にゃんくるない
 懐中電灯の光がゆらゆら揺れる。歩幅に合わせてゆらゆら、ふわふわ。砂利道じゃりじゃり、がりがりと歩いていく。
 月は細い三日月。頼りない。ほら、また、雲に隠れた。
 びゅぅっと身体の芯まで冷たくする風が吹く。あの時、街で異国の羊毛コートを買っときゃ良かった。なんて、何時だって後悔は、後ろからやって来る。でも指先、足先、大丈夫。なんたって、熊の毛てぶくろにソックスよい。
 山道、人無し、一人旅。どこまで行けるの、僕の足?

 懐中電灯、青い光。ポチッとボタンを押せば、うん、赤い光になる。特に意味はない。  
 なんて訳はなくて青は「大丈夫、おいらはまだやれる」。赤は「ちょっとキツイ。助けてくんれー」。そんな旅人のサイン。

 でも、人っ子一人無し。一人旅は続くよ。

「にゃんくるない、にゃんくるない」

 僕は何処かの酒場で聞いた方言を繰り返す。妙に平べったいおっさんで、魚を骨ごと揚げたものをがりがりと齧りながら、ワインを飲んでいた。あの時の僕はまだ若く、失恋したばかりだった。
「なぁ、おっさん、なんで、旅なんてしてんのよ」
 僕は言う。
「旅がよんでるのさー、また旅をせよとねー」
 おっさんが応える。
「おっさん、この港町に居れば、新鮮な魚のごはんに、ふかふかのベッドに、少しやかましいけど可愛い女の子に不便しなさんよ」
「そやなー。せやなー。でも、旅には極上の楽しさがあんのよ。港町の潮の空気。それで終っちゃ詰まらない。柔らかな草原の草の香り。都会のごちゃごちゃした人の温度。温泉のあっつくて、指の先がふにゅふにゃしちゃうくらいの温泉よ」
「ほんとかい?」
「ほんとよー」
「わーったよ。でも辛くない?」
「辛いことだらけだよ。立ちしょんべん、野ぐそにゃ慣れたが、好奇心とそれ以上の差別意識で見られるこういう視線は、まだキツイ。兄さんがやってるこの目線ね」
 と言いつつ、構わず、魚をぼりぼり、一気食い。喉につまったのか、ゲホゲホむせてる。
「やっぱ駄目だろー」
「にゃんくるないさー、にゃんくるない、にゃんくるない」

「にゃんくるない、にゃんくるない」

 三日月が笑ったり、隠れたり。夜が濃くなるにつれ、風は厳しくなる。でも、どうやら今日のノルマに辿り着きそう。のろのろノルマ。
「ここを? 何もないぞ。この辺り」
 ガイドブック「ニケ屋」のお仕事。地図に指定された地点を写真に映して欲しいって。報酬は写真の出来栄えと、旅情あふれる解説文を添えれるかどうか。次第だとさ。
 解説文かー。書けるんかー。寒い寒いとしか書けっこないよ。写真だって、夜よりは朝の方が、映えるだろうし。これは夜明けまで待ちぼうけ?
「にゃんくるない、にゃんくるない」

 呟きながらその場所に行ってみる。あれ? おや? 何で光が? ざざーっとした腰の丈ほどある草原しかないこの辺りに、柔らかく温かなオレンジの光。

 何でか知らんが、一軒家。しかも看板付き。「軽食あります」。なんだそりゃ。暖簾には真っ黒な墨で「風雲亭」。怪しすぎる。今日のオススメ料理は野犬のごった煮とか。入った途端、三つ目の巨人が僕をパクリとか。そんなわけない。ないないないっす。取り敢えずは写真を撮ろう。ぶるぶる震えてるのは恐怖じゃなくて、寒さからだよ。そういうことで。なかなか手元がぶれる。落ち着け落ち着け僕の身体。身体さえ落ち着けば心はどうでもいい。よしっ。せやっ。
 とした瞬間と、ガラガラと入り口のドアが開くのがジャストタイミング。しかめっ面の親分が、コックコートを身に着け、コック帽を被りながら、写真にパチリ。

 親分さんは、物珍しそうなものを見た顔で、心臓ばっくんばっくんの死にそうな僕を、いぶかしげに吐き捨て。
「取材か?」
「えっ? こんなところに取材する人なんているんですか?」
 僕はナチュラル毒舌だった。いかん、殺されるかも。
 だが、親分はにこりと笑って。
「そりゃあ、客も取材も来んよ。お客さん、入って、入って。今日は特別に冷えた日だもんな。あったかいもんあるよ」

 あたたか薪ストーブ。店内わりかし綺麗。狭い店内は狭いなりに掃除が行き届いており、暖は部屋の隅々まで柔らかく染める。店主は真っ白のコックコートを身にまとい、心からの微笑をする。店内には他に客はいないが、不思議と寂しくはさせない。そんな店主の気配りが店の隅にある良く整えられた活け花からも伺える。なんて解説文。どうでしょう。星は? 三ツ星? 五ツ星? それは分かりません。

 しかし。

 カウンターでぐつぐつ煮えているアレは何? しょうゆの匂いと懐かしの魚介の出汁の匂い。でも、鍋ではない。でっかい生け簀に、色んなものがごった煮で入ってる。お品書きには、
「玉子」うん、わかる。
「ロールキャベツ」どこかで聞いたことある。
「こんにゃく」なんだ、それは?
「はんぺん」えっ?
「ちくわぶ」はっ?
「牛すじ」あっ! 牛か……

