港町ふらふら便り
 のろのろ汽車から降りると、潮風が熱射と共に待ち構えていた。氷の半ば溶けた箱が並ぶ魚屋さん、かき入れ時は済んで一息ついた新聞屋さん、まだ地方では珍しい黄土色のタクシー。そんな港町のメインストリートから、坂の下へとゆらゆら歩を進める。少し甘い匂い。レンガ屋根の下の迷路を当てどない記憶を頼りに、迷い進む。「市営水族館の存続を!」とか「クリーンな改革」やら、色褪せたポスターがときどき。自転車で急坂をのらくら登るおばさんがときどき。ここに来ると、視界さえ水色のトーンを帯びる。

 空き地で少年らが一つのゴールでバスケットボールをしている。そこで声援というか野次を飛ばしている女の子に声をかける。
「学校帰りかい?」
「そういうおじちゃんは観光さんでしょ」
「まー、そうだね」
 女の子はくすりと笑う。
「道を尋ねたいのだけど」
「五十円」
 はぁ。
「うそっ! うそうそ! そんな目で見ないでー」
「はぁ……漁港の方に行きたいんだけど」
 そうしたらボールを抱えていた少年が乗り気にこちらを振り向いて。
「そんならここをずーっと下って、海沿いの道を山の方!」
 聞くまでもなかったささいな確認になってしまったけど、「ありがとう」。

 クリームの家並みの遠く隙間から、青い海が覗いた。インディゴな深いブルーは、空にはっきりと線を引いている。やがてその潮騒の音とともに、海が近づいていく。
 流石にここまで来ると辺鄙な田舎っぽさは隠せない。それでも堤防はしっかりと整備され、工事の跡も見え、その海の確かな存在を際立たせている。堤防の上まで続く階段があったので、そこを登り、海を眺めながら海岸沿いを行く。魚釣りのおっさんらと時折すれ違いながら。水に飛びこみたいような暑さだが、岸に並ぶ黒光りする岩たちが、それを不可能な妄想にさせた。

 漁港といっても、早朝の商売時を過ぎれば、単なる大きな建物だ。それでも人が集まるところ、幾つかの鮮魚を扱う飯屋が営まれる。そのうちの穴場スポットとして観光ガイドに載っていた店に足を運ぶ。掃除の行き届かない玄関から嫌な予感がしたが、イマイチなところだった。味が美味しいかどうかは分からない。生の魚を食べる機会は3回目だったが、その歯をいじらしく弾く食感はともかく、魚というよりも醤油を食べているような味には未だ慣れない。焼き魚にすべきだったとただ後悔しながら食べていた。それだけならまだいいが、地元民が集まる店らしく、地方の方言が飛び交い、煙草の煙が空気のように充満している空間は、どうも居心地が悪い。

 港町に来た一番の目的が外れとなり、半ば途方に暮れたというか、行く当てを無くした。泳ぐにしてもそこまでの気分ではないし、水族館の気分でもない。
 ということで街の果てにあるみさきに行くことにした。有名な大きな岩があり、安産にご利益があるらしい。どうでもいいが。
 山道を海沿いに登る。木々は青く茂り、太陽を遮る。ぬるいが爽やかとは言えなくもない潮風が頬にあたる。悪くはない気分で坂を登る。途中、切りたった崖もあったが、時折すれ違う奇特な彷徨い観光客同士、仕草だけの挨拶をしながら、道を行く。ふと、今はもういない妻と娘が一緒にいたら、なんて思う。思うだけだけど。
 みさきには市が建てた貝の博物館があった。誰もいない寂れた食堂に、棚だけが多い土産物屋。特に観るものもない施設だが、トイレを借りた手前、土産にアジの干物を買った。保存用の氷を申し訳ないくらい沢山いれてもらった。海辺の干物は絶妙な艶があった。
 みさきには特に展望台はなかったが、一面の海が広がる景色が眼下に続いていて、名も知らぬ白いチューリップのような花が咲き誇っていた。そこに無粋ともいえるノボリが立っていた。だが、そこに書かれている涼しげな文字に惹かれた。
「絶景の喫茶店 かき氷あります」

 確かに絶景だった。珍しい木造の喫茶店で、パラソルと焦げ茶の椅子とテーブルが広い庭に置かれている。庭には夏の花草がセンス良く整えられ、その先に真っ白い雲と光を浴びた青い海がパノラマする。また、メニューが素敵だった。イカスミシーフードカレーといったここでしか食べられなそうなフードもあったが、お昼を食べて残念ながらお腹に余裕がなかった。それでもマンゴーティーやパッションフルーツのかき氷など、好奇心をかきたてるメニューがずらっと。なかでも目を引いたのが。
「この、酒のかき氷って?」
「東の地方のオサケのかき氷です。お米を原料としていて、アルコール度数も高いですよ。旅の方には少しオススメしにくいのですが、しゃきっとした、なんというか凛とした良さがあります」
 聞き終える前から決めていた。
「じゃ、それで」
「いいんですか?」
「はい、急ぐ旅ではないので」

