ちちんぷいぷい

 薄汚れた茶封筒のなかには親指が詰まっている。グロい見た目と想像力で、私は親指の関節が痛くなった。でも、これは大事なものだから、
「親分、届きましたよ」
 と、部屋の奥の机で突っぷして動かない親分の前に親指の詰まった封筒を置いた。

――ちちんぷいぷい病

 全国的に、全世界的に流行っている奇病。親分はそれに罹って、なんだかリビングデッド状態だ。
 封筒から染みだしてくる血のにおいに誘われ、親分はむくりと顔をあげる。彫りの深い顔、窪んだ目。心臓が止まっているから顔が真っ白で、頬がむくんで残念な色男になっている。貪るように封筒をつかむと、中身の親指を鷲掴みして口に放りこむ。そうしては怯えるように周囲を警戒する、私と目があうと歯を剥いて威嚇する。
 私は疲れたようにため息をついて、給湯室に隠れた。
 流し台とガスコンロ、それから冷蔵庫がある。蛇口をひねり、水をながした。戸棚からコップを取りだして水を汲む。一息に飲んだ。親分の、ごり、ごり、と親親指を噛み砕く音が聞こえてくる。
 不安になる。
 親分は人間のふつうな食べ物を口にせず、人間を食べるようになった。不安だ。親分は言葉を忘れてしまったようで、字も書けなくなって読めなくなった。話しもできない。感情も分からない。お腹がすけば暴れるし、いっぱいになれば机に突っぷして眠る。
 喉が乾く。もう一杯、水を飲む。流れっぱなしの水道をとめた。冷蔵庫の駆動音がひびく。
 冷蔵庫を開けた。そこには親分の愛人のお蝶さんの首が入っている。
 お蝶さんの首は私と目があうと、うぁぁ、と声をもらす。ちちんぷいぷい病は天下の奇病、死ねず生きられず朽ちていく。精神も肉のように腐る。
 親分が発病したとき、お蝶さんは親分といいことをしていて、そのまま食べられてしまった。ざまぁ、と思った。私を差し置いて、親分と良い中になるからだ、と思った。当然の当然の報いだ。
 でも、冷蔵庫のなかにお蝶さんの首を保管したのは他意があったからじゃない。食べ残された死体の処分に困ったのだ。冷蔵庫にいれておけば腐らないしバレないと思ったから。お蝶さんまで、ちちんぷいぷい病に罹ってるとは思わなかったけど。
 ずる、ずる、と足音がする。振り返ると、親分が近づいてきていた。這いつくばって移動してくる。部屋から出られないように親分の両足を縫合してしまったから、親分はほふくして移動する。
「水ですか?」
 親分は唸りながらゆっくり近づいてきて、冷蔵庫のお蝶さんの首を指さした。歯をガチガチと噛みならす。あぁ、あぁ、幼児がものをねだるように言う。
「たべたいのですか」
 親分は冷蔵庫に這いよっていく。呼応して、お蝶さんの首も親分に近づこうとする。
――ちちんぷいぷい病に罹らば。貪婪になり肉を好み。礼節は失し。所作犬猫のごとき。而して――
 駅前で配られていたビラにはそんなふうに書かれていた。私は冷蔵庫からお蝶さんの首を取り出して、親分の前に置いた。親分は震えるように、あぁ、あぁ、と声をもらすと蝶さんの首を手にして抱きこんだ。それだけで噛みつきもしないし、歯も立てない。
 お蝶さんも親分に食いつかず、まぶたを閉じたままだ。親分は安らいだ顔をする。ちちんぷいぷい病に罹ってからは始めてみせる表情だった。
「それは肉ですよ親分。あの親指と同じ肉ですよ親分。親分が食べ残した肉ですよ」
 親分は、あぁ、あぁ、と唸り声をあげる。
 私は唇の裏を噛みしめた。お蝶さんとはちちんぷいぷい病に罹ってまで、と。親分に抱えられたお蝶さんの首が目をあけて私のことを見あげた。
――野暮な娘ね。
 とお蝶さんに髪を掴まれて、壁に押しつけられた日のことを思いだした。そのときのお蝶さんの目と、いまのお蝶さんの目は同じ表情をしている。
 私は流し台の下にある棚を開いた。包丁を取りだすのだ、包丁で――
