 嬉しそうな顔をしてメアリは言ってきた。
 俺がお願いすることなんてただ一つしかなかった。
「『兄さん』って俺に言ってみて」
「嫌です」
「…………え?」
 間髪いれず、にこやかな顔を崩さぬままメアリは言ってきた。
 ああ、多分俺の訊き間違いだろうな。
「ああ、ごめん。ちょっと聞き取れなかったんだけど……『兄さん』って俺に」
「嫌です」
「…………そっか……」
 ニヒルに決めようとしたのに台無しだった。
 そうして夜は更けていく。








 二章
 
「……で、結局勇者と接触した意味はあったのか?」
 ここはリリスの部屋。
 勇者たちと別れた俺たちはこうして魔王の城へと帰還していた。そこでもリリスの作りだしたワープホールを使用したわけだが、そこで何があったのかはあえて言うまい。
 リリスは何が不満なのか分からないが椅子に座りこんで頬を膨らましていた。
「ああ、確かな収穫があった」
「我を恋人役にしてまでもか?」
「そうだ」
「……もうよい。何も言わんわ」
 リリスは諦めたようにため息をついた。何なのだこいつは。だからあれは芝居だと何度も言ったのに。
 まあ、とりあえずは話を進めるとしよう。
「勇者と接触したことによってあいつの人となりが把握できた。そこで、何か勇者を足止めしなくちゃいけない」
「何故じゃ? お主が攻略する三本刀のやつらは滅多なことでは外には出ぬが」
「……青いな」
「な、何がじゃ」
 どうやらリリスは何も分かっていないらしい。ここは解説しておかねばなるまい。
「あの勇者は一級フラグ建築士の中でも、最も最強と言われるタイプ『ラッキースケベ』に分類される」
「……なんじゃ、そのラッキースケベというのは」
「今は説明を省く」
 まあ、説明するのも面倒だしな。今はスケベの本性が出ていないがいずれは出てくるはずだ。
「タイプ『ラッキースケベ』においてはこういう可能性も考えられる。偶然、ダンジョンの中でワープホールを発見して、偶然、それが勇者たちも通れるもので、偶然、それがここに繋がっていて、そして偶然、三本刀の連中を落としてしまうんだ」
「そんな偶然だらけの状況、起こるわけが……」
「いいやっ、起こる! これは断言してもいいっ!」
 俺は力強くリリスに言った。
 あいつは本物だ。
 神に愛されているといっても過言じゃない。だから、あり得ないなんてことはあり得ないんだ。
「……そ、そうなのか? あ、我も思いついたぞ」
「言ってみろ」
「あの魔法使いと勇者をつがいにしてしまえば問題ないのではないか?」
「……それは愚策だな」
「な、何故じゃ」
「どれくらい愚策かと言うと、川中島の戦いで軍師山本勘助が弄した啄木鳥戦法並みに愚策だ」
「……よくは分からぬが、理由はなんじゃ」
「いいだろう。説明してやる。物語には必ずメインヒロインとサブヒロインというものが存在する」
「なんじゃ、それは」
「まあ聞け」
 俺は空いてあった椅子に腰を下ろすとリリスに説明し始める。
「メインヒロインというのは分かりやすく言うなら、リナちゃんとメアリちゃんのことだ。そしてサブヒロインは勇者が広場で助けた女の人のことだな」
「あの妹もそうなのか?」
「そうだ。そして、考えても見ろ――何故、あの勇者にメインヒロインが二人もいるのか」
「……さっぱり話が見えぬが」
「つまりはだ。物語は二つの種類が存在する。メインヒロインがたったの一人の物語。そして、あの勇者のようにメインヒロインが複数いる物語だ」
「何か違いがあるのか?」
「大違いだ。メインヒロインが一人の物語とはつまり、純愛。主人公はメインヒロインを助けるため、攻略するために行動し、他のキャラクターは全て主人公のお助けアイテムに過ぎない。対して、複数のメインヒロインがいる物語とはつまり、ルート分岐するか、もしくは――ハーレムエンドだ」
「だからお主の言っておることはよう分からん」
「そして、なお且つ言えることはメインヒロインが複数いる物語は終わりまでがもの凄く長いってことだ」
「だから理由が分からぬ」
「それはだな……」
 まあ、物語の作者が引き延ばしたいためというのが一番簡単な理由だが、こいつに言っても分からないだろうな。
 とりあえず適当な理由をつけておくか。
「神が勇者と誰かが結ばれることを望まないからだ」
「そうなのか……」
 どうやらリリスには納得してもらえたようだな。話を続けるとしよう。
「お前の言うように俺たちがリナちゃんと勇者をくっつけようとして工作したとしても結局は無駄に終わるだろうな。当然、リナちゃん一人をくっつけようとしてもメアリちゃんが邪魔をしてくるに違いない」
 俺も確固たる自信があって言っている訳ではないが、多分そうだ。
「それに、俺が見た限りではあの勇者は十中八九ハーレムエンドに分岐する」
「お主の言っていることは半分以上理解できぬが、何故そう断言できるのじゃ?」
「分かるっ! 俺には分かるっ!」
 断言する。
 きっとあいつはそういう方向に進むのだ。
 間違いない。あいつと会話した俺だから断言できる。
「……あ、あい分かった。それで、一体どうするというのじゃ」
「理想としては、あの三人の仲をこじらせる。そうすることによって無駄なイベントが発生し勇者は足止めを食らう」
「どうやってそれをするというのじゃ」
「お前の部下を何人か勇者の元へ送りこむ」
「――なっ、なんじゃとっ!?」
 リリスは叫んだ。
 なにやら必死そうだがここは話を続けることにする。
「お前の部下の何人かを勇者の元へ送り込み、勇者を誘惑する。そうすることで三人の仲は……」
「――ならぬっ! それだけは絶対に許さぬっ!」
 リリスは椅子を床へ転がしながら立ち上がり、俺に詰め寄ってきた。リリスの剣幕は見えない刃をこちらに突き付けているようで、俺は声が出なかった。
「お主、我の部下を犠牲にするというのかっ!?」
「そっ、そんな、別に魔力がなくなるだけで死ぬわけじゃ……」
「同じことじゃっ! 魔族として魔力を失うということは死人と同義じゃっ。いくらお主といえど、許すわけにはいかぬっ!」
「わ、分かったって。それは止めるから……」
 俺がそう言うとリリスは腕を組んでそっぽを向いてしまった。
「二度とそのようなことを口走るでないぞっ」
「あ、ああ……」
 それからしばらく俺とリリスの間に沈黙が訪れた。
 こいつも、こんな見た目だけど一応魔王なのだ。自分の部下が魔力を吸いとられるというのはやはり嫌なのだろう。
 迂闊だった。俺は心の中で反省する。
 だが、それ以外に勇者を足止め出来る考えがないのも事実だった。あいつの剣の腕は確かだ。倒せるわけがないし、どうすることもできない。
 ならば、競争するしかないか。
 先手必勝。勇者と攻略対象が出会う前に攻略するしかない。リリスは俺の考えを否定した。ならば、やるしかないだろう。







「では、これからレイラの攻略を開始しようと思う」
「…………」
 リリスの城の廊下。そこで俺たち二人は仁王立ちしていた。薄らとだけある明かりに照らされたリリスはまだ先ほどのことを怒っているようで、そっぽを向いたままだった。
「……まだ怒っているのか?」
「怒ってなどおらぬ」
「はあ……そうかよ」
 どう見ても怒っているんだが、あれから何度も俺は謝ったのだがどうもリリスには効果が今一つなようだった。
 俺もいつまでもこいつのわがままに付き合っている時間は無いのが事実だ。勇者を足止め出来ない以上、これから戦況を左右するのはスピードだからだ。
「……で、具体的にはどのようにしてレイラを落とすというのじゃ?」
「お、機嫌直してくれたか?」
「はあ……いつまでも過去の気にしていてもしょうがなかろう? 我は誇り高き魔王なのじゃからな」
 リリスはため息をついて、そう言った。よし、この方が俺もやりやすい。いつまでもこいつにイライラしたままでいられたら気まずくてしょうがないのだ。
 とりあえず、リリスに概要を説明することにする。
「まず、前に話した通り俺は一級フラグ建築士じゃない。よって、イベントを論理的に発生させなくてはいけない」
「……よう分からぬが、そのイベントとやらはどのようにして発生するのじゃ?」
「まずは前段階からだ。とりあえず、レイラの好感度を上げる」
「コウカンド、とはなんじゃ?」
「普通の意味で用いるならば、企業が使う言葉だ。消費者の意識調査のなかで、その会社の商品・サービス、あるいはその会社の活動そのものに、どの程度好感を持っているかどうかを調べたもの。というのが正しい意味だが、こと恋愛においては全く異なる意味へと変化する。つまりは――どれだけ俺に興味を持っているかどうかの値のことだ」
「……ふむ。それは分かったが……」
「そこまで分かれば後はおのずと答えは導けるはずだ。今のところレイラは俺に強い興味を示している」
 悪い意味でだが。
 レイラは多分俺に強い嫌悪感を抱いているはずだ。何故ならば俺がリリスの傍にいるからだ。
 何故かは分からないがレイラは過保護なほどにリリスのことを守りたがっている。ということはレイラの注目度的に言えば十分すぎるというわけだ。
「……まあ、注目はしとるじゃろうが……」
「そう。後はその注目度をいい方向へ修正すればいいだけだ」
「……で? じゃからそれをどうするのかと聞いておる。お主の話しはよく分からん説明ばかりじゃ」
「まあ聞け。まず一つ、自然にアカウント率を上げ、俺の存在を心に植え付ける」
「…………」
「よし、じゃあやってみよう」
「…………お、おー」

 別に先ほど説明した方法はゲームで出てきた物ではない。とある恋愛マニュアル本ではよく会う相手には自然に高印象を抱くように心は出来ているらしい。この法則を……名前は特に重要ではないだろう。とにかく、自然に行わなくてはいけない。わざとらしくなったり、レイラに下心があるなんて思われたら一貫の終わりだ。自然に、自然にがキャッチコピーだ。
 何故俺がそんな本を読んだことがあるのか。それは特に重要なことではないので省くとする。
「れ、レイラさーん」
 おっと、いきなり声が裏返ってしまったが忘れよう。失敗をいつまでも引きずっていては前には進めないのだ。
 俺は廊下の見回りをしていたレイラに声をかけた。相変わらず背中から生えた触手と紫の髪に目がいってしまう。
「…………何の用だ」
 少しだけレイラはイラついているようだったが気にしないのだ。ここで引いては男が廃る。
 俺は適当な話の口実を頭の中で検索し、そして見つけ出した。
「実はその……これからの戦況について語りあいたいなー、なんて思っちゃったり」
 これだ。これしかないだろ。
 レイラは戦い好きそうだし。
 完璧だろ、マジで。
「失せろ」
「…………え?」
 ちょっと聞きなれない言葉が聞こえた気がしたのでもう一度聞いてみることにする。
「あ、あれ? おかしいな、俺ちょっと耳が遠くなったみたいで……」
「失せろ」
「…………」
「某は貴様と話すことなど何もない。二度と某の前に顔を見せるな」
「…………」
 そう言ってレイラは身を翻し、俺の元から去って行った。
 俺は立ち尽くしながら両手を強く握り俯いた。
 ……あれ? 何でだろうな。涙が溢れて来そうだわ。
「なんじゃお主、大見え切った割には全然……なんじゃお主、泣いておるのか!?」
 物陰に隠れ事の顛末を見守っていたリリスが俺のこと覗き込んでそう言った。
 俺は無言で顔を拭うと決意を新たにした。
「泣いてんかいねえよっ。まだ、まだ次の案はあるっ!」
「……あ、ああ。頑張るのじゃぞ」
 そうだ、まだ俺の中には考えがあるのだ。
 レイラ陥落作戦。
 その二。
 プレゼントを渡して好感度アップ。
 プレゼントとはいっても知り合いの段階で半永久的に形が残るもの、特にアクセサリーか何かを渡す愚かな真似を俺は犯すことはない。そういったことは一般的に重いなどと見なされ、決して高感度を上げる方法として適切とは言い難いからだ。
 まあ、勇者の場合は別だが。
 とりあえずは甘いもので釣るのがいいだろう。お菓子が嫌いな女子なんて想像もできない。と思ったが、レイラが甘いものを食べている姿なんて想像もつかない。何かないだろうか。
「もう一つの作戦は、プレゼントを渡して高感度アップと行きたいところだが……お前、何か欲しそうなものしらないか?」
 とりあえず、一番詳しそうなリリスに聞いてみる。
「何? レイラの欲しそうなものじゃと? ふむ……」
 リリスは俺の言葉を聞くと唸りながら考え込んだ。さすがのリリスでもレイラの欲しそうなものは分からないか。
「分からないか?」
「ふうむ…………お主の死体、とかかのう」
「…………」
 聞いたところで無駄だった。
「そうか。お前でも分からないか……」
「いや、我は意見を述べたつもりじゃが……」
「どうしたものか…………ん?」
 考え込む服の裾を何かが掴んで引っ張った。
 そこに視線を向けてみる。
 俺の服の裾を引っ張っていたのはロアだった。相変わらず小さい。
「ロアちゃん、どうしたの?」
「…………」
 いや、そこで黙られると困るんだけど。
「これリオ」
「なんだよ」
「ロアと会話する時には目線を合わせねばならぬぞ」
「え? そうなのか?」
 別に最初に会った時にはそんなことなかったけど。
「あの時は我の命だったからじゃ。ほれ、やってみよ」
「ああ、分かった」
 そして俺は体を屈め、ロアに視線を合わせる。なんだが本当に子供と話をしてるみたいだった。
 相変わらず表情は無表情のままだったけど。
「で、ロアちゃん、どうしたの?」
「…………何か、困ってる?」
「あ、うん、まあね」
 そうだ、ロアちゃんにもレイラが欲しそうな物を聞いてみようか。上司よりも対等な関係の仕事仲間のほうが胸の内を明かせそうだし。
「えっと、ロアちゃんはレイラの欲しそうなもの知ってる?」
「…………欲しい、もの……?」
 そしてロアはまた腕を組んで心理フェイズに突入してしまった。これで二度目だがまだ慣れない。いずれはこの子も攻略しなければならないと思うと気が重かった。
 ロアは何かが分かったようにポンと手を叩いた。
「…………ん」
「…………え?」
 ロアは無言のまま自分の胸を指さしていた。