 緑の庭と青い海を眺めながら、冷たい氷菓と香り立つアルコールを口に含む。これでソプラノ歌手の演奏があったら、正に天国だろう。そんな妄想を抱えていると、かつての娘の甲高く音痴な児童曲が、ふと蘇ってきた。それを笑う妻とわたしの笑い声も。それは忘れてしまった記憶、毎日に洗濯されて消えたはずのふとした出来事だったはずが、やけに鮮明にそのビジョンというよりも音がリフレインされ、目頭を襲った。
 ごしごしとこすり、視界一杯の海に戻る。海は広く、時は緩やかで、それは一人ぼっちでは到底埋められるものじゃなかった。

 しばらくの郷愁の後は、妙に高揚とした気分が続いた。それこそハイキングの気分で帰りの坂道を下り、街に出て、ふらふらと物色し、見事に道に迷うほど。
 人通りの多いところへ行けば、メインストリートに辿り着き、駅へと帰れる。頭ではわかっているのだが、入り組んだ道々と酷使した脚が、なかなかにもどかしい。夏は日が長く続き、まだまだその天下だ。炎天下だ。喉がひりひりと乾き、既に二軒の喫茶店で炭酸水をがぶ飲みしていた。

 そんな時だった。

 奇妙な看板が目についた。カボチャショップ。

「カボチャショップ?」
 思わずつぶやいていた。そこは商業区とは離れたクリーム色の民家が続くところだったから猶更だ。
 いろいろなことがよぎった。
 それから看板の指す小さな路地へと向かった。自分でも奇妙な想いだが、楽しそうだったのだ。ペットショップの鳥のコーナーを覗く感じに少し似ている。

 三階建ての細長いアパートの小さな一室、店というよりも部屋のような空間。ガラスの窓に黒字でカボチャショップ、カラーで荷台の上に様々なカボチャが描かれている。一見オシャレだが、その下に張り紙で「今だけ20%セール」とあるから、苦く笑ってしまう。
 ドアを開けると連れてちりんちりんと鈴の音が鳴り、「いらっしゃい」と明るい声がかけられる。そこに含まれる幼い響きに驚く。見ると、16,7の少女が一人、小さな店にちょこんと立っている。綺麗というよりも人懐っこい感じの、瞳の大きな少女だ。
「ここは、カボチャショップ?」
「うん、カボチャショップよ」
 わたしは少し躊躇いながら
「ケーキ屋じゃなくて?」
 少女は少し下を向いて
「カボチャのケーキもあるんですよ」
「カボチャのケーキも?」
「普通のケーキもあり、ます」
「ふぅん」
 建物自体は古びているが、店そのものはフレッシュさを感じた。良くも悪くもぎこちなく洗練されてなく、無駄が多い。そう並べると悪いことばかりのように聞こえるが、親しみやすく、嫌な商売っ気が少ないともいえる。
 まず扉を開けるとケーキのショーケースが並ぶ。シフォンケーキを中心にパイなどの焼き菓子が多い。全体的に焦げたオレンジ色をしている。その少し奥には「カボチャショップ」らしくカボチャが整然と。八百屋のような陳列ではなく、服屋のようにそれぞれのカボチャが大事そうに飾られ、ポップに手描きの説明書きがされている。それでただでさえ店は圧迫されているのに、欲張ってかイートイン用のテーブルと椅子がある。それも一脚だけ。こんなごちゃごちゃした店内で少女に見つめれらながらケーキを食べるなど、落ち着かないだろう。と普通は思いそうなものだが、少女のあけっぴろげなけらけらした顔と、オシャレとは遠いが絶妙な品の良さを保っている店内の空気が、なんともそこに「居たい」と思わせた。紅茶とケーキとカボチャに囲まれて。午後を猫のように無為に過ごしたいような。この少女からもう少し話を聞きたいような。
 わたしはアルコールに酔っていたのだろう。でなければここを訪ねなかったし、ここでカボチャのシフォンケーキと紅茶を頼むこともなかったし、少女のカボチャトークにつきあうこともなかっただろう。
 それでも、このほろ酔いは心地いいものだった。
 ころころと変わる少女の表情、上気した頬、店での失敗談に次ぐ失敗談。それでもここを町一番のカボチャショップにしたいと語る。一階にはずらり世界中のカボチャを集め、2階では様々なカボチャの郷土料理を提供する。カボチャ好きのスタッフを集め、毎月試食会を行い、店が繁盛したらのれん分けをする。
 無性にカボチャが食べたくなったので、カボチャのフライスティックとカボチャのスープセット、この店に唯一ある軽食まで注文した。暇な時だけなのよ、とは少女の談。
 本当に暇が続いてこの店が潰れちゃうのかと思ったりもしたが、くるくるカボチャやケーキを買うお客さんが入ってきた。おそらく地元の人だろう。それでも余所者のわたしを邪件に扱うこともなく、過剰に遠慮することもなく、「どうもー、今日も暑いねー」と柔らかい空気を作る人たちに、何か温かいものを感じた。常連客も出来ていて、新しい常連客も生まれるだろう店だ。