 棚の中の狭くて薄暗い空間に少女がいた。体操座りをしていた。私に気づくと飴玉のような声で、
「はぁい」
 と這いだしてきた。
 白いシャツに紺色のブルマをはいている。凄く白い肌に、青い目。白くてサラサラと流れるような髪をしている。
「どーも! あたし天使です」
「てんし?」
「英語でエンジェル」
 にっこり少女は笑い、決めポーズみたく前かがみになって顔の横に人差し指を立てる。
「天界からのしーしゃー」
 そのノリも言ってることも意味が分からない。親分とお蝶さんとは視界の隅で前みたいにむつみあっている。
 頭が変になりそうだ。
「意味分かんないだけど。後さっさとどいて、包丁を取らせて!」
「あたしは有り体にいえば、デウス・エクス・マキナ! お姉さんの願いを叶えちゃうよ! ついでに色々救っちゃうよ!」
「は?」
「そう、願い、夢、希望、欲望。色々あるじゃない、世界一周旅行がしたいとか、バイクが欲しいとか、仕事サボりたいとか」
「消えて」
「えー、そんな本心からじゃない願い事叶えられないんですけどー、天界もいちおー品質管理ってのがあって、」
「じゃあ、その首だけの女を消して、それから親分を前の親分に戻して」
「そんなのでいいの、後悔しない? むしろ、それでクリーングオフしない?」
「しない」
「分かった」
 と自称天使は言うと、つかつかと親分とお蝶さんの首に近づいた。そして、おもむろにお蝶さんの首をキックした。ぱん! と乾いた音がしてお蝶さんの首は吹きとび、壁にぶつかり、肉片を撒き散らす! かと思えば跡形もなく消えた。
「あとは、これを直せばいいのね」
 指差す先には親分がいる。
 私はあっけに取られたままうなずくと、自称天使は「乾坤一擲」と叫んで、手のひらから白い羽のようなエフェクトを発しながら親分のことを撫でた。すると、どうでしょう! 親分はたちまち元の健康な姿に……。
 親分は目を白黒させながら、目の前に立っている少女のことを見あげる。自称天使は親分の顎をつかむと、顔を覗きこみ、細かく出来を確認するみたいに右を向かせ、左を向かせて、口のなかを確かめる。それから、よし、と出来栄えに満足した顔をすると、私に向かって笑いかけ、
「願いは叶えました。クーリングオフはいやよ、じゃあねえ」
 と忙しく、元の棚のなかに入っていく。バタンと閉じられる。すぐに棚を開けたけれど、そこにはやっぱりというかうす暗いだけの空間がある。ぜんぶ夢か、と思いたいけれど、
「何だ」
 と親分が前みたいにカッコいい低い声を出すから、現実に違いない。
「さっきの少女はかわいかったな」
 振り返る。親分はあぐらをかいて座っていて、少女の消えた戸棚をぼんやりと見つめている。その表情はよく知っている。私に親分がお蝶さんのことを話すときに見せる表情だ。
 私は、
「あんなの性格ブサイクですよ」
 と言った。親分は、そうかな、と、どこか嬉しそうに返事した。
tori
2011年02月27日(日) 23時47分20秒 公開
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 よろしくお願いします。
(2011/2/27, 投稿)

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No.6  tori  評価:0点  ■2011-03-07 00:54  ID:wYgzQgVuDaw
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ゆうすけさん

感想ありがとうございます!
ミスマッチの面白さを感じて頂けて、作者としてはニンマリしてしまいます。
とはいっても、ご指摘のとおり勢いに欠けていますよね。少し冷静になりすぎたかもしれません。