 俺はレイラに声をかけるため魔王の城の執務室へ足を運んでいた。
 てか、魔王の城で執務なんて必要あるのか? なんていう下らない質問はしないことにした。めんどくさそうだし。
 大きな出窓からは暖かい陽の光が入り込んできていて、その前に執務用の机があった。高級そうな細工がされた机は扉に向くようにして置かれている。その上には山積みにされた書類や本が置かれてあって作業スペースを圧迫している。
 その他にあるのは俺の腰くらいの高さの暖炉と羽を生やした赤ん坊が描かれている絵画が飾ってあるくらいだ。
「む? なんだ貴様、先ほど某が言ったことを理解してなかったのかっ?」
 扉を開けた俺に開口一番レイラがそう言ってきた。まあ、ノックもせずに入ったわけだから仕方ないといえば仕方ないんだが。
 だってそうだろう。ノックをして俺だと言ったってどうせ入れてはくれないだろうし、どっちにしろ同じことだ。
「い、いやー、今日はレイラさんにちょっとした贈り物がありまして……」
 レイラの肌を刺すような剣幕に俺は思わず怯えてしまうがここで引いては男が廃るというものだ。
 頑張れ、俺。
「贈り物、だと? 貴様からなど何も受け取るものはない」
「そ、そう言わずに……これをどうぞっ」
 そして俺は背中に隠していたあるものをレイラへと差し出した。
「なっ、何っ!?」
「…………」
 俺が差しだしたのはロアだった。ロアが先ほど自分のことを指さしたということはそういうことだろう。
 レイラはロアの姿を見ると血相を変えて俺の元まで飛んできた。
「えっ!? なっ、ぐえっ!」
 俺はレイラに殴り飛ばされ地面へとその身を伏せた。レイラはそしてロアのことをぎゅっと抱きしめていた。
 いや、かなり痛いんですけど。俺のことは無視ですか?
「はあ〜〜、ロア、こいつに何か酷いことでもされたの?」
「…………」
 ロアは無言で首を左右に振った。まあ、何もしてないのは事実だ。協力してほしいとは頼んだが。
 てかなんだ、このレイラの豹変しようは。声色がまるで別人だぞ。そんなことを思いながら立ち上がる俺にレイラはまた先ほどのような剣幕を向けていた。
「貴様、ロアに何かしたら命はないと思うのだな」
「……は、はあ……」
「はあ〜〜、ロア。こいつの言うことなんて聞いちゃだめだよ?」
 何なのだこれは……そう思っている俺の頭の中で何かが弾けた。
 そうか、こいつ気が強そうに見えて可愛い物好きだったのか。それならば打つ手はあるかもしれない。
「貴様、先ほど贈り物とは言ったがこれは一体どういうことだ」
「ええ、まあ、ロアちゃんをあげようかと思いまして……」
「な……あげる……だと……?」
 レイラは心底驚いているようで俺とロアの間で視線を何度も移動させていた。そこまでロアちゃんが欲しいのか? よく分からんが。
「ロアが、某の、もの……」
「…………レイラ」
 心ここにあらずといった様子のレイラにロアが言う。
「…………イジメ、だめ」
「えっ!? ろ、ロア、違うのよ。これはイジメじゃなくてね」
「…………皆仲良くしなきゃ、ダメ」
「ええ!? そんな……」
 よしよし、こいつロアに弱そうだぞ。
 このまま押し切れる。
「ロアちゃんもこう言っていることですし、ここは一つ穏便に……」
「……貴様、やはりロアに吹き込んだな」
「い、いえ、滅相もございませんっ」
 嘘だけど。
 一応ロアちゃんにはレイラと仲良くなりたいから協力してほしいと頼んでおいたのだ。あまり期待はしていなかったが、かなりグッジョブだ。
「…………仲良くしてはくれないのか……」
 ロアちゃんが無表情のまま残念そうな声を上げる。
 これは決まったな。間違いない。この手のやつは八十パーセントこれで落ちる。
「ろ、ロア……分かったわ。こいつとは仲良くするから、ね」
「…………」
 ロアは無言でレイラに頷いた。
 これで一歩前進ってわけだな、よしよしこれでフラグを立てる準備が整いつつあるな。
「お前と仲良くする。分かったら出ていけ」
「ええっ!?」
 なんか、何も変わっていなかった。
「い、いや、それって仲良くなってないだろっ」
「貴様から呼び方がお前にレベルアップしただろうが。そして、ロアは某がもらっておく」
「そのようなこと、許すわけないじゃろうがっ」
 ドアの向こう側で待機しておけと言っておいたのにリリスが部屋の中へ乱入してきた。
 まあ、会話の流れからしておかしいことになってはいたが。
「へっ、陛下っ!」
 レイラはリリスの姿を見ると飛び跳ねるようにロアの元から離れ、リリスの前に跪いた。
 あれだな、きっとこいつは三重人格者か何かだ。
「このような無様な姿を晒してしまい、申し訳ありません」
「はあ……レイラよ。お主の可愛いもの好きは分かったが、ロアをあげるというのはちと頂けんな」
「でっ、ですが……」
 レイラは本当に残念そうに声を上げていた。
 いや、そりゃあ冗談だろ。考えるまでもなく。
「リオの言ったことは冗談じゃ。じゃが、お主は騎士じゃ、己の言葉に二言は無いのであろう?」
「そ、それは……」
 おっ、上手いぞリリス。騎士としての忠誠心を巧みに利用するとは。リリス……恐ろしい子……!
「これからはリオと仲ようするのじゃぞ。よいな」
「……分かりました。陛下のご命令とあらば」
「うむ。ではリオ、ロア、行くぞ」
「ああ」
「…………」
 そうして俺とロアは身を翻したリリスの後に続いていく。
「ああ……ロア……」
 跪きながらも名残遅そうにロアのことを見つめるレイラの姿がやけに俺の脳裏に焼きついた。
 俺たちはレイラの部屋を完全に抜けてドアをパタンと閉めた。
「いや、助かったわ。流石だな」
「ふん。やはりお主は我がいぬと何もできんようじゃの」
「そういうわけじゃねえよ。今のは突然のアクシデントだ」
「強がりおってからに」
「…………」
 リリスと俺が悪だくみをする悪代官のような笑みを浮かべている中でロアだけが何も分からず黙りこんでいた。
 ともあれ、これで下準備は完了した。
 可愛い物好きということが知れただけでも大きな収穫だし、好感度は着実に上がっていっているはずだ。
 このままいけばきっと上手くいく。後は、何かそう。きっかけとなるイベントでもあれば決着はつく。まあ、それも自力でなんとかしなくちゃいけないんだけどな。
 俺は心の中で一人ため息をつくのだった。









 俺たちはレイラの部屋で好感度アップの作戦を終えた後、リリスの部屋へ戻って来ていた。もはやリリスの部屋は対勇者への作戦会議室になってきているが、まあいいだろう。
 俺は、今だ直っていなかった窓から不気味な外の景色を眺めていた。時にリリスはと言うとベッドの上に座りこんで足を組んでいる。こうしてみると魔王と言うよりはどこかのわがままなお姫様にしか見えないのだが、あえては言うまい。
 さて、これで好感度は大体上昇してきたわけだ。まだちょっと戦うには心許ないが十分だろう。後は、そう。何かきっかけとなるイベントを起こせれば話は早いのだが。
「お主、先ほど前段階と申したがまだ何か次の展開があるのか?」
 リリスがベッドで踏ん反り返りながら俺に聞いてくる。とりあえずは答えるとしよう。
「ああ。まず、好感度と言うのは攻略にとっての材料のようなものだ。簡単に言うなら商人にとっての売り物みたいなものだ」
「ふむ。で? 次はどうするのかと聞いておる」
「そこなんだがな……」
 俺は語尾を濁しながらリリスに言った。
 確かにそこが問題だ。いくら好感度を上げたところでそれだけではまだ足りない。それでは商人が売り物を大量に仕入れて満足しているのと同じで現状維持のままだ。
「なんじゃ、何か問題でもあるのか?」
「まあな。次はきっかけとなるイベント。フラグを構築するために必須なイベントをこなさなきゃいけないわけだが、それが見えてこないんだ」
 そう。ゲームでもそれは変わらない。
 例えば複数のヒロインがいる恋愛ゲームではポイントとなるイベントをこなさない限りは一定以上好感度が上がらない場合がある。
 レイラの場合はきっとそうだ。経験上分かる。
 どうしようか、俺は窓に向けていた体を反転させて壁に背中を預けた。
「ふむ、よくは分からぬが難儀じゃのう」
「そうなんだよ」
 俺は一つため息をつく。
 それと同時、リリスの部屋をノックする音が聞こえてきた。
「陛下、某にございます」
「レイラか、入れ」
「はっ」
 リリスの部屋に入ってきたのはレイラだった。レイラは部屋に入ってくるなり俺の姿を見つけるととても嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。
 えー……俺ってそこまで嫌われてるのかよ。
 レイラはそしてリリスが座るベッドの近くまで足を運ぶと、いつものように跪いていた。
「陛下、某は陛下にお願いがありまして参上した次第であります」
「ん? なんじゃ、申してみよ」
「はっ、某に――勇者暗殺をご命じ下さい」
「なっ――!」
「……ふむ、そうじゃのう……」
 リリスはレイラの言葉を聞くとそれを示唆するように考え込んだ。
 それは不味いだろ!
 最悪だ。最悪の展開だ。
 いいから断れ。それしか選択の余地はないだろ。
 俺がそう心から願っているのと裏腹にリリスはレイラに向けて顔を上げ、こう言った。
「……よかろう。お主に勇者暗殺を命じる」
「はっ、ご期待に添えるよう、尽力いたします」
「なっ!」
 俺は訳の分からないことをリリスの傍へと飛び跳ねた。そして、リリスに耳打ちをする。
「ばっ、バカ野郎! そんなのいいわけないだろっ」
「何を申しておる。お主は王としての我の考えを全く理解しとらん」
「なんだよ、それは……」
「我はレイラのお傍付きとしての懇願を一度却下した。それにお主のこともじゃ。これ以上、レイラの意見を無碍にし続けては我は信頼を失う」
 確かにリリスの言っていることはもっともだ。
 王は部下や民なくしてはあり得ない。俺の世界では昔、朕が国家なり、なんてことをほざいていた王もいたが、それは大きな間違いだ。王は国にとって頭だ。それ以上でもそれ以下でもない。リリスの言っていることは俺にだって分からなくはない。だがしかし……。
「それに、お主のことを部下だと公言した以上、これではお主のことをひいきしていると見られても仕方がない。レイラの言葉を下げることは我にはできぬ」
「それはそうかもしれないけど……でも、最悪の可能性が……」
「最悪の可能性じゃと?」
 そう、このままレイラが勇者暗殺に向かえば最悪の可能性が浮上してくる。
 可能性、一。
 レイラは勇者を暗殺するため、勇者に攻撃を加える。だがしかし、勇者はその一撃では倒れず、普通に戦闘に発展する。そこで勇者とレイラは出会い、その後レイラは落ちる。かなりあり得そうで怖い。
 可能性、二。
 レイラは勇者を暗殺しようとしたが、うっかりミスを犯して勇者に見つかる。そして勇者と出会ったレイラは恋に落ちる。こっちの可能性だってあり得る。
 この他にも可能性は上げればきりがないが、とにかくレイラを行かせるのは不味い。
「そうだ。だから……」
「陛下、如何なされたのですか?」
 俺たちのヒソヒソ話を不審に思っていたレイラがとうとう声をかけてきた。くっ、まだ結論は出ていないというのに。
「……やはり、某では力不足ということですか……?」
「い、いや、そのようなことはないぞ。ははは……」
 俯き、落ち込むレイラにリリスは慰めの声をかける。ま、不味いぞこれは。どうすればいいんだ……。
「ほれ、分かったであろう? もうレイラを行かせる他ないのじゃ」
「だからそれは……」
 ――その時、何かが弾けた。
 そうだ。そうじゃないか。それしかない。
「……分かった」
 そうして、俺はリリスから顔を離すとレイラにも聞こえるようにこう言った。
「俺も同行する」
「なっ!」
「…………ふむ」
 レイラとリリスはそれぞれ別々の反応を示していたが、関係ない。この状況を切り抜けるにはこれしかないだろう。
「お前、何のつもりだっ。お前が某に同行したところで足手まといになるだけだっ」
「勇者は手ごわい。俺が付いて行ったほうが楽になるだろ?」
「自分の魔力を考えてから言えっ! 大体お前は……」
「…………ふむ、そうじゃのう」
 リリスはレイラの言葉を断ちきるように立ち上がると、レイラに向かってこう言った。
「レイラ、リオも同行させよ」
「なっ、しかしながら陛下っ」
「まあ、そう心配するでない。こう見えてもこやつは頭がキレる。足手まといには必ずしもならないはずじゃ」
「そう申されますが……」
「何度も言わせるでない。これは我の命じゃ。この条件が飲めぬならお主に勇者暗殺を命じることはできぬ」
「……くっ。分かりました」
 レイラは渋々、リリスの言葉に納得していた。よし、これでいい。俺が同行しさえすれば勇者にレイラが落とされるという最悪の事態は防げるはずだ。
 レイラは颯爽と立ち上がると俺に向かってこう言ってきた。
「……不服ではあるが、陛下の命だ。某についてこい」
「分かった」
 そうして俺とレイラはリリスの部屋を出ていった。これでなんとか不測の事態は防げるはずだ。いや、まだ分からないか……相手はあの天然最強の勇者だ。俺が、やらなきゃいけないんだ。