 僕は正直に言う。
「なんだか分かりません」
 にゃんくるない、にゃんくるない。
 親分は笑いながら
「坊主、おでんは初めてかい?」
「おでん? オーディンですか?」
「初めてだな、こりゃ」

 注文方法を聞き、取り敢えず僕はこんにゃくとロールキャベツを選ぶことにした。
 そして次の瞬間に後悔した。
 茶色の寒天状のぷるぷるした粘土みたいな塊と、でっかいキャベツの葉っぱの固まりがやって来たのだ。
「芥子つけるかい?」
「いいです、いいです」
 カラシがなんだかしらないけど、これ以上、滅茶苦茶にしないでくれよん。

 こんにゃくを口にする。いや、しようとして。
「熱っ!」
 熱せられた平べったいものが、僕のくちびるにヒットした。口の中に入れようと思ったのだけど、慣れないチョップスティックとでっかいこんにゃくの大きさにコントロールミスしたのだ。決して動揺したからじゃない。
「ふうふう、冷ますんだよ」
「はぁ」
 こんにゃくは酷かった。味は殆どしないし、なんか薬品臭いし、噛み応えもあるんだか無いんだか、豚の腸みたいにくちゃくちゃ。くちゃくちゃ。
 でも、なんか、喉からお腹まであったかくなった。

 ロールキャベツは最高だった。最初はキャベツだけの手抜きだと思った。肉はキャベツに巻かれたベーコンだけだと思った。ぼったくりの詐欺料理だと思った。でも、違った。あつあつのキャベツの中に、肉汁たっぷりのひき肉のかたまりが包まれていたのだ。肉とキャベツのハーモニー。そしてその頃になると、僕はおでんというものの、スープの美味しさ、出汁としての美味しさに気付き始めた。美味しいのだ。滋味あふれる、温かくほっとさせ、どことなくノスタルジックな醤油に、具材が溶ける寸前にまで煮込まれた一体感。
 僕はこの店で寒さを忘れ、いろいろなおでんを食べながら、店主と話した。どうして、こんなところで、しかもおでんを、から始まり、初恋の人との三回目のデートまで。でも、それはここには書かない。ここを訪れたあなたが、どうかそれを極上のおでんと一緒に楽しんで欲しいから。

 にゃんくるない、にゃんくるない。


 ニケ屋『ガラフスタンランド見聞録、ヤシム地方、ノートル平原』58〜68ページより。
えんがわ
2022年11月25日(金) 21時18分06秒 公開
■この作品の著作権はえんがわさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
作者からのメッセージはありません。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  えんがわ  評価:0点  ■2023-01-07 23:39  ID:9pxemaegKFc
PASS 編集 削除
>アラキさん

こんにちわ。

やわらかくて、あったくいものを書きたいなと思ってたので、そのお言葉ほんとうにうれしいです。

少しでも現実から離れて、他のイメージに浸れるのが、ファンタジーのイイところだと思います。

辛辣な人は現実逃避とかいうんでしょうが……
いろんな現実や幻想でこの世界は出来ていて、その一つで楽しんだり、安らげたらいいんじゃないかなぁ。

まさか、このサイトで初訪問者さんに会えると思わなかったので、嬉し驚きです。声をかけていただき、ありがとですー。
No.3  アラキ  評価:40点  ■2022-12-28 19:30  ID:pu1HY/1I14U
PASS 編集 削除
初めまして。拝読させて頂きました。
「にゃんくる」という語感で猫をイメージして、そのまま絵本のようなイラストが紙芝居のように浮かんでは切り替わっていきました。
詩のような口調がほっこりとしたファンタジー感を演出しててすごくかわいいです。
どこに着地するんだろうと思いながら読んでいましたが、暖かい料理の安心感にすっかり癒され、そうかここが着地点かと納得いきました。
優しい世界を見ました。ありがとうございます。
No.2  えんがわ  評価:0点  ■2022-12-11 17:50  ID:9pxemaegKFc
PASS 編集 削除
>ゆうすけさん

お久しぶりです!

雰囲気というか空気が伝わっていただいたのか……嬉しいです。
文章はリズムというか音を意識しました。

最近はほんとコロナでねー。自分も実家に帰る予定がコロナ感染で伸びそうな微妙な感じで、ほんとねー、辛いねー。現実は―。

沖縄はいいよー。高校の修学旅行で春先に行ったんですが、あったかくてね。
あの時、なぜか米軍基地の周りをぐるぐる回ったりしたけど、懐かしい想い出です。ソーキそばが美味しくて、しばらく沖縄料理屋に通ったりしたなー。

そんな感じで、苦しい今を楽しい想い出や未來で、少しでも安らげたい今です。

この小説も、ほっとするものを与えることができたら、これ以上嬉しいことはないです。

にゃんくるないさー。
No.1  ゆうすけ  評価:40点  ■2022-12-02 15:11  ID:l9HNwrYHA8I
PASS 編集 削除
拝読させていただきました。
コロナ感染で自宅待機を余儀なくされて、まあ商売やっているんで結構なダメージに打ちのめされて、懐かしいここに遊びに来たりして。
いや〜、この独特の雰囲気がなんだか心地よい文章。
「山道、人無し、一人旅。どこまで行けるの、僕の足?」
詩的な感じの軽妙な文章、この雰囲気を楽しむべき作品なのかな。
にゃんくるない……沖縄的な猫的な、ふんわりした感じでおしゃれ。
病で陰鬱な気持ちが、ちょっと晴れましてにゃんくるない気持ちです。
総レス数 4  合計 80

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(必須)       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除