 そしてわたしもこの港町に再び寄るとき、無性に海が見たいとき、それがまた親しい人たちと一緒になのか、相変わらず一人でなのかはわからないが、この店を訪ねるだろう。

 日が傾き始めた中、少女からやけに丁寧に教わった駅への道順をたどる。

 これが今年の夏のバカンスの何気ない、それでいて忘れなれない思い出だ。
えんがわ
2023年10月07日(土) 10時06分55秒 公開
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No.6  えんがわ  評価:--点  ■2023-10-14 22:37  ID:PyFRimgEhSs
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>小松菜 みず さん

こちらまでありがとです。先ほどお返しかんそーを書きました。

この系統で言えば、古典になるかもしれませんが、昔BSで「世界ふれあい街歩き」というのをやっていて、良く観ました。
遠い異国に憧れながら、ぼーっと眺めたのです。

最近、港町に旅をする機会が出来て、久しぶりにこういうのを形に出来ました。健康に生き、健康に旅し、健康にこういうのを書き綴っていけたらー。
No.5  えんがわ  評価:--点  ■2023-10-14 22:32  ID:PyFRimgEhSs
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>陽炎さん

お酒のかき氷!
日本酒だけじゃなくて、洋酒のワインとかカクテルのかき氷もあるそうです。
食べたことないし、自分はそこまでお酒自体を嗜まないんですが、なんか憧れてしまいました。テレビでやってましたよー。

ハロウィンは良きです。
よくある大騒ぎのものじゃなくて、子供とか仲間内でのハロウィンパーティみたいな。そういう伝統が日本に根付きつつあるのが、嬉しいー。
今日はカボチャのてんぷらと野菜天と唐揚げを食べました。

旅気分になってくれて嬉しいです。
こうやって何作か重ねて、女の子や港町を重層的に感じられる作品を作れたらなー。
No.4  小松菜 みず  評価:40点  ■2023-10-14 09:28  ID:ELoqBiWqZQs
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楽しく、一緒に旅をしている感じになりながら読ませて頂きました。
小松菜 みずです。
『絶メシロード』や『孤独のグルメ』がわたしも大好きでして。よく観ているのですが、その雰囲気がありました。こういう作品集とか売れるんじゃないでしょうか。現在の求められているカテゴリーだと思いました。需要高いと思います。

かぼちゃショップ! わたしも行きたい!

読ませて頂きありがとうございました。
No.3  陽炎  評価:40点  ■2023-10-14 05:00  ID:.T.XHKIbJ8o
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かき氷のあのタペスタリー?見るとつい食べたくなっちゃいます
お酒のかき氷ですか〜。すごい気になりますね、日本酒苦手ですが(^-^;

かぼちゃショップ。ハロウィンも近いですし
グッズ的なものが売られてるのかなと思いきや
かぼちゃ全般の食品やらスイーツやらその他もろもろ
売られてるお店なんですね
かぼちゃ、美味しいですよね
スープもパンプキンケーキもサラダも

読みながら一緒に旅をしているような
そんな気分になりました

えんがわさんにしては、めずらしい筆致なんじゃないか
なんて、そんなことを思ったり

楽しませていたたきました

No.2  えんがわ  評価:--点  ■2023-10-11 22:41  ID:PyFRimgEhSs
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ゆうすけさん

海辺の刺身の味は未だよくわかんないです。アジフライは美味しかったけど。
勝浦といえば、勝浦タンタンメンですか?
ラーメンは土地に根付いているというか、地元の街中華がなかなか馴染んでしまい、それを超える他所の味って出てこないのかな。ってのが個人的な持論ですー。(東京だけは全国中の地元の味が集まる激戦区になる)

主人公はあんまり深堀しませんでしたー。
キャラが濃すぎると、「主人公=読み手」というのが崩れすぎてしまうかなって。
でも、そこらへんのドラマを描くのはアリですよねー。
今回は「そこから逃げた」となってしまっても、言い訳できない。
かなり風土記寄りになってしまい、人間ドラマが淡白になり過ぎてしまったかな。高菜!

ありがとでしたー。寒いんだから暑いんだかわかんないこの頃ですが、お元気で―。
No.1  ゆうすけ  評価:40点  ■2023-10-09 17:47  ID:BqYIjnMQWzw
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拝読させていただきました。
 日記を覗き見したようなリアリティがありますね。『絶メシロード』『孤独のグルメ』のような詫びサビ的な感じです。港町だし海鮮丼とか美味しいと思って食べたら意外とそうでもない……我が房総でもよくある話……っていうか我が木更津こそまあそんな感じ。こないだ言ったかつ〇らもそうだった、ご当地ラーメンもまたしかり。
 かつて栄えていたけれどその賑わいを少しづづ失っていく港町、それでも頑張ってなんとかやっていこうとする、ああ、いっぱいそういうの見てきたなあ。
 主人公は妻子持ちですか、『絶メシロード』みたいな感じなのか、何か他にあったのか、ちょっとそこらへんももうっちょっと掘り下げた方が感情移入できそうです。
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