 俺たちが勇者のいる街についたころにはすっかり夜になっていた。
 湿った匂いがするということはついさっき雨が上がったばかりなのだろう。空はすっかり晴れ上がって夜空には星々が輝いていた。
 俺とレイラは闇夜に紛れ、勇者の様子を伺っていた。この前リリスと勇者の偵察に来た時のように木箱の裏に俺たちは身を隠す。
 勇者は俺たちと出会った時のように酒場で酒を飲んでいるようだった。ああ見えて結構酒好きなのかもしれない。ちょっと意外だ。
「…………」
「…………」
 辺りは自分の心臓の鼓動が聞こえて来そうなほど静まり返っていた。俺とレイラの間に会話はなかった。
 そこまで俺のことが嫌いなのだろうか。分からないが。
「……お前、某の邪魔だけはするなよ」
「へいへい」
「…………」
「…………」
 また、無言。
 さすがに気まずいな。何か話題でもないものか。
「……お前は」
 そう思っていた俺にレイラが話しかけてきた。
「お前は、本当は人間なのだろう?」
「えっ?」
 突然の質問に俺は驚きを隠せなかった。まさか、いや、リリスも言っていたはずだ。俺の身体の中には魔力が流れていると。そして、それが魔力の証明だと。間違いはないはずだ。
「い、いやだなー、そんなことないですよ」
「某の眼を甘く見るな。お前と最初に会った時は確かに魔力を感じなかった。だが、次に会った時には魔力を感じた。何があったのかは知らないが、お前は確かに人間だ」
「……まあ……」
 これ以上は隠し通せない。そう思った。
 そして、多分レイラになら話しても問題ないと、そう思った。
「……そうだ。俺は人間だよ」
「やはりな」
 レイラは緊張感のある表情を動かさず、言ってくる。
「……何故、お前のような人間が陛下のお傍にいるのだ」
「それは……」
 俺が聞きたい。心の中でそう思った。
 俺だって、何でこの世界に来てこんなことをしているのか聞きたいくらいだ。
「……まあいい。それよりお前、某のことが怖くはないのか?」
「え? 何でだよ」
 突然、レイラはそんなことを聞いてきた。一体何を怖がると言うのだろうか。確かに初対面の時は殺されかけたわけだが、今となってはレイラに恐怖など感じてはいなかった。
「まあ、最初は怖かったけど、今は別にそこまでは怖くねえよ。お前の内面も少しは知れたしな」
「……そうか。お前は珍しいやつだな」
「そうなのか?」
「そうさ。人間は我々魔族を恐れている。それは常識だからな」
「はあ……」
 まあ、そうだろうな。俺の世界でもそういう認識で間違いない。だが、俺はリリスと出会って、リリスと一緒に過ごしてきた。あいつが怖いだなんて今はない。そして、リリスが魔族の王なのだ。
 論理的に考えてみれば恐れを抱く訳はないのだ。
 ふと、俺たちがそんな会話をしている時に勇者が酒場から姿を現した。
「…………!」
 レイラはその姿を見つけるなり、腰に抱えていた剣に手をかけた。それはそうか、こいつは勇者を暗殺しに来たのだから。
 勇者はべろんべろんに酔っぱらっていてリナに肩を抱えられながらふらふらと歩いていた。
「ちょっとアルスっ、ちゃんと歩いてよっ」
「うーん、分かってるって、リナ」
「そ、そんなに寄りかからないでよ……」
 メアリちゃんはもう既に宿屋に向かっているのだろうか。分からないが、今なら恐らく勇者であっても倒すことはできるだろう。俺はレイラのことを止めようとした。今はああ隙だらけに見えるが、相手は一級フラグ建築士だ。何が起こるか分かったものではない。
 だが――
「ん……?」
 レイラの手が震えていた。正確に言うならば剣の鞘を握る手がだ。俺が声をかけるまでもなく、レイラは勇者のことを襲うつもりはないようだった。いや、襲えないのか。
「……どうした、今なら勇者のことを殺せるかもしれないぞ?」
「……分かっている」
「きゃっ! アルスっ、どこ触ってんのよっ」
「……むにゃにゃ……」
「……まあ、アルスにならいいけど……」
 レイラが戸惑っている間に勇者とリナは闇の中へと消えていった。その間、終始レイラは身動きもとらずに剣の鞘を握ったままだった。
「……くっ」
 レイラは俺を置いてどこかへと立ち上がり歩いて行ってしまう。
 レイラの行動を不審に思いながらふと俺は気づく。そういえば、これは一種のレイラとのイベントだ。レイラと共に勇者を暗殺しようとする。よくよく考えてみればこれ以上のことはないだろう。
 そして、きっとこのイベントの中にこいつを攻略するヒントが隠れているはずだ。見つけ出さなければいけない。
 きっとこれはフラグ成立のための重要なイベントなのだ。
 ならば、俺がするべき行動はただ一つ――このイベントを発展させることだ。
「どこへ行くんだ?」
 俺は闇の中へ消えようとするレイラを呼び止めた。本来ならばこんなことをするべきではない。勇者とのフラグが発生してしまう可能性があるからだ。
 だが、今俺はレイラのことを呼び止めなければいけない気がしたのだ。何故だかは分からないが。
「…………」
「今なら、きっと泥酔している今なら勇者を殺せるぞ?」
「…………某は騎士だ。寝込みを襲うなんて卑怯な真似はしたくない」
 レイラは背中を向けながらそう言った。
 確かに、それはそうかもしれない。こいつが忠義を重んじて、とても正直な性格なのならば、そんなにおかしな言葉ではない。
 だが、何故なのだろうか。この胸の中に残るしこりのような違和感は。何か見落としている気がする。よく、分からなかった。
「…………本当に、そうなのか?」
「そうだ」
「そうか……これから、お前はどこにいくつもりだ?」
「もうすぐ夜が明ける。お前もついてきたいなら付いて来るがいい」
 そう言ってレイラはどこかへと歩いて行く。
 俺はレイラの後を追う他、選択肢を選ぶ余地などなかった。きっとこの先にレイラ攻略の何か決定的なものがあるのだから。








「こ、こんなところに来て、何があるっていうんだよ」
 朝日が昇って遠くに聳え立っていた双子の山から顔を出していた。まばゆい光が眼の中に入って来て俺は思わず目を細める。朝の匂いは特別なものがあった。
 滴る光は雨の気配。
 鳥の囀りは自然の雑踏を俺に感じさせる。
 だが、俺は今そこまで気持ちの良い気分ではない。何故ならば俺は今までずっと街の外れにある丘を登っていたからだ。少しばかりの林を抜けた先にある砂の丘を登り切ると、そこには打ち捨てられた神殿のようなものが見えた。元々は四角いものだったのだろう石柱の群は今や数も少なくなって、角を残すのみだ。
 白かったはずの石柱は所々禿げていて黒く変色している。荒涼とした丘の大地にはそれ以外のものはなかった。レイラはその丘の縁に立ってどこかを眺めているようだった。
「こんなところに来たって何も……」
「お前が勝手に付いてきたに過ぎない」
「だけどよ」
 レイラは俺に背中を向けながら言葉を告げる。こいつは一体、どういうつもりなのだろうか。
「お前に見せたいものがあったんだ」
「見せたいもの?」
 そうしてレイラは街の方向ではない、どこかを指さした。そこに一体何があると言うのか。俺は視線をレイラの指さした方向へと向ける。
 そこにあったのは、崩壊した村の有様だった。
 焼き討ちにでもあったのだろうか。家を支えるはずの柱は情けなく崩れ落ちて、黒く染まっている。人の気配なんて皆無で、俺は先ほどいた城下町との違いに正直驚いていた。
「あれは……村か?」
「そうだ。村だ。村は焼き討ちされ、様々なものが強奪された。今はもう再興しようとする者もおらず、あのままだ」
「それは……何となく分かるが、何故俺にこれを?」
「お前にも、陛下に仕えようとするお前にも見ていてほしかったのだ。あれは、何がしたものだと思う?」
 そう聞いてくるレイラの言葉に俺は違和感を覚えた。
 何が、とはつまりどういうことなのだろうか。
「何がって、どういうことだよ」
「あの村をあそこまでしたのは我々魔族ではない。人間自身だ」
 そういうことか。
 俺はレイラの言葉で、こいつの言わんとしていることを理解した。つまりは、あの村を破壊しつくしたのは人間の中の傭兵とかそういったやつらだろう。
「陛下はあまり好き好んではいないが、我ら魔族は人間の住む土地を侵略することもある。だが、それは我らが人間に対して行う戦争だ」
「…………」
 戦争。そう言われてみればそうなのかもしれない、俺はそう思う。こいつら魔族だって住む場所が必要なのだ。衣食住がなければたとえ魔族だとしても生きてはいけない。
 仕方のない、ことなのだろうか。俺には何とも言えなかった。
「戦争とは、政治的交渉の一種だ。その中には真の正義など存在しないだろう。だが――真の悪も存在しない」
 真の悪。言い得て妙だと俺は思う。
「では、あの村を襲った傭兵たちは一体何だ。何なのだ。あの勇者はそのことを理解していない。この世に悪というものが本当に存在するならば――それは人の心だ。お前も……そう思わないか?」
「……それは……」
 でも、だがしかし、俺は人間だ。レイラの言葉に明確な言葉を返せない。
「そうだな、お前は人間なのだからな、答えを迷うのは当然だ。……勇者が、陛下を倒したところでこの世界が本当に平和になると考えているのならそれは大きな間違いだ。陛下は……陛下は悪などではないのだからな」
 そう言うとレイラは振り向いて、朝露のように儚くて少し悲しそうな顔を浮かべていた。俺はこんなレイラの表情を見たことがなかった。
「……すまん。お前にこんな話をしたところで意味はなかった。忘れてくれればいい」
「…………ああ」
 そうしてレイラは俺を置いて丘を立ち去っていく。
 その間、俺はずっと腕組みをしながら考え込んでいた。このイベントが起こった意味を。
「おい、隠れてないで出てこいよ」
「……我の気配に気づくとは、お主も中々やるではないか」
 石柱の間からリリスがひょっこりと顔を出していた。俺も確実な保証があったわけではないが、リリスがすぐそこにいるような気がしたのだ。もしかしたら、リリスと契約したことが影響しているのかもしれなかった。
「お前と俺は契約してるわけだからな。何か感じるものがあったんだろう」
「…………そうか。そうじゃろうな。確かにお主と我は魔力を共有しとる。じゃから、そうじゃろうな」
「お前に聞きたいことがある」
「……申してみよ」
「レイラはどんな経緯を踏んでお前の仲間になったんだ?」
 そう。俺の考えが正しければこれが一番重要な情報だ。そして攻略のための鍵となるに違いなかった。
「……それはお主にとて口外することは叶わぬ」
「な、なんでだよ」
 リリスは後ろで手を組み、まるで本物のお姫様のような憂いの残る表情で言ってきた。
 何を言ってやがる。これが分かればきっとレイラは攻略できる。リリスが何を考えているのか俺には分からなかった。
「我はいくら勇者に勝ちたいためとは言え、部下の過去を軽々しく話すような王ではないのじゃ」
「…………」
 リリスの言うことはもっともだ。仕方のないことだろう。部下の秘密も守れない王は信頼を勝ち得ない。多分、そうなのだろう。
「だったら、質問を変える。あの村は傭兵の集団によって襲われた。それは間違いないな」
「そうじゃな」
「では、あの村で何が起こったか、だ――傭兵の集団に襲われる前に」
「……ふむう」
「別にこれはレイラのことを聞いているわけじゃない。お前が知っている限りでいい、話してくれ」
「……仕方がないのう。あの村では焼き打ちの前に女の子供が殺されたそうじゃ」
「理由は?」
「それは話せぬ」
「……分かった」
 視線をリリスから外し、俺は考え込む。
 きっとパーツは既に揃ったはずなのだ。パーツとは戦うための武器のことだ。レイラ攻略に必要な武器はもう既に俺の手の中にあるはずだ。
 後はそれを繋げればいいだけ、真実はきっと見えてくる。
「……忠誠心、暗殺、可愛いもの好き、焼き討ちされた村か……方程式の解は出た」
「ホウテイシキ、とはなんじゃ?」
「リリス、一芝居打つ。そのくらいは協力してくれるよな」
「……あ、あい分かった」
 そうだ。俺の判断に間違いがなければきっとこれで正しいはずだ。
「ま、少しだけ命を懸けることになりそうだけどな」












 某は、自分のことが嫌いだ。そんな下らないことをいつも思う。
 某は騎士だ。剣を携え、何かを守るためにそれを振う。昔は何を守るべきなのか、それすらも分からなくてただ流浪の剣士として一人彷徨っていた。
 当てもなく、ふらふらと。
 だが、今の守るべき対象を見つけたはずの某は、何も守れはしないのかもしれない。いつもそう思う。そう、いつだって。
 使えるべき主も見つからずにいた某の元には名を上げるために沢山の魔族が勝負を挑んできた。腕の立つ奴も沢山いた。だが、それら全ては某の敵ではなかった。
 斬り捨てて。
 斬り捨てて。
 また、斬り捨てて。
 ずっとそんな日々が続くのではないかと錯覚してしまうほどだった。何かを守りたいと思って剣をとったはずなのに結局守れていたのは自分の体とちっぽけなプライドのみだった。
 ――何故、なのだ。
 そんなことを思っていた某の元にある出会いがあった。あれは雨の降っていた日。近くに村のあった森の中で某は一人の少女と出会った。金髪で琥珀色の瞳。ぼろぼろになってしまった服と傷の多い体。人間に興味はなかった。人間は元々弱い存在だ。すぐに寿命が来て死んでしまう。ちょっとしたことで命の灯は消え失せる。
 不完全な生きものだ。そんな感情しか抱いてはいなかった。だが、某はただ寄生したかった。この、某が手をかければすぐに消えてしまう少女に。何か守ることのできる対象が欲しかった。ただ、それだけだった。
 泣いている少女に某は声をかけようとした。怯えさせまいと背中の脚はしまう。一体どうしたというのか、某には全く分からなかった。
「……こんなところで、どうしたの?」
 優しい声色。
 体を屈め、視線を合わせる。
 こうすればこの子は心を開いてくれる。そう思ったのだ。
「……ひっぐ……お父さんとお母さん、いなくなっちゃったの……」
 両手で涙を拭いながら少女は言った。
 別に珍しいことではない。両親はきっと死んだのだろう。原因は色々な可能性がある。病気か、戦争か、寿命か。人間は弱い生き物だ。ちょっとしたことで消えてしまう。
「……あたし、どうしたらいいのか、分からない……」
 某は、弱いこの子を守ろうと思った。
 この子を守り、きちんと成長させてあげれば某はきっと本物の騎士になれる。確証はないが、そう思ったのだ。
「……お姉ちゃんが守ってあげるから、もう泣かないで」
 頬に触れながら、そう言った。
「……ほ、本当に……?」
「ああ、もう君を一人にはしないよ」
 そして少女をぎゅっと抱きしめる。雨の中、体温が下がらぬよう、風邪を引かないように。
 きっとこれは自己満足だ。だが、たとえそうでも一向に構わなかった。某はただ、今の自分の境遇を変えたかったのだ。それだけだった。
「……ありがとう……」

 その後某は、森の近くの村で用心棒をすることになった。だが、魔族だと言う素性が知れてはいけない。魔術は使わず、自らの剣術だけで村を守った。人間の世界は脅威が多い、戦争を仕掛けてくる国の兵士、堕落した傭兵、その他様々な脅威を某の剣が打ち払った。
 いい村だ。人間と接したことがなかった某でもそう思った。この村の人間全てが某の守る対象だと思うとやる気も自然と湧いてくる。
 村の人間たちは某に食べものと住処を与え、某は森で出会った少女と二人暮らしをしていた。
 平穏な日常だった。こんな日々がいつまでも続くのだと、そう思った。
「お姉ちゃん」
 某らのすみかの一室。机に座って本を読んでいた某に少女が話しかけてきた。少女の名前はアリスと言った。まばゆいばかりの陽射しが降り注ぐ部屋の中には某とアリスの姿しかない。
「何? アリス」
「お姉ちゃんは、騎士様なんでしょ?」
「そうだよ」
「じゃあ、その剣で誰かを殺しちゃうの?」
「……それは……」
 アリスに聞かれ、某は返答に困ってしまう。人間を斬ったことなどなかった。殺す必要もなかったからだ。襲ってくる連中は容易く気絶させられる程度の実力しかなくて殺す段階まで辿り着いたことはなかった。
「人を殺すのは、よくないと思うなあ」
「え?」
「だってお姉ちゃんは騎士様なんだから、誰かを守るのが仕事なんでしょ?」
「……そうよ」
「だったら殺しちゃだめだよ。アリス、そんなお姉ちゃんの姿、見たくないからさ」
「…………」
 何とアリスに言ってあげるのが正解なのだろうか。確かに某は騎士だ。誰かを、守りたかった。だから――
「分かった。私はもう、人を殺さないよ」
「ほんとっ!? よかったっ」
 そう言って喜ぶアリスは本当に嬉しそうで、私は今の言葉を反故にするわけにはいかなくなってしまった。
「じゃあ、指切り」
「え? 何それ?」
 アリスは私に向かって小指を差し出してきた。人間の風習にそれほど詳しくはなかった某はアリスのしたいことがよく分からなかった。
「指切りだよ。こうして指を絡めてね」
 そしてアリスは某の手をとって無理やり小指と小指を絡みつけた。
「こうやって上下に振って約束をするの。それを破っちゃったら針を千本も飲まなくちゃいけないんだよ?」
「……それはとっても辛そうだね」
「うん。だから、絶対に破っちゃいけないんだよ」
 そしてアリスは何か分からないまじないのような言葉を言って、手を上下に振った。
 その姿があまりにも可愛らしくて頬笑みを隠せない。この子を絶対に守るのだと、心に強く誓ったのだ。
 絶対にこの子をなくさない。微笑みながらそう思った。