次回作では、そのあたりの勢いを意識します。
では、短いですが以上です。
これからもよろしくお願いします!
No.5  ゆうすけ  評価:30点  ■2011-03-06 15:31  ID:4Rz8S8oBpdY
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拝読させていただきました。

面白いけれど、結局なんだかよくわからない。というのが正直な感想です。

よくある感染によるゾンビもの、任侠的な世界と不自然に自然態な主人公、コミカルな天使、そのミスマッチさは面白いです。問答無用な勢いが欲しいと感じました。
No.4  tori  評価:0点  ■2011-03-06 14:03  ID:nyv4PhU4HKM
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HALさん

 いつも感想ありがとうございます。
 ご指摘のとおり今回は、軽く描くというのが大きなウェイトを占めていました。あと、何となく細やかな描写が苦手になりつつあったりします(ぁ
 時間がないのは嫌ですねぇ。どんどん感覚がにぶっていきます・・・

 > 親分が発病したとき、お蝶さんは親分といいことをしていて、そのまま食べられてしまった。

 この部分は確かに、以前ならもっと細かく描写していたと思います。そういうところでも嗜好が変わりつつあるのかもしれないです。

 手短になってしまいましたが、以上です。
 これからもよろしくお願いします!

(ちょっとだけ、みんなの掲示板の自己紹介を見て、自重しようと思ったり思わなかったりだったりしますが(苦笑)
No.3  HAL  評価:30点  ■2011-03-01 23:05  ID:Iis24LE0eWE
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 拝読しました。

「飴玉のような声」という表現がなんだかすごく好きでした。あと、冷蔵庫とか出てくる現代ふうの背景なのに、なぜかビラの文章が古風だったり、「親分」ていう古めかしい呼び方だったり、そういう演出が、うまく理由を説明できないんですけど、好きです。

 暗く悲しいはずのお話を、わざと崩して軽やかに描いていらっしゃる、のかな。書かれたtori様の意図と外れてしまうような気がするのですが、もっとこまやかで、暗くて、色っぽい描写で読んでみたいな、という印象がありました。内容が内容なので、そうすると今度はエグくなってしまうのかもしれないのですけれど、感情のゆれ、的なものを、もっともっと読みたかったというか。

 ものすごく自分の好みに偏った発言をしますけれど、
 > 親分が発病したとき、お蝶さんは親分といいことをしていて、そのまま食べられてしまった。
 こういう部分を、色気たっぷりにワンシーンに起こして回想で書いてあるくらいが、より好みかもって思いました。でも、わざと意図あってあっさり流されているような気がするので、見当はずれな意見だったらごめんなさい(汗)

 こう、どっぷりと感情移入できるような、情動につよく訴えかけるようなタイプの小説を、このごろしばらく好んで読みつけていたので、私自身の読み方のバランスが、偏ってしまっているかもしれません。参考にならない意見でごめんなさい……!

 いつもながら自分のことは豪快に棚に上げ放題で、申し訳ないです。いろいろと好き勝手なことをいいつつ、実際のところはとても楽しく読ませていただきました。tori様の過去の作品に、すごく好きな小説が多いので、期待のハードルがすごく上がっているのが自分でもわかって、なんていうか、勝手なことをいっている気がひしひしとするのですが……!
 次の作品も楽しみにしています。
No.2  tori  評価:0点  ■2011-03-01 00:59  ID:nyv4PhU4HKM
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おさん

痛いです。

きっといま一番見えないのが、自分の希求する着地点、やりたいこと・書きたいことですね。

それでも朧気に、いまはもっと厨二くさいものがやりたいですね。もっと気が狂っていて、痛々しくて、見ていられないなようなものに着地したい。

そんなところです。
No.1  お  評価:30点  ■2011-02-28 14:27  ID:E6J2.hBM/gE
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で?

書き物は書き物として良いとして、君の希求する着地点はどこだい?

そんなこって。
総レス数 6  合計 90

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