 相変わらず、村を襲おうとする人間は絶えることはなかった。だが、結局は某の敵ではない。
「へっへっへっ、姉ちゃんよ。そこをどいてはくれねえか」
 ――下衆が。
 心の中でそう思う。
 剣を肩にかけるガラの悪そうな傭兵崩れ。安っぽそうな鎧と武装はかなり金銭に苦労しているのだと某に容易に想像させた。そんな少しだけ体の大きな男が五人。真横に伸びた悪党面らしい細めの視線を向け、ニヤニヤと笑っている。
 何が面白いと言うのだろうか、これから某に倒されるというのに。
「貴様ら、今なら怪我もせずに帰れるぞ? 某に倒される前にこの村から去るのだな」
「まあ、そう焦るなよ。あんたが腕の立つ騎士だって言うことくらい俺たちだって知ってるさ」
「だったら、なおのことだ」
 こいつらは何を考えている?
 某の腕を知った上で勝負を挑んでくるとは。複数でかかればどうにかなるとでも思ったのか?
 こいつらが何を考えているのか、某には分からなかった。
「お前たちが某に勝てる可能性など欠片もない」
「そんなことは分かってるさ――ほら、あの姉ちゃんに見せてやれ」
「貴様ら、何を――ッ!」
 思わず、全身に鳥肌が立った。
 鞘を握ろうとした手が瞬間止まる。
 男の胸に、刃物を突き付けられたアリスの姿があった。
 ――しまった。
 そう思った時には全てが遅かったのだ。アリスから眼を離したばかりにこんなことになってしまった。
「お姉ちゃんッ!」
「おっと騒ぐんじゃねえぞ。お前だって命が惜しいだろ?」
 刃物をちらつかせて男たちはアリスの叫びを制した。アリスはまだ子供だ。刃物をちらつかされては声も出なくなる。
 某は、どうすればいい――
「貴様らッ!」
 声を荒げる。
 男たちの笑い声に虫唾が走る。
「その反応を見ると、やっぱこいつはお前にとって大事な存在のようだな。だったら大人しくしてな。まずはその剣を捨てろ」
「…………くっ」
「……お姉ちゃん、助けて……」
 アリスの囁きが心をえぐる。
 あいつらを殺すことはできない。アリスと約束したのだ。だが、アリスを無傷で助け、なおかつ殺さずにあの男たちを倒すというのは容易なことではない。某が今使えるのはたった一本の剣だけだ。相手は五人。絶対に無理だ。
 どうすれば――
「おらっ! 早く剣を捨てやがれっ!」
 男たちの叫びが耳に届く。
 助けられる可能性は二つに一つ。
 男たちの生死を考えず、無理やりに斬りかかればきっと何とかなる。だが、それは出来ない。某はアリスとの約束を破るわけにはいかなかった。
 もう一つの可能性は、そう、魔術を使うことだ。そうすれば楽にアリスのことを助け出せる。簡単なことだ。だが、それでは某が魔族だと言うことを村の人たち、そしてアリスに知られてしまう。それは、それだけは嫌だった。アリスとの日々を失いたくはなかった。
 だが、某は何のために剣をとったのだ?
 大切な人を守るためではなかったのか――
「――貴様ら、アリスを人質に取ったこと、後悔させてやる」
 そして某は腰にさしていた剣を地面へと投げ捨てた。
「はっ、今更何を――なっ!」
「抱えている剣は捨てよう。だが、某が持つ剣はたったの一つではないッ!」
 言いながら、某は魔術を発動させる。
 魔術発動に伴って背中に生えてあるはずの足が姿を現す。
 剣が――剣が無数に某の近くに現れて宙を漂う。これが、某の使える魔術だった。
「お、お前、人間じゃ……」
 男の一人が怯えて後ずさりする。もう、何も関係なかった。
「だから何だと言うのだ。貴様らを許すはずがないだろう」
「ひっ、ひぃっ! 化け物っ!」
 某が剣を差し向ける前に、男たちはどこかへと逃げおおせてしまった。アリスはちょこんと地面に立ち尽くして、俯いていた。幸い、怪我はないようだった。
 男たちのことなど、もうどうでもよくなっていた。アリスを救い、助け出せることができれば某は満足だったのだ。
「アリスっ、大丈夫だった?」
「……うん、大丈夫だよ」
 某は、その時のアリスの表情を未だに忘れることができない。出会った時のような悲しみに暮れる顔でもない。何か、そう、哀しいことがあった時のような、そんな表情。
 某は、そんな顔をするアリスを見たことがなかった。
「どうしたの、アリス。そんな顔をして」
「……お姉ちゃん……人間じゃ、なかったんだね」
「――――ッ!」
 アリスの言葉を聞きながら、気づく。
 某は魔族だ。元々、人間と共存などできるはずもない。仕方のないことだ。今まで某のことを慕ってくれていたアリスでも、私に――恐れを抱くと言うのだろうか。
「……ごめんね、アリス。お姉ちゃんのこと――怖いって思うよね」
 肯定される。そう思った。
 それは仕方のないことだと思っても、悲しみの涙を抑えきれなかった。
 だが、アリスは、
「――そんなことないよっ! 私はお姉ちゃんが人間じゃなくたってお姉ちゃんのこと大好きだよっ!?」
「…………!」
 心を、打たれた。
 きっと無理だと思っていたのに。
 アリスはそれでも某のことを好きだと、そう言ってくれた。
 無言でアリスのことを抱きしめる。離さぬように、どこかへ行ってしまわぬように。
「お、お姉ちゃん、苦しいよ……」
 抱きしめながら、決意する。
 先ほど魔術を発動していた際に他の人間の気配を感じた。きっと村の人間だ。村の人間の人口はそれほど多くない。きっと某が魔族だという事実もすぐに広まる。
 ――いつまでも、アリスの傍にいるわけにはいかなかった。
 アリスのことを離して私は囁く。
「……アリス。お姉ちゃん、もうここにはいられないの」
「……え? どういうこと……?」
「お姉ちゃん、人間じゃないから、本当はここにいちゃいけない存在なの。だから――」
 そして某はアリスから踵を返す。いつまでも、アリスの傍にいてはいけない。同情してしまうから。
「さよなら、アリス。お姉ちゃんのことを好きになってくれて、嬉しかった……」
「そ、そんなっ! お姉ちゃんっ! 置いてかないでっ!!」
 走る。
 アリスに追いつかれぬように。
 いつまでも、魔族である某と一緒にいてはきっと不幸になる。人間は人間のいる世界で暮らすべきなのだ。
 アリスの鳴き声を振り払いながら、走る。
 不思議な事に、涙が溢れて止まらなかった。


















「こんなところに呼び出して、一体どういうつもりだ」
 村の外れにある崩壊した村。
 戦争の後のように瓦礫しかなくて。曇り空と相まって暗い雰囲気が漂っていた。燃え尽きた家の材料が黒く変色して、誰も立ち入る様子などないというのに。
「お前に、ちょっとした話があったんだ」
 こいつは、某の眼の前にいる男は確かリオと言った。陛下の傍にいつもいる人間。
 リオは焼跡の中にある雑草を眺めながらそう言ってきた。
 こんなことをしている場合ではない、陛下から勇者暗殺の命を請け負ったばかりなのだから。
「何を言っているっ。勇者を暗殺するのが某らの目的だろうがっ」
「そうだな……まあ、いいだろ。というか、お前がこの村を俺に見せたいって言ってきたんじゃないか」
「それは……そうだが……」
 確かに某がこの村の惨状を見せたいと言った。今更になって後悔する。某はこの村のあり様など見たくはなかったというのに。
「ちょっと考えてたんだ。何でお前が俺にこの村の姿を見せたがってたのかをな」
「…………」
 リオは立ち上がりながら、そう言った。
 そんな理由、某にもよく分からない。
 何故、この男にそんなことをしてしまったのか。
「この村は――魔物の住む村として焼き討ちにあったらしいな」
「――――っ!」
 何故、こいつは、そんなことまで知っている?
「お前、どこでその話を……」
「街の人から話を聞いたんだ。そして、その大きな原因となったのは一人の女の子だった」
「――黙れッ!」
 声を荒げる。
 こいつは、どこまで知っているというのだ。
 その決意に満ちた眼は何だ。
「お前、それ以上この村のことを言うなッ!」
「その女の子は魔物の娘として火あぶりになった。だが、それでも噂は絶えず、村を放棄するしか方法がなかった」
「どこまで知っているというのだっ」
「どこまで? ここまでさ、別にお前には関係のないことだろう?」
「…………っ」
 舌打ちを鳴らす。何もかもを見透かされているようで居心地が悪い。
 こいつは、こいつは一体どういうつもりなのだ。
「だが、お前のその反応を見ると、無関係でもなさそうだな」
「――某の過去に入ってくるなッ!!」
 剣を抜き、リオへ斬りかかる。
 黙れ。
 黙れ、黙れ。
 黙れ、黙れ、黙れッ!
 口を塞ごうとした。だが、某の剣はリオの胸の前でピタリと止まって。剣が震える。某は、某は、アリスとの約束を破るわけにはいかなかった――
「どうした?」
「…………」
「俺は正直言って殺されても仕方のないようなことを言ったと思っている」
「…………」
 黙れ。
「何故、殺さない」
「……黙れ。お前に何が分かるッ!」
 剣を振りかぶる。これでリオは真っ二つになるはずだ。だが、それでも某の剣はリオの髪を数本両断するくらいで。
 殺せなかった。
「おかしいと思ってたんだ」
「……何?」
「お前は自分から勇者を暗殺したいとリリスに申し出た。だが、殺せなかった」
「……それは」
「お前は、理由は分からないが、人を殺すことが出来ないんだ」
「――――ッ!」
 確信を突かれ、某は無言で剣を下ろす。
 こいつは、こいつは一体何だと言うのだ。
「そんなお前が、何でリリスに勇者暗殺を懇願したのか。それはきっと自分の過去を断ち切ろうとしたからだ。弱い自分が、嫌いだったからだ」
「…………っ」
「お前は、不安なんだ。人間も殺せない自分は本当にリリスのことを守れるのか。いつも、不安なんだ」
「それは――」
「お前は何でリリスがお前のことをお傍づきに命じなかったのか、考えたことはないか」
「何……?」
 それは、考えたこともなかった。
 某はただ、自分の力が不足していて、そして人間を、勇者を殺すことができないから、そんな理由しか思いつかなかった。
「確かにお前は勇者を殺すことは出来なくて、リリスのお傍づきには不足かもしれない。だが、本当はそんなの関係ない。これはリリスに直接聞いたわけじゃないが、きっとリリスはお前が自分の無力さを痛感して悲しまないようにと、お前の懇願を却下したんだ」
「…………」
 言い返せない。
 知れず、掌を握りしめる。
 そうだ、確かにそうだ。陛下は私が失望しないようにと、そう某のことを考えてそうしたのだ。リオの言葉を聞いてそう思う。
「だけど、お前は変わらなくちゃいけないっ!」
 リオが私の肩を掴んで叫んできた。本当に必死そうで私は声が出なかった。
「たとえ人を殺せなくたって、誰かを守ることができるんだからっ!」
「…………それは……」
 そうなのだろうか。
 本当にそうなのか?
 某は、某は、陛下のことを守れるのか?
 アリスのことも、守れなかったのに――
「…………無理だ……」
「…………」
「今のままの某では、某剣では、きっと何も守れはしないのだ……」
「――そんなことないッ!」
 リオの肩を掴む力が強くなる。
 弱い、弱い、人間の力だ。
 だが、何故振り払えないのだ。何故、こいつの言うことを否定できないのだ。
「お前は、お前の剣は、きっと誰かを守れるっ!」
「……お前に、何が分かる。剣を握ったこともない、人間のお前にっ」
「そんなの知らねえよっ! でも、そこまで言うのなら今ここで選べっ、俺の言葉を聞いて変わるのか。それとも俺を斬って過去の自分と決別するのか」
「なっ……」
 いきなり、何を言うのだ、こいつは……。
 殺せ、だと? そんなことできるわけが……。
「俺はお前の過去へ無遠慮に踏み込んだ。お前に殺されたって俺は文句はないっ。だが、お前がもし、弱い自分を認めそれを受け止めるのなら、俺がお前を支えてやるっ」
「…………! ……無理だ。無理に決まってる。そんなのは詭弁だ。きっと某は――」
 アリスのことも守ってやれなかった。
 某がもし人を斬ることができたら、もしかしたらアリスのことを救い出せたのかもしれないのだ。アリスは魔族の娘などという汚名を被ることもなく、某と一緒に、ずっと――
「ずっと一緒に、楽しく過ごせたのかもしれないのだ。後悔しかない。でも、それでもあの子との約束は破れない。某には、どちらも選べない……」
 俯きながら、答える。
 リオの力は某の言葉を聞くとふっと弱まった。元々弱かったのに、完全に消えてしまった。名残惜しかった。何故、手を離してしまうのだ。
「そうか……分かったよ……」
 そしてリオは踵を返す。崖の麓を添うようにして歩き出す。
「な、どうしたというのだ……」
「……お前はやっぱり力不足だ。リリスに暗殺は失敗したと言っておく」
「なっ、そんな、そんなことはないっ!」
 リオの背中に向かって叫ぶ。
 できる――某は弱くはない。
「無理だ。お前は自分の力を信じていない。人を殺せなくちゃ、誰かを守れないと思い込んでいる。そんなままじゃ、勇者は倒せない」
「そ、そんな………そんなことは……」
 否定できない。
 言い返せない。
 何故なのだ。
 何故お前は何もかもを知っているような素振りで、某に……。
 立ち去ろうとするリオの背中に何を言えばいいのか、分からない。
 ――その時だった。
「――なっ! うわあああっ!」
 崖から突如、大きな岩が落ちてくる。落盤か何かか。激しい音が轟いて、岩はとてもリオに避けきれるような大きさではなかった。
 ――誰かを守るのが騎士ではないのか?
 無意識の内に魔術を発動させていた。
 もう――誰も某の前で殺させるわけにはいかなかった。
「――はあっ!」
 無数の剣が落ちてくる岩を砕いて、それは弾けた。
 某は地面に大の字になっていたリオに駆け寄った。ピクリとも動かない。もしかして、もしかして、そんなことはないはずだ。
「リオっ! 大丈夫かっ!?」
 少しだけ、リオの体が動く。
 よかった。
 安堵感が胸の中に広がって、それは心の中を支配する。某は、リオのことを――
「……なんだよ、やればできるじゃねえか」
「…………!」
 立ち上がりながら、リオはそう言った。
 そして気づく。
 某は今、リオのことを、守ったのか。
「お前は、誰かのことを守れるんだ。今みたいに、たとえ人を殺せなくたって。だから、不安になるな――俺が、お前のことをずっと支えるから」
 体を引きよせられて、リオの顔がすぐ近くにあった。リオの眼は静かに閉じられて、さらに近づく。
 ――唇を、奪われる。
 リオの唇は少しだけ甘くて、全身の力が抜けていく。ぼうっと頭の中が熱くなる。リオの体の中にある魔力が流れ込んでくるような感覚が襲ってくる。
 ――幸せだった。
 今まで生きてきた中でこれほどな幸福感を感じたことはなかった。
 リオの唇が静かに離れて、今までは何とも思っていなかったその顔に見惚れてしまう。
「……自信、持てた?」
「…………!」
 リオの言葉に顔が真っ赤になる。
 何なのだこいつは。
 某のこと何でも知っているようで、そして少しだけムキになってしまった。
「……くっ」
「ん?」
「……この、不埒物がっ!」
「うおっ!」
 剣を振り回す。リオの体が離れていってしまう名残惜しさなど今はどうでもよかった。ただ、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。
「か、勘違いするなよっ。今のは、その、陛下のお傍にいることを許したという意味で、その……」
 呂律が上手く回らない。
 こいつの前にいると上手く話せない。
「分かったって、それは許してくれたんだろ?」
「……その得意げな顔が気に入らないのだっ!」
 持っていた剣をリオに当たらぬように投げつけて、走り出す。
 リオの前にいるのは辛すぎたのだ。









「ひ、ひええ……」
 俺はレイラが投げつけてきた剣を何とかかわし、レイラの走り去る姿を眺めながら呟いた。
 ほ、本当に今のは死ぬかと思った。攻略が完了して少し安心していたせいもあるだろうが。
 てか、結構危なかった。この数分で死線を三四回掻い潜ったぞ。いや、本当に漏らしちゃいそうだったわ。あそこでレイラに殺されても文句言えなかったもんな。
 ともあれ、これでレイラの攻略は完了したわけだ。あれ? そう言えばキスは魔族にとって契約の証しとかってリリスは言ってなかっただろうか。ということはレイラの力が俺にも……。
「……全く、お主には驚かされてばかりじゃ」
 物陰に隠れていたリリスが顔を出す。本当に呆れているようだった。
「岩を俺のタイミングで落とせ、と言われた時には死ぬ気かとも思ったが、本当に上手くいくとはのう……」
 リリスの言葉を聞きながら、俺はレイラに言った言葉を思い出す。我ながらあんな歯がゆい台詞をよく言えたものだと思う。
「まあな、言ったろ。俺に任せとけって」
「……正直なところ、我はお主のことを侮っておった。まさか、本当にレイラを籠絡してしまうとはのう……」
「キスだけでいいんだろ? てかさ……」
 俺が言っている中でリリスは背中を向けてしまう。何だ、何か不味いことでもしたのだろうか。
「よかったの、レイラとキスが出来て」
「な、何だよ、お前がやれって言ったんじゃねえかよ」
「……それはそうじゃが……」
「ったく、意味分かんないぜ」
「…………」
 リリスは掌を握りしめていた。俺にはリリスが何を思っているのか、よく分からなかった。
「……これで、お主とレイラは契約を交わした。じゃが、我とレイラの契約はちと形式が違う」
「形式?」
「お主と我の契約は魔力の共有。対してレイラとお主の契約は技能の共有、というわけじゃ」
 なるほどな、とリリスの言葉を聞きながら思う。つまりはレイラと契約したことによって俺はレイラの魔術が使えるようになったと、そう言うことか。
「レイラの魔術は今のように無数の剣を空間に出現させ、それを操るというものじゃ。お主も多分、使えるはずじゃ」
「へえ、そうなのか」
 そうして、リリスはどこかへと歩き出してしまう。俺はリリスを追うしかなかった。
「おっ、おい待てよっ!」
「…………」
 無言のまま、リリスはどこまで歩いて行く。何が不満なのか俺にはさっぱり分からなかった。
 そして俺はリリスが囁いた言葉も聞きとることができなかったのだ。
「…………バカ者が……」








 三章

 結局あの後、つまりレイラを攻略した後だ。リリスは勇者暗殺の命をレイラから取り下げた。
 もしかしたらリリスはレイラにこういう感情、自分自身に自信を持ってほしくて勇者暗殺を命じたのかもしれなかった。まあ、確証はないんだけど。でも、きっとそうだろう。ということは俺はリリスの期待に応えることができたということかもしれない。
 なのに、何故かリリスの機嫌は直らない。俺と一緒にいてもいつも不機嫌そうな顔をしていてどうしたら機嫌を直してくれるのか俺には分からなかった。
 何だよ、俺はやれって言われたことをやっただけのなのに。
 それに――なんなのだ、この状況は。
「……あのー、何でこんなところにいるんでしょうか?」
 リリスの部屋でいつものように作戦会議を開こうとしていた。だが、開けない大きな理由があったのだ。
「何を言っている。某はただ、お前を守るためにここにいるだけだ」
「いや、別にそんなのいらないんだけど……」
「…………」
 リリスの部屋にはリリスと俺の他にもう一人の姿があった。
 レイラだ。
 レイラは何故か俺の傍で正座をして眼を閉じていた。とても集中しているようで近づき難い。
「俺のことなんか守っても得なんか……」
「別に、お前のことだけを守っているわけではない。お前を守っていれば陛下のことも守れるし、一石二鳥と言うわけだ」
 ニヤリと眼を閉じながらレイラは笑っていた。いや、そんなこと言われても、邪魔なんだけどな。
 レイラがいると攻略のための話が出来なかった。だってそうだ。攻略対象は三本刀なわけでその一人のレイラに事実が知られてしまったら。
 てか、その利害以前にそのことを知られてしまったらなんか俺、死にそうな気がする。気のせいかもしれないけど。多分気のせいだと思いたい。
「……ええいっ! レイラっ、別にこやつのことを守護することに関しては何も言わんが、我の部屋にまで入ってくるでないっ!」
「え、ええ……」
 いや、俺のことを守護することも止めさせてほしいんだけど。それはできないのか?
「陛下、しかしながら……」
「リオにも一人になりたい時はあるであろうがっ、我の命令じゃぞっ!?」
「……はあ、陛下の命とあらば致し方ありませぬ」
 ため息をつきながらレイラは部屋を出て行った。本当に残念そうなんだけど、何故そこまで……まあ、俺があんなこと言ったからだろうな。それに……いやいや、なんか思い出しただけでも恥ずかしいな。できれば忘れたい。
 だが、これで少しは気が楽になった。あいつ、どこまでもついてこようとするからな、風呂とかトイレとか。何とかかわしてたけどこれからもそうできる自信はないな。
「……随分と嬉しそうじゃの。レイラに付き纏われて」
「な、なんだよ……」
 リリスが皮肉たっぷりにそんなことを言ってきた。それにまたなんかイライラしてるみたいだし、困ってるのは俺だっつうの。
「別に嬉しくなんかないけど……」
「顔に出とるわ」
「え?」
 リリスに言われて自分の顔に触れてみた。ああ、確かに頬が緩んでるような感じがしなくもない。俺嬉しがってたのか? そんなつもりはなかったけど。
 でもまあ、あんな美人に付き纏われたら嬉しいのか? うーん、なんとも言えない。
「だからよ、いい加減機嫌直せって。お前がやれって言ったんじゃねえか」
「別に我は怒ってなどおらぬ」
「ああそう……」
 そんなことないと思うのだが、とりあえず、こいつが機嫌を直してくれないとこれからの攻略が一向に進まない。まあ、攻略すべきはロアちゃんただ一人なんだけど。ベリアルを攻略することだけはなんとか避けたい。いや、避けなくちゃいけない。
 まあ、そうする糸口はまだ見つかっていないわけだけど。何とかこいつの機嫌を直す方法、何かないだろうか……。
「……なあ、リリス」
「なんじゃ」
「お前、俺とどこか遊びにいかないか?」
「遊びに? どういうことじゃ」
「だからその、つまりは……一種のデートみたいなもんかな」
「で、デートじゃとっ!?」
 リリスは存外驚いていた。
 というか、こいつ魔王のくせにデートとか知ってたのか。ちょっと意外だ。
「そ、そんなに驚くなっ。なんか恥ずかしいから」
「……じゃ、じゃが、デートなどと」
「別にいいだろ。お前とはいつも一緒にいるわけだし、それがただ遊びに行くっていう目的に変わるだけだ」
「じゃが、我などでよいのか? いつも付き纏われておるレイラとでも行けばよいではないか」
 リリスは何故かムキになってそんなことを言ってきた。だからそれじゃあ意味がないんだよ。お前の機嫌を直さなきゃ事が先に進まないんだし。
 俺はリリスの手を取った。
「お前じゃなきゃ、ダメなんだよ」
「なっ、そ……そこまで言うのなら仕方がないのう」
 リリスは何故か顔を赤らめてそう言った。よし、これも俺が元いた世界に帰るためだ。
 そう思い、俺はリリスの小さくて暖かい手を引っ張る。
「よし、じゃあ行くぞ」
「ど、どこへ行くというのじゃ」
「そうだな、あの城下街とかどうだ?」
「そんなところに行って何か楽しめるのか?」
「何事も行動だって、大して楽しくないって思っててもやってみたら面白いってこと一杯あるだろ?」
「そ、それは……そうじゃが……」
「ウダウダ言ってんなよ。行くぞ」
 俺はもう魔力の使い方が少しだけ上手くなっていてワープホールを出現させることもできるようになっていた。これって俺が元の世界に帰ったとしても使えるのか? だとしたら便利だな。
 そんなことを思いながらリリスの手を引いた。俺は今までこんな風に女の子の手を引いたことがあっただろうか、そう何となく考えた。
 彼女はいたことはあったけど、それはただ告白されたから付き合ったというだけで、受け身の恋愛だった。結局は振られたわけだが。
 今俺は、一体何を考え行動しているのだろうか。
 よく分からなかった。






「ほれ、やはりこのようなところに来ても何も楽しくないではないか」
「まあそんなに焦んなよ」
 俺とリリスは先ほど言われたとおり、城下街へと赴いていた。ここはあれだ、以前に勇者を偵察に行ったところだ。
 賑やかさも申し分ないし遊ぶ分には大丈夫だと思ったんだけど、だがしかし俺はこの世界の住人ではないのだ。
 雰囲気的には中世か近世のヨーロッパだろうか、何となく悪くない感じだけど何をすれば楽しいのか分からなかった。そもそもリリスが何をすれば楽しめるのか分からない。分からないことだらけだ。
 露店のある大通りを巡っていたが、そう言えば俺は金を持っていない。元いた世界で使っていた野口は数枚持っているがそんなものここでは使えないだろう。
「はあ……どうすっかな」
 ため息をつきながらトボトボと歩く。大見え切ってしまった以上、何かこいつを楽しませなきゃいけないわけなんだけどなあ……。
「おっ、偶然だな」
「ん? あ、アルス」
 人ごみの中で俺に声をかけてきたのはアルスだった。どうやらリナちゃんとメアリちゃんは一緒ではないようだ。
「どうしたんだ、こんなところで」
「いや、まあな……」
 そうだ、と俺は呟きながら思いついた。
 こいつに街の回り方とか聞けばいいんじゃないだろうか。あんまりデートとかそういうの詳しくなさそうだけどこの際四の五の言っている場合ではないだろう。
「実はさ、こいつと街を回ってたんだけど、どうすれば楽しめるかなって」
「ああ、そっか。リオはこの街に来て間もないんだっけか。二人で逢引きするのも大変か」
「あ、逢引きなどではないっ!」
 リリスが勇者の言葉を否定するように叫んだ。俺もちょっとそんな表現を使われると恥ずかしいんだけど。
「い、いや、こいつ、ちょっと照れちゃってて」
「わ、我は照れてなどおらぬわっ!」
「はは、相変わらず、仲がいいね。……そうだな、この街でデートとなるとやっぱり露店を回るとか……あ、街の外れに湖があるからそこに行けばいいんじゃないか?」
「おっ、それ本当か?」
 湖か、こいつが楽しめるかは分からないが中々いいんじゃないだろうか。とりあえずその前に露店を回りたいんだが、如何せん先立つものがないとな。
「ああ、でも、俺今お金切らしててさ」
「なんだ、そうだったのか」
 俺の言葉を聞くと勇者は懐から何かが入った袋を取り出して、それを俺に手渡した。
「ほら、これを使いなよ」
「え? これって……」
 受け取った袋を上下に揺らして中身を確認する。金属の擦れ合うようなジャラジャラとした音が聞こえる。多分、お金が入っているのだろう。だが、いいのだろうか。
「こんな、いいのか?」
「いいんだって」
 そして勇者は静かに俺の肩へと手を置いて、こう言った。
「――俺たち、親友だろ?」
 勇者の顔はキラキラと輝いていて、俺は思わず見とれてしまった。
「……惚れちゃいそうだぜ、アルス」
「はっ、バカ言うなよ。親友なら、当然だろ?」
「アルス……」
 そうしてアルスは踵を返した。その動作すら今は格好よく見える。
「じゃあな、上手くやるんだぞ」
 アルスはそして、去っていく。
 流石は一級フラグ建築士だ。俺の友情まで奪ってしまうとは……。
「やはりお主、そんな趣味が……」
「違うっつうのっ!」
 リリスの言葉を叫んで否定する。だが、言われなければ心を奪われてたかもしれないな、危ない危ない。
 と、勇者に視線をもう一度向けてみると勇者は誰か女の人に声を掛けられていた。あれは確か、以前に勇者が助けた女の人だ。恐らくお礼か何かだろう。デヘデヘと後頭部を勇者はかいていた。
 そして、お礼なのだろうか勇者は女の人にキスされていた。まあ、頬にされていたというだけでも救いはあるか。その後、勇者は背後に立っていたリナちゃんに頭を殴られ気絶させられている内にどこかへと引きづられていった。
「あいつも大変だな……」
「難儀じゃのう……」
 俺とリリスはそれぞれ勇者の行動に感想を呟いた。と、こんなことをしている場合じゃない。こいつを楽しませないことにはここに来た意味がないのだ。
「じゃあ行こうぜ、アルスからお金ももらったことだし」
「そ、それはよいが、別に我は欲しいものなどないぞ」
「あ、そうか……」
 そう言えば俺もリリスが何を欲しがっているのか分からない。
 どうしようか……そう思っていた時、俺は勇者の行動を思いだしていた。あいつは確かメアリちゃんとリナちゃんに何をしていただろうか。
「……じゃあ、何か飾りものでも買ってやるよ」
 強引にリリスの手を引っ張る。あいつと同じことをやっても喜んでくれるかは分からない。何故なら俺はあいつのように天才じゃないからだ。
「おっ、おい、お主っ」
 リリスの言葉を無視してこの前に見たアクセサリー屋を探す。あれはどこだっただろうか……。
「あ、あったあった」
 見つけ出した。
 リリスのことを引っ張って連れてくる。
「ほら、何が欲しい?」
「そ、そのようなことを言われてもな……」
「何だよ、しょうがねえな……」
 俺は仕方なくリリスに似合いそうな飾りを探す。何が似合うだろうか、やっぱりネックレスとかが妥当だろうか。
 選び出したのは小さなネックレスだ。銀で出来た輪の先にリングが付いている。そこまで値段は高くないが、俺個人の感想としては綺麗だと思った。
「ほら」
 抵抗するリリスに俺は無理やりネックレスをかけた。
「い、いいと言っておるではないか……」
「まあ、そう言うなって、似合ってるぞ」
「そ、そうか……」
 リリスは顔を赤らめて俯いていた。何だ言う割には喜んでもらえたみたいだな。
 俺はアクセサリー屋の店主に金を手渡すとリリスの手をまた引いた。リリスは何も言ってこないからちょっとは楽しんでくれているのだろうか。そう思いたかった。
「――ひゅー、可愛いねえ」
 背後から誰かの太い声がしてリリスと俺は振り返る。三人か。体格の良くてガラの悪そうな男。適当な鎧を装着し、腰には剣を抱えている。何だ、ごろつきか何かか。
「そんな男といないで俺らと来ない?」
 どうやらこいつらリリスが目当てらしいな。確かにリリスは見た目は美少女だし、ナンパするには申し分ないだろうが、哀しいかなリリスは魔王なのだ。
 俺は人知れずこいつらの冥福を祈っていた。
 男たちの一人、金髪をオールバックにして頬に十字の傷を持つ男がリリスに近づいてきた。
 リリスの手が俺からふっと離れる。どうやらこいつリリスの逆鱗に触れちまったみたいだな、可哀想に。
「ねえ、どう?」
「……お主ら、我を一体何者だと心得て――」
「――まあ待て」
 男たちを軽くいなそうとしたリリスを制する。
「ここは俺に任せとけよ」
「はあ? お主、一体何を」
 リリスの質問には答えず、俺はリリスと男たちの前に立った。
 本心を言おう。俺はちょっといいかっこをしたかったのだ。一応これはデートと言う名目なわけだし、男が連れている女を守るのは当然だ。
 それに勝算もあった。リリスは確か俺がレイラの魔術を使えるようになっていると言っていた。ふっ、眼に物見せてやるわ。
「はあ……好きにするがよい」
「おいお前ら、怪我したくなかったら早く消えやがれっ」
「ああ? 何だてめえ、やんのか? そんなヒョロい体で」
「俺を甘く見るなよ――」
 と言って、魔術を発動しようとするが……どうやって発動するんだ? そこまでは聞いてなかった。えっと落ちつけ。こういう異能は心の中で念じれば出来るはずだ。確証はないけどきっとそうだ。
 ――魔術、発動。
 お、何か体の中から力が湧いて来たぞ。いける、これはいけるぞ。
「うおおおおっ!」
 俺の声に男たちが一歩後ろに下がる。ふっ、俺を舐め腐ってくれたこと後悔させてやるぜ――
「…………あれ?」
 ちょっと予想と違っていた。
 確かレイラは何本もの頑丈そうな剣を出現させていたが、俺の眼の前に現れたのは一本の錆び付いた剣だった。それだけだった。
 俺はあっけにとられながらも剣をとった。
 いや、まだ分からない。きっとこの剣は凄まじい力を秘めているはずだ。例えば、振るうだけで突風を巻き起こす、とか? 大丈夫だ、問題はないはずだ。
「な、なんだ。てめえ魔法使いだったのか。変わった魔法だが、そんなボロい剣で本当にやるつもりか?」
「ふんっ、甘く見るなよ。この剣にな、特殊な力が隠されてるんだよ」
 確証はないけど。
 いや、大丈夫だ。きっとやれる。
 手が震えてまともに剣を持つことができなかった。くそっ、いいかっこしようとしたのは間違いだったか?
「何言ってやがる。死ねやあっ!」
 金髪の男が持っていた剣を振りかぶる。何とか俺はその一撃を剣で受けようとした。
 だが、無情にも俺の錆び付いた剣は男の一撃で粉々になってしまった。
「な、なにいっ!?」
「はっ、そんな剣で何をするつもりだったんだ? てめえ」
「い、いや、これは何かの間違いで……」
「黙ってろっ!」
「ぐっ!」
 男の蹴りが俺の鳩尾に埋まって激しい痛みが襲ってくる。俺はその勢いで傍にあった木箱の山へと突っ込んだ。山は崩れ、俺は重たい箱の中で溺れる。
 一瞬息ができなかった。こいつらやっぱり見た目通り普通に強い。てか、何で魔術が上手く発動しなかったんだ?
 そんなことを思っている俺の視界からリリスの姿が忽然と消えていた。
「はっ、あんまり俺らに盾付くんじゃねえよ、雑魚が……ん?」
 ようやく男たちも異変に気が付いたようで辺りを見渡していた。だが、リリスは一体どこにいるというのか。
「おい、あの子はどこにいった? ちっ、こいつに構ってる間に逃げられたか」
「――うつけが」
 風が靡くような音がして金髪の男の仲間が一人、地に伏せた。どうやら気絶しているらしい。リリスはそのすぐ傍にいた。どうやらかなり頭に来ているらしい。男たちを殺さんばかりの剣幕だ。俺はこんなリリスを見たことがなかった。
「なっ、なんだてめえ、一体何を……」
「お主ら、リオのことを傷つけておいてただで帰れるとは思っていまいな」
 リリスは、これも魔術なのだろうか、どこからともなく紫に発光する剣を取り出して男たちに突きつけた。
「この剣に肌が触れた人間は毒が回ったように全身に痛みが走り、苦しみながら死に至る。光よりも速くそれは回る。苦しみながら死ぬがいい」
「な、なんだよそれ、そんな魔法見たこともねえぞっ。に、逃げろっ!」
 男たちはリリスの異様な雰囲気を察知すると一目散に逃げていった。それはそうだ。俺だってリリスにあんな顔で睨まれては逃げ出したくもなる。
 ――やべえ!
 リリスは男たちが逃げ出すことを許すつもりはないようだった。痛む身体をなんとか起こし、俺はリリスを止めに走る。リリスが誰かを殺すところなんて見たくはなかった。
「待てっ!」
「もういいっ、よせっ!」
 リリスの体を強引に抑え込む。
「離せっ! 離さぬかっ、リオっ」
「もういいって言ってるだろっ!? 俺が調子に乗ったのが悪かったんだ。俺は大丈夫だから……」
「くっ……」
 リリスの体から力が抜ける。どうやら諦めてくれたようだ。本当に、よかった。
 どうやら今日は帰るしかなさそうだな。
 湖に行くのはまた今度になりそうだった。












「へえ、そうなんだ」
「ああ、リオのやつも結構やり手だよな」
 歓談の中にジョッキを叩く音と葡萄酒の香りが混じる酒場。勇者アルスとその仲間たちはそこで休息をとっていた。
「やっぱり、あのお二人はラブラブなんですね」
 勇者一行は次のダンジョンに向かうため、明日の早朝にはこの街を出る予定だった。ダンジョンに向かい、そして、いずれは諸悪の根源たる魔王を打倒する。それが勇者たちの目的だった。
「ラブラブねえ……いいなー」
「どうしたんだよリナ、そんな急に」
「……だから、あんたは黙ってなさいよっ!」
「ぐあっ!」
 勇者に同行する魔法使いリナがアルスの顔面をジョッキで殴りつける。勇者アルスは椅子をひっくり返して床へと伏す。
 見慣れた光景だったので勇者の妹メアリは何も言ってはこなかった。
「……いってえな、何なんだよ」
「あんたが悪いのよ、バカっ」
「ええっ? なんでだよ……」
「はあ……きっと今頃あのお二人は……きゃっ」
 メアリは一人興奮していた。かなりの妄想癖の持ち主らしい。
 いつも通りの平和な光景。
 だが、そんな光景が突如崩されることとなる。
「――あんたが、勇者様か?」
 勇者たちに声をかけてきたのは強靭な筋肉を持つ、傭兵のような男。上半身に手ごろな鎧を装着し、金髪はオールバックにしている。頬にある十字の傷は落ちぶれながらも百戦錬磨を潜り抜けてきたのだと言うことを勇者たちに思わせた。
 勇者は男を警戒しながら話を続ける。
「……そうですが」
「座っても、構わねえだろ?」
「…………」
 勇者たちは顔を見合わせ、どうすべきかを示唆する。ここは大衆の憩いの場である酒場だ。特別怪しそうな者でない限りは席を一緒にするのを拒否するのは無粋な真似である。
 一抹の不安を抱えながらもアルスは男の同席を許可する他、方法がなかった。
「……構いませんが」
「ありがとうよ」
 男はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべながら椅子を引いた。この男が何者なのか、勇者アルスは慎重に対応する必要があった。
「あんたら、魔王を倒すために旅をしてるんだろ?」
「……そうですが、それが何か?」
「これから、どこに行くんだ?」
「次のダンジョンを攻略するために明日の明朝にはこの街を出るつもりです」
「へえ、そうなのか。だが、その必要はねえよ」
「……どういうことですか?」
 男は葡萄酒を女給に頼みながらそんな訳の分からないことを言ってきた。アルスはさらに警戒を強めながら男の言葉を聞き出す。
「あんたは魔王を倒すために旅をしてるんだろ? だったら、ここであんたらの旅は終わりだ」
「……一体何を……」
「俺の言葉を信じるか信じないかはあんたら次第だが、俺は勇者様に協力したいんだよ――どうだ。俺の話を聞いてはみないかい?」
 男はそして、勇者に真実を語りだす。
 悪だくみをする者の顔とは得てしてこういうものだろう。











「なあ、どうしたんだよ」
 俺は街へリリスとデートのようなものを行った後、リリスの部屋へ戻ってきていた。
 俺が悪いのだろうか、それはよく分からなかったが帰ってくるなりリリスはベッドの中に潜り込んで一向に出てこようとはしなかった。また機嫌を損ねてしまったのかと俺は心の中でため息をつく。
 なんだよ、こいつの機嫌を直そうとしたってのに逆効果になっちまたのか?
 そんなことを思っている中、ベッドの中で身を丸めていたリリスがようやく口を開いた。
「……何故、あそこで我を止めたのじゃ」
 そんなことかと俺はため息を一つ吐く。
「だからあれは俺が悪かったんだって」
「じゃが、あやつらはお主のことを傷つけたのじゃぞ」
「それはそうかもしれないけどさ……」
 こんなことを魔王であるリリスに言ってもいいものかと正直迷う。誰かを殺すところなんて見たくなかったと、そんなものはきっと甘えなのかもしれないけど、それでも俺はリリスがそんなことをしている様を見たくはなかったのだ。
 意を決してその意をリリスに向かって言う。
「……お前が誰かを殺すところなんて見たくなかったんだよ」
「我は魔王じゃ、殺生など、数えきれないほどしてきた」
「それはそうかもしれないけど……」
「……お主はあの時、何故我の前に立ったのじゃ?」
「え?」
 言われて、思い出す。
 そうだ、俺はあの時リリスのことを庇おうとした。その理由。そんなものは特別なものではない。ただ、いいかっこがしたかっただけだ。新しく力を手に入れたと知って、それを試したかっただけだった。
「お主は……我を、守ろうとしてくれたのか?」
「…………」
 リリスの質問に口を閉ざす。
 そんな綺麗な理由じゃない。
 ただ、俺は自分の力を試したくて……だって、リリスは魔王なのだ。そもそも俺の助けなんていらない。俺の力がなくたってリリスはあいつらのことを一蹴できたはずだ。でも俺は、それを正直に言ってもいいものか迷っていた。
 嘘をつくんだ。そうしたほうが、こいつは早く機嫌を直してくれる。きっとそうに違いないのだ。
「……そうだ。俺はお前のことを守ろうとした」
「……そうか……」
 これで、機嫌を直してくれるのか?
 そう思ったが、俺の当ては大きく外れた。リリスはさらにベッドの最深部まで潜り込んだ。まるで自分の殻に籠るかのように。
「……出ていくのじゃ」
「え?」
「今我は、一人になりたい」
「…………」
 正直言って驚いた。今まで俺はリリスにこんなことを言われたことがなかったからだ。俺はそんなリリスの雰囲気に呑まれて、従うしかなかった。
「……分かったよ」
 名残惜しそうに踵を返す。一体何だと言うのだ。何が不満だと言うのだ。俺はリリスに言われたとおりレイラを落として、さらにこの上何を望むと言うのだ。
 訳の分からないままリリスの部屋を出て廊下へと顔を出す。その間、リリスから何の言葉もなかったことが少し寂しかった。
「はあ……一体何だってんだよ」
「どうしたのだ?」
「げっ」
 思わずそんな声を上げてしまう。扉を閉めた俺のすぐ傍にレイラの姿があった。そういえば、リリスの部屋は俺の唯一の安全地帯だった。すっかりそれを忘れてしまっていた。
「げっ、とはなんだ、げっ、とは」
「い、いや、悪い悪い。ははは……」
 笑って適当にごまかす。
 自然に踵を返して廊下を歩き出す。そんな俺の後ろに甲冑の揺れる音が聞こえてくる。どうやらまた付き纏われるらしい。疲れるなあ。
「……なあ、本当にいいって、俺なんかを守ったってさ」
「そんなことを言わないでくれ。リオは、リオは、某のことを支えると言ってくれたではないか……」
 顔を赤らめながらレイラはそんなことを言ってきた。いや、そうなんだけど、これじゃあ俺のことを支えてるみたいじゃ……。
「……う、うんまあ、そうなんだけど……」
「何か、悩みでもあるのか?」
「…………」
 言ってしまおうかと俺は正直迷った。だが、レイラか。なんか言っても意味なさそうだよな。そういう微妙な気持ちとかって分かんなそうだし。なんとかこいつを捲けないものか。
「いやうんまあ……おっ」
 そんな俺の視界に小さな黒い物体が映った。あれは……ロアか。あ、丁度いいな。
 俺は廊下をかけてロアの体を抱きかかえた。
「り、リオ、何を……」
「ロアちゃん、レイラとちょっと遊んでてね」
「…………」
 ロアは無理やりだったにも関わらず、無言で頷いて了承してくれた。いや、やはりいい子だ。
 ロアを床におろしてレイラに特攻をかけさせる。特攻とは言ってもレイラに抱きつくと言うだけだが。
「はあ〜、やっぱりロアは可愛いね」
 効果は抜群だ。
 レイラは床にしゃがみ込んでロアの頬に自分の頬を擦りつけていた。よしよし、これでレイラのライフはなくなったな。戦闘続行不可能になったレイラを置いてさらに廊下の先へと進む。
 ちょっと一人で考えてみたかった。何でリリスがあそこまで機嫌を悪くしているのかを。一体どうすれば、何が原因なのか。
「あ、リオさんっ」
「げっ」
 廊下の先で俺に声をかけてきたのはベリアル……さんだった。いかんいかん。別にベリアルさんは悪いことをしていないというのにそんな声を上げてしまった。
 ふさふさの尻尾を揺らしながらベリアルは俺に駆け寄ってきた。未だに信じられない。こんなに可愛い子が男だなんて。
「ん? げって何ですか?」
「い、いや、何でもない」
「そうですか」
 そう言ってベリアルは天使のように微笑んだ。
 男だけど。
「あの、よろしかったら先日言ってたようにご一緒しませんか?」
「え?」
 言われて思い出した。ああ、確か一緒に酒を呑む約束をしていたような……でもなあ、野郎と酒を呑むのって少しだるいような気もしなくない。
「ああ、うんまあ……」
 俺が言葉を濁すとベリアルは瞼に涙を浮かべ、本当に残念そうな顔をした。なんだこれは、俺この子のこと泣かせたの?
 男だけど。
 いや、そんなことをしたら男の名が廃るってもんだろ。
 男だけど。
「そうですか……分かりました……仕方ないですよね」
「い、いやいや、全然オーケーだよ」
 そうだな、まあ男友達と飲むと考えればいいだけだ。そうだ、そうに違いない。
「そうですよね」
「え?」
 あれ? なんか急に涙が消えた様な……まさかの嘘泣き?
 そう言えば、と俺はリリスの言葉を思い出す。狼は人を化かすとリリスは言っていた。まさにこれがそのことか……ベリアル……恐ろしい子!
「じゃあ、行きましょう」
「あ、ああ……」
 ベリアルに手を引かれ、俺はどこかの部屋へと案内される。こうしてみると小さな手も髪の毛の香りもみんな女の子にしか見えないよなあ。
 男だけど。






「お酒、結構強いんですね」
「まあね」
 俺は先ほどベリアルに引きずられてベリアルの部屋に足を踏み入れていた。どうみても女の子の部屋にしか見えなかった。
 リリスの部屋ほど豪華ではないが、壁紙はピンクと赤が混じった何かの模様なもの部屋一面に描かれている。ベッドも屋根つきではないがピンク。その他椅子やクローゼットなどもピンクや赤。壁に飾られている絵画も森の中で座りこむ女性が描かれている。
 ふむう、やっぱりベリアルは女なんじゃ……いやいや惑わされてはだめだ。心頭滅却だ。
 俺はベリアルに注がれたちょっと強い酒を一気に飲み干してその邪念を打ち払う。
「いい飲みっぷりですね」
「そんなことないって」
 やばい、ちょっと酔いが回ってきた。頭がくらくらとして体が熱い。そう言えば、レイラには話せなかったがベリアルにはどうだろう。こいつ、そういう微妙な感情とか分かってくれそうだから丁度いいのかもしれない。
「どうかしましたか?」
「いや、実はさ……」
 俺は意を決してベリアルに事情を話した。もちろん魔族を落とすと言う俺の目的は伏せてだ。先ほど街であったこと。ベリアルはその話を聞くとふんふんと首を頷いていた。
「……という訳なんだよ」
「……そんなことが」
「ねえ、ベリアルちゃんはどう思う?」
「そうですねえ……リオさんはご存知なのかは分からないのですが」
「え?」
「リオさんはリリス様を庇って魔術を行使されたんですよね」
「ああ、まあ」
「魔術と言うのは体内にある魔力がその力の源です」
「それはなんとなく分かる」
 よくファンタジーで聞く設定だ。そんなものは元いた世界でも有り触れたものだった。大体はゲームの中でだけど。
「リオさんはまだ魔力が足りなくて上手く魔術が発動しなかったのかもしれませんが……」
「ん?」
 ベリアルは何故か語尾を濁した。何か、俺が知らない事実でもあるというのだろうか。
「実は魔力と言うのは保有者の精神状態にもその絶対量は依存します」
「…………」
「リオさんは、いいかっこをしたいから魔術を行使したといっていましたが、きっとそれでは上手く発動するはずもありません。そんな利己的な目的では魔力はむしろ減少してしまいます」
「…………!」
 また、どこかで聞いたような設定。
 言われて俺はリリスの言葉を思い出していた。
「何か強い意志があれば魔力は増大しますが、まあ、そういうことですね。リリス様が不貞腐れているのもそのせいかもしれませんよ?」
「…………」
 ――お主は……我を、守ろうとしてくれたのか?
 そうか。そうだったんだ。
 魔力は気持ちの強さで増大する。そういうことだ。
 リリスはきっとこう思ったに違いない――自分のことを守ろうとしたリオの気持ちはこの程度だったのか、と。
「…………!」
 俺は無言で椅子から立ち上がる。行かなければならない場所があったのだ。
「ごめん、俺ちょっと行かなくちゃ」
 俺の言葉を聞くとベリアルは微笑んでこう言った。
「そうですか……またご一緒したいですね」
「うん。是非」
 そう言って俺は走り出す。
 気が付いたのだ。
 嘘をついていたことをリリスに謝らなくてはいけないのだ。










 走って、走って、走って。
 俺はリリスのことを探し出そうとしていた。リリスの部屋に戻っても彼女の姿はなかった。どこにいってしまったというのか。廊下を走りながら俺は考える。
 自分の立場になって整理してみるのだ。俺は、どうしようもないことがあって何もかもが嫌になった時、俺ならどうするだろうか……。
 そうだ、と俺は思い出す。俺は昔、彼女に振られて何も信じられなくなってそんな時は、いつも学校の屋上に行って街の風景を眺めていた。何があるわけでもない。ただ、一人になれて、風が心地よくて、陽の光が体に降り注いで、いい場所なのだ。どんな建築物であれ、屋上と言うのは。
 もしかしたら、リリスもそんなところにいるのかもしれない。そう思って屋上への階段を駆け上がる。前にリリスが大体の場所を教えてくれていたのだ。迷うことはなかった。
 階段を駆け上がる。屋上へ続く扉は上のほうにあった。両手で蓋を開けると光が入り込んでくる。
 そこから首を出してキョロキョロと辺りを見渡すと、俺はリリスの姿を見つけた。城の屋根の上で一人きりの小鳥のようにリリスは小さく体育座りをしていた。
「リリスっ」
 そう言って体を屋根の上へと運ぶ。リリスは俺の言葉を聞くと静かに背後へと振り向いた。
「……なんじゃ、お主か」
 俺はリリスのところへと駆けよる。
 リリスに謝らなきゃいけなかった。嘘をついたことを。これからはそんなことをしないと、機嫌を直してほしいと言わなければならなかった。
「……我は一人になりたいと言ったであろうが」
「嘘だったんだ」
「……え?」
「お前を守ろうとしたって言うのは嘘だ」
「どういうことじゃ」
「俺は……ただ自分の力を試してみたかったんだ」
「…………」
「お前は魔王だ。どうせ俺の助けなんかなくてもなんとかなるって思った。だから、その……悪かった」
「……ふっ、はっはっはっ!」
 リリスは俺の言葉を聞くと何故か笑い出した。
「なっ、なんだよ、俺は結構本気で……」
「なんじゃ、そうじゃったのか。いや、我も悪かった。勝手に不貞腐れて、偉大な魔王としては相応しくない態度じゃった」
「え? ああ、そうか……」
 意外にもリリスはあっさりと機嫌を直していた。何だよ、心配した俺がバカみたいじゃねえか。
「はは……のう、お主」
「何だよ」
「我の話を聞いてはくれぬか?」
「…………」
 リリスは何故か、少しだけ寂しそうな表情でそう言った。俺は聞くしかなかった。このちょっとおかしな魔王の話を。
「別に、いいけど……」
「そうか……我はな、魔王じゃ。魔族の王である魔王じゃ」
「それは知ってるけど」
「本当はな、我は殺生などあまり好きではないのじゃ」
「…………」
「じゃが、我は、我を心酔し、助けてくれる部下たちを守らなければならぬ。それが、魔王としての務めじゃからな」
 それはそうだ。
 王は、自分の部下を守り、国を発展させていくのが務めだ。そんなの当たり前だ。でも、そう言ったリリスの表情は少しだけ悲しそうだった。
「我の母上は偉大な魔王じゃった。部下たちを率い、魔族の領地を拡大していった。我はそんな母上のことを目指さねばならなかった。……じゃが、我は魔王の器ではない。もっと我は普通でありたかった。街に住む街娘らのように普通に生き、そして死にたかった。誰も我と対等なものはおらぬからのう」
 王ゆえの孤独。
 なんとなく理解できる。もしも、もしもこれが人間の世界の王だったら話も違っていたかもしれない。違う国の王とか、そういう連中とは対等なのかもしれない。
 でも、リリスは違う。
 魔物の王とは魔王とは、いつの時代だって――たったの一人きりなのだから。
「部下たちのことは大切でしょうがない。可愛くてしょうがない。じゃが、我は誰かと友達のように楽しくすごしてみたかった。……お主はどうじゃ? お主は我のことを対等な存在として見てくれるのか?」
「…………」
 そんなの決まりきったことだ。俺はこいつのパートナーだ。パートナーに上下関係なんてあるはずがない。俺はリリスと、対等な存在のはずだ。
「……そうだな。俺はお前と対等さ。いくらお前が偉くたってお前は俺を召喚したっていう負い目があるんだからな」
「……ふっ、そうじゃな……」
 俺はその時、何故か昔のことを思い出していた。
 ――あれはまだ、俺が小学生のころだっただろうか。
 とてもテンプレ設定なゲームを俺はやっていた記憶がある。勇者が魔王を倒すため旅をするという典型的なRPGだ。何故かそれは異様に俺の記憶の中に残っていた。
 それは何故か。
 そのゲームを俺はクリアしたのだろうか、それすら鮮明ではない。けど異様に印象に残っている光景があった。最後の最後、ラスボスである魔王を倒した後、何故かゲーム画面には選択肢が現れたのだ。
 ――魔王を殺すのか、殺さないのか。
 そのゲームでは何故か魔王に対して同情的なテキストが散見していて、当時小学生だった俺はそのテキストに心を打たれたのかもしれない。
 俺は魔王を殺さないという選択肢を選んだ。その先のことは覚えていない。きっとゲームオーバーになったのだろう。嫌な記憶はいつだってすぐに忘れてしまうものだ。人間の記憶とはそういう風に出来ている。
 今のリリスもあの時の魔王と同じなのだろうか。自分の立場にうんざりし、失望し、もう魔王を止めたいとすら思っているのだろうか。俺はそんな疑問を抱いた。
「あのさ」
「なんじゃ?」
「俺の世界には、ゲームっていう玩具があってな」
「…………」
「その中には勇者が魔王を倒すのを目的とするものがあるんだよ」
「……ほう、そうなのか」
「でさ、その中にさ、俺のやったことのある中に最後の最後で魔王を倒すのか倒さないのか選べるものがあったんだ。俺は確か、殺さないことを選んでゲームオーバーになったんだ。でも……その中で魔王に対して同情的な話が結構あってさ、ありゃあ多分罠だよな。バカだよな、俺、そんなの引っかけなのに。……でも、お前も今そんな気持ちなのかなって思ったんだ」
「……お主が魔王を殺さぬことを選んだなら、お主が召喚されたのもそれが理由やもしれぬな」
「かもな」
 そうして、リリスと俺は二人で笑った。
 俺はこいつのことを助け、支えていくのだ。今そう思った。帰れるとか帰れないとか、そんなのどうでもよかった。
 孤独なこいつを俺は支えなくちゃいけないんだ。
「のう、お主」
「何だ?」
「前にあの勇者が街の外れに湖があると言っておったじゃろう?」
「ああ、そうだな」
 確かアルスはそんなことを言っていた。言われて思い出した。
「一緒に行かぬか?」
「ああ、いいぜ」
 リリスは立ち上がって俺の手を取った。
 こいつの孤独を少しでも埋めることができるのならば俺は何でもしよう。そう思った。








 街の外れにある湖へ俺とリリスは一緒に来ていた。
 アルスがお勧めしていたように綺麗な湖だった。水の色はただ青いというわけではない。不思議なまでに青いターコイズブルーの水は、氷河によって削り取られた微細な土砂が湖水を浮遊し光が屈折するためだろう。
 幻想的な景色。前方に聳え立つ山々には化粧が施されたように雪がちらちらと積もっていた。左右に隣接する林の群。まるで絵画のように、俺はそんな光景に息を呑んでいた。
 リリスは湖のほとりにしゃがみ込み、水を両手ですくい、楽しそうに笑っていた。
 よかった。心の底からそう思う。
 少しでもこいつが楽しんでくれるのなら俺はそれで満足だった。
「リリス、楽しいか?」
「ああ、ここは綺麗じゃ。我の城の近くにも欲しいくらいじゃ」
「それは、難しいだろうけどな」
 リリスの隣に俺も座りこむ。湖の水にリリスの顔が反射する。
 美しい金髪に琥珀色の瞳。
 何だか、昔にした契約のキスを思いだしてしまい、俺は思わず顔を逸らした。
「どうした、リオ?」
「いや、何でもない」
「なんじゃ?」
 ちょっと気恥ずかしかった。これで湖にボートでもあってそれに二人で乗ったら本当にデートだな、そんなことを俺は思っていた。
 ――瞬間、風が唸る。
 背後から、叫び声が聞こえた。
「――はあッ!」
「――リオッ!」
 俺はリリスの手によって少し遠くの方へと弾かれた。痛みで眼を開く余裕すらない。
 ようやく開いた視界には信じられない光景が広がっていた。
「アルスッ!」
 アルスが、勇者が、リリスに剣を向けていた。鋼の剣と唾ぜり合っていたのはリリスが魔術で出した紫の剣だった。
「……なんじゃ、お主。一体どういうつもりじゃ?」
「アルスッ、止めろッ!」
「……残念だ。君たちとはいい友になれると思っていたのに」
 アルスはそして一歩後退し、構えを取る。そんなアルスの横には勇者と共に旅をする魔法使いであるリナの姿があった。
「……リナ、あの剣は?」
「間違いないわ。あれは魔法じゃない。魔術よ」
「…………そうか」
 ――まさか。
 そう思った時には全てが遅かったのだと気が付いた。アルスは、勇者たちはきっとリリスが魔王だと気が付いたのだ。
「リオ、何で君が魔王と共にいるんだ。君は人間だろう?」
「いいから止めろよッ! 何でこんなこと、訳が分かんねえよ」
「訳が分からないのは君の方さ。魔王は人間の敵だ。早く離れろ」
「くっ!」
 俺はリリスと勇者の間に立って、リリスを庇った。今度こそ、俺はリリスのことを助けたかった。
「よせッ! 止めてくれ」
「……よい。よいのじゃ、リオ」
 立ちふさがる俺の姿をリリスがどかす。強い力だ。リリスは、魔王だった。
「下がっておれ」
「でも……」
「お主は我を誰だと心得ておる。――魔族の王である魔王じゃぞ?」
「…………!」
 俺はリリスの言葉に何も言い返すことができなかった。結局俺は何もできない。
 勇者を倒す力なんて俺にはないし、きっとリリスの足手まといになるだけだと自覚した。
「勇者よ。どうしても我とやり合うつもりか?」
「当たり前だ。お前を倒すのが、俺の目的だからな」
「そうか……致し方あるまい。我も今おぬしにやられるわけにはいかぬのでなッ!」
 リリスが信じられない速度で地を駆ける。何とか俺の視界に捕えられるが、それでも半端じゃない。
「リナッ!」
「……オーケー。――雷神よ、我にあだなすものを打ち砕け!」
 リナはリリスへ手をかざす。
 呪文と共に電撃がリリスへと襲いかかる。
「くっ……!」
 何とかそれを避けたリリスの元へ今度は勇者が斬りかかる。
「はあっ!」
 激しく打ち合う剣と剣。リリスはとても苦しそうな顔をしていた。尚もリナからは電撃の雨が降り注ぐ。
 防戦一方だ。
 リリスは勇者たちの攻撃に攻撃の糸口すら見つけられないようだった。
 何故だ。
 リリスは曲がりなりにも魔王だ。こんなに簡単に窮地に追いやられるはずがない。
 ……そうだ。思い出した。
 ――実はな、先ほどお主を召喚したせいで魔力が殆ど底をついてしまったのじゃ。
 確かリリスは、そんなことを言っていた。まだ俺を召喚してからそれほど時間は経ってない。まさか、魔力がまだ完全に回復していないのか。
 ――俺の、せいで。
「きゃあッ!」
 リリスの持っていた剣が勇者の剣に弾き飛ばされ、光のように消え失せた。
 勇者は地に伏したリリスに剣の切っ先を向けた。もう、間に合わないのか……。リリスはぐったりとしていて、恐らく勇者との戦闘で魔力を使いきってしまったのだろう。
「……さあ、観念しろ」
「……ふっ、お主、中々やるのう。流石は我の部下たちを打倒してきただけのことはあるな」
「……何で、何で俺たちの前に姿を現した」
「さあの、気まぐれじゃよ」
「そうか……これで、全て終わる――」
 勇者が剣を振りかぶって、そして――
「――止めろッ!」
 勇者の剣が俺の叫びでピタリと止まった。しっかりとした足取りで立ち上がる。
「止めろ……リリスに、手を出すな……」
「……何故なんだ、リオ。君は人間だ。魔王を庇う理由なんてないだろう」
「理由なんてねえよ」
「何?」
 勇者のことを、見据える。魔術の発動を俺は一度失敗した。そして、たとえ成功したとしてもリリスの言うとおり敵う保証なんてない。リリスを助けられる保証なんて、どこにもない。
 でも――
「アルス、お前は確かに勇者かもしれねえ」
「…………」
「魔王を倒そうとして旅をしている。けどな、勇者ってのはそんなやつのことをいうんじゃねえよ」
 俺は、リリスのことを守りたかった。
 何もできなくたって、たとえ無力だって、俺はリリスのために何かしてあげたかった。
 俺は、リリスのことを――
「リオ……」
「教えてやるよ。勇者はな――誰か大切なやつのことを守ろうとするやつのことを言うんだよッ!」
「――――ッ!」
 リリスが俺の言葉を聞いて身を震わせていた。
 力が、魔力が、体中から湧いてくる。
 きっと今なら、きちんと魔術を発動できる。
 そう思った。
「うおおおッ!」
 ――出来た。
 前みたいな失敗じゃない。
 今度こそ俺はきちんと魔術を発動出来た。
 剣が無数に俺の周囲を漂っていた。
「なっ……なんだこれは……リオ、君は……!」
 勇者が驚きの声を上げる。俺はこの世界の常識だとかそういうものはまるで知らない。
 ただ、可能性として上げるとするならば、俺の、レイラの魔術は魔法として存在しない、そういうことなのだろう。
「こんな魔法見たことないわ。これも、魔術……?」
「まさかっ!? リオ、君は魔族なのか?」
「そうだな、俺は、もしかしたら魔族なのかもしれない」
「そんな……」
 魔力が流れている存在。それが魔族なのだというのなら、そうだろう。
「だがな、俺は、魔族だからリリスを助けたいわけじゃねえよ」
「……なら、何故だっ!」
「言っただろ、誰かを助けるのに、理由なんていらないって――!」
 漂っている剣を取って、勇者へと構えを取る。ここで引く訳にはいかなかった。
「……どうしても、やるつもりかい?」
「ああ、当たり前だ」
「……そうか。残念だ」
「行くぞッ!」
 手に取った剣を両手で強く掴み、勇者へと駆ける。真剣なんて俺は握ったことがない。前に握った錆びた剣はボロボロで重みなんて感じなかった。
 この重みが、命を断つために作られた武器の重さ。真剣を持って走ることすら大変だ。
 走り出すと同時に出現させた剣を勇者とリナに向かい、飛ばせた。
「くっ!」
 こんな戦闘、経験したことがなかったのだろう。リナは剣への対応に精一杯で俺に攻撃している暇はなさそうだった。後は――アルスのことを倒すだけだ。
「たあッ!」
 出現させた剣と俺の攻撃が同時に勇者へと降り注ぐ。そこで誤差を生じさせたのが俺の間違いだった。
「はあッ!」
 繰り出される剣の舞。勇者の剣とぶつかった俺の剣は、一瞬の内に粉々になった。
「な……!」
 舌打ちを鳴らし、距離を取る。
 いくら成功したとは言え、俺の魔力はリリスに与えられたごくわずかしかない。出現させた剣の強度はたかが知れていた。
 勇者の一撃は凄まじい威力だった。反射的に剣から手を離さなければ両手が使い物にならなくなっていただろう。
 いかなる大岩でも砕き散らし、いかな城壁であろうと突破してきたそれは、さすが勇者と俺の中で称えさせた。
 無数に飛んでくる俺の剣を勇者は難なく破砕する。華麗だ。とても美しい。いかな攻撃にももろともしないだろう。
 だが俺は、諦めるわけにはいかなかった。
「……まだだ、まだ諦めねえ」
 魔力が残り少ないことは体の悲鳴が教えてくれた。節々に痛みが走り、剣を握るのがやっとだ。
「……もうよせ、リオ。お前では、俺には敵わない」
「うっせえよッ!」
 剣を振るう。勇者に向かったそれはいとも簡単に流されて、俺は勇者の拳をモロに食らった。
「ぐッ……!」
 よろめいて、後ずさる。痛みで思わず、膝をつく。
 おぼろげな視界に髪をなびかせるリナの姿が映った。どうやら俺の向けた剣の掃除が終了したらしい。残ったのは、俺の手に持っている一本の剣だけだ。もう、勇者たちに対抗する手段は、なかった。
「ここまでだ」
 勇者が剣を俺に向ける。もう、立ち上がる力すらない。どうすることもできない。
「君のことは殺したくない。大人しく負けを認めるならば殺しはしない」
「……なんでだよ」
「…………」
「何で、リリスが殺されなくちゃいけねえんだよ」
 地面に手を突く、俯きながら勇者に言う。
「……魔王は打倒されるべき存在だ。人間は魔族を倒さなければ生きていけない」
「そんなの知らねえよッ」
 この世界の価値観とか、そんなの俺は知らない。だから、俺は俺の価値観で、俺の世界の価値観で。
「リリスは、リリスは確かに魔王かもしれねえ、俺たち人間の住むところを奪ったのかもしれねえよ」
「…………」
「けど、それでも、リリスだって生きてるんだ。何で、何でリリスたちだけが死ななくちゃいけないんだよ」
 なんとか残っている力を振り絞り、勇者へと詰め寄る。胸倉を掴んで、言う。勇者は何の抵抗もしてこなかった。今なら俺を斬れるっていうのに。
「お前には見えねえのかよ。俺には、リリスがただの女の子にしか見えねえ。アルス、お前は、それでもリリスのことを殺すって言うのかよッ!」
「…………リナ、行くぞ」
 弱い俺の手を振りほどいて勇者は踵を返した。リナは勇者の言葉に戸惑いを隠せないようだった。
「え……でも……」
「いいから」
「……分かった」
「……リオ」
 勇者は俺に背中を向けたまま語りかける。
「お前の言いたいことは俺にも分かる。今だってリリスさんが魔王だなんて信じられない。だけど、俺は勇者だ。魔王を打倒しない限りは旅を終えることはできない」
「アルス……」
「今日は君の健闘を称えて見逃そう。だが、次に俺たちの前に現れた時には容赦はしない」
 そうして、勇者たちは俺たちの元から去って行った。
 翻したアルスのマントがやけに脳裏に焼きついた。
「……なんだよ、去り際すらカッコいいじゃねえか。流石だな……地面に這いつくばる俺なんかとは大違いだ」
 地面へと大の字に横たわる。全身の力が抜けていく。多分、そうだな、魔力って使いすぎると寿命とかも縮まるんじゃないか? そんなことをおぼろげな視界の中で思った。
 そんな俺の鼓膜にリリスの声が届いた気がした。
「――そんなことはないぞ」
 リリスの笑顔が湖の光に反射して輝いて見えた。俺はリリスのことを守れたんだ。
 それだけで、よかった。











「ふう……」
 俺たちは勇者たちとの戦闘を終えて城へと戻って来ていた。リリスは城に戻った途端、パーティを開くと言って聞かなかった。勇者を撃退した祝賀会じゃ、なんて言っていたが本心は分からない。
 城の中のホール、そこからは陽気な管絃楽の音が、抑え難い幸福の吐息のように、休みなく溢れてきていた。皆の装飾は踊りやすさを意識したせいか、それほど過剰なものではなかった。部屋の奥に配置された二枚の絵画。淑女と紳士であろうか。装飾と呼べる装飾はその絵画とシャンデリアくらいのものであった。そうしてまた至る所に、相手を待っている魔族たちのレースや花や象牙の扇が、爽やかな香水の匂の中に、音のない波の如く動いていた。皆同じような水色や薔薇色の舞踏服を着たてていて、中には少女の姿もあった。
 どうやら舞踏会らしいけど、この城は殆ど魔族のメスしかいなかったんじゃなかったっけか。女同士で踊るのか? まあ、それも綺麗そうだけど。
 俺はホールの外れにあるベランダで月を眺めていた。リリスを守ることができた。今はその充実感だけで十分だったからだ。
「り、リオ」
 ふと、聞きなれた声がして俺は振り向いた。いつもとは違う藍色のドレスを身に纏ったレイラの姿があった。
「あ、あの、某と踊ってはくれないか?」
 正直、綺麗だった。
 普段甲冑を身に纏っている姿しか見ていないせいか余計綺麗に見える。こんな美人の誘いを断る理由はなかった。
「ああ、別にいいけど……」
「そ、そうか。なら」
「――これ、リオ」
 レイラの背後にはリリスがいた。いつもより派手なバラのようなドレスだ。俺はリリスの姿に思わず見とれた。
「我は魔王じゃぞ? その我を差し置いてレイラと踊ると申すのか?」
「あ、ああ、いや」
「…………はあ」
 レイラはため息をついて、無言でその場を後にした。まあ、王に逆らうわけにもいかないんだろうな、と心の中で察する。
 これで俺はリリスの誘いを断る理由をなくしたわけだ。
「分かりましたよ。魔王様」
 静かにリリスが差しだしてきた手を取った。
「うむ。それでよいのじゃ」
「でも、俺、踊りとか全然」
「大丈夫じゃ、我に合わせればよいだけじゃ」
「そうか……?」
 リリスに手を引かれホールへと出る。
 ぎこちない足取りだけど、リリスと一緒に踊るのはそこまで嫌な気はしなかった。
「うむ。中々上手いではないか」
「そ、そうか?」
 踊りながらリリスは顔を赤らめていた。
「感謝するぞ、リオ」
「え? 何がだよ」
「我だけではきっとあそこで命を落としていた。やはり、お主を召喚したのは間違いではなかったというわけじゃな」
「……なあ、聞いていいか?」
「何でも申してみよ」
 ずっと俺が疑問に思っていたことだ。召喚された時から今この時までまでだ。
「やっぱり、俺が召喚されたのって偶然なのか?」
「……なんじゃ、そんなことか」
「どうなんだよ」
「偶然じゃよ」
「本当か?」
「我の言葉が信じられぬと申すのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「なら、よいではないか……」
 そうして舞踏会の時は進んでいく。
 静かに、静かにリリスが呟いた言葉は管楽器の音の中に掻き消され、俺の耳には届かなかった。

 ――召喚された理由か。それはのう、お主が、我を生かすことを選んだからじゃよ。
メガネ
2011年04月19日(火) 23時57分07秒 公開
■この作品の著作権はメガネさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めまして、メガネと言います。
今回の作品はライトノベルの新人賞用に書きあげた作品です。
あまりライトノベルを読まない方が多いかと思いますが、もしお読みいただけたのなら感想をいただけると助かります。
厳しい批評などをお待ちしています。よろしくお願いします。

この作品の感想をお寄せください。
No.2  星野田  評価:40点  ■2011-05-15 06:47  ID:b58CEwXZkaY
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 はじめまして、こんにちは。面白かったです。異世界召喚物っていいですよね。大好きです。
 主人公のメタな思考がとくにいいなあ。設定がちって感じですね。もちろん、設定以外の部分も面白いのですが。全体的な話の流れがとてもスムーズで読み易く、物語を作り慣れているのかなあとか思ったりましたがどうでしょう。逆に全体がさらりと書かれてしまっていて、ラノベっぽくはあるのですが、少々物足りなさを感じるシーンなんかもあったかな? まあ、物足りなさを感じた=おかわりがほしい、というのは作者さんの描く物語に魅力を感じたということなのかも知れませんが……!
 ベリアルちゃんが出オチ担当なのかとおもったら、意外といいキャラでびっくりしました。逆にロアちゃんはマスコット以上の活躍をあまりしていない……!? 残念!! なんか、名前のない侍女みたいな人が何故かいい役とかをかっさらったりしたら、ツボだったなあと個人的な趣味を出してみます(ぇ。ただなんというか、尺の割に登場人物が多すぎるというか、ロア、リナあたりの掘り下げが浅いというか。彼女たちがいなかったり、名前のない登場人物にしてしまっても、ちょっと物語をいじれば同じような流れは作れそうだなあとか思ってしまう。全く関係ないですが、全員の名前にラ行の文字が入っていて、ちょっと混乱しました……!!
 これは個人的な感覚なのでちょっとあれなのですが、ゲームで魔王を殺さないことを選んだという、オチに関わる伏線が出てくるタイミングが遅すぎる気がします。もっと早い段階でこの話をだすか、あるいはオチに絡ませないエピソードとして扱ったほうが、後付け感というか、そういうのがなくていいんじゃないかなあと。
 ともかく、面白い話だったと思います。読んでいて長さを感じませんでした。これからも頑張ってくださいませ、
No.1  お  評価:40点  ■2011-04-20 02:32  ID:E6J2.hBM/gE
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面白い! 一気に読んじゃいましたよ。
けど、これって、現在好評二期放映中のアニメ及びその原作との類似性って問題にならないのでしょうか。
それはそれとして。
勇者との対決シーンは少しあっけなかった。少し? いや、けっこう。
そこもそうだけど、全体に少し書き込み不足かなぁとも。イクララノベとはいえ、もう少し各シーンにボリュームを持たせた方が良いんじゃないかなぁと思いました。
あと、レイラちゃんの一人称が挿入されるところは、この長さで、しかもそこだけというのは、うーん、微妙な感じを受けました。
あとは勇者の扱いがまた微妙。二人の取り巻き女性キャラが、効果的に機能していない。これだけの話しならいない方がすっきりするだろうし、登場させるならさせるだけの扱いをする必要があるのじゃないかなぁと思いました。
ともかく、キャラが立っていて良かった。とくにリリス(若干ステロタイプかもしれないけども)ちゃんが良かった。ただ、こちらサイドも、二人、活躍しないキャラがいるので、ここもちょっと消化不良かな。二人をレイラちゃんと同格に登場させる必要があったのか? あと、レイラちゃん自身も最後の戦闘に登場しないとか、ラストシーンでも絡みがあっさりだとか、いまひとつ、効果的に使い切れていない感じはしますね。
全体的なボリュームの問題もあるのでしょうが、魅力的なキャラを、十分に魅力を引き出しきれていない感じは残りました。
総体的には、ラノベ的エンターテイメントとして、楽しませて貰いました。面白かったです! このお話をただで読めてちょっと得した気分です